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「古文書」は「こぶんしょ」でなく「こもんじょ」と読む。

とありますが、なぜ「こぶんしょ」ではいけないのか、ということに関し、合理的な説明を見たことがありません。

また「もんじょ」と「ぶんしょ」の違いについても同様です。

参考となる図書やサイトをご存知でしたら教えてください。

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A 回答 (8件)

漢音か呉音かの違いであって、どっちの読みを使うかは、単なる慣習的なものだと思いますが。


大抵の場合、呉音の方が古くから使われている読みですから、歴史的に「文書」は「もんじょ」と読まれていたのでしょう。それが時代の流れとかで「ぶんしょ」と読まれるようになったんだと思います。「文章」も古くは「もんじょう」と読みました。
そもそも歴史っていうのは、昔のことを研究する学問なんですから、今風の読み方をする方がむしろ不自然でしょう。少なくとも私にはそう思えます。だから歴史を研究する者がそのまま呉音を使い、それが歴史用語として定着したのではないでしょうか。つまり、ルールというよりは慣習だと思います。
私自身、古代史をちょっとかじった程度ですが、「太政大臣」なんかは「おおまつりごとのまえつぎみ」とほとんど無意識に読みますし。

漢音が使われるようになった経緯なんかは言葉によっていろいろでしょうが、やっぱり流行とかに左右されることが多いんじゃないでしょうか。
たとえば、「関西」は普通は「カンサイ」と読みますが、関西学院なんかは「カンセイ」と漢音で読みますね。あれは当時の新進学徒が漢音で読む風潮があったから、そう読ませる(正確には「クヮンセイ」だそうですが)のだそうな。当時のかっこつけ言葉と思っていいんじゃないですかね。よく言えば流行語。「彼氏」とかもイマドキ語では語尾を上げるでしょう。あれと同じようなものだと思いますよ。
仏教語は一般に呉音で読まれることが多いですが、宗派によってわざと区別することもあるようですし、同じ漢字で違う意味を複数持つ言葉なら、読みによって意味を区別するのは非常に合理的。そういう理由で読みを変えていった言葉もあるんじゃないでしょうか。

ちなみに、Wikiを参考として載せておきます。「各音読みの使用状況」のあたりに「文書」が出てますよ。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E8%AA%AD% …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
大変参考になる回答でした。

お礼日時:2006/05/12 14:27

理由1.「古い文書」と「古文書」とを区別する。



「ふるいぶんしょ」と区別する意味で、「こもんじょ」と読むのでしょう。『大辞泉』(小学館)を引くと、次のようになっています。
こもんじょ【古文書】
古文書学上の用語。特定の相手に意志を伝えるために作成された書類のうち、江戸時代以前のもの。特に相手が定まっていない記録、すなわち一般の著述・編纂(へんさん)物・備忘録・日記などとは区別される。(引用終わり)

例えば、「大文字」を「だいもんじ」と読めば、「おおもじ」と区別されますね。大文字焼きは、京都市の五山送り火ほか各地にあります。

理由2.ジャーゴンは、わざと変な読み方をする。

前述のように、「こもんじょ」は古文書学の用語です。
ジャーゴン【jargon】
仲間うちにだけ通じる特殊用語。専門用語。職業用語。転じて、わけのわからない、ちんぷんかんぷんな言葉。(小学館『大辞泉』)

例えば、「口腔外科」は「こうくうげか」と言います。しかし、「体腔」は「たいこう」、「満腔の敬意を表する」は「まんこう」ですから、「口腔」は「こうこう」と読むはずです。だが、医学界では「こうくう」と読みます。お医者さんに教養がないからではありません。どちらの読みが由緒正しいかというよりも、専門用語はまるで「わざと」みたいに変な読み方をすることがあります。医学界に限りません。法律用語などにも多くの例が見られますね。

