テレビ朝日の番組で、田中角栄が反米的だったからロッキードをばらされた、と言っていました。真偽はさておき、田中角栄氏が反米だったことは確実なのですか?もしそうだとしたら、その理由とは何だったのでしょうか?

A 回答 (1件)

反米と言うよりは、中国外交に力を入れられたイメージが強いです。

今のEUのような独自の経済・自治のアジア圏での協力体を中国と一緒に作ってゆきたいと考えていたのではないでしょうか。
アメリカにとってはアメリカによる世界制覇の邪魔になる考え方だったので、田中角栄を政治的に抹殺するためにロッキード事件を演出したとの見方もあるようです。
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Q田中角栄の政治と日中国交正常化について

田中角栄ほど人によって評価の分かれる戦後首相はいないような気がするのですが、田中角栄の行ったことの中で、イマイチ納得できないのが
日中国交正常化というものです。
もちろんお隣の国同士仲良くできればそれが一番いいにきまっているのですが、その後の関係を見ても、歴史教科書の記述や靖国神社の参拝、果ては日本の首相を誰にするか・・・にまで口を出してくる有様。
日本を属国扱いです。そして日本もまるで朝貢をしているかのような
資金援助・・・日中国交正常化をしたメリットがまるでわからないのです。なぜ田中角栄は日中国交正常化をしたのでしょうか?
「正常化を成功させた政治家」という名誉のためだけの行動だったのでしょうか?
また、田中角栄が現代の政治や国民生活に与えた影響とはどんなものがあるのでしょうか?
田中角栄の地元である新潟ではいまだに田中角栄に手を合わせるご老人も多いと聞きます。物事には善もあり悪もある。
では彼の行った政治の善と悪とは何なのでしょうか・・・。

Aベストアンサー

日中国交正常化は、あのタイミング(毛沢東の死去直前)は絶妙だったと思います。今になってイザコザが生じていますが、私は「日中関係」という名の老大木に生えたコブみたいな存在だと思って楽観しています。無論他国の島を侵略したり国際法規を無視したりするのは良くない事ですが、それは是々非々として日本がきちっと教育するべきです。

さて、角栄さんはご存知の通り小学校卒(実際はその後夜間学校等へ通っています)ですが、机上の空論ではない実務の頭脳は抜群で、それは東大卒の官僚連中も舌を巻くほどでした。
日中国交正常化に踏み切った動機としては、彼自身の言葉として「中国は今はまだまだ貧しいが、いずれきっと発展する。そうなれば10億人を超えた大国だ。経済需要などは日本なんか比較にならない。国も会社と似ていて、創業者は自分の会社の事をよく把握している。せがれが跡を継ぐと、なかなかそうはいかない。
だから国を建てた創業者(毛沢東らのこと)が生きているうちに友好関係を築くことが後世への国交の連携に繋がるんだ。いずれきっと日本の国益になるよ」という意味の発言を聞いたことがあります。
また、これは推測ですが「小学校出の俺がここまでやったんだ。あとは東大出のエリート達が俺の蒔いた種を花咲かせ、実を結んでくれるだろう。彼らは国を代表する逸材揃いだ、俺よりもやってくれるよ」という思いもあったと思います。

当時の日本国内では中華民国(台湾)を支持する勢力が圧倒的で(石原慎太郎・ハマコーなんかもそうでした)、国交正常化交渉にあたった外務官僚も省内ですら隠密行動を余儀なくされていました。下手をすると角栄さんなり大平さんなり条約局長なり暗殺される可能性も高かったのです。近年北朝鮮利権を目論んで訪問した某氏とは違い、美味しい思いよりリスクの方が非常に高いミッションでした。この点を今になってあれこれ揶揄するのは結果論だと思います。
また迎える側の周恩来首相は、このような角栄さん一行の覚悟を察知しており、非常に敬意を払って遇していたようです。
と言うわけで日中国交締結当初は文字通り友好的なものであり、それが狂ってきたのは江沢民政権の頃からとなります。余談ですが江沢民は過去の主席に比べてカリスマが乏しく、何か「手柄」をつくるべく「敵」を外国へ求めた訳です。当時中国国内は経済も停滞し、天安門事件後という事もあって国民の不満が鬱積していました。彼はそのガス抜きとして「抗日」というフレーズを使い始めたのです。革命運動しかり文化大革命しかり、自分の頭で考えずにひたすら突っ走る国民性なので、今の政府は「抗日」の多用が間違いだったと薄々気づきながらも、国民のコントロールに苦労している所です。
胡錦濤は江沢民よりは賢そうなので、私は少しずつ方向転換していくのではないかと注視しています。
つまり今の日中関係をこじらせた根元は・・・
中国側:江沢民
日本側:角栄以降無作為だった外務官僚
と思っています。

