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大学の基礎演習で「第二次世界大戦の敗戦国のその後」というテーマでレポートを書くことになりました。自分はイタリアについて書こうと思ったのですが、ゼミの先生が「イタリアは途中で降伏したので敗戦国ではありません」というのです。自分は敗戦国だと思うのですが、歴史の分野は詳しくないので自信がありません。ネットでも調べましたが曖昧な表現しかありません。イタリアは敗戦国なのか?そしてはっきりとした理由。さらに、イタリアが戦後どのような道を歩んだのか?この二つについて教えてください。お願いします。

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A 回答 (13件中1~10件)

ゼミの教授は「厳密な国際法上の区分けとして敗戦国ではない」と言っているのかもしれません。

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 とても大変なテーマで、歴史・政治の専門家でも意見の分かれる所。


 質問者さん自身が、第二次世界大戦の『敗戦』というものの定義を行い、そこからコメントしないと決着できない問題だと思います。

 その視点から、他の回答者さんたちの指摘していないことを、1つだけ指摘します。

 それまでの戦争では、降伏(一方的に戦闘を中止、和平交渉に入る意思を示す。)したとしても、主権国家として敗戦交渉することが普通でした。

 しかし、第二次世界大戦では、ドイツ・日本に『無条件降伏』(敗戦の交渉をしない=主権国家とみなされない:対外的国家主権の停止、非独立国家扱いとなる。)なるものが要求されました。
 つまり軍事占領によって国がなくなることを受け入れよということで、ドイツのように国土全体を戦場として首都が陥落するまで戦うのも当然といえます。
 対して、本土の完全実効支配をしていながら、無条件降伏を受け入れた日本というのは、世界史上初めての国と言えます。

 この国家主権停止という、第二次世界大戦だけに起こった特殊な敗戦形態を念頭において、考えて見てください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!イタリアは「無条件降伏」を飲んで、国家としての主権・役割を失ってしまったのでしょうか?そもそもイタリアは、ドイツと日本同様に常任理事国に入っていませんよね?・・・それはやっぱり第二次世界大戦で勝った国じゃなくて負けた国っていう認識が国際的になされているからだと思うんです・・・だから自分は「敗戦国」だと思います。皆さんはどう考えますか?

お礼日時:2006/06/17 00:01

いやはや、大変なテーマに手を出してしまいましたね。


第二次大戦に関しては特にミリタリー分野にはうんざりするほどの書籍資料があるのですが、なぜかイタリアに関係する分野は日本語の資料がほとんどないマイナー分野です。実際問題、例えばナチスドイツ軍はファンのミリタリーマニアが多くマニアの知識も本当に呆れるほどなのですが、ことイタリア軍となるとファンがほとんどいないためミリタリーマニアもマニアックな知識がほとんどないんです。
ましてや戦後の資料に関しては、同時代の日本が他国にかまってられるような状況ではなかったためもあって日本語資料を探すのはとても難しいのではないかと思います(ドイツに関してはドイツも日本同様目覚しい復興を遂げたため研究者も多いのです)。

さて、イタリアが敗戦国かどうかはあなたの研究で結論づけるとして、実はイタリアは英米軍に対し、終戦交渉で「ドイツが降伏した暁にはイタリアを戦勝国に加えて欲しい」というおよそ常識では考えられないトンでもない要求をしていまして、これはいうまでもなく却下されています。このあたりの事情は、児島襄氏の「ヒトラーの戦い」という本の5~6巻あたりに書かれています。
また、法律というのは往々にして「政治的解釈」でどうにでもなってしまうことがあります。有名なのは、自衛隊が憲法九条に違反しているかどうかというのがあります。また、いわゆる東京裁判ではA級戦犯が「人道に対する罪」などに問われましたが、そもそもこういった法が事後法であり、法律が成立する前にさかのぼって罪を問われました。これは「今度新しい法律ができまして、あなたの以前の行いがそれに触れますんで逮捕します」というのと同じなので日本の弁護側とインド人判事が「これは起訴できない」と訴えましたが、結局有罪になりました。つまりこれって「まず有罪ありき」の裁判なんですね。あくまで政治の道具としての裁判だったわけです。
ついでに、フランスは戦勝国に入っていますが、本来フランスだってドイツに首都を占領されているのですからどこが戦勝国なのかさっぱり不明です。一応、ドゴール率いる自由フランス軍がイギリスに亡命政府としてあったのと、フランス国内のレジスタンス活動などが理由にあげられていますが、同じくイギリスに亡命政府がありレジスタンス活動を行ったポーランドは戦勝国には入っていません。フランスが戦勝国に入っているのはフランス人の類いまれなる政治力のおかげです。
そんなわけで、どうやらあなたは大変難しいテーマに手をつけてしまったような気がしますが、難しいテーマこそやりがいもあるものです。あまり励ましになりませんかね・笑。
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No.7さんの「対独・対日宣戦布告を行い、両国から賠償金をせしめている(但し両国とも講和は拒否)」ですが、それをもって戦勝国というのも、少し乱暴な意見だと思います。



「軍事板常見問題」より
http://mltr.e-city.tv/index02.html

【質問 サンフランシスコ講和条約で、イタリアとスイスは日本に賠償を求めたそうですが、いったい何を理由としていたのでしょうか】
http://mltr.e-city.tv/faq08h20.html#01245