> なぜ「こぶんしょ」ではいけないのか、ということに関し、
> 合理的な説明を見たことがありません。

> 専門家の間では確かに存在するルールだと思うのです。

発想を転換なさってみてはいかがでしょうか。「もんじょ」という古い読み方(呉音)が残った経緯などはあるにしても、ギョーカイの慣わしで「わざと」やっていることに、合理的な理由を探し求めても詮無いことです。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。
大変参考になりました。

お礼日時:2006/05/12 14:38

現在でも効力のある文書が「ぶんしょ」、効力がすでに失われている文書が「もんじょ」だと、学生時代に聞きました。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2006/05/12 14:30

細かいことは判りませんけど「もともと「もんじょ」と発音していた」んでは無いでしょうか。

もんじょの旧い物ですから「こもんじょ」。それだけの話なのでは。

帝国時代に下って標準語が定められたときに「ぶんしょ」という読み方が決まったとか言うことはないでしょうか。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。
No.5さんご指摘のページからみても、Scullさんの推測で正解かと思います。

お礼日時:2006/05/12 14:29

ことばについての、へんなクレーム、という印象ですが。


例えば、「天気」をなぜ「てんき」と読むのか、その合理的な説明をもとめますか。
「古文書」は「こもんじょ」と読む。その読み方を知れば、それですむことではないでしょうか。

「文」という漢字は、「文章」「文学」では「ぶん」ですが、「文句」「文部省」では「もん」と発音します。したがって「古文書」は文句、文部省とおなじ系統の読み方ですね。

同じひとつの漢字が、異なる読み方をされるのは、その漢字が日本に伝わってきた時代の違いからきています。奈良時代のころに留学生が唐の都、長安で習ってきた音が漢音。それ以前にすでに入っていた、主として南方の音が呉音。

これが平安時代には、朝廷によって漢音がつよく奨励され、それまで呉音でいわれていた語も漢音になおされたのですが、すでに慣用が固定していたものは呉音で残ったのです。その最たるものが仏教語です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>例えば、「天気」をなぜ「てんき」と読むのか、その合理的な説明をもとめますか。

「天気」には「あまき」などという読み方はありません。

しかし、「文書」には「ぶんしょ」「もんじょ」の二つの読み方があり、しかもその二つはほぼ同義でありながら、全くの同義ではないようにも思えるのです。

言葉足らずでしたが、「ぶんしょ」と「もんじょ」の違いが分かれば「こもんじょ」と読む理由も判明するかと思っています。

お礼日時:2006/05/12 14:24

 #1です。


 どうやらご質問は、ニュアンスの発生に関するものだったようですね。言葉の問題かと思っていました。

 古文書を「こもんじょ」と発音するのは、「ふるぶんしょ」と発音すると意味が変わるからです。
 日本語は特に「同じ字に違う読みを当てる」という特殊な用法が可能である関係上、違うものに対して同じ字が当たる場合に、「読み方を変えることで新しいニュアンスを作る」という作業がしばし行われてきました。
 「ふるぶんしょ」だと、単に古くなってしまった書類のことを挿してしまいます。
 ですが古文書は歴史研究において重要な価値があるものなので、単に「古いだけの文書」ではないのです。そこで、「こもんじょ」という別の読みを当てることでニュアンスを変えることにしたわけです。

 ではなぜ「こぶんしょ」ではいけないのかというと、これは言語の自然淘汰の問題ですので、合理的な説明がないのは当然です。
 古文書という言葉が発明された当初は、当然ながら「こぶんしょ」と発音する人もいたでしょう。
 ですがこの読みでは、どうしても「ふるぶんしょ」のニュアンスが残ってしまうため、自然と淘汰されて「こもんじょ」という読みが一般的になったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:2006/05/12 14:16

この事は呉音と漢音と唐音という漢字の読み方について調べてみる事をお勧めします。

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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。

