痔になりやすい生活習慣とは?

人は歩いて移動する、という当たり前のことを探しています。

人が1日で「歩いて」移動できる距離はどれくらいでしょうか?
また、交通史上の馬の使用頻度はどの程度だったのでしょうか?

歴史上(時代区分はいつでもOK)の事例を教えてください。

参考文献をご紹介していただければ幸いです。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (4件)

今野信雄著「江戸の旅」岩波新書 などに載っています。


東海道膝栗毛によると、江戸ー伊勢が12日で、一日十里(40キロ)が標準です。一日十時間あるくので、時速4キロいまでは、強行軍ですが、江戸時代の人は歩き慣れこれが標準です。
早歩き商売の飛脚、中でも早い継ぎ飛脚は江戸ー京都が60時間以内と定まっていました。  時速10キロの速さです。  高張り提灯を持ち、夜も走ります。   宿場、宿場で交代しますから、一人で走る訳ではありません。   1日で走る距離は先の歩く時の倍の80~100キロだったでしょう。
現代では道路が良く早足の人は、時速6キロで歩けますから、一日60キロという所でしょうか。
古くは「延喜式」(900年ころ)では途中の食料を背負っての旅ですが、武蔵ー都 50日かかったそうです。  一日12キロ異常な遅さですが、米だけで30キロ担いでは仕方ないでしょう。
もっとさかのぼり、石器時代の我々の祖先は、東京湾の岸辺から、干し貝を担いで、上越の山を越え長野県の山奥まで、石器の材料の黒曜石と、物々交換にゆきました。  考えられないような早足だったようです。
馬の利用ですが、江戸時代東海道では各宿場ごと、馬100頭、をおく事が規定されていました。  公式のものですが、公用に使われる事が多くなり、一般の馬子もいたことでしょう。  自分の馬で旅する武士も多かったでしょうから、街道行き来の馬は結構いたと思います。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

お返事をいただきありがとうございます。

個人的な思いだけなのですが、鐵道・モータリゼーション以前の人は基本的に足で移動する。しかし、足でなので、移動できる範囲は限られる。という疑問を持っておりました。

ただ、怠慢な性格なので、なかなか前に進まず、この種の先行研究の中で、基礎文献になっているものはないかな?と思い、皆様にご質問させていただいた次第です。

皆様からいただいたご回答にお礼申し上げます。
また、勉強させていただきます。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/07 19:02

●江戸時代、早馬、早飛脚が何日でついた、という記録があるでしょうから、大きな事件にからんだ本など読んでみてはいかがでしょう。


海路(船)を使ってしらせることもあったようです。
江戸時代、高山彦九郎が上州での一揆騒ぎを江戸で聞いて駆けつけるのに何日…といったことが記録にあるようです。
あとは、高野長英が脱獄後、素性を隠し徳島藩にいた時、隠れ翻訳した本があまりに見事で、徳島藩主に幕府がおたくんとこ優秀な学者るらしいじゃん、と探りを入れた報告が徳島に届くまで何日、とか
大塩平八郎が、幕府の汚職の証拠をつかみ、もみけさせないため、諌めるために起こした乱、大塩が江戸へ送った飛脚が伊豆山中で病に倒れるのですがそこまで何日とか、記録はたくさん探せると思います。
(マンガ風雲児たち、元ネタ。何日かわかったら追記します)
●外国でもよいですか
リビアだったかサハラ砂漠の道路上、車が故障したときのため、歩いて辿り着ける一定間隔ごとに小屋があり水がおいてあって非常時の救命所になってるそうです。何Kmごとかわかりませんが、砂漠での場合ですね。これも調べてみてはいかがですか。
●自分で調べる力を高めることはとても大事なことです。物事に興味を持つなら調べ方、努力の仕方も身につけましょう^^
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お返事をいただきありがとうございます。

個人的な思いだけなのですが、鐵道・モータリゼーション以前の人は基本的に足で移動する。しかし、足でなので、移動できる範囲は限られる。という疑問を持っておりました。

ただ、怠慢な性格なので、なかなか前に進まず、この種の先行研究の中で、基礎文献になっているものはないかな?と思い、皆様にご質問させていただいた次第です。

皆様からいただいたご回答にお礼申し上げます。
また、勉強させていただきます。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/07 19:02

