太平洋戦争末期の話です。
日本の各地で空襲があり、落ちてくる焼夷弾に火がついて「火の雨」のようになったといわれています。
焼夷弾は落ちてから火がつくもののはずなのに、どうして降下中に火がついたのですか?

ちなみに、当時使われた焼夷弾は空中で40個ぐらいに分解されて降ってくるタイプでした。

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A 回答 (3件)

代表的なM47などの焼夷弾は爆撃機から落とされる大型の親爆弾の中に子爆弾がたくさん入っています。

爆撃機から投下された親爆弾は空中で炸裂して子爆弾を撒き散らし、その子爆弾が落下してくるわけですが、その長い筒状の子爆弾には1mほどの麻でできたリボンがお尻についていて、それが凧の足のように空中姿勢を保ちます。

親爆弾が子爆弾を分散させる際には「炸裂」するわけですが、このときには親爆弾内の火薬が使われます。そして、よくこの火薬のせいで子爆弾のリボンに火がつくのです。

長いリボンに火がついて、ヒュルヒュルとすさまじい数の子爆弾が落ちてくる様子はさながら火の雨のようであったと形容されているようです。
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この回答へのお礼

なるほど。それだーッ。
やっとわかりました。それで「火の雨」になったわけですか。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2002/02/15 20:27

当時日本に使用されたE46集束焼夷弾はM69焼夷弾を束にしたものです。

M69は一つが長さ50cm、正六角形で直径8cm。19本×2段=38本でE46です。おっしゃるとおり通常一定の高度(1500mくらい)になると分解されるように設定されていましたが、その際布でできたリボンに着火する仕組のようです。地上に落下して行われるのは内部の燃焼剤の噴射。
B29は1機あたりE46を約2秒で36発投下するため、
M69換算で1368発の尾部のリボンが火の尾となって降り注いだようです。実際に当時の写真で無数の焼夷弾が火を尾のように噴いて、雨となって投下された写真があります。
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この回答へのお礼

1機あたりで1368発/2秒か。
数字で示されると実感が湧きますね。計算したことありませんでした。
まさに火の雨だ。
ありがとうございました。

お礼日時:2002/02/15 20:37

私が母から聞いている内容では、焼夷弾の中には焼夷カードと呼ぶ紙切れが入っていて、上空で爆発し紙カードが拡散し、爆発により紙に引火、火のついた紙片が降り注いできたそうです。

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この回答へのお礼

えっ、そんなものまで降ったんですか?
降ったのは子焼夷弾だけじゃなかったんですねー。
意外意外。
何にも知りませんでした。

お礼日時:2002/02/15 20:22

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Q太平洋戦争でどんな焼夷弾が使われたか詳しく知りたいです。

今、別の質問で太平洋戦争の空襲で使われた焼夷弾の種類に
「M69焼夷弾・E46集束焼夷弾」、「M47焼夷弾」
が出てきたんですが、いったい、どれだけの焼夷弾の種類・量が使われたんですか?
空襲を受けた都市に被害の大小が見られたのですが、これは焼夷弾の性格の違いがあったからでもあると思っていいのでしょうか?

Aベストアンサー

焼夷弾の性能の違いもあるでしょう。性能がいいのがわかると敵国はその性能のいいのを大量に投下し始めました。

たしか先の大戦で最初に使われ始めたのがM47焼夷弾で、その改良型(燃焼の度合いが高い)のがM69焼夷弾だったと思います。

そしてそのM69焼夷弾を数十発(40発ぐらい?)を束ねて巨大な爆弾にしたのがE46収束焼夷弾と呼ばれるものです。

M69焼夷弾は終戦までに3000万発がそこらじゅうに落とされたといいます。

Q焼夷弾、焼夷爆弾、どういう違いがあるのでしょう?

隣県で行われた空襲に関する展示を見てきたのですが、そこには投下された爆弾の内訳についての資料がありました。

M〇〇焼夷弾 〇〇〇〇発
M〇〇焼夷爆弾 〇〇〇〇発

といった具合です。
この焼夷弾と焼夷爆弾とはどのような違いがあるのでしょうか?
表記の違いでしかないのでしょうか?

