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5月6日、NHKBSの放送によると、江戸から故郷因島に里帰りした秀策は、再び江戸に戻る途中、大阪で井上因碩と対局した。このとき有名な耳赤の一手も生まれました。この対局は単なる練習試合だったのでしょうか、それとも結果が幕府に報告され身分や俸禄に関わるような公式戦だったのでしょうか。

A 回答 (1件)

僕もその番組見ていました。

多分、練習試合みたいなものだったのでしょう。秀策が因島から江戸へ帰る道すがらといっていましたから。公式試合だったら江戸城でやる御城碁でしょうし。でも、幕府は知っていたと思いますよ。何せ、相手が当時碁所に近い位置にいた(のかな?詳しくは良く知らないけど)井上因碩ですから。多分、見てみぬ振りしていたのかなと思います。
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この回答へのお礼

やはり練習試合だったのでしょうか。現代でもタイトル戦のように地位に関わる試合では名局は出にくいと言うそうですが、練習試合だったからこそ後世にのこる一局になったのでしょうか?

お礼日時:2006/05/08 19:05

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