歩きだと、時速4キロで8時間程度歩くので、大体30キロちょっとになりますね。



馬に関しては、国内と海外では大分違いますが、国内の場合、馬は交通手段としてあまり用いられていません。精々、通信手段として用いられた程度です。
その代わりに、駕籠は交通手段として用いられていたようで、*枚駕籠のように二人ではなく多人数で駕籠を担ぐ+予備人員の確保で、かなりの速度が出せたようです。忠臣蔵で浅野家断絶の際、切腹を知らせる使者が3日目の夜に赤穂城に到着します。切腹が夜6時頃(酉の刻)であったことから、丸三日ほどです。距離は約600キロ強といったところなので、一日200キロほどでしょうか。


時代も方法も国も違いますが、有名な小説に「80日間世界一周」という小説があります。ここから考えると、1900年頃に、最速で移動したとして一日に500キロ程度ですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お返事をいただきありがとうございます。

個人的な思いだけなのですが、鐵道・モータリゼーション以前の人は基本的に足で移動する。しかし、足でなので、移動できる範囲は限られる。という疑問を持っておりました。

ただ、怠慢な性格なので、なかなか前に進まず、この種の先行研究の中で、基礎文献になっているものはないかな?と思い、皆様にご質問させていただいた次第です。

皆様からいただいたご回答にお礼申し上げます。
また、勉強させていただきます。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/07 19:01

昔の人が歩くと言えば、東海道ですかね


こちらのHPでは
http://www.city.okazaki.aichi.jp/museum/DB/KIKAK …
「東海道全体の距離が約125里(500km)で通常10日から13日位の旅程」
とのこと
で、実際に歩いた人がいました
http://www21.ocn.ne.jp/~anzuway/toukai/table.htm
この方は16日かけていますね。
たぶん、現在は道路が整備された反面、信号があったり、歩行者が通れず迂回したりしなくてはならないなど、
色々な要因で、日数が違うのかな。

これらのことから、30Km後半が実質の目安みたいですね。

そうそう、東海道が10日から13日位の旅程でありながら、宿場が多いのは、
雨だったり、女性や子供連れだったり、荷物があったりと、
実際には、条件によって一日の行程が異なるからだそうです。

では
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お返事をいただきありがとうございます。

個人的な思いだけなのですが、鐵道・モータリゼーション以前の人は基本的に足で移動する。しかし、足でなので、移動できる範囲は限られる。という疑問を持っておりました。

ただ、怠慢な性格なので、なかなか前に進まず、この種の先行研究の中で、基礎文献になっているものはないかな?と思い、皆様にご質問させていただいた次第です。

皆様からいただいたご回答にお礼申し上げます。
また、勉強させていただきます。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/07 19:00

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q昔の人の体力と脚力

江戸時代、早飛脚で有名だった者が、高崎~江戸~大阪(現在の国道だと620kmぐらいか)を3日間で走破し、帰りも同じく3日間で走破したそうです。
単純計算で1日当たり207km、1時間当たり8.6kmぐらい。
アップダウンの激しい当時の街道を6日間で1240kmも走ること自体が信じられません。さらに食事や休憩時間を差し引くと、もっとすごいスピードで走っていたことになります。
ところで、箱根などの関所や大井川などの川越しの営業時間は午前6時から午後6時まででしたが、早飛脚でもその時間帯は通行できなかったのですか?だとしたら、もっとすごいスピードで走っていたことになります。
栄養学や科学トレーニング、各種サプリメントなどもない時代に、そのような猛者が本当にいたのでしょうか?
ちなみに、私は平坦な舗装路を速足で散歩すると1時間当たり5kmですが、そのペースだと3時間が限界です。