Aベストアンサー

自動車と乗用車の違いのような感じ。
自動車には、トラックやトラクター、普通車も含まれます。

焼夷弾には、空から落とす爆弾以外に、艦砲からの砲弾や航空機の機関砲弾にもあります。

砲弾の場合は、弾着してから爆発
爆弾の場合は、空中で爆発して、それぞれ焼夷剤を撒き散らします。

Q太平洋戦争中の食生活は?

この時期になると太平洋戦争時のことがとかく問題になります。
今年も靖国参拝問題とか戦争責任とか・・・。とはいえ、現在の日本を見れば、
不況だ不況だといいながらも飽食を貪っている。戦争自体は毎年語られるけど
戦争中に国に残って生活していた人たちについては忘れられがちな気がして。
どのような生活で、どのようなものを食していたのか良くご存知の方、教えてください。

Aベストアンサー

この時期の人々は既に高齢化しています。

私が昭和8年,1933年生まれ、戦争の終結が昭和20年,1945年。現在68歳
戦争の前線に出た人々は70歳を越えています。

私の体験は小学生の2年から6年まで、この間の体験は到底このようなところで
総てを書くことは不可能です。

育ち盛りの年齢、最後には食べ物の話になります。
生活していた場所、環境により違いはありますがこと食べ物については農村が
有利でした。

粟、稗こそ食べませんでしたが、大豆の絞り粕、小麦のふすま、かぼちゃ、
薩摩芋、干し杏、大麦、等が主食の座を占めたことも有ります。

白米のご飯と梅干は最高のご馳走。肉などお眼にかかることも有りませんでした。
総ての生活物資は国の統制下、一人にどれだけかの割り当てが有りましたが、

戦争末期になるとこの割り当ても有名無実でした。
履物、衣類も総て同じ、年々大きくなる子供は履物には苦労しました。

右左大きさの違う靴を貰って喜んでいましたが最後にはこれも無くなり
草鞋を履いていましたがこれも新しい物は学校で盗まれました。

欲しがりません勝までは、この標語の下に耐乏生活をしていました。

海に魚は多く居たようですがこれを獲りに行く漁船も軍の管理下、
漁をする人も少なくなり、漁船も海に出ると爆撃の標的になりました。

私は戦争終結後、微熱が続きましたが飢餓熱、栄養失調の発熱でした。
私達年代の人が戦争の体験を語るとき最後には食べ物話で終わります。

日本の大中都市に暮らした人々の殆どは爆撃の恐怖を体験し、衣食住総てで
辛酸をなめた筈です。

このような生活が精神的な重荷になり語ることを拒否する人もあると聞きました。
野坂昭之(字が違うかも)のアメリカひじきと言う小説が終戦前後の食生活を書き賞を貰った筈です

確かこれをもとにしたアニメが有りました。
見ていて目頭が熱くなりました。

私の姪がこのような話を聞きたがり話し事が有りますが2時間くらい話しても
終わりませんでした。

このような生活をしてきても人間は生きています。改めて生命力の強さを
実感するときも有ります。

この時期の人々は既に高齢化しています。

私が昭和8年,1933年生まれ、戦争の終結が昭和20年,1945年。現在68歳
戦争の前線に出た人々は70歳を越えています。

私の体験は小学生の2年から6年まで、この間の体験は到底このようなところで
総てを書くことは不可能です。

育ち盛りの年齢、最後には食べ物の話になります。
生活していた場所、環境により違いはありますがこと食べ物については農村が
有利でした。

粟、稗こそ食べませんでしたが、大豆の絞り粕、小麦のふすま、かぼちゃ、...続きを読む

Q夏休みの宿題 税についての作文

夏休みの社会の宿題で、
「税についての作文」というものがでました。
一応、書いてみたので時間がある方は読んでいただけないでしょうか?
枚数は3枚以内ということで、これだと2枚とちょっとくらいです。
題名がまだ決まっていないので、もし何かあればお願いします!


