「すり鉢」を「あたり鉢」、「梨」を「ありの実」というように、縁起の悪い言葉を言い換える言い方がありますが、「硯」のことをそのような言い方で言っているのを聞いたことがあるのですが、忘れてしまいました。
ズバリなんというのでしょうか、教えてください。
それから、このような言い換えの事はなんというのかも知りたいです。
また、他に言い換える言葉はあるのでしょうか?

A 回答 (2件)

「忌み詞(いみことば)」と言います。



「すずり箱」のことを「あたり箱」と言ったりしますが、「硯」そのものを「あたり」とは言わないようです。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~hi5k-stu/nihongo/imi …
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shinichiroさん、こんにちは。



硯にはさまざまな別称があります。ざっと挙げると、

石使(いしづかい)
石の湊(いしのみなと)
研(けん)
心の湊(こころのみなと)
玉の池(たまのいけ)
筆海(ひっかい)
筆の海(ふでのうみ)
羅文(らもん)

などなど。日本語って豊かですね。
ただ、これらが忌み詞における言い換えに相当するかどうかは、
定かではありません。
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このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q縁起からでる意味と陰陽5行

こんばんはー。
ちょっと質問をー。

以下は、アウトラインとしてですが

ぼくらは意味の世界に生きています。それはニヒリズムを考えれば確かだと思うのですが。つまり意味を失っては生きていけません。
物質は物質という意味があります、それは明確に「意識」の外部への投影だと思ってます。それらがただの電子雲だ、と思ってはいません。

で、その意味というものは、矛盾から発生している、のではないか、と思いました。
というより、意味=矛盾、そのものだと思います。
(もう少しベタな言い方だと、「え? なんで?」、という意味のわからなさ、意味わからへん! なんでなの? と思わず叫びたくなる、そういう経験が、まさに意味を作り出している、という)

意味は、矛盾から生まれて、そして、意味はその自己矛盾故に、必ず消えていく、と思うんです。
つまり、意味を、正しいものとして、ぼくが勘違いしている間だけ、意味は成立している、と思います。
意味は、業や、巡りやカルマ、などと言われるように、ネガティブなものと、必ずセットで成立しています。それは切っても切り離せない、というか、マイナスがあるからプラスがある、という意味です。

意味は、理解できなさ、矛盾を、把握して理解しようとした、まさにその瞬間発生する、と感じました。
それは、人の脳の把握能力による、「無」の分裂、と個人的に思っています。
意味が起こる仕組みそのものは、陰陽5行説が僕はかなり正しい、と感じました。
つまり何もないものが、陰陽2つに分裂する、ということですが。
具体的に、縁起によって、矛盾した意味が作成されるところの仕組みを、陰陽5行説は説明している、と思います。
つまり、現実問題、基本的概念は常にペアでしか存在できない、という事実と、あらゆる概念はこのたくさんあるペアの組み合わせによってできてる、というのは、たぶん・・だいたいは、正しいような気もしますが・・・
ちなみにこの概念の現実的に組み合わさり方は、数学の考え方である、複雑系の状態を取っている、と思っています。樹形図的なイメージです。


意味は矛盾そのもの、というのは、別に現世否定とかではありません。
純粋に、意味のメカニズムとしてお伺いします。
縁起などの言葉の意味は、言葉、概念としては少し知ってるつもりです。
縁起はこの世を空だといってます。つまり、意味は「意味がない」といってるとも解釈できます。この世の意味は本質的な意味がないからこその、空じゃないでしょうか?
つまり意味のできる仕組みを解くことは、縁起を実感すること、と思ってます。

縁起、と言うような上から俯瞰した視線ではなく、
まさにこの世に、今ダイレクトに生きる人間の視点から、分析したいなーと思ってます。そうでないと実生活でこの概念は使えないなーと思うので。

