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 私は愛国的日本人で、よく保守系の人の書いた歴史書を読みます。

 過去の歴史の問題について、まず日韓併合はロシアの脅威に対抗するためであったこと(決して、韓国が言うように搾取するためではない)、併合が合法的に行われたこと、日本の統治下で韓国は飛躍的に発展したことなどの点から説明されていて、納得が行きます。

 しかし、日中戦争についての説明はいまだに良く分かりません。とりあえず、満州については満州人の土地であって、果たして中華民国に属したのかは疑問というのは理解出来ます。

 しかし、盧溝橋の衝突以降の日本の戦闘は正当化できるのでしょうか? たしかに、盧溝橋に駐在していた日本軍は、北清事変の後の講和条約により、駐屯していました。しかし、これも中華民国政府は出て行って欲しかったのに、無理やり居座っていたのではないでしょうか?中華民国はなんでこの条約を改定しようとしなかったのでしょうか?(日本が許してくれなかった?)また、いくら盧溝橋で衝突したとはいえ、戦闘を中国全土に拡大することは正しかったのでしょうか?

 左の人たちが言う、軍人たちが勲章が欲しかったので全面戦争に突入したとか、満州に期待した資源がなかったので、中国本土への侵略を開始したというのは、本当なのでしょうか?

 よろしくお願いします。

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A 回答 (22件中1~10件)

【回答No.1】


私は日本に生みなされ、日本で育てられ、日本で生活させて頂いている日本人です。何千年もの昔から、この国土を守り、薫り豊かな伝統と文化を育み、強い経済力の日本を残して下さった祖先に感謝しています。私たちは祖先の苦労に思いを馳せ、祖先を敬い、祖先を崇(あが)めなければならないと思います。

私は、日本の戦争については、日本人の立場で語ります。歴史学者のように日本の戦争を第三者の立場で歴史解釈するようなことはしません。さて・・

【質問】>盧溝橋に駐在していた日本軍は、北清事変の後の講和条約により、駐屯していました。しかし、これも中華民国政府は出て行って欲しかったのに、無理やり居座っていたのではないでしょうか?中華民国はなんでこの条約を改定しようとしなかったのでしょうか?

【回答】滿洲事変の前、中国人は満鉄の並行線を敷設して日本の権益を侵害したり、在留日本人の生活を脅かす行動に出ました。それが滿洲事変の原因になったのですが、万里の長城以南の中国各地でも、日本権益や在留日本人の安全を脅かす動きが多く、日本軍を撤収する訳にはいかなかったのです。仮に中華民国政府が日本に条約改定を要求しても日本は応じなかったはずです。

【質問】>左の人たちが言う、軍人たちが勲章が欲しかったので全面戦争に突入したとか、満州に期待した資源がなかったので、中国本土への侵略を開始したというのは、本当なのでしょうか?

【回答】すべて国内左翼のウソ、デタラメです。私たち日本人の祖先である(多くの)軍人たちの名誉のために言いますが、勲章が欲しいために中国と戦争を始めることなどあり得ません。祖先を信じてよろしい。日中戦争の目的が資源の確保にあるならば、事前に日本政府の閣議や、大本営の会議や、御前会議で戦争目的を決定するはずですが、その事実はありません。日中戦争拡大の裏には、国際共産主義者の謀略があったのです。

この回答への補足

 大変分かりやすい、理路整然としたお答え、ありがとうございました。

 私は基本的にhinode11さんの立場は正常だと思います。通常、人間は自分の国には同情的なはずです。そして、それに対して、他国がそれぞれの立場から反論を出してくる。そして、この意見交換を通じて、お互い擦り寄っていくという感じでしょうか。日本の場合は、戦後にマルクス主義史観に染まった学者がソ連、中国寄りの歴史観を広めて、ややこしくなってしまいました。いまだに国内でコンセンサスがありません。

 ところで、「滿洲事変の前、中国人は満鉄の並行線を敷設して日本の権益を侵害したり」というのは、具体的に国民党政府が行ったのでしょうか? それは嫌がらせのためですか? 実際、鉄道には莫大なコストがかかるので、採算が取れなければ行わなかったと思うのですが。

 国際共産主義の陰謀については、それが事実ならば、もっと徹底的に調べ上げて、中国に証拠を突きつけたいですね。

補足日時:2006/05/10 04:26
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サンフランシスコ講和条約で、明治初期の領土に戻ったとありますが、質問者様の立場は、講和条約に歴史的解釈がないという立場なのですから、明治初期の領土の歴史的正当性は認めないということでしょうか?


