「霊」は存在する、と言う方にお聞きします。 

 仏教では、死者は、四十九日で「成仏」するとされていますが、
それは、本当にそうなる、と昔の霊力のある方とかが
確認して決められた日数なのでしょうか?
 それとも、なにか、昔の習慣とかによる都合とかでしょうか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (7件)

この質問はいろいろな意味でむずかしいですね。


ちょっとややこしい話になりますが…

まず、はっきり言ってしまえば、四十九日というのが仏教で定着したのは、5世紀のインドのことで、バシュバンドゥという僧侶が中心になって書いた「倶舎論」という解説書がそもそもの始まりになっています。
仏教のこまごました数字のほとんどはこの本に出所があって、今でも仏教研究者の絶対必読書ですが、この中に大体次のようなことが書いてあります。

・全ての生き物は三つの有(う)を生きる
・三つの有とは、本有、中有、当有である
・本有とは今の生。当有は次の生。中有は死んでから次に生まれ変わるまでの期間のこと
・中有は7日を単位にして、最大で7回繰り返される

ですから、(最長で)四十九日というのは、はっきり言えばここで決まった、とまず言うことができるでしょう。チベットにはインド、ネパール経由で仏教が7世紀頃に伝わっていますから、チベットの四十九日も基本はここです。

ただ2つどうしても補足しないといけません。
ひとつは、#1のstarfloraさんも書かれているように、この「生まれ変わり」という考え方は、もともと仏教の教えにはないことです。バラモン教とかジャイナ教など、インド土着のいわば民族宗教色の強い宗教の影響があるということですね。
お釈迦さん自身はこの世の事だけを語り、生まれ変わりというものを肯定していませんから、その意味では「中有」は非常に非・仏教的な存在であるといってもいいでしょう。お釈迦さんが亡くなってからバシュバンドゥまでの千年足らずの間に、大きな変化が起こったわけです。
ある有力な説では、バラモン教が昔死者のために10日間食べ物を供えるピンダ・ピットリャーナという供養祭をしていたのですが、これが基本になって密教的に変遷し、バシュバンドゥにおいて体系化されたとされています。

もうひとつ、本当に「成仏」するかどうか。結論的には、ちょっとまだ、というところではないでしょうか。完全に成仏すれば、インドで現にそうであるようにそれ以降の仏事はなくてもいいはずですが、中国や日本では、四十九日では供養は終わりません。
百か日、1周忌、3回忌などが中国で成立しましたし、それ以降の法事(7、13、33回忌など)は全て日本でできたものです。少なくとも、四十九日で完全に成仏した、とは日本人は受けとめていないのでしょう。日本人にとっての成仏とは、故人の魂がだんだんと鎮まっていき、やがて穏やかな先祖霊になることを指すからです。
我々日本人には、「49」という数字に具体的意味が感じられないこともあって、四十九日を過ぎてからさらに長い期間をかけて供養を続けるうちにゆっくりと魂の荒々しさがとれていく、と考えられているのが現状でしょう。
(長くなって恐縮でした)

この回答への補足

かゆい所に手が届く回答ありがとうございます。

しかし、なぜ「七日ごと」なんですか?
その頃は「七進法」しかなかった・・・とか?
インドって、神秘的でごちゃごちゃの印象がありますが、
根本は「論理的」ですよね・・・。数学者とか多く
いませんでしたっけ?それこそ「インダス文明」とかの頃から。
 ご存知でしたら、補足回答お願いします。

補足日時:2002/02/22 18:19
    • good
    • 0

三たび失礼します。


数字の起源について、#6でstarfloraさんが「現実性」と「象徴性」に分類して整理されていますので、これを受けてちょっと補足させてもらいます。
私自身は先にも書いたように、「7」の象徴性をとりたいと考えるのですが、その理由は現実性の方の根拠が少し薄いと思えるからなのです。

どういうことかと言いますと、
まず一番に…
インドでは49日前後で肉体が白骨化するのは感覚的にも納得できるのですが、それが数字にまで一般化すると考えるなら、starfloraさんも留保をつけているように、やはり「放置される」という前提に確度が必要です。問題は古代インドの葬法になりますが、中国の「釈子要覧」(確か9世紀頃の著作)には、「古来印度には火葬、水葬、土葬、林葬(今でいう風葬)の四葬あり」と記されています。これらから察するに、ヒンドゥーなど自然崇拝思想をもとにその土地に応じた葬法が選択されていたことを伺わせます。
林葬以外は白骨までの状態を目にすることはそう一般的ではないでしょうし、火葬ですら黒く焼いた程度で遺棄する例が現に多いのですから、白骨になるまでの期間について数字の共通認識ができるほど一般的だったか、ちょっとにわかには首肯しがたいのです。

