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私たちは今、同和問題について話しあっています。
そこでいくつかわからないことがあったので、知っている方がいましたら、
ぜひ教えてください。

・「えた」「ひにん」とありますが、江戸時代に、どんな基準でその人たちは
 決められたか

・現在、実際に部落問題で差別を受けた例などがありましたら具体的に教えて
 ください。

同和問題を学ぶといっても、実感がわかないことが多いです。
私にとっては、本当にそんな差別があるのかすら信じられません。
みんなが正しいことを学べるようにぜひ教えてください。

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A 回答 (9件)

「穢多」「非人」に関しては、様々な学説が有ります。


現在も、「被差別部落」をめぐる研究が日々行われており、基本的にはその研究結果を待たなければなりません。

大雑把に言って、
「エタ」「非人」-「被差別部落」の歴史は、明確な範囲で言えば「平安朝」までさかのぼれます。
「myau」さんが参考URLに挙げられた、ページでも「かわた」の事が書かれていました。
当時すでに、「牛や馬などの死体処理(myauさん)」を生業としている人々が、存在しています。
この仕事は、水が必要になりますので「川」のそばに居を構えていました。
また、処理した(基本的には、志望した牛馬の埋葬など-病原菌の発生予防など-。その際、肉の解体などが行われた)後に残った肉と「皮」の加工もしていた。
「川」と「皮」のどちらかが、「かわた」の語源らしい。
当時、すでに生産活動から離れていた貴族層は、人間の埋葬も彼らに依頼したみたいです。
貴族層にとっては、「死」は忌む事で、「穢れ」であり、その処理に従事する人々は、「穢れ」た存在として忌み嫌われて、また、恐れられていました。
ですが、動物であれ、人間であれ「死」は避けようの無い現実であり、彼らの存在は必要とされていたのです。
それゆえ、近くには居て欲しくないが居なくては困るので、一定の距離を保った地域を「居住地」として定め、移動を禁止しました。
此れが、「部落」の起源。
その後、身分制度が確立した際に、幕府は彼らの存在を利用したわけです。
ですから、身分制度によって「穢多」「非人」が作られたのではなく、制度に「組み込まれた」というのが、事実に近いと思います。

さて、彼らがどのような経緯をもって皮加工の技術を習得したのか、また、その先祖はどんな存在なのかは、様々な説があり、確定しているものでは有りません。
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7番で回答した者ですけども。


名指しで指摘されちゃいましたね。
 んー私が思うに今現在の若い人たちの(一部に見られる)部落などに対する一種の偏見は、昔の人のように血の穢れ思想からくるものではなく、逆差別からくるものと思うのですけど、如何でしょうか。エタ・ヒニンだから云々ではなく、何であいつらは、あんなに特別待遇を受けているのだということです。歴史的にみれば、今まで逆特別待遇(質問者さんの為に一例を挙げておきますと、例えば昔は公共的な工事なども部落地域はおざなり・後回しにされていました)を受けてきた結果そうなった訳で、一つの問題を解決したところ又新たな問題点が浮き彫りになってきたというふうに思えます。差別が広がったのではなく、別のシフトに移ったと。

 この問題を語る時、従来通りの被差別事情だけを重点に語るのではなく、こういった事情も抑えるべきだと私は思うのですが。今時、血の穢れ的な思想なんてバカらしいことは誰もが理解していることでしょう。そういう思想に染まってしまった古い世代の考えを改めることは難しいですが、これからの世代はそんな考えに染まることはないはずです。ですが実際に、私の身近な人間にも嫌悪感を持っている人間がいます。そういった人たちには、エタ・ヒニン思想のバカらしさいくら伝えても無駄です。彼らが問題視しているのはそこではないからです。

ということで、質問者さんへの回答として直接的なものではないですが、補足として今なお差別が根強い理由としては上記のような要因もあるのではというのが推測ですが私の意見です。
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この回答へのお礼

私の質問に答えて下さった皆様、本当にありがとうございました。

私は現在高校1年生で、この学校では年に3回、ホームルームで同和問題について
話し合うことが義務付けられているようです。
今回、私のいる斑がその発表斑になりました。
準備期間が非常に短く(なんと一日でした)、情報収集があまりできない中で、
みなさんの答えは大変参考になりました。
また、全体的に情報がすくないぶん、暗くなるまで私達は真剣に話し合いました。
まず、同和教育は必要かということ。
私も友達も、同和教育なんてするから余計意識してしまってよくないんじゃないかと思っていました。
そう思っている人は、多分たくさんいるのではないかと思います。
同和問題の歴史は長いのは誰もが知っている通りです。
江戸時代から(もっと深く平安時代から)のえたやひにんに始まり
(私が同和問題についてはじめて知ったのは中学校のときでしたが、
 えた・ひにんという言葉は小学校の歴史で習ったので知っていました。
 えたの子供はえたに、ひにんの子供はひにんになることが決まっていまし
 た。また、差別されてはいたけれど、重宝もされていたのでえたやひにん
 とされた人達はたくましく生きた、ということも確か教科書に書いて
 あったと思います。)
それが今の今まで消えずに差別として残っているのです。
憲法で人権が保証されてからっもう60年近くになるというのに。
解放令からはなんと100年以上たった今でも、差別は残っています。
それは、「ほうっておけばいずれは無くなる」という考えのせいでしょう。
正しいことを知らない場合、間違ったことを教えられて間に受ける人が
どんなに多いか。
見てみぬふりをすることで、どれだけの人が苦しんできたことか。
担任の先生に言われてはじめてわかりました。
また、同じことが書いてあるホームページもたくさんありました。
同和教育はやはり絶対に必要です。

次に、同和問題についてどれだけ知っているのかということです。
特にその起源については分らないことがとても多く、
みなさんの答えを参考にしても、まだはっきりしません。
これから学習を重ねるうちに、わかっていければよいと思います。
でもOji_sanの解答により、部落地域の起源がわかって嬉しいです。
ありがとうございました。

