上方語の「おます」の語源を教えてください。

江戸時代前半までは「さしあげる」の意味、
江戸時代後半から現代までは「ございます」の意味、

語源は「おましどころ」=「御座処」ですか?

変遷などがわかる人、たのんます!

A 回答 (1件)

 手元の少し大きめの辞書で調べただけなんですが、これによると「おます」には2種類あるようですね。



 一つは「御参らす〔おまらす〕」が変化したもので、サ行下二段もしくはサ行四段に活用する他動詞で、用法は二つ。まず、「あげる・さしあげる」にあたる、人に物を与える意味の謙譲語。もうひとつは、補助動詞で、「~(て)さしあげる」にあたる、人のために「してあげる」意の好意を示す謙譲語。

 もう一つは漢字で表記すると「御座(おま)す」で、サ行で特別な活用をする自動詞。、「あります・ございます」にあたる、「ある」「いる」の丁寧語。こちらも補助動詞としても用いられ、そのばあい「~(で)ございます」の意。

 それぞれに狂言や江戸時代の書物からの用例があげてありました。

 「上方語の『おます』」とのことですが、昔は上方の言葉が標準語の働きをしていたわけですから、まあ、この辞書の説明に従っておいてよいでしょうね。これが現代の大阪弁なんかに残っているわけですよね。


> 江戸時代前半までは「さしあげる」の意味、
> 江戸時代後半から現代までは「ございます」の意味、

ということになると、江戸時代前半までは前者の「おます」が、それ以降は後者が使われるようになったということなんでしょうか。この辺りは浅学にしてよく分かりません。また機会をみて調べてみたいと思っています。

 なお、参考URLは、多分もうご覧になっているのだと思いますが、「ことばの素朴な疑問 フォーラム」の「『おます』」の語源は? 」のものです。(掲示板なので、最後の「page=5」の「5」はずれていくと思われます。)

参考URL:http://61.206.47.166/FreeBBS/BackLog.cgi/002/gim …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

おお!
ありがとうございます!
うちにもそんな辞典があったらなあ…。
2つもあったんですねえ。
助かりました~。

お礼日時:2002/02/01 15:12

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q!江戸時代の10大事件!

江戸時代の出来事の中で、あなたが重大だと思うことを理由付きで教えてください!!その事件の前後で何が変わった、その事件が後の時代にどのように影響したか、その事件はどのような点で特筆にあたいするかなどを添えてどしどし教えてください!!

Aベストアンサー

時系列的に見ての第一は、
・秀忠の将軍襲名(1605)
理由:
徳川家が将軍職を世襲する意志を天下に知らしめた
その後の影響:
秀忠による大名鉢植え政策、和子入内等の政略とあいまって徳川家の絶対的な力を決定付け、他の武将や皇族貴族等への徳川家支配の端緒となった

・武家諸法度・禁中公家諸法度・諸宗諸本山法度 発布(1615)
理由:
武家・皇室貴族・宗教を徳川支配下に置く事を宣言した
その後の影響:
天皇家に対して法規制を行うという考え方を生み出した

・家康の神格化(1617)
理由:
家康を神にする事で、徳川家の支配に対する絶対的根拠を生み出した
その後の影響:
天皇親政と同様、決して他者による代替が出来ない政治形態成立を印象付けた

・鎖国完成(1639)
理由:
海外交易を幕府独占にした
影響:
徳川家支配のための重大な資金的根拠になった
また、交易による最新技術の独占も支配に大きな力を与えた(家継の正徳新令も参照)

・日米修好通商条約に調印(1858)
理由:
その後現代にまで影響を与える日米の不平等条約調印によって、遠くは、第2次大戦勃発の遠因ともなった
影響:
(アジア拠点を与えた事によって)アメリカによる世界支配の礎の1つを作った(?)