日中国交正常化は、あのタイミング(毛沢東の死去直前)は絶妙だったと思います。今になってイザコザが生じていますが、私は「日中関係」という名の老大木に生えたコブみたいな存在だと思って楽観しています。無論他国の島を侵略したり国際法規を無視したりするのは良くない事ですが、それは是々非々として日本がきちっと教育するべきです。

さて、角栄さんはご存知の通り小学校卒(実際はその後夜間学校等へ通っています)ですが、机上の空論ではない実務の頭脳は抜群で、それは東大卒の官僚連中も舌を巻くほ...続きを読む

Q【戦前の朝日・戦後の朝日】 マスコミだけが戦争責任を回避できた理由は?

みなさんご存知のように、戦前の朝日新聞は「大本営発表」を臆することなく大々的に報じ、「挙国一致」「尽忠報国」などの大きな見出しを躍らせています。
戦前の朝日は旧日本軍部と共に、戦争賛成・戦争賛美の報道で「鬼畜米英」や「欲しがりません勝つまでは」などの有名な標語を作り、戦争を煽り、日本国民を戦争に駆り立てました。
しかし、戦後になると、手の平を反したように、左翼新聞となり、共産政権の中国共産党や北朝鮮・韓国寄りに方向転換しました。

【1】戦後の朝日新聞が態度を180℃変えた理由は何ですか?


【2】なぜ、マスコミだけが戦争責任を回避することが可能だったのでしょうか?


【3】戦争に荷担し、その責任を隠蔽し続けてきたマスコミがなぜ今なお存在しており、政府が決める再販制度や特殊指定などの制度的な保護を受け続けているのでしょうか?


【4】一般に、政府の言論弾圧によって、マスコミは戦争に荷担せざるを得なくなったと言われています。
これは事実でしょうか?
マスコミ自らが進んで戦争に荷担していったことは、一度もなかったのでしょうか?

みなさんご存知のように、戦前の朝日新聞は「大本営発表」を臆することなく大々的に報じ、「挙国一致」「尽忠報国」などの大きな見出しを躍らせています。
戦前の朝日は旧日本軍部と共に、戦争賛成・戦争賛美の報道で「鬼畜米英」や「欲しがりません勝つまでは」などの有名な標語を作り、戦争を煽り、日本国民を戦争に駆り立てました。
しかし、戦後になると、手の平を反したように、左翼新聞となり、共産政権の中国共産党や北朝鮮・韓国寄りに方向転換しました。

【1】戦後の朝日新聞が態度を180℃変えた...続きを読む

Aベストアンサー

>【4】一般に、政府の言論弾圧によって、マスコミは戦争に荷担せざるを得なくなったと言われています。
これは事実でしょうか?
マスコミ自らが進んで戦争に荷担していったことは、一度もなかったのでしょうか?

このご質問を読んで思い出した事があります。現在では誘拐事件が起こると、マスコミ各社は報道協定を結んで誘拐された人の安全を最優先にする事となっていますが、かつてはマスコミ各社が有ること無いこと派手に書き立てて、そのために記事を読んだ犯人が心理的に追いつめられて誘拐した子供を殺してしまった(逮捕された犯人が後に取り調べでそう供述した)という事件がありました。

また、松本サリン事件のときに、ご近所に住む無実の人をまるで「魔女狩り」のように犯人であるかのごとく書き立てて、後に大問題になったことは記憶に新しいところです。

どうもマスコミというのは、他社に抜かれるのを嫌って、がむしゃらに突っ走ったあげく問題を起こすケースが多いように思います。まるで飢えた猟犬のように、我先に獲物を追って吠え立てるわけですから、困ったものだと思います。

No.6の回答者さんが書かれているように、軍部の統制や特高警察の監視で厳しく規制されていた面はたしかにありましたが、戦争初期に日本軍が連戦連勝していた時期には、新聞各社やニュース映画会社がイケイケで報道合戦を展開していたということもあったと思います。

その事を踏まえたうえで考えるなら

>【1】戦後の朝日新聞が態度を180度変えた理由は何ですか?