もっとも斑のメンバーが熱くなったのは、自分達のことです。
私が住んでいるところにも差別が残っていることを今回はじめて知りました。
斑の中のひとりが「俺は友達が部落出身とか言い出しても、『は?それがど
したん』て言うね。だって関係ないやんかそんなん。むしろそんなこと言わ
れても逆に意味がわからんし」と言いました。
確かに「部落出身です」と言うこと自体が不思議です。部落とは、差別を受
けている地域のことを指しますが、同時に「劣った地域」みたいに考えている
ように思われます。変な話です。見つめるべきなのはひとりひとりなのに、
外側___住んでいるところや家柄____で人を判断するなんて。
その人は本当に絶対差別なんてしないと思うし、彼の言葉に嘘はないです。
しかし、世の中にはきれいごとばかり言うひとがたくさんいて、
実際に差別されている人を見た時に、まわりに流されて自分も一緒になって
しまう人もたくさんいます。
それはきちんと考えないから、真剣に考えればどう考えてもおかしいのに
考えないから差別してしまうのです。

ホームルーム当日、
私達の斑はクラスのみんなに真剣に考える機会をつくろうと思って、
一生懸命自分の意見を発表しました。
その結果みんなすごく真剣に聞いてくれて、意見を聞いてもすごくちゃんと
答えてくれて、最後に集めた感想の紙にもほんとにたくさん書いてくれて、
すごくすごくうれしかったです。
その中に、
「同和問題は受け身の学習ではなく、自ら学ばないと本当の理解につながらない」
という意見がありました。本当にその通りです。
私達はこれからも、たくさんのことを学んで、同和問題についての理解と、
そしてひとを正しく見つめ、自分を正しくみつめる目を養っていきたいと思います。

御協力いただき、本当にありがとうございました。感謝しています。

お礼日時:2002/02/09 12:06

 こんにちは。


 以前は、「士農工商という身分制度があって、武士が農民を支配していくために、農民の不満をそらすために、えたひにんというさらに低い身分を作った」「えたひにんとされた人は、不便な土地に住まわされ、死牛馬の処理など、人の嫌がる仕事を押し付けられて、苦しい生活を送ってきた」と教えられてきました。
 しかし、最近、研究が進むにつれて、そうではないらしいということが分かってきました。「士農工商という身分制度自体あったかどうか怪しい、地域によって実情はまったく異なる、えたひにんとされた人は、厳しい差別を受けながらも、闘い、たくましく生きてきた」など、だから、現在では、これだ!という説明はできないのが実情のようです。
 ただ、少なくとも江戸時代にはえたひにんという厳しい差別を受けた人がおり、その不合理な差別が今でも根強く残っている、というのは事実です。

 現実の部落差別の例ですが、他の方が言われているように、就職、結婚のときに、今でも現れます。数年前に、大阪で興信所が多くの会社から頼まれて、就職希望者の身元調査をしていた(禁止されているにもかかわらず)事が発覚しました。結婚でも、両親や親戚の反対を受けたり、めでたく結婚できても、二人が苦しい差別を乗り越えたなどの例は多くあります。
 また、同和地区の人を侮辱した落書きや、侮辱する言葉を使った発言など、たくさん起きています。
 でも、実は、私たちの身近に差別の温床はたくさんあります。みなさんの家の人や周りの大人に、「部落差別って何」「もし自分の結婚する相手が同和地区の人だったらどうする」などと聞いてみてください。きっと、おとなの答えや態度の中に、差別がなくならない原因を発見することができると思います。

 それから、NO7の方の
>○○の地域で交通事故をおこしたらとんでもないことになるというか実際になった人が知り合いにいます
というのは、差別を広げています。(たぶん、悪意を持って書かれたのではなく、率直に思ったことを書かれたのだと思いますが)
 同和地区にも、怖い人もいればやさしい人もいます。もし、怖い職業の人と事故を起こし、とんでもない目にあったとしても、その怖い人が住んでいる町内を出して、○○町の人は怖い!とはならないはずです。
 また、もしその人が「俺は同和地区にすんでいるんだぞ、」みたいなことをいって脅したとしても、その人がほんとに同和地区の人かどうか分かりませんし、もしそうでも、人々の「同和地区は怖い」という偏見を利用する一部の人はいるでしょう。でも、ほとんどの同和地区の人は、事故のとき、そんなことを持ち出して脅すようなことはしません。
 しかし、このことで、「同和地区の人は怖い」という偏見が広がれば、悲しいことです。

 同和問題は、早く解決しなければならない、大切な問題です。皆さんで有意義な話し合いを持って、一人でも多く、差別をしない生き方、考え方ができる人を増やしてください。
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実際にある差別と言えば結婚差別・就職差別というものでしょうか。

また過保護が逆に行き過ぎて今では逆差別というものも存在するようです(具体的にいうと○○の地域で交通事故をおこしたらとんでもないことになるというか実際になった人が知り合いにいます)。

就職差別の方は団体の頑張りなどもあって、最近は少なくなってきているようですが、結婚差別の方はまだまだ根強いようですね。息子・娘の結婚相手の身元を親(というよりも祖父母)が興信所を雇って調査するなんてのは至極一般的でしょ? ちなみに私もやられましたけど(笑 上の世代にはどうしてもぬぐい切れない感情があるのでしょうが、今の世代では希薄になっているのが幸いです。

実感云々に関しては地域性の問題ですので、身近に例を感じないだけだと思います。
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えた・ひにん・・・皆様のお答えを見て元々はそういう人達だったのかと初めて知り勉強になりました。



実は私の住んでいる地域の更に山間部に入ったほうでは、まだそういうことを言ってる地域があります。

私達の親の世代以上の人達しかそんなこと言いませんが、具体的には

「××(えたの子孫の方)の家の娘が○○に嫁に行ったと!!」
「○○はわざわざそんな家から嫁にもらわなくたってねー。よく許したねェ。」

というような事を言われたり、また部落の集まりには下座に座るのが暗黙の了解になっていたりするのです。
事あるごとに「身分知らずな」と非難されるのです・・・

あまりにもバカバカしく、とても腹立たしいです。
親がそんなこと言わなければ、子供は知らなかったのに、年寄りが余計なこと言わなければ孫達は知らないままで済むのに・・・