【回答 スイスの場合、彼の国の国民が、日本政府に抑留されたことを根拠として賠償請求をしています。
 イタリアの場合は、1943年の降伏時に接収された艦艇、商船の喪失に際しての賠償請求と、国民が日本政府に抑留されたことを根拠として算出したのでしょう。
 南米のABC諸国は、日系人抑留の経費とかでしょうか。
 その他のアジア諸国は、国内が戦場となった際の復興費用とか】

関連
【質問 イタリア・ドイツは日本より先に降伏しましたが,日本の敗戦までの期間は,国内にいた伊・独人はどのように扱われたのでしょうか?】
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08j …

【回答 東京周辺の枢軸国人については,軽井沢と富士五湖へ,関西近辺の枢軸国人は神戸山手・有馬近辺へと軟禁(移動の自由がないだけで,牢獄にぶち込まれることはない)されていました.
 但し,反ナチと目された人間に関しては,大使館のSSが降伏後も,と言うか降伏後束縛が無くなり,日本の憲兵と協力して彼らを逮捕し,危うく空襲で焼き殺される所だった,と言うケースもあったそうです】
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 いわゆる“敵国条項”に関してですが、なんだか国連憲章でドイツ・日本が名指しで「敵国」とされ、イタリアは除外されているかのように誤解されていますが、(私もしていました)原文を読んでみましょう。

いわゆる“敵国条項”とされる、第35条・第107条ですが…

「第35条〔提訴〕
1 国際連合加盟国は、いかなる紛争についても、第34条に掲げる性質のいかなる事態についても、安全保障理事会又は総会の注意を促すことができる。
2 国際連合加盟国でない国は、自国が当事者であるいかなる紛争についても、この憲章に定める平和的解決の義務をこの紛争についてあらかじめ受諾すれば、安全保障理事会又は総会の注意を促すことができる。
3 本条に基いて注意を促された事項に関する総会の手続は、第11条及び第12条の規定に従うものとする


「第107条〔敵国に関する行動〕
この憲章のいかなる規定も、第二次世界戦争中にこの憲章の署名国の敵であった国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない」

http://www.lares.dti.ne.jp/~m-hisa/uncharter/jap …

つまり読みようによってはイタリアもこの条約に該当します。というか、法律というもの自体が、その時々の条件・状況によって解釈の余地を残しているものです。
しかも、敵国条項自体が第35条をお読みになれば分かるように、日独共に国連に加盟している時点で死文化しています。
(日独は死文化しているから削除を要求しましたが、他の国が手続きが面倒な上に、死文化しており、なおかつ緊急を要する内容でもないので、「このままでも問題ないんじゃん」という態度です)。

だから「イタリアは敵国条項に該当しないから戦勝国」というのも、不正確な内容です。

イタリアは敗戦国か否かといえば、No.2さんの言われるように敗戦国です。
バトリオ政権がムッソリーニ政権に宣戦布告し、連合国側に付きましたが、それをもってイタリアを戦勝国扱いするのは、当時日本領であった韓国(含む北韓)が、「抗日戦線を行っていたから、韓国は戦勝国」とみなすことと同じでしょう。

もっともイタリア人自身が長い年月、ローマ・ベニス・ナポリなど都市国家としてまとまっていたという国民性から、イタリアという統一国家意識が希薄なところも、政権と国は別物という意識がはたらくのかもしれませんね・
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この回答へのお礼

貴重な意見ありがとうございます。難しいテーマになってきた気がしますが、がんばってみます!

お礼日時:2006/06/16 23:17

右翼君には辛いだろうが


北アフリカ戦線での状況とか
戦艦ローマの行動とかを考えれば
イタリアは連合国側に付きたかったのだよ

ファシスト政権の危険性に気づいたのが
早かった
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1・イタリアは米英に対して降伏はしていない。

休戦協定を結んだだけ
2・対独・対日宣戦布告を行い、両国から賠償金をせしめている(但し両国とも講和は拒否)
3・国際連合(海外では連合国側という意味)の原加盟国である
4・旧敵国条項には該当しない
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この回答へのお礼

こういった面は戦勝国ですね・・・
貴重な意見ありがとうざいます!

お礼日時:2006/06/15 13:08

No.1 へのお礼


> 先生があまりにも熱く語るので、

 いよいよ怪しいですね。

> 確かに一度降伏という形をとっているのだから、敗戦国なの
> かもしれません。こう言ったところが、イタリアが敗戦国と
> して扱われた理由なのかもしれませんね。

 話を出発点に戻すと、「敗戦」の定義をきちんとすることを、常に心がけることをお勧めします。「敗戦国」をタイトルのキーワードにしているレポートなのですから、「敗戦国」の定義がなかったらいきなり論理が崩壊します。この点、レポートに書かないにしても明確にしておきましょう。戦後有利な位置に立ったっぽいから「戦勝国」とか、他国から金を取られたから「敗戦国」などという程度の定義では、論理の一貫性を求められる類の文章である「レポート」が、そもそも成立しません。

 例えば戦勝国でも敗戦国でもない、などといういいかげんな表現は、定義がゆらぐから出てくるに過ぎません。少なくとも戦争を戦った国家に対してそんな第三国扱いしたら、まともな先生なら落第点をつけます。(その先生が、まともでない可能性を私は感じていますが)

