中学生の歴史なんですが、中2くらいで出てくる院政とゆうもののしくみがよくわかりません。
あれは、具体的(できれば簡単に)にどうゆう政治のことをいうのでしょうか?

分かる方是非教えていただきたいです。よろしくお願いします

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歴史 覚え方」に関するQ&A: 歴史の覚え方

A 回答 (4件)

こんにちは。

capppuさん。
どんな組織にも決まりや習慣がありますよね。
一番偉い人だからといって規則を破ったり、今までの習慣を変えることは
難しいです。

会社の社長さんが息子に社長の椅子を譲って引退したのだけれど、そのまま
会社のあれこれに口を出す様な状態が院政です。
社長も父の言うことだから逆らえず、社員も前社長の言うことだから無碍にも
できない。
簡単にはそんな感じです。

天皇も自分勝手に何でもできる訳ではありませんでした。
律令制度の決まりがあり、代々守られてきた慣習があり、それにはなかなか
逆らえません。
天皇の位を退くと上皇と呼ばれますが、本来、上皇は引退した身なので、
あれこれとしたウルサイ決まり事や慣習はほとんど有りません。
天皇の位を退いたといっても、現天皇は自分の子・弟・甥・孫である事が多く
血縁の・・・つまり皇族の長老として天皇にあれこれ口出しをしてしまうのです。
上皇が言った事や出した文書の方が現在の天皇の言葉や文書より重んじられて
いくようになりました。

実はこの頃、既に天皇の力は弱いものでした。
摂関政治といって本来、天皇の家来である藤原家が摂政・関白の位に就き
実権を握って政治を左右していました。
新しい天皇が即位しても元々、「今までの決まり事・慣習」を重んじる天皇は
摂政・関白には逆らえないのです。

そこで引退して上皇となり「天皇と摂政・関白」という今までの間柄を気にせず
自由に権力を奮うことができたのです。

院政は天皇の力を弱めるという欠点がありましたが、家臣である藤原家に牛耳
られていた権力を皇室に取り戻すという利点もありました。
こうしてしばらく最も力のある上皇が後任の天皇を自由に操り政治を動かして
いったのが院政です。

最初にあげました会社の例でもありますように本来引退したはずの立場であり
ながら実権を握る続けている事を今でも「院政だ」等と陰口を叩くことも
ありますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!とても分かりやすかったです。
なんかいろいろ裏事情(?)みたいなのもあっておもしろかったです。よくわかりました

お礼日時:2002/02/16 22:37

capppuさんとyuururiさんのために中学の教科書よりも少し詳しく説明しましょう。

(もしかすると高校教科書よりも詳しいかも・・)

院政というのは摂関政治のあとにでてくる平安時代の政治形態ですよね。で、摂関政治というのは理解できますか?摂政というのは天皇が幼少であったり女帝であったりする時に、天皇に代わって政治を行う役目ですね。そして、関白というのも、天皇が成人したあとに天皇の補佐をする(という形での)政治の最高権力者です。それで、この摂政・関白というのは現実には藤原氏が天皇の外戚(天皇を産んだ皇后や中宮の父すなわち天皇の祖父が多い)となって独占します。そして、摂関政治の全盛時代には天皇という位は形式的なものになっていってしまい実権のともなうものではなくなりました。

でも、天皇だって人間ですから自分が政治をやりたくなりますよね。そこで、天皇を引退して上皇となったとき、今度は天皇の父または祖父としての立場から政治を行います。これは摂関家の勢力が衰えたこと、天皇家が私的に持つ荘園が多くなり経済的にも潤うようになってそれを権力基盤とできたこと、摂関家から阻害された他の貴族たちの支持を受けたことなどで成立します。

つまり、天皇の母方が摂関として天皇に代わって政治を行っていたのに対して、院政では父方が天皇に代わって政治を行うようになったと見ることができます。なお、政治のやり方ですが、院庁(いんのちょう)というもともとは上皇の家政をおこなうために作った機関を公式的なものとしていき、院庁下文(いんのちょうくだしぶみ)という文書を使っていろいろと指図しました。初めは私的な文書でありましたが次第に公的なものとなり、ついには詔勅(天皇の命令)と同じ効力を持つようになります。

少し長くなりましたが、この位で理解できたでしょうか。なお、点数だけが目的ならばyuururiさんのおっしゃる通り、白河上皇→院政→1086年、だけ覚えれば充分でしょうが背景や仕組みも覚えた方が忘れにくいし、歴史を理解しやすいと思います。
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この回答へのお礼

さすが専門家さんですね~、詳しすぎてびっくりしました!教科書に載ってない言葉があってちょっと難しかったですが・・・。
むしろ、摂関政治がさらによく理解できてラッキーでした
ありがとうございます

お礼日時:2002/02/16 22:43

No1に補足。


上皇が出家してお坊さんになると「法皇」になります。上皇・法皇・などの敬称として「院」という言葉を使います。
「院」はもともとは建物を指す言葉ですが、敬称として用いるのです。時代劇で「とのさま」とか「おやかたさま」と言うのと一緒ですね。
「院」が実権を握って政治をするので「院政」と言います。

のちには、「表面上引退した人が実権を握っていること」を院政と言う様にもなりました。
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この回答へのお礼

どうも有り難うございます!よく分かりました。
院って建物のことだけを言うのだと思っていました。参考になります。

お礼日時:2002/02/16 22:48

うーん、私も中2なんですが、そこまで詳しく考えたことないなぁ・・・。


えっと、一応、「天皇」の位を辞めた人を「上皇」といいます。そのひとが実権を握って政治をする・・・・のが「院政」だそうです。
でも、白河天皇(白河上皇)→院政 で覚えたらテストで点は取れると思いますよ☆
私も中2なんで・・・・。
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この回答へのお礼

どうも有り難うございます!
僕は受験生なのでちょっと詳しく知りたくて聞いてみました。なんだかここら辺難しいから。。詳しく知っておきたかったんです。今後もヨロシクです

お礼日時:2002/02/16 22:34

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中学校1年生の子供からの質問なのですが、

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D
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この西暦を考え出したのは、数学と天文学に通じていたローマの修道院長、ディオニシウスで、6世紀半ばのことです。
それまでは、日本の元号のように、何皇帝の何年というような呼び方をしていました。
しかし、それでは年数の計算が不便なので、ディオニシウスは、キリストが生まれた年を紀元とすることにしました。
これが、現在我々が使っている西暦の始まりです。
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