日本が戦争に負けたからです。

>【2】なぜ、マスコミだけが戦争責任を回避することが可能だったのでしょうか?

マスコミだけに限りませんが、GHQから見て日本にアメリカ流の民主主義を植え付けるのに役立ちそうであれば、責任は問われず保護・育成されました。

>【3】戦争に荷担し、その責任を隠蔽し続けてきたマスコミがなぜ今なお存在しており、政府が決める再販制度や特殊指定などの制度的な保護を受け続けているのでしょうか?

マスコミというものが民主主義社会を構成するために不可欠な要素の一つと考えられたからでしょう。

戦争責任については、【2】のところでも書きましたが、態度を180度変えたことで不問に付されたのでしょう。制度的な保護については、戦後体制の一貫として他の要素(教育制度や労働組合や政治制度や新憲法など)とともにスタートを切ったので、永らく続いて来たわけです。しかし、そろそろ社会の変化にそぐわない面も見えて来ていますから、見直しの議論が始まっても良い時期に来ているのかもしれませんね。

>【4】一般に、政府の言論弾圧によって、マスコミは戦争に荷担せざるを得なくなったと言われています。
これは事実でしょうか?
マスコミ自らが進んで戦争に荷担していったことは、一度もなかったのでしょうか?

このご質問を読んで思い出した事があります。現在では誘拐事件が起こると、マスコミ各社は報道協定を結んで誘拐された人の安全を最優先にする事となっていますが、かつてはマスコミ各社が有ること無いこと派手に書き立てて、そのために記事を読んだ犯人が心理的に追いつめられて誘拐した子供を...続きを読む

Q田中角栄が反米だった理由

テレビ朝日の番組で、田中角栄が反米的だったからロッキードをばらされた、と言っていました。真偽はさておき、田中角栄氏が反米だったことは確実なのですか?もしそうだとしたら、その理由とは何だったのでしょうか?

Aベストアンサー

反米と言うよりは、中国外交に力を入れられたイメージが強いです。今のEUのような独自の経済・自治のアジア圏での協力体を中国と一緒に作ってゆきたいと考えていたのではないでしょうか。
アメリカにとってはアメリカによる世界制覇の邪魔になる考え方だったので、田中角栄を政治的に抹殺するためにロッキード事件を演出したとの見方もあるようです。

Q左翼と反米右翼は同じ反米なのに、なぜ共闘しないのでしょうか?

左翼と反米右翼は同じ反米なのに、なぜ共闘しないのでしょうか?

Aベストアンサー

No,2です。

>左翼の立場からすれば、親米派と反米右翼のうち
 どちらが特に厄介な敵なのでしょうか?

日本の左翼はほとんど親・中国派です。
最近の情勢から言えば、左翼は親米保守のほうが扱いやすい
と思っているでしょう。先日中国系のロビイストの活動によって
慰安婦決議案が下院で決議されましたし、次の選挙では親中の
民主党が勝つと思われます(アメリカの選挙)。
そうなれば、左翼にとってはアメリカの言うことに追従する
親米保守のほうが良いということになります。

Q尖閣問題、諸悪の根源は田中角栄(自民党)では?