 で、戦争に負けるとは/勝つとは、どういうことか、という点を考えると、複数の定義ができるのです。例えば、とっさに思いつくだけでもこのくらいあります。

1.国軍が降伏することをもって「敗戦」とし、降伏した国軍を擁した国を「敗戦国」とする。降伏させた軍隊を擁した国家を「戦勝国」とする。(それ以外は、第三国ですね)
2.戦争目的を達成した国を「戦勝国」とする。達成できなかった国を、「敗戦国」とする。
3.戦後に国際的な発言力が戦前より増した国を「戦勝国」とする。減じた国を「敗戦国」とする。
等々。

 分かりやすく日本を例に取って解説すると、1の定義では敗戦国になります。2の例では大東亜共栄圏が特定アジアを除いてはできていますし、経済面に限定すれば特定アジアの中でも北朝鮮をのぞけばできているとすら言えますから、戦勝国となります。3の定義では、「発言力」の評価がまた複数可能ですが、それによって敗戦国にも戦勝国にも分類できます。

 あなたがどのような切り口で「敗戦」を語るのか。それが、もう一つのタイトルのキーワードである「その後」に直結します。というのは、敗戦を語る切り口が、「その後」に敗戦をどう克服したのか、もしくはしていなくて未だに課題なのか、という「その後」を述べる切り口に、そのままなるからです。

 レポート、がんばってください。
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この回答へのお礼

かなり難しそうなレポートになる予感がします・・・とにかく、「敗戦国」の定義をしっかり書けるように心掛けたいと思います。ありがとうございます!

お礼日時:2006/06/15 13:03

以前、質問者様と同様の疑問を感じ、質問をしたことがあります。


しかし結局、イタリアに関しては、戦勝国でも敗戦国でもないようです。なぜなら、戦勝国の条件も備えているし、敗戦国の条件も備えているからです。

かいつまみますと、敗戦濃厚となったイタリアのムッソリーニが国王に逮捕監禁され、バドリオが首相になると、戦争終結のためアメリカ、イギリスと極秘会談を開きます。しかし、イタリアの裏切りを知ったドイツは、監禁のムッソリーニを助け、イタリア北半分を支配して傀儡政権(イタリア社会共和国)を誕生させます。

バドリオは南半分に難を逃れ、ナチスドイツに宣戦布告します。
結局、米英に支持を受けた南のバドリオ政権がムッソリーニを捕らえて、この内戦は終結します。

以上のようなややこしい経緯があります。

しかし、イタリアは戦勝国として連合国の一員扱いはされておらず、日本の降伏文書調印式にも出席していません。
一方で、第2次世界大戦の敗戦国である「敵国条項」には含まれていません。この意味では敗戦国ではありません。
敗戦国でないのだから戦勝国かと言うと、、連合国の正規メンバーでないので、そうでもなさそうです。
また、ドイツなどから賠償金をもらう一方、自らも被害を与えた国に賠償金を払うなどしており、さらに複雑な状況ですね。

納得のいく、がつんとした回答にならずすみません。

参考URL:http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1984755
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この回答へのお礼

そういった結末もアリですね!
大切だったのは、イタリアがどういった末路を送ったのか?だったのかもしれません・・・世界大戦を争った国の中にどっちつかずの国があったなんてビックリな発見です!それがまさかイタリアなんて・・・これから自分でよく調べていいレポートにします。ありがとうございます。

お礼日時:2006/06/15 00:06

ゼミの先生の言う 降伏=敗戦国では無条件降伏をしたドイツも然り大日本帝国も無条件降伏。

降伏。降伏。

いったい真の敗戦国はどこの国なんでしょう?

あー奥が深い。
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この回答へのお礼

確かに、敗戦国とされた国はたくさんありますが、実のところどこの国家が一体悪いのか?真の敗戦国はどこなのか?非常に気になるところです。他の敗戦国のこともよく調べ比較して、いいレポートにしたいと思います!ありがとうございました!

お礼日時:2006/06/14 23:14

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Q敗戦国イタリアは,なぜ非難されないの?

第二次世界大戦の敗戦国である日本やドイツは,
戦後70年たっても,いまだに非難されています。

イタリアに関しては,そういった非難を聞かないのはなぜでしょうか?

また,敗戦国が被害を与えた国に対して謝り続けなければいけないのは
あと何年くらいですか?

戦争の当事者が皆いなくなっても,続きますか?

Aベストアンサー

1:>イタリアに関しては,そういった非難を聞かないのはなぜでしょうか?
2:>また,敗戦国が被害を与えた国に対して謝り続けなければいけないのはあと何年くらいですか?
3:戦争の当事者が皆いなくなっても,続きますか?