・大政奉還(1867)
理由:
徳川独裁の終焉
影響:
維新功労者による政治形態成立を促し、軍事的外交の時代を作った

以上6つが特に大きな出来事ではないかと思います

時系列的に見ての第一は、
・秀忠の将軍襲名(1605)
理由:
徳川家が将軍職を世襲する意志を天下に知らしめた
その後の影響:
秀忠による大名鉢植え政策、和子入内等の政略とあいまって徳川家の絶対的な力を決定付け、他の武将や皇族貴族等への徳川家支配の端緒となった

・武家諸法度・禁中公家諸法度・諸宗諸本山法度 発布(1615)
理由:
武家・皇室貴族・宗教を徳川支配下に置く事を宣言した
その後の影響:
天皇家に対して法規制を行うという考え方を生み出した

・家康の神格化(1617)
理...続きを読む

Q江戸時代の庶民の船での行動

どうして、昔の人は公の交通手段としての船のなかで
踊りを踊ったり、歌ったり、かくし芸をしたり、念仏を唱えたりするのでしょう?
現代では貸切のときに、そういったことをするときがありますが、
まったく見知らずの人の前ではそんなことできませんし、しません。
楽しくしたいといっても、見たくない、聞きたくないという人もいたはずです。
(下手だったりすると)
無事に現地に着くようにという祈願かな?とは思うのですが
ネットで調べてもなかなかいい答えには出会えません
どなたか、知っている方がおりましたら
教えていただけないでしょうか?

Aベストアンサー

#2です。補足ありがとうございます。
『世間胸算用』の該当部分を読みました。(巻4 3「亭主の入替り」ですね)
〔ふだんなら芸事をしない人はないのに、その日に限って盛り上がらず念仏を唱えている人などがいてしんみりした様子なのに、一人浮かれて歌っている男がつらにくい〕というところですね。
この記述を見る限り、江戸時代であっても、「場に合わない行為をしていればみんなに迷惑がられる」というのは変わらないように思います。
普段の舟では、みんながにぎやかに芸をするのが普通だからみんなで騒いで盛り上がり、この舟では、暮の算段がうまくいかない人ばかりが乗り合わせて落ち込んでいるのに、一人だけ浮かれているので、他の客は苦々しく思っているのでしょう。

で、この場面で移動に使った船、「三十石船」について調べてみました。

ぶらりおおさか漫歩(参考URL)

三十石船とくらわんか舟
http://www.shinkin.co.jp/hirakata/hira44.html

三十石船 
http://www.asahi-net.or.jp/~PU7T-KMR/aki570.htm

などによると、船にかかる時間は、上り12時間、下り6時間だそうで、夜の上りは寝ているうちに京都に着くので人気だったそうです(そういう船ではみんなが寝ていたので、騒がないでしょうね)。また30人乗りくらいだそうですから、マイクロバス程度の小集団です。座席も横並びや向かい合わせで、落語「三十石」には、「一人で3人分や5人分の席を買って足をのばす」などもあり、相当狭かったようです。くっつきあってすわっている状態ですね。
長時間くっつきあっている時、黙って緊張状態でいるよりは、話しかけて知人扱いにしたほうがお互い気が楽だと思います。また、連れがいる場合が多いでしょうから、話をしているうちに、それを聞いて話に入ってくるとか。
よその地方の珍しい話なども聞けたでしょう。それが、旅の開放感から、いろんな芸が飛び出してくるのだと思います。
あまり「公の交通機関」という意識もないと思いますがどうでしょうか。

上方落語「三十石」は、大阪から三十石船に乗って京都に帰る様子を描いたものですが、人の会話もすごくにぎやかだし、物売りは来るし、船頭さんが舟歌を歌う場面もあります。中には下手な船頭さんもいたかもしれないけど、それもまた旅の風物として楽しめる余裕があったのではないでしょうか。

また、以下の本に、現代の旅と江戸期の旅の違い、西鶴の旅が名所より人事の観察に興味を持ち今の旅に近いことなどが出ていました。

『江戸のこころ-浮世と人と文学と-』 谷脇理史 新典社

また、旅は必ず複数でするもの、船旅は思わぬ楽しみ など、江戸期の旅の様子が以下の本に出ていました。

『図説 浮世絵に見る江戸の旅』 佐藤要人 監修 河出書房新社 ふくろうの本

参考URL:http://www.daishodai.ac.jp/frmdocs/manpo/burari.html

#2です。補足ありがとうございます。
『世間胸算用』の該当部分を読みました。(巻4 3「亭主の入替り」ですね)
〔ふだんなら芸事をしない人はないのに、その日に限って盛り上がらず念仏を唱えている人などがいてしんみりした様子なのに、一人浮かれて歌っている男がつらにくい〕というところですね。
この記述を見る限り、江戸時代であっても、「場に合わない行為をしていればみんなに迷惑がられる」というのは変わらないように思います。
普段の舟では、みんながにぎやかに芸をするのが普通だからみんな...続きを読む

