現在、大河ドラマ「利家~」に、利家の弟として登場する「佐脇良行」の事についてご存知の方、教えて下さい。実在した人物なのでしょうか?よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

以下の参考URLサイトは参考になりますでしょうか?


「佐脇良之」

ご参考まで。

参考URL:http://www2s.biglobe.ne.jp/~gokuh/ghp/busho/oda_ …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。面白いですね。他にも見てみたい人物がいるので、じっくり見てみようと思います。ありがとうございます。

お礼日時:2002/02/19 13:28

少々補足を。


佐脇良之は実在にの人物ですが、大河ドラマ「利家~」はあくまでもドラマで
あって史実とは若干違います。脚色もございますのでその点だけご注意下さい。
例えば・・・ドラマでは信長の弟信行を手にかけるのは良之でしたが「信長公記」
では川尻青貝とされています。
  (「川尻・青貝」両名という説と「川尻青貝」という一人の名という説が
    ありますが。)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。そうですよね。面白いといっても、脚色には注意しないといけないですね。ドラマであっても、あまり史実から離れてしまうのも考え物ですね。

お礼日時:2002/02/19 13:30

下記のところに載っています。


佐脇良之、5男、~1572年

参考URL:http://www.bushinav.com/~mutou/nbusyoden.htm
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この回答へのお礼

ありがとうございます。ところで、残念な事に、教えてくださったURLにはどうしてもつながりませんでした。どうしてでしょう?

お礼日時:2002/02/19 13:23

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Q前田利家の名前

前田利家は、犬千代とか又佐衛門(←漢字違うかも)とか呼ばれてますが、
どういうときにこの名前で呼ぶとか決まってるんでしょうか?

あと、利家は前田(又佐衛門)利家で、前田利家ですよね?
なぜ前田慶次は、前田(慶次郎)利ます?(なんですよね?)なのに、
一般的に前田慶次って呼ばれてるんでしょうか・・・。

どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてください。

Aベストアンサー

今では名前というと「姓=苗字」+「名」と2つの組み合わせだけなのですが
昔は「姓」も「苗字」も別のもので「名」も幼名・字・諱等多くの種類がありました。
それらを全部繋げて述べるのではなく一定の決まりによって呼び名やつなげ方が変るのです。
事細かに述べると長くなりますが前田利家の例であげれば
姓は菅原朝臣・苗字は前田・幼名が犬千代・字が又佐衛門・諱が利家となります。
幼名は字の如く幼い時の名です。
大人になると大人としての名が付くのですがそれまではこの幼名で呼ばれます。
一般的に名を呼んだり書いたりする場合は又佐衛門と呼びます。
正式な文書として名を署名する時は利家が用いられます。

信長は前田利家を随分可愛がっていたようで長じても幼名の犬千代から犬と呼ぶ
こともあった様に話が残されておりますが、信長は家臣をあだ名で呼ぶことも
多く残されておりますので、そんなつもりで呼んでいたのでしょう。
同輩で長じても犬と呼ぶものがいたら余程仲の良い者達であったかもしれません。

今日、前田又佐衛門ではなく前田利家が一般的なのは教科書によるものだと思います。
諱の方が正式な場で用いられますので教科書もそのようにしているのでしょう。

前田利益(利大)よりも前田慶次郎で通っているのはやはり「花の慶次」の影響が強かったのだと思います。
このコミック連載前にもいくつかの書籍等で登場することもありましたが
利大であったり利益であったり、慶次郎だったり慶次だったり、まちまちです。

一般的には「苗字+諱」で書くことが多いのですが。学校で習うような大名・武将
以外の場合は、「何で知名度があがったか」に左右されるかと思います。
人気の出た小説やコミックで用いられていた呼び方がそのまま定着するのでしょう。
水戸光圀がTVの影響で水戸黄門と呼ばれるほうが一般的になってしまった様なものだと思います。

今では名前というと「姓=苗字」+「名」と2つの組み合わせだけなのですが
昔は「姓」も「苗字」も別のもので「名」も幼名・字・諱等多くの種類がありました。
それらを全部繋げて述べるのではなく一定の決まりによって呼び名やつなげ方が変るのです。
事細かに述べると長くなりますが前田利家の例であげれば
姓は菅原朝臣・苗字は前田・幼名が犬千代・字が又佐衛門・諱が利家となります。
幼名は字の如く幼い時の名です。
大人になると大人としての名が付くのですがそれまではこの幼名で呼ばれます。
一...続きを読む

Q新撰組の大河ドラマに登場する犬について

 今年放映されている新撰組を楽しく見ています。

 最後の豆知識の部分で、最後に少年と犬が登場します。少年の方は、新撰組の羽織を羽織っているので、隊士なのだと分かるのですが、この犬に、何か意味はあるのでしょうか?