回答1:最初に降伏して、連合国側についた為と思われます。
(あまりの弱さに敵として認識されていなかったのかもしれません)

イタリアですが、戦争中にクーデターが起って南北に分裂し、その後南王国は連合国に加盟しています。

1:南部の南王国(国王・パドリオ政権)
2:北部のイタリア社会共和国(RSI・ムッソリーニ)


回答2:もともとそのような義務はありません。
回答3:回答2と同じ。更に戦争は国家の行為であり、元々個人としての「当事者」など存在しません。(理由は後述)

謝罪を執拗に要求するのは、日本の周囲の特定の国々だけです。
また、「敗戦国」という理由で謝罪の必要が発生するなら、勝ちさえすれば何をしても良い事になります。
それでは「国際法」の意味などありません。

質問者様は、「戦争」という行為について誤解しているように思います。
無知な人は、戦争=悪→謝罪 と思い込みますが、
戦争とは、国際法で認められている交戦権の行使であり、相手国に自国の要求を武力で承認させる行為です。
外交とは手段が異なりますが、同じ国益を追求する為の行為であり、政治の一手段に過ぎません。

これも誤解されていますが、主権の存在により、国家には自分より上位の法的権限を持つ存在はありません。
戦争が国家の行為である以上、裁判の対象にすることはできず、戦争指導者であっても、個人に責任は発生しません。(動画も参照)
(国連は、憲章に合意した加盟国間の調停機関に過ぎません)

これもよく誤解されていますが、軍事裁判は「戦時に行われた国際法違反の行為」である「戦争犯罪」を裁くものに過ぎず、「戦争そのもの」は対象にできません。
そして、戦争犯罪は戦勝国や敗戦国の区別なく裁かれます。(少なくともWW1までは)



「戦争そのもの」の処理についてですが、
まともな国家間での戦後処理は、何らかの条約(多くは講和条約)を結ぶことで戦争状態は解消され、国交締結へと続きます。

そして、「条約」とは国家間の契約や義務を定めるもので、相手の非を晒し上げたり、責任を押し付けあうものではなく、終戦時の力関係で払うものを払って手打ちにするという約束です。

国家が裁けない以上、この方法以外での終戦と戦後処理はできません。

責任や謝罪という、片方が納得しなければ永遠に認められない曖昧な抽象概念を、終戦や講和の条件に含めた場合、両国の関係や国民間で怨恨が残り、その後に悪影響が出ます。
少なくとも、日本の周囲の特定の隣国以外はそう思っています。

実際、ドイツは戦争については、国家の権利という見解から謝罪はしていません。
よく、無知か故意に誤解を広めたい一部の人達は「謝罪したドイツを見習うべきだ」という主張をしています。
しかし、ドイツが謝罪したのはユダヤ人へのホロコーストのみです。
それも「ナチス」という党の行為であり、国家としてのドイツの責任ではないという見解です。


日本の戦後処理については、各国と講和条約を結んでいるので終了しています。
実は、多くのアジア諸国は「アレは侵略ではないので賠償はいらない」と連合国が認めた賠償請求権を放棄してくれています。
(タイなどは、更に日本が戦費として借りたものまでタダ同然にしてくれています。)
日本はそれらの国に対しても「準賠償」という名目で経済援助をしています。

【日本が支払った戦争賠償金】
http://www.youtube.com/watch?v=euNuLLDSWTI


あの隣国達についですが、
韓国については、終戦まで日本の一部であり、戦場になったこともなく被害もなかった為に連合国は戦勝国とは認めていません。
そして、国交を結ぶ時の条約で、「過去の問題はすべて解決済みとする」という合意ができているので、謝罪する必要はありません。
併合時の統治も謝罪や賠償が必要なことはしていません。
北の方については、条約の締結時に、南が「自分達が半島の唯一の正統な国家である」と主張しているので、彼等の問題になります。


中国についてですが、
今の政権はサンフランシスコ平和条約の調印国ではありません。
日本との国交回復は、1972年に締結された日中平和友好条約によるものです。
中国はそのとき、【中国は日本に対する戦争賠償の請求を放棄する】ことを宣言しています。
これについては、以下のような事情があります。

終戦時に、日本は満州国に膨大な資産とインフラを残しており、これに対する中国への補償請求の権利は戦争と関係なく残っています。
それらを金額的に両者を比較すると、

【日本が残した資産への補償】>>【中国の戦争賠償の請求額】

となり、うっかり請求すると薮蛇になってしまうので、中国側は、請求権の放棄と言う「寛大な配慮」を装って誤魔化しているだけです。
(インフラについては韓国や台湾も同様でしたが、連合国の意向に拠って日本は請求権を放棄させられています)

謝罪については、
以前、旧社会党が訪中し「日本は戦争により中国に多大な迷惑をおかけしました」と謝ったことがありました。
これに対して、毛沢東は「なにも謝ることはない。日本軍は我々に大きな利益をもたらした。日本軍のおかげで中国共産党は中国を手に入れることができた」
と応えています。

http://www.youtube.com/watch?v=sDTJVZheUwo

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2:>また,敗戦国が被害を与えた国に対して謝り続けなければいけないのはあと何年くらいですか?
3:戦争の当事者が皆いなくなっても,続きますか?


