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そもそも、なぜ東洋文明は西洋文明に比べ遅れていたと感じるのでしょうか。ユーラシア大陸をみてみると、東洋=アジア周辺(黄色人社会) 西洋=ヨーロッパ周辺(白人・黒人社会)となるでしょうか。明らかに合理化のすすみや洗練のされ方が違ったと思うのです。もちろん東洋には東洋の良さがあると思うのですが、科学、建築、芸術、諸文化など全般的に差異がありその優劣はつけ難いものの、東洋が西洋文明を現在積極的に取り入れているほどには、西洋は東洋の多くをそれほどは取り入れていないような気がします。もし間違いであれば私の無知をご指摘ください(あまりにも無知・・・)。漠然としてますが歴史は不勉強のためうまく頭の中で整理できないでいます。このような視点でわかりやすく記述された書籍とかありましたらついでにお願いします。
尋ねたいことは、(1)概してどのような点がちがうといえるか、または感じるか(問題の整理・出発点) (2)洗練されかたにおいて優劣があるといえるか(つきつめると定義が難しいと思いますが) (3)その理由(つまり根本的な違いを決定づけた理由や歴史的な事実などがあるのでしょうか、ということです。例えば、人種の相違に基づく発想の違い、地理的な条件、社会形成・革命のあり方、宗教、教育、食・衣装文化、芸術全般など歩んできた道のりなどに照らして)
できれば(1)、(2)、(3)の流れで論じてくださるとわかりやすいです。はじめ(1)、(2)、(3)と別々に質問し、順を追って整理していこうと思いましたが、この際一気に聞いてしまいます。

歴史に詳しい方でもそうでない方のシンプルな意見・感想でも全然結構です。質問者は思いっきりど素人です。では、よろしくお願いします。

A 回答 (10件)

文化は東洋、西洋ですが、具体的には東洋はイスラム、インド、儒教などにわかれると思います。



世界の富は19世紀半ばでもアジアがおおきな比率をもっていたといわれています。西洋はどちらかといえば、おくれた土地。

大航海時代や産業革命以降、世界に西洋が繰り出していくことになります。

たしかにギリシャの科学は進んでいたのかもしれません。

他の回答者が言われている通り、物質文化と精神文化にわける必要はあるでしょうね。

物質文化は儒教文化圏は農耕文化で集団で勤労を長くすることが重視されたのに対し、西洋は狩猟文化であったりします。
個人の解放がルネサンスなどからあり、生産性をあがることに関して言えば、西洋のほうがすぐれているのかもしれません。

精神文化はそれぞれの文化固有のものになってくると思います。イランなどが西洋の男女交際の乱れた状態など批判してそれも革命の名目になったと思います。私は個人的に精神文化のうち倫理面や慣習で必ずしも西洋のものが優れているとは限らないと思います。それぞれの文化の古い習慣は経験則を積み重ねられており、その中には実感としてよく考えられたものも存在していると思います。

物質は流行などで変化していくけど、そういう習慣など変わらないものはそれぞれの文化を背景とするもので、大事にするべきものだと思います。当然、経験から学んだ習慣はそれぞれによって違うものになります。
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No.8の続き・・



東洋文明の代表として中国文明を採り上げる。日本文明は採り上げない。(※日本文明は、他の文明から独立した文明である。)

中国文明が西洋文明に比べて和合的なのは、中国文明の主たる担い手だった漢民族が農耕民族だったためだ。牧畜民族に比べて土地の境界争いが少なかったから、その民族性も西洋の民族に比べて和合的だった。

紀元前3世紀末に秦が天下統一して以後、中国大陸は皇帝による専制政治が続いた。この辺は、西洋で、ローマ帝国成立以後、専制政治が続いた事情と同じである。

また、この時期、西洋ではキリスト教が人心を支配し、文明が沈滞したが、中国においても儒教が人心を支配し、文明が沈滞したのである。この事情もよく似ている。

しかし、前に書いたように、15世紀に至って西洋ではルネッサンスが興き、理性の解放が見られた。しかし中国では、20世紀初頭の清の崩壊(辛亥革命)まで理性の解放が見られなかったのである。しかも中国特有の中華思想は西洋文明の吸収を妨げ、西洋の先進技術を取り入れるという姿勢がなかった。中国文明が、自然科学や産業技術の発達において、西洋に遅れを取った決定的な理由はここにある。

それどころか中国では、辛亥革命以後、群雄割拠の戦国時代を迎え、1949年に共産党による天下統一が成ってやっと平和になった。しかし、この共産党支配が大問題で、大躍進政策など経済政策に失敗、さらに文化大革命など権力闘争に明け暮れ、中国人は食うに精一杯の時代だった。政治の大混乱が続いたため、理性の解放どころではなかったのである。
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「質問者は思いっきりど素人です。

