以前から悩んでいたんですが、人間以外の生物(植物は別)は本当に色が見えないのでしょうか、

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A 回答 (6件)

神経生理学を専門にしている者で、この辺は専門のど真ん中ではないのですが、周辺領域なので知っている範囲でお答え致します。


色覚を備えるためには網膜の光を受容する細胞が色に反応する必要があります。そのための細胞が円錐細胞(Cone)と呼ばれるものでヒトでは3種類あり、赤、青、黄(緑だったか?)の光に対応しています。他の動物では、魚類も色覚を持っており、金魚も3種の円錐細胞を持っているはずです。魚類の網膜での色覚の研究というのはかなり幅広くなされており、学会でも多くの発表があります。その他の動物では詳しく存じませんが、動物の進化につれてこの性質も受け継がれてきたときいてますので両生類、は虫類、鳥類は色覚を持っていると理解してました。ただ、ほ乳類に進化するとき、円錐細胞が突然変異により無くなった(3種の内、2種の数が激減した)ために、ほ乳類は色覚を失ってしまいました。ところが、さらに霊長類に進化するとき、また突然変異により円錐細胞を獲得したために霊長類は色覚を回復しました。面白いのは現在のヒトの祖先は旧世界ザルと考えられてますが、この旧世界ザルで色覚が回復したのは間違いないのですが、新世界ザル(南北アメリカのサル)も色覚を持っています。そこで、新世界ザルと旧世界ザルが進化の段階で別れる前に色覚を回復したのか、別れた後だったのか、ということが学会で論争になったことがありました。大方の予想は別れる前と言うことでしたが、研究の結果別れた後でこの2種は偶然にも両方で突然変異がおこった、と結論づけられ、(平行進化(2つの形質が独立して獲得され進化していく)の良き例としてあげられます。しかしながら(というか、そのため)、色を認識するための脳の構造は新、旧両世界ザルでは必ずしも同じではありません。
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「3原色」(赤青緑)をそれぞれ感じる能力があれば、3原色によって作られる「色」が区別できることになるのですが、「青」の感知能力がない動物が多いのだとか。


そういえば、自然界で青い色をしたものは少ないです(青空とかのぞくと)。

もともとが夜行性の動物は、そもそも色を必要としませんし、昼行性でも、もくもくと草を食っている牛なども、必要がない。

生存のために必要でない能力は進化の過程で発達しない、というのがよくあるパターンだと思います。

なお、魚類で「色の区別ができる」実験というのを、30数年前の小学生教材でみたことがありますので、
>ながい間学者さんの見解は間違いだったとのことですね、
という学者さんばかりではなかったと思います。
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鳥類を含め、ほとんどの動物は色が識別できます。

昆虫でも当然、花の色を区分できるように、多くは色覚をもちます。(色の区分は我々と違いますが)例外が哺乳類です。哺乳類の祖先は一時、爬虫類との生存競争に敗れて低いニッチに追いやられ、薄暗いところで生活していたので色覚が退化したと言われています。霊長類に色覚が復活したのは、樹上生活の主食であった果実を判別するためと言われていますが、正確な理由は誰にもわかりません。飛行をおこなう鳥類において、視力の発達が著しいのと同様に、樹上生活を起源とした霊長類も、平行視の可能な発達した眼球をもち、視角が発達していますので、単にその一環かもしれません。
肉食動物に関するTVの実験では、彩度ではなく明度に反応している可能性もあるので検証が必要でしょう。(モノクロ写真で同じようにみえるかどうか)
暗いところでは色覚が発達しない理由は視細胞の違いによるものです。暗い場所と明るい場所での視細胞の違いと、それに伴う適応の違いに関しては、別途調べて見てください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
参考になりました、いままでは偉い学者さんたちが人間しか色の区別がないとのことでしたが、私は、そうでしたら何故鳥類、魚類たちに色があるのだろう、やはり彼らは彼らなりの色の見分け方があるのでは、乱暴な言い方ですが彼らが色盲ならそのような色は必要ないと考えます。ながい間学者さんの見解は間違いだったとのことですね、

お礼日時:2002/02/11 09:17

以前、犬猫の色覚についてやっていたテレビを見ました。

少なくとも『赤』系に関する感受性はあるようです。
その説明では『肉食系の動物はその食餌の関係で赤に感受性があるのでは?』という結びでした。

実際飼い犬やネコで(お皿などで)試してみましたが、確かに赤系の皿のほうが受けがよかったですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
参考になりました

お礼日時:2002/02/11 09:02

 おはおうございます!



