日本の昔からの習慣についてお訊きしたいのですが
よく時代劇で家を出る時お嫁さんが火打ち石?で
カチカチとしているのを見ますが何かのまじないですか?
それと火の用心~と言う時にこれまたカチカチとしますが
あれは何と言う道具で何のためにしているのでしょうか?
回答お願いします

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A 回答 (4件)

平次親分が出かけるとき、恋女房のお静が「行ってらっしゃい」と切り火で送り出す光景は気持ちの良いものです。


切り火の作法は、『うしろから肩越しに火花を打ちかける』のです。通常は2~3回火花を打ち悪霊を払うということらしいです。
また、ここ一番の勝負の前にも、縁起の悪い事や危険な目に遭わないようにと火花を打つこともしたようです。

3cm*3cm*30cmくらある硬い材木二本で、「カ~チ カ~チ カチカチ」と独特のリズムで火の用心を触れて回ることを、「夜回り」と言ったものです。この「夜回り」が持っているのが「提灯」と「拍子木」です。
昔は夜も9時を過ぎると、明かりも消え、物音もしない
真っ暗な闇の世界でした。
この漆黒の町を数人の男たちが、「火の用心さっしゃりましょう。カ~チカ~チ カチカチ」と歩いてくる姿は、子供たちには恐ろしいものが近づいてくるような気持ちになり、布団を頭からかぶって眠ったものです。

今は人通りもあり、夜の街はいつまでも明るく騒々しく、火の用心に迫力はなくなってしまいましたね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
そうですか昔はそんな事があったんですね
夜回りと言えば火の用心ではありませんが和歌山県和歌山市で大人たちが
定期的に夜回りをしてここ数年夜間の犯罪数が激減したそうです
日頃から用心に心がけておけば被害は未然に防げると言う事ですね
ありがとうございました

お礼日時:2006/04/20 04:49

火打石のカチカチは、切火(きりび)というおまじないです。


古くから火は清浄なものと考えられていて、火打石の火花での清め(お祓い)を目的としています。


火の用心の方は、拍子木という道具です。
拍子木の音は遠くまで通るので、それを聞いた人に戸締りや火の元の確認を促すために鳴らしているのだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
拍子木ですか なるほどそのような意味があったのですね
疑問が解消されていい気分です
本当にありがとうございました

お礼日時:2006/04/19 11:09

切り火は↓を。



参考URL:http://www.d3.dion.ne.jp/~makiuchi/sub5.htm
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2006/04/19 11:07

火打石は厄除け悪霊払いに使われたようで


『切り火』として使うときは火花を出すだけ・・・。
なので 無事に帰ってこれますようにというおまじないです。

カンカンと鳴らしてるのは拍子木というものです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%8D%E5%AD%90% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
へえーそうだったんですか

お礼日時:2006/04/19 11:07

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