 私は、正直に言うと、今まで「税」というものについてよく知りませんでした。
自分が払っている税金と言うと、消費税くらいしかないし、
その消費税は、何かを買うと付いてくるし、
「税金なんかなくて良いのに。なんで払うんだろう。」と思ったこともありました。
 そこで、税金の使われ方について調べてみました。
すると、税金は、私たちが毎日学校で勉強するために使われていたり、
私たちの生活や安全を守るために使われていることが分かりました。
また、税金によって、医療費が安くなっていたり、ゴミ処理がされているということも分かりました。
 もし、誰も税金を払わなくなったら、どうなるだろうか。
と考えてみると、
私たちが今まで当たり前のように通っていた学校には通えなくなってしまうし、
私たちはこれから安心して暮らしていけません。
税金がなくなっても、毎日学校で勉強をしようとすると、
私たち中学生は、月々約7万9千円、つまり年間94万3千円を払わなければなりません。
他にも、税金がなくなれば、警察・消防費として、国民一人当たり約4万5百円、
ゴミ処理費用として、国民一人当たり約1万7千9百円を払い、
医療費は今よりも高くなります。
これらは、税金を払っている今は、税金によってまかなわれているのです。
そう考えると、税金は私たちにとって、とても必要なものだと思います。
 今まで、「税について知りたい!」とか「税金は必要だ。」と思ったことは
一度もありませんでしたが、今回調べて、税についてよく分かったし、
税金は必要だと思いました。
私たちは、いつも「勉強したくないなあ。」と思いながら学校に通っていますが、
こうして、当たり前のように毎日学校で勉強ができるのも、
税金があるからできるのだと分かりました。
 私たちはまだ、税金を払う立場ではなく、税金を使う立場の方です。
税金によって、私たちは色々な面で支えられています。
日本全国の人々が、税金を払い、
その税金によって、私たちは支えられています。
だから私も、将来、もっと税金を払うようになったら、
他の人たちを支えたいと思います。

夏休みの社会の宿題で、
「税についての作文」というものがでました。
一応、書いてみたので時間がある方は読んでいただけないでしょうか?
枚数は3枚以内ということで、これだと2枚とちょっとくらいです。
題名がまだ決まっていないので、もし何かあればお願いします!


 私は、正直に言うと、今まで「税」というものについてよく知りませんでした。
自分が払っている税金と言うと、消費税くらいしかないし、
その消費税は、何かを買うと付いてくるし、
「税金なんかなくて良いのに。なんで払うんだろ...続きを読む

Aベストアンサー

>消費税くらいしかないし、
>よく分かったし、

この「~し、」というのを書き直しましょう。
作文ではあまり使いたくない言葉使いです。

税金というと、一番身近なのは消費税でしょうか。
良くわかりました。

>だから私も、将来、もっと税金を払うようになったら、
>他の人たちを支えたいと思います。

この部分が???となる文章でした。
税金を払うことに支えるとありますが、何を支えるのかを書く。
または最後の〆の言葉自体を変更してもいいかもしれません。


これくらいでいいと思います。
中学生なので十分ではないでしょか。

Q第二次世界大戦の日本兵の死亡率

あの戦争で何人の日本兵が戦地に赴き、そのうち何パーセントぐらいが帰還したのでしょうか。ご存知の方、宜しくご教授ください。
(出典も教えて頂ければ幸いです〉

Aベストアンサー

戦死者数は130万人を超えるとされていますが(原朗「戦時統制経済の開始」『岩波講座日本歴史20』近代7)、単なる戦死というより、日本軍は飢餓とも戦っていました。これこそ無謀な戦争といえる現実でした。

NHK取材班編 太平洋戦争 日本の敗因2「ガダルカナル 学ばざる軍隊」(角川文庫)
>アメリカ軍は結局この日本軍の撤退の動きにまったく気がつかず、奇跡的な成功だったといわれる。これは『戦争叢書・南太平洋陸軍作戦2』によれば、1万0665人であった。これはガダルカナルに上陸した総人員3万1358人のおよそ三分の一であった。戦死・行方不明は合わせて2万1138人、そのうち戦闘で死亡した兵士は5000人ほどと推定され、残りの1万5000人以上が飢えと病に倒れたのであった。
 
