小学校3年生の男の子に諸葛孔明についての本を読ませてあげたいと思っています。
彼の名前は亮くんといって、父親が諸葛孔明にちなんで名づけたらしいのですがどういう人物か知らないらしいので本を贈ってあげたいと思っています。

三国志等も考えましたが、なにぶん小学生なので短くてわかりやすい本がよいと思っています。
どなたかご存じのかたいらっしゃいましたらアドバイスをお願いします。

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A 回答 (2件)

以下のような子供用の伝記ものはいかがでしょう。


(まだ、他にもあるかもしれませんが)

講談社 火の鳥伝記文庫〈80〉
諸葛孔明―「三国志」の名軍師
ISBN:4061475800
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/ws …


あと、子供用の文学全集ものの中を探すのもひとつの方法かもしれません。
ご参考までに。

「子どものための世界文学の森   26  三国志 」
http://www.trc.co.jp/trc/book/book.idc?JLA=95010 …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
さっそく火の鳥伝記文庫を注文しました。

誕生日に贈ってあげたいと思います。
私も読んで勉強せねばなりませんね・・・

お礼日時:2002/02/04 22:31

漫画の三国志はいかがでしょうか?


私は大学生になるまで三国志を読んだことが無かったのです。
読んでも、長編のため1巻で挫折してしまいましたが、大学3年?の時に漫画で読んでから三国志や諸葛孔明について知識を得ることができました。

漫画でしたら、子供も楽しんで読めると思います。
まずは、三国志を漫画で読ませてはいかがでしょうか?
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Qここは諸葛孔明の質問は禁止なの?

先日歴史カテとアンケートカテに諸葛孔明に関する質問をしました…しかし質問が反映された瞬間に
運営から削除メールが…別に普通に質問したし規約に触れるようなことは無いと思うのですが
もしかしてここのサイトは「諸葛孔明」は規約違反なのですか?
むだとしたらこの質問も消えるかも…

Aベストアンサー

http://oshiete.goo.ne.jp/search_goo/result/?MT=%E5%AD%94%E6%98%8E&article_type=qa&code=utf8&from=&qatype=qa&st=all&sr=norm



いいえ、
もう一度、質問文読み直して
書き直してチャレンジ(^-^)/


zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz

Q諸葛亮と諸葛亮孔明

おはようございます。
私はこの教えて!goo(OKWave)の質問や回答に
疑問を感じています。
それはタイトルの『諸葛亮』と『諸葛亮孔明』です。
『諸葛』は中国では珍しい二文字の苗字で、
身分の高い家柄では名乗る事が出来るそうです。
『亮』は名です。 我々の名前と一緒。
英語ではファーストネームです。
『孔明』は字(あざな)です。
日本では珍しいミドルネームみたいなものです。
この『字』を使う時は、『名』は使わず『諸葛孔明』と
名乗ります。
しかしこの教えて!goo(OKWave)では
『諸葛亮孔明』と名と字を一緒する質問者・回答者が
いらっしゃいます。
このような方々はご自分の誤りに
気付いていらっしゃるのでしょうか?
皆さんからのご意見を賜りたいと思います。

Aベストアンサー

いくら皆さんからのご意見を賜っても、その回答者が気付いているかいないかはその当人しかわからないと思いますが…。

Q哲学と諸葛孔明について

1、三国志と出会って、諸葛孔明を知るようになってから、いろいろと諸葛孔明のことを調べるようになり、そして、最近、なぜか哲学の方にも興味が出て来て、本など読み始めるようになって、もっともっと哲学を勉強したい!!と思い始めているのですが、どういうところから勉強を始めればいいでしょうか??
おおげさな話し哲学者になるためにはどこから一歩踏み出せばいいでしょうか?と解釈してもらっても構いません。
2、それと諸葛孔明は人生哲学やその他モロモロの哲学など、自分自身が生きる上で学んだこともあると思いますが、参考にしてたという点ではどういう人を中心にしていたのでしょうか?
1と2についての良書などあるようでしたら、どうか教えてください。
お願いします。

