お尋ねします。
1.スイスのインガディン地方にギリアという国は実在したでしょうか?
2.エジプトのファラオに、ケペア王・エア王というのはいたでしょうか?
3.エジプト語に、「財宝」を意味する「ケルツ」という言葉はありますか?
  
  

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A 回答 (1件)

1 インガディンは普通エンガディンと表記される地方でしょうか?いつ頃の話でしょうか?



2 ファラオ一覧は下記のurlで調べることが出来ます。

3 わかりません

参考URL:http://www.m-n-j.com/medianetjapan/frog/pharao1. …
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この回答へのお礼

2.大変詳しいファラオ一覧のurlをお教えくださりありがとうございました。
その中では、ケペア王・エア王の名はありませんでした。

お礼日時:2002/02/15 19:14

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このQ&Aと関連する良く見られている質問

Qエジプトのファラオの人種

ファラオのDNAは調査されてるにも関わらず人種非公開ですよね?
顔立ちがコーカソイドやネグロイドではなく
目パッチリの南米系のモンゴロイドっぽいとか言われていますが、
普通のエジプト人なら人種公開されているはずだから
やっぱりモンゴロイドなんでしょうか?
そしてそれはお隣の大陸の南米の古代文明の人たちが来て
エジプトの王朝を作ったのでしょうか?
真実はわからないので予想とかでもいいです。

Aベストアンサー

初期の王朝は知りませんが、少なくともクレオパトラで有名なプトレマイオス朝はギリシャ民族のマケドニア人が作った制服王朝です。少なくともプトレマイオス朝の数代前の王朝からギリシャ系が征服統治していたはずです。

地中海のあのあたりは、かなり昔から貿易がさかんであり民族の移動も激しかったようです。古代にはエジプトと同様地中海のアフリカ側にカルタゴという国家があり、ここもギリシャ移民の国でしたし、少なくとも紀元前800年ごろには建国されていました。
ですからギリシャ系の征服王朝はそれなりに古い歴史があってもおかしくないわけです。

日本で世界史を学ぶと、西暦の起源前後は中国や日本の歴史と、キリスト教の歴史を比較しながら学ぶため、それ以外の地域の歴史がおろそかになりやすく、またキリスト生誕以前は、日本の縄文時代のようになんとなく古代の闇に隠れているような気がしてしまいます。

しかし地中海世界はかなり古くから文献も残っている地域であり、中国の4千年の歴史と同様、紀元前2千年程度までさかのぼれる歴史があり、地中海を船で貿易し、通貨が流通し、軍隊が遠征して戦争になっている歴史があるのです。

その当時のヨーロッパは日本と同様、古代的な生活だったのであまり史実に乗りませんが、ギリシャやアラブを含めた地中海(あと紅海)地域はいろいろな歴史があります。
調べてみると面白いですよ。

初期の王朝は知りませんが、少なくともクレオパトラで有名なプトレマイオス朝はギリシャ民族のマケドニア人が作った制服王朝です。少なくともプトレマイオス朝の数代前の王朝からギリシャ系が征服統治していたはずです。

地中海のあのあたりは、かなり昔から貿易がさかんであり民族の移動も激しかったようです。古代にはエジプトと同様地中海のアフリカ側にカルタゴという国家があり、ここもギリシャ移民の国でしたし、少なくとも紀元前800年ごろには建国されていました。
ですからギリシャ系の征服王朝はそれな...続きを読む

Qエジプトの クフ王の ピラミッドの頂上はなぜ 欠けているのでしょうか?

小学生の時、漫画の学習雑誌には、
ナポレオンがエジプトに来たときに、
大砲で、頂上をねらってうったので、
欠けてしまったと書いてあったのですが、
本当なのでしょうか??


