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「お参りに行く」「お参りする」等といった言葉は
仏教や、神道の言葉なのでしょうか?
最近では無宗教形式でのお葬式を行ってますが
そういったばあいに、「お参り」といった言葉は
おかしいものでしょうか?

A 回答 (3件)

宗教をどう定義するかと言うのは極めて難しい問題です。

宗教学者の数だけ「宗教」の定義があるとも呼ばれています。


またまたgoo辞書で宗教を検索すると

「しゅうきょう1 【宗教】

(1)神仏などを信じて安らぎを得ようとする心のはたらき。また、神仏の教え。
(2)〔religion〕経験的・合理的に理解し制御することのできないような現象や存在に対し、積極的な意味と価値を与えようとする信念・行動・制度の体系。アニミズム・トーテミズム・シャーマニズムから、ユダヤ教・バラモン教・神道などの民族宗教、さらにキリスト教・仏教・イスラム教などの世界宗教にいたる種々の形態がある。
三省堂提供「大辞林 第二版」より


「宗教」の意味のうち(1)は、もともとは仏教語として使われていました。宗(根本の)+教え=宗教という訳です。仏教の根本原理やそれぞれの宗派の中心的な教え(宗旨)を意味する言葉として、使われていました。
 無着成恭先生の下記のような説明が参考になると思います。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~bukkyo/book_page/zub …

 (2)の意味で「宗教」という言葉が使われるようになったのは、明治以降です。英語のreligionの訳語として「宗教」を当てたことに起因しています。但し、この当時は「宗教とは、教団(church)教義(doctrinel)儀礼(ceremony)を有するもの」に限定してみる傾向がありました。世界宗教としてのキリスト教、民族宗教としてのユダヤ教のようなものだけを、宗教と呼んでいました。それに当てはまらない宗教的儀礼や信仰は、呪術とか魔術とか民間信仰として宗教の枠外に置いて来ました。しかし、その後、アニミズム・シャーマニズムなどの宗教的現象や宗教的行動も、religionの範疇に加えるようになってきました。
以上、かなり雑な説明ですが、「宗教」の概念についていくらか理解いただけたと思います。(首を傾げたくなる記述も若干ありますが、ウィキペディアで「宗教」を検索してみて下さい。『宗教学』の本で、定義的な部分を読んでみて下さい。)


 さて、「無宗教形式のお葬式」について考えてみましょう。この場合の無宗教形式というのは、仏教キリスト教神道などの既成宗教の儀礼を排除した形のことを言うと思います。既成宗教の儀礼を用いないで、故人と別れを告げる儀式(葬式)を行なうことが「無宗教形式のお葬式を行なうこと」でしょう。

 では、そういう形式で故人と別れを告げる時、何を考えて別れを告げるのでしょうか?火葬が終わって肉体が骨と灰になっても生前同様に生身の人間に対するのと同じように語りかけている場合が多いと思います。何故語りかけるのか?甚だ漠然ながらも、故人の霊もしくは霊的存在が自分の目の前にいると考えているからなのです。
 また、「天国に行く」「お星様になる」という表現で、故人がこれから行く場所(死後の世界、他界)を語る場合も多いと思います。既成宗教のように体系化されていないが、死者の霊が赴く世界が想定されているのです。
 「無宗教形式のお葬式」個々の事例を検証したわけではありませんが、無宗教と言っても「お葬式」において畏敬の対象となる「霊の存在」を前提として行なわれ、何らかの形で死後の世界が想定されている場合が多いと思います。
 そういう意味で、既成宗教の儀礼を排除したものであっても、お葬式を行なうこと自体宗教的な行為であると思います。

 
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 言葉に対する解釈はいろいろ有って良いと思いますし、「お参り」の元となった「参る」という言葉自体様々な用例があります。

No.1の回答で「謙譲語」と書かれていますが、何に対して自らがへりくだるのかという点を考慮されていないことには疑問を感じます。

「参る」という言葉をgoo辞書で検索すると

まい・る まゐる 1 【参る】

(動ラ五[四])
〔「参(まゐ)入(い)る」の転〕[一](自動詞)