そういう歴史があったことを知ることは大切(繰り返さない為にも)だと思いますが、差別を残していくことは問題があると思います。

私達は親たちがそんな事を言うと「今の時代には関係ないじゃない!!」と反論します。子供を持つ友人などは、絶対に子供にはそういう話しを聞かせたくないと言います。

田舎のこういう閉鎖的な所が私は本当に嫌いです。
そのくせ、昔、ちょっと裕福だった人なんかは未だに『だんなさま』などと呼ばれてたりもするのです。

ちょっと感情的になってしまってスミマセン。
早く差別はなくなって欲しいものです。
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書名:被差別部落一千年史(岩波文庫)


著者:高橋貞樹、沖浦和光/校注
出版:岩波書店
版年:1992.12
判型:15cm
頁数:349p
価格: \700
ISBN: 4-00-331911-7
URL :http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=18769424
   http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003319 …


を是非読んでみて下さい。


(あからさまに書くのは憚られる...)
 

参考URL:http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=18769424,http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003319 …
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「エタ、非人」には、当時何かしらの罪を犯した人達がなったと聞いたことがあります。


農業をやってる人達も、生活が苦しいとかで、余計な反発をさせない為のものだったとか・・・

現在も同和地区だの、同和団地など、一般とは何か違うように区別されていたりしますが、家賃などが大変安かったりするようです。昔の償いなんでしょうかね・・・
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基準についてはわかりませんが・・・(まあたぶん無差別かな)


ご参考までに。

実感が沸かないとのことですが、
エタ、非人、とされた人達は、
書いてる人もいますけども、
農民の位を上げて、(士農工商)
それでは本当は力のある商人が納得いかないだろうと、
それより下の階級をつくったのがはじまりのようです。

彼らは牛や馬などの死体処理(人のものも、と聞いたことはあります)
などをさせられていて、
昔は職業もえらべませんから、そのうちの子は、
自動的にエタ・非人になるわけです。
エタ・非人より下の階級もあったとか聞きました。

そういう人達を住まわせていたところがあって、
その地域出身の人が避けられていたようです。

九州や西日本などでまだ残っているらしく、
今で40すぎくらいのおじさんに聞いた話ですが、
部落の人だけが集まる公民館のようなところがあり、
そこには、部落以外の人は近づけない、
逆差別みたいなものもある
ということです。

私の実家の近くにもそういう地域があったそうですが、
今は誰も気にしていないようです。
そこは昔の処刑場の隣で、彼らは死体処理をさせられていたと
聞いた事があります。

参考URL:http://www6.plala.or.jp/kokosei/hr/buraku.html
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こんにちは。


士農工商はご存知ですか?
その頃は農家(商人だったかな?)が一番位が低かったんです。
しかし、一揆や暴動が大変多く、悩んだ幕府は更に下の階級を設置しました。
いわゆる「えた・ひにん」です。
もう、これは人間として認められていません。
これにより、農家(商人だったかな?)に「君立ちより下がいるのだから我慢しなさい」という事を言っていたそうです。
決められた基準というのはよくわかりませんが。
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Q江戸時代、えた・ひにんの人ははどうやって選ばれたのか?

江戸時代に士・農・工・商・えた・ひにんなどの身分制度が出来ましたが、このえた・ひにんに該当する人たちは、どうやって決定されたのでしょうか?
中学校では「時の権力者が世の混乱を治めるために低い身分の人を作って不満のはけ口にした」などと習った気がします。しかし、この"低い身分"の人たちはどのようにして選ばれたのでしょうか?貧しい農民をこの身分に割り当てたのでしょうか?私の思いつきでは前科のある人やその家族などをこの身分にしたのではないかと思ったのですが、実際はどうなのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

まず、身分制度についてですが、士・農・工・商ですが、次にくるのは「非人」「穢多(えた)」の順です。

で、ここで、あなたの質問に答えるとしたら、地方の成立は雑多な部分もありますので、話が長くなります。そこで、江戸および江戸時代についてのみお話をいたします。

確かに、士農工商の序列ではありましたが、実際としては、士・工・商・農、という序列が正しいと思います。

年貢(税金、または、武士の給与)確保のため、武士の次に農民が位置しましたが、士農工商で一番苦労したのは、農民でした。

まず、「非人」について:

元々は「人非人」あるいは「僧侶」の意味でした。つまり、人間界を捨てた「世捨て人」のことを指しました。やがて、賎民(せんみん=貧しい人)を指すようになり、中性では「穢多」と混称されるようになってきました。しかし、江戸時代に入ると両者は「厳密」に区別され、「非人」は良民(平民)のなり下がりとして位置づけられ、良民への復帰の道が開かれていました。
「穢多」と違っているところは、「皮細工等の生産に従わず」卑属な遊芸や物貰いの独占権を持ち、「穢多」よりも上位に位置していました。

「非人」にも2種類あり、「抱非人(かかえひにん)」と「野非人(のひにん)」とに分かれていました。

「野非人」は今日で言われる「路上生活者」。つまり、ホームレスで、主に、農村部で飢饉や病気などにより年貢が納められなくなった者が「人別帳」を離れて江戸へ流入した者たちでした。つまり、「無宿者」と同じ考え方です。江戸でも厳しく取り締まりをし、一定の区域に住まわせたりしましたが、効果はなく、後の、「無宿狩り」などへと発展していきました。