Aベストアンサー

とりあえず2について。

諸葛孔明は、後漢から三国時代にかけて生きた人物です。
彼の生きた時代、および人生から二つのことが読み取れます。

A.諸葛孔明は、おそらく法家思想の持ち主である。

 史実の孔明は、軍師というより政治家です。
 彼の本領は、国家の宰相として政治を整え、北伐して
 魏と戦うだけの国力を養成した手腕にあります。

 その政治は法律を整えて統治機構を整備するとともに、
 屯田制の導入で国力の増産に努めました。

 彼が法律を重視したことは、「泣いて馬謖を斬る」と
 いう言葉にもあるように、私情を廃して法の執行を優先
 する極めて厳しいものでした。


B.諸葛孔明は儒教思想の影響も強く受けている

 これは後漢時代の知識人全般に言えるのですが、後漢では
 儒教が国家に全面的に取り入れられたため、それ以前の
 時代と比べると、仁義・忠誠・孝行といった儒教の徳目
 が重視されるようになりました。

 余談ですが、黄巾の乱以後、ほとんど飾り物同然となった
 後漢の王室がなかなか滅びなかったのは、うかつに滅ぼ
 してしまうと、他の知識人から「不忠」というレッテル
 を張られ、汚名を残す恐れがあったからです。
 それで曹操は死ぬまで魏王でしたし、息子の曹丕は禅譲
 という形式で、帝位を受け継ぎます。

 諸葛孔明は忠義という点でも立派でした。
 劉備に死ぬまで仕え、劉備の死後はその子劉禅に忠誠を
 尽くします。
 彼が北伐の際に書いた出師の表は、後世に名文として名
 を残します。

とりあえず2について。

諸葛孔明は、後漢から三国時代にかけて生きた人物です。
彼の生きた時代、および人生から二つのことが読み取れます。

A.諸葛孔明は、おそらく法家思想の持ち主である。

 史実の孔明は、軍師というより政治家です。
 彼の本領は、国家の宰相として政治を整え、北伐して
 魏と戦うだけの国力を養成した手腕にあります。

 その政治は法律を整えて統治機構を整備するとともに、
 屯田制の導入で国力の増産に努めました。

 彼が法律を重視したことは、「泣いて馬謖...続きを読む

Q三国志演技に出てくる諸葛孔明が南蛮行中遭遇した4つの毒泉(唖泉、滅泉、黒泉、柔泉)は実在したの?

こんにちは、お世話になります。

三国志演技を読んでいて、とんでもなくスゴイ毒泉が出てきて気になったのですが、本当に実在したのでしょうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9F%E7%AF%80

唖泉:飲むと、口きけなくなり、10日以内に死ぬ。
滅泉:浴すると、皮膚がただれ、肉が腐る。
黒泉:手足を漬けると、手足をつければ黒くなり激痛が襲い動かなくなる。
柔泉:飲むと、喉をおかされて骨がばらばらになる。

フィクションな気がしてしょうがないです。

教えてください、よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

 『三国志演技』自体がフィクションです。『三国志演技』は元末明初の時代に羅貫中が書いたとされる時代小説であまりに出来がいいため、作り話であっても史実と混同されています。中国人ですら混同していると言う話を聞いたこともあります。日本に出回っている三国志のほとんどは『三国志演技』です。
 『三国志演技』のもととなっているのは晋の時代に陳寿が書いた『三国志』です。陳寿は元々、蜀の人間で劉禅に降伏を勧めた譙周が彼の先生です。さらに陳寿が書いた『三国志』に南朝宋の裴松之が異説や挿話を列記して史実を補充した注をつけました。『三国志正史』と言われています。「魏志」倭人伝も陳寿が書いた『三国志』の中にあります。

 『演技』と『正史』の内容の違いを大雑把に抜き出すと
・「桃園の誓い」の話が無い。
・『演技』では張飛が督郵を木に縛りつけ鞭打って劉備がそれを止めているが、『正史』では劉備が鞭打っている。
・美女・貂蝉はいない。呂布が董卓の侍女と密通していたとはかいてある。
・「赤壁の戦い」の記述がほとんどない。
・黄忠が夷陵の戦いの二年前に死んでいるので参加していない。
・関興や張苞が活躍している話は無い。
・魏の武将で『正史』では戦が元で死んでいる訳ではないのに『演技』だと戦死や傷が元で死んでいる事にされている人が多い。
・陳寿は孔明を政治家としては評価しているが軍事で臨機応変に長じていなかったと評価している。

 孔明の南征ですが大雑把に調べましたが『正史』のなかには毒泉の話はちょっと見つかりませんでした。『正史』では李恢・馬忠が南征で活躍しています。馬忠が東路軍を率い、孔明と李恢が西路の本軍をひきいたとあります。
 『演技』の記述で孔明の南征の戦術を云々する本があるが、それは全く無意味だと『正史』の解説本に書いてありました

 『三国志演技』自体がフィクションです。『三国志演技』は元末明初の時代に羅貫中が書いたとされる時代小説であまりに出来がいいため、作り話であっても史実と混同されています。中国人ですら混同していると言う話を聞いたこともあります。日本に出回っている三国志のほとんどは『三国志演技』です。
 『三国志演技』のもととなっているのは晋の時代に陳寿が書いた『三国志』です。陳寿は元々、蜀の人間で劉禅に降伏を勧めた譙周が彼の先生です。さらに陳寿が書いた『三国志』に南朝宋の裴松之が異説や挿話を...続きを読む

Qなんで諸葛亮じゃなくて、諸葛孔明なの?

