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 言葉の存在を考えると、言葉全てに対象がなくては、存在できないこともわかります。存在するもの全てに対象が必要なのです。
 神が存在するのならば、その対象も必ず存在していなければなりません。神が絶対的善ならば、絶対的悪も存在することになります。
 絶対的悪とは悪魔のことです。悪魔の存在を無にするには、絶対的善の神の存在を否定して、無にするしか方法はないのではありませんか?

gooドクター

A 回答 (11件中1~10件)

こんばんは。


#8です^^ご質問ありがとうございます**
>>自分達の信じる神だけが善であるのですから、他の神は悪とし、それを滅ぼそうとして争いが生じているのではありませんか?

私は神様は一人しかいないと信じています。
それは、天地を創造し、イエスキリストをこの地に授けてくださった、父なる神お一人です^^
ですから、“ほかの神”はいないと思います。
ただ、事実、父なる神以外の存在を神だと考えていらっしゃるかたも大勢います。それはサタン故に、または人間自身の私欲によって生み出されたものだと思います。神様が戦われるのは、サタンであり、また人間自身の罪です。ですから、神様のご計画は決して人間を傷つけることではなく、その罪を滅ぼすことにのみおかれていると思います**
ただ、争いのほとんどが、人間自身の意思によって行われているものであり、またサタンの計画によって起きているのだと思います。全てが神様ご自身の御心によるものではないと思います***
神様がいるから争いが起こるのではなく、サタンの存在ゆえに、私たち自身の罪ゆえに起こるのです。
私たち人間の血が流れることを喜ぶのはサタンです。神様は私たちと共に心を痛めてくださっていると思います***

ご質問の意図とズレてしまっているかもしれません・・。お許しを!
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私は仏教徒のため、神がどうこうという内容について回答するのもどうかと思ったのですが、こういった宗教哲学的話題は個人的に大好き(「5分の魂」的なポリシーは持ってるつもり)なので拝読させていただきました。



☆☆☆☆
まずいくつか補足要求をさせてください。

(1)『対象』について
<<<<<<<<<<<
言葉の存在を考えると、言葉全てに対象がなくては、存在できないこともわかります。存在するもの全てに対象が必要なのです。
>>>>>>>>>>>
<<<<<<<<<<<
存在について補足します。存在とはその対象があるから存在できるのです。
二元論などの問題ではなく、当たり前のことです。私達が存在しているのは、外界という対象が存在するからです。
>>>>>>>>>>>>
これは質問者さんが「何処」に「存在」しているかという意味での『対象』と解釈していると認識しましたが、それであっていますか?

(2)下記内容について
<<<<<<<<<<<
神が存在するのならば、その対象も必ず存在していなければなりません。神が絶対的善ならば、絶対的悪も存在することになります。
>>>>>>>>>>>
ここで述べられている『対象』は、どちらかというと二元論に基づく「相対」というほうが正しいのでは?と感じています。これについてどのような認識をもたれていますか?

☆☆☆☆
次に質問内容についての個人的な見解をば。

イスラム教、ユダヤ教、キリスト教といった一神教の教徒の方々は「自分達の神が唯一絶対」であると信じており、その「神の教え」に従って生活していると解釈しています。
その「神」が仮に同一であるにしろ異なるものであるにしろ、「争いあっている」原因として、その「神の教え」がそれぞれ微妙に(あるいは完全に)異なっていることから、お互い「あなた達の「神の教え」は間違っている!」と思っていることが挙げられると思います。
(相手が信ずる「神」の教えを容認することは、自分達が信ずる「神」の教えを否定する事になると考えているのも原因の1つでしょう。)
それが「争っている」事の発端であると私は解釈しております。
また「悪魔」とは「神」に相対する立場ですので、「絶対的善である『神』」が存在する以上、その相対関係にある「絶対的悪である『悪魔』」は自然と存在する事になります。
しかし「間違った神」=「悪魔」と断言はできません。
故に「悪魔」の存在を否定しても「相手の『神の存在(神の教え)』を認める」事をしない限り、争いはなくならないでしょう。