3つのピラミッドは建造後、たびたび、
宮殿などの建材として、石を持って行かれて
しまったので、今のような階段状に
なってしまったというのは知っていますが・・・

Aベストアンサー

>大砲で、頂上をねらってうったので、欠けてしまったと書いてあったの

 この逸話はスフィンクスの鼻ですね。ただし、事実かどうかははっきりしないようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%82%B6%E3%81%AE%E5%A4%A7%E3%82%B9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B9

 頭頂部にあった石はキャップストーン(冠石)と呼ばれていますが、クフ王のピラミッドに関してはいつ頃どのようにして失われたかは判っていないようです。
 ただ、据え付けるには大型のヘリコプターでもないと無理のようなので、簡単には盗んだり出来なかったはずですが。

Qエジプト第19王朝辺りの王の家系

・セティ1世は、ラメス1世の息子。
・ベシアは、ラメス1世の娘。
・ラメス2世は、セティ1世の息子。
・ネフレテリは、セティ1世の娘。
この4つは正しいですか?
また、この辺の家系図などがありましたらURLお願いします。

Aベストアンサー

No.1です。
私はサイト派でないので、本になってしまいます。
近年の本では 講談社α文庫の「吉村作治の古代エジプト講義録 下」の P250に記載されています。

Qエジプトのジャポニカ米についてお尋ねします。

あるサイトで、エジプトでは「インディカ米」ではなく、「ジャポニカ米」を栽培し、食べていると説明がありました。

いろいろ調べてみましたが真実のようです。

そこで素朴な疑問が起りました。

古代エジプト文明を誇る民族が、日本や中国からコメを輸入して、食文化を変えるようなことがあったのでしょうか。文明の力学を考えると、古代エジプト文明の農業が東洋に伝播したと考えるのが自然ではないでしょうか。

ネットでいろいろ調べましたが、こと、エジプト古代文明、ジャポニカ米、稲作などのトピックになると、的を得たサイトがありません。

それで、単純ですが、質問です。

質問1.

今日エジプトではジャポニカ米を栽培し、食事のメニューに含まれているそうですが、エジプト人がこの「ジャポニカ米」を食べ始めたのはいつごろからでしょうか。

(1)古代エジプト王朝の頃から食べていた。
(2)~年頃から東アジアの米を食べるようになった。

質問2.

日本の稲作は中国から伝播し、稲作の起源は中国ということになっています。しかし、エジプト文明の古さから考えて、エジプトから東洋に伝播したと考えることはできませんか。

質問3.その他関連の情報がありましたらお願いします。

あるサイトで、エジプトでは「インディカ米」ではなく、「ジャポニカ米」を栽培し、食べていると説明がありました。

いろいろ調べてみましたが真実のようです。

そこで素朴な疑問が起りました。

古代エジプト文明を誇る民族が、日本や中国からコメを輸入して、食文化を変えるようなことがあったのでしょうか。文明の力学を考えると、古代エジプト文明の農業が東洋に伝播したと考えるのが自然ではないでしょうか。

ネットでいろいろ調べましたが、こと、エジプト古代文明、ジャポニカ米、稲作などのトピックに...続きを読む

Aベストアンサー

 エジプトは、世界第3位の米輸出国です。輸出はインディカ種、国内消費はジャポニカ種が主流です。

 昔はインディカ種が主流でしたが、二つの世界大戦の戦間期に、人口増加による食糧不足が深刻化したとき、政府主導で反当たり収量の多い日本種の作付けを始めた。それが今日にまで伝わっている。
  金持ちは麦のパンを食べ、貧乏人は米を食べると、一時期言われてました。終戦後、日本も
米不足で、エジプト米輸入していました。現在でも、北アフリカの邦人ではエジプト米、愛用されています。