 ご存じの方、教えて下さい。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

僕もまったく自信がありませんが、
>総司が、壬生寺にいた犬(野良?)なんかを可愛がっていたらしいのですが・・・。
については、そうだったそうです。
どこかに載っていたので。

>ドラマでは全くそんなシーンがありませんし・・・
については、実際のと大河ドラマのはかなり違っています。
最近気付いたんだけど・・・・。
色々なサイトで調べるうちに「えっ!」ってことがあったので。
でも、大河ドラマは面白いですよね。


推測ですが、僕は、上のこともふまえて、ただ隊士一人だけ出てくるのよりも何か他のものも一緒に出てきたほうが良いと思ったからではないでしょうか。
でもそれが、もうひとりも隊士だったらなんか変なので犬にしたんではないでしょうか。
人間と昔から付き合っていた動物ですから。


本当に知りたければここに聞いてください。
【http://www3.nhk.or.jp/taiga/】

参考URL:http://www3.nhk.or.jp/taiga/

Q戦国武将 加賀00万石 前田利家のすごさを教えてください。

戦国武将 加賀00万石 前田利家のすごさを教えてください。

Aベストアンサー

前田利家が参戦した戦は37です。
その中でも、近江箕作城の戦い及び越前金ヶ崎城の戦いでは槍をふるって敵の首を取っている。また、摂津・春日井堤の戦いは「堤の上の槍で」と信長に讃えられている。武勇に優れていた事は間違いありません。

慶長4年(1599年)2月、病躯をおして、利家は和解の実を示す為に伏見に家康を訪ねている。
また、同年3月、家康は病気見舞いと答礼をかねて、大阪城に利家を訪ねている。その際、利家は病状が悪化し、やっと床を這い出て中の間で家康と対面している。この二つの状況からも利家の「律儀さ」が窺えると同時に、家康が一目置いてた大大名利家の存在感を現しています。

石田三成は病中の利家を訪ね、看病と称して前田邸に詰めた。加藤清正、黒田長政、浅野幸長、池田輝政、福島正則、細川忠興、加藤嘉昭の七大名から逃れるためであった。七大名も利家の顔を立てて、三成に手だしをしなかった。ここでも、利家のすごさが窺えます。

意見の分かれるところですが、もし利家があと10数年生きていたならば、徳川幕府は生まれていなかったかもしれません。

QNHK大河ドラマ「北条時宗』に登場する北条時輔について

ドラマの中で、時宗の兄時輔は高麗に渡って、その後元の軍船に乗って博多に戻って来たという設定になってますが、これって史実?それともフィクション?
 ご存知の方がいたら教えて下さい。

Aベストアンサー

史実では、六波羅で討たれたことになっています。
ただ、源義経が平泉で生き延びてモンゴルに渡った、という伝説があるように、恐らく「判官びいき」のようなもので色々な伝説が残っているようです。
大河ドラマはその「伝説」の方を採用したと思われます。
参考URLに時輔伝説の一例が載っています。

参考URL:http://www.ne.jp/asahi/bau/dog/tokisuke.htm

Qもし前田利家があと10年健在だったら徳川の天下になっていたか?

前田利家があと10年、1609年まで寿命があったら徳川家康は天下人になれたでしょうか?
利家がいても、やはり翌年の関ヶ原の戦いは起きたでしょうか?

Aベストアンサー

家康は天下を取れなかったのでは。
単純に両者の領国の規模を比較すれば断然家康の方が上です。

領国の規模は兵力に直結します。
利家の最大動員兵数を2万5千とすると家康は8万余りで勝負にならないように見えます。
でもそれは単独ならの話で、合戦になればそれぞれに味方が付きます。

利家は諸大名との姻戚関係が豊富で、利家派は毛利(一枚岩ではないが輝元の本音はアンチ家康)、宇喜多、上杉の大老、三成、浅野らの奉行、加藤清正らの一部武断派、と引けを取らぬものであること、利家に万の軍勢を指揮する器量と人望があること、北政所の信任が厚いこと、家康の本領が畿内から遠いこと、さらには傅役として秀頼を擁する「公儀」の正当性を有することから、いかに家康といえども兵力の少ない伏見城にいては大坂城の利家に合戦を仕掛けるのは難しいでしょう。