上のように感じながらも、まだ色々実感するには分からないところがあります。
これが分からないんだ、ということができないのがもどかしいんですが。
理屈が日常生活にまで降りてきてくれない!
何か論理に欠けているところがあります。
イメージとしては、概念としての把握じゃなく、感情や衝動や、そういうものが、理由なく生まれるところかな??
感情は、無が時間的に分裂した現れ。人格は空間的に分裂した現れだ、と今のところ把握してるのですが、どう思われますか?
つまり、現世とは、時間と空間に分裂したものであり、その時空間の性質に沿って、感情と人格、という概念が表れてる、と思ってるんですが、今のところは。
いろんな精神病の事例を見ても、それはかなり当てはまっている、と感じるので。
それらは単に「ない」でも、まあいいのですが・・・


多分それは、意味の矛盾を感じてるのは、ぼくだけではなく、だれでも70億人みんなそうなんだ、と言うところが実感としてないような気もします。
つまり普遍的な、意味の作成の仕組みが極めて抽象的故に、具体的な外的事柄に依存しない、だれにでも当てはまるメカニズムなんだ、というところかなと。

上の話をふまえて、加えることや、あるいは間違っている所など、あったらと思いました。
まとまりなくてごめんなさい、というかまとめられないので質問してるんですが・・

自分でも色々勘違いしていることは間違いないんですが、客観的な意見が伺いたいです。仏教的のみの切り口に限らず、ちょっと視野を広げたいなーと。
よろしくお願いします。

こんばんはー。
ちょっと質問をー。

以下は、アウトラインとしてですが

ぼくらは意味の世界に生きています。それはニヒリズムを考えれば確かだと思うのですが。つまり意味を失っては生きていけません。
物質は物質という意味があります、それは明確に「意識」の外部への投影だと思ってます。それらがただの電子雲だ、と思ってはいません。

で、その意味というものは、矛盾から発生している、のではないか、と思いました。
というより、意味=矛盾、そのものだと思います。
(もう少しベタな言い方だと...続きを読む

Aベストアンサー

西洋哲学でも、sheep67さんのようなアプローチを取った方はいますよ。たとえば、シェリング。若かりしころの哲学は、sheep67さんのやりかたと似た形態で「自然の実体」に迫ろうとしてました。
でも結論から言うと行き着くところは、「フラグメント」の哲学です。断片哲学とでも言うべきでしょうか。あなぼこの哲学。体系的哲学の反対です。

(余談ですが、彼は面白いことにA=Bという図式も使ってます。私の「割り算」・「ザル」もこれをもじっているのですが)
もちろん、意図的にアミの形態を取っているので、大きな魚がかかればそれはそれでいいと思います。(これほんと)

よく言えば、ご神託・てんしの哲学(かっこいいのですが・・・)
悪く言えば、まさに「不毛」の禅坊主の哲学です。
でも「し」が、ネックなんですよね。そこでおわり。

このしゅ(主でも種でもいいですが)の哲学には(擬似体系的)背景が常にあります。確かに「あっている」・「あてはまっている」というのは、あります。シェリング自身も、当然か偶然か、「ネガティブな哲学」とよんでいます。シェリングの場合、背景は、(若いころに限定して一義的には)非体系的一神教です。この論の根拠は、「生命の究極は、直感的に把握しようとすると、否定的にしか理解(凝固・固定・圧縮・抽出)できない。」という「事実」・「人知」です。でも、もともとの目的は、「直感」なので、矛盾しているというわけです。いわゆる、芸術的苦悩です。sheep67さんの場合も、現実というコートをまとった「漠然とした神」とか「愛」とかが、ありそうです。それとも仏教的に「種」にする(なる)んでしょうか? 神・愛というものが存在しないとすると、どうするんですか?

一方、わたくしが作ろうとしているのは、戸棚。使う人がいれば、使える道具といえばよいのでしょうか?わかりやすさは、大事だと思ってますので。当然、のこ・かんな・やすりなど基本的道具は、ちゃんと使えないといけません。(わたしは哲学者ではないうえに、雄弁によっては、お金も稼いでませんが・・・)ある種の仕事・ルーチンです。
「哲学者が見ている」といったのもこういう訳です。経験的に言えることは、日本の哲学者は卑怯。禅坊主。自分の「かみたま」を信仰している人たち。sheep67さんやわたくしとは、おおむね、議論をしません。(これだけあおったらやるかな)
ここでもほかのかたの意見がないでしょう。(くだらんことは自問自答するのにね)

sheep67さんは、「これは、のみとハンマーで彫刻を作っている」というイメージでしょうか。「のみ」というツールが作り出す味はありますよね もちろん。

力があるし見た目はいいかも知れません。が、あくまで「芸術の為の芸術」ですよ。でも芸術にとって「人」は大事なんですよ。直感・現実は「sheep67さんにとって」大事なことなのです。

