先日テレビを見ていて、ふとピサの斜塔はどうして傾いたのか、と疑問に思いました。もしよろしければ教えて下さい。

A 回答 (3件)

地盤が弱かった為です。



三段目迄作った時点から既に傾き始めたと言いますから、日本では考えられないいい加減さですが、当時こんな高層建築(56m)を作ったのは凄いものです。

元に戻すのに、地中に硬化剤を入れたり(地中ジェット法)、ワイヤーをかけて引っ張るとか、色々と国家(ピサの斜塔修復専門委員会)がやっているとかですが、

去年の6月迄11年かかって43.8cm元に戻り、4.5mの傾きに戻り(18世紀末の傾き)、300年は大丈夫だそうです。

12月に一度に30人ずつだけ観光客が入れるように成りました。

注:上記は全て友人のイタリア人からの話なのでどこまで信用できるか分りませんが・・・・"(^_^;)"
    • good
    • 0
この回答へのお礼

へー、そうなんですか。1174年の時点ではこんな高さの建物、ヨーロッパにも数えるほどしかなかったんでしょうね。ご回答どうもありがとうございました。

お礼日時:2002/02/04 18:39

私の記憶が正しければ


 最初から斜めに立てられていて地盤が弱かったため、角度がきつくなった。
参考によれば
 始めは、垂直に立てるつもりであったが完成時には斜めになった。

参考になれば幸いです。

参考URL:http://www.shugakusha.co.jp/bijutsu/isan/11.htm
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答頂きどうもありがとうございます。大変参考になりました。

お礼日時:2002/02/03 11:21

恐らく地盤沈下です。



建設当初からすでに傾き始めていて、それを補正するために、塔自体が先端へ行くほど地面に対して垂直になる様に湾曲しています。写真などを良く見ると分かりますよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

わかりました。どうもありがとうございます。大変参考になりました。

お礼日時:2002/02/03 11:19

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Qふと疑問に思いました。

昔の世界の人たちはどのようにして他国と契約をしていたのでしょうか?もっと詳しく言うとどのようにコミュニケーションをとっていたのでしょうか?言葉がわからないのにどうして同盟やら鎖国やら・・・やっていたのでしょうか?
よろしくお願いします

Aベストアンサー

言葉というものは覚える気になれば何とかなります。
何かの本で読みましたが、全く未知の言語を覚える場合、めちゃくちゃな絵を描いて現地の方数人に見せます。
そうすると「これは何ですか?」という意味の言葉を発しますから、まずこの言葉がわかります。
仮にご質問者が英語を全く理解できない人であったら、訳の判らない絵をアメリカ人に見せれば、「What is this?」といいますから、次はりんごを指差してあなた自身が「What is this?」と繰り返してください。
そうすれば相手は「It is an Apple」次に蜜柑を指差せば「It is an Orange」と答えますから、Appleはりんご、蜜柑はOrageと判ってきます。
こうして単語を増やしていって、耳を慣らせば徐々に理解できますよ。
外国出身の相撲取りは達者な日本語を操りますけど、恐らく習ったというより、身に付けたということでしょう。
商人たちは「これは幾ら」「高い」「安い」「買う」「要らない」などの言語を覚えて語彙を増やしていきますし、何とかなったものです。
ロシアに漂着した大黒屋光太夫なども流暢なロシア語を話せたようですから、必要に迫られて覚えたということかな。
我々が数年間外国語を学んでもダメなのは、必要性が薄いからで、必要に迫られた人は学歴など関係なく話せます。
私の後輩ですけど、凡そ外国語とは縁が無さそうな男ですけど、何度もタイに行くうちに夜の街での交渉が出来るようになり、現地人と「幾らだ」「これはダメだから交換して」「何時に着くから迎えを頼む」など。

言葉というものは覚える気になれば何とかなります。
何かの本で読みましたが、全く未知の言語を覚える場合、めちゃくちゃな絵を描いて現地の方数人に見せます。
そうすると「これは何ですか?」という意味の言葉を発しますから、まずこの言葉がわかります。
仮にご質問者が英語を全く理解できない人であったら、訳の判らない絵をアメリカ人に見せれば、「What is this?」といいますから、次はりんごを指差してあなた自身が「What is this?」と繰り返してください。
そうすれば相手は「It is an Apple」次に蜜...続きを読む