一方、「抱非人」は、例えば、
(1)姉妹伯母姪と密通した者。
(2)男女の心中(相対死)で女が生き残った場合。もしくは、両人とも生き残った場合。
(3)主人と下女の心中で主人が生き残った場合の主人。
(4)15歳未満で無宿の子どもが盗みをした時。
などとなっていますが、
非人小屋頭が江戸の各地にあり、そこの頭の支配を受けていました。この非人組頭の頂点に「弾左衛門」という人物がおり、その支配下に「頭」と呼ばれる者が4~5人いました。最も有名なのは、荒川土手(地名は分かってはいますが、人権に関わることなので、ここでは、あえて、荒川土手とします)に木組みと筵(むとろ)で住まいを造り、痩せた土地を開墾し、非人同士が結婚して子どもが生まれても、その子どもも非人でしかなかったのです。

まあまあ、幅を利かしていたのが「車善七」率いる人たちでした。

非人の生計としては痩せた土地から得るものは少ないので、主に「物乞い」でした。江戸時代、非人以外が「物乞い」をすると、逆に、罪になりました。また、街角の清掃、門付(かどづけ)などの清めに関わる芸能を披露。そして、街角の清掃に付随して紙くずを拾って、それを発展させて「再生紙」造りにも寄与しました。(現代のリサイクルの先駆け?)。さらに、町役の下役として警備や刑死者の埋葬、また、斬首の刑(首切りの刑)などでは、罪人を押さえつけたり、その後の死体処理をしたり、入牢した者が病気に罹った時の看病。少年犯罪者の世話などに従事しました。

そして、「非人」は、上記(1)~(4)などの罪で非人になっても、家族や親類縁者が、多少の「銭」を支払うことで、平民に戻れたのです。

そこへいくと、「穢多」は、「非人」よりも、さらに下位に置かれ、町民の住居からは、かけ離れた場所に、一箇所に集めて住まわされました。その条件?としては、「非人」の中でも、さらに「素行」が悪く、「非人の秩序」を乱す者などが対象でした。しかし、支配をしていたのは、やはり、「非人組頭」の弾左衛門でした。

彼らは、例えば、死んだ牛馬を百姓から貰い受け、その肉を食い、皮は皮製品などにしました。この斃牛馬(へいぎゅうば=死んだ牛馬)の取得権は「穢多」の何よりの独占権でした。
その他にも、藁(わら)細工、燈心細工、破魔弓矢(はまゆみや)細工等簡単な手工業的生産に携わりました。

この「穢多」の歴史は、戦国時代に戦国大名から鎧(よろい)や鞍(くら)などの武器としての皮製品調達のために、当時は長史(ちょうし=村のまとめ役)に皮製品の上納を命じたことに始まる、と、されています。その見返りとしては、年貢を安くしてもらったり、とかの恩恵も与えられました。

しかし、江戸時代に入ると、「穢多」は、、「士農工商・非人・穢多」と「非人」より下位に位置づけられ戦国時代と同じような職業に従事し、一生涯「平人(ひらびと、または、ひらんど)=庶民」に戻ることはできませんでした。

こうした「非人」や「穢多」は、収入があってないようなものでしたので、租税を課せられることもなかったので、やがて、その租税免除により、幾らかでも貯えをし、土手などから、平地に土地を持つ者も出始め、大きな意味で「部落」ができました。

そして、明治4(1871)年に制定され、明治5年に編成された、いわゆる、壬申戸籍(じんしんこせき)には、「皇族」「華族」「士族」「卒」「地士」「僧」「旧神官」「尼」「平民」「新平民」「非人」「穢多」などという「階級」が書かれており、当時は、まだまだ、身分制度が色濃く残っており、しかも、誰でもがこの戸籍を閲覧することができました。

しかし、昭和43(1968)年に、差別部落の人を探し出す事件が発覚し、大企業での採用取り消し、部落民との結婚禁止などという事件が発生し、同年、「閲覧」および「公開」を禁止し「永久封印」とされました。

とは言うものの、現在に至っても、「部落名」を聞いたり、そこに代々住んでいたということで、「偏見の目」が向けられ、現在、「部落開放運動」や「同和問題」が今なおクローズアップされているのが現状です。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

まず、身分制度についてですが、士・農・工・商ですが、次にくるのは「非人」「穢多(えた)」の順です。

で、ここで、あなたの質問に答えるとしたら、地方の成立は雑多な部分もありますので、話が長くなります。そこで、江戸および江戸時代についてのみお話をいたします。

確かに、士農工商の序列ではありましたが、実際としては、士・工・商・農、という序列が正しいと思います。

年貢(税金、または、武士の給与)確保のため、武士の次に農民が位置し...続きを読む

Q部落差別する(えった野郎が!と怒鳴る)夫について

結婚2年目で10か月の息子がいます。私の父親のいとこが肉屋を営んでいるため、私を部落出身(同和)と決め付けています。そのことで結婚をためらうようなことはされなかったのですが、喧嘩をすると夫は私に向かって「えった野郎が!家族まとめてあの世に行け!」等ひどい事を平気で言ってきます。私自身親から部落であることは聞かされておらず、親にも聞きづらいので部落出身かわかりません。今まで育ってきて「あれっ?」と思うようなことはありません。部落のことを言われると精神的にとても嫌ですし、心の拠り所となる夫であるパートナーに言われると離婚したい気持ちも生まれます。ただ、喧嘩をしたときだけで日常は言わないのでなんとか耐えています。子どもが生まれてから些細なことでよく喧嘩をするようになりその度に言われ辛いです。どうしたらいいのか悩んでいます。みなさんでしたらどうしますか。また、こんなことで悩むのはおかしいでしょうか。

Aベストアンサー

#4です。
お礼ありがとうございます。
しかし、ひとつだけどうしても言いたくてもう一度。

「家族まとめて」が質問者様のご実家を指していることは理解しています。
だからこそ、その血の半分がご自分のお子さんに入っているということになるわけで(えった野郎の血の半分がお子さんにも流れているということですね)
その辺のことを旦那様に言ってみたら?ということです。