お礼日時:2006/05/12 14:14

 そもそも「『こぶんしょ』と読んではならない」というルール自体が存在しませんので、合理的な説明がないのは当然です。


 「書」を「じょ」と読ませていることから分かるとおり、この言葉は発音しやすいよう、単語の言い換えが行われています。
 本来であれば「こぶんしょ」もしくは「こもんしょ」と読むのが文法上は正しいのですが、それでは発音しづらいので、もっとも言いやすい「こもんじょ」が採用されているわけです。

 もしあなたが、どの単語も言いづらいと感じなかったとしたら、それは現代日本語の複雑な発声に慣れているからかもしれません。
 「ヴ」「ウェ」「ヒ」などのいくつかの単語の発声を得意としなかった昔の人だからこそ、言い換えが必要だったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

私の質問が舌足らずだったようです。

ルール自体が存在しないとのことですが、それは恐らく日本語の発音上の問題であって、歴史家など専門家の間では確かに存在するルールだと思うのです。

「古」の文字を抜きにして
「ぶんしょ」と「もんじょ」の違い、というか、
どのように区分されているか、ということに関してご教示いただければ幸いです。

お礼日時:2006/05/08 10:08

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目処と目途の使い分けについて教えてください。
送り仮名に違いがありますか。
PC辞書で「めど」の変換を探すと目途が入っているのもありますね。
これは明らかに誤用ですよね。

Aベストアンサー

めどはやまと言葉ではないでしょうか。もしそうなら漢字は当て字であり、どちらが正しいというものでもなく、世間で一般的にどう使い分けされているかということに過ぎないと思います。

広辞苑ではめど(目処)もくと(目途)と分けて記載されているだけで説明がなく
不親切です。朝日新聞社の漢字用語辞典では、めど(目処、目途)とあり、私のPCでも、めどで両方が転換できます。

解決のめどがつくとか、目標達成のめどが立ったなどと使われるので、
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Q本日天気晴朗ナレドモ波高シ……は何故名文なのか?

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本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

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どうもしっくりきません。

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教えてください。

Aベストアンサー

この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。

名文として後に有名になったのは
1.先ず海戦に勝ったこと。(負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。
2.これから出撃します。と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。

つまり、兼ねて準備していた連合艦隊は予定どおり、故障艦も脱落艦もなく、直ちに出撃し敵を撃滅することを前文で伝えています。後半の天気の文章も海軍の現場の人にはいろいろな情報を伝えています。即ち、本日は天気に恵まれ海上の見通しは非常に良い。砲撃戦に理想の天気である。しかし、海上には高波が見られるので、魚雷艇などを使った細かな作戦を実行するには難がある。本日の戦いは砲撃で決着がつくだろう。

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この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。

名文として後に有名になったのは
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Q「プロデューサー」と「ディレクター」の違いについて

 テリー伊藤氏の或る本を読んでいたら、次の一節が出てきました。
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 これってどういう意味なんでしょうか?
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 テレビ業界に限らず、映画・アニメ・音楽などの業界での話として、どなたか説明してくださる方、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんばんは。

まず、

>「プロデューサーとしてはダメだったけれどもディレクターとしては優秀」というのならなんとなくわかるんですが(自分で企画を立てられるほど発想が豊かでない、アイデアマンではないけど、他人に指示を出すのはうまい)

という認識が、理解を妨げている気がします^^;

ディレクターとは、No.3の回答者さんが仰る通り、演出を行なう者の事です。
演出とは頭の中の考えを表現する事ですから、それこそ『発想が豊か』かつ『他人に指示を出すのがうまい』事が求められます。

一方、「プロデューサー」が行なう事は、制作全般の運営・管理です。
企画立案、資金調達(企画売り込み営業等)、スタッフや出演者のキャスティング、スケジュール管理、予算管理、作品のクオリティー管理などなど。
従って、プロデューサーはこれら制作管理の立場から、場合によってはディレクションに口を出すこともあり、ポジションとしては紛れも無くディレクターの上司に当たります。

即ち、ディレクターは演出力のみ発揮すれば良いですが、
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とりわけ、企画を通す、とか予算を引っ張って来る、なんて事はどんな業務より困難なのは明らかですよね。