Aベストアンサー

自分と比べてはいけません。私や質問者さんがいくら頑張っても150キロのストレートを投げたり、100mを10秒少々で走ったり、スケートで3回転のジャンプをすることは絶対にできません。しかし、世の中にはそういうことを簡単にやってのけるアスリートと呼ばれる人たちがいます。
今でも昔でも、生まれながらにして飛び抜けた運動能力をもったアスリートは存在します。今はプロスポーツがありますからそういう人たちはスポーツ選手になるわけですが、昔の人は剣士になったり力持ちなら強力をしたわけですよ。坂本龍馬の姉ちゃんは、俵を片手で持ち上げたなんて伝説が伝わっていますよね。去年の大河の主人公である八重さんはものすごい射撃の腕前の持ち主でした。敵の指揮官を次々に斃したというのですからゴルゴ13なみで、今ならオリンピック選手間違いないでしょう。当然、昔でも飛び抜けて脚が速い人は飛脚やら何やらをやらないかといわれたと思います。
箱根駅伝で「山の神」といわれた柏原竜二選手みたいな走りをしろといわれても絶対に無理ですが、世間にはそういう若者が現実にいるわけです。ちなみに1時間20分くらいですよ。自転車でももっと時間がかかる人はザラでしょう。まったく何も知らない人が箱根5区を歩かされて「これを1時間20分で走る人がいる」と聞いてもにわかには信じられないでしょう。

ちなみに添付の写真は幕末から明治初期のアクロバチックな芸を見せていた芸人さんのものだそうですが、びっくりするほど筋肉ムキムキですよね。考えてもみてください、当時は筋トレもなかったし、それどころか肉でさえほとんど食べてなかったんですよ。当時の日本人のたんぱく源はほとんど大豆だったはずです。いってみれば、豆腐と味噌汁で作った筋肉。どれだけ実践的な肉体だったかということです。

現代人がすべて手作業で田植えをしたら、半日だって持たないと思います。でもそれをいったら戦後すぐくらいまでは行商のおばちゃんとかがいて、彼女たちは50キロから60キロくらいある野菜や商品をかついでぜんぶ徒歩で回っていたわけですからね。身長150センチ程度のどこにでもいる女性ですよ。現代の女性に、いや男性だって30キロの荷物を担いだらロクに歩けない人はザラにいるでしょう。

ちなみに現代でも、メキシコのある高地民族はマラソンにやたら強くて、賞金が出る大会に「出稼ぎ」にいってさらっと優勝して賞金をかっさらっていくそうです。もちろん彼らは高地の村で普通に暮らしているだけです。笑っちゃうのが、彼らが普段履いているサンダルは、古タイヤを切って作るお手製のものだそうで、彼らはマラソン大会のときも吐きなれているからとその古タイヤサンダルで走って優勝しちゃいます。もちろん、他の選手はスポーツメーカーの何万円もするハイテクシューズを履いているわけですが。

自分と比べてはいけません。私や質問者さんがいくら頑張っても150キロのストレートを投げたり、100mを10秒少々で走ったり、スケートで3回転のジャンプをすることは絶対にできません。しかし、世の中にはそういうことを簡単にやってのけるアスリートと呼ばれる人たちがいます。
今でも昔でも、生まれながらにして飛び抜けた運動能力をもったアスリートは存在します。今はプロスポーツがありますからそういう人たちはスポーツ選手になるわけですが、昔の人は剣士になったり力持ちなら強力をしたわけですよ。坂本龍...続きを読む

Q戦国時代の馬の速さを知りたいです。

サラブレッドと違い、当時は小型(ポニー)というのは有名ですが、実際、速度はどれ位まで出たのでしょうか?

鎧をつけた人間が乗ると、速度も落ちると思いますが、通常の状態でどのくらいまで走れたのか、情報お待ちしています。

Aベストアンサー

秀吉の中国大返しは、6/6(当然旧暦)に始まり、6/10尼崎着で、一日約40kmの移動です。これは徒歩の兵士に合わせた移動スピードです。馬にとってはつらい移動でもないでしょう。

当時の馬に一番近い馬体は、木曾駒だそうです。小型で足の太いズングリムックリ型の馬型で、モンゴル馬とも全く異なります。従って最速でも30km/hはやっとで、何キロも走られるとは思えません。日頃TVや映画で見る騎馬シーンとは全く違っていたようです。八代将軍の吉宗は、長身であった為、足が地に着きそうであったとの伝聞もある位です。

秀吉は若き頃、信長の野駆けに走って従った様です。特別足が速かったとの伝承はないので、10~15km/h位のところがいいとこでしょう。伝説の武田騎馬隊も、世界水準よりまるで劣っていたようです。こんな訳で日露戦争当時もまだコサック騎兵に遠く及ばず、後方かく乱と斥候、伝令にしか使用されなかったようです。

Qなぜ飛脚は馬ではなく人力で走るのか?