三国志を読んでいて、疑問に思ったのですが、
諸葛孔明は、姓を諸葛。名を亮。字を明なんですよね?
で、普通によく使われる名称って、諸葛孔明じゃないですか。
最初はなんで諸葛亮って言わないのか疑問だったのですが、
劉備玄徳も玄徳が字だし、名を言わないで、姓と字をいうものなのでしょうか?
では、劉備の名はなんなのでしょうか?
劉が姓で名が備なのですか?教えてください!

Aベストアンサー

 歴史に登場する中国人の名前で、「名」とは生まれたときにつける本名、「字(あざな)」とは成長してから自分で付ける名前です。一般的に「名」だけで呼ぶのはごく親しい間柄か、目上の者が目下の者を呼ぶ場合に限られます。あまり親しくないのに、本人が成人後に名乗っている「字」でなく、子供の頃からの「名」を呼ぶのは場合によっては失礼にあたるわけです。
 従って、姓+名+字で呼べば諸葛亮孔明、劉備玄徳ですし、姓+字で呼べば諸葛孔明、劉玄徳ですね。(劉玄徳とはあまり言いませんが)
 >劉が姓で名が備なのですか?
 その通りです。

Q諸葛亮(孔明)の人材を起用する能力は低かった???

孔明よりも劉備のほうが人材を見る目や、その人材の活用術については、上であったと思いますが、いかがでしょうか?

それは劉備の周りに集まった綺羅星のごとき人材を見れば伺えます。
孔明の方はといえば、彼は意外と人事と言う最重要任務において失策が目立ちます。
1、街亭の戦いでの馬ショクの起用
2、魏延の軽視
3、魏延と楊儀との不仲の仲裁をしなかった事
4、李厳の扱い方の失敗

などなど、挙げればかなり多いです。


実は孔明の総司令官としての初陣はかなり遅くて、南蛮征伐の時期であったと言われています。
従って、戦争の現場での経験がほとんどありません。
実際、“学者である孔明”と“現場たたき上げの魏延”の意見は対立したと予想されます。
魏延にまつわる話で有名なのはやはり、「子午谷の奇謀」でしょう。
「子午谷の奇謀」は演義の創作でありますが、
史記には魏延は一か八かの作戦で長安を陥落させる作戦を提案したことが書かれています。
それに対して孔明は、魏延の作戦を軽視して、安心・安全・確実な作戦を実行していきます。
そして結果、孔明は長安を落とすことはできませんでした。

劉備は
1、魏延を能力を高く評価していおり、魏延を重視するように言っています。
2、逆に馬ショクを軽視しており、馬ショクには重要な任務を任せないように言っています。

丞相の地位にいた孔明にとって人材起用といった能力は必要不可欠なものです。
やはり孔明の人材を起用する能力は低かったと思いますか?
諸葛亮(孔明)の人材を起用する能力について、あなたの意見を聞かせて下さい。

孔明よりも劉備のほうが人材を見る目や、その人材の活用術については、上であったと思いますが、いかがでしょうか?

それは劉備の周りに集まった綺羅星のごとき人材を見れば伺えます。
孔明の方はといえば、彼は意外と人事と言う最重要任務において失策が目立ちます。
1、街亭の戦いでの馬ショクの起用
2、魏延の軽視
3、魏延と楊儀との不仲の仲裁をしなかった事
4、李厳の扱い方の失敗

などなど、挙げればかなり多いです。


実は孔明の総司令官としての初陣はかなり遅くて、南蛮征伐の時期で...続きを読む

Aベストアンサー

 こんにちは。これは面白い問題提起ですね。

 結論から先に言うと、劉備も孔明も、人材登用能力はあったと思います。政治家としての力量も充分だった、ただ、人材がいなかった、というのが答えになります。

 なぜ、蜀の滅亡が他の国に比べて速かったのか。

 私は「天下三分の計」の時点で、蜀の運命は決っていたと思います。

 魏は、中国古来の、いわゆる「中原」といわれる土地を領土としていました。
 呉は、これも南方の、古来、中原とは異なる文化を築いてきた地域を押えていました。
 対して、蜀はどうだったでしょう。確かに肥沃な土地ですが、魏や、呉ほどの文化や歴史の充実があったか。