回答1:最初に降伏して、連合国側についた為と思われます。
(あまりの弱さに敵として認識されていなかったのかもしれません)

イタリアですが、戦争中にクーデターが起って南北に分裂し、その後南王国は連合国に加盟しています。

1:南部の南王国(国王・パドリオ政権)
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Q内閣総理大臣の任期について。

内閣総理大臣の任期についてなのですが、アメリカでは四年で二期までですが日本ではどうなっているのでしょうか?
憲法第七十一条には「内閣総理大臣は、衆議院の解散や衆議院議員の任期満了により国会議員の地位を失っても、次の内閣総理大臣が任命されるまでの間は、その地位を失うことはない」とありますが何期できるのですか?
知っている方は教えてください。

Aベストアンサー

 日本の内閣総理大臣は,「1期○年」と決まっている訳ではありません。
 首班指名されてから,衆議院選挙後の首班指名まで,或いは辞職・死亡するまでが1期と言えるでしょう。というより,「第○代」と言う言い方をします。
 
>何期できるのですか?
 制限がないので,何年でもできます。
 ただ,自由民主党では,総理には党の総裁が就くことになっています。自由民主党の総裁の任期は現在,3年と定められており,2期までと定められていますから,最長6年ということになると思います。
 でも,自由民主党は総裁公選規程をコロコロ改正しています。昔,中曽根氏が総理総裁の時,総選挙で大勝したから,総裁任期を1年延長されたりしました。

参考URL:http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/ichiran.html

Q小学生でもわかる第二次世界大戦の流れ

小学生と、知的障害がある中学生に第二次世界大戦のことについて
説明してほしいと頼まれましたが、しゃべった内容が難しかったのか
ぽかーんとされてしまいました。自分が完ぺきに理解しているというわけでもないので
説明しながら自分でもわからなくなってしまいました。

そこで、子どもにも簡単に説明できるような第二次世界大戦の
開戦きのっかけ、流れ、終戦、状況などをとても簡単に教えてください。
お願いします。
一時間以内で話せたらいいかなあと思っています。

Aベストアンサー

 こういうのでどうでしょうか?

(1) 世界は3つのグループがあった。
 A)アメリカやイギリスなどお金持ちの強い国。
  Cグループの弱い国を支配していた。

 B)日本・ドイツなど貧しくて強くなりたかった国。
  AグループからCの国を奪おうとして戦争を起こした。

 C)AグループやBグループに支配されていじめられて
  いたので支配から逃れようと運動をおこしていた。

(2) 開戦

 ・日本は朝鮮や台湾・中国の北部を支配していた。
  中国全部を支配しようと戦争を始めていたが、アメリカ
  やイギリスが邪魔をしたのでそれら強国との大戦争に
  なった。
 ・ドイツも同じく周りの国々を軍隊の力で支配し、
  アメリカやイギリスと大戦争になった。
 ・強国に支配されていた国々は日本やドイツのやりかた
  が酷かったので日本やドイツと戦いを始めた。

(3) 流れ

 ・日本とドイツの戦争のしかたは奇襲といって相手が
  油断しているときに突然襲う戦い。だから初めは
  勝つけれど、より強いAグループが本気を出すと
  日本・ドイツは負けていく。そして支配の仕方が
  酷いので支配された国の人から恨みをかい日本と
  ドイツは大敗する。

(4) 終戦
 ・負けることがわかっても日本だけ戦いつづけた。
  理由は天皇を守るためということだった。
  戦いが続く中、アメリカは原爆という大きな爆弾を
  日本の広島と長崎に落として日本は降参した。

(5) 状況

 ・この大戦争は初めは強国どうしのよその国を奪い合う
  喧嘩だった。けれど日本やドイツが少人数の偉い人の
  命令をみんなは文句を言わず聞け、一人一人の事より
  国=偉い人のほうが大事なんだという考え方と、一人
  一人の事を大切にする考え方に賛成する国々との戦い
  となり、最後は日本と80の国々との戦いとなった。

 ごめんなさい。やはり難しいですね。でもこれを下敷きに

もっとお話し的に変えたらどうでしょう?

 

 こういうのでどうでしょうか?

(1) 世界は3つのグループがあった。
 A)アメリカやイギリスなどお金持ちの強い国。
  Cグループの弱い国を支配していた。

 B)日本・ドイツなど貧しくて強くなりたかった国。
  AグループからCの国を奪おうとして戦争を起こした。

 C)AグループやBグループに支配されていじめられて
  いたので支配から逃れようと運動をおこしていた。

(2) 開戦

 ・日本は朝鮮や台湾・中国の北部を支配していた。
  中国全部を支配しようと戦争を始めていたが、アメ...続きを読む

Qマーシャルプランとは何ですか?

第二次大戦後の欧州復興政策として行われたマーシャルプランとは、具体的にどの様な内容のものだったのですか?名称はよく聞くのですが、どれも内容には一切ふれていないので、中身が全く分かりません。どなたかお教えいただければ幸いなのですが。

Aベストアンサー

 1947年から開始されたアメリカの対西ヨーロッパ援助計画。ヨーロッパ復興計画(ERP)といい,同年6月5日,アメリカ国務長官 G. C. マーシャルが復興援助を供与する意志のあることを表明した。
 全欧州を対象にしたが、反ソ・反共主義を前提としたため,実際には西欧諸国の経済復興と経済統合を目的としてこの計画は推進されていった。西欧諸国が作成した復興計画に基づき48年4月アメリカ議会は対外援助法を可決し,援助管理機関として経済協力局(ECA)を設立した。西欧諸国は援助受入れのためヨーロッパ経済協力機構(OEEC)を設置した。この計画が終了する52年中ごろまでの総援助額は約130億ドルに達し,その大部分はイギリス,フランス,イタリア,西ドイツ,オランダに供与された。
 マーシャル・プランは戦争で疲弊した西欧諸国の経済復興に大いに貢献した反面,この援助額の約70%がアメリカの余剰農産物やその生産品の購入にあてられ,結果として合衆国の輸出市場を拡大し,西欧諸国に対する合衆国の影響力を強化した。援助の大部分は軍事援助の色彩を帯び,北大西洋条約機構(NATO)成立への経済的基盤づくりがなされた。 