Q歴史上の人物についてふと疑問に思います

学校の授業で習うようなメジャーな人物でも実際に存在したかどうかわからないと思います・・・
明治くらいまでの人物なら写真が残っていたり実際に会った人がまだ生存していたりして証明できますがもっと古い時代は書物だけですよね。
家康、秀吉なんかもほんとに存在したのでしょうか。

Aベストアンサー

家康、秀吉は実在したでしょう。
インチキっぽい資料や講談みたいなのにしか出てこないなどというわけではなく、ちゃんとした資料や記録にも残っていますから。
しかもたくさんの資料や記録にありますから、創作するのはちょつと不可能と思われます。
ただ、徳川家康と松平元康が同一人物か(途中で入れ替わったのではないか)というような疑問はないこともないようですが。

Qお歯黒はどうして始まり、どうして流行したのでしょうか?

広辞苑とブリタニカ国際百科事典とウィキペディアの説明は読みました。

成年の印との事ですが、昔の人がなぜそんな事をする気になったのか分からないという気持ちが残ります。
成年の印としてのお歯黒がどうして必要だったのでしょうか?

今の人間には、お歯黒みたいな成年の印は必要とされていませんよね。


虫歯予防の実用的効果もあったそうですが、当時の人は自覚していたのでしょうか?

お歯黒は、美的に美しくない気がしますが、流行っていた当時、そう思った人は少なかったのでしょうか?

江戸時代には、どれ位、流行していたのでしょうか?例えば遊郭の女性もしていたのでしょうか?

分かる範囲で良いので、回答お願いします。m(__)m

Aベストアンサー

質問の本筋から外れるかもしれませんが
現代社会では若さ、若々しい外貌に価値があり、外国の大統領でさえも整形して若作りの人がいたりします。
比して近代以前の日本では老人は醜悪ではなくむしろ尊敬されるべきものであったのだとおもいます。
成人男子が月代をそるのは兜をかぶるときに都合がよいからだとされていますが、ほとんどの人はその機会はなかったずです。
本当の理由は、はげ頭が壮年男子の基本形であるとされていたためではないかとおもいます。
同じように前歯の抜けた老婦人がその姿が見苦しくないよう鉄漿を塗ったのが成人女子の基本形になったのではないでしょうか。
卑弥呼の時代には抜歯の風習まであったみたいですし。
以上まったくの私見、失礼しました。

Qどちらのがよろしいですか?

「イスラームの日常世界」と「ローマ人への20の質問」のどちらかを読もうと思っているんですがどちらのが読みやすいでしょうか?

Aベストアンサー

どの面に興味を持つかで変わるでしょう。
私はどちらかといえば「ローマ人への20の質問」をとります。
情報の興味と思索の示唆が豊富です。

「イスラームの日常世界」はイスラムの情報をえられますしその思想にも触れられるのですがさらに思索を深める点に今一つと思います。

Qふと思ったこと

敵があなたの領地に攻めてきたとします。
あなたならどうやって勝ちますか?

地形……沼が多めの平地、小高い丘にあなたは陣を敷きました。後ろに林があり、その林を抜けたらあなたの城があります
天気:雪

あなたの兵力:5000
相手の兵力:8000
双方に援軍は無し。小荷駄隊は省きます

あなたの兵力の内訳
足軽隊:2000
騎馬:1000
槍隊:1500
弓隊:500
大砲:5門
計:5000

相手の兵力の内訳
足軽:3000
騎馬:4000
弓隊:1000
大砲:2門

Aベストアンサー

山の陣地に兵力を集中すれば迂回されて城をやすやすと落とされてしまいますから、
撤収して城にこもります。
城下の物資を城に集約し、焼き払ってしまいます。
天候は雪ですから敵の宿舎として利用されるのを防ぐ為です。
きほんてきには篭城戦ですが、引きこもりは士気が落ちるので
敵が冬空の野営で疲れたところを見計らって夜間に騎馬隊で出撃し蹂躙、
反撃を食らう前に城に収容するなどの動作を行い味方の士気を上昇、敵の士気の低下を図ります。
そうこうしている間に寒さで敵兵の数人も凍死でもすれば、おそらく敵は引き上げて行くのではないかと思われます。そのときを狙って追撃すればお味方の勝利となるでしょう。


このカテゴリの人気Q&Aランキング

おすすめ情報