歴史上の人物だと思うのですが、

神?に「我に七難八苦を与えたまえ」という有名な言葉を残した人は誰ですか? 
できればその出典、エピソードなども教えてください。

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A 回答 (5件)

山中鹿助さんのことですね。


神ではなく、三日月に祈っていたそうです。

エピソードは、こちらのH.Pをご覧ください。

http://www.cosmo-oil.co.jp/inf/kankyo/dagian/37/ …

http://ww3.tiki.ne.jp/~yamaken/a/a-human_yamanak …

参考URL:http://ww3.tiki.ne.jp/~yamaken/a/a-human_yamanak …
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この回答へのお礼

あっという間の回答、ありがとうございました!

お礼日時:2002/02/06 21:09

戦国時代の尼子家の家臣、山中鹿之助幸盛の言葉です。



参考URL:http://www1.odn.ne.jp/~akasi/meigen/yamanaka-mei …
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この回答へのお礼

みなさん、回答ありがとうございました。
ここのところ、誰の言葉だったかな、と気になっていたんです。解決しました!

お礼日時:2002/02/06 21:12

一途に意志を貫いた武将



参考URL:http://www.m-network.com/sengoku/sen-07.html
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました!

お礼日時:2002/02/06 21:11
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました!

お礼日時:2002/02/06 21:10

 出雲・尼子家の名将「山中鹿之介幸盛」ですね。



参考URL:http://www2.ocn.ne.jp/~inokou/sikanosuke.html
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました!

お礼日時:2002/02/06 21:09

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Qレポートにオススメな人物 歴史を大きく変えた人物 おもしろい歴史人物

などなど、題名の通りです。
レポートを書く時にまとめたらすごく良いものが仕上げられそうな人物はいないでしょうか?
どの時代でも結構です、歴史を大きく変えた、有名な人物はいないでしょうか?
また、調べたらおもしろい、私たちの知らないことが分かるような奥が深い人物はいないでしょうか?

なぜいいのかということも添えてもらえたら非常に嬉しいです。
では、どうか宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

こういったレポートの類では割と有名人が日本全国津々浦々の学生さん達に資料上でストーキングされていそうですね~歴史上のアイドル(?)には現実のアイドルと同様に私生活はあって無い様な物かもしれません。


とまぁ、余談はさて置いてこう言った課題で余り教科書には出てこない人物に親しむというのも有りとは思いませんか?


幾つか僕の個人的趣味丸出しなんですが・・・

山田方谷
時代は幕末!!日本全国の三百諸侯は財政難に喘いでいた。ある藩は密貿易に精を出し、またある藩は借金の踏み倒しに突っ走る!!彼の祖国「備中松山藩」もその一つだった。改革に成功すれば武士らしからぬ大悪人として天誅の刃。失敗すれば切腹という時代に生きた異端者の生き様とは?

ユリアヌス帝
ローマがローマで無くなる時代・・・4世紀。それは暗黒の中世の到来である。幼少の頃に実の従兄弟によって家族を失った少年はそれでも健やかに育ち、哲学を愛する健全な若者となった。
譲れない想い。守りたかった物。そして、幸せで満たされた過ぎ去った日々。彼は暗黒の時代の招来を阻止する事ができるのか?
彼に敵対した人は後にこう記している。
「彼は神の教えに対する裏切り者であったが、人類に対する裏切り者では無かった」と・・・



光武帝
数百年も続いた栄光ある帝国。だがどんな存在であれ永遠たり得ない。落日の後は古今東西繰り返されるであろう混沌。
倹しく、変化なんて有り得ない。故郷の村で晴耕雨読の毎日を過ごし、平凡ではあるけれど幸せな家庭を築き、孫に囲まれて往生する・・・漠然と思い描いていた未来。 しかし時代はそれを許さなかった。兄と共に兵を興し勝ち取った栄光の数々とその代償としての兄弟の死。彼の元に集いし将は二十八人。
後に名君として称えられ、中興の祖として帝国の再現を果たした唯一の人となった平凡な若者が歩んだ非凡な物語。