西洋哲学でも、sheep67さんのようなアプローチを取った方はいますよ。たとえば、シェリング。若かりしころの哲学は、sheep67さんのやりかたと似た形態で「自然の実体」に迫ろうとしてました。
でも結論から言うと行き着くところは、「フラグメント」の哲学です。断片哲学とでも言うべきでしょうか。あなぼこの哲学。体系的哲学の反対です。

(余談ですが、彼は面白いことにA=Bという図式も使ってます。私の「割り算」・「ザル」もこれをもじっているのですが)
もちろん、意図的にアミの形態を取っているの...続きを読む

Qかっこいい言葉を教えて下さい! 古文の言葉でも ラテン語でも英語でも とにかくかっこいい言葉を教えて

かっこいい言葉を教えて下さい!
古文の言葉でも
ラテン語でも英語でも
とにかくかっこいい言葉を教えて下さい!

Aベストアンサー

『人を許すのはその人の美しさ』聖書だったと思います。

Q「42」についての縁起の良い意味

ロケーションと、料理がとても気に入り、ビルの42階での挙式を契約しました。
しかし今になって、相手が「42(しに)」という数字をとても気にかけ、ここ最近、何度もこの件で話し合ったのですが、私からなかなか安心させる言葉が出ずに、今となっては結婚式を挙げたくないということも口にしています。
「42」という数字について、すっきりと安心させることができる、縁起の良い意味は何かありますでしょうか?

Aベストアンサー

私の別れた妻がとても数字を気にする人間でした。
40分に外出するのを嫌がったり車のナンバーにも敏感です。
一度、電車に乗る時に私が切符を二枚買って一枚を彼女に渡したら急に不機嫌になりました。
わけを聞いてみると切符には通し番号が振られていますが(私もそういわれて初めて番号に気がつきました)そこが429つまり「しにな」だから気分が悪くなったんだそうです。

私もNo3さんのように理論的に説明、説得しましたがだめでした。
もともと理論的に納得するような人間ならば最初から42という数字にこだわらないと思います。

多分に精神的、気分的な問題です。
おそらくマリッジブルー 結婚することによって始まる新しい生活による不安感を数字に投影させているのでしょう。
ですので「どんな不吉な数字でもそれを跳ね除けて一緒に幸せになろう」というような言葉をかけてあげるのが効果的だと思います。

あるいは7とか8とかの縁起のいい数字をどこかに持ってきて(たとえば招待客のテーブル数など)
「この縁起のいい数字が不吉な数字を相殺してくれるんだって風水のえらい人に相談したら教えてくれたよ」
なんていうのはどうでしょうか?

私の別れた妻がとても数字を気にする人間でした。
40分に外出するのを嫌がったり車のナンバーにも敏感です。
一度、電車に乗る時に私が切符を二枚買って一枚を彼女に渡したら急に不機嫌になりました。
わけを聞いてみると切符には通し番号が振られていますが(私もそういわれて初めて番号に気がつきました)そこが429つまり「しにな」だから気分が悪くなったんだそうです。

私もNo3さんのように理論的に説明、説得しましたがだめでした。
もともと理論的に納得するような人間ならば最初から42とい...続きを読む

Q法政大学は体育会系の大学ですか?またはそのような人が多いですか?

法政大学は体育会系の大学ですか?またはそのような人が多いですか?

Aベストアンサー

法政OGですが、
別に、ごく普通の大学です。体育会所属の部活の人はそうですが、
そうじゃないほとんどの学生は、ごく普通の大学生です。
最近の在校生にも会いましたが、チャラい子は少ないですが、別に体育会系ではないですね。

Q縁起はサーリプッタが説いた?

