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芸術とは何か、はっきりした定義を聞いたことがありません。私なりに答は持っていますが、皆さんのお考えをお聞かせください。

ちなみに「ヒトに感動を生じさせることを専ら意図して行われる活動」というのがstomachmanの答です。言い換えれば、芸術の本質はその意図にある。ここで「感動」とは、正確には「感情・気分の変化」というごく広い意味です。
でも、「うちの親父をからかって、怒らせてやろう」というのも芸術に入っちゃう。これで良いのかどうか、というところが難点でして...
従って、カテゴリーはあえて哲学を選びました。

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A 回答 (26件中21~26件)

お礼に対して補足します。



> これを「意図」という言葉に込めてる積もりですが、そうは読めませんか?

そう読めますが(というより読めましたが)あえて意図=信念・思想とはしませんでした。
意図だけならバットでなぐる若者もはいりますが、彼らには信念・思想はないですよね。衝動的な行動ですから。

あとテロも、ものによっては広義では芸術の範疇に入るでしょう。(私もテロを正当化する意図はありません。しかし世の中を変えようという思想があるものは芸術的になりやすい。)
「芸術的犯罪」という言葉もあるぐらいですからね。

> > 自己主張の芸術
> 「自己主張」なくして芸術って語れるのかな?と思います。

そこで切らないで下さいよ~。
枕詞(?)がなければ意味が無いですので。(^^;;

奇をてらっただけで中身に心に訴えかけるモノがないものを言ってるのです。

> 誰もやったことのない方法論、誰も想像もしたことのない種類の「感動」、そういう物を狙って、成功するのは難しいけれど、でもやる。

それをナゼやるかが問題で、ただ「誰もやったことがないから」だけでは芸術じゃないと思うんですよ。
ナゼやるのかという自分の中から湧き上がる理由が欲しいと思うのです。
「これこれこういうことをして、○○を実現したいのだけど、(たまたま)まだ誰もやったことはない。でもやってやる!!」というのが欲しいですね~。
要は「目立ちたいだけ」で中身がないのはピッとはじく!と。

そういう意味では社会不安をあおるだけのテロも芸術じゃないな。

・・・ああ、ムズカシイこと考えすぎてアタマ壊れそう。(^^;

この回答への補足

おつきあい有り難うございます。

> 意図だけならバットでなぐる若者もはいりますが、彼らには信念・思想はないですよね。
意図と言っても、「何らかの意図」というのじゃダメです。「感動させることを専ら意図」するかどうかを問うのであり、「けがをさせることを意図したかどうか」(「そんな積もりじゃなかったんです。かっとなってはずみで...」)は裁判の問題ですねえ。

> 衝動的な行動ですから。
ジャズセッションも相当に衝動的です。たいした信念・思想なぞないと思いますが?

> そこで切らないで下さいよ~
もちろんわざと切ったんです。すいません。
Stomachmanの解釈では、感動させる意図があって作った作品が「中身に心に訴えかけるモノがない」と受け止められたとすれば、それは失敗したという事です。でも失敗したから芸術じゃない、と言い切るのにはためらいを感じる。100年後に認められるということもあるからです。
しかし、もともと「奇を衒う」以外の意図がなかったとすれば、それは「方法論」をやっている仲間内での競争が目的であって、作品を提示する相手を間違えたんですね。適切な相手には「ちくちょう、先にやられた」と言わせることに「成功」しているのかも知れない。stomachmanのいう「レベルの低い感動を狙った芸術」です。

> 要は「目立ちたいだけ」で中身がないのはピッとはじく!
中身。これが芸術の本質ということでしょう?じゃあ、どういうのが「中身」でしょうか?kojoさんのおっしゃる「魂」(かたまりじゃありませんよ)の事だと思うんですが、それは何?

補足日時:2000/12/24 23:08
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定義せよ、と言われると難しいんですが、とりあえず具体的かつ独自の創意、工夫あっての芸術だと思います。


また、「ヒトに感動を生じさせることを専ら意図して」は必ずしも当てはまらないと思います。

例えば…

「うちの親父をからかって怒らせてやろう」だけでは芸術ではない。どうやって怒らせるかの工夫があり、かつ独自であれば芸術になり得る。

「死んでしまった大切な彼女の思いでのために書いた絵」なるものがあったとすると、それは画家自身のために書かれたものであって、公開するためのものでないし、当然自分以外の人間を感動させる意図などないと思います。しかし、これがその画家の死後公表されれば、充分芸術と評されることでしょう。