専門家ではないので間違ってるかもしれませんが、一応知ってることを書きますね。

人間以外の動物はすべて色盲かというとそうではありません。猿などの霊長類は色が識別できますし、他の動物でも糸の違いがわかるものもいます。

しかし犬、牛など多くの動物は全くの色盲か、ごくわずかな色しか判別できません。

色というのは光の波長の違いのことですから、視神経の波長対する感度が幅広いものがいろいろな色を感じることができるのです。

逆に人間には見えない波長の光や音を感じることのできる動物もたくさんいます。犬などは目よりも鼻や耳のほうが発達してるんじゃないですかね。(もちろん人間よりはということですが)

余談ですが、昔のテレビで(今もかな?)超音波でチャンネルを変えるリモコンがありましたが、耳には聞こえないのにラジカセのマイクにはわかるようで(笑)、ちゃんと録音されていましたよ。もちろん人間の耳に聞こえる周波数に代わってましたけど、音が出ていた証拠をつかんだようでうれしかったことを覚えています(笑)

質問から外れてすみません。
動物の体って不思議なことがたくさんあるから面白いですね^^
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この回答へのお礼

ありがとう
やはり少しは色が見えるようなんですね、

お礼日時:2002/02/09 10:28

人間以外でも、猿には色がわかるようです。


また、ミツバチや金魚やハトも3色性の色覚をもっていると考えられているとのことです。
詳しくは(あまり詳しく書いてはありませんが)参考URLをどうぞ。

参考URL:http://www.ocular.net/jiten/jiten017.htm
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この回答へのお礼

おはようございます
色覚サイト拝見しましたありがとう

お礼日時:2002/02/09 10:31

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Aベストアンサー

あくまで個人の見解として受け止めてください。
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回答お願いします

Aベストアンサー

無教養をお許しください。m(_ _)m
ですが、私は人間以外の生物には存在しないと思います。

私達、人間からすれば、動物達による「縄張り争い」「権力闘争」あるいは、多種族(シャチがアザラシ等)を使って行う、「子への狩の仕方の伝授」等が、いじめに見えるだけだと思います。

私は、彼ら(動物)が人間の様に、憂さ晴らしや快楽の一部として行っているとは思えません。

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哺乳類の大多数は意思を持ってそうです。

その他の動物はどうでしょうか。

或いは昆虫や植物はどうか。

植物は音楽が好きなんて聞きますね。

正の走行性やら生存本能やらで、昆虫は本能のまま行動しているから意思はないとは言いますが、本能も意思の一種ではないでしょうか。

脳があるかないかの基準が1番わかりやすい気がしますが、そもそも脳=思考の中枢かすら疑わしいです。

そこで、

「人間以外の生物の意思」
について、皆様の考えをご自由にお聞かせ下さい。

Aベストアンサー

こんにちは。
まず本質的な問題から取り上げますと、現在、生物学では、例え人間であろうともその脳内に自由意志の存在を認めることはできないという考えが持ち込まれています。
我々の脳が如何に高度な情報処理を行おうとも、それは進化の歴史の中で遺伝的に構築されたシステムであり、その全ては生物学的利益の延長線でしかありません。つまり、我々は自分の意思で生きているのではなく、自然界の意志によって活かされているのです。従いまして、全ての生物がこの原則に従う限り、そこに自由意志の存在は否定されます。

ですが、古くは哲学、現在でも心理学や法律においてそれぞれに意思の定義というものがあり、それは概念として実在します。では、他の動物にも我々人間と同様にそれがあるかどうかを論ずるとしますならば、そのためにはここで意思の生物学的な定義というものを明らかにしなければなりません。
何でもかんでも他人の言うことばかり聞いていますと、あいつには自分の意思がないなどと言われます。このように、意思といいますのはこの時点では単にそこに宛がわれた概念でしかありません。では、この在る無しを生物学的に決定しようとしますならば、脳内にその行動選択の動機となる「意思決定の機能」を見付け出せば良いのです。