」などと謙遜(あるいはカムフラージュ?)しておられます。私も文明や文化については「相当な素人」ですが、以前、少し勉強する機会があったので、その時の知識に私の考えを加えて回答しようと思います。


質問(1):西洋文明と東洋文明の違い。

ものすごく大雑把な言い方だが、両文明の違いは、西洋文明は闘争的であり、東洋文明は和合的だったと思う。しかし細かく見れば、同じ東洋文明の中でも、大陸の中国文明はより闘争的であり、島国の日本文明は、より和合的だった。


質問(2):洗練され方に優劣があるか。

文明を議論するときは、物質文明と精神文明に分ける方がよいと思う。物質文明では優劣の評価が可能だが、精神文明(狭義の文化)は優劣の議論はそぐわない。

異なる文明を比較するときに、洗練度という評価尺度を持ち込むのは妥当なのだろうかという疑問を感じる。質問者のいう「洗練」が当てはまるのは、精神文明のうちでも「芸術」などの限られた分野だけではないだろうか。


質問(3):両文明の優劣を決定した史実、理由など。

物質文明の優劣だけについて書く。

気象条件と民族の食生活および民族の性格(民族性)との間には密接な関係がある。日本のように湿度が高い地域では農耕が発達するが、ユーラシア大陸の北部は湿度が低いために農耕に適さなかった。しかし牧草くらいならば生育するので牧畜が発達したのだ。

西洋文明が闘争的なのは、西洋を構成する(構成した)諸民族が主として牧畜民族なためだ。牛や羊の放牧には牧草が不可欠であり、広い土地を必要とした。そのため古来、牧畜民族の間では土地の境界争いが絶えなかった。殊に天候不順なときは牧草が育たないために牧牛の群れを引き連れて牧草を求めて移動し、隣の民族の土地を侵してしばしば戦争が起きた。こうした生活を何千年も何万年も続ければ、民族性は闘争的になるだろう。それに対し、東洋の民族は農耕生活だった。むろん農耕民族の間でも土地の境界争いが起きるが、牧畜民族に比べれば争いの頻度は低く、争いの規模も小さい。かくして民族性は和合的となったのである。闘争的な民族が闘争的な文明を生み出し、和合的な民族が和合的な文明を生み出した。

古代ローマ帝国以後の1500年間にわたって、キリスト教が猛威を振った関係もあって、ヨーロッパの文明は沈滞した。しかし15世紀のイタリアで興きたルネッサンスは西洋人の理性を開放し、自然科学が胎動し、発達を始めた。18世紀にイギリスで起きた産業革命は瞬く間に全ヨーロッパとアメリカ大陸に広がった。産業革命は工場の大量生産を可能にしたために生産過剰が起こり、欧米各国は、国内の余剰生産物の販売先を海外に求めた。植民地獲得競争の始まりである。

ヨーロッパは戦争が非常に多かった。闘争的な性質の民族が多かったからだろう。ルネッサンス以後だけを見ても、ヨーロッパ内部では王位継承を巡る戦争が多発した。また植民地を巡ってヨーロッパの国同士が争奪戦を繰り広げた。殊にイギリスとフランスは仲が悪く、戦争ばかりしていた。しかし一方で、戦争がヨーロッパの物質文明の進歩(自然科学や産業技術の発達)を促したのだ。
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僕の回答は、異説になるので、余計混乱してしまうかもしれません。



川勝平太氏の「日本文明と近代西洋(たしか)」という本の受け売りの部分が多いので、機会があれば読んでみてください。

基本的には、「東洋対西洋」と捕らえずに、「中央対辺境」と捕らえます。

エジプト・メソポタミア・インド・中華の4大文明の起きたユーラシア大陸が中央、その西の辺境がヨーロッパ、東の辺境が日本です。北の辺境は寒さの厳しいシベリア、南はインド洋で特に中央の影響を受ける島・地域がなかったので、南北の辺境はなかったことになります。

この「中央vs辺境」の歴史を見ると、

15世紀以前(古代/中世):
中央が進んだ文明を誇る。辺境は未発達。

16-17世紀(近世):
中央は、機械文明以前の人類史として最高段階まで発展する。オスマン=トルコ、ムガール帝国、清王朝の隆盛。片や、辺境も自力をつけて、本格的に海外に進出を始める。大航海時代、日本における倭寇、勘合貿易、豊臣秀吉の朝鮮出兵がこの時期にあたります。ただし、こうした辺境の試みは、中央に跳ね返される。日本の海外進出は失敗し、鎖国。ヨーロッパも、アジアでは植民地を確保できずに、アフリカ・南米といった未開拓の地に矛先を向ける。

