大という字をダイと読むときとオオと読むときの約束事を教えてください。昔はよく大舞台をダイブタイと言っていたのですが、最近テレビではオオブタイと言っています。なぜか教えてください。

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A 回答 (4件)

私が聞いた読み方の原則は、昔から日本にあった和語の場合が「オオ」、中国から伝来した漢語の場合が「ダイ」と読むというものです。


「舞台」は漢語なので、基本的には「ダイブタイ」が正しいはずです。
しかし、現在では「舞台」という言葉は漢語的ニュアンスを脱し、ほとんど和語と化しています。
ですから最近では「オオブタイ」と読まれているようです。
一般的に使う時には「オオブタイ」と言うのが現状のようです。
余談ですが、他にも「タイ」と読む「大食漢」という物もあります。
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joy-mさんの答えの4行目まで賛成、それ以下について、見解がことなります。


もともと漢語である「舞台」が、和語と化したのは最近ではないのでは? 初舞台、晴れ舞台という言葉があるところからの推測ですが。江戸時代あたりに「おおぶたい」でいったん定着したものが、その読み方を知らない人が「音読みは音読みでそろえる」という理屈に従って読んだ「だいぶたい」が優勢になり、最近になって「おおぶたい」のほうが由緒正しい読みであることが再認識されて、アナウンサーなどは「おおぶたい」と読むようになった、ということではないでしょうか。
「大舞台」についてはいまひとつ自信がありませんが、「大地震」を最近は「おおじしん」と読んでいるのは、上記の説明があてはまると思います。「だいじしん」という読みは「だいしんさい」からの連想による新しい読みだ、という説も聞いたことがあります。
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諸説わかれるところなのでしょうが、単純に漢語と和語の問題ではないようです、例えば「大地震」は正確には”おおじしん”で「大震災」は”だいしんさい”なのです。

使い分けとしては”ダイ”は程度がはなはだしい様、”おお”は大きさが大きい場合です、震災は大きいものではなくはなはだしいものなので”ダイ”、地震は大きいものなので”おお”のようです、しかしあくまで原則ですので、崩れているところも多いでしょうが
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 接頭語としての大の意味で答えますと 「ダイ」は音読み、「オオ」は訓読み で、後に付く或語が音読のときは「ダイ」、訓読みのときは「オオ」が原則なのはご承知でしょう。


 その他に「ほめ尊ぶ」ときに用いる、特に歴史的に天皇・公家・宮中などに関するものは「ダイ」ではなく「オオ」を用いるようです。
 大王=「おおきみ」、「大御所」=「おおごしょ」、「大殿籠」=「おおとのごもり」などです。
 つぎに、放送用語では「漢語」でわかりにくいものは、和語(訓読み)にするということもあります。
 
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すぐにWebで調べないで本を読めって言われるのですが、本だと時間がかかる上動かなくてはいけないという事もあります。
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皆様のご意見をお聞かせください。

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「ネットが無ければ何もできない人」「本が無ければ何もできない人」・・・全く同じことではないでしょうか。問題の答えを知りたい場合に本を見ることはまさしく「答えだけを見るようなもの」です。本もネットも同じ「他人の用意してくれた情報」です。「読んだ人」が考え導き出したことなんかでは決してありません。
「考える」ということは「本を読めばいい」というようなそんな簡単なことではありません。もし「考える力を」等と言うのなら、本なんかに頼らず自分でゼロから調査・研究・考察して導き出すべきですが、「ネットではなく本を読んで考える力を」等と主張している人達にそんな大変で大層なことをしている人はただの1人もいないでしょうね。まぁ自分では出来ないから「本に頼る」訳ですが。

ある経験から「自分で考える力」を養えるかどうかは、その人次第であって、「情報の見つけ方」は関係ありません。
情報は「どう生かすか」であって、「どう見つけるか」かは決定打ではありません。道端の一本の草花を見てそれをきっかけに大きなことを成し遂げる人もいれば、そこから何も感じず考えず終わる人もいます。その「草花」を見つけるまでのプロセスが重要な訳ではありません。そのプロセス(経験)が「どう生かされる」も結局その本人次第で、「草花」と同じです。
要するに本やネットやテレビや口コミといった「ツール」は所詮誰もが使える「ツール」です。そのツールの及ぼす最低限の影響から一歩抜け出たところに初めて、人間の真の「知」があるのでは。

自分は「本を読まないと自分で考える力を失ってしまい、ネット環境が無ければ何もできない人になってしまう」等と言ってしまう人はそれこそ、考える力が何も無い人だと見なします。

あるNHKの教養番組で、ネットの「人類の知性」への悪影響を語る大学教授の説に触れられた際、立花隆が「スマホの向こうに何があるかが大事な問題。ネットを通してほとんど人類が持っている知識がある」という風に全否定して番組が進まなくなったといいますが、冷静な(言い方が冷静なのではなく、観点がフェアであるという意味です)「知識人・文化人」らしいもっともな判断だと思います。
参考:http://news.livedoor.com/article/detail/9571202/
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