Q夫が部落出身である可能性が高いです

悔しくて夜も眠れずこちらに辿り着きました。
(理解していただきたいので内容が細かく、長いです。申し訳ありません。)
出会った当時私は学生で、夫は県外の人間でしたが仕事の為に都心部に移り住んでいました。
結婚して4年です。子供が一人います。
夫が実家近くに転職したので、今は夫の実家の近くに住んでいます。
私は3人姉妹の末っ子で、父が中学生のときに亡くなったので母親に育てられましたが、祖父母が会社を経営していたので何一つ不自由なく育ちました。
出会った当時、夫は実家にルートセールスで度々来ていました。
母は時々物を買っていて、私と知り合う2年前から夫を知っていました。
その間、彼氏がいなかった私の写真を見せていたのは知っています。よく母から、「面白いお兄さんがいて○○(私)に会ってみたいと言っているけれど、どうする?」と言われており、その一年後に初めて3人で食事に行きました。
付き合いはそこからです。
付きあってから度々悩まされたのは、他人に対して暴言を吐いたり道路の真ん中で車を止めて怒ったりすることでした。
(先日も駐車場の枠外にとめていた車の人に暴力団のような言葉を吐いていたので知らない顔をして子どもと逃げました。)
私にも暴言や暴力(年に数回)があり、何度も別れようと思ってきました。
しかし、夫にも優しい所があり、初めての人でしたので夫がすべてだという気持ちがあり、結局結婚に至りました。
何かがおかしいと思ってきたのは結婚してからのことです。
毎週夫の実家に行くごとに義父母から親戚の職業を耳にしてきましたが所謂部落の方が多い職業についており、部落の方と結婚している人がとても多いのです。
また、義父は自営業をしていますが暴力と酒癖が悪く部屋中のものを壊したり、年に数回は義母の顔にあざができるほど殴るので本当に恐ろしいです。
本人たちの口から「部落」という言葉は結婚してからは何度となく聞いていますが、自分たちは違うというニュアンスで話してきます。
差別があるから夫のいとこは子供をつくらないし、結婚もしないとも聞かされてきました。
私が少し調べた結果は義父が部落出身のようです。
調べるきっかけとなったのは私の職場に夫がやくざまがいの電話をしてきたことでした。
それは、私の仕事用携帯に職場の男性のアドレスがあっただけのことでした。私的なメールは一切しておらず、上司から同僚まで全ての電話番号とアドレスが入っています。
夫はそれを浮気だと勘違いして、会社に怒鳴りこみの電話をしてきました。しかも妊娠初期の事でした。
その後出産の為辞めることとなりましたが、会社の上司から夫のことをかなり詳しく聞かれた上でそれとなく言われました。
本当にショックで血の気が引きました。
その後、義父母や夫がよく口にする地区をネットで検索してみると、全て部落に当てはまる地区で自分が住んでいる地区も昔はそうだったと知りました。
本当にショックでした。
冒頭に「悔しい」と書いたのは騙されたと感じるからです。
結婚前に夫の性格や暴力のことで母や親戚から反対されながらも結婚を選んだのは私です。
でも、墓場まで持って行こうとした夫が許せません。
私に話していたら結婚は迷ったかもしれない。
でもきっと結婚していたと思うんです。
それなのに純粋な気持ちでずっと夫を思ってきたのに隠し通そうとしている夫は裏切り者です。大嘘つきです。
夫を許せません。
結婚するまでは部落の人がいるのかどうかも知りませんでした。そして、部落が何かもよくわかりませんでした。
しかし、少しずつ勉強したり地区や周りの人間を見ていく中で分かったことがあります。それは差別する人間だけが悪いのではなく、差別される側にも問題があるということです。
義父や夫の親戚の会話は人間の血が通っていなくて、私にはとても理解ができません。酷い言い方かも知れませんが、気が狂いそうになるほど見ず知らずの他人を悪く言ったり暴言を吐きます。
私が言われることもあります。
今、人生にとても悩んでいます。こどもが小さいので母子家庭は厳しいかもしれませんが、穏やかな暮らしがしたいです。
夫とも義父母とも一切の縁を切ってこの土地からも逃れたい・・普通の考えをした人間と関わりあって生きたい。これが正直な気持ちです。
簡単にはいきませんが、何も考えずに生活しようとしても夫や義父が何か言動を起こす度にうんざりしている自分がいます。
まとまりの無い文章ですみません。
経験談やアドバイスなど、皆さんの考えをお聞かせ下さい。
どうぞ宜しくお願い致します。
最後まで読んで下さってありがとうございました。

悔しくて夜も眠れずこちらに辿り着きました。
(理解していただきたいので内容が細かく、長いです。申し訳ありません。)
出会った当時私は学生で、夫は県外の人間でしたが仕事の為に都心部に移り住んでいました。
結婚して4年です。子供が一人います。
夫が実家近くに転職したので、今は夫の実家の近くに住んでいます。
私は3人姉妹の末っ子で、父が中学生のときに亡くなったので母親に育てられましたが、祖父母が会社を経営していたので何一つ不自由なく育ちました。
出会った当時、夫は実家にルートセ...続きを読む

Aベストアンサー

難しい問題ですね。 差別する事はいけない事だと倫理を
説いても、実際にはいろんな形で区別されている事も事実。

自分がその立場に立った時に、つゆほども気にせず過ごせるか?
と聞かれると自信がありません。

普通に・・・・と言う気持はよくわかります。

昨今は、まだ昔ほどの差別はないにしても、中には未だに
違った目で見る人がまだまだいる事も確かです。

そのうえ、いろんな事件が世間を騒がせますから、この事が
表だって知られるようになれば、なにがしかの弊害はあるやも
しれませんしね。

この事案からまったくかけ離れた所で生活している物が
当事者に対して簡単に「差別はいけません」とは言い難いです。

関わった物の苦しみは関わった者しか分かりませんね。

輪の中に身を置くという事で、私は単なる個人の人格だけの
問題でもない気がします。

生活の環境と言う物は、個人の主観に大きく影響します。

周りを取り囲む人々が同じ価値観で接してくれば、少なからず
感化されますからね。

さて、問題は今後ですよね。
離婚されるなら身を隠す必要があると思いますよ。

今までの言動・行動を見ても旦那様自身がこの事をかさに
人を威圧する性格が見受けられます。
そういう境遇が持たしたら性格かもしれませんが、実際問題
多少危険である事は覚悟する必要があると思います。