日中国交正常化40周年の記念式典が尖閣問題で中止になったとの報道です。日中国交正常化を推進したのは田中角栄総理大臣です。当時の中国は世界の最貧国であり文化大革命で何千万人もの餓死者が出ており、アメリカ、ソ連とは準戦争状態でした。中国は日本の支援を必要としており、条約に尖閣は日本領と記載することは可能だったはずです。(当時から中国は尖閣は自国領と主張していました)
しかし尖閣を棚上げして条約を結びました。あの時きちんと処理しておけば今の紛争はなかったはずです。諸悪の根源は田中角栄(自民党)だと思いますが皆様はどう思われますか?
-追伸ー
韓国特殊部隊による金大中拉致問題の手打ちとして韓国政府から田中角栄氏に闇献金があったとの記事を読んだ記憶があります。これも中国から田中角栄に闇献金があったのでは?

Aベストアンサー

”尖閣を棚上げして条約を結びました。あの時きちんと処理しておけば今の紛争はなかったはずです”
     ↑
そうなんですよね。棚上げにしよう、と言われたときに
いや、これは日本の領土ということではっきりしています
ので、棚上げの必要はありません、と明言すればよかったのです。

”諸悪の根源は田中角栄(自民党)だと思いますが皆様はどう思われますか”
     ↑
日本を無視して、米国が中国と国交を結ぶことにしたので
日本も慌てて、台湾と縁を切り、中国と国交を結ぶことに
したのです。
つまり、米国に追随したのです。
何故,追随したのかと言えば、国家の要である国防を米国に
委ねていたからです。
当時は、あの慎太郎さんですら、日本の国益の為には
台湾を捨て、中国とむすぶべきだ、と明言していました。
中国と仲良くなった方が、儲けが大きいと説明していました。

台湾とは縁を切りましたが、経済関係は滞りなく続いて
います。
今にして思えば、台湾と国交を続け、中国とは経済の関係だけに
しておいた方が良かったのではないか、と考えます。
しかし、そんな判断は、一般市民には出来ません。
そういう時に、適切な判断を下すべきなのが、政治家でしょう。
その意味で、田中角栄の罪が一番大きかった、と思います。

”尖閣を棚上げして条約を結びました。あの時きちんと処理しておけば今の紛争はなかったはずです”
     ↑
そうなんですよね。棚上げにしよう、と言われたときに
いや、これは日本の領土ということではっきりしています
ので、棚上げの必要はありません、と明言すればよかったのです。

”諸悪の根源は田中角栄(自民党)だと思いますが皆様はどう思われますか”
     ↑
日本を無視して、米国が中国と国交を結ぶことにしたので
日本も慌てて、台湾と縁を切り、中国と国交を結ぶことに
したのです。
つまり、...続きを読む

Qフランスの開明的だった理由

浮世絵の番組を見まして、意外だったのが、フランスはすごく関心を示していて、大量に買い込んでいるんです(アメリカも後年そういう傾向を示していたと思いますが)それはおそらく一例でして、このジャポニズムブームを可能ならしめたのは、国の芸術政策も大きいのでしょうが、一般庶民的志向も、より異国趣味な物を求めたいという傾向から来ているのではないでしょうか。ですので、東洋、中東、アフリカなど世界文化を、貪欲に吸収していた?あるいは、「日本」に異常な関心を示していたのでしょうか?

こういう傾向が、ドイツでもイギリスでもイタリアでもなく、フランスに顕著であったという事の理由は、どういうことがあるのでしょうか。

Aベストアンサー

浮世絵のフランス絵画への影響が、学校教育(歴史や美術)でも
大きく取り上げられています。これは日本の伝統美の一面にしか
スポットをあていないと考えております。

桑の樹皮を柿の樹液で固めて作られる型紙(着物などの柄)をご存知でしょうか???
これらが1890年前後に、既にロンドンの有名なLiberty)で
パリでは、日本人経営の商店Hayashiで販売されていました。

絹織物都市リヨン(後に横浜と姉妹都市)の同商人 Emile Leroudier や
東洋美術商のドイツ人Siegried Bingは、その収集家として有名ですし
ベルギーの実業家Adolphe Stocletは、あのクリムトに小紋の柄で食堂を作らせました。

このように、日本美は、フランスに限らずヨーロッパ
全体にに広く影響を与えていたと、お考えになるのが
宜しいのではないでしょうか。
(ちょと日本びいきかも、この点は割り引いて下さい)