建築物は、「建築物としての機能要件を満たす」ことが専らの意図であって、「ヒトに感動を生じさせる」ことは(仮にあったとしても)副次的な場合がほとんどかと思います。にも関わらず、結果的に「ヒトに感動を生じさせる」ような建築物も数多くあり、それらは芸術であると私は思います。

一方、仮にものすごく美しい建築物(でも何でもいいですが)があって、それを機械で大量にコピーしたとき、それらコピー全てが芸術かというと、そうではなく、あくまでもオリジナルのみが芸術だと思うのです。これが私のいう「独自」の意味です。

ただし、「コピー技術」が芸術である場合もありうるとは思います。

難しいですね。また何か思いついたら書きにきます。

この回答への補足

オリジナリティが必須の要件である。ということですね。なるほど。これは説得力ありますねえ。

で、質問:「誰がカバやねん」と、同じギャグを数十年言い続けて、確実に笑いが取れるのは、これはオリジナルと見なすかどうか?同じ歌を毎日おんなじように繰り返し歌う歌手はオリジナルかどうか?一回性の作品におけるオリジナリティに限らず、絵画でも同工異曲とも言うべき、同じ作家による似たような作品群(同じ方法論のバリエーション)が大抵ありますよね。どこまでがオリジナルなんでしょうか?
 逆に、方法論はちっとも新しくないのだけれど、技術的に極めて完成度が高くて「感動」を引き起こす、ということもあると思います。(名人の落語とか、スーパーリアリズムの作品とか、いっこく堂の腹話術も?)。この場合のオリジナリティのありかは何処なんでしょう?

 建築に関しては、「名建築は雨漏りがする」というのがギョーカイの常識だそうです。つまり作りにくい。また掃除も難しいのでしょう。京都国際会館だとか、東京フォーラムなんて、確かに美しく、面白い建物だけど、使ってみると実に使いにくい。機能美ってことを考えろよ、と言いたくなっちゃう。芸術性の方が実用性より優先されているとしか思えないです。

補足日時:2000/12/24 23:07
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すみません…“自信なし”及びイメージで書きます…。



芸術…『魂の象徴』。
あくまでも私のイメージですが、他人に感動を与えるということ以前の欲求に突き動かされて、作品を生み出すのではないかと…。その「以前の欲求」とは一体なんでしょうとちょっと考えてみましたが、“魂”というのがなんとなく純粋な表現に思えた次第です。
そして魂がこもっている作品は、他者に美や感動を与えることができたり、芸術作品として評されたりするのではないかと…。
#reisさんの「衝動」という表現にも
#惹かれましたが…

以上、「魂とはなんですか?」という補足がこないことを願っております。。。m(_ _)m

この回答への補足

 ご回答、ありがとうございます。
魂とはなんですか?と訊くなと言われても....(^^;
ここで言う魂とはなんですか?これが芸術の本質であるというのなら、やっぱり問わざるを得ないですよぉ。

> 他人に感動を与えるということ以前の欲求に突き動かされて、作品を生み出す
他人がどうでも良いのなら、なんでわざわざ形にしなくちゃいけなんでしょうか。そこが分からないんです。

補足日時:2000/12/24 23:04
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私が(勝手に)思うところでは。

。。
stomachmanさんの答に「自らの信念・主張を持って」と書き加えればどうでしょう?
この信念・主張とは1.自らの生き方のスタンスや例えば絵画なら画風についての技術的スタンス(印象派とか写実主義とか)などの自己立脚点の明示。2.社会に訴える何か(自分自身である場合のあれば、政治的な主張もあるだろうし、人の心に訴える何か全般)

これ以外にも別にコムズカシイ考えではなくても、自分の信念・主張を持って作った作品は芸術ではないでしょうか?

・・・書いてるうちに自分でも何書いてるか判らなくなってきた。(^^;

余談:最近、世の人をあっと言わせるためだけの自己主張の芸術が多いと思いません?