出来れば御実家のご両親にもきちんと相談されて、考えうる
対応を模索しておく必要があると思います。

それでも先を考えれば、行動する価値は十二分にあると思います。
今は×1も珍しくありません。
心穏やかな生活が迎えられると良いですね。

難しい問題ですね。 差別する事はいけない事だと倫理を
説いても、実際にはいろんな形で区別されている事も事実。

自分がその立場に立った時に、つゆほども気にせず過ごせるか?
と聞かれると自信がありません。

普通に・・・・と言う気持はよくわかります。

昨今は、まだ昔ほどの差別はないにしても、中には未だに
違った目で見る人がまだまだいる事も確かです。

そのうえ、いろんな事件が世間を騒がせますから、この事が
表だって知られるようになれば、なにがしかの弊害はあるやも
しれませ...続きを読む

Q部落出身かどうか調べるって・・・。

 今日彼と話してたんですが、彼の親は、私が部落出身者でないかどうかを調べるっていうんです。彼は怒って親と口も聞いてないみたいです。私は自分がそうなのかどうかは全くわからないけど、もしそうだとしたら結婚は無理なのかなぁ・・と考えてしまって悩んでいます。調べるってどういう方法があるのですか?彼との話で「部落出身者は他の地区の人と結婚できないから身内同士で結婚したりするらしい」って言ってたんですけど、うちの親戚も身内同士で結婚したりしているし、また私の両親はかなり田舎の出身なのでもしかして・・・って思ったりします。なんか自分がこういうのを気にしないといけないっていうのがすごく悲しいです。引越ししていても調べたら分るものなのですか? もし私の文章を読んで気分を悪くされた方がいらっしゃったら申し訳ありません。無知なので何もわかりません。どなたか教えてください。

Aベストアンサー

私の父は探偵をしているため、娘(あるいあh息子)の結婚相手を調べて欲しいという親からの以来がとても多いです。
つまり部落出身かどうか。
それは、住民票をみます。
住民票は手書きです。
同和地区の住所というのが昔ありました。
それが同和地区差別を無くそうってことで
住所を変えたり引越ししたりします。
そういう方が非常に多いので
いちいち全部の住所を書き直してられないため
一部分に二重線を引っ張って住所を一部分手書きで訂正します。同和地区の差別反対が起こってから
昔、急速にその作業が行われました。
その修正をしているかそうでないかで
分かるそうです。
あくまでも同和出身を調べる一つの手段であるため
これだけで分かる場合も有るし
分からない場合も有ります。
以上、父から教えてもらったことです。

Qえた・非人は使ってはいけない差別用語ですか?

先日電車の中で差別の話ではない時大声ではないですが「えた・非人」と言ってしまいました。私は学校で習った言葉だし、部落のような差別用語ではないと認識していたので思わず口にしてしまったのですが、電車を降りてから、「発言してから降りるまで恥ずかしくて仕方なかった、頭おかしいのと違うか!もし部落の人が聞いていたら今頃どこかに連れて行かれてるところだ・・・」とひどく非難されました。電車のなかでこの言葉を発した私はやはり非常識で頭がおかしい人になるのでしょうか?お教えください。

Aベストアンサー

こんばんは。

えた・非人は差別用語ですが、もうその言葉自体、存在はうすい気はしますね。

どなたが非難されたのかは知りませんが、「頭がおかしい」「今頃どこかに・・」というのは、ずいぶん乱暴な言い方ではないかと思います。
そこまでおかしなことをしたわけではない、と思ってもよいと思います。
もしかしてもしかしたら、被差別部落出身の方がいらっしゃったかもしれません。それはわかりませんが、お若い方とお察ししますが、若いゆえに「あ、若いから」と気にもされなかったかもしれません。

けど、被差別部落出身の方(特に年配者)はこういうことを気にされる傾向はあるのじゃないかと思います。どのような経緯で話されたのかはわかりませんが、もしも差別的に使っておられたとしたら、やはりよい気分はしないと思われます。

あまり気に病まないでくださいね^^
あなたを注意した方も、あなたにしっかりわかってもらおうとして大げさに言ったのかも知れません。

今回のことが、差別や差別用語について、深く考えられるよいきっかけになるといいですね。

本当に世界から差別がなくなったら、「差別用語」という言葉自体も必要なくなって、いつか死語になってくれる、わたしはそう信じてます^^

こんばんは。

えた・非人は差別用語ですが、もうその言葉自体、存在はうすい気はしますね。

どなたが非難されたのかは知りませんが、「頭がおかしい」「今頃どこかに・・」というのは、ずいぶん乱暴な言い方ではないかと思います。
そこまでおかしなことをしたわけではない、と思ってもよいと思います。
もしかしてもしかしたら、被差別部落出身の方がいらっしゃったかもしれません。それはわかりませんが、お若い方とお察ししますが、若いゆえに「あ、若いから」と気にもされなかったかもしれません。

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Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
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Qたくさんの方に教えて頂きたいです!結局、部落差別って何なのでしょうか?