 精神論だけで勝とうとする日本軍の指導者について以下のように記載してあります。
 >またアルビン・クックス教授は、このノモンハン事件(死傷率70%)の失敗が太平洋戦争でも繰り返されたもう一つの大きな点は、事件の指導者(辻正信、服部卓四郎)が責任も取らずに再び太平洋戦争も指揮したことにあるとしている。

インパール作戦でも半数は補給作戦もなく、飢えと病で死んでいます。NHK取材班「責任なき戦場 インパール」(角川文庫)

 
 

戦死者数は130万人を超えるとされていますが(原朗「戦時統制経済の開始」『岩波講座日本歴史20』近代7)、単なる戦死というより、日本軍は飢餓とも戦っていました。これこそ無謀な戦争といえる現実でした。

NHK取材班編 太平洋戦争 日本の敗因2「ガダルカナル 学ばざる軍隊」(角川文庫)
>アメリカ軍は結局この日本軍の撤退の動きにまったく気がつかず、奇跡的な成功だったといわれる。これは『戦争叢書・南太平洋陸軍作戦2』によれば、1万0665人であった。これはガダルカナルに上陸した総人員3...続きを読む

Q『更迭』と『罷免』の意味

皆様、こんにちは。

最近何かとよく耳にする『更迭』と『罷免』ですが、意味が同じように思えてなりません。(他にも『解任』などもあったりして)

どちらも、『人を辞めさす』という意味で間違いないと思いますが。
gooの国語辞典で調べると、『罷免』は単に辞めさす事。
『更迭』は他の人に変える事とでてきます。
だとしたら、『更迭』の用法としては『○○を△△に更迭する』という形となると思うのですが、新聞やTVなどメディアでは『○○を更迭』と使っている気がします。
これは単にメディアがきちんとした使い方をしていないという事なのでしょうか?

なんだかうまくまとまりませんが、『更迭』と『罷免』について分かりやすい用法や明確な違いをご存知の方がいらっしゃれば是非教えて下さい。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

罷免--免職と同じで、辞めさせる事. **を罷免する。はやくいえば首
解任---任を解く  課長の任、地位を解く。**さんを解任するはその人の任(地位)を解くで、**さんを辞めさせるという事ではない。結果的には首もあるでしょう.
更迭---人を変える。**を更迭する。--に***を更迭でもいいし、**を更迭するでも、どこへ行こうが更迭をされる事実がわかれば、いいのだから、**を更迭でもかまわいと思います.地位を下げられる人もあり.

Q太平洋戦争当時日本軍が三八式銃を使用していた理由は

三八式銃とは、明治38年 に発明された旧式の銃らしいですが、
これを太平洋戦争当時でも使用していたそうです。
戦争中の兵器の進歩は日進月歩なのが普通なので、
これは不思議なことです。
使用し続けた理由は何でしょうか?

大量に余っていたとしても新式に鋳直せばよいだけのことです。
現に戦闘機などはどんどん改良を重ねています。
なにか特別なことがあったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られていますね。
新しいともいえませんが、それほど古いともいえません。つまり、ボルトアクション式では、すでに三八式は「決定版」ともいえる代物だったのです(No12の方が言っているように日本人にとって扱いやすいのも大きい)。
決定版なので、それ以上のものは戦術的転換がないかぎりは不要です。現在でもピストル、小銃などは50年以上前の設計の物だって十分現役で使っている国もあります。これらは現代の戦術では決定版足りえる代物だからです。

さて、先ほどから「戦術」という言葉を使っていますが、これが、三八式におきた一つ目の悲劇です。
時代は第1次大戦、火器は「小銃による打ち合い(砲は補助的)」から「重砲と機関銃(小銃は補助的)」による戦術に「転換」しました。

つまり三八式の作られた時代の戦術概念と第2次大戦では大きく様相が変わったのです。
基本的に新しく作られた戦術というのは、前に使われていた戦術よりも優れています(優れているから採用される)。
つまり、三八は世界的な戦術である、火砲、機関銃の大量使用による弾幕戦と戦うようには対応していません。
諸外国のようにそれらの「補助兵器」として使うならば十二分の性能だったでしょう。

当時の戦術において勝利を決めるのは火砲、機関銃、戦車といった兵器で、小銃はすでに勝利を左右する兵器ではなくなっていました。
しかし、日本軍にはそれらで力のある兵器はありません。

勝利を左右する兵器を持っていない軍隊と、勝利を左右する兵器を大量保有している国が戦えば・・・どうなるかはわかりますね?