18世紀以降(近代) :
産業革命がヨーロッパで起き、それまでの人力中心の農業社会から機械中心社会の工業社会となる。ここに来て、ヨーロッパは初めて中央を凌駕することができ、アジアへの侵略を始める。日本は、鎖国下で産業革命には乗り遅れたが、すでに16世紀の段階で最新技術の粋である鉄砲の最大生産国になっていたり、江戸100万人都市を維持するだけの貨幣・流通のしくみを整えたり、識字率が抜きん出て高かったりと、中央と比較して工業社会に脱皮できるだけの優位は当初から保っていた。開国後、ほどなくして近代化し、アジア侵略に加わる。


前ふりが長くなりましたが、立場が特殊な日本はここでは置いておいて、「ユーラシア=東洋」「ヨーロッパ=西洋」という枠組みで(1-3)を見てみます。

(1)概してどのような点がちがうといえるか、または感じるか(問題の整理・出発点)

東洋が遅れていると感じる最大のポイントは、経済力ではないでしょうか?その経済力の差は、生産力です。現代では、工業生産力以外にも情報力が大きな比重を占めるようになってきましたが、これまでは工業生産力の大きさが経済力を左右していたと考えます。


(2)洗練されかたにおいて優劣があるといえるか(つきつめると定義が難しいと思いますが) 

古来からの文明についてはそれぞれ優劣があるので、一概にどちらが優先している、とは言いにくいと思います。ただ、大きな経済力がある方が、結果として進んだ技術力、情報力を持ちますので、西洋の方がそうした点で自分の文明に技術・情報の点でエネルギーを注いで進化・洗練させることができた点はあると思います。


(3)その理由(つまり根本的な違いを決定づけた理由や歴史的な事実

産業革命に尽きると思います。これにより、人の限界を超えて機械で生産・輸送ができるようになり、西洋と東洋のパワーバランスが一気に変わりました。
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 どのように論じるべきか迷いましたが、結局は西洋文化に比肩しうる


“読んで見て聞ける”キーワードの列挙にたどりつきました(年代順)。
 わたしの東西文化論序説、西洋人が脱帽する東洋文化ベストテン。
 
0.Japan 武装なき復興から奇跡の経済大国へ……“国破れて市場あり”
 
1.China 紙と火薬の科学……政府なき王朝を破壊しつづけた知的遺産。
2.China 年表の創始による史学の頂点……司馬遷《史記》
3.Japan 朝廷文化の記録文学……紫式部《源氏物語》
 
4.Japan 美術:新奇な構図……葛飾 北斎《全作品》(日本)(↓)
5.Japan 映画:三人の監督……溝口 健二・小津 安二郎・黒沢 明
6.Japan 漫画:アニメとゲーム……手塚 治虫・グンペイ・宮崎 駿
 
7.Japan 愛された指揮者……小沢 征爾(日本人)
8.China 驚異の弦楽奏者……ヨーヨーマ(パリ育ちの中国籍アメリカ人)
9.Korea 迫真の鄭三姉弟妹……ヴァイオリン、ピアノ&指揮、チェロ
 
(おそらく 2~5 は確定、6 の将来は微妙、7~9 は現時点の評価)

参考URL:http://images.search.yahoo.co.jp/bin/query?p=%CB …
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お叱りや 反論を覚悟の上で私なりの考えを・・・


1)西洋自然支配 東洋自然融和 ってよく言われてると思いますが 西洋の文化は自然に如何に打ち勝っていくか人間世界に自然をあわせようとするもので 東洋の文化は自然を如何に取り入れていくかと言う考えだと思います。(現在はかなり違いますよ)
 例えば同じ病気を治すにも西洋医学は毒を持って毒を制す薬自体の力で病気を治すのに対し鍼灸等に代表される東洋医学では人間の治癒力を高めることによって病気に打ち勝とうとします。(全てがそうとは言ってませんが) 

2)言えます。やがて人類は東洋文化というかユーラシア文化(アメリカインディアンエスキモーなども含む)的な考えに移行していきます。最もこれは現代科学や文化の破綻が条件です。
 もしかしたら西洋的科学や文化が自然に勝る可能性も有りますがかなり厳しいと思います。