謀略をめぐらすのは、共産主義だけでしょうか?
多くの日本国民が亡くなってしまったのに、謀略にはまった責任者は誰と誰ですか?
日本側の調査だけでも可能と思いますが、お教えください。
その責任者は、どういう責任を取りましたか?

この回答への補足

Modoki666さま、

>サンフランシスコ講和条約で、明治初期の領土に戻ったとありますが、質問者様の立場は、講和条約に歴史的解釈がないという立場なのですから、明治初期の領土の歴史的正当性は認めないということでしょうか?

 講和条約では別に相手の歴史的解釈を受け入れていう訳ではありません。戦勝国から「明治初期の領土に戻せ」といわれて、敗戦国は仕方ないからそうするのです。これはあくまで力関係と交渉による国境線の変更であり、相手の歴史認識を受け入れたわけではありません。実際、韓国併合にアメリカは賛成しているのに、サンフランシスコ講和条約では日本を弱体化させるために、韓国を独立させたのでしょう。

 日本は日清戦争の講和条約で台湾を、日露戦争の講和条約によって南樺太を得ました。これだって別に、清やロシアが日本の歴史認識を受け入れたのではないでしょう。サンフランシスコ講和条約も基本的に同じ構造です。

>謀略をめぐらすのは、共産主義だけでしょうか?
多くの日本国民が亡くなってしまったのに、謀略にはまった責任者は誰と誰ですか?
日本側の調査だけでも可能と思いますが、お教えください。
その責任者は、どういう責任を取りましたか?

 何をおっしゃりたいのか良く分かりませんが、ご存知の通り、日本の戦争指導者は東京裁判で「平和に対する罪」などというでっち上げの訴因で裁かれました。ただし、私は日本を勝ち目のない戦争に引き込んだ指導者たちが決して良かったなどとは言いません。彼らは「更迭」などの行政罰を受けるべきであって、刑罰の対象ではありません。もちろん、捕虜の虐待などをした人間は刑事罰を受けますが、戦争指導の誤りは刑事罰の対象ではありません。基本的に軍隊はGHQによって解散させられて、職業軍人はみんな「クビ」になっているのではないですか?(別に、だからといって、これで十分責任を取っているとは言いませんが。)他に何をさせたら良いのでしょうか?

補足日時:2006/05/14 14:23
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蒋介石の国民党が日本と戦うことになった主な理由は次の通りです。



(1)蘆溝橋事件の前年の昭和11(1936)年12月12日、蒋介石が西安で部下の張学良に監禁される事件が起きました(西安事件)。張学良が中国共産党と通じて蒋介石を裏切ったのです。この時、毛沢東は蒋介石の処刑を主張しましたが、ソ連共産党のスターリンは許さず、国民党と同盟して(→国共合作)日本軍と戦うように命令しました。そこで共産党の周恩来が蒋介石から、共産党に敵対する方針を修正して共産党と協力するという言質を取りつけて蒋介石を釈放しました。蘆溝橋事件発生後の昭和12(1937)年7月17日にも周恩来が蒋介石を訪問して対日戦争に立ち上がるように要求しました。
(2)ソ連政府から国民政府(蒋介石)にも日本と戦うように要請がありました。この当時、蒋介石の息子の蒋経国がモスクワに留学中でしたから、蒋介石としては、息子がソ連の人質に取られているようなものでした。蒋介石はソ連政府の要請を拒絶できませんでした。昭和12(1937)年8月21日、国民政府とソ連との間で中ソ不可侵条約が締結され、国民政府はソ連から大量の武器援助を受けることになりました。