縁起をゴータマは説いておらず、
サーリプッタが説いたのでしょうか?

一応、縁起の話をサーリプッタは、アッサジから聞いていますが…。

宮元啓一の「仏教誕生」講談社学術文庫によると

129ページ

「サーリプッタはその後、仏教教団の上首として、仏教を各地に伝えるのに多大の功績を挙げた。また釈尊がごく簡潔にしか説かなかった縁起説をより精密に整備展開するのに熱心であった。ある学者たちはのちにかなり形而上学的となる縁起説の基礎を築いたのはサーリプッタであり、その意味で、仏教は、かなりの程度、サーリプッタ教といっても過言ではないという。現に、ジャイナ教の古い経典で、往年の聖者たちを列挙した『イシバーシヤーイム』によれば、ブッダと呼ばれる多くの聖者たちを率いていたのは、サーリプッタであった。」

185ページ

「縁起説は、釈尊よりも、むしろサーリプッタによって大きく育まれたものらしいことが最近の研究で明らかになりつつあること、縁起説は非常に形而上学的なものに転じていったこと、これらが、ここで縁起説に特に触れない理由である。」


引用ここまで。


それからどうやらジャイナ教のイシバーシヤーイムによると
サーリプッタはブッダとも呼ばれたらしいです。

このジャイナ教の経典を私は読んでいません。

ゴータマの代わりに説法もしていたようですが、
ブッダであるサーリプッタの思想とは何だったのでしょうか?

縁起をゴータマは説いておらず、
サーリプッタが説いたのでしょうか?

一応、縁起の話をサーリプッタは、アッサジから聞いていますが…。

宮元啓一の「仏教誕生」講談社学術文庫によると

129ページ

「サーリプッタはその後、仏教教団の上首として、仏教を各地に伝えるのに多大の功績を挙げた。また釈尊がごく簡潔にしか説かなかった縁起説をより精密に整備展開するのに熱心であった。ある学者たちはのちにかなり形而上学的となる縁起説の基礎を築いたのはサーリプッタであり、その意味で、仏教は、かなりの程度...続きを読む

Aベストアンサー

こんばんはです。



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縁起をゴータマは説いておらず、
サーリプッタが説いたのでしょうか?
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困ったなぁ~(苦笑い)。
むかし読んだ本によると、仏教をサーリプッタ教と呼んでいて、その開祖はサーリプッタ、というようなことを書いたバラモン教の論書もあるらしいんだよね~。
でも、これらの記述は仏教の敵対勢力の記述ものなので、これを鵜呑みにしていいのか、これも疑問。今の時代もそうでしょう、敵対する宗教に対して、色々と難癖をつける。あることないことを交えて、まことしやかに言いふらす。この手の話は、信じていいのやら、悪いのやら。。。です。

サーリプッタは、アーナンダに比べて、それほど重要な役割を果たしていないんだよね~、パーリ語仏典では。サーリプッタが中心的な役割を果たすのは、むしろ、大乗になってから。チョコッとネットで読んだのだけれど、中村元は、アーナンダに語らずゴータマ・ブッダがサーリプッタに語った教えが大乗の誕生の一因になった言っているらしいけれど、文献学的な確かな裏づけはないらしい。どうなんでしょう、真相は。

むしろどっちかと言うと、ゴータマ滅後、仏弟子は、サーリプッタを目の敵にしていたらしいよ。サーリプッタ、ゴータマにつく前に、六師外道で有名なあの方の有力なお弟子さん。つまり出身が賤しい。サーリプッタは懐疑論的な異端的な思想を有していたため、なんて言われてます。このあたりの記述は、中村元訳《スッタニパータ》の《コーカーリヤ》の註で、たしかほんの少し触れられていたと思います。

とにかく、仏教の歴史的なことは、それを裏づける資料がないので、な~んも分からない、というのが実情。
なので、ゴータマ・ブッダに端を発した縁起説が、仏弟子たちによって、長い時間をかけて、整理拡張されたって考える方が理にかなっていると思うのよ。


ところで、一つ、質問。
あなたの言う《縁起説》って、何を意味するの?
「○○に縁(よ)って△△が生まれる」みたいなシンプルな縁起説。
それとも、
「無明→行→識→…」の十二支縁起みたいな奴?