しかしながら、以上は理想であり建前です。
現状は演出力のないディレクターや何もやらないプロデューサーを大勢見てきました。
ですから、『プロデューサーは「企画する人」』というのは、本来は間違いではありませんが、自分で企画を起さない人も多数いますから、むしろプロデューサーに絶対必要な資質というわけではないのでしょう。
現にテリー氏の会社には構成作家を何人も抱えていて、プロデューサーが企画を立てたい時は彼等を自由に使える仕組みになっています。

「営業」も然りで、テレビ局等との関係によっては勝手に仕事が舞い込む場合もあったりして、自らの営業力を発揮しないプロデューサーも少なくありません。

では、テリー氏の言う優秀なプロデューサーとは何を指すのかと言うと、
『企画を“然るべき”作家に立てさせる』
『その企画を“然るべき”スポンサーやテレビ局に通して資金を調達する』
『企画を遂行できる“然るべき”スタッフや出演者をブッキングする』といった、
当該企画に必要な“然るべき”人物達を見極められるだけの十分な【人脈】と、
それらと折衝を行ない使いこなす【コミュニケーション能力】ではないでしょうか。

私が業界に入った当初、私の師匠から「ディレクターになれなくてもプロデューサーにはなれる」と教わりました。
その意図するところは、ADや制作進行、助監督など(現場によって呼び名や職務は様々ですが)下積み業務をこなしているうちに自ずと制作管理全般の知識は身に付き、加えて、多くの人々に出会い人脈も構築できる。だから仮に演出能力がない場合に備えて人望を磨いとけ、というものでした。
ちなみに、テリー氏と私の師匠は元同僚なので同じ教育を受けて同じ考えを持っていても不思議ではありませんし。

加えて、
他の方々も指摘してらっしゃる通り、ディレクター達は往々にしてコスト意識が薄く、
それに対してプロデューサーは「金がかかり過ぎ!」などと怒ったりぼやいたりするのが常ですが、ディレクターのアイデアが実現できるように立ち回りつつも、同等の効果が得られしかも安く上がるような提案を積極的に行なうようなアグレッシブな予算管理を行なう事なども良いプロデューサーの資質だと思います。
また、それをしないと商業映画のプロデューサーなら即失格でしょう。

それから、

>ディレクターとしてはダメだったけれどもプロデューサーとしては優秀

ご承知かも知れませんが、
プロデューサーになるには必ずディレクターを経るというわけではなく、ディレクターを目指して業界入りしても修行半ばでプロデューサーに目標を変える人や、最初からプロデューサーを目指して業界入りする人も大勢います。
要するに、ディレクターはプロデューサーへの通過点ではなく、
プロデューサーはディレクターの成り損ないでもないという事をご理解下さい。

こんばんは。

まず、

>「プロデューサーとしてはダメだったけれどもディレクターとしては優秀」というのならなんとなくわかるんですが(自分で企画を立てられるほど発想が豊かでない、アイデアマンではないけど、他人に指示を出すのはうまい)

という認識が、理解を妨げている気がします^^;

ディレクターとは、No.3の回答者さんが仰る通り、演出を行なう者の事です。
演出とは頭の中の考えを表現する事ですから、それこそ『発想が豊か』かつ『他人に指示を出すのがうまい』事が求められます。

一...続きを読む

Qお寺の名称の「山」と「院」と「寺」はどういう意味ですか

 お寺の「山」と「院」と「寺」はどういう意味ですか。
先日、千葉県の重俊院というお寺に行きました。重俊院というのは通称で、正しくは森川山重俊院出羽寺というそうです。森川出羽守重俊の菩提寺なのでそこから名をとったそうです。そのまんまやんか・・・。さて、お寺の名称には○○院と○○寺と○○山がありますが、どうちがいますか。すべての寺には○○山○○院○○寺という「山」「院」「寺」がセットになった「正式名称」のようなものがあるのでしょうか。でも法隆寺には「山」も「院」も聞いたことがないです。