昭和12(1937)年8月15日に、国民政府は国内に対日抗戦総動員令を下しましたから、想像ですが、蒋介石が最終的に対日戦争を決断をしたのは8月13日ないし15日の頃ではないでしょうか。

ところで、日中戦争を画策したのはソ連と中国の共産主義者だけではなく、日本の共産主義者も大きく関わっていました。また、日米戦争は、ソ連、日本、アメリカの共産主義者が引き起こしたものでした。これら国際共産主義者の謀略の全貌はスケールが大きく、とてもここでは書ききれません。

研究したい方は次の本を読んで下さい。日本がなぜ「負ける戦争」をしたのか、大東亜戦争がなぜ国益を損じる戦争だったのかが、非常によく分かります。(私は、本の著者と出版社とは何の関係もありません。)
(1)三田村武夫(著)『大東亜戦争とスターリンの謀略』(自由社)
(2)中川八洋(著)『大東亜戦争と開戦責任』(弓立社)

※(1)の本については、もし、出版社に在庫がない時はこの掲示板に書きこんで下さい。入手の方法をお教えします。
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この回答へのお礼

hinode11さん、

 共産党というのは本当に困ったものですね。「共産党陰謀史観」については、実際にまだ共産党国家(中華人民共和国)が隣にあるし、また衰えたとは言え、日本共産党は健在なので、なかなか歴史学者がおおっぴらに研究出来ないのでしょう。

 私から見て、共産主義というのはコンピュータ・ウィルスのようなものです。いつの間にかいろいろな所に浸透して、本来誰でも持っている愛国主義(いわば基本ソフト)を破壊し、彼ら独自のマルクス主義的史観にプログラムを換えてしまう。

 ソ連が倒れ、共産主義の夢が破れた今こそ、共産主義の害毒について、日本人はもっと認識すべきですね。

お礼日時:2006/05/13 07:55

回答No.19の年表に間違いがありましたので年表を全て書き直します。

申し訳ありません。


昭和12(1937)年7月7日、中国側から日本側へ最初の第一発が放たれた(盧溝橋事件)。

同年8月13日、上海で中国軍が日本海軍陸戦隊に攻撃をし掛けた。

同年8月14日、上海で中国軍機が日本の軍艦を空襲、日本租界に無差別空爆を加えた。

同年8月15日、日本海軍機が南京などを(報復)空爆した。


このようにして、8月中旬に至って、日本と中国は全面戦争になりました(第二次上海事変)。

ここまでの日本の行動はすべて正当でした。
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昭和12(1937)年7月7日、中国側から日本側へ最初の第一発が放たれた。

(盧溝橋事件)
同年8月13日、中国軍機が上海の日本軍艦を攻撃し、日本租界に無差別空爆を加えた。
同年8月15日、日本海軍機が南京などを(報復)空爆した。このように、8月中旬に至って、日本と中国は全面戦争になりました(第二次上海事変)。ここまでの日本の行動はすべて正当でした。

さて、いったん戦争になってしまうと、特殊論理が働きます。その論理とは、「戦争は何がなんでも勝たなければならない」というものです。戦争に負けたときの惨めさは、現代の日本人が一番よく知っています。敵国(勝者)が行った東京裁判では、いくら自衛戦争だと主張(東條首相)しても聞いてもらえません。日本は侵略戦争をしたと決め付けられました。サンフランシスコ講和条約では、台湾、朝鮮のほかパラオ島など太平洋の島々の領土を放棄させられました。さらに、それらの地域にあった財産の全てを失いました。要するに、明治時代の初めの頃の日本に戻ってしまったのです。

その一方で、一夜で10万人の死者を出した東京空襲、一発で8万人の死者を出した広島の原爆、シベリア抑留と称する60万人日本兵捕虜虐待など、敵国(勝者)の戦争犯罪は不問となりました。勝てば官軍、負ければ賊軍です。国際法を無視してもよい、どんなに汚い手を使ってもよい、始まった戦争には絶対に勝たなければならない。とにかく勝者にならなければならないのです。当時の日本人も「勝てば官軍・・」を理解していました。