この回答への補足

 原因があるから結果があるのです。原因にとっての対象は結果です。生命ある私達が存在するというのは結果です。その原因を神としているのが一神教の考えです。
 原因が無いのに結果があることはありません。神を無とするのは、私達が存在するからです。私達の存在は、神が無として存在するからです。

補足日時:2006/05/21 02:17
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この回答へのお礼

 書き込みをありがとうございます。
 
 私はイエスキリストを信じるクリスチャンです。クリスチャンと言っても、どこの教会にもいかないでいる者です。教会へ行っているクリスチャンから見れば、私がクリスチャンであることを否定されるでしょう。
 
 当時のユダヤ教を否定したイエスキリストは、ユダヤ人から見れば神を冒涜し、神を否定した者と見られていたのです。イエスキリストが仏教を知っていたら、イエスキリスト自身が仏教徒になっていた可能性もありますね。

お礼日時:2006/05/19 22:31

 それぞれの宗教の考え方は判りませんが、少なくとも悪魔を無にすると書いてあったでしょうか?地獄に完全に押し込めるとしか書いてなかったと思いましたが。


 記述の有無は別にして…

 現在は絶対善と対極の絶対悪と両方を持つ現世とがあります。最後の審判の時、全ての門が開かれ、世の中は絶対善と絶対悪とに二極分化されます。

或いはこんな考え方もあると思います。
 先日、TVで東南アジアかどこかの原住民の首長が「あなた方の部族における幸せってなんですか」と言う問いに「私達に幸せと言う言葉は無い。なぜなら不幸せが無いからだ」と答えてました。
 つまり、善悪は一方がなくなったら他方の存在が否定されるのではなく。一方がなくなった場合、その存在感(概念)がなくなるだけです。悪がなくなり善だけで覆われれば、そこは善で満たされますが、善という概念はなくなります。逆に悪に満たされれば、そこに悪という概念も善という概念もなくなります。
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悪魔の存在を無にするには、絶対的善の神の存在を否定して、無にするしか方法はないのではありませんか?>>


とは、あくまで神様の存在を仮定としているから出る質問だと思います。神様の存在自体が人間が作り出したもの(空想)なら、神様の存在の否定=悪の存在の否定になりうるかもしれませんが、そもそも存在しているものを頭の中で無にしても(無視しても)、その存在自体の否定にはならないと思います***どちらかが無くなれば、もう一方も無くなるのではなく、そもそも両方が存在していて、それは人間の理解を超えたところにあるので、私たちにはどうすることもできないと思います。
もし神様がいなければ、神様の創造物である私たち人間自体の存在がなくなってしまうと思います**
今この世に神様という存在が無くなれば、悪の消滅どころか、悪の世界になってしまうと思います。
悪を滅ぼすためには、神様の力を持ってしてのみ実現できることだと思います。
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この回答へのお礼

書き込みをありがとうございます。

>>悪を滅ぼすためには、神様の力を持ってしてのみ実現できることだと思います。<<

悪を滅ぼすとありますが、ユダヤ教にとっての悪はイスラム教であったりします。キリスト教にとってもそれは同じことです。

自分達の信じる神だけが善であるのですから、他の神は悪とし、それを滅ぼそうとして争いが生じているのではありませんか?

お礼日時:2006/05/18 03:45

イスラム教は戒律が中心ですね


あとユダヤ教も神を認めた、戒律中心です

キリスト教というのは善悪の対比ですね

争いあっているのでは?という意味が少しわかりません
宗教=国と思ってもらえれば対立している構図が見えてきますが・・・

この回答への補足

皆さん。書き込みありがとうございます。
存在について補足します。存在とはその対象があるから存在できるのです。
二元論などの問題ではなく、当たり前のことです。私達が存在しているのは、外界という対象が存在するからです。
創造主の神が存在しているから、私達が存在しているのだと、一神教の信者さん達は言うでしょう。
ですが、有が存在するのは無があるからであり、その無とは神と表現することもできるものです。
それだから神は無いと言えるものであり、存在していないものです。
その無の対象として私達は存在している、とも言えるものではないでしょうか?

