平清盛にしろ、源義経にしろ、菅原道真にしろ、昔は「○○の○○」という名前が多かったのですが、北条政子のへんから、「の」をいわなくなったように思います。このへんの時代背景はあるのでしょうか。

A 回答 (2件)

結論からいいますと「姓」と「苗字」の違いになります。



「姓」(=かばね)は、生まれ持った血族の氏(うじ)の名前で
古来の蘇我・物部・巨勢・葛城・中臣・紀・大伴・伴・橘・菅原・秦・小槻などがそうです。
源氏・平氏も天皇家から別れた血族の一つです。
これらの名前は「~の」と呼ぶことができます。

「苗字」は新たに姓とは別に名乗ったもので地名などを「苗字」とする場合が
多いです。藤原氏の九条・鷹司・近衛や源氏の武田・平氏の北条などがそれです。

つまり質問の北条政子は、やはり平政子(たいらのまさこ)なのです。
古代から中世にかけてはこの「姓」が正式な名前とされ、古文書にも
「苗字」ではなく「姓」で署名されています。
近世以降、姓が形式的なものになってしまって言われなくなり「苗字」だけをつかうようになったと考えられます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そういえば、北条氏は、平家の出だから「執権」のまま「将軍」になれなかったのだ、という話を聞いたことがあるような・・。

イメージとしては、「地名」のほうが「○○の」になりそうな気がしていたのですが(「清水の次郎長」など)、これは実際にそうであった、というのであれば仕方ない。)
「源義仲」は「みなもとの」ですが「木曽義仲」は「の」なしですね。

姓が形式的なものになっていった原因をつくったのも、やはり北条氏でしょうね。

お礼日時:2002/02/22 08:32

前にも同じような質問があったようです。



> 昔の人の名前には読む時に「の」と入る人がいますが
> これはいつ頃からいつぐらいまでそうだったのか
> またなぜそうなったのか……(以下略)

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=66551

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=66551
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この回答へのお礼

ありがとうございます。「藤原鎌足」で検索したらひっかかったのですね。

おかげさまで区別がわかりました。

お礼日時:2002/02/22 08:25

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「名字」と「氏・姓(本姓)」の違いだそうです。

氏・姓は「賜姓」と言って、天皇(朝廷)から姓を賜ります。ですから正式な名乗りではこの姓を名乗り、~のとなります。昔の皇族が臣籍降下する場合などは、源や平姓を賜って、皇族と縁を切る訳です。

一方、こうして全国に散って行きますと、次第に姓だけでは家を区別出来なくなります。そういう時には姓だけでなく名字を名乗り、「木曽(に住んでる)次郎(と呼ばれている)旭将軍(という役職の)源の義仲」と名乗ったりする訳です。

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 名乗ることは極めて稀であったと思います。
 女性は公式な地位を持ちませんから文書の署名も
 遺っていません(例外はあります)。

2・源政子の署名は目にしたことがありません。
 鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』には
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 ています。
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