江戸時代、飛脚がいますよね。なんでも大阪から東京まで3日でいったとかなんとか。

それはそうとして、時代劇で飛脚を見るたびにおもっていました。

「なぜ、馬を使わないんだろうか?」

馬のほうがいいような気がするんですが、どうでしょうか?

いや馬を使っていたこともあるとは思うんですけど。

飛脚ってほとんど人力走りじゃないですか。おかしくないでしょうか?

Aベストアンサー

実は日本は世界の歴史から見て、稀有なほど馬を利用しない文化だったのです。たとえば馬車は地中海や中近東では紀元前には出現しているのですが、日本ではついに一度も利用しないで、自動車社会になってしまいました。日本の道が狭く道路を整備しづらいのは、馬車を利用しなかったからだ、という説もあるぐらいです。

なぜ馬が利用されなかったのかはついては、体系的な説明がなかなかなく、私も調べているかぎりの知識になりますが、いくつかの事実をあげると
・馬の去勢を行わなかった。
・武士階級はそもそも馬を御す技術を持った者のことだったため、乗馬が特権化した。
・仏教思想から、馬に限らず牛なども家畜というより家族として扱った
ということが影響していると思われます。

そのうえで飛脚についていうと、江戸時代でも馬による伝令はあったのです。ですから、飛脚とは別に馬を使った伝令も江戸時代にはあったのが事実です。
これらの伝令用の馬は平安時代に「駅伝駅馬」として整備を始め、江戸時代には駅がおかれた地域を中心に宿場町が発展していました。
つまり江戸時代の宿場には駅(伝令のために馬を用意し、宿泊できる施設も整えた施設)もあったのです。

ところがこれは平安時代から政治的軍事的な伝令のためのもので、庶民がつかえるようなものではありませんでした。武士といっても国の根幹にかかわるような伝達事項でなければ、馬は利用できなかったのです。

そのため、庶民が気軽に利用できる郵便制度として飛脚が発展し、まるで現在の宅配便のように気軽に利用できるようになっていたのですが、ここでそもそもの問題があります。それは「なぜ江戸-大坂間などを頻繁に飛脚が往復する必要があったのか」ということです。

この時代は人の行き来が難しい時代ですから、現代のように関東と関西に親戚がいて、お父さんは東北に出張、お母さんは九州に旅行、という具合にはいきません。当時のほとんどの人は生まれた場所から10kmぐらいの行動範囲しかなかったのです。

そのため飛脚は実は「商売」のために往復していたのが実際のところです。実は江戸時代、江戸と大坂では金貨経済と銀貨経済と貨幣も貨幣単位も違いましたし、大坂の堂島には米の先物取引があり、米相場は大坂しかし米の消費地は江戸、という二重経済をしていたのです。

今で言えば日本の中に円建ての経済地域とドル建ての経済地域があるようなもので、しかも毎日為替相場が動いて、その日の金貨と銀貨の交換比率が変わるという具合だったのです。

現在でもFXのように、為替相場は儲けることができます。また米の先物取引で儲けることもできます。この儲けのために頻繁に江戸-大坂間を証文がやり取りする必要があったので、飛脚が発達したのです。
しかしこれは階級社会から見れば士農工商の商、何の労働もしないで富をえるいちばん悪い儲け方だったので、当然ながら役人は馬の使用を許可しなかったのです。

これが、実際に馬を利用しなかった(できなかった)一番大きな理由です。

もっとも、日本も馬の去勢を取り入れていたら扱いやすい馬が増え、江戸時代には普通に馬や馬車を利用していたかもしれません。

日本から古来から大陸産の馬を時々輸入していたようで、去勢の方法も知らないはずは無かったのですが、たぶん当時の文化的な理由から馬の去勢をしなかったのだと思います。(じつは人間の去勢である宦官も日本は大陸から受け入れていません。日本は中国・朝鮮からいろいろな文化を受け入れつつかなり取捨選択しているのです)