(戦争の歴史を見れば、いったん始まった戦争は、前記の特殊論理が働き、互いに勝とうとして戦力をどんどん注ぎ込むから必ず拡大します。戦争が拡大するのは戦争の生理のようなものであり戦争の本質と言ってよい。)

第二次上海事変のあと、同年12月10日の南京攻略戦まで一気に行ってしまったのは、それこそ“必然”であり、やり過ぎとは思いません。敵国(中国)の首都は南京であり、首都を占領して敵に白旗を上げさせなければ戦争を終えられないからです。

吹っかけられた戦争に勝つための南京攻略戦ですから、南京を占領したことに正当性は無かったと言えるのでしょうか。

     

この回答への補足

hinode11さん、

 本当にこう見てみると、国民党が日本と戦ったのは不可思議ですね。とりあえず、国民党は内戦で忙しく、満州になど興味がなかった。また、不倶戴天の敵である共産党を倒したかった。日本だって、イデオロギー的に見て、敵は共産党なのであり、本当は仲良くしたい国民党と結局戦争になってしまった。やはり、共産党の策略なのでしょうか?

 今でも、政府と国会は親米派と親中派に分かれていますが、大東亜戦争の過ちを繰り返してはいけませんね。共産党なんかと仲良くしても、絶対に良いことはありません。アメリカの方が数千倍ましでしょう。

補足日時:2006/05/12 13:36
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正当性(社会通念上、法律上正当と認められること)


この場合の正当性とは、国際社会で、正当と認められること。
つまり、客観性を持つものであり、多くの国が正当として認めること。
つまり国際的に結ばれた条約等に正当性があるのです。
自分が正当と考えるといっても、それは主観的なものであり、正当と考えるもの同士で同意しても、それは自分自身を慰めるものでしかない。
正当と考えることと、正当性があることには、大きな違いがあるのです。
国際法とは、国と国同士が結んだ条約等の積み重ねで作られているわけですから、日本が結んだ歴史上の条約の積み重ねが、日本にとっての正当性があるものなのです。
つまり、戦前の日本の行動についての答えは日本自身が、受け入れたポツダム宣言や東京裁判やサンフランシスコ講和条約や日中や日韓で結ばれた条約の中にあるわけです。
質問者様の趣旨が、アンケートに近いものであるならアンケートのところで、質問ならやはり客観的な答えしかないと思いますが。

この回答への補足

modoki666さま、

 お返事ありがとうございます。すいません、全体の趣旨が良く分からないので、確認させてください。

>正当性(社会通念上、法律上正当と認められること)この場合の正当性とは、国際社会で、正当と認められること。つまり、客観性を持つものであり、多くの国が正当として認めること。

 理想的にはそうですが、実際例えば日中の間の戦争の解釈について、興味を持っているのは日本、中国、韓国くらいです。「国際社会で、正当と認められる」のは難しいです。まあ、学者の間での議論はあると思いますが。

>つまり国際的に結ばれた条約等に正当性があるのです。

 条約は当事者の間でだけ有効なのであって、その他の国は関係ありません。

>自分が正当と考えるといっても、それは主観的なものであり、正当と考えるもの同士で同意しても、それは自分自身を慰めるものでしかない。正当と考えることと、正当性があることには、大きな違いがあるのです。

 歴史については、歴史的事実とその解釈がありますが、日中、日韓についてはこの歴史的事実の確認すらちゃんと行われていないのです。だから、とりあえずお互いに歴史的事実の確認を行い、それからお互いの解釈を俎上に乗せて、議論すべきでしょう。

>国際法とは、国と国同士が結んだ条約等の積み重ねで作られているわけですから、日本が結んだ歴史上の条約の積み重ねが、日本にとっての正当性があるものなのです。つまり、戦前の日本の行動についての答えは日本自身が、受け入れたポツダム宣言や東京裁判やサンフランシスコ講和条約や日中や日韓で結ばれた条約の中にあるわけです。