加えて、白骨化するまで待っていたとして、その白骨に何らかの宗教的意味付けがあるかと言えば、現在知られている限りでは何もありません。日本なら、骨洗いなどの習俗もあり、また荒魂思想を背景にして、肉の穢れが落ちた姿を一種の解脱になぞらえて理解する習慣が現にありますから通じやすいのですが、果たしてインドで白骨が49日という習俗のベースになり得たのかどうか、ちょっと理屈が飛躍するように思えます。

第2に、7日間の「死亡確認期間」説について。
確かに医学の未発達な時代、死んでいないものを死者扱いし、「蘇生」した例は多いでしょうが、49日はあくまで
「死んで」から始まるものです。つまり、心臓と呼吸がとまり、体が固くなり、さらには腐臭がして初めて共同体の中で「死」が納得され、そこから始まるのが葬送儀礼です。
starfloraさんも書いている通り、日本では「魂呼ばい」とかさらには「モガリ」の伝統が「死にゆく魂を蘇生させる」術として理解されています。これは折口信夫から宮田登、井ノ口章次らに脈々つながる定説でしたが、ここ30年ほどは深刻な疑義にさらされてもいます。
それは、例えば「何年にも及ぶ天皇のモガリをどう説明するのか?」であり、また「恐らく何千、何万件に一例ほどの蘇生例に、何百年も日本中で蘇生術を習俗にさせるほどの説得力があるのか?」というものです。
五来重など反対論者にいわせれば、「モガリは死と生のグレーゾーンで行う蘇生のための習俗でなく、死が確定してから始まる鎮魂儀礼だ」ということです。
恐らくインドについても同様のはずで、いくら古代人と言えども、常識的には腐臭がした死体に蘇生を期待したはずはないでしょう。私もインド南部でフィールドスタディをしたことがありますが、一般民衆の「死」の判断は、まず心停止、呼吸停止、さらに死後硬直まで待って下されていました。例外はあるでしょうが、不可逆の死の進行が誰にも納得されて始めて、遺族は亡骸を焼くことができるのです。

以上のような理由から、「7」の根拠を具体的なものに求めるのは無理だと思えます。
私なりの結論としては、starfloraさんが後半で述べておられるように、「7」という数の象徴性、神秘性、抽象性に意味があったものと私には思えます。インドという国は自然が自然らしくふるまう分、かえって人は自然の影響を受けずに超然とした「抽象的な数」に託するものがあったのではないでしょうか。
(大変長くなって申し訳ありません)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

3度もの対応、ありがたいです。

 一見、ありそうな事も、詳細に考える事によって、
「本当にそうか?!」と、多角的に見られるものなんですね。
 シロウトの私には、真相はわかりませんが、
「月の満ち欠け」はやっぱり、納得はしやすい感じするんですが・・・。
「月・火・水・木・金・土・日」の発想はインドではないんでしたっけ?
「曼荼羅」でなく中国とかの陰陽道かな?これも「7」ですね・・・。
とにかく、昔の人には、重要な数字だった、と言う事はわかりますよね。

お礼日時:2002/02/23 19:44

 


  まず、七日という数字はどこから来たのか、わたしは知りません、と答えます。あるいは調べると、その起源や理由の記載が出てくるかも知れません。しかし、こういう場合、先に事実があって、後から説明が付いていることがよくあるのです。つまり、先に、七日ごとの供養儀式があって、その理由付けで、後から説明を付けたのが、何が先か分からなくなるということが多くあるのです。
 
  最初に、どこで聞いたか読んだか忘れたのですが、49日というのは、大体50日か40日ぐらいで、自然状態で放置された死者の遺骸は、インドなどだど、肉の部分が溶け落ちて白骨に近い状態になり、ここから、完全に死者の領域に去った、この世とは違う位相の世界に移行したのだというので、この49日前後の数字が意味を持っていたという話があります。また、七日も、一日や二日では、インドなどだと、腐臭もしてくるし、身体も少し崩れかけはじまるが、まだ息を吹き返すことがあり、また、四日五日六日ぐらいでも、息を吹き返すことが時たまあったという事実があります。昔は、人の「死の確定判断」が難しく、「仮死状態」になったのを死んだと思うことがあったのです。死者の世界から帰って来たという話は、この仮死状態からの甦りの経験である可能性が高いです。
 
  火葬をしなかった状態では、五日六日ぐらいしても、身体が腐臭を発せず、崩れもせず、ふと仮死から甦るということもあったのです。しかし、それも限界があり、身体が明瞭に崩れかけ出す七日目頃を境に、区切りが自然に感じられたということがあったのだと思います。日本古代の習慣で、「もがり」というのがあります。この場合も、遺体を横たえ、もがりの儀式をして、魂よばわりしていると、時に、仮死状態から甦ることがあったのです。庶民の場合、すぐ埋葬するので、仮死状態のまま埋葬で、土中で息を吹き返して窒息死とかいう例も、つい最近まで、かなりあったようです。
 