話が脱線しましたが、江戸時代の中期になると庶民でも利用できるぐらい飛脚が発展したので、時代劇にも登場するのでしょう。それに比べて伝令の駅馬は地味すぎるのと政治的なドロドロが多すぎてテレビには向かないのではないでしょうか。

実は日本は世界の歴史から見て、稀有なほど馬を利用しない文化だったのです。たとえば馬車は地中海や中近東では紀元前には出現しているのですが、日本ではついに一度も利用しないで、自動車社会になってしまいました。日本の道が狭く道路を整備しづらいのは、馬車を利用しなかったからだ、という説もあるぐらいです。

なぜ馬が利用されなかったのかはついては、体系的な説明がなかなかなく、私も調べているかぎりの知識になりますが、いくつかの事実をあげると
・馬の去勢を行わなかった。
・武士階級はそもそも...続きを読む

Q戦国時代には移動手段は陸路と海路しかありませんでした

戦国時代には移動手段は陸路と海路しかありませんでした。
荷物が多い場合は、当然、船を選ぶと思いますが、当時、地方の大名(今川義元や武田信玄)が1万を超える兵で上洛する時などは海ではなく、陸を移動しています。
これは大人数の兵を収容できる軍船を持っていなかったからなのでしょうか?
また、戦になったときに海で戦うよりも陸の方が有利であると考えたからなのでしょうか?
はたまた何か別な理由(金銭的?)があったのでしょうか?

Aベストアンサー

いつの時代もそうですが、上陸戦は極めて難しいんです。
だから安全な上陸ポイントがなければ、非常にリスキーで、あまり使用されません。

それから北条、武田、今川あたりはあまり大きな水軍を持っていません。太平洋側の海運は主に江戸時代に開設されたもので、もともと太平洋側には船が少ないんです。

日頃から高い金かけて船をそろえるくらいなら、矢や鉄砲を集めた方が戦力として効果的です。

一方瀬戸内海では平安時代から海運が盛んに利用されています。
日本海側も越智の国各所と敦賀を結ぶ海運が発達していきます。
こちらは京都の裏玄関(敦賀・賤ヶ岳・琵琶湖・淀川・京というルート)として、京に米等を輸送するルートです。

よって瀬戸内海ではたまに海軍を大きくを活用した戦争が昔から散見されます。

Q飛脚は一日どれくらい走っていたの?

江戸時代の飛脚は町飛脚と遠飛脚があったそうですが、
一日どれくらい走っていたのでしょうか?
当時世界マラソン大会があったら優勝していたでしょうか?
それともあんがいのろのろ走っていたのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

江戸-上方を約600kmと考えた場合
最短70時間(しかも二人組)とあるので時速9km弱となります
道は舗装無しで山道もあったでしょうから
すごいことには変わりないのですが
速度で言うとマラソンには、程遠いですね。
マラソンは時速19km前後で走ります。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E8%84%9A#.E9.A3.9B.E8.84.9A.E3.81.AE.E9.81.8B.E8.A1.8C.E9.80.9F.E5.BA.A6

Q戦国時代に乗っていた馬

戦国時代に武将たちが乗っていた馬はテレビとかでみて知っている 大きなものではなく
ずっと体の小さな馬だったと聞いたことがあるのですが 本当ですか?

だとしたら 迫力なくてしょぼい気がしますが…

Aベストアンサー

毎度どうもね。

諏訪湖の辺りだったかな、場所はちょっとうろ覚えですが、あの武田家の領地から戦国時代の馬の骨が出土したそうです。かなり丁寧に埋葬されていたそうで、馬といえども大切に扱われていたことがうかがえるそうです。
その大きさは、ほぼポニーと同じ。幕末の写真を見ても平均身長150センチの時代にまたがったら足がつきそうなほどだったので本当に小さかったようですね。
また、戦国時代当時は蹄鉄がありませんでした。だから、ワラで作った沓を履かせていたようです。ゆえにあまり無茶はできません。実際問題、当時の宣教師が残したものには「ヨーロッパの騎士は戦闘になると馬に乗るが、日本の武士は戦闘になると馬から降りる」と書かれてあります。馬ってのは基本的にかなり「高級な乗り物」なんです。皮膚が弱いので衛生状態をよくして世話してやらないとすぐ皮膚病になるし、水をちゃんと飲ませてやらないと便秘になってフン詰まりで死んじゃう。はっきりいえば、人間より手間がかかるんです。