ただ、利家には野心がなく大博打もしないので、自分から合戦を仕掛けるとは思えない。
秀頼を擁しないという意味で、いざとなれば公儀になれないから、上杉征伐などの無茶振りもできない。
そのため両者にらみ合いの異常な緊張感が続く中、伏見にいては不利な家康が江戸に帰国する。
そのままにらみ合いが数年続いた後、利家が下手に出る外交を行い家康が形の上で帰順する…
そんな展開を想像します。

実際には緊張が最高に高まったところで利家が家康に会いに行くのですが、すでに余命幾ばくもなく、自分がいるうちに何とかしなければ、という使命感だったのではと思います。

利家健在中に合戦にならなければ、利家死去のとき秀頼は15歳前後に成長している。
それから「関ヶ原」になるかどうか…

家康は天下を取れなかったのでは。
単純に両者の領国の規模を比較すれば断然家康の方が上です。

領国の規模は兵力に直結します。
利家の最大動員兵数を2万5千とすると家康は8万余りで勝負にならないように見えます。
でもそれは単独ならの話で、合戦になればそれぞれに味方が付きます。

利家は諸大名との姻戚関係が豊富で、利家派は毛利(一枚岩ではないが輝元の本音はアンチ家康)、宇喜多、上杉の大老、三成、浅野らの奉行、加藤清正らの一部武断派、と引けを取らぬものであること、利家に万の軍勢を指...続きを読む

Q映画・ドラマの股旅モノの登場人物の実態は?

映画やドラマで、賭場を渡り歩きながら弱者を助けるといった、いわゆる股旅モノがあります。
あの人たちのモデルになった人たちが実在したのでしょうか?
ばくちで勝ち続けることは難しいですし、そもそも旅行の目的はなんだったのでしょうか?
正業に就くのが嫌で、といってヤクザになるもの嫌という人でしょうか。

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>あの人たちのモデルになった人たちが実在したのでしょうか?

端緒は、幡随院長兵衛と言われています。

侠客はどうして生まれたか:
幕府の小普請組は、お城の小工事や石垣を直したりする役目。御用の時には出動しなければならなかったが、自分では出動せずに、中間や小者を働きに出した。しかし、貧乏旗本でいつくるかわからない工事のために、常に中間や小者を抱えているわけにもいかず、そこで、そういう需要に応えたのが「割元」という「口入屋」。町人でてはあったが「寄子」(よりこ)と呼ばれるさまざまな職種の若い者を常時抱えていて、旗本の需要に応じて人足を出したが、「割元」は何十人もの「寄子」を抱えていたため、人望がある者がなり、やがて「侠客」として名を売ることとなった。

義理人情に厚い:
割元は若い者を集めておくので、まずは、彼らに対して押さえがきかなくてはならない。大勢の人間を心服させるだけの、人情に厚く義理を重んじ、腹のすわった者でなければ務まらない。つまりは、伊達男の資格を持っていなければならなかったのです。ここに、後の遊侠の原形があるのです。

博徒が田舎にはびこる:
江戸時代も天保年間(1830~1843)頃になると、水野忠邦の天保の改革で江戸では食えない無頼の徒が関東の各地に流れ、地方に根を降ろし遊侠の徒となった。中でも機業地として景気の良い上州、房州、駿河など金まわりのよい土地にはびこった。
そして、各地で賭場を開き、子分を抱えて縄張りを広げた。その縄張り争いでいがみあうこともあったが、逆に、横のつながりで官憲に対抗することもあった。
百姓仕事に熱意を失った若者たちが、遊んで暮らす博徒に憧れ、仲間入りすることは自然のなりゆきであった。
大前田英五郎、国定忠治、小金井小次郎、勢力富五郎、祐天仙之助らは皆天保前後の侠客である。

股旅もの:
この「股旅」という語源は、昭和3年長谷川伸の戯曲「沓掛時次郎」から生まれたものだとされています。続いて翌年「股旅草鞋」(わらじ)が世に出てから「股旅もの」というジャンルが生まれました。