日本軍が、(あくまでボルトアクションから進歩した存在であり、補助兵器の域を出ない自動小銃はともかくとして、です。諸外国がこれの更新を遅らせたのは、他に国力を注いでいたためです)火砲や機関銃の大量配備を嫌ったのは、塹壕戦による経験が薄かったために有効性を信用しきっていなかったのもありますが、最大の理由は、工業力がこれらの兵器を「全軍にいきわたらせて、かつ戦えるだけ」の力を持ち合わせていなかったことです。
国力と軍事力の兼ね合いが著しく悪いとも見れます。海軍でもいえますが、国力以上の軍事費は維持費や更新費用の面で国家を破綻させます。弾薬についてもそうです。自国の国力でまかなえる以上の弾薬を使う軍隊を持てば、補給にひずみが生じて、供給が追いつかなくなります。
かといって軍隊を減らすわけにもいかない状態ですし、そのおかげで更新(つまり戦術転換)に使う国力もない。新しい戦術では弾薬を多く使うので、転換したところで維持できるだけの国力もない(諸外国は生産量を増やしたのですが、日本ではそれができるだけの国力すら残っていなかった)。
日本軍が抱えていたひずみとかゆがみが、小銃にも現れているのです。

もう一つの悲劇が、1つ目の後半とかぶりますが日本の工業力の低さです。
当時、日本の技術力はとにかく欧米に追いつけということでタッチアップを図っていましたが、まだまだ追いついていません。
よく「日本の技術力は世界一だった。アメリカに物量で負けた」なんていう人がいますがこれは大間違いです(空技廠から上がってきた航空機の図面で、「この部分は鋳型をつかった鋳造で」となっていても金型が作れずに削り込み部品にしたというのはよく聞く話です。つまり当時の技術はその程度)。
中でも惨憺たる分野が重工業全般の中でも最重要分野の鉄鋼業でして、製鉄も自国では補完できない、鋳型技術も低い状態です。
さらには、精密機械技術が発展途上でして、とにかく精度が悪い(戦前の日本兵器において「統一規格」はありません。というより作れなかったのです。精度が維持できないのですね)。そのため小銃ですら調整しないと命中精度が維持できない上、部品の互換性がない。これは前線において問題です。
別々の箇所が壊れた銃をばらして一つの壊れていない銃にするというのは、軍隊ではある程度普通ですが、日本ではこれが出来ない。つまり不経済な状態です。
また、弾薬の製造精度も悪いため、弾詰まりが多い。これは自動小銃のほうで批判されますが、こちらについては「吐き出す量が多いためハズレに当たる確率が高い」だけなのです(まあ、自動小銃のほうが若干弾詰まりを起こしやすいというのはありますが・・・)。

ながくなりましたが、結局は日本と日本軍の構造上の問題なのです。
日本において三八式が評判が悪いのは、本来的に責任はない三八式に、日本の抱える問題を添付してしまっているからです。結局問題は日本自体にあるのです・・・
というわけで、三八自体の設計は優秀ですし、ボルトアクション式小銃の決定版でもあります。

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られてい...続きを読む

Q生保レディーって体を張ること有りますか?

よく生保レディーは、契約を取るために客とエッチした、という話を聞いたことがあります。
まあ、そういう人はいたとしても一握りだと思いますが。。

でも、本当にそういうことをして契約を取っている人っているのでしょうか?どなたかご存じの方、話をきいたことがあるって方、教えてください。

ちなみに、保険に入るぞって見せかけてヤリ逃げすることは無理なんでしょうか?