さて、その日本の馬のしょぼさが明治近代陸軍の最大の問題になります。馬が小さすぎて物資や大砲を引っ張る駄馬はもちろん、騎兵馬がどうにもならない。しかも日本の馬というのは当時去勢されてなかったそうで、優秀な軍馬を集めようと明治陸軍が馬を一堂に集めたら、牡馬が一斉に盛ってしまって収拾がつかない大混乱になったと記録に残っています。
そのため、日本の内国産馬の育成の奨励のため競馬が行われるようになりました。JRAは元々は優秀な軍馬を育てるために発足したのです。
日露戦争でも、コサック騎兵で有名なロシアの軍馬に比べると日本の馬はかなり見劣りしたそうです。そのせいか日露戦争では騎兵同士の会戦というのはほとんど行われていません。日本軍があえて回避したようです。遡って日清戦争のときは「騎兵がしょぼい」のが悩みだったようです。
なにしろ、幕末の日本馬でもポニークラスなのに、それよりやや時代が古いナポレオンの軍隊の騎兵馬ときたひにゃ体重が800キロくらい(ちなみに今のサラブレッドが500キロくらいです)、こんなに大きな馬は日本ではばんえい競馬くらいです。重さ800キロが時速40キロくらいで突っ込んでくるんですから、ほとんど軽自動車が突っ込んでくるようなもんですわ。それを肉体で受け止めるスコットランド歩兵もどうかと思います。ワーテルローのネイ将軍の突撃は、さぞや迫力があったと思いますよ。

毎度どうもね。

諏訪湖の辺りだったかな、場所はちょっとうろ覚えですが、あの武田家の領地から戦国時代の馬の骨が出土したそうです。かなり丁寧に埋葬されていたそうで、馬といえども大切に扱われていたことがうかがえるそうです。
その大きさは、ほぼポニーと同じ。幕末の写真を見ても平均身長150センチの時代にまたがったら足がつきそうなほどだったので本当に小さかったようですね。
また、戦国時代当時は蹄鉄がありませんでした。だから、ワラで作った沓を履かせていたようです。ゆえにあまり無茶はできませ...続きを読む

Q江戸時代の旅の手荷物や衣類・食事などは?

お世話になります。

時代劇を見ると、江戸時代の旅装束・手荷物・衣類・食事は、かなり少ない様子です。即ち、

●笠、合羽程度を振り分け荷物で着たきりスズメ

で、手ぶらのようです。その他には、せいぜい杖くらいです。泊りは宿場なので問題なしとしても、こんな軽装で旅が続けられたのでしょうか?

よって、質問です。

Q1.着物の洗濯はしない?(乾かすひまがない・・・)
Q2.朝晩は宿屋で準備された?(食料事情は問題なし・・・)
Q3.昼ごはんはあった?(平安時代は、朝夕の2回だそうですが・・・)

特に、食料事情は重要で飢饉があるくらいですから、食料が不足している可能性がありますが、お金があれば食べるには困らない状況だったのでしょうか。また、荷物が少ないし、着の身着のままみたいで、不思議です。お遍路くらい荷物が限定されたのでしょうか?