  七日は、実用的には、遺骸が崩れ出すことが明確になる日数で、49日は、遺骸から肉が溶け離れ、骨が露呈する程度の日数ということです。
 
  これが四十九日の七日の七回の考えられる合理的理由です。
 
  これ以外に、古代の文化においては、どこでも「神秘数」とか「永遠数」というものがあったのです。何か重要なことには、この神秘数か永遠数を使ったということです。神秘数は、1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12……とあり、これ以降は、42が神秘数だとか、64が神秘数だとか、色々と派生的な神秘数があります。
 
  1と2は、何の神秘数かは、意味が多すぎます。3は、男性神秘数という捉え方が出来ます。4は、女性神秘数としてこの場合、捉えられます。3は、過去・現在・未来の時間を示し、4は東西南北の空間を示し、この合計の7が宇宙神秘数だという説明もあれば、空間は左右前後上下と、中心の点の七つから構成されていて、7こそ宇宙数だという説もあります。
 
  暦だと、太陰暦では、大体一ヶ月が28日ぐらいになります。これを四等分すると七日になる訳で、太陰暦の暦では、七日をユニットとする合理性があったのだと云えます。七日ごとに勘定して行くと、四回で、月の満ち欠けが一周するのです。新月から半月へ、また半月から満月へ、それぞれが一週間、七日だということになります。
 
  バビロニアの60進数は、2,3,4,5、10の倍数になっており、割ることが容易であったので採用されたもので、これは割ることについて便利なので、いまでも天文学や、時間の単位で60進数が使われています。また、60の6倍が360になり、一年の365日と非常に近いので、太陽暦では、60進数は都合がよかったということもあります。
 
  7は、ピタゴラス教団でも神秘数として尊ばれていたとか、完全数の6に1を加えた完全永遠数が7だとか、世界の文化で、神秘数はたくさんあり、その適用例も無数にあります。(世界の七不思議とか、七人の英雄とか……)。
 
  四十九日の七日は、仮死状態であったとしても、限界の日数。49日は、遺体の状態が、「移行」の完了を示す期間の大体の目安を、神秘数7の7倍で表現したのだということが、とりあえずの説明です。しかし、別のそれらしい説明があるかも知れません。
 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

<七日ごとに勘定して行くと、四回で、月の満ち欠けが一周するのです。
・・・コレ、なんか、シロウトには納得しやすい現象ですよね。
(本当にコレが七日ごとの理由かどうかは別として)
 「死」の反対の「出産」のときも、そう言えば「28日」を
1ヶ月として数えますモンね。昔から、いや、昔だからこそ(?)
月の満ち欠けと妊婦の様子がシンクロしてると、ありありと
わかっていたのでしょうか?
 物理的に腐敗する日数説も、おもしろいと思いました。

お礼日時:2002/02/23 19:32

補足について。


なぜ「七」なのか、これはほんとに難問ですね。
責任上書かせてもらいますが、推測になることはご承知下さい。

まず、その「倶舎論」の中には「中有…極は七七日なり」と記されているだけで、根拠は示されていません。この本には、例えば「七識住」など、心の働きや世界の構成の分析に何度も七という数字が出てきますが、残念ながら中有とは無関係のものばかりです…。

私見では、「七」は、「大きすぎず小さすぎない素数である」ということがポイントだったのではないかな、と思っています(思う、だけで根拠はありませんが)。
「倶舎論」もそうですが、ある原理を説明しようとした時には「3、5、7…」などの素数が出てくるのは割りと自然ではないかな、と思えます。還元的にどんどんミクロに世界なりシステムの成り立ちを分析した時に、観念ではどこまでも際限がありませんが、もうそれ以上分割できない素数が出てくれば、ある意味、議論をそこで止める力を持っているように思えるからです。
想像ですが、3では小さく11では大きい…といった時の落ち着きどころが7であった、のではないでしょうか。

一方で七七のように数字を二乗するのは「沢山」という意味が表現されているのでしょう。三拝九拝という言葉もありますが、中国では礼拝を(素数倍である)三倍することを丁寧な礼拝とし、それをさらに三倍行う九拝を最上の礼拝としていますよね。

以上、全くの私見です。インド思想の専門家の方のお力をお借りしたいところです。
    • good
    • 0

先に書いていた人のことも含め、


宗教上の観念に基づくものだと思うし
科学的根拠はないようですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

 科学的根拠があれば、納得しやすいんですけどね、
めんどくさいと感じる事も。
 私は「霊」の存在は否定しない派なので、
正確な「霊」の状態が知りたいんですよね・・・。

お礼日時:2002/02/22 18:18

はじめまして。



迷信かもしれないし仏教を勉強したものではありません。すいません。

昔おばあちゃんが、
人は死んだら
生きていた頃のその人の行いによって
天国に行くか地獄に行くか閻魔様が決めるんだけど
その発表が死んでから四十九日目だと言っていました。

その日にお経を上げたりお祈りするのは
その人身の振り方が決まる時に
天国に行かせてあげてください。この人をどうぞよろしくお願いします。
ということをみんなでお願いすることだといってました。

その頃は成仏なんてどう言うことかわかりませんでしたけど。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