この回答への補足

おつきあいいただき、ありがとうごさいます。
> 自分の信念・主張を持って作った作品
なるほどなるほど。これを「意図」という言葉に込めてる積もりですが、そうは読めませんか?
でも「自らの信念・主張」の範疇はこれ以上限定できないでしょうか?
親父に怒られて訳分かんなくなって渋谷でバットを振り回すのは芸術とは言い難い。しかし、社会不安を煽ることを意図したテロは、まさにこの芸術の定義に嵌っちゃうんですよね。(内心、あれは芸術の一種だと思っているstomachmanです。テロを賛美してるんじゃないですから誤解無きよう)

> 自己主張の芸術
「自己主張」なくして芸術って語れるのかな?と思います。誰もやったことのない方法論、誰も想像もしたことのない種類の「感動」、そういう物を狙って、成功するのは難しいけれど、でもやる。そういう高級な自己主張もあれば、「ママ、見て。」と積み木の作品を見せる芸術も、景色の良いところに「富士展望台」なんて勝手に看板立ててヒトを誘導する(トウモロコシ売るのは入場料代わり)のも芸術だと、思うんですが、そこにはやっぱり自己の信念・主張があると思いませんか?

補足日時:2000/12/24 16:33
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「そのものが美的に完成され、衝撃的であるもの」


つまり、非の打ち所のない「美」が感じられ、しかも
他者に大きな感銘を与えるもの。
また、そういう既存の芸術に対して常にそれを打ち破る
ように存在する新しい概念。

こういったものが芸術と……言われてますよね。

受け取る側が、たんに「美しい」と感じるだけでは
好みの問題で終わってしまいますし、人に何らかの感情を
持たせるものは芸術と呼ばれるもの以外にも存在するで
しょう。
また意図して創りあげるものでもないと思います。
芸術を行うものが自らのインスピレイションに従って
カタチにしたものから、自然に派生するものでしょうね。
ある意味、神がかり的というか。恍惚というか。
意思が介在できないところまでいくと見えてくるものでは
ないでしょうか?

この回答への補足

ありがとうごさいます。実にまっとうな説だとおもいます。

> 意思が介在できないところまでいくと見えてくるもの
というと、美学が完全否定(うんにゃのっと)されてしまうんでは?美の方程式=方法論ってやっぱりそれなりにアリ(伝統工芸とか、大きいおっぱいとか、あのイルカとか泳いでるポスターなど)であって、そしてそれを越えたものを狙う、というんではないでしょうか?

> 人に何らかの感情を 持たせるものは芸術と呼ばれるもの以外にも存在する
その通りです。例えば美しい風景。しかしそれを切り取ってみせる「写真」は芸術の範疇ですよね。その違いは意図にしかないと思えるのですよ。

> 意図して創りあげるものでもない
とするなら、「なんで手間とコストを掛けてわざわざカタチにするのか」が疑問です。仰る意味は「まぐれを狙え!」ってことじゃないでしょう?

補足日時:2000/12/24 16:35
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芸術には無知の私ですが、芸術というのは、創る人が自分勝手に思うがままに創作し、それを見る側、とりわけ肩書きのついているお偉いさん?がこれは芸術と言えば、芸術になるし、こき下ろせば、屑になってしまう。


いずれにしても芸術というのは、創る側、見る側の個人的な感性だと思う。お偉いさんが×と言ったって自分が○ならそれでいい。
何億円の作品だって自分が気に入らなければ価値なんか無いに等しいし、無名の人の作品だって気に入れば自分にとって素晴らしい芸術になる。
芸術なんてそんなものだと思う。
的外れだったかナー・・・・

この回答への補足

ありがとうございます。的はずれなんてとんでもない、まさにそういう話をしているんですよ。
 「芸術の本質はその意図にある」というのは、
[A] 意図が結果に繋がるかどうかは(重要だけど、本質的には)関係ない、ということを意味した積もりなんです。
(1) その芸術が成功する=意図した通りに、ヒトに「感動」を与えられるか、
(2) 失敗する=感動を与えられないか、
(3) あるいは、意図しない「感動」を与えてしまう(ポジティブな感動とは限らず、「くだらねえ」とか「トンデモ」も含む。)
ましてや、名声や経済的に成功するかどうかは別のことと考えてるんですが.....

[B] また、狙っている「感動」の特別さによって、当然レベルの違いがある。例えば
(1) 誰も感じたことがないような、新しい「感動」の体験を引き起こす。
(2) (旧知だが)期待していないような「感動」(知的興奮、怒りなど)を起こさせる
(3) 大多数のヒトに、確実に(旧知だが)心地よい「感動」を起こさせる(大衆芸術)
(4) 期待している通りの「感動」(笑いなど)を狙う(吉本新喜劇)
例えばコンセプチャルアートなんて、作品自体ではなく、作品の方法論をアピールしている。「面白い」と言わせたいのか、「なんだよそれ」と不満がらせたいのか、ってのはあるにしても。

補足日時:2000/12/24 16:38
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