(1)「行く」「来る」の意の謙譲語。動作の及ぶ相手を敬う。聞き手と動作の及ぶ相手とが一致している場合に用いられる。
「また明日二時に―・ります」「お客さま、お迎えの車が―・りました」「はい、すぐにそちらへ―・ります」
(2)「行く」「来る」の意の丁寧語。聞き手への敬意をこめていう。
「駅までご一緒に―・りましょう」「このバスは市役所へ―・りますでしょうか」「私は沖縄へ―・ったことはございません」「担当の者が―・りましたら、すぐにお電話いたさせます」
(3)神社・寺院や墓へ行って拝む意の謙譲語。もうでる。参詣する。お参りする。
「菩提寺に―・る」
(4)「行く」「来る」意の尊大語。上位者が下位者の行為を低めていう。
「わしはあとから行くからお前は先に―・れ」「早くこちらへ―・れ」
(5)相手の力や能力に負けて降参したということを相手に表明する語。
「『どうだ―・ったか』『うん、―・った』」「おみごと、―・りました」「貴兄の卓説には―・りました」
(6)事態に対応できなかったりして、困惑・閉口している気持ちを表す。
「彼のせっかちには―・るよ」「―・ったなあ、この渋滞には」
(7)困難な状況にあって、肉体や精神が弱る。
「徹夜続きで体が―・ってしまう」「激務で神経が―・る」「今年の夏の暑さには―・った」
(8)(多く相手を卑しめて)死ぬ。
「ついに彼も―・ったか」
(9)(多くは「まいっている」の形で)ある異性にすっかりほれる。
「彼は奥さんにぞっこん―・っている」「彼はあの子の魅力にすっかり―・っているらしい」
(10)(補助動詞)
動詞の連用形に助詞「て」の付いたものに付いて、補助動詞「行く」「来る」に謙譲の意を添えて言い表す。
「早速品物を持って―・ります」「田舎から出て―・りましたばかりで、とんと勝手がわかりません」

(1)貴人のいる場所、貴い場所へ移動する。
「春宮(とうぐう)の生れ給へりける時に―・りてよめる/古今(賀詞)」「とく装束(そうぞ)きてかしこへお―・れ/蜻蛉(下)」
(2)「行く」「来る」の意の謙譲語。古くは聞き手と動作の及ぶ相手とが一致しない場合にも用いる。
「前の川原へ―・りあはん/徒然 25」「その有りさま、―・りて申せ/徒然 238」
(3)貴人に奉公するためにそのもとへ行く。出仕する。
「宮に初めて―・りたるころ/枕草子 184」
(4)入内(じゆだい)する。
「十六にて故宮に―・り給ひて、二十にておくれ奉り給ふ/源氏(賢木)」
[二](他動詞)
(1)貴人に対する下の者の動作の謙譲語。
(ア)貴人に品物を献上する。進上する。さしあげる。
「親王(みこ)に馬の頭(かみ)大御酒(おおみき)―・る/伊勢 82」「御手水(ちようず)とり具して―・りたり/落窪 1」「箏の御琴―・りたれば、少し弾き給ふも/源氏(明石)」
(イ)貴人のために、何らかの動作をする。してさしあげる。
「掃部司(かもんづかさ)参りて御格子―・る/枕草子 278」「まだ大殿油も―・らざりけり/源氏(東屋)」「御ゆする(=洗髪)―・り、御衣着かへなどし給ひて/源氏(葵)」
(ウ)(この手紙を差し上げます、の意から)手紙の脇付に用いる語。
「小春様―・る/浄瑠璃・天の網島(上)」
(2)貴人の動作の尊敬語。
(ア)「食う」「飲む」の尊敬語。召し上がる。
「今は粥など―・りて/蜻蛉(上)」
(イ)ある動作をする、または、ある動作を受ける意の尊敬語。
「夜深く、御手水―・り/源氏(須磨)」「大殿油短く―・りて御覧ずるに/源氏(梅枝)」「こよひはなほ静かに加持など―・りて出でさせ給へ/源氏(若紫)」
[可能] まいれる
三省堂提供「大辞林 第二版」

とあります。

 
 神社やお寺に「お参りする」と言うのは、神仏に対してみずからが謙ったからです。お墓を「お参りする」と言うのは、お墓に眠る方々ーいわゆるご先祖さまーに対してみずからが謙ったからです。仮に無宗教でお葬式をしたとしても、亡くなられた故人やお墓に埋葬された先祖に敬意を込めるのなら「お参り」という言い方をするのは極めて自然なことだと思います。

 ちなみに「無宗教で葬式を行なう。」と言っても、葬式を行なうこと自体宗教的な行為だと思います。
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この回答へのお礼

ご返答、ありがとうございました。
便乗質問なのですが、
お葬式を行うこと自体が宗教的行為とありますが
無宗教形式ではどんな宗教的行為にあたるのでしょうか?

お礼日時:2006/04/10 00:24

「参る」とは「行く・来る」の謙譲語であり、


その名詞のような働き(<働く)の「参り」に、
接頭辞である「お」をつけたものであることから、さらに、行く・来るという行為が宗教行為でもなく、かつ、謙譲の意識が宗教意識でないことから、
別に宗教と無関係でも、「本来的には」問題ないと考えられますが、言葉は意味が一人歩きをしたり、変化することから、「お参り」という語自体に宗教的な色合いを感じる方もおられるかもしれません。

カレー屋さんが、よく来るお客さんに、「ようこそお参りくださいました」なんていう時代が来るかもしれませんが、これは感性の問題でもあります。
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