立見尚文
先駆者達は死に絶え、共に歩んだ戦友達が時代の彼方に飲み込まれた後に訪れた新時代「明治」。その時代を駆け抜けた武士(もののふ)が居た。
戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争・・・
近代国家「日本」は常に硝煙の詩と共にあった。
かつて手にしていた剣を小銃に換え、駆け抜ける日々。
其の時、老将の胸に去来したのは何だったのか?
若き日々の誓い?かつての戦友達の鎮魂?
「明治」の元勲達に最も恐れられた武士は皮肉にもその彼らを救う事になる。
何故、黒溝台の惨劇は広く知られること無く、陸奥の囲炉裏端で細々と語られる二十世紀最初で最後の「御伽話」となったのか?





んーついつい長文になってしまいましたね。
僕はミーハーなので熱く語りすぎた様ですね~
他の時代や国にも素敵な人は沢山いるからついつい目移りしちゃうんですよね~

こういったレポートの類では割と有名人が日本全国津々浦々の学生さん達に資料上でストーキングされていそうですね~歴史上のアイドル(?)には現実のアイドルと同様に私生活はあって無い様な物かもしれません。


とまぁ、余談はさて置いてこう言った課題で余り教科書には出てこない人物に親しむというのも有りとは思いませんか?


幾つか僕の個人的趣味丸出しなんですが・・・

山田方谷
時代は幕末!!日本全国の三百諸侯は財政難に喘いでいた。ある藩は密貿易に精を出し、またある藩は借金の踏み倒...続きを読む

Q歴史上の人物で「勉強しづらい環境なのに必死に勉強した人」のエピソードを教えてください!!

私は今浪人生です。
受験生にとっては夏が終わりラストスパートがかかるときなのですが、
伸び悩んだり不安になる事が多く、
私もその一人で、過去問を見ても「こんなの解けるわけない」なんて負の感情をもってしまいます
そういうときは昔から自分より大変な人たちを思い浮かべる事で自分にやる気を出させてきたので今回もそうしてみようと思って質問しました!


歴史で有名な人物で(国内外&ジャンル問わず)

・子供でも働かなければいけないほど家が貧しかったり、普通ならとても勉強ができる環境ではない

・なのに必死に勉強して一流大学に入ったり大学教授になったり、その他なにかを成し遂げた

そんな人物のエピソードを教えてください

例:二宮尊徳
 勉強をすることを伯父に邪魔された為に、薪を拾う道中に勉強をしたりして農民を救い幕府に用いられた。など

Aベストアンサー

孔明は、どうやって自分をつくったのか。後年の大活躍の「原因」は、どこにあったのか。孔明の生い立ちには諸説があるので、それらを勘案して語りたい。
 孔明は九歳くらいで母を亡くした。少年には大変なショックであった。この世から光が消えたような─。父は後妻を迎える。父は、ある郡の副知事(丞)であった。その父も、孔明が十二歳くらいで死んだ。孔明は、こうして幼くして母を失い、父を亡くした。特別の財産があるわけでもない。残されたのは、父の後妻である継母、そして孔明の兄、姉、弟であった。どう生きるべきか、一家は途方に暮れた。相談の結果、叔父の諸葛玄を頼ることになった。一家は徐州の故郷を捨て、叔父の住む荊州へ向かった。南へ、南へ。中国は広い。移動の途中、少年は多くの流民と出会った。世は乱世である。戦乱によって殺された人々。焼かれ、破壊された町々。流浪する難民の数も限りなかった。〈後漢末期。王朝は衰え、群雄が覇を競っていた〉少年は、民衆の惨状を目の当たりにした。「何ということか。人間は幸福になるために生まれてきたのではないのか?なのに、どうして人間は、こんなにも不幸なのか?」「国はどうしてこんなにも乱れているのか?」少年は悩んだにちがいない。そして、乱れた世を救う"何か"を求めていった。
 やっと叔父の家に着いた。しかし、ここにも落ち着くことはできなかった。叔父が、さらに南の揚州の知事(太守)に任命されたからである。また移転 ─ 孔明は、兄とも別れ、さらに南へ、叔父とともに移っていった。  
 