 みんなでお願いする・・・というのは
お経を唱えるのを一生懸命しなくちゃ、と思えてイイですよね。
身近な人のなら、なおさら。

お礼日時:2002/02/22 18:14

 


  これは元々、仏教とは別のインドの葬送の儀礼で、七日ごとに、追善供養を行って、来世の生まれ代わりの幸を祈ったもので、七回この供養を行い、その七回目、つまり死後四十九日を過ぎると、転生が確定すると考えられたものです。
 
  インドに興った仏教のなかに、この輪廻転生の中間期間の考えが取り入れられたものです。この四十九日間を、「中陰・中有(ちゅうう)」とも呼びます。つまり、次の生にも移行しておらず、まだこの生の延長にあるということです。日本では、この七・七日の追善供養は、平安時代に盛んになり、一般に行われるようになりました。
 
  中有の最終日、四十九日目を、満中陰とも言います。中有は、ティベットでバルドとも呼ばれたはずで、『ティベットの死者の書』は、このバルドの期間に、死亡した者が、よき転生を得られるよう、何に出会い、どう対応すればよいかを詳細に説明した文書です。
 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

 元はインドの習慣だったんですか・・・。
なんで「7日」ごとなんですかね?
1週間も「7日」。これの起源もインドなんでしょうかね?
不思議です。
「満中陰志」の語源もここにあったんですね。
勉強になりました。

お礼日時:2002/02/22 18:08

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q四十九日法要の案内状について

父の四十九日法要の案内状を送るのですが、用紙はどのようなものを使えばよいのでしょうか?
ワードで作成しようと思ってますが、普通紙で大丈夫でしょうか?
和紙やきちんとした式辞用の厚紙?(印刷屋さんで使うようなものでないと失礼なのか悩んでいます。

Aベストアンサー

私の実家は往復はがきを使います。法要の半月くらい前までに出欠・出席する場合の人数確認のために返送してもらいます。過去に電話で聞き間違いなどあったため、より確実な方法として往復はがきになりました。

Q仏教とは?仏教の聖典とは?

仏教とは?仏教の聖典とは?
良いか悪いかは別として、キリスト教には、新旧約聖書、イスラム教にはコーラン、という、それぞれ、宗教をある程度つかむための代表的な聖典(半分、聖人と呼ばれる人の生きてきた昔話みたいな)、共通の理解すべき分かり易い対象があり、人々の間にも文化として根付いていると思います。それに対して、仏教には、なぜ、代表的聖典というものが無いのでしょうか。庶民には、およそ意味の分からぬ、頭ごなしに有難がるしかない、お経を聞くことぐらいしか、身近に接することはありません。
(1)仏教とは、サルにもわかるように言うと何でしょうか?
(2)仏教に、これ一冊が大方の人に読まれてますよ、という聖典はあるのでしょうか?、新旧約聖書に相当するような昔話のようなタイプの聖典もありますか?サルにも分かるような聖典もありますか?
(3)日本の庶民の文化として、仏教は息づいてい無いと思いますが、なぜですか?外国で庶民文化として仏教が息づいている国はあるのでしょうか?

Aベストアンサー

1)仏教とは、サルにもわかるように言うと何でしょうか

七佛通解ゲというお経に書いてあります。
「諸悪幕作 衆善奉行 自淨其意 是諸仏教」「諸悪を作すことなかれ、衆(もろもろ)の善は奉行し、自らその心を浄くせよ、是れ諸仏の教えなり」これは過去七仏通解と云われ、根本仏教より仏教が道徳の根源となっていることを説いていることを表すものです

良いことをしなさい。悪いことをするな。これが仏教です。(筆者訳)

2)仏教に、これ一冊が大方の人に読まれてますよ、という聖典はあるのでしょうか
仏教聖典と言って、世界各国語に翻訳されてます。日本語版は、200円くらいで、手にはいります。聖書と同じですね。
http://www.bdk-jp.org/buddhism/book01.html

ここでは、525円となっているようですが。。


3)日本の庶民の文化として、仏教は息づいてい無いと思いますが、なぜですか

一応、信教の自由ってことですので、本来、日本人に合ってはいるのですが、気がついていない人が多いのでしょう。

外国で庶民文化として仏教が息づいている国はあるのでしょうか
たくさんありますよね。タイとか、仏教が国の宗教ですから。
中国も、チベット仏教とかは、そうなんですが、漢民族が、認めてませんね。

1)仏教とは、サルにもわかるように言うと何でしょうか

七佛通解ゲというお経に書いてあります。
「諸悪幕作 衆善奉行 自淨其意 是諸仏教」「諸悪を作すことなかれ、衆(もろもろ)の善は奉行し、自らその心を浄くせよ、是れ諸仏の教えなり」これは過去七仏通解と云われ、根本仏教より仏教が道徳の根源となっていることを説いていることを表すものです

良いことをしなさい。悪いことをするな。これが仏教です。(筆者訳)

