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知人に平家落人ということで、先祖代々他の血を混ぜないように生活していたそうで、血が濃く天皇家の人に風貌や雰囲気がよく似た人がいます。
言葉使いも周辺地域とは違う話し方だったそうです。
名前を変えて隠れ住んでいたという言い伝えもあり証拠となるような系図もないので、有名な場所ではないですが、ほんとうのことではないかと思っています。
他の落人のかたもそうだったか、天皇家の人に似ているかなど興味あるので、教えてください。

A 回答 (5件)

http://www.st.rim.or.jp/~ncc00315/
こんなページもあります。

参考URL:http://www.st.rim.or.jp/~ncc00315/
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
隠れた史実もまだまだあるということでしょうか。
よほど身分を隠さなければならない人もいたでしょうし。
でもその人はとにかくそっくりなので絶対血が濃いと思います。

お礼日時:2006/06/10 22:15

こんばんは。



平家の人々と、平家方の武将とは、分けて考えた方がいいですね。

その天皇と似ている人は、平家の誰の子孫かわかりますか?

平家が壇ノ浦で亡んだ後、確実に平家の子孫といえるもので残ったのは、平時忠卿の子孫の系統です。

平時忠は、平家滅亡の後、死罪を免れ石川県に流されて、その後能登の地で開墾をしたりして、領主として幕府からも一目置かれ栄えました。子孫は現在まで続いています。

もう一系統は、落人ではなく、平頼盛卿の系統です。平頼盛は、清盛の異母弟。池の禅尼の子供です。母親の禅尼が頼朝を助けたことから、平家滅亡後、頼朝の援助を受け栄えます。都落ちもせず、京都に残ります。これは公家として続きます。

平家中枢部の人たちで、残ったことが確実なのは以上の二系統です。この人たちが現天皇家と似ているのであれば、一応の理屈は立ちます。ただ、実際には800年もたってるので関係ないとは思います。

あとは、基本的に平家そのものではなく、「平家方」の武将と言うことになると思います。この人達は、天皇とは縁戚関係がないことになります。家来でしかないですから。

その知人が平家のうちの、誰の子孫と言っているか、です。平家そのものの子孫なら、初代の人の名前が分かっているはずです。そして、その初代の人が平家の主立った人の中にいなくてはいけません。そうなると、生き残ったのは、ごくごく限られた人しかいないので、その人の子孫でなくては、話があいません。他人のそら似になってしまいます。
基本的に平家中枢部の子孫は、上記二系統以外にはないと見て良いと思います。あとは、残ったのは、女院とお坊さんだけです。

でも、武将の子孫とういことはあったのかもしれませんね。

この回答への補足

島倉千代子さんにも似ているので、朝倉家かもしれないと思いました。

補足日時:2006/05/15 17:54
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この回答へのお礼

その人の話では、石川県にいたそうですが有名な史実は残っていないそうです。
穏やかでにこやかで落ち着いて思慮深く根気強そうなようすや色黒(?)で…一番特徴的なのは眉毛が似ていると思いました。
系図は売買できたとか家紋も選べたとか聞きますし、
史実が残っていないことに疑問は感じないのですが。平家の落人ではなく平家といわれていた前田や徳川、織田家関係かもしれませんね。
天皇家同様血を混ぜずにいて、しかも似ているので、そう思いました。

お礼日時:2006/04/30 10:37

 他の方も言ってますが平家落人伝説は真っ赤な嘘ですよ。



だいたい北条(平家方)が牛耳った鎌倉時代に何故に隠れて生きねばならないのでしょうか?私の母方は源平合戦期には平家方として従軍しましたが、戦国から幕末まで京都を中心に活動してました。

ただ、近親結婚がつい70年前まで繰り返されていたので、遺伝障害が多少あります…笑
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1のご回答された方と同意見です。


平家落人というと良く言えばロマンあふれる話ですが、現在では全て「思い込み」か「冗談まじりの伝説」です。
私の父も、昔「うちは逃げ延びた平家のお妾さんが先祖だ」と笑いながら言ってました。それを本当っぽく私は友人に言ったら「確かにそうかも」と私の顔の作りがお公家っぽいと言って納得してました。
私の顔は、弥生人そのものです。このタイプはみんなお公家顔に分類されます。
一応言っときますが、父の話は子供をからかった嘘話です。

関ヶ原より東出身の人間が、平家の末裔と言ったらそれは確実に嘘です。平家落人伝説があるのは、中国、四国、九州の山間部か島に集中しています。そしてほとんどのそれは、鎌倉室町戦国時代に風化しました。
もし、本当に平家の血筋を残すために外部からの血を制限して現在までに至っているならば、近親婚からくる性格異常か誇大妄想の症状がDNA
に刻まれているため、その人が本気で言っていて(しかも本当だったら)その人には今後近づかない方がいいでしょう。
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例え実際に先祖が平家の落人であったとしても


天皇家に似てるというのはただの”他人のそらに”です。
遺伝的にいってあまりに離れすぎているので。
また安徳天皇の子孫は現在の天皇家には
血が入ってませんし、
桓武天皇までさかのぼったら、外戚を含めると
その系統は日本に何万人いるかわかりませんよ。

落人伝説の大半は、有名ではない平家一員の子孫で
天皇家との関係は無いに等しいです。

何となく天皇家っぽい顔の人ってのは結構いますから
顔かたちはあまり参考になりません。

そもそも人間の顔というものは遺伝的要素のみならず
後天的要素も大きいので
育ちや暮らし、病気の有無、普段の食べ物などで大きく違うでしょう。

ま、経験的に三親等血族ぐらいまででしょうね、
遺伝的に顔かたちが似てるのは。

あと、”先祖代々他の血を混ぜないように生活していた”ことが
天皇家と顔かたちが似てることの共通点だと思いますよ。

つまりはっきりいえば近親婚の結果ということです。

近親婚をすると特徴的な顔になります。
血が濃くなると知能低下や病気に弱くなったりします。
いとこあわせ、といっていとこ同士での結婚は
昭和前半の頃まで田舎ではよくあることでした。
遺伝学的にいうとあまり好ましい結婚ではありませんが、
そういう風習が昔はあったんです。

この回答への補足

近親婚知っていますしそれでも質問してみたんです。
ゆっくりした話し方や風貌などなど、言い伝えだけで系図がないらしいのですが似ているので。
まだ立証されていない史実がけっこうあると思いまして…

補足日時:2006/04/23 23:03
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