補足日時:2006/05/17 01:59
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期待している回答とは異なるかもしれませんが・・・



キリスト教での神の敵、すなわち魔王サタンはもともとは大天使長ルシファーです。
いってしまえば、組織のNo2が造反したようなものです。

つまり、神の敵は身内ってコトになります。

神が絶対的善であるならば、そこから作り出されるものも自然と絶対的善であるのではないでしょうか?
と言う事は、善悪の間で揺れ動く人間は神によって創られたものではない可能性がでてきます。
もしくは、人間が神によって創られたつするならば、不完全なものを創ってしまった神は絶対者では無いか絶対的善ではないということになりませんか?
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霊的事実は、仏神や精霊、死者が生活する天国もあり、悪魔や悪霊、死者がいる地獄もありますね。

これは言葉遊びや言葉の二元論ではないですね。皆さんの身内や知人も亡くなるとその心のありようで振り分けられることも事実ですね。誰しも死んでみればわかることだけどね。
善悪や右左、上下という二元論は考えかたを説明するにはいい方法です。しかしそれだからといって最初から世界がそうあったというものではないですね。創造主は全ての良きものですから悪魔や地獄などは想定してなかったですね。でも自由意志を与えたことによる不完全な生き物の人間が、自由意志が故に間違いを犯すことも知っていたということでしょう。間違いは反省すれば直るんですけど反省しないのがいるということだけなんですね。この世界にもなぜかやくざの親分や子分のような積極的に悪さするやからがいるよね。消してしまいたいけど改心を待つしかない。あの世も同じことですね。
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質問者のような、


>神が存在するのならば、その対象も必ず存在していなければなりません。神が絶対的善ならば、絶対的悪も存在することになります。

といった考え方を、絶対的二元論と言います。
代表的なのは、マニ教です。

それに対し、「唯一絶対神から、善と悪が生まれた」とする考え方も有り、それを穏健的二元論と言います。
代表的なのは、ゾロアスター教です。

ユダヤ教の場合、外に対しては、絶対二元論の立場をとりますが、ユダヤ教内では、唯一神の一神教の立場をとります。
これは、イスラム教も同じです。
(ユダヤの神、イスラムの神のみが、唯一の正当神であるとする)
そのため、他の民族の崇拝する神を悪魔として、対立しやすくなる傾向があります。

ただ、他民族の神との対立を引き起こすのは、多神教でもあり、ゾロアスター教の悪神アンラ・マンユは、対立していたヒンズー教のインドラが基になっていると言われています。

多神教の中でも、北欧神話の、アース神族とバン神族、オーデーンとロキの対立、ギリシャ神話の、アテネとトロイの対立、ゼウスなどのオリンポス神とティターンの対立、ゼウスとポセイドンの対立など。
日本神話での、天津神と国津神(高天原神族と出雲神族)の対立など、多々みられます。

一神教の場合、対立する神は、あくまで排除するのに対し、多神教では、降伏した他の神を、自分の支配下においてゆくといった違いがあります。

キリスト教の場合、一神教的性格と、多神教的性格を併せ持ちます。
カトリックには、多神教的性格が強く、プロテスタントでは、一神教的性格が強く出ています。
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宗教を作り出し、今なお変わらず紛争しているのは、「清濁併せ持った」「人間」である、と思います。

また、その成り立ちも、すべて降ってわいた様に出来上がったのではなく、「人間」が必要に応じて生み出したもの、或いは生まれてしまったものであると思います。
形而上学的な考えで、宗教を論じてしまうと、「人間」が入り込めなくなるのではと、危惧します。
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こんにちは。


一神教というのは、敵を作るという点ですごくやりやすい信仰方法ではありますね。

日本の各種新興宗教やオウムなどもそうですし、社会的に色々もめてる創価学会などもそうです。

逆に自然信仰みたく、万物に神が存在するような場合には、敵を作るという考え方にはなりにくいでしょう。
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