Q江戸時代の儀礼と贈答について

日本史の課題について教えてください。  
 *武家の社交と贈答について
 *不祝儀、祝儀における儀礼と贈答について現代と比較して説明
ということについて教えてください。また、良いホームページがあれば教えてください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

似たような分野でレポートを書いたことがある者です。武家といっても将軍から足軽までいろいろありますが、将軍・大名レベルでよろしいでしょうか?
「近世の産物献上における将軍、大名、地域」という論文が、『和菓子』という学術誌の2号(平成7年虎屋文庫刊・特集:贈答文化)に掲載さいれています。国文学研究資料館の大友一雄先生という方が執筆者です。また、もう少し簡単なのということでしたら、同じく虎屋文庫で『甘いもの好き殿様と和菓子展』という展示を開催したときの冊子がいいかもしれません。こちらはお菓子が中心ですが、江戸時代の武家の贈答について概説的なことが書いてあります。両方とも書店には流通していませんが、後者の方は電話すれば無料で送ってくれます。(電話03-3408-2402)学術誌の方は有料。
現代と比較して最大の違いは、数の多さと不祝儀だからといって色を地味にはしないことですかね。葬儀でも紅白のお菓子とかお赤飯とか。高円宮様のご葬儀のときも祭壇に紅白のお菓子が供えられていたのがTVに映っていましたが、どうも昔は紅=邪を祓うと考えていたようです。今でも地方によってはお葬式にお赤飯を配ったりしますし。ちなみに、身分の低い武士では、葬儀のときに饅頭切手という今でいうビール券やお米券のような、饅頭と交換できる商品券を配った例もありました。

似たような分野でレポートを書いたことがある者です。武家といっても将軍から足軽までいろいろありますが、将軍・大名レベルでよろしいでしょうか?
「近世の産物献上における将軍、大名、地域」という論文が、『和菓子』という学術誌の2号(平成7年虎屋文庫刊・特集:贈答文化)に掲載さいれています。国文学研究資料館の大友一雄先生という方が執筆者です。また、もう少し簡単なのということでしたら、同じく虎屋文庫で『甘いもの好き殿様と和菓子展』という展示を開催したときの冊子がいいかもしれません。こ...続きを読む

Q江戸時代の絵文字?

江戸時代頃、文字を読めない人の為に、
「かまわぬ」の「かま」を農具の鎌の絵で置き換えたり、
「あります」の「ます」を升の絵で置き換えて
わかりやすくした暦や文などがありましたが
その絵を含んだ暦や、文献、あるいは、
この絵と文字との相関関係などが判るようなサイトを教えてください。

Aベストアンサー

こんばんは。

お尋ねの絵は「判じ絵」というそうです。

↓参考になれば幸いです。

参考URL:http://www.jti.co.jp/Culture/museum/eventApr99/Welcome.html

Q申し上げございません・申し訳ございません

「申し上げございません。申し訳ございません。
とどちらが正しいですか?」と
外国人の方に突然聞かれて調べたのですが、
申し上げございませんと、辞書では出てこなくて
申し訳ございませんは出てきました。

で、「申し訳ございません。」と選択したのですが、
テレビの中から(特にドラマ等)は「申し上げございません。」と
言っている事があるようです。(と聞こえる事があるのです。)

これは、完全に聞き間違いでしょうか
いい間違いでしょうか

Aベストアンサー

こんにちは。

正しいか正しくないかはさておき、
2008年9月8日現在、「申し上げございません」という言葉は、
ごく一部の人しか使っておらず、市民権を得ていません。

今、ネットで「申し上げございません」という言葉があるサイトを数十箇所見てみましたが、
それらはすべて、「申し訳ございません」というべきところを
誤って「申し上げございません」としているものばかりです。


>>>
申し上げございませんと、辞書では出てこなくて
申し訳ございませんは出てきました。

当然です。
世の中に定着しておらず、また、正しいとされていませんから。


>>>
で、「申し訳ございません。」と選択したのですが、
テレビの中から(特にドラマ等)は「申し上げございません。」と
言っている事があるようです。(と聞こえる事があるのです。)
これは、完全に聞き間違いでしょうか
いい間違いでしょうか

いずれか一方です。


以上、ご参考になりましたら。


人気Q&Aランキング

おすすめ情報