3)基本的に西洋(ヨーロッパ)は 人間が生きていくには厳しい土地でアフリカや東南アジア等は豊かなる台地そして東洋は其の中間に当たるのではないでしょうか?
http://msgs.comeon.to/bbs2/bbs.php?i=200&c=400&m …
このURLにも有る様にアフリカの原住民に農業を進め文化的な暮らしを紹介したにも拘らず この世にモンゴンゴの実がこんなに在るのに何故作物を植えなければ成らないのだと拒否されます 又NHKの特集に有った「人は何を食べて生きてきたか」と言う番組の中でもインドネシアの農業の紹介で湿地に稲を撒き ほっと居ても1年に2回収穫が出来るし高床式の家の縁側から釣り糸を垂れると魚が連れるスッタフが並んだ御馳走に驚き今日は特別な日なのかと尋ねると笑いながら「皆この周りでとれる自然の恵みさ」と農民は答えています。
 この地理的条件により少ない食料料を取り合い守るために国が生まれ戦争をし勝った国が負けた国を従え又戦をするそして戦のために西洋文明は発展をしていく訳です。
 
 現在西洋文明のほうが世界に受け入れられ 進んだ技術のように言われているは 戦に勝ち続けた西洋諸国が(米国を含む)実権を握り世界を動かしているからだけです。

 世界船地球号と言う企画をした(これは各国の子供たちを船に乗せ地球を1週する企画です)アメリカの大学教授が言っておりました全世界の農業生産高をカロリー計算し各国の一人当たりの消費食料を計算すると中国インドネシアの消費量なら現在の世界人口維持するのに地球が0.8個日本の消費カロリーだと地球が1個アメリカ人の消費カロリーだと地球は2.5個それをその他の生活水準にまで(車テレビ等)広げると全人類がアメリカ人並みの生活をするには地球が5.5個必要になるそうです。

 要するに人間は 太古の昔ローマ軍が攻め滅ぼした国々から重税を取り奴隷とし自分たちはご馳走を食べ満腹に成ったら吐いて又食べると言うことを今も続けているわけです。攻める国が無くなったら今度はどこに行けば良いのでしょうか?火星ですか?銀河の外ですか?おそらく西洋文明の進化はそれには間に合わないでしょう。

 そこで最近では先進国の気付き始め巨大企業等が中心となり地球環境の為にお金を使い始めています これこそが自由主義資本主義を経過した社会主義であり現代の宗教 仏教の教えでありアポリジニやアメリカインディアン・アイヌ・エスキモー等の西洋文化に駆逐絶滅寸前まで追い込まれた民族たちの文化文明だと思います。

 日本史でも信長が居て秀吉・家康となるように長い平和の為には信長の殺戮も必要だった様に戦争や地球破壊を引きを越した文化も必要だったとは思いますが やがて東洋文化や先に上げた民族たちの文化が見直され西洋の人にも取り入れられ広がると私は思います。今は其の過程に過ぎないと思います。

質問の答えになってないかもしれませんが長々と失礼しました。
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大きく違ったのは、


水稲文化、酪農文化です。

水稲の出来ない地域では麦が主食になり、
穀物の生産量を補う為に酪農が発展します。

次に違うのが、建築技術です。

雨が多い区域では、木造技術が発展し、
雨が少ない区域では石の加工技術が発展します。

最も重要なのは、宗教だと考えています。

確かに東洋の美術も素晴らしいと思います。
かつて、人間そっくりの彫刻(仏像)もあります。

しかし、仏教の伝来により、
人間そっくりの彫刻は、形を変えて行きます。
抽象的な仏の姿に変わります。

西洋では、キリスト像、油絵が教会に置かれます。
(人間像)
東洋では、仏像が置かれます。
(人間をはるかに超越した仏の姿)

地球上では、
食料の豊富な地域では技術は発展しづらいようです。

また、
十字軍に見られるイスラム圏との対立を見れば、
ヨーロッパは、超越した国家ではなかったようです。

もちろん、充分研究する価値があります。

中国の数十万の漢字、漢文を見れば、
頭脳、文化では、中国圏がはるかに卓越しています。

仏像芸術も、
研究すれば、ルネッサンス以上の芸術価値があり、

木工は幼稚で、石細工が高等文化である。
こう言う、先入観がある場合、

アジア、東洋文化を知る事事体が
困難になると思います。
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私は「東洋の方が遅れていた、洗練されていなかった」とは感じません。



科学技術、建築、諸文化において西洋が東洋に比肩しうる程度に成長したのはようやくルネサンス期以降です。それ以前の西洋は明らかに蛮族の地で暗黒時代と言って差し支えありません。
ですから問題は16,7世紀以降に絞って考えられるかと思います。この時代以降の「西洋と東洋の目立った違い」は他文化への姿勢に集約されると思います。