(英語)
http://www.gcmarshallfdn.org/             

 1947年から開始されたアメリカの対西ヨーロッパ援助計画。ヨーロッパ復興計画(ERP)といい,同年6月5日,アメリカ国務長官 G. C. マーシャルが復興援助を供与する意志のあることを表明した。
 全欧州を対象にしたが、反ソ・反共主義を前提としたため,実際には西欧諸国の経済復興と経済統合を目的としてこの計画は推進されていった。西欧諸国が作成した復興計画に基づき48年4月アメリカ議会は対外援助法を可決し,援助管理機関として経済協力局(ECA)を設立した。西欧諸国は援助受入れのためヨーロッパ経済協力機...続きを読む

Q香港 マカオ 台湾 すべて別の国なのか?

上記の3つはすべて中国じゃないのですか?
わけがわかりません。
香港台湾は国旗がちがうからちがう国なのですか?
マカオに入るときにもパスポートが必要みたいですが。。マカオはどこのくになのですか??
よくわかりません。きになります。教えてください。香港、マカオツアーにいこうかと迷っています。おもしろいですか?

Aベストアンサー

全て同じ国、中華人民共和国です。
台湾は色々と難しい部分がありますが、
日本・アメリカなど多くの国が中華人民共和国と認めています。

香港はかつてはイギリスの租借地、マカオはポルトガルの租借地で
ともに数年前までに中国に返還されています。
現在は中華人民共和国です。

香港やマカオは特別行政区と言って返還後しばらくは
「自治」が認められています。
もちろん中国と制度も違います。
しかし独立国家ではなく、中国の一地方に過ぎません。

香港、マカオ、中国、台湾ともに独自のイミグレーションを持ち、
往来にはパスポートが必要です。もちろんその間で免税店もあります。

日本人は条件さえ満たせば全てノービザです。
(中国人の往来は制限されています)
マカオはバスや通りにポルトガル語・漢字標記があり、色々な国籍の人がいます。
中国と陸続きにもかかわらず非常に外国の雰囲気があり、面白いかもしれません。

日本から空で入国して、マカオには海で入国して、歩いて陸から中国入国なんて
日本では経験できないことを1日で体験できますよ。

全て同じ国、中華人民共和国です。
台湾は色々と難しい部分がありますが、
日本・アメリカなど多くの国が中華人民共和国と認めています。

香港はかつてはイギリスの租借地、マカオはポルトガルの租借地で
ともに数年前までに中国に返還されています。
現在は中華人民共和国です。

香港やマカオは特別行政区と言って返還後しばらくは
「自治」が認められています。
もちろん中国と制度も違います。
しかし独立国家ではなく、中国の一地方に過ぎません。

香港、マカオ、中国、台湾ともに独自のイミ...続きを読む

Q東京で誰でも入れる大学は…

学力に全く自信がありません・・・。でも大学は卒業したいのです。言い方は悪いですが東京の大学で誰でも入学できる学校を教えてください。

Aベストアンサー

家庭教師派遣会社勤務です。

・高千穂大学
・国士舘大学二部政経学部(←ここは俺が偏差値20ちょっとのくせに合格しました。受かったときははっきりいって驚きました)
・城西国際大学
・帝京平成大学情報学部
・埼玉平成大学
・富士大学(高田馬場にある方でも岩手県にある方も両方)
・拓殖大学二部の各学部

おすすめは夜間大学がいいですよ。聞いたことがある大学で(例:日本大学など)夜間大学(=二部)が設置されています。あわよくば大学に入ってから編入試験一部(昼間の)に三年次編入が出来ると楽してええとこに行けてしまいます。

国士舘大学二部政経学部や拓殖大学二部おすすめですよ。

Q戦前の日本は先進国だったのですか?

日本が経済発展して先進国になったのは70年代と聞きましたが、それでは

1.国際連盟の常任理事国だった戦前の日本は先進国だったのでしょうか?

2.そうだとすれば、ドイツも戦前は先進国で、戦後日本と同じように経済発展して先進国になるまでは暫く後進国の状態だったのでしょうか?

Aベストアンサー

なかなか難しい質問をしますね。
日本の戦前の経済レベルは、近代国家として産業革命成し遂げ、それなりの工業力もあり、技術水準も一部では引けを取らないところがあったというくらいでしょう。
つまり、マンガ雑誌で例えればガンガンとジャンプを比べてみてください。
上のほうのレベルではそれほど差がありません。しかし、全体の平均値で見ればレベルの格差は非常に大きいようなものです。

例えば軍事技術で言えば
日清戦争の時(1894-95)は殆どの武器、兵器は輸入品でした。
日露戦争の時(1904-05)は半分くらい国産でしたし、その後はほぼ全て国産化しました。
しかしこれは、国力のかなりの部分を兵器開発に注いでいたからだとも言えます。兵器開発能力も所々に優秀なモノがあったのも事実ですが、総合力ではアメリカやドイツに劣っていましたし、何よりも数を生産する能力においては圧倒的な格差が存在しました。