 条約の条文には歴史解釈など入っていません。サンフランシスコ講和条約で「東京裁判(の判決)を受け入れる」とありますが、これも別に東京裁判史観を受け入れるという意味ではなく、日本国民(ABC級戦犯)が東京裁判で受けた判決に対して、以後賠償等を求めないという意味でしょう。

 唯一の例外は日中共同声明で前文に「日本側は、過去において日本国が戦争を通して中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。」と出ていますが、これが具体的にどの戦闘を指しているのか定かではありません。

>質問者様の趣旨が、アンケートに近いものであるならアンケートのところで、質問ならやはり客観的な答えしかないと思いますが。

 すいません。おっしゃる意味が良く分かりません。

補足日時:2006/05/12 00:44
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 他の方々のようにはまったく詳しくはございませんが、私も質問者さまと同じ疑問を持ちその答えを探し続けているものです。


 さて日中戦争が正しかったか否か、私ごときにはとてもお答えできる範疇ではありませんが、ごく乏しい私の読書量のなかでも、田原総一郎さんが著書「日本の戦争 なぜ、戦いにふみきったか?」(小学館)のなかで述べておられるものが、これはと思える説得力のあるものでした。おそらく、とうにお読みのことでしょうが、その要旨を一部丸写しいたしますことをお許しください。

 それでは軍中央の大勢が、なぜ「戦線拡大路線」をとったのか

「この際鬱積した北支の懸案を一挙に実力行使で解決せよ、とする純強硬論から、参謀本部作戦課や陸軍省軍事課のように、ある程度の実力行使がかえって事態の解決を迅速ならしむべしなどの意見が大半を占めた」(参謀本部戦争指導担当・堀部一雄大佐『支那事変戦争指導史』)
───という資料をもって、東条、武藤や田中たちには一度軍事的痛撃を加えれば中国側はたちまち萎縮して抵抗を放棄するだろう、という中国蔑視が根底にあったのであろう、と田原氏は記述しています。
 また、「中国情報を担当する参謀本部第七課は、動員の発令だけで、あるいは輸送船か軍用列車を進発させるだけで中国側は屈服するだろう、と唱えていた」との福田和也氏の論も見られます。

 ですので私も、閑院宮参謀総長が天皇に上奏して、本格的に出兵すれば決着まで「3ヶ月くらい」と答えたように、当時の軍上層部には対戦国としての中国を甘く見すぎたという不明があったのではと、軽々しくも感じた次第です。 
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この回答へのお礼

pdfさん、

 お返事ありがとうござました。そうですね、戦前の日本の軍部は中国に対しても、米国に対しても、甘い考えを持っていました。

 ところで、田原さんというんは昔は「左」でしたが、今、どんどん「右」になって行ってますね。もともとは理想主義者でしたが、ジャーナリストとして、いろいろと取材をして、現実を知って、保守的になったのでしょうか。

お礼日時:2006/05/12 01:08

盧溝橋での最初の発砲の翌日(8日)、中国共産党中央委員会は、日本人に立ち向かうように国民を扇動し、国民党に対しては、対日戦争に立ち上がれと要求する電報を発しました。

電報の要旨は「7月7日午後10時、日本は盧溝橋において中国の駐屯軍に対して攻撃を開始した・・この挑戦的行為の結果・・」と始まり、「・・全国の同胞諸君! 北平、天津危うし、中華民族危うし、全国民族が抗戦を実行してのみ、われらの活路あり! われらは進攻する日本軍に対し、直ちに断固反撃を加えるとともに新たな大事変に即応する準備を急げ・・」と檄を飛ばし、国民党軍には直ちに総力を挙げて日本軍と戦うように要求している。(7月8日、中国共産党中央委員会発信、中国名『七・八通電』、電報タイトル「為日軍進攻蘆溝橋通電」。)
7月7日午後10時に日本軍が中国国民党軍に攻撃を開始したというのはウソで、実際は、7月7日午後10時40分に中国側から日本側へ発砲したのが事件の始まりです。しかも、日本軍の最初の発砲は、翌朝(8日)の5時半でした。日本軍は”進攻”などしていません。この電報に、中国共産党の意図が読み取れます。共産党はこのように、中国人および国民党を意図的に対日戦争に駆り立てました。