Aベストアンサー

○○山○○院○○寺というな名前をそれぞれ山号、院号、寺号と言います。この中で実は院号だけは少し別枠で考えていただくとして、普通は寺の正式名称は○○山○○寺という形で表します。

#2の方の言う通りですが
寺号はその寺の名前です。建立者や開祖が名前をつけるのが普通で、その寺を造るにあたっての気持ちがこめられます。

山号はその寺院のある場所を示すことが原型です。昔の中国では仏教寺院は山の中に立てられるのが普通で、その山の名前をとって山号としました。やがて平地に建てられた寺院も山号をつけるようになります。

で、山号+寺号が正式名称となる場合が多いのです。しかしまあ、日本では成田山など特別な場合を除いて寺号だけで寺を表すのが普通ですし、法隆寺・興福寺・東大寺など奈良時代以前に建立された寺に山号はありません。

さて、院号ですが、「院」というのは大きな寺などの中にある付属した施設や建物の名前です。本山など大きな寺だとその寺の系列の末寺があったりするわけですが、その中で本山と同じ境内の中にあるものを普通は院と言います。その寺の住職などが引退したあとに暮らすためのものであったりするわけで、山号+寺号+院号とするか、寺号+院号でその院を示します(ご質問の場合は人の名前を元にしているので順番が少し異なるようですね)。

なお、法隆寺については上にも書いたように山号はなく、#1の方のお答えになっている
「聖徳宗総本山」というのは山号ではありません。

○○山○○院○○寺というな名前をそれぞれ山号、院号、寺号と言います。この中で実は院号だけは少し別枠で考えていただくとして、普通は寺の正式名称は○○山○○寺という形で表します。

#2の方の言う通りですが
寺号はその寺の名前です。建立者や開祖が名前をつけるのが普通で、その寺を造るにあたっての気持ちがこめられます。

山号はその寺院のある場所を示すことが原型です。昔の中国では仏教寺院は山の中に立てられるのが普通で、その山の名前をとって山号としました。やがて平地に建てられた寺院も山号をつ...続きを読む

Q「輩(やから)」ってどういう意味ですか?

テレビやラジオで関西の芸人さんが「ヤカラや」って言ってるのを聞いたことがあるのですが

意味が分かる方、教えてください。

関西方面の言葉(大阪弁)なのでしょうか?

Aベストアンサー

大阪出身のものです.
疑問に思われたということは,一般に使われている「・・・する人たち」というような意味ではなく,いきなり一つの名詞のようにして「やから」が出てきたのではないですか?
もしそうなら,それは「やくざや不良など,理不尽な言い分を押し付ける人」という意味に使われているものです.特にやくざ限定というわけではなく,街のおっさんでも,変な因縁をつけてきたら,やからです.
また,「やかられる」(=因縁をつけられる,からまれる)などという言葉もあります.

Q「基」と「元」の使い方

経験を"もと"に話す。
上記の場合の”もと”は元、基のどちらが正しいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

はじめまして。

ご質問1:
<上記の場合の”もと”は元、基のどちらが正しいのでしょうか?>

「基」になります。

1.「経験を"もと"に話す」とは言い換えれば「経験にもとづいて話す」ことと同じです。

2.「もとづい(て)」は「もとづく」の連用形です。

3.「もとづく」は「基づく」という漢字しか存在しません。

4.従って、ここでは元、本、素などの漢字は適切ではありません。


ご質問2:
<経験を"もと"に話す。>

1.「~をもとに」という語感が「~を元に戻す」といった語感になるため、「元」の漢字を想定されたのだと思われます。

2.しかし、ここで使われる「もと」とは「土台」の意味になります。

3.他の漢字「元」「本」などには「土台」「ベース」といった意味はありません。

4.従って、ここでは基が適切な漢字となります。

以上ご参考までに。

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q『更迭』と『罷免』の意味

皆様、こんにちは。

最近何かとよく耳にする『更迭』と『罷免』ですが、意味が同じように思えてなりません。(他にも『解任』などもあったりして)