最後になりますが、この場をお借りして
前回クラリネットで、拙文の行間を巧みに読み取り
情景を巧みに浮かび上がらせてのご理解に感謝です。

浮世絵のフランス絵画への影響が、学校教育(歴史や美術)でも
大きく取り上げられています。これは日本の伝統美の一面にしか
スポットをあていないと考えております。

桑の樹皮を柿の樹液で固めて作られる型紙(着物などの柄)をご存知でしょうか???
これらが1890年前後に、既にロンドンの有名なLiberty)で
パリでは、日本人経営の商店Hayashiで販売されていました。

絹織物都市リヨン(後に横浜と姉妹都市)の同商人 Emile Leroudier や
東洋美術商のドイツ人Siegried Bingは、その収集家として...続きを読む

Q田中角栄と朴正煕について

(1)田中角栄と朴正煕は、国民の生活水準を向上させた一方、人によって評価の分かれる
  政治家であると耳にしました。2人は似たタイプの政治家だったのですか。
(2)田中角栄の逮捕と朴正煕の暗殺は関連があるという話を聞いたことがあります。
  これは本当ですか。
(3)この2人はどんな関係だったのですか。仲は良かったのですか。

Aベストアンサー

田中角栄氏は皆様御存知の通り、総理大臣に上り詰める過程に於いて「今太閤」と呼ばれ、大衆に絶大な人気を誇った政治家ですが、総理就任後少しも収まらない狂乱物価、そして何より立花隆氏等に依る金脈問題の暴露で退陣を余儀なくされ、その評価が一変「闇将軍・キングメーカー」として常にマスコミに叩かれ続けた人物でもあります。

彼の弱点は尋常小学校卒の学歴であるが故、戦後歴代の総理・大物政治家が可能であった学閥に依る合法的集金システム(当時)が不可能であった事、つまりかなり無理な金集めを余儀なくされた点にある、更に言えばロッキード事件の原点はまさにその点にあったと私は認識しております。

但し政治家・田中角栄の評価は別、何より100件を越える議員立法件数は現在も破られていない記録であり、この事は角栄氏の能力・努力を如実に表していると思われますし、私個人としてはその批判された部分をも含め、未だ彼を越える魅力的な政治家を知りません。

一方朴正煕氏は、その暗殺後30年を経た現在も歴代大統領の人気投票で常にトップを独走する人物であり、特にその出身地である慶尚北道に於いては神の如く評価を得ている人物。
典型的な独裁政権で民主化・学生運動を厳しく弾圧する一方、私生活での清廉ぶりは有名であり、その評価は立場に依り大きく分かれるところです。

彼の最大の功績は、日韓基本条約の締結で日本から得た有償・無償の借款を主として重化学工業に集中投資し、更にはベトナム戦争に参戦してアメリカの最恵国待遇の地位を獲得して輸出立国を志向、世界最貧国の1つと言われた韓国が所謂「漢江の奇跡」に到る道筋を付けた事であると言われます。

>2人は似たタイプの政治家だったのですか

朴正煕氏・田中角栄氏共に創業社長という趣ですが、何より死後に於いて大きくその評価が高まったという点に於いて、酷似していると思われます。

>田中角栄の逮捕と朴正煕の暗殺は関連があるという話を聞いたことがあります。これは本当ですか。

飽く迄推測の域を出ませんが、第1次オイルショックで資源小国の悲哀を舐めた日本が、イスラエル支持からアラブ諸国支持に中東政策を大きく方向転換した事、国際石油資本(所謂メジャー)の頭越しに石油の直接確保を模索した事、及び中国に急接近した田中政権のスタンスがアメリカの国益に沿わなかった事等の理由に依り、アメリカが田中氏の失脚を画策したとも言われています。

一方当時核開発を進めていた朴正煕政権が、それに反対するジミー・カーター大統領と激しく対立、その暗殺にはアメリカも関与した旨の一部報道が為されておりますが、カーター氏は歴代アメリカ大統領の中でもその種の工作に最も否定的な人物、現に同氏が大統領在任中にCIAの予算・権限の大幅削減を断行しており、その為イラン革命の阻止失敗を始めとして無能大統領の烙印を押されている事実からして、同氏暗殺にアメリカのコミット無しというのが私の認識。

田中角栄の逮捕と朴正煕の暗殺は関連云々という話は、つまり両件共にアメリカの関与が疑われるという事であろうかと思いますが、前者はその可能性有り、但し後者に就いての可能性は限りなくゼロに近いと思われますが、如何でしょうか?