2)仏教に、これ一冊が大方の人に読まれてますよ、という聖典はあるのでし...続きを読む

Q四十九日の案内状の書き方

先日、父が亡くなり、四十九日の法要を営みますが、親戚や知人に案内状を出す際に筆で書こうとしたときは、やはり薄墨で書くべきなんでしょうか?
また切手は郵便局で売っている蓮の花の絵柄が入っている「お悔やみ」用の切手でおかしくないでしょうか?
それとも、普通の切手に、普通の濃墨で書くべきなんでしょうか?
ちなみにうちは、日蓮宗です。
ほかにも、何か案内状を送る際の注意点とかあったら教えてください。
お願いします。

Aベストアンサー

49日法要は招待者が親戚、親しい知人の場合は電話連絡が一般的です。

案内状を出す場合の注意事項は(優先順)
1)日時(終了時刻)場所、法要後の食事の有無(提供するときだけ文末に書く)
2)返信用官製ハガキを同封する。
3)切手の種類、墨の種類は気の済む方でいいと思います。これから法要は何回もあります。都度同じ事を考えますか。日蓮宗の習慣は分かりません。

Q世界浄霊会?浄霊医術普及会?

妻の車から、上記の団体の会報を発見しました。
内容を読んだところ、どうやら宗教っぽい内容です。
この会報に「新入会員紹介」という欄があったのですが、こちらに私と昨年生まれた子供の名前が掲載されていました。紹介者は妻でした。
もちろん、そんな話は一切聞いておりません。

私は無宗教で、宗教というと「しつこい勧誘」や「盲目的になる」など、どこか怪しげな雰囲気を連想してしまいます。
実際に妻の前でこのような発言もしていましたので、妻も隠していたのだと思います。
妻とは結婚して3年になりますが、結婚前から入っているのか、その後なのかは全くわかりません。

妻にはどのような宗教なのか、聞く必要がありますが、どう切り出してよいかもわかりませんし、ネットで調べてもこの宗教?のことがよくわかりません。

どなたか、この宗教はどのような活動をし、どのような目的があり、なた、世間に迷惑をかけていないのかご存知の方がおりましたらお教え下さい。

Aベストアンサー

私は信者ではないので、詳しいことはよく解らないのですが…

私が知ってるところでしたら、そこまでしつこく勧誘して信者を増やそうとしたり、他人に迷惑をかけたりとか盲目的になっているところでは無いんじゃないかな~と…

自然農法(無農薬野菜)を販売していたり、美術館もあったりします。その辺のあたりは「MOA」で検索していただければ引っかかってくるかと思います。

あとは名前にもある「浄霊」。
これは気孔みたいなもんなのではないかな~と…
この「浄霊」で健康を…みたいなのがメインなイメージがあります。

でも私もちょっと調べたらいくつか分派があったりするみたいですね、だからちょっと違っていたらすみません…

でも#1さんのリンクはびっくりでした~(^^;

とりあえずは奥様にいきなり否定的に聞かずにどんなことをやっているの?と聞いてみては?多分無理に信者になれと言ってはこないと思うんですが…
お子様の件も合わせて話されてみては?

Q葬儀後49日前までの弔問ですが、

葬儀後49日前までの弔問ですが、

香典袋には『御霊前』『御仏前』のどちらに
なるのでしょうか?
三十三日以降四十九日により前の弔問になりますが
『御仏前』でよいのですか?
御指導ください。

Aベストアンサー

お亡くなりになられた故人が「お骨」になった時点で「御仏前」になります。ですからこのケースでは「御仏前」と表書きしてください。

Q生き霊や念、守護霊について

3年位前から霊障に悩まされています。、元同僚女性と仲が悪くなって以来、急に家族が急死したり、病気の発症、私自身も全ての人間関係が崩れました。 原因全てを霊的なもののせいにするわけではないですが、思い返せば、その同僚女性が「あの人嫌!」と言っていた、職場の人や買い物先の店員等は、必ずすぐ彼女のまわりからいなくなったり、彼女自身も「人間関係で嫌な思いをした事が今まで一度もない」と話していたので、とても念力が強い人なのか、あるいは、守護霊に行者が憑いているのではないかと考えています。(江○さんの番組で、行者が憑いている芸能人が、自分が嫌と思った相手は必ずいなくなるか不幸になると言っていた)
自分自身の反省や内観、波長は上げるように、なるべく前向きに生活するように心がけていますが、いまだに霊障と思われる状態が続くので、何か対処方法があれば教えて下さい。

Aベストアンサー

生霊は、人の念ですので、
直接本人を説得するしかありません。

「憑依」そのものは決して特別なことではありません。
誰にでも起っているのです。
ですが、大抵の場合は、抱いたかげりの気持ちを切り替えて、
納得したり、解消したり、思いなおしたりするなかで、
憑依霊は離れます。