その正体は?
「雲助」や旅を続けながらの「こそ泥」、「ごまの灰」がモデルとされている。「雲助」は文字通り「雲水」のような流れ者で、すぐにどこへでも行ってしまうので、足止め策として博打が黙認されていた。人足小屋では貸元、中盆、壺振などまで揃っており、本格的な賭場であった。つまりは、博打をしても貸元側なので「損」をすることはなかった。

木枯文次郎:
「そいつぁ、あっしには関わりねえことでござんす」と、粋な三度傘をよこちょにかぶり・・・と無責任時代の現世相を反映したものです。

股旅姿:
別に、俗に言う「股旅姿」は、やくざ独特のものではなかった。三度傘も合羽も手甲、脚絆も、すべて江戸時代の「一般の旅行者」のスタイル。違っていたのは、法定の中差ではなく、二尺以上の長脇差を差していたくらい。
ただ、江戸時代の書物の中には、旅姿として、よれよれの着物でゴザの巻いたのを担いで歩いたとの記述があり、こちらが本物かもしれないが、ドラマでは「さえない」のでカット!!

宿場も村も無警察状態?
ドラマなどでは官憲は一人も出てこないものもあるが、一体どうやって人々は生命や財産を守ったのか・・・。
そこには、住民の自治意識により補われていたのである。事あれば、農民であれば鋤(すき)や鍬(くわ)を持って集団で対抗したのです。
辻斬りで百人余りを殺したと言われる「平井権八」も大宮在での強盗殺人事件では、村人に取り巻かれて仲間三人と共にふん縛られている。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

>>あの人たちのモデルになった人たちが実在したのでしょうか?

端緒は、幡随院長兵衛と言われています。

侠客はどうして生まれたか:
幕府の小普請組は、お城の小工事や石垣を直したりする役目。御用の時には出動しなければならなかったが、自分では出動せずに、中間や小者を働きに出した。しかし、貧乏旗本でいつくるかわからない工事のために、常に中間や小者を抱えているわけにもいかず、そこで、そういう需要に応えたのが「割元」という「口入屋」。町人でて...続きを読む

Q前田利家が後15年生きていたら?

NHKドラマで利家が諸大名より大きな人望があるように描かれていますが、秀吉末期の家康との位置づけはどうだったのでしょうか?又、仮に後15年前田利家が生きていたら、関が原、夏の陣など世の中が  どう変わっていたと思いますか?ご意見をお聞かせください。

Aベストアンサー

 私も皆さんの意見に賛同しますが、ひとつ提案させていただきたいと思います。
 回答ではありませんが、この論議の中には、前田利家=豊臣擁護派、徳川家康=反豊臣派とすることが前提条件となっているような気がします。
 そもそもその前提条件を疑って係ることもお勧めします。
 前田利家が自分の行動の中でことさらに「律儀」を強調しはじめたのは、「余呉湖の敵前逃亡=裏切り」以後であること。徳川家康は、秀吉存命時までは、「律儀」をその「売り」としていたことを考えてみてはどうでしょう。
 前田利家が擁護派とならざるを得なかったのは、領地力差が大きく開いていたからと考えることもできます。
 もしも、家康と利家の領地をひっくり返していたら、利家は豊臣を擁護したのか、などなど。
 当時としては、力を失った主家に取って代わるのはあたりまえの考え方があり、私としては、もしも、家康より長生きしたとしても、徳川との実力差から保身に走ったと思います。また、擁護派を貫き、徳川を滅亡に追いやったとしたら、最大の実力者として豊臣の滅亡か無力化に奔走するということとなったと考えます。

 私も皆さんの意見に賛同しますが、ひとつ提案させていただきたいと思います。
 回答ではありませんが、この論議の中には、前田利家=豊臣擁護派、徳川家康=反豊臣派とすることが前提条件となっているような気がします。
 そもそもその前提条件を疑って係ることもお勧めします。
 前田利家が自分の行動の中でことさらに「律儀」を強調しはじめたのは、「余呉湖の敵前逃亡=裏切り」以後であること。徳川家康は、秀吉存命時までは、「律儀」をその「売り」としていたことを考えてみてはどうでしょう。
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Q【日本を創った人物、世界を創った人物】日本を創った人物、世界を創った人物を見ていて傾向が見えて来たん

【日本を創った人物、世界を創った人物】日本を創った人物、世界を創った人物を見ていて傾向が見えて来たんですが、、、

まず

宗教家が世界を作り、

帝国時代を迎え皇帝(天皇も含む)が世界を作り、

政治家が世界を作り、

文化人が世界を作り、

経済人が世界を作り、



経済人の次に世界を作るのは誰だと思いますか?