僕は北海道出身です。
北海道には『部落』と呼ばれる地域がありません。
ですから部落差別と呼ばれるものも存在しないと思います。

青春時代を関西の田舎町で過ごしましたが、その時初めて『部落差別』なるものの存在を認識し、とても大きな衝撃を受けました。
『同和教育』なるものも北海道の小学校では教わった記憶がありませんし、未だに根強い差別意識が残っている事に疑問を感じています。

部落地域に住む方々の過去などは関西在住時に友人達から説明を受けましたが、いまいちそれも良くわかっていないというのが現状です。

『なぜ部落と呼ばれる地域の人たちは差別の対象となるのでしょうか?』

ちなみに僕自身は『部落』が何なのかという認識が薄く、周囲の人たちが言う事を全く気にせずに(詳しい事を知らずに)普通にお付き合いをしてきた経緯がありますし、今もそのような認識をもっています。

なお、差別的な認識は全くない状態でこの文章を作成しましたが、何か問題があれば質問自体を削除して頂けるように管理人さんにお願いするつもりです。

Aベストアンサー

多くの方が現代の事柄を中心に回答されているので、私は近世地方史(加賀藩)研究者としての立場から、江戸時代の実態について少し述べてみます(ただし、こうした差別は江戸時代以前からあったと考えられています)。
江戸時代までの日本には仏教の影響もあって四つ足の動物を食べる習慣がありませんでした。また、人や動物の死骸に触れることは忌み嫌われていました。
しかし、世の中の誰かがそれをやらねばならなかったのも事実です。例えば道端で死んだ牛馬の処理、死刑に処せられた人の始末、皮製品の製作等々の作業です。
そこで、古代、あるいは中世ころからこれを家業とする一族を作り(あるいは自然に生まれ)、専門家集団として一般農民とは一線を画していたのです。
いつのころからか(少なくとも江戸時代初期以前)、こうした一族は人間以下のものとみなされ、不当な差別を受けるようになっていきます。差別は生前のみとは限らず、ある地域では死後においても墓石の法名に「畜○○」などと書かれました。
一説には、農民にしっかり働かせるため、農民以下の存在として工・商を置き、さらにその下に非人を置いたとも言われています。
一族は差別を受けた反面、法的な保護も受けていました。例えば牛馬の処理はこれらの一族が独占しており、刑場での作業も一般の農民や町民が使われることはなかったのです。
こうした差別は明治政府によって撤廃されたのですが、そのころに作られた壬申戸籍では「新平民」と記載されてしまいました。そのため、戸籍を見ると部落の出身であることがすぐに分かってしまい、色々な悲劇を生み出すこととなりました。
明治維新からすでに130年以上経過しております。インドのカースト制度などでは、名前で階級が分かってしまい、また宗教上の理由からも差別の撤廃が困難なようですが、日本では戸籍を調べるにも限界があり(明治期の戸籍はもうほとんど調べられない)、いずれはなくなるものと思います。またそうであることを願ってやみません。

多くの方が現代の事柄を中心に回答されているので、私は近世地方史(加賀藩)研究者としての立場から、江戸時代の実態について少し述べてみます(ただし、こうした差別は江戸時代以前からあったと考えられています)。
江戸時代までの日本には仏教の影響もあって四つ足の動物を食べる習慣がありませんでした。また、人や動物の死骸に触れることは忌み嫌われていました。
しかし、世の中の誰かがそれをやらねばならなかったのも事実です。例えば道端で死んだ牛馬の処理、死刑に処せられた人の始末、皮製品の製作...続きを読む

Q部落の人は育ちが悪いのですか?

部落の人は育ちが悪いのですか?

母の家庭の育ちが悪いように思います。
具体的には、兄弟が多いのですが、学歴、学力が極端に悪かったり、
娯楽の話題が低俗だったり、
母は人(主に父など)のお金を盗むことばかり考えています。
それとは逆に娘の私には良い暮らしをさせようと必死になっている傾向があります。

母の実家の場所をネットや古地図で調べると
都内ですが部落の地域でした。

差別をする意図はないのですが、部落の人とは
えた、非人のような育ちという事なのでしょうか?

Aベストアンサー

部落の人とは、おおよそ先祖がえた、非人であることを指します。なので、そこらへんの認識は正しいです(元犯罪者とかも入りますけどね)。
育ちが良いか悪いか、という質問に対して答えますと、平均すると悪い方が多いです。
別に先天的に人間が悪いのではなく、部落の人々は過去に劣悪な環境に押し込まれ、その環境が現代に続いていることが多く、そのため育ちは悪くなりがちです(悪い環境とは狭い地区に家が固まっているなど。今でも改善できていない地区は多いです)。私は仕事柄、部落の方々と接触することが多いですが、立派な方もいますし、常識のない方もいます。ただ、それでも平均値をとれば育ちは良くはありません。
なので回答は、育ちは平均値をとれば悪い、ということになります。
けれど「部落の人だから」という理由で悪いと決まったわけではないので、よく付き合うことが重要だと思います。
それでもダメな人だと思うなら距離をあけるのもいいでしょう、でも、それは部落以外の人にも言える話です(母親は別ですが)。
なので、部落など気にせず、ダメな人はダメ、良い人は良い、と考えて人間関係作っていけばいいんじゃないでしょうか。

部落の人とは、おおよそ先祖がえた、非人であることを指します。なので、そこらへんの認識は正しいです(元犯罪者とかも入りますけどね)。
育ちが良いか悪いか、という質問に対して答えますと、平均すると悪い方が多いです。
別に先天的に人間が悪いのではなく、部落の人々は過去に劣悪な環境に押し込まれ、その環境が現代に続いていることが多く、そのため育ちは悪くなりがちです(悪い環境とは狭い地区に家が固まっているなど。今でも改善できていない地区は多いです)。私は仕事柄、部落の方々と接触すること...続きを読む

Q被差別部落出身者であることは、現在も調査すれば分かるのですか?

被差別部落出身者であることは、現在も調査すれば分かるのですか?


明治期の戸籍には、旧身分が記載されていたことは知っているのですが……

【質問1】現在も調査すれば部落出身者か否かだということが分かるのでしょうか?

【質問2】もし分かるとしたら、それはどういった事由から分かるのですか?(戸籍などの書類・氏名・出身地区などから分かる?)
よろしくお願いします。

(注:私は差別撤廃推進論者です。ただ単に詳しく知りたいと思って質問しております)

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>【質問1】現在も調査すれば部落出身者か否かだということが分かるのでしょうか?