 これが、国力に出てしまったと思うんです。で、国力とは、人材ではない。なんていうか、人材を育てるもの、発達した経済と、厚みのある文化です。

 天下三分の計を孔明が劉備に諮ったとき、もう魏、呉はかなりの安定政権でした。それに拮抗し、起死回生の道を開く賭け、それが、望蜀だったわけです。

 実際、蜀を得てから、劉備も孔明も、殖産興業に勤めています。肥沃な土地を生かして、国力を充実させるのに努めます。
 そして劉備の死後、自分の死期をも悟った孔明が力を入れたのが、南方の安定―七擒七放―と、魏を叩いておくこと―出師の表―です。つまり、自分亡き後、しばらくは外患をなくし、国力を充実させる時間を稼いでおくことだったわけです。
 そのために、孔明は、できうる限りの人材を配置したと思います。

 ただ、正直、関羽や張飛、趙雲などの将星が次々と世を去っていくなかで、新しく参加した蜀出身の武将たちは、どうだったか。

 曹操死後も、優秀な人材が集まり、強大な軍団を保持できた魏と比べて、どうしても見劣りがしてしまうんです。
 それは、「蜀」を選んだ(選ばざるをえなかった)劉備や孔明の宿命だったように思います。
 孔明は、その宿命を知っていて、それに自らの力を賭して抗ってみようと思っていたような雰囲気さえ感じます。

 冷静に考えれば、魏、呉に蜀が拮抗できる訳がないんですね。それをおそらくは知っていて、で、孔明は劉備についたと思います。

 孔明の生涯で、自分の判断と逆の事をした―それを悔いてはいないでしょうが―最初で最後が、この、三顧之礼に続く、出廬だったと思います。

 だからこそ、この話が、人の結びつきの美しさを後世に伝えることになったんだと思います。「出師の表」が、これを読んで泣かざるは人にあらず、とまでいわれたのも、その忠義よりも悲壮さの故だったと思います。そして、秋風五丈原のくだりが、あんなに美しいのも、運命に戦いを挑んだ人の姿が、共感を呼ぶからであると思います。

 長文失礼。ご参考になれば。 

 こんにちは。これは面白い問題提起ですね。

 結論から先に言うと、劉備も孔明も、人材登用能力はあったと思います。政治家としての力量も充分だった、ただ、人材がいなかった、というのが答えになります。

 なぜ、蜀の滅亡が他の国に比べて速かったのか。

 私は「天下三分の計」の時点で、蜀の運命は決っていたと思います。

 魏は、中国古来の、いわゆる「中原」といわれる土地を領土としていました。
 呉は、これも南方の、古来、中原とは異なる文化を築いてきた地域を押えていました。
 ...続きを読む

Q諸葛孔明について子供むけの本はありますか?

小学校3年生の男の子に諸葛孔明についての本を読ませてあげたいと思っています。
彼の名前は亮くんといって、父親が諸葛孔明にちなんで名づけたらしいのですがどういう人物か知らないらしいので本を贈ってあげたいと思っています。

三国志等も考えましたが、なにぶん小学生なので短くてわかりやすい本がよいと思っています。
どなたかご存じのかたいらっしゃいましたらアドバイスをお願いします。

Aベストアンサー

以下のような子供用の伝記ものはいかがでしょう。
(まだ、他にもあるかもしれませんが)

講談社 火の鳥伝記文庫〈80〉
諸葛孔明―「三国志」の名軍師
ISBN:4061475800
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9920387274


あと、子供用の文学全集ものの中を探すのもひとつの方法かもしれません。
ご参考までに。

「子どものための世界文学の森   26  三国志 」
http://www.trc.co.jp/trc/book/book.idc?JLA=95010898

Q諸葛孔明の戦法について

三國志(吉川英治)を読書中なのですが、『五丈原の巻』の(八陣展開)に於いて、河を挟んでの会戦を前にした諸葛孔明と司馬イ仲達の舌戦の中で【まず正法を以て明らかに戦おう】【正法の戦に三態あり。大将を以て闘わしめんか、陣法を以て戦わんか、兵を以て戦わんか】との描写があるのですが、〔大将を以て〕を含む三態それぞれの体型がわかりません。どなたかわかる方、教えてください。

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大将:三国志の時代では、張飛、呂布等、猛将同士の一騎打ちで統率を崩し、攻め切るという戦法がありました。
    ゆえに、将クラスの人材をぶつけ合うといった意味合いです。
陣法:諸葛亮や司馬懿の得意とする分野ですね。兵や将を用い、戦略的な布陣を敷くことで知力としての勝負をするといった意味合いです。
兵:総合力(練度)の勝負です。当然戦にあっては、事前に十分に訓練を積むものですので総合力としての勝負となります。

Q諸葛孔明

諸葛孔明と言う方のすばらしい所を教えていただけませんか?