また、生保レディーの方で、お客さんにセックスを持ちかけられたことありますか?誘われた経験がある人もご意見お待ちしています。

Aベストアンサー

#2です。
ちょっと補足です。

私が耳にしたのは、友人の同僚の話ですから、信憑性はちょっと?な部分も無いわけでは無いのですが、社会人になってまだ2年にもならない気の弱い奴で、百戦錬磨の保険のオバチャンにパクっと食われてしまった、という話でした。
これは、趣味と実益を兼ねたオバチャンならではのレアケースであり、「そんなんで月に3万円の保険には入らないよな~」と皆で大笑いしたものです。
2年目の独身のぺーぺーに、そんな高額な保険が果たして必要でしょうか?
そういう点も含めてですが。

また、保険勧誘員に「客と寝てでも契約取って来い!」と檄を飛ばすような会社の保険になど、絶対入りたくありませんね。(こんな大セクハラがまかり通る会社の保険だとしたら)
勧誘員にも仲間に「私、客と寝て契約取ったわよ」と自慢するようなアホはまずいないでしょう。
例えあったとしても、絶対会社には言わないと思います。

若くて綺麗な保険勧誘員に「Hさせてくれたら、保険に入ってもいいよ」と言って、ゴキブリを見るような目で見られるのがオチではないでしょうか。
なので、お勧めしません。

#2です。
ちょっと補足です。

私が耳にしたのは、友人の同僚の話ですから、信憑性はちょっと?な部分も無いわけでは無いのですが、社会人になってまだ2年にもならない気の弱い奴で、百戦錬磨の保険のオバチャンにパクっと食われてしまった、という話でした。
これは、趣味と実益を兼ねたオバチャンならではのレアケースであり、「そんなんで月に3万円の保険には入らないよな~」と皆で大笑いしたものです。
2年目の独身のぺーぺーに、そんな高額な保険が果たして必要でしょうか?
そういう点も含めて...続きを読む

Q東京大空襲のB29は330機と聞きますが、

東京大空襲のB29は約330機が2時間半に渡り爆弾を投下したと聞きますが、この330機は一斉に来襲したのですか?それとも50機ずつくらいが波状攻撃を行ったのですか? グアム、テニアン、サイパン基地から飛び立った様ですが上空で待ち合わせして330機になったのでしょうか? また、米軍は東京の詳細地図を持っていて、それを碁盤の目の様に分けて各B29がどのマス目に投下するよう指示されていたようですが、こんな地図はどこで入手したのでしょうか?それと夜間の空襲で米軍のレーダーはそこまで地図の情報とシンクロさせて精確に投下したのでしょうか? 

Aベストアンサー

まず、本のご紹介です。

奥住喜重・日笠俊男共著 「米軍資料ルメイの焼夷電撃戦」吉備人出版刊

http://www.amazon.co.jp/%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E8%B3%87%E6%96%99%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%81%AE%E7%84%BC%E5%A4%B7%E9%9B%BB%E6%92%83%E6%88%A6-%E5%A5%A5%E4%BD%8F-%E5%96%9C%E9%87%8D-%E6%97%A5%E7%AC%A0-%E4%BF%8A%E7%94%B7/dp/4860690834/

マリアナ諸島に展開していた、カーチス・E・ルメイ少将指揮のアメリカXXI爆撃機集団司令部は、膨大なページ数の文書資料を残しました。攻撃目標である日本の諸都市に関する調査と作戦計画に始まり、攻撃当日の記録類、後日の戦果確認と攻撃方法の妥当性の検証にいたるまで、様々なものがありました。これらは、米政府の公文書であると同時に米軍の機密文書でもあり、永らく一般には公開されていませんでしたが、米国の情報公開法の規定により、一定の年数を経過したものは、米国の国益を著しく損なう恐れのあるものを除いて秘密指定が解除され、国立公文書館に於いて研究者の閲覧が可能となりました。

また、これらのうちの一部は、日本の国立国会図書館に複製されたマイクロフィルムのかたちで収蔵され、研究者の閲覧に供されています。

上記の本は、これら資料を解析して、B-29による日本空襲の実相をアメリカ軍側の視点からまとめ、できるだけ正確に後世に伝えようとする労作です。

では、個別のご質問に回答いたします。

>この330機は一斉に来襲したのですか?それとも50機ずつくらいが波状攻撃を行ったのですか?