西洋では他文化を軽視し、軍事力を持って制圧し、交易よりは搾取を行いました。東洋では制圧よりも服従させる事を選び、搾取よりは交易を行いました。つまり「西洋は洗練された文化ではなかったからこそ覇者たり得た」訳です。

人種的な理由を言えば、基本的に「ゲルマン人の末裔」であることは理由としてあげられるでしょう。戦争を好むゲルマンの文化をベースに、唯一絶対を旨とするキリスト教が混じり、極端に傲慢な思想を背景に持っていると考えられます。

質問者様は西洋は東洋の物を取り入れていないと思われているようですが、実のところ西洋文化のほとんどの物が東洋文化をベースにしており(キリスト教も西アジア、つまり東洋が発祥の地)、明らかな事実誤認と考えます。
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 歴史的かつ地理的条件によるのではないかと思います。



 紀元前後であれば、東洋、特に中国は優れた文化・文明を持っていたと思います。紙や陶器、火薬なども中国が発祥とされています。法の整備なども、当時としては西欧よりもずっと実践的だったと思います。
 ただし、中国は比較的早い段階で統一されました。しかも、近隣は国と呼ぶにはお粗末なものばかりで、外交と呼べるような活動はほとんど無かったように思います。数少ない外交相手は、朝鮮や日本くらいでしょう(蒙古も含むかな?)。西方にこの国を直接脅かすような存在があまりなかったため、長躯ヨーロッパとのつながりのみが異文化との接触だったと思います。ただ、当時のことですから、物理的な距離はそのまま精神的なものでもあったので、特に強く意識することは無かったのでしょう。

 それに対し西欧は、ヨーロッパ全土で大小様々な国々に分かれたまま現代まで続いています。そのため、古い時代から互いに政治的・軍事的な衝突の裏側で、経済や文化面での繋がりもあったはずです。
 その中で、当然お互いを意識しあい、より高めていこうとする動きも盛んであったように思います。
 又、ヨーロッパといえど、東西南北でその地域性は極端に異なりますから、その生活環境なども大きな違いが生じ、それは様々な多様性を生むことになったのでしょう。
 それらが互いに刺激し合うような状況が長年続けば、科学技術の発展も早かっただろうと思います。産業革命がヨーロッパで起こったのも、いわば必然だったのでしょう。

 多様性や競争相手が少なかった東洋と、非常に多かった西洋の差が、一見東洋が遅れているかのように見させているのではないかと思います。

 ただ、西欧が全く東洋の文化・文明を意識していなかったかというと、そんなことはないようです。
 確かに国家規模ではあまり見られませんが、芸術家の間では東洋美術の影響を強く受けた人たちが多くいます。
 又、本国ではそれほど評価されていないものが、逆にヨーロッパで高く評価されていて、研究も進んでいるというものもあります。日本の浮世絵などはその代表例ですね。
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文明を考える場合、単独で存在する文明は、現在から見ますと、偏った文明の発展をします。


中南米の文明が、良い例です。

インカ文明は、高度な石の加工技術を持っていましたが、車輪は知らず、文字も持ちませんし、鉄も知りませんでした。
マヤ文明は、高度な数学や天文の知識は有りましたが、やはり鉄などを知らずにいました。

個々の文明は、環境などにより、発見するものが異なります。
ある民族は、鉄を見つけ、また別の民族は、乗馬の技術、他の民族は、農耕などなどです。

それらの技術をおのおの発見した民族・文明が交流することにより、他の民族・文明が発見した技術を身につけて行きます。

この点を理解していますと、質問者の答えが導きだされるはずです。

西洋と東洋において、技術的に差が出てくるのは、大航海時代以降です。
西洋文明は、アジア・アフリカ・ヨーロッパ・新大陸へと交易路を伸ばし、各地の文化・技術を取り入れますが、東洋の中国・朝鮮・日本などは、鎖国政策により、他文化を取り入れる道を閉ざしてしまいます。

この事が、近代における西洋と東洋の文化・技術的な差になっています。

(3)の回答でした。
(1)、(2)は、あえて回答する必要はないでしょう。

この回答への補足

回答を寄せていただいてますみなさま、ありがとうございます。現在までに投稿頂いた記事(~No9)はすべて興味深く目を通させていただいてます。また諸説があり感心し楽しませていただいてもいます。休憩中や仕事後に市立図書館や書店でものの本を手にとり私なりに整理を試みているものの、やはり門外漢であるためにおいそれと核心には近づけそうにないという気がしてきました。せっかくですのでもう少しだけお時間いただいたのちお礼、締め切りの方させていただこうと思います。ご理解いただけますと幸いです。大変参考になっております、重ねてお礼申し上げます。

補足日時:2006/05/19 00:18
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