どちらも、『人を辞めさす』という意味で間違いないと思いますが。
gooの国語辞典で調べると、『罷免』は単に辞めさす事。
『更迭』は他の人に変える事とでてきます。
だとしたら、『更迭』の用法としては『○○を△△に更迭する』という形となると思うのですが、新聞やTVなどメディアでは『○○を更迭』と使っている気がします。
これは単にメディアがきちんとした使い方をしていないという事なのでしょうか?

なんだかうまくまとまりませんが、『更迭』と『罷免』について分かりやすい用法や明確な違いをご存知の方がいらっしゃれば是非教えて下さい。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

罷免--免職と同じで、辞めさせる事. **を罷免する。はやくいえば首
解任---任を解く  課長の任、地位を解く。**さんを解任するはその人の任(地位)を解くで、**さんを辞めさせるという事ではない。結果的には首もあるでしょう.
更迭---人を変える。**を更迭する。--に***を更迭でもいいし、**を更迭するでも、どこへ行こうが更迭をされる事実がわかれば、いいのだから、**を更迭でもかまわいと思います.地位を下げられる人もあり.

Q「いずれか」と「いづれか」どっちが正しい!?

教えて下さいっ!
”どちらか”と言う意味の「いずれか」のかな表記として
「いずれか」と「いづれか」のどちらが正しいのでしょう???

私は「いずれか」だと思うんですが、辞書に「いずれか・いづ--。」と書いてあり、???になってしまいました。
どちらでもいいってことでしょうか?

Aベストアンサー

「いずれか」が正しいです.
「いづれ」は「いずれ」の歴史的かな遣いですので,昔は「いづれ」が使われていましたが,現代では「いずれ」で統一することになっていますので,「いずれ」が正しいです.

Q"Can you celebrate?"ってどういう意味??

安室奈美恵さんの「Can you celebrate?」
という曲がありますが、そもそもこの英語はどういう意味ですか?
(誰が誰に対して言っている言葉なのでしょう・・・)
「Will you celebrate our marriage??」
とかならわかるのですが、celebrateが自動詞ではおかしいと思うのですが・・

Aベストアンサー

中傷だけで終わるのも何なので補足します。

Nagatosさんは、英米人なら絶対しないような間違いと、する間違いの区別ができてないようです。質問者さんは、「Can you celebrate?」はどっちですか?と聞いているみたいですが、それを理解されてないので、議論が平行線になってるみたいですね。

例えば日本の黒板消しの商品名で「Clean Elaser」というのがありました。これは明らかに米英人はしない間違いです。意味不明です(「きれいに消せる黒板消し」と言いたいのだろうが、「黒板消し自体がきれい」という意味にしか聞こえない)。こんな間違いは英語の歌詞にもないでしょう。

結論を言うと、「Can you celebrate?」は微妙なところだと思います。「Clean Elaser」ほどひどくはないけど、英米人は言わないでしょう。でも、歌詞になら使ってもおかしくはない・・かな??という感じです。聞くひとも、意味はかろうじて推測できるかなという程度だと思います。賢いひとなら、こんな詩は書かないでしょうね。

慣用だからとあきらめずに、正しい英語を使おうと努力する姿勢を評価したいですね。

中傷だけで終わるのも何なので補足します。

Nagatosさんは、英米人なら絶対しないような間違いと、する間違いの区別ができてないようです。質問者さんは、「Can you celebrate?」はどっちですか?と聞いているみたいですが、それを理解されてないので、議論が平行線になってるみたいですね。

例えば日本の黒板消しの商品名で「Clean Elaser」というのがありました。これは明らかに米英人はしない間違いです。意味不明です(「きれいに消せる黒板消し」と言いたいのだろうが、「黒板消し自体がきれい」という...続きを読む


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