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昔の武士は主君に忠誠を誓いどんな命令でも従うものだと思っていました。
しかし、今日の朝日新聞の武士道の特集によると主君に非道な振る舞いがあったとき注意・監禁・強制隠居したりするというのは本当なのでしょうか?

A 回答 (7件)

 歴史的にそういう現象はありましたが、それを武士道とするのは朝日の牽強付会でしょうね。

武士がすることは全て武士道とでも言いたいのかもしれません。

 日本は歴史的に見て独裁者を異様に嫌い、トップ付近にいる人々の合議制を好むという国民性を持っています。だから、トップが十分な力量を持っていなくて、なおかつトップ付近の人々と意見が合わなかったら、排除されてしまうことがありました。つまりこれは、武士道というより、日本の国民性ですね。
 この辺は、聖徳太子も見抜いていて、十七条憲法でもこんなことを述べています。

 和を以て貴しと為し、忤うこと無きを宗と為す。人皆党有り、亦達れる者少なし。是を以て、或いは君父に順わず、乍隣里に違う。然かるに上和らぎ下睦びて、事を論ずるに諧えば、則ち事理自ずから通ず、何事か成らざらん。

 簡単に言えば、「仲良くすることは大事だよ。むやみにとんがるものじゃない。人それぞれ立場があるし優れた人は少ないから、意見の対立が起こる。そういうときには上下の別なく仲良く話合いをしなさいよ。そうすれば出来ないことはないのだから」なんてことを言っています。
 ちなみにこの条を、単純に「従順に天皇に従え」と言っている、と思っている人もいますが、むろんそれは間違いです。

 要するに、仲良く和を保つことが至上の善で、和を乱すことはたとえ政治改革であっても鎮圧されてしまうわけですね。力ずくが出てくるのは多少武家っぽいとは言え、聖徳太子が見抜いたほどに昔からあった国民性ですから、これを武士道というのは無理です。
 まあ、政治改革でなくて非道であっても、同じ現象は起きたでしょうけれど、根本の構造は同じです。トップ付近の人々の意に沿わないから排除されるという構造ですから。

 ちなみに、主君に忠誠を誓いどんな命令でも従う、なんて武士道は存在しません。少なくとも歴史上は実在しませんでした。
 本来、日本の武士の主従関係は、土地を安堵(土地の権利を保証)してくれることと引き換えに、戦闘時に合力するという形態が出発点でした。その意味で条件のある契約であり、主君が頼むに足らなければ乗り換えも可です。それを、戦国時代を終わらせようとして身分の上下関係を固着化するために徳川家康が朱子学を導入して、あなたの言うような雰囲気にはなりましたが、それは所詮「べき論」であって実践の道ではありません。

 なお、武士道の例でよく俗耳に入る事例として忠臣蔵の話がありますが、あれは主君の仇討ちなんかではなく、大石蔵之助自身が「喧嘩」と言っている通り、根本は喧嘩です。しかも同時代の記録を見ると、討入り事件自体はたいした話題にもならず大石らも誉められたりもしていません。あれが武士道の発露という認識を、当時の人々がしていなかったことを意味します。
 誰と誰の喧嘩かというと、この辺は私見が入りますが、精神異常の主君(浅野匠頭)が起こした傷害事件のせいでいきなり全員クビにされた藩士たちと、幕府の喧嘩だと、大石は思っていたと、思います。
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この回答へのお礼

武士道についてこんなに考えたのは初めてです。
ありがとうございます。
今の武士道と言われるものは聖書の様に汚いものは載せられずに綺麗なものだけを選んだ様に思います。
忠臣蔵はなんで討ち入り後すぐに切腹しなかったのか?と思います。やはり喧嘩気分だったのでしょうか?
もっと勉強したいと思います。

お礼日時:2006/06/18 21:30

主君=統率者ですから、江戸時代以前は下克上もあり、忠勤に対して正当な報酬で報いるという、雇用関係といったもの+日本的義理・人情の関係でした。


江戸時代となり、君主は統率者と言うより象徴に近いものとなり、「御家存続のため」の大義名分の下、監禁・強制隠居等の処置は当然ありました。
しかし、表向きには「急病のため」とかの理由ですが。
但し、武士道とは「葉隠れ」に代表されるものであり、「死ぬことと見つけたり」の世界です。
朝、起きる前に寝床で自分のあらゆる死に方を想像して、死ぬ訓練をしたそうです。
自分の主君に対し、諫言を言い続け、死を賜ることを最も名誉としています。
ただし、「朝日新聞」は、平気で嘘を書きますので、注意してください。
NHKとの騒ぎも決着してませんし、系列会社がロシア産の蟹を「国産」として販売していました。
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この回答へのお礼