通州事件の前日(?)も、中国軍が日本軍を攻撃中であり、日本軍は敗走を始めた、などとウソの情報を流しました。それを聞いた冀東政府保安隊(中国人兵士)は、日本人が去ると日本に協力していた自分達は中国人から酷い扱いを受けるだろうと恐れ、日本人を保護するという任務を放棄して日本人を襲った訳です。日本人居留民保護を中国人に任せられない以上、華北へ師団を送り込むのは当然です。そして、その結果、本格的な戦争に移行したとしてもやむを得ません。中国共産党が戦争を望んだのですから。私の頭がおかしいとは思いませんよ。

盧溝橋事件の翌月の8月9日、日本海軍陸戦隊の大山大尉らが中国保安隊に惨殺された事件も中国共産党の工作員が仕掛けたものでした。

4日後の8月13日には、中国軍機が上海港の日本軍艦に攻撃した上、何と、日本租界の民間人に無差別空爆を加えたのです。これを受けて日本側は8月15日に海軍機によって南京などを空爆しましたが、こうした報復攻撃は自衛行動です。ここに、日中両国は本格的な戦闘状態になりました。やはり、日本側に正当性があります。

(首都占領を”北京占領”と受け取ったのは私の早トチリでした。お詫びします。)

この回答への補足

hinode11さん、

 またまた、詳しいご説明ありがとうございます。

 いわゆる共産党陰謀説については、まだまだ日本人の間で知られていませんね。これが本当であるのならば、大いに国民世論を喚起し、真相を追究したいですね。国民全体が目覚めれば、歴史学者も一生懸命に調査するでしょう。今は、一部の歴史学者によって、ほそぼそと行われているのが実情なのではないでしょうか?

補足日時:2006/05/12 01:09
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>#12氏


困りましたなぁ。あなたと分かり合えるとは思いませんがとりあえず。
(1)何が不可解なのかが不可解です。
(2)教科書に沿った回答内容なのですがそれが何か。
(3)通州事件が大好きな人たちに前から聞いてみたかったのですが、
事件を起こした冀東防共自治政府は関東軍が造った日本の傀儡政権です。事件の実行者の保安隊には関東軍からの軍事顧問もいました。
ようするに飼い犬にやられたということです。中国側から見れば身内同士の醜い争いといったところ。
それを理解した上で通州事件を正当性に結び付けようとしているのなら、少し頭がおかしいのではないかと思います。
通州事件が日本でマイナーなのはそういう理由があるからです。

#11の首都占領とは南京攻略のことを言っているのですが、通じませんでしたか?

この回答への補足

thisawayさん、

 お返事ありがとうございます。私も通州事件については、ちょっとひっかかっています。既に疑問を提示しましたとおり、ウィキディペディア(項目によって違いますが、保守的な意見が多い)の通州事件の説明でも、一応、冀東政府から補償金も支払われて解決済みとなっています。

 ところで、「少し頭がおかしいのではないかと思います。」というのは、きつい表現ですね。相手の理論の展開のし方を批判するのは良いと思いますが、その人自身を批判するのは良くないです。せっかく素晴らしい議論をされているのですから、もう少し穏やかにお願いいたします。<(_ _)>

補足日時:2006/05/11 16:19
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【訂正】



下記の『』内の文章は、#12に書くべきところ、誤って#13に書いてしまいました。お詫びして訂正します。

『 私は日本人として日本の戦争の歴史を解釈します。満州事変と大東亜戦争は別々の戦争です。満州事変から始まって大東亜戦争終結までを一連の戦争(→15年戦争)として捉える日本人がいますが、その人達は中国共産党の術中に嵌められたと言わざるを得ません。満州事変は日本の国益に適う戦争でしたが、大東亜戦争は日本の国益を損じる戦争でした。

※大東亜戦争:昭和12(1937)年7月に始まった対中戦争(支那事変)から昭和20(1945)年8月のポツダム宣言受諾までの8年間の戦争の総称(対米、対英、対蘭戦争などを含む)』
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