後世の歴史教科書に載るとしたら安倍首相ではなくアップルの創業者だと思いますし、次に載るならテスラモーターズの創業者かバージングループの創業者だと思うんですよ。

いま世界を作っているのは明らかに政治家ではなく経済人が作っている。

政治家は経済人から金を巻き上げている一昔前の皇帝と政治家の図式と同じなので政治家が世界を作る時代はもう終わりになる気がします。

政治家は汚職ばかりで安倍首相も麻生太郎も汚職してると思います。お金は貰ってないけど口利きはしていると思います。政治家の仕事は口利きですよね。政治家から口利きを取ったら何も残らない。

けどもう口利きで国を作っていく時代は終わったのだと思う。

国を創っている人物は文化人と経済人で政治家は経済人や文化人の口利きに動いているに過ぎない。

その文化人、経済人が世界を創る時代が終わったとして次に世界を創っていくのはどのジャンルの人になるのか予想してください。

民主主義と言いながら民主主義として機能していない政治の時代は終わりました。

政治家は口利きしてなんぼなので口利きしただけで汚職と言われ逮捕される時代が来ます。韓国はまさにそれで日本もそうなると思います。口利きが出来なくなった政治家に存在価値はありません。民主主義という名の口利きの時代は終わりです。

【日本を創った人物、世界を創った人物】日本を創った人物、世界を創った人物を見ていて傾向が見えて来たんですが、、、

まず

宗教家が世界を作り、

帝国時代を迎え皇帝(天皇も含む)が世界を作り、

政治家が世界を作り、

文化人が世界を作り、

経済人が世界を作り、



経済人の次に世界を作るのは誰だと思いますか?

後世の歴史教科書に載るとしたら安倍首相ではなくアップルの創業者だと思いますし、次に載るならテスラモーターズの創業者かバージングループの創業者だと思うんですよ。

いま世界を...続きを読む

Aベストアンサー

貴方にお勧めしたい本があります

古典
史記
文学 特にロシア

よくお勉強してから 質問しなさい

Q自民党=前田利家説

自民党=前田利家
特捜部=石田三成
小沢民主党=徳川家康

以上のように設定すると

豊臣政権の五大老次席の前田利家が亡くなることにより、それまでのパワーバランスが崩れ、その空白を埋めるために石田三成を筆頭とする奉行衆が表に出て五大老筆頭の徳川家康と均衡しようとした状況と現在の政治状況が重なって見えます。

この見立てが正しいならば、現在の政治的混乱を収束するには自民党の再建が必須ということになります。

こういう妄想はOKでしょうか?

Aベストアンサー

歴史の事実に習うなら家康は三成を倒し天下太平の時代を作りました。現在の価値観でみれば徳川独裁政権とも言えるかも知れませんけどね。
三成が勝って戦国乱世に逆戻りもいいかも知れません。歴史を繰り返す必要は無いのですから。

その発想はとても面白いと思います

Q孝弟を学べって孝弟ってなんですか?書物ですか? 孝弟を学んだら、次は忠信を学べと言われたが、孝弟と忠

孝弟を学べって孝弟ってなんですか?書物ですか?

孝弟を学んだら、次は忠信を学べと言われたが、孝弟と忠信をAmazonで検索してもそんな書はなく孔子の論語が表示されます。

どうやって孝弟と忠信は学ぶんですか?

Aベストアンサー

孝弟ではなく孝悌ですね。
儒教では仁義礼智信忠孝悌節恕勇譲が根幹思想とされていますが
そのうちの仁義礼智信忠孝悌が八つの徳、つまり八徳と呼ばれます。(里見八犬伝にも出ます)

「孝」は目上の人や親を敬うこと、「悌」は兄弟が仲の良いことです。

「忠」は目上の人や主君のために尽くすこと、「信」は相手に嘘をつかないこと、また相手を信じることを言います。

>どうやって孝弟と忠信は学ぶんですか?

私は聖人や君子ではありませんが、目上の人や親をどうすれば敬えるか、どうすれば兄弟が仲良くできるか
どうすれば人のために尽くせるか、人には嘘はつかない、相手のことを信じようという気持ちを常に持っていれば
そういう境地になれるのかもしれません。できればそういう人間でありたいですね。


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