けれども、憑依と同時に、抱いたかげりを解消できず、
持ち続けていますと、憑依霊とのつながりが強くなり、
もともとの負の波動が増幅されてしまいます。

こうなってしまいますと、気持ちの切り替えは難しくなりますし、
このままではいけないと思っても、抜け出せなくなります。
憑依霊の性格・癖・好み・地上時代の肉体の状況・病気などが憑かれた方に現れるようになります。

つまり「霊障」となります。

質問者様は、すでに霊障が起っていると判断されているようですので、
パワーストーンや、塩など、
他力本願的では、離れません。

まず、憑依している霊に「愛念」を送ってください。
どの憑依霊も愛念を必要としています。
次の言葉を言ってあげてください。
「あなたの苦しみはもう終わるのですよ。
これからはもっと明るく幸せなところへ戻るのですよ。
もうだお丈夫ですよ」と。

次に行なうことは、
質問者様自身の波動を変えることです。
心のかげりを取り除くことです。
常に、「愛・感謝」です。

形だけではだめです。
心から、言葉を発して、感謝の念を抱けば、
霊障は治まるでしょう。

生霊は、人の念ですので、
直接本人を説得するしかありません。

「憑依」そのものは決して特別なことではありません。
誰にでも起っているのです。
ですが、大抵の場合は、抱いたかげりの気持ちを切り替えて、
納得したり、解消したり、思いなおしたりするなかで、
憑依霊は離れます。

けれども、憑依と同時に、抱いたかげりを解消できず、
持ち続けていますと、憑依霊とのつながりが強くなり、
もともとの負の波動が増幅されてしまいます。

こうなってしまいますと、気持ちの切り替えは難しくなりますし、
こ...続きを読む

Q49日法要後の会食について

今度、義父の四十九日法要と納骨を行うのですが、普通は法要後に会食を行うと思うのですが、四十九日法要と納骨の時間が14時からとなり、法要前に会食を行うかどうか悩んでいます。
霊園の方が前でもいいようなことを言っていたので、とりあえずお昼に会食の予約をしておきました。
これって変なことなんでしょうか?
法要の時間は霊園経由でお願いしたご住職の都合でこの時間になりました。会食には出れないと思いますが、御膳料ってやっぱりお渡ししたほうがよいのですか?
こういうときのマナーをまったくわかっていません。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

>法要前に会食を行うかどうか悩んでいます…

行儀よく本当に食事だけなら、別にかまわないでしょうね。
しかし、会食といえばお酒がつきものです。

もちろん最近はマイカーで来る人も多く、お酒厳禁ということもあるでしょう。
とはいえ、参加者全員がマイカーなどということはないでしょうし、主催者としてお酒を用意しないわけにはいきません。
日本人は古くからうれしいにつけ悲しいにつけ、お酒が人と人とを結びつける潤滑剤となってきたのです。

会食を先にして、ほろ酔い気分になったところでのお参りなど、御法度です。
草葉の陰で故人もさぞかしあきれていることでしょう。

>御膳料ってやっぱりお渡ししたほうがよいのですか…

それは名目だけですから、どうでもよいです。
お布施を多めに包むだけでもかまいません。

Q水子の霊、ご先祖の霊、精霊について。

霊に詳しい方にお聞きします。
霊は存在すると前提でお話しします。霊否定派の方は無視なさってください。

今年で三歳になる息子がいて、二人目を望んで一年以上できずに四人の魂を見送りました。エコーを見る前の、ごく初期の流産です。息子にはお腹の中に赤ちゃんが来たら見えるようで、今まで三人の子のことを言い当てました。息子が突然赤ちゃんいるよと言うと妊娠検査薬で反応があり、残念ながら流れてしまう命が多かったので、ある日息子がもう赤ちゃんいないよと言うとその日に検査薬で陰性を確認し流れたことがわかるということが三回ありました。もう一人は息子が喋れない時だったので見えていたかはわかりません。

そして今、待望の二人目がお腹の中に生きてくれています。まだまだ7週で初期のため、無事産めるだろうか不安でいっぱいですが、心臓が動いているのも確認できて、医師からはひとまずここまで来たら大丈夫!と言われています。息子も赤ちゃん元気、とか赤ちゃん今寝てるよ、と言います。今までのように突然、赤ちゃんもういないよ、と言いません。息子はまだ2歳半なので、嘘をついているとは思えず、今まで全て当たっていたので信じることにしています。

他にも、実家に仏壇がありご先祖様が入っているのですが、どうやらそのご先祖様が見えているのでは?と思うことがあります。今、実家に帰ってきているのでよく言い出すのですが、一人で静かに遊んでいるなと思ったら、今おばちゃんとおっちゃんにオムライスあげてきたー(おままごとです)と言ったり、私の父と仏壇がある部屋で遊んでいる最中にもおっちゃんにしてもらうーと突然言い出したりします。仏壇にお供えをするのが好きで、息子は毎日私の父と一緒にお供え物をしてくれて、時々お供え物を、美味しかったって~、とか、今日は美味しくなかったって~、と持って帰ってきたりします。まんまんちゃんと呼んでいますが、おっちゃんおばちゃんはまんまんちゃんと同じ人だと息子は言います。

息子は当然ご先祖様の存在やどんな人だったかなど事前に教えたわけでもなく知っているはずがありませんが、父に確認すると父の母親の両親が戦争で若くしてなくなっているからおばさんおじさんの姿で見えるのかもしれないと言っていました。違う霊かもしれませんが、いつも楽しく遊んでもらっているようなので、ご先祖様が家を守ってくださっていて遊びに来てくれていると私は解釈していますが、どうでしょうか。このようなことは霊の見える方にとって普通のことですか?ご先祖様が息子のもとに遊びに来てくれるのは、息子が御仏壇にお供え物をしたりしているからでしょうか?