 生きた学問智慧の学問
 このように広い中国の各地を転々としながら、生命の危険を乗り越え、風雨と闘い、空腹を耐え、そのなかで孔明は勉強したのである。豊かな自宅の、きれいな机で、悠々と学んだのではない。それでは、あの「常勝将軍・孔明」は絶対にできなかったであろう。孔明の学問は「生きた学問」であった。苦しむ民衆と交わり、語り、庶民の心の機微も学んだ。自分の生命を守る智慧も身につけた。精神を練った。肉体を鍛えた。渡り歩く各地の風土・地理・人情・風俗を調べ、鋭い目で観察し、自分のものとしていった。また各地の様子から指導者の善しあしを見抜いた。「我れ以外、皆我が師」 ─ 作家・吉川英治氏の言葉の通りであった。そのなかで、彼は「書物」を学んだ。書物の教えを、体験を通して、ひとつひとつ身につけていった。「知識」を「智慧」に変えていった。ここが偉大である。   
 しかも彼の「学び」は、目的がはっきりしていた。この乱れた世の中をどう救うか。未来をどうすれば一番よいか ─ ここに焦点があった。目的が明確だったゆえに、学んだことが何ひとつ無駄にならなかった。こうして苦労が全部、孔明の成長の「こやし」となったのである。
 孔明は、叔父とともに、叔父の任地・揚州についた。しかし、そこには思いもかけぬ事件が待っていた。他の実力者から任命された別の「知事」がやってきたのだ。「私こそ本当の知事だ」「いや私こそ」.…。そのころ国の命令系統が乱れ、こうした混乱が少なくなかった。
 "二人の知事"が争うことになった。戦争が始まった。実力で決着をつける以外になかった。しかし叔父は敗れた。追放されてしまった。孔明は敗戦の惨めさを骨身に徹して知った。
 彼は敗れた兵隊たちとともに、命からがら逃げ回った。叔父も逃走中に殺されたという説もある。「よし!」。孔明は誓った。血涙にまみれて、我が身に言い聞かせた。「二度と負けてはならない。絶対に勝たねばならない。負ければ、これ以上の不幸はない」
 孔明は再び、流浪の身になった。その時、十七歳と言われる。荊州に戻り、その後、十年間、晴耕雨読の生活で、弟妹を養いながら、自分を鍛えに鍛え、「一剣」を磨きに磨いた。「不敗」「常勝」の智慧と力を養った。立ち上がる「その時」を目指して、苦労し、勉強し、あらゆるものを吸収した。そういう彼を知るものは、例えば村の長者は娘と結婚させ、親友徐庶は、劉備に、彼の登用を薦めた。ついに「その時」が訪れた。二十七歳、主君となる劉備玄徳と出会う。ここから「三国志」の、あの大活躍が始まるのである。
   
 
 「鞠躬して尽力し、死して後、已む」と。身をかがめて真剣に尽力し、死ぬまで戦いをやめない、との意味であります。鞠躬─頭を下げ、礼をもって接する。偉くなればなるほど、身をかがめて、相手を敬い、力のかぎりを尽くしていく。



 あの「三国志」の大英雄・諸葛孔明も、名指導者の要件として、「天よりも曇りのない目をもって、人物の善悪を見極めること」を挙げていた。
 そして、国土のすみずみまで心を配りながら、公平かつ厳正な目をもってへ優秀で善良な人間を登用し、貪欲で惰性の人間は退けていくことを強調した。
 そうすれば、良き人材は雲のように集まってくるというのである。
 孔明は、恩を忘れて自分の繁栄ばかりを考え、全体のことを心配する気持ちを全く持たない人間、また、自分は何もしないくせに、威張って他の人々を非難する人間に対しては、まことに厳しかった。
 そうした人間を放置しておいたら、将来に破滅と禍をもたらしてしまうからである。厳しいようであるが、大切な歴史の教訓である。  
〈『中国古典新書続編 諸葛孔明語録』中林史朗著・明徳出版社、『諸葛孔明の兵法』守屋洋編訳、徳間書店などを参照〉