このサイトでは度々同じネタでちょっと恐縮なのですが、我々高等動物の脳内では行動選択を司る中枢が以下のように三系統に分かれています。
「本能行動:脳幹~脊髄」
「情動行動:大脳辺縁系」
「理性行動:大脳新皮質」
このうち、本能行動と情動行動は定められた反応に基づく「無意識行動」であるため、これを自分の意思と呼ぶことはできません。では、これに対しまして大脳皮質の理性行動とは未知の結果を想定して行われる「計画行動」であります。本能や情動はその場の反応であるため、ここでは未来の結果を予測することはできません。ですが、大脳皮質では過去の学習結果などを基に今現在の入力情報とはまた別の可能性を導き出します。これにより、我々は複数の対応策からその何れかを選択することができるわけです。

イヌやネコにも感情があるとされていますのは、その脳内で情動反応を司る大脳辺縁系の働きによるものです。我々哺乳類や鳥類などの高等動物は爬虫類から進化を遂げたため、その脳はみな上記のような三層構造になっています。では、これによる行動の選択を意思決定機能と呼ぶならば、イヌやネコにも自分の意思があります。そして、恐らくサルやイルカ、あるいはカラスなど、巷に比較的賢いと感じる多くの動物たちがこれにより、我々人間とほぼ同様の意思決定を行っているであろうことに疑いの余地はありません。
我々動物の意思決定とは、それは複数の結果を比較して行動を選択することです。そして、少なくともそのためには大脳皮質の発達が条件ではあるのですが、果たしてこれは意思の大きさではなく、基本的には思考能力に比例することです。

ところが、ここにどうしても問題がひとつあります。実は、我々動物の行動選択といいますのは、これは厳密には意思決定ではありません。
我々の脳内で行動選択の動機として働くのは「意欲」や「欲求」であり、果たしてこれは本能や情動の機能によるものです。ですから、大脳皮質が如何に高度な計画行動を想定したとしましても、そこに動機が発生しなければ一切の行動に移ることはできません。つまり我々の脳内では、大脳皮質には決定権というものがないのであります。
では、行動選択の最終的な動機となる欲求といいますのは本能や情動に従うものです。ですが、果たしてここで行われるのは外部入力に基づく定められた反応であり、これは自分の意思ではありません。

「美味しそうなケーキ屋さんがあるけれど、お小遣いがもったいないから我慢しよう」
美味そう:情動
食べたい:本能
お金を節約しようというのは極めて理性的な計画行動であります。ですが、大脳皮質には決定権というものがありませんので、最終的な判定はここで再び情動機能に託されます。ケーキを食べたいと思うのが欲求であるならば、お金がもったいないと思うのが必ずしも理性ではなく、結果的には紛れもない人情であります。いったい、どちらが自分の意思だったのでしょうか。
我々は選んだ方を自分の意思と考えます。ですが、脳内で実際に存在するのは果たして与えられた状況を基に行動を選択するための機能でしかありません。我々はその結果を意思と呼んでいるのですが、飽くまでこれは生物学的構造によるものであり、何処を探しても我々の脳内に意思というものは見当たりません。そして最初に述べました通り、現在では多くの生物学者、脳科学者が神経系を有する動物に蓋然的な自由意志の存在を否定しています。

こんにちは。
まず本質的な問題から取り上げますと、現在、生物学では、例え人間であろうともその脳内に自由意志の存在を認めることはできないという考えが持ち込まれています。
我々の脳が如何に高度な情報処理を行おうとも、それは進化の歴史の中で遺伝的に構築されたシステムであり、その全ては生物学的利益の延長線でしかありません。つまり、我々は自分の意思で生きているのではなく、自然界の意志によって活かされているのです。従いまして、全ての生物がこの原則に従う限り、そこに自由意志の存在は否定さ...続きを読む


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