次に、産業構造で言えば、日露戦争後くらいにようやく産業革命に一区切りが付いたわけですが、それでも日本はまだまだ弱小国でした。
日本の経済力が飛躍的に上がったのはWW1(1914-18)の時ですが、WW1後ですら日本の工業は繊維(生糸や綿織物)などの軽工業が中心でしたし、第一次産業に就業する人が国民の50%を占めていたのでむしろ農業国だったといえます。
世界恐慌を機に重工業化が進みましたが、それでも国民の半分くらいは農民という構造は変わっていません。

という訳で
1.
精一杯背伸びして列強の仲間入りしているけど、足腰の強さ地力の強さではアメリカには全く適わないし(まあ当時のアメリカは欧州全部と戦争しても勝てるくらいの力があったわけですが)、ドイツにもかなわない。
全ての力を戦争に注ぎ込んでもちょっと本気を出したアメリカに一蹴される程度の国力でした。

2.
ドイツは戦前の時点で世界第二位の経済大国でした。
日本人一人当たりのGDPがドイツに追いついたのは70-80年代です。

なかなか難しい質問をしますね。
日本の戦前の経済レベルは、近代国家として産業革命成し遂げ、それなりの工業力もあり、技術水準も一部では引けを取らないところがあったというくらいでしょう。
つまり、マンガ雑誌で例えればガンガンとジャンプを比べてみてください。
上のほうのレベルではそれほど差がありません。しかし、全体の平均値で見ればレベルの格差は非常に大きいようなものです。

例えば軍事技術で言えば
日清戦争の時(1894-95)は殆どの武器、兵器は輸入品でした。
日露戦争の時(1904-05...続きを読む

Q江戸時代、えた・ひにんの人ははどうやって選ばれたのか?

江戸時代に士・農・工・商・えた・ひにんなどの身分制度が出来ましたが、このえた・ひにんに該当する人たちは、どうやって決定されたのでしょうか?
中学校では「時の権力者が世の混乱を治めるために低い身分の人を作って不満のはけ口にした」などと習った気がします。しかし、この"低い身分"の人たちはどのようにして選ばれたのでしょうか?貧しい農民をこの身分に割り当てたのでしょうか?私の思いつきでは前科のある人やその家族などをこの身分にしたのではないかと思ったのですが、実際はどうなのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

まず、身分制度についてですが、士・農・工・商ですが、次にくるのは「非人」「穢多(えた)」の順です。

で、ここで、あなたの質問に答えるとしたら、地方の成立は雑多な部分もありますので、話が長くなります。そこで、江戸および江戸時代についてのみお話をいたします。

確かに、士農工商の序列ではありましたが、実際としては、士・工・商・農、という序列が正しいと思います。

年貢(税金、または、武士の給与)確保のため、武士の次に農民が位置しましたが、士農工商で一番苦労したのは、農民でした。

まず、「非人」について:

元々は「人非人」あるいは「僧侶」の意味でした。つまり、人間界を捨てた「世捨て人」のことを指しました。やがて、賎民(せんみん=貧しい人)を指すようになり、中性では「穢多」と混称されるようになってきました。しかし、江戸時代に入ると両者は「厳密」に区別され、「非人」は良民(平民)のなり下がりとして位置づけられ、良民への復帰の道が開かれていました。
「穢多」と違っているところは、「皮細工等の生産に従わず」卑属な遊芸や物貰いの独占権を持ち、「穢多」よりも上位に位置していました。

「非人」にも2種類あり、「抱非人(かかえひにん)」と「野非人(のひにん)」とに分かれていました。

「野非人」は今日で言われる「路上生活者」。つまり、ホームレスで、主に、農村部で飢饉や病気などにより年貢が納められなくなった者が「人別帳」を離れて江戸へ流入した者たちでした。つまり、「無宿者」と同じ考え方です。江戸でも厳しく取り締まりをし、一定の区域に住まわせたりしましたが、効果はなく、後の、「無宿狩り」などへと発展していきました。

一方、「抱非人」は、例えば、
(1)姉妹伯母姪と密通した者。
(2)男女の心中(相対死)で女が生き残った場合。もしくは、両人とも生き残った場合。
(3)主人と下女の心中で主人が生き残った場合の主人。
(4)15歳未満で無宿の子どもが盗みをした時。
などとなっていますが、
非人小屋頭が江戸の各地にあり、そこの頭の支配を受けていました。この非人組頭の頂点に「弾左衛門」という人物がおり、その支配下に「頭」と呼ばれる者が4~5人いました。最も有名なのは、荒川土手(地名は分かってはいますが、人権に関わることなので、ここでは、あえて、荒川土手とします)に木組みと筵(むとろ)で住まいを造り、痩せた土地を開墾し、非人同士が結婚して子どもが生まれても、その子どもも非人でしかなかったのです。

まあまあ、幅を利かしていたのが「車善七」率いる人たちでした。

非人の生計としては痩せた土地から得るものは少ないので、主に「物乞い」でした。江戸時代、非人以外が「物乞い」をすると、逆に、罪になりました。また、街角の清掃、門付(かどづけ)などの清めに関わる芸能を披露。そして、街角の清掃に付随して紙くずを拾って、それを発展させて「再生紙」造りにも寄与しました。(現代のリサイクルの先駆け?)。さらに、町役の下役として警備や刑死者の埋葬、また、斬首の刑(首切りの刑)などでは、罪人を押さえつけたり、その後の死体処理をしたり、入牢した者が病気に罹った時の看病。少年犯罪者の世話などに従事しました。