田中角栄氏は皆様御存知の通り、総理大臣に上り詰める過程に於いて「今太閤」と呼ばれ、大衆に絶大な人気を誇った政治家ですが、総理就任後少しも収まらない狂乱物価、そして何より立花隆氏等に依る金脈問題の暴露で退陣を余儀なくされ、その評価が一変「闇将軍・キングメーカー」として常にマスコミに叩かれ続けた人物でもあります。

彼の弱点は尋常小学校卒の学歴であるが故、戦後歴代の総理・大物政治家が可能であった学閥に依る合法的集金システム(当時)が不可能であった事、つまりかなり無理な金集めを余...続きを読む

Q【歴史・日本史】菅原道真を祀っている北野天満宮は 当時は天災の神様だったんですね。 そうだと思っ

【歴史・日本史】菅原道真を祀っている北野天満宮は

当時は天災の神様だったんですね。

そうだと思った。

いつから学業の神様になったのだろう?

もしかして天災の神様を奉った神社が学業の神様の神社に変えたのは歴史が浅かったりして。

明治時代に変わったとか?

天災に見舞われて厄除けで建てたのに学業の神様っておかしいと思った。

普通、天災除けで学業の神様を奉る神社建てます?

おかしいでしょ?

全国の修学旅行生と学校の教師は馬鹿だね。

Aベストアンサー

> 明治時代に変わったとか?
西暦では1000年頃には既に文芸の神として尊敬を集め、著名な高官や文化人でもお参りする著名人が多かったようです。
なお、災害を避けたい、恨みの元を絶って起きたいというのは、その当事者(本人や関係者とその係累子孫)だけであって、他の人は、ほぼ最初(左遷される前やその後)から才能豊かな人物として、文化的素養、才能をありがたいものとしして崇め、尊敬していたようです。

http://www2u.biglobe.ne.jp/gln/77/7722/772208.htm
抜粋
匡房の曾祖父匡衡が寛弘九年(1012)に北野社に奉った願文に,公を文道の大祖,風月の本主と云っています。大江氏は菅原氏と並ぶ文章道の家です。北野,太宰府の廟社は忠平の門流に固定した藤原摂関家の庇護と,貴族文人の尊信を得て,次第に学問・文事の神としての神格を獲得し始めました。
室町時代に五山の禅僧の間に云い出された渡唐天神の話は,その代表です。所伝によりますと,鎌倉時代の仁治二年(1241),京都東福寺の開山聖一国師円爾弁円が宋から帰って九州博多の崇福寺に住したとき,夜に道真公が現れて禅を問いました。国師は,自分の師である宋の径山の仏鑑禅師無準師範を師とするよう答えましたところ,直ちに渡宋して禅師に参禅し,衣鉢を受けて帰り,再び国師の前に現れて,与えられた法衣を見せたと云います。この話に基づいて多くの渡唐天神の像が描かれました。手に梅の小枝を持つ中国風の文人像で,天神信仰の一側面を示しています。
法楽とは,神仏の前において講会を営み,楽を奏して供養することですが,北野社における法楽は聖廟法楽と呼び,有志が寄って和歌や連歌を奉納することでした。早くに鎌倉時代の元久元年(1204),北野社の社頭において歌合が行われていますが,室町時代における神前での月次連歌は恒例となりました。天神が生前に進んで冤罪を受け,衆生に代わって悩みを承けたと云う代受苦の信仰も起こり,神恩奉謝のために貴賎を問わず参集し,和歌・連歌を献じて,法楽としました。この時期に,ご神徳の一段と上昇した跡は著しい。
足利義満は明徳二年(1391),北野一万句興行を為し,また足利義教の夢想の発句による千句通夜興行も有名です。この義教が永享エイキョウ三年(1431)北野会所において連歌会を催したのが,北野社の連歌会所の初見で,高山宗砌が会所奉行に任ぜられています。宗砌の次が能阿ノウア,また宗祇ソウギも一時これに任じました。