表向きには「急病のため」ですか・・・。
主君を監禁したなんて恥ずかしくて表に出せないですよね。
武士道も時代経過につれて変化するものだと知りました。特に江戸時代に入り変わったみたいなので調べてみたいと思います。

お礼日時:2006/06/19 00:06

歴史読本で昔そのような特集がありました。


かなりの数の主君の監禁や隠居させるなどの事例が有りました。
詳細は失念しましたが…
朝日新聞に書かれていることは内容的には事実でしょう。

 論語にも「逆臣七人」という言葉で孔子が褒めている内容があります。
 「主君に逆らう臣下」という意味です。

ただし、ご質問者さんの仰る通り、大名家の家風によっては絶対的服従の「君辱められれば臣死す」などの事例も数多くあります。しかしこれらの事例は武士道と言うよりも主君の傲慢によるものだと思いますが。


ひとくちメモ
 なぜ朝日新聞が武士道(主君への忠誠)に関して発言するかと言うと、

 武士道=主君への服従=天皇への忠誠=愛国=右傾化=
 あってはならないこと=どうにかしたい=都合のいい所だけを切り出してばら撒く

  という理由によります。

 彼らは自分たちのイデオロギーに適った都合のよい事例だけを出して宣伝します。

パターン1 「本当の武士道は主君に絶対服従ではない」武士道を認めて右傾化に懸念
パターン2 「武士道は朱子学の偏狭なイデオロギーの産物だ」武士道を否定して右傾化に懸念

ご注意下さい。
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この回答へのお礼

マスコミおそるべしです。情報社会ですから
慎重になりたいと思います。
すこし事例を調べてみたいと思います。

お礼日時:2006/06/18 23:58

朝日新聞が書きますとまた別の意味になったりしますが、「主君押し込め」は割と良く出てくる話です。


主君と言えども、基本的には重役の決定した事項を決裁、追認するのが一般的でしたし今でもそうです。
比較的権力が天皇に集中した明治~昭和戦前でも、政策プランは国務大臣の輔弼によるもので、天皇は決裁するお立場でした。
このような決裁する立場を踏み出して家臣と軋轢が生じた場合にたまたまお家の一大事が重なったりしますと
「殿ご乱心」と言うことにされるわけです。
殿はスペアーを立てればよいが、お家にはスペアーはないし、、、、、、
と言ったところでしょうか。
終戦の玉音放送の時も陸軍将校達があわや「主君押し込め」になりそうな騒ぎをおこしたそうです。
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この回答へのお礼

なるほど。武士の時代以外でもあるんですね。
主君も名前だけだったのかも。
そういうのは歴史の表にはあまり出てこないものなのでしょうか・・?

お礼日時:2006/06/18 21:39

本当ですよ。


お家騒動の中の黒田騒動などは有名です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%AE%B6% …

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%AE%B6% …
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この回答へのお礼

お家騒動?ちょっと見てみます。

お礼日時:2006/06/18 21:35

守るべきは、主君という個人ではなく主家そのものという考え方ができると思います。



主君が暗愚で諫めるに値しないと見れば、ボロが出てしまわないうちに重臣が集まって家督を譲らせてしまい、主家を守っていくということが常識的に行われていました。
こじれると、お家騒動になり、藩そのものの取り潰しの口実になった例も多いようです。
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この回答へのお礼

主家ですか。一番偉いのかと思いましたが
そうでもないのですね。

お礼日時:2006/06/18 21:35

どちらも間違いなく「忠」です。


主君の過ちをたださないのも忠、主君をいさめるのも忠です。

これは「何をもって忠とするか」という考え方の違いです。
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この回答へのお礼

「忠」ですか、なるほど。何に対しての忠か。
主君でなく武士道に対しての忠ってとこでしょうか。

お礼日時:2006/06/18 21:21

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