十二支縁起のようなまとまった体系は、ゴータマ・ブッダは説いていない、と思います。
おそらく、ゴータマ・ブッダの説いた原初的な奴を、後世の仏弟子たちが徐々に徐々に拡大していった。。。。
シンプルな奴は、《スッタニパータ》や《ダンマパダ》にいくつも見られるので、これはゴータマ・ブッダが説いたと考える方が、理にかなっていると思います。
インド人、聖典をすごく大切にするんだわ。一字一句間違えることなく、正確に覚えるんだわ。口承で長い間、伝わっても、ほとんど変化しないんだわ。

こんばんはです。



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縁起をゴータマは説いておらず、
サーリプッタが説いたのでしょうか?
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困ったなぁ~(苦笑い)。
むかし読んだ本によると、仏教をサーリプッタ教と呼んでいて、その開祖はサーリプッタ、というようなことを書いたバラモン教の論書もあるらしいんだよね~。
でも、これらの記述は仏教の敵対勢力の記述ものなので、これを鵜呑みにしていいのか、これも疑問。今の時代もそうでしょう、敵対する宗教に対して、色々と難癖をつける。あることないことを交えて、まことし...続きを読む

Q四文字は縁起が悪い?

ドジョウ料理を食わせる店の暖簾にはきまって「どぜう」とありますが、その由来について、「どぢやう」では四文字で縁起が悪いので三文字にした、という説を何かで読んだ記憶がありますが、商売上、三文字(あるいは奇数)は吉で、四文字(あるいは偶数)は凶だと考えるような習慣は果たして何に由来するのでしょうか。またそういった風習は今でも存続していたりしますか。

Aベストアンサー

ちょっとずれるかもしれませんが・・・
蕎麦屋などでご飯ものを頼むとタクワンがついてきますよね?
あれって2切れが多いじゃないですか。
1切れ=人切
3切れ=身切
4切れ=死切
5切れ=多すぎ(笑)
だかららしいですよ。

Q「ジンクス(JINX)」という言葉の意味について

雑誌を見ていたら、読者投稿コーナーで「効き目バッチリ マイ・ジンクス」という特集があり、「宅配便の配達人を見た日は、大抵懸賞に当選する」だの、「駅のエスカレーターに右足から乗ると、電車の乗り継ぎがいい」だの、おおよそ「ジンクス」とは正反対の投書ばかり載っていたのでびっくりしました。

私は「ジンクス」とは、「縁起の悪いもの、悪いこと」を意味するものとずっと理解していたし、辞書にもそう載っています。

最近、意味が変わったのでしょうか・・・?(っていうか、勝手に変えただけ?)
「縁起の良いもの」と言う意味で使って、外国人に対して、恥ずかしくないものでしょうか?

Aベストアンサー

外国の言葉が日本に入ってくると、もともとの意味とのズレが生じることがしばしばあります。ジンクスの他にも、スマート、チャレンジなど、いろいろあります。もとの単語とは違う意味として、日本語に受け入れられ、そのように皆が使っているようであれば、英語は英語、日本語は日本語と割り切るしかないですね。慣例によって、語の正否が決まるような面があるからです。英語を使うときだけは混同しないように注意しなくてはなりません。

大辞林の定義です:

縁起のよい、または悪い言い伝え。また、縁起をかつぐ対象とする物事。「緒戦は勝てないという―がある」「―を破る」

プログレッシブ英和の定義:

〔名〕《略式》(…に)悪運をもたらす(とされる)人[物],縁起の悪い人[物]《on》...;《単数形で》悪運;不運の時期・状態
------------------------------------------------------------------------
・put a ~ on
…に不幸をもたらす
・break [smash] a ~
ジンクスを破る
・There seems to be a ~ on everything I do.
することなすことけちがついて回るようだ.
------------------------------------------------------------------------
〔動〕〔他〕《略式》
------------------------------------------------------------------------
1…に悪運[不幸]をもたらす,けちをつける.
2…を台なしにする.
jnxed〔形〕

外国の言葉が日本に入ってくると、もともとの意味とのズレが生じることがしばしばあります。ジンクスの他にも、スマート、チャレンジなど、いろいろあります。もとの単語とは違う意味として、日本語に受け入れられ、そのように皆が使っているようであれば、英語は英語、日本語は日本語と割り切るしかないですね。慣例によって、語の正否が決まるような面があるからです。英語を使うときだけは混同しないように注意しなくてはなりません。

大辞林の定義です:

縁起のよい、または悪い言い伝え。また、縁起を...続きを読む

Qこの言葉は誰の言葉?