Aベストアンサー

諸葛孔明は、一国の最高権力者であったにもかかわらず、彼の死後 彼の個人的財産は、無に等しかったそうです。 その事だけを取り上げても彼がいかに国に尽くし義に生き義に死んでいったか推測されます。
>諸葛孔明と言う方のすばらしい所を教えていただけませんか?
必賞必罰を実践した。
数々の発明品を世に出した事
大きな志を持ちそして義に生き義を貫きとうし死んでいった事
以上の三点がすばらしいと思います。 個人的に!

Q諸葛孔明が木鹿王を撃退した時の木獣

諸葛孔明が木鹿王を撃退した時に用いた木獣ですが、
具体的にどういうものか、ご存知の方いっらしゃいますか?

小説を読んだときは、山車やだんじりのようなものを連想していたのですが。

この部分がフィクションの可能性もありますが、
文章に残っているということは、当時の中国にそれを連想するものがあったと考えられます。
それでもかまいません。

Aベストアンサー

こんにちは、ちょっとうろ覚えの知識でネット、特にWIKIの受け売りが混じります。ですので、必ずしも正解しているとは限りません。

直接の回答ではありませんが
三国志について詳しく調べたいのであれば、
渡邉 義浩/著『三国志研究入門』が、今までの主だった研究成果や、三国志に関して調べたいことの調査方法など詳しく乗っていて便利です。
また、陳寿が書いた『三国志』は日本語訳されたものがちくま学芸文庫から出ていますので、興味があればどうぞ。
ぶっちゃけ、私の回答よりも上の本を読んでしらべていただいたほうがいいかも、と思うのですが。

木獣と木鹿大王について…
『三国志』といわれる歴史書は233年から297年まで生きた陳寿という人が書きました。
この書物には、南蛮での戦いのことは、確か一二行ていどにしかかかれておらず、木鹿王も木獣も出てこなかったと思います。

で、大分時がたってから、『三国志』を基にした『三国志演義』という小説のようなものが羅貫中という人の手によってかかれました。
『三国志演義』ができたのは、私は詳しくありませんが、おそらく1300年以降だと思います。
この中には本家の『三国志』には無かったエピソードが追加されています。
木鹿王や木獣のエピソードも確か、そういった元々の歴史書『三国志』にはなく、『三国志演義』で追加されたエピソードです。
追加されたエピソードは、

>文章に残っているということは、当時の中国にそれを連想するものがあったと
たしかに、その可能性はあります。
もともとの歴史書『三国志』には無かったけれど、羅貫中が『三国志』の時代のことを調べて、歴史書には記載されていなかった木鹿王っぽい人物や木獣っぽいものがあったことを発見し、それを『三国志演義』野中に書いた…
たしかに、そういう可能性もあります。
が、羅貫中が三国時代にはなかったものを想像した……という可能性も低くはありません。
羅貫中の創作であった場合でも、羅貫中が現実の何かを参考にした可能性はあります。
しかし、その場合、羅貫中が参考にしたのは、三国時代だけとは限りません。

ですから、木獣のモデルを探すのであれば、三国時代だけではなく、羅貫中が生きていた時代(1300年ごろ?)にまで手を広げて探したほうが良いかもしれません。

以上、悪文乱文失礼しました。

こんにちは、ちょっとうろ覚えの知識でネット、特にWIKIの受け売りが混じります。ですので、必ずしも正解しているとは限りません。

直接の回答ではありませんが
三国志について詳しく調べたいのであれば、
渡邉 義浩/著『三国志研究入門』が、今までの主だった研究成果や、三国志に関して調べたいことの調査方法など詳しく乗っていて便利です。
また、陳寿が書いた『三国志』は日本語訳されたものがちくま学芸文庫から出ていますので、興味があればどうぞ。
ぶっちゃけ、私の回答よりも上の本を読んで...続きを読む


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