息子がそのようなことを言い出したとき、私はそういうものが目に見えないので内心少し恐ろしさも感じましたが、そのような気持ちはご先祖様に伝わってしまいますか?恐ろしさを少し感じながらも、感謝の気持ちを持っています。どなたか存じませんがご先祖様かと思います、息子と遊んでくださりありがとうございます、家を守ってくださりありがとうございます、と仏壇に祈りました。でも微塵でも恐ろしさを感じたことがご先祖様に失礼だったのではないかと心配です。

そして、気になっているのが水子の霊です。息子が最近、赤ちゃんはママとお布団で寝てる、男の子と男の子と女の子もママと一緒のお布団で寝てる、と言いました。赤ちゃんはお腹の子のことだと思います。男の子と男の子と女の子とは、息子が言い当てた三人の水子の霊だと思うのです。赤ちゃんいるよと言った時、念のためその都度性別も聞いていたら、男の子と男の子と女の子だったのです。偶然の一致かもしれませんが、私が息子に無理矢理水子の霊のことを聞き出したわけでもなく突然言い出したのと、性別も数も合っているのでピンと来ました。いつも毎日そんなことを言うわけではありません。今のところその一度きりです。

それでとても気になったのですが、私の産んであげられなかった水子の霊は成仏できずに私のそばにいるのでしょうか?私は息子にお腹の赤ちゃんとその子達が私のそばでお布団で寝てると言われてすぐ、自然と涙が溢れました。とても嬉しかったのです。見ぬ我が子を感じることができた気がしたからです。赤ちゃんたちありがとうと呟きました。でも、私の思いや供養が足らなかったせいで赤ちゃんの魂が成仏できなかったのではないかと心配になりました。いつまでもそばにいるのは嬉しいですが、天国へ昇って新しい魂として生まれ変わり幸せにこの世のどこかに生を受けてもらいたいのです。それを阻んでいるのは私なのでしょうか?それとも水子の霊は時々母のもとに覗きに来たりしてまた帰って行くということがあるのでしょうか?

今までの四人の魂は、水子供養として特別に神社などに行くことはせず、自分なりの供養をすることを選びました。小さな人形を作って自宅で息子と一緒に食べ物やお水をお供え物したり、息子と一緒に遊んだり、時々ありがとうと話し掛けたりしていました。それを毎日、気の済むまで行いました。1日目はお供え物をして話し掛けると、なんとも表せない気持ちで胸がいっぱいになり、涙が止まらなくなり自分の気持ちとは関係なく泣きながら笑顔がこぼれ、不思議な気持ちになりました。なにかの声を聞いたりしたわけではないですが、心になにかが伝わったような気がして、供養1日目でしたがもうそれでいいんだよ、と言われたような気がしました。でも、しばらく気が済むまで続けました。だんだん、形式的なことは忘れるようになり、心の中で思いを馳せるだけになりました。私は間違っているのでしょうか?それと、妊娠して息子の断乳決行や医師から一時安静の指示が出たため慌てて実家に帰ってきたので、赤ちゃんのお人形は自宅に置きっぱなしです。寂しがっているのでしょうか?こんな供養の仕方をしたのがいけなかったのでしょうか?いつでも自由に行き来できるように人形を燃やすなど考えず家に置いておきたいと思っていたのですが、間違いですか?その思いが赤ちゃんの魂を現世に引き留めてしまいますか?

それともうひとつ不思議なことがありました。ある日、小さな白いおじさんが布団の上にいるのが見えました。笑って寝転んでこちらを見ていました。何センチだかわかりませんが、小さかったです。夜寝る前ふと横を向くと目が合ってギョッとして、怖くなって布団に隠れてしまいました。翌日はいなくなっていて、見たのはその一度きりでした。にこにこ笑顔が頭に残っています。人が良さそうだったので、悪いものではない感じがしたけれど、あれはなんだったんだろうと思っていると、翌月今お腹にいる赤ちゃんを授かりました。幸福やなにかを届けてくれる精霊のようなものだったのか?と解釈していますが、そのような精霊は存在しますか?霊感がなくても見れるものでしょうか?