ご回答をよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

東海道を例にとりましょう。
東海道では、男足で15日位。
女足では20日位。
これを念頭において・・・

>>Q1.着物の洗濯はしない?(乾かすひまがない・・・)

着物は1着。下着は2~3着・・・洗濯は道中の小川や池で行いました。そして、良く絞って油紙に包み持ち歩きました。


>>Q2.朝晩は宿屋で準備された?(食料事情は問題なし・・・)

大概は、旅篭での朝夕の食事でしたが、途中の茶屋などで団子や饅頭などで代用しました。


>>Q3.昼ごはんはあった?(平安時代は、朝夕の2回だそうですが・・・)

昼飯はヌキが多かった。しかし、前述のように茶屋などで団子を食べたり饅頭を食べたり煎餅を食べたりしました。


>>特に、食料事情は重要で飢饉があるくらいですから、食料が不足している可能性がありますが、お金があれば食べるには困らない状況だったのでしょうか。

やはり、「銭」が一番でした。
農村部では飢饉などで困ったことでしょうが、旅篭などでは、米の流通を銭の力で優先的に差し押さえていましたので、旅人にはあまり不自由なく往来できました。


>>また、荷物が少ないし、着の身着のままみたいで、不思議です。お遍路くらい荷物が限定されたのでしょうか?

江戸時代書かれた「道中案内記」によると・・・

着替えの衣類(着物1着・下着2~3着)、脇差(道中差、女は懐剣)、頭巾(または笠、女は市目笠)、三尺手拭、扇子、矢立(筆記用具)、鼻紙、草履(草鞋)、財布、道中記・・・などを小物篭に入れて包み、肩から振り分けにして持参すると良いと書かれてあります。

(よもやま話)
江戸時代中期(文化・文政の頃)になると江戸も繁盛するようになり、小旅行がもてはやされました。
箱根の関所手前までなら、「通行手形」もいらなかったので、自由に往来できました。
日帰りまたは1泊2日くらいの旅としては、
箱根七湯、江ノ島詣、鎌倉見物、金沢八景、大山詣、成田山新勝寺詣、秩父三十三箇所詣、日光東照宮参り、
などが人気でした。

また、関所でも「○○講中」と書かれた白い上着を着て、それらしき旅姿であれば、通行手形は不要でした。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

東海道を例にとりましょう。
東海道では、男足で15日位。
女足では20日位。
これを念頭において・・・

>>Q1.着物の洗濯はしない?(乾かすひまがない・・・)

着物は1着。下着は2~3着・・・洗濯は道中の小川や池で行いました。そして、良く絞って油紙に包み持ち歩きました。


>>Q2.朝晩は宿屋で準備された?(食料事情は問題なし・・・)

大概は、旅篭での朝夕の食事でしたが、途中の茶屋などで団子や饅頭などで代用しました。


>>Q3.昼ごはんはあった...続きを読む

Q江戸時代の交通手段

江戸時代の交通手段についてしらべています。
どんなものでもいいので、教えて下さい。
できたら、何故馬車が明治時代まで日本になかったのかも教えて下さい。
お願いします!

Aベストアンサー

牛車があるのに,なぜ馬に曳かせなかったのでしょうか.まず牛のようにゆっくりでないと,車の輪が持たなかったのかもしれませんね.馬のように走るのは乗り心地が悪かったことも一因でしょうか.大八車があったと思いますが,それを応用することもなかったデすね.それと人力車の発明は日本ですが、馬に曳かせなかったことも不思議です.日本は山や川の凹凸の多い国で、山では上がりはいいけれど,下がりの調節とか、戦略で橋をつけさせることをしなかったこと.また道が曲折したり、狭いことで、馬車が発達しなかったことではないでしょう.むしろ北前船や,菱垣船,千石船などが、利用が多かったのではないでしょうか.か..それと農家の民には,旅行できる余裕--農地に縛り付けられて-ができなかった.生かす殺さずという武士の考えで,江戸の末期には,それが緩んで.伊勢校参りとか盛んになったが,金がかかること,追いはぎに遭うとか,合ったそうです.

Q王様 以下の階級名について。

このカテゴリで良いのか分かりませんが、質問させていただきます。

国に 王様 がいた場合、それ以下に続く役職(階級)名は何になるのでしょうか?