「部落」がどこにあったかは、今でも調べようとすれば調べられます。
そして、その土地に代々住んでいた・・・と、なると、「部落出身者」ではないか・・・との推測がされます。

>>【質問2】もし分かるとしたら、それはどういった事由から分かるのですか?(戸籍などの書類・氏名・出身地区などから分かる?)

「戸籍法」明治4年4月4日大政官布告第170号・明治5年2月1日施行。では、ご存知の通り、「非人」「えた」などの人たちを「新平民」と記載されたことは、すでにご存知かと思います。
この通称「壬申戸籍」は、村役場などでも、「新平民」の欄に「付箋」を貼ったり、折込をしたりした時代がありました。
そして、昭和45年まで、誰でもが自由に「閲覧」できました。
また、部落の所在地を一覧表にしたような本も出版されており、銀行や大企業などは、それを購入して、部落民かを判断し、戸籍を提出させて就職の際の合否などを決めていました。

しかし、「平等」という言葉が浸透するようになり、昭和45年に「壬申戸籍」は、各地の法務局の金庫に「永久封印」されました。

それでも、昭和45年までに、銀行や大企業などでは、「部落一覧表」のようなものを購入しており、壬申戸籍の封印と一覧表などの発行停止はされましたが、多分に、銀行や大企業などの本棚には残っている、と思われます。つまり、そうした書籍の「廃棄」までは、法律は定めていないからです。

「漏れる」とすれば、そうした企業や、極端に言えば、歴史学者なども考えられます。

私も、職業柄?全国とまではいきませんが、今、居住している県内の資料は持っています。
もちろん、私は「口が裂けても」公表したりはしませんが・・・。

東京の都会あたりでは、人口の流出入があり、どこの地域かは多くの人はしりませんが、農村部などでは、依然として、口伝えで「ああ、あそこの部落は・・・」などと、代々伝えられたりしています。

また、自ら名乗る人もいるくらいですから、中々難しい問題ですね。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>【質問1】現在も調査すれば部落出身者か否かだということが分かるのでしょうか?

「部落」がどこにあったかは、今でも調べようとすれば調べられます。
そして、その土地に代々住んでいた・・・と、なると、「部落出身者」ではないか・・・との推測がされます。

>>【質問2】もし分かるとしたら、それはどういった事由から分かるのですか?(戸籍などの書類・氏名・出身地区などから分かる?)

「戸籍法」明治4年4月4日大政官布告第170号・明治...続きを読む

Q神戸で近寄らないほうがいい場所は?

私の息子が来春より神戸に住むことになりました。
先ごろアパート探しに私も一緒に行ってきたのですが、不動産屋さんの話では「神戸ははっきり言ってガラは良くないです。」という事でした。
確かに某組の本部があるところですし、それは想像してはいたのですが。
三宮や元町には行ってみましたがとてもおしゃれな街という感じで好印象はありましたが、陰の面もあるかと思います。
念のためですが、「○○には行かないほうがいいよ。」とか「○時以降は変な人がいるよ。」とか教えていただけたら嬉しいのですが。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。
「神戸」と言っても広いですよ^^;
その不動産屋さんの言ってる通り「ガラの悪い地域」は神戸市内のあちこちにあります。
高級住宅街近辺なら、まぁ大丈夫でしょうが賃貸物件も少ないですし、見つかっても家賃、高いですよ^_^;

>息子のアパートが長田区付近にあるのです。
先日行って見た時には静かな街中で商店街もありとても住みやすそうな所だったので安心していましたが。
長田区といっても広いのでそのアパートは住むのに問題は無さそうですが。
もしよろしければ長田区のどの辺りか大雑把で構いませんので教えていただければ嬉しいです。
◎長田付近・・・ですか^^;
具体的な地域を出すと、そこに住んでいる人が見てたら怒りそうなので(当然ですが)書けません。ご理解を^^;
震災後にほぼ長田区全域が様変わりしていますし、新しい建物も増え、商店街も新しく再興していますので、見た目的には「静かな街中で商店街もありとても住みやすそうな所だったので安心して・・・」と感じたのだと思います。
ただ、長田区は神戸市内でも「特殊な地域」です。地元民でも避ける場所(出来るだけ近寄らない)はあります。
取り合えず、長田付近でしたら・・・
長田駅~三ノ宮駅(JR、私鉄含めて)周辺には、夜(特に深夜)には近付かない事ですね^_^;
また、全ての商店街は「メイン通り」以外には入って行かない事。
「路地裏」「裏道」のような場所へは行かない事。
「生田神社」(特に北側)には近付かない事。
夜、新開地の商店街を歩かない事。
湊川公園にも近付かない事。(特に夜間)

震災後は、かなり治安は良くなっていますが、まだまだ危険な場所は残っています。
キャッチもありますし、変な客引き(禁止されていますが)も未だにいます。
また、夜間の駅周辺には「訳の解らない若者達」がたむろしています。
中には、トンでもない奴等もいます。

おしゃれなイメージの神戸市ですが、治安の悪い所はありますし、震災前のように「ここには近付くな」といったものではなく、どこへ行っても「ガラの悪い連中」がいる、といったように「ガラの悪い地域」の特定が出来なくなっています。
震災後は、広範囲に亘ってしまっています。
昼の顔と、夜の顔は全然違いますから・・・

・・・といった事が、地元民としての参考意見です(~_~;)

こんにちは。
「神戸」と言っても広いですよ^^;
その不動産屋さんの言ってる通り「ガラの悪い地域」は神戸市内のあちこちにあります。
高級住宅街近辺なら、まぁ大丈夫でしょうが賃貸物件も少ないですし、見つかっても家賃、高いですよ^_^;

>息子のアパートが長田区付近にあるのです。
先日行って見た時には静かな街中で商店街もありとても住みやすそうな所だったので安心していましたが。
長田区といっても広いのでそのアパートは住むのに問題は無さそうですが。
もしよろしければ長田区のどの辺りか大...続きを読む


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