> 全国の修学旅行生と学校の教師は馬鹿だね。
> 天災の神様に受験合格しますようにって願ってるのを想像したら笑えてしまった
そんなことをいっり書いたりしたら、笑われます。

> 明治時代に変わったとか?
西暦では1000年頃には既に文芸の神として尊敬を集め、著名な高官や文化人でもお参りする著名人が多かったようです。
なお、災害を避けたい、恨みの元を絶って起きたいというのは、その当事者(本人や関係者とその係累子孫)だけであって、他の人は、ほぼ最初(左遷される前やその後)から才能豊かな人物として、文化的素養、才能をありがたいものとしして崇め、尊敬していたようです。

http://www2u.biglobe.ne.jp/gln/77/7722/772208.htm
抜粋
匡房の曾祖父匡衡が寛弘九年(1012)...続きを読む

Q田中角栄元首相はすごいのでしょうか?

田中角栄元首相の功績について本がたくさん出版されています。私はただの馴れ合いによる貸し借り政治のように思います。今も功績について高い評価をする評論家はたくさんいます。本当に田中角栄という人はすごいのでしょうか?教えてください。

Aベストアンサー

5さんの意見が冷静で客観的だと思います。いい悪いは別にして、高度成長期に必要な政策を次々実行し議員立法して答弁に立ち続けた骨のアル政治家です。おかげで旧建設省は世界最大の道路予算を大蔵省に口出しされずに駆使する巨大利権を手にしました。旧建設省官僚は誰も田中氏に足を向けて寝れないほどの恩恵を与えました。
しかし、田中氏自身も言っているように、その後安定成長期に入った日本に必要な政策を実現し答弁に立ち続ける根性のある政治家が90年代に出てこなかったことが現代日本の最大の不幸でしょう。自民党を割って出た当時の小沢一郎にその片鱗が見えましたが、その真意は国民と当事の社会党に理解されず自社政権という腸捻転政権を作るきっかけになってしまいました。その後のわが国の国債乱発と政治的混迷、真紀子氏の妄言、迷走・・・それに益々進む官僚支配を見るにつけ、後継者を育てるのは難しいのだなぁとつくづく感じます。

Q【歴史・中国史と日本史】中国の曹操は女ったらしだったって有名ですか? 妻の出産時に旅中に見つけて一

【歴史・中国史と日本史】中国の曹操は女ったらしだったって有名ですか?

妻の出産時に旅中に見つけて一目惚れした芸者を芸宿の主人にお金を払って買ってきた愛人を家に連れて来て、妻が出産して後に妻と赤ん坊を家に置いて愛人と一緒に港に移住した。

曹操はかなりの女ったらしで、産まれつきの名家で金使いが荒くて、女に金を注ぎ込むことが好きだった。

日本は邪馬台国の卑弥呼の時代。

曹操は卑弥呼に金印をプレゼントしている。

日本の邪馬台国の当主が男だったら殺していたと思う。

日本の邪馬台国がたまたま女の卑弥呼が当主で女ったらしの曹操は卑弥呼とセックスしていると思う。

で、セックスしたお礼に金印をプレゼントした。

というストーリーなら納得出来ませんか?

ちなみに曹操は中国でセックスを断られたら女であっても殺しているので、卑弥呼が曹操とのセックスを断っていたとすると金印のプレゼントもなかったし、卑弥呼を殺して当主を無くさせて国を潰していたと思う。

曹操はど変態だったけど産まれながらに名家の産まれで幼少期から計略を習っており、民の富を奪う略奪者の役人に対しては引っ掛けの罠の経略を役人に向けて差し向けて引っかかった役人と部下は抹殺しているのでわざわざ日本の国の当主を生かしておくメリットはなかったわけで自分の部下を当主にも出来たのにしなかったのはやはり日本の邪馬台国の当主が卑弥呼という女だったことがたまたま殺されなかった偶然だったと思う。

で、卑弥呼も曹操のセックス要求を受け入れたので邪馬台国は曹操から来にられて金印と技術提供を受けて日本の大当主になれたのだと思う。

エジプトの当主に嫁いだクレオパトラと同じ運命でクレオパトラは妻になったけど卑弥呼は愛人の愛人みたいな感じだった。

曹操は妻と赤ん坊を置いてすぐに海の港の方に愛人と一緒に進んでいったので海の向こうの国にも興味があったのだと思う。当時20代前半か30代前半だったと思う。

邪馬台国の卑弥呼と接触したのは曹操が何歳のときですか?