そして、「非人」は、上記(1)~(4)などの罪で非人になっても、家族や親類縁者が、多少の「銭」を支払うことで、平民に戻れたのです。

そこへいくと、「穢多」は、「非人」よりも、さらに下位に置かれ、町民の住居からは、かけ離れた場所に、一箇所に集めて住まわされました。その条件?としては、「非人」の中でも、さらに「素行」が悪く、「非人の秩序」を乱す者などが対象でした。しかし、支配をしていたのは、やはり、「非人組頭」の弾左衛門でした。

彼らは、例えば、死んだ牛馬を百姓から貰い受け、その肉を食い、皮は皮製品などにしました。この斃牛馬(へいぎゅうば=死んだ牛馬)の取得権は「穢多」の何よりの独占権でした。
その他にも、藁(わら)細工、燈心細工、破魔弓矢(はまゆみや)細工等簡単な手工業的生産に携わりました。

この「穢多」の歴史は、戦国時代に戦国大名から鎧(よろい)や鞍(くら)などの武器としての皮製品調達のために、当時は長史(ちょうし=村のまとめ役)に皮製品の上納を命じたことに始まる、と、されています。その見返りとしては、年貢を安くしてもらったり、とかの恩恵も与えられました。

しかし、江戸時代に入ると、「穢多」は、、「士農工商・非人・穢多」と「非人」より下位に位置づけられ戦国時代と同じような職業に従事し、一生涯「平人(ひらびと、または、ひらんど)=庶民」に戻ることはできませんでした。

こうした「非人」や「穢多」は、収入があってないようなものでしたので、租税を課せられることもなかったので、やがて、その租税免除により、幾らかでも貯えをし、土手などから、平地に土地を持つ者も出始め、大きな意味で「部落」ができました。

そして、明治4(1871)年に制定され、明治5年に編成された、いわゆる、壬申戸籍(じんしんこせき)には、「皇族」「華族」「士族」「卒」「地士」「僧」「旧神官」「尼」「平民」「新平民」「非人」「穢多」などという「階級」が書かれており、当時は、まだまだ、身分制度が色濃く残っており、しかも、誰でもがこの戸籍を閲覧することができました。

しかし、昭和43(1968)年に、差別部落の人を探し出す事件が発覚し、大企業での採用取り消し、部落民との結婚禁止などという事件が発生し、同年、「閲覧」および「公開」を禁止し「永久封印」とされました。

とは言うものの、現在に至っても、「部落名」を聞いたり、そこに代々住んでいたということで、「偏見の目」が向けられ、現在、「部落開放運動」や「同和問題」が今なおクローズアップされているのが現状です。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

まず、身分制度についてですが、士・農・工・商ですが、次にくるのは「非人」「穢多(えた)」の順です。

で、ここで、あなたの質問に答えるとしたら、地方の成立は雑多な部分もありますので、話が長くなります。そこで、江戸および江戸時代についてのみお話をいたします。

確かに、士農工商の序列ではありましたが、実際としては、士・工・商・農、という序列が正しいと思います。

年貢(税金、または、武士の給与)確保のため、武士の次に農民が位置し...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Qスーツケースベルトは必要ですか?

卒業旅行のためにスーツケースは買ったのですが、スーツケースベルトを買おうか迷っています。スーツケースベルトはスーツケースが開かないように固定するのと、目印のためだと言われますが正直必要ないと思います。経験者の方は教えてください

Aベストアンサー

スーツケースベルトの目的は、3つあります。
2つは、ご質問者の方も言われているように、スーツケースが開かないように固定するため、それと「目印」のためです。(「目印」は、主たる目的ではないと思います。)
もう一つ、重要な目的があります。空港職員による解錠-窃盗を防止するためです。スーツケースは、合鍵やピッキングで簡単に明けることが出来るそうです。ダイヤルロックも、慣れた人にとっては10秒程度で明けることが出来るそうです。昔からこの手の犯罪は後を絶たず、外国の空港では荷物の仕分場に監視カメラを付けているところもあります。ニュースで、監視カメラによる窃盗の現場の映像を見たことがあります。
窃盗は素早く行わなければならず、スーツケースベルトがあるとベルトを外すのに手間が掛かるため、窃盗者が手を掛ける可能性が低くなる、ということになっています。そのため、取り外しが便利なスーツケースベルトというものは一切売っていません。

なお、米国は安全確認のためスーツケースを明けることが認められおり、TSAロックという公認の鍵以外は施錠しないようアナウンスされてます。渡航先が米国の場合は、スーツケースベルトも意味が無いと思います。

スーツケースベルトの目的は、3つあります。
2つは、ご質問者の方も言われているように、スーツケースが開かないように固定するため、それと「目印」のためです。(「目印」は、主たる目的ではないと思います。)
もう一つ、重要な目的があります。空港職員による解錠-窃盗を防止するためです。スーツケースは、合鍵やピッキングで簡単に明けることが出来るそうです。ダイヤルロックも、慣れた人にとっては10秒程度で明けることが出来るそうです。昔からこの手の犯罪は後を絶たず、外国の空港では荷物の仕...続きを読む


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