※徐庶は水鏡先生(司馬徽の翁)の弟子でしたが、孔明は
働きながら学んだ刻苦勉励の人です、偉いな(^-^)

孔明は、どうやって自分をつくったのか。後年の大活躍の「原因」は、どこにあったのか。孔明の生い立ちには諸説があるので、それらを勘案して語りたい。
 孔明は九歳くらいで母を亡くした。少年には大変なショックであった。この世から光が消えたような─。父は後妻を迎える。父は、ある郡の副知事(丞)であった。その父も、孔明が十二歳くらいで死んだ。孔明は、こうして幼くして母を失い、父を亡くした。特別の財産があるわけでもない。残されたのは、父の後妻である継母、そして孔明の兄、姉、弟であった。ど...続きを読む

Qケチで有名な歴史上の人物

徳川家康は幼少時代の経験からか、かなりのケチで知られていますが、国内外の歴史上の有名人で、吝嗇家の興味深い逸話がありましたら教えて下さい。

Aベストアンサー

 【徳川吉宗】もそうだと言われていますが、江戸時代の名君と称えられている人は、この傾向が強いように思います。、財政のことを考えれば、まだこの時代ではそうならざるを得ないでしょうね。
 【浅野内匠頭】が吉良上野介に意地悪されたのは、同役よりも吉良さんへの贈り物が少なかったということと、勅使接待の予算をケチったからだといわれていますが、本当なんでしょうか。
 幕末の探検家として有名な【松浦武四郎】の死ぬ前の言葉は『煎り豆を腹一杯食べてみたい』であったそうです。
 貧乏のどん底にあったように想像されますが、実はしっかりと600坪の屋敷を残した資産家でした。伊勢の人はケチという評判があるらしいですね。↓
http://shanshando.exblog.jp/m2006-02-01/#3503038
 阪神タイガースの【吉田義男】、まだお元気で歴史上の人物とは言い難いですが、牛若丸といわれたその名手振りは、伝説になっていますので、監督時代のケチ伝説も披露させてもらいます。
 まあ、有名税ということで我慢してもらいましょう。↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E7%BE%A9%E7%94%B7
 歴史上の大人物の面白いケチケチ伝説というのは、なかなか無いものですね。

 【徳川吉宗】もそうだと言われていますが、江戸時代の名君と称えられている人は、この傾向が強いように思います。、財政のことを考えれば、まだこの時代ではそうならざるを得ないでしょうね。
 【浅野内匠頭】が吉良上野介に意地悪されたのは、同役よりも吉良さんへの贈り物が少なかったということと、勅使接待の予算をケチったからだといわれていますが、本当なんでしょうか。
 幕末の探検家として有名な【松浦武四郎】の死ぬ前の言葉は『煎り豆を腹一杯食べてみたい』であったそうです。
 貧乏のどん底...続きを読む

Q有名歴史上人物の名言一覧を探しています。

教員採用試験に備えて歴史上の哲学者、思想家、教育者、政治家などの人物が残した名言や●●論などの「一覧」を探しています(書写、著書、名言)
HPなどを知っていたら教えてください。
よろしくお願致します。



ソクラテス(無知の血)
私は自分が無知だという事実以外は何も知らない。

福沢諭吉(学問のすすめ)
天は人の上に人を作らず、

ルソー(社会契約論)
人は生れながら自由で,しかもいたるところで鎖に縛られている

Aベストアンサー

ずばり【名言一覧】どうぞ。

参考URL:http://www1.ocn.ne.jp/~iyasiro/kikou/meigen0.htm

Q赤ひげ、あるいは赤毛で有名な歴史人物を教えてください

今思いつくのは
赤毛のエリック(バイキング)
フリードリヒ1世(赤ひげ王?)
南北戦争のユニオン側の将軍(名前は忘れました)
ユダ
だけです。他に有名な赤毛、あるいは赤ひげの人物はいますか?

Aベストアンサー

ハイレッディン・レイス
「バルバロッサ(赤ヒゲ)」というあだ名を持つ海賊
地中海を荒らしまくった


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