【歴史・中国史と日本史】中国の曹操は女ったらしだったって有名ですか?

妻の出産時に旅中に見つけて一目惚れした芸者を芸宿の主人にお金を払って買ってきた愛人を家に連れて来て、妻が出産して後に妻と赤ん坊を家に置いて愛人と一緒に港に移住した。

曹操はかなりの女ったらしで、産まれつきの名家で金使いが荒くて、女に金を注ぎ込むことが好きだった。

日本は邪馬台国の卑弥呼の時代。

曹操は卑弥呼に金印をプレゼントしている。

日本の邪馬台国の当主が男だったら殺していたと思う。

日本の邪馬台国が...続きを読む

Aベストアンサー

>一目惚れした芸者を芸宿の主人にお金を払って買ってきた愛人を

一文中で同じ人物を違う名称で呼んでいます。(芸者、愛人)
更に、どちらも「を」使っているので、それらの間に修飾・被修飾の関係も成立していません。
結果として意味がワケワカメになっています。


>産まれつきの名家で金使いが荒くて、

「生まれつきの名家」という表現はありません。(この場合は「名家の生まれで」)


>曹操はど変態だったけど産まれながらに名家の産まれで幼少期から計略を習っており、

「産まれ」が重複しています。



>日本の邪馬台国がたまたま女の卑弥呼が当主で女ったらしの曹操は卑弥呼とセックスしていると思う。
>で、セックスしたお礼に金印をプレゼントした。
>というストーリーなら納得出来ませんか?

納得できねーよ。
お前は、曹操がわざわざ邪馬台国までハンコを渡し、日本海を渡ったと思っているのか?
そもそも、その時の皇帝は「曹叡」か「曹芳」で、曹操はとっくに死んでるぞ。



>民の富を奪う略奪者の役人に対しては引っ掛けの罠の経略を役人に向けて差し向けて引っかかった役人と部下は抹殺しているのでわざわざ日本の国の当主を生かしておくメリットはなかったわけで自分の部下を当主にも出来たのにしなかったのはやはり日本の邪馬台国の当主が卑弥呼という女だったことがたまたま殺されなかった偶然だったと思う。

どこから突っ込めばいいんだろう・・・
読点(、)を使ってください。お願いします。



>卑弥呼も曹操のセックス要求を受け入れたので邪馬台国は曹操から来にられて金印と技術提供を受けて日本の大当主になれたのだと思う。

お前は、邪馬台国が当時の日本の全域を支配していたと思っているのか?



>エジプトの当主に嫁いだクレオパトラと同じ運命でクレオパトラは妻になったけど

「エジプトの当主」って何だ?
クレオパトラは元々王女で前王の子の中でも最年長だったぞ。



>卑弥呼は愛人の愛人みたいな感じだった。

おい、その場合だが、卑弥呼=曹操の愛人 だとしても、曹操は誰の愛人になるんだ?



>曹操は妻と赤ん坊を置いてすぐに海の港の方に愛人と一緒に進んでいったので海の向こうの国にも興味があったのだと思う。当時20代前半か30代前半だったと思う。

「思う」かよ・・・

>一目惚れした芸者を芸宿の主人にお金を払って買ってきた愛人を

一文中で同じ人物を違う名称で呼んでいます。(芸者、愛人)
更に、どちらも「を」使っているので、それらの間に修飾・被修飾の関係も成立していません。
結果として意味がワケワカメになっています。


>産まれつきの名家で金使いが荒くて、

「生まれつきの名家」という表現はありません。(この場合は「名家の生まれで」)


>曹操はど変態だったけど産まれながらに名家の産まれで幼少期から計略を習っており、

「産まれ」が...続きを読む


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