マリアナ諸島から日本本土まで片道およそ七時間、往復では十四時間以上の長距離飛行です。このためB-29は焼夷弾と燃料を満載してほとんど積載重量オーバーぎりぎりで作戦にのぞみました。

マリアナ諸島に展開する各基地から短い間隔で次々に離陸しましたが、それでも全機が離陸を終えるまでにはたっぷり二時間近くかかっています。上空で旋回しながら編隊を組む余裕などは無く,離陸したB-29から次々に日本目指して飛んで行きました。

昼間の攻撃なら日本の迎撃機に対する防御機銃の威力を集中させるために密集編隊を組みますが、夜間の攻撃では密集編隊は組みませんでした。夜間はB-29同士の空中接触による事故の危険があるのと、この時期には日本軍が本土決戦に備えて飛行機と燃料を温存する方針に転換していたので、日本の夜間戦闘機の抵抗がきわめて弱体化していたからです。

焼夷弾の投下も、各B-29が個別に指定された地域に投下しました。

>米軍は東京の詳細地図を持っていて、それを碁盤の目の様に分けて各B29がどのマス目に投下するよう指示されていたようですが、こんな地図はどこで入手したのでしょうか?

これは「リト・モザイク」と呼ばれる航空写真を編集した写真地図です。私は戦災展で複写したものを見たことがありますが、ルーペで見ると木造家屋が一軒ずつ識別できるほど細密なものでした。米軍は爆撃に先立って、目標としてリストアップした日本の都市の上空に写真偵察機(B-29を改造したF-13と呼ばれる機体)を飛ばし、大型カメラでくまなく航空写真を撮影し、それを碁盤の目状に編集して写真地図を作成しました。

この碁盤の目には全て番号が付けられて、爆撃目標地点はこのリト・モザイクの番号で指定されました。広島と長崎に原爆が投下された時にも、命令書には投下地点として、都市名ではなくこのリト・モザイクの番号が指定されていたそうです。

当時の日本軍が、そうもやすやすと米軍に写真偵察を許していたのかと思うかもしれません。日本軍の側もアメリカが克明な偵察飛行をしていることは承知していましたが、本土決戦に備えて飛行機と燃料を温存する方針から、大規模な攻撃には反撃するけれども、わずかな機数のB-29が本土上空を飛んでもいちいち相手にしないことにしていたのです。

>夜間の空襲で米軍のレーダーはそこまで地図の情報とシンクロさせて精確に投下したのでしょうか?

これについては、別のご質問で回答したページがありますので、そちらも合わせてご覧いただくと分かりやすいと思いますが、当時のB-29に搭載されていたレーダーは、陸地と海面の電波反射率の違いを表示して海岸線や湖の湖岸の輪郭をスクリーンにくっきりと表示しましたから、たとえば三浦半島の形や東京湾の海岸線の輪郭などがわかり、航空図と見比べる事で容易に位置を確認できました。

しかし、陸上の複雑な地形を識別できるほどの精度はありませんでしたので、半島の先端や湖の端など特徴的な地形を識別し、そこから何度の方角に何マイル飛行するという方法で目標に到達していました。精度としては、東京二十三区を個別に爆撃できる程度の精度はありましたが、特定の軍需工場だけを狙うという程の精度は夜間のレーダー攻撃では無理でした。

しかし、終戦間際には新型のレーダーが開発され、陸上の目標でも精密な爆撃が可能になりつつありました。

参考URL B29の日本爆撃は夜間でもレーダーを使用して
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6170229.html

まず、本のご紹介です。

奥住喜重・日笠俊男共著 「米軍資料ルメイの焼夷電撃戦」吉備人出版刊

http://www.amazon.co.jp/%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E8%B3%87%E6%96%99%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%81%AE%E7%84%BC%E5%A4%B7%E9%9B%BB%E6%92%83%E6%88%A6-%E5%A5%A5%E4%BD%8F-%E5%96%9C%E9%87%8D-%E6%97%A5%E7%AC%A0-%E4%BF%8A%E7%94%B7/dp/4860690834/

マリアナ諸島に展開していた、カーチス・E・ルメイ少将指揮のアメリカXXI爆撃機集団司令部は、膨大なページ数の文書資料を残しました。攻撃目標である日本の諸都...続きを読む


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