「努力したからといって必ず成功するとは限らない、しかし成功したものは必ず努力している」という言葉を聞いたことがあります。とてもいい言葉だと思います。ところでこれは誰の言葉なんでしょうか。有名な古人の言葉なんですかねぇ??それから正確な言い回しを知っている方もぜひ教えた下さい。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

努力したものが全て報われるとは限らない。しかし、成功したものは皆すべからく努力している。

これは マンガ「はじめの一歩」の一説ですね。
ただ 似たようなものは いろいろあります。

プロゴルファーの倉橋隆行さんも おっしゃってますし
昔から ある言葉ですね。

ただ 有名になったのは
上記のマンガからではないでしょうか?

Q縁起と空

「これあればかれあり、これ滅せばかれ滅す」というのが縁起であると聞きました。
これをP、かれをQとすると、縁起は「P→Q、¬P→¬Q」となりさらに「¬P→¬Q」の待遇は「Q→P」となります。つまり縁起は「P→Q、Q→P」となりPとQの相互依存性を示しており、その相互依存性が空であると考えてよいのでしょうか?
またPとQあるいはこれとかれは変項であるので、この相互依存性から
「五蘊皆空」であり、「五蘊皆空」であれば「色即是空」であると考えてよいのでしょうか?
また「色即是空」は色⇔空なので「空即是色」であると考えてよいのでしょうか?あるいは「色即是空」と「空即是色」は別の意味なのでしょうか?
質問が多くて申し訳ないのですが、よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

十分ぐらい悩みました。確かに間違いやすいですよね・・・
「因果関係」と「空間の関係」は別物なんでしょうねえ。

元々が因果関係(縁起)を示す文章なので、「あれば」というのは「生じる」の意味です。その意味で考えていくと

ア.「Aが生じればBが生じる」
イ.「Aが滅せばBが滅する」

イ.の対偶は
「Bが滅していなけばAは滅していない」

合成すると
「Aが生じればBが生じる。Aが滅せばBが滅する」
「Aが生じればBが生じる。Bが滅していなけばAは滅していない」
質問者様のいう
「Aが生じればBが生じる。Bが生じればAが生じる。」
とは意味が異なると思います。

「滅していないこと」と「生じる」ことは違うということではないでしょうか。

また縁起を離れ「あれば」で考えるならば「存在する」「存在しない」で考えるべきでしょう。
「完全な自動車があるならば、それにタイヤもある。それにタイヤがなければ完全な自動車ではない」

>色即是空」は色⇔空なので「空即是色」

「青森県人は日本国人である。よって、日本国人は青森県人である」が成り立たないのと同じですね。

十分ぐらい悩みました。確かに間違いやすいですよね・・・
「因果関係」と「空間の関係」は別物なんでしょうねえ。

元々が因果関係(縁起)を示す文章なので、「あれば」というのは「生じる」の意味です。その意味で考えていくと

ア.「Aが生じればBが生じる」
イ.「Aが滅せばBが滅する」

イ.の対偶は
「Bが滅していなけばAは滅していない」

合成すると
「Aが生じればBが生じる。Aが滅せばBが滅する」
「Aが生じればBが生じる。Bが滅していなけばAは滅していない」
質問者様のいう
「Aが生じればB...続きを読む

QAさんはB君をC君と重ね合わせている。みたいな言葉で、漢字二文字の言葉なんでしたッヶ?

勘違いして思い込んでしまっているというか、そういう似たものに騙されてしまっていると言う言葉が思い出せません。教えてください。

Aベストアンサー

「交錯」「錯誤」でしょうか。


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