王というのは、日本の天皇とかではなく、西洋の王の方です。ファンタジー世界での王様でもかまいません。
その国の方針(軍事国家とか)で色々階級名が変わってきたりするのかもしれませんが、そこらへんは特に 気にしないので、ご存知の方は教えていただければと思います。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 No.4です。

 私があげたものはあくまで、貴族としての爵位になります。貴族の仕事は大雑把に言って、与えられた領地の統治、また、貴族院あるいは元老院の議員として政治家になる、軍の仕官として軍に関わるといったことが上げられます。

 宰相はあくまで、王の部下の文官に過ぎません。無論、王がお飾りになってしまうと、実権を握っていたりしますが・・爵位を持つ貴族のこともありますし、平民出身の文官を取り立てることもあります。基本的に王の直属の部下といってもいいでしょう。その下に実務を行う、文官がいます。彼らの集合体が行政府といえるでしょう。

 元帥は王ではありません。王が兼任することもありますが、基本的に王以外の人間がなります。(王族、つまり、王の身内がなることも多いです。)お飾りのこともあります。

 軍の構成ははっきり言って、国や時代によって大きく違います。近代であれば仕官・下士官・兵士と大きく分けられます。
 仕官はさらに、元帥・将官・佐官・尉官に分けられ、元帥以外はさらに大中小准をつけて、たとえば、大将等と呼ばれます。
 下士官は曹長・軍曹・伍長の順になります。
 兵士は上等兵・一等兵・二等兵の順になります。
 すべて、上から下に並べてあります。また、これは戦前の日本軍を参考に書き出しました。米軍や現在の英軍も似たようなものだと思います。(私は軍事マニアではありませんので、詳細まで一致している自信はありませんが・・・)
 現在は軍に入るには基本的に出身は問われませんが、国・及び軍によっては、多少問われることがあります。有名な例としては英陸軍が挙げられます。下士官までは関係ないのですが、仕官以上は貴族階級出身でなければなれません。その代わり、彼らは無給です。
 
 これが、中世ということになりますと、ここまで厳密に分けられるかどうか怪しいです。王と領主(貴族)は主従契約を結び、その契約に基づいて王に兵士を提供します。命令系統は上下がありますが、基本的に対等の立場といってもいいです。ある王が外国に戦争を仕掛けようとして、軍を召集しようとしても、契約に反していれば従う必要はありません。極端な話ですが、領地から3日以内の場所であれば提供するといった契約であれば、それ以上遠いところに提供する必要はありません。また、日本と違い、2人以上の主君を持ってもかまいませんでした。

 絶対王政時代の軍制についてはそれほど詳しくありませんので、どなたかの補足があるのをお待ちします。 

 基本的に身分の上下は出身つまり、王・貴族・平民と言ったことになります。軍や行政府(文官)は地位の上下といってもいいと思います。

 以上、かなりの長文ですが参考になれば幸いです。

 No.4です。

 私があげたものはあくまで、貴族としての爵位になります。貴族の仕事は大雑把に言って、与えられた領地の統治、また、貴族院あるいは元老院の議員として政治家になる、軍の仕官として軍に関わるといったことが上げられます。

 宰相はあくまで、王の部下の文官に過ぎません。無論、王がお飾りになってしまうと、実権を握っていたりしますが・・爵位を持つ貴族のこともありますし、平民出身の文官を取り立てることもあります。基本的に王の直属の部下といってもいいでしょう。その下に実務を...続きを読む

Q馬の時速について

馬って、時速いくらくらいで、走るものなのでしょうか?競走馬として、訓練されていない馬と、されている馬とでも、速さに違いが出てくるのですか?
さらに、馬車を引いている馬の速度というものは、自分のイメージではゆっくりしている気がするのですが、どの程度なのでしょうか?
知っている方がいれば、教えていただきたいです。

Aベストアンサー

競走馬でも JRAのサラブレッドや 地方競馬のサラ系(サラブレッドとアラブの雑種)アラブなどで違いますが

JRAの競馬は
1F(200m)を12秒では知るのが目安となってます
1F12秒だと 時速60キロになります
1F10秒だと 時速72キロなので最高で7~80キロになると思いますが これは瞬間の最高時速です

一般の馬は 競馬のように鍛えられてるわけでも、競馬場のようにきれいに整備された場所で走るわけではないからもっと下回って 野生のシマウマで60キロ位じゃないでしょうか?

ちなみに 俊足で有名なチーターも80キロで走れますが 80キロで走れるのはほんの数秒です


人気Q&Aランキング