国際協力機構JICAのサイトには、下記のように書かれています



エジプトの米は日本から-エジプトの農業と稲作、日本の協力-(その2)
2008年10月22日

2 エジプトにおける稲の品種
エジプトで栽培されている米の約8割は日本と同じジャポニカ米で、主として国内で消費されています。約2割のインディカ米は主に輸出されています。
エジプトの米は、1917年にYabani(ヤバニ)という品種名の日本のジャポニカ米を元に品種改良が進められました。「ヤバニ」はアラビア語で「日本」です。中でも、1954年、Yabani M47がNahdaと命名されてエジプト政府の栽培奨励品種となり、約20年間、エジプト稲作の基幹品種となりました。一時は、全作付面積の95%に普及したほどです。その後、同品種を親として育成されたGiza171及びGiza172が主要品種となっています。この間、外国種と交配し輸出用として長粒品種が数種育成されましたがほとんど普及しませんでした。1970年代後半、日本から「レイホウ」という品種がGiza173として導入され、1980年代半ばには作付面積の約4割を占めるまで普及しましたが、1985年に「レイホウ」のみ稲熱(イモチ)病が大発生したため、1986年からエジプト政府が作付けを禁止しています。それ以降は、イモチ病抵抗性強化が主目標になり、再び長粒品種が作付けされるようになりましたが、エジプト国民には食味の点で好まれていません。

3 稲作分野の日本の協力
稲作に関する日本の技術協力は、主に生産段階の技術向上を目指す「機械化計画」と収穫後の処理技術向上を目指す「精米処理」の2分野で実施されてきました。特に機械化計画では、技術協力プロジェクトを1980年代から1990年代初頭にかけて10年にわたって実施し、途中、無償資金協力による施設建設及び改修を行うことで、稲作機械化に係る営農技術、機具の保守・操作、機械化に適した品種実験、経済的考察等が行われ、機械化農法の確立に至っています。
エジプトに対する稲作分野の直接的な協力は、1996年の無償資金協力「米作機械化センター建設計画」フォローアップを最後に終了しており、また、農業機械などを供与する食糧増産援助(現在の「貧困農民支援」)の対象作物についても1995年度から米は外れています。他方、1987年から稲作技術、1994年から精米処理に関するアフリカ向け第三国研修が実施され、日本はこれらの実施を支援しています。

(参考) 日本の協力実績(稲作関連概略)
(1) 米作機械化
1981年~1992年 技術協力プロジェクト「米作機械化計画」
1982年~1996年 無償資金協力「米作機械化センター建設計画」
*設計~フォローアップまで断続的に実施

(2) 精米処理
1983年~1985年 無償資金協力「精米技術訓練センター建設計画」
1994年~2003年、2007~2009年 アフリカ向け第三国研修「精米処理技術」

(3) その他
1990年~1992年 無償「米貯蔵センター改善計画」
1987年~2006年 アフリカ向け第三国研修「稲作技術」
.
http://www.jica.go.jp/project/egypt/0702252/news/column/081022.html

 エジプトは、世界第3位の米輸出国です。輸出はインディカ種、国内消費はジャポニカ種が主流です。

 昔はインディカ種が主流でしたが、二つの世界大戦の戦間期に、人口増加による食糧不足が深刻化したとき、政府主導で反当たり収量の多い日本種の作付けを始めた。それが今日にまで伝わっている。
  金持ちは麦のパンを食べ、貧乏人は米を食べると、一時期言われてました。終戦後、日本も
米不足で、エジプト米輸入していました。現在でも、北アフリカの邦人ではエジプト米、愛用されています。

国際協力機...続きを読む

Q世界史です。出エジプト・ヘブライ王国建設までの経緯がよくわかりません。なぜヘブライ人がエジプトにいた

世界史です。出エジプト・ヘブライ王国建設までの経緯がよくわかりません。なぜヘブライ人がエジプトにいたのですか?できるだけ詳しい回答お待ちしています。

Aベストアンサー

元々イラク南部に居住していたヘブライ人集団が指導者に率いられて、現在のイスラエル辺さらには、エジプトに移住した、と言われている。
ゲルマンの移動とは事情が違うようだ。
エジプトでは迫害される側の奴隷として苦労があった。
そこから脱出するのも指導者モーゼが率いてのこと。
かれらにとって、現イスラエル辺が神との約束の地だったとの解釈です。


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