最後に気になったことがあります。私の祖母、つまり実家の仏壇に入っている、私の父の母親なのですが、幼少から霊感が強く、亡くなった両親がずっとそばについてきていたそうです。また、祖母が仏壇に手を合わせると、仏壇の両端からろうそくの火がぼうぼうと灯り、真ん中に光輝く人が見えたようです。その人の名前を忘れましたが、霊界で名高い名前でそれが見える人は修行をすればとても強い霊能力者になれるとお寺の住職に言われ修行をすすめられたそうですが、祖母は断ったようです。病院等は色々なものが寄ってくるから行けないと若いときは言っていたようです。歳をとり、最期は介護が必要となり入院して病院で亡くなりましたが、今思うととても辛かったと思います。私は高校生だったので、家にいるときは時々お世話をしましたが入院してからはお見舞いも親に付き添っていく程度のことしかせず、一度だけ敬老の日に病院に許可をとりキーボードを持って病室で演奏をプレゼントしましたが、それだけです。亡くなってから、もっとこうすればよかったああすればよかったと悔やむばかりでした。今からでも仏壇に悔やむ気持ちを伝えるべきですか?

そんな祖母のことですが、霊感がとても強い祖母の力は、父や私、その息子にまで何らかの影響や遺伝したりすることはあるでしょうか?父は、自分の母親にずっと守られていると信じています。私は、霊が見えませんし根拠はないですが、私もまた「なにかに守られている」という確信を感じています。思い込みと言われればそれまでですが。このように感じるのは、それは守護霊が存在するとして、そのおかげでしょうか?それともご先祖様のおかげなのでしょうか?

たくさんの質問をしましたが、霊の見える方や霊に詳しい方、能力のある方、よろしくお願いします。

霊に詳しい方にお聞きします。
霊は存在すると前提でお話しします。霊否定派の方は無視なさってください。

今年で三歳になる息子がいて、二人目を望んで一年以上できずに四人の魂を見送りました。エコーを見る前の、ごく初期の流産です。息子にはお腹の中に赤ちゃんが来たら見えるようで、今まで三人の子のことを言い当てました。息子が突然赤ちゃんいるよと言うと妊娠検査薬で反応があり、残念ながら流れてしまう命が多かったので、ある日息子がもう赤ちゃんいないよと言うとその日に検査薬で陰性を確認し流...続きを読む

Aベストアンサー

まず水子の霊について書かせていただきます。

昔知り合いの坊主から聞いたは説法です。

仏教ではこの世は修行の場ということになっています。
水子の霊とはこの世に生まれ修行をして魂を清めようとしたのに、
その修行をする機会を失った霊ということになります。
しかし仏様は修行の機会を失ったなら、次生まれるまで待っとけなどと言いはしません。
この世で生きる代わりの修行のチャンスを与えてくれます。
それが水子の霊となり、自分の生むことが出来ずに嘆いている両親の守護霊となり、
その両親を幸せになるように導くこと。
もちろん水子の霊です。そんな力はありません。
ただただ見守ることしかできないかもしれません。
それでも両親の近くにいて、両親が幸せになってくれることをひたすら祈る。
そして、両親が幸せになってくれたら、それで魂の修行の一つを終えたことになり次の修行に旅立つ。

なので、確かに成仏できていないと言えます。
しかしそれは恨んでいるとかではないのです。
質問者さんの家族が幸せになってもらいたいと祈っているのです。
身近に水子の霊がいるとわかってうれしくて涙を流してくれたことは水子の霊もうれしく思っているはずです。
供養の仕方も間違っていません。
供養などどのようにしても構わないのです。
大事なのは気持ちですから。

続いてお子様のことですが、3歳くらいまでのまだ記憶がしっかり残らないような年齢では霊感が強い子供は多いそうです。
よく赤ちゃんが何もない空間を見てわっらうことがありますよね。
それの原因の一つは霊があやしているからということがあるそうです。
それも年を取るにつれて徐々になくなっていきます。
なので今は気にしないでいいと思いますよ。

そしてお子様と一緒に遊んでいる霊たちですが、ご先祖の霊と思っていいと思います。
先ほども書いた魂の修行の一つには子孫の守護霊となり、子孫を幸せに導くということがあるそうです。
とても良いご先祖様に恵まれているのだと思います。
これからいろいろとつらいことがあるかもしれません。
でもそれだけのご先祖様に見守られているのです。
その苦難と向かい合うことが十分にできると思いますよ。
(正面から向かい合わなくてもいいです。時にはいなして相手を横にして向かい合ってもいいのですから。)

よく怪談などでは世の中に恨みを持った怖い幽霊がたくさん出てきます。
しかし人間そんなに恨みのエネルギーを強く持てるものではありません。
実際の成仏できない霊(先ほどの修行のために来ている守護霊とは違い、この世に未練があり次の修行先に行けない霊)の多くは大事な人を守りたい、、その人が一人でこの先生きていけるか不安、そういったポジティブな未練で成仏できないのです。
だから、そういう霊も結果的に守護霊と同じ役割になります。

そして、霊となった魂は現在生きている人間には不安に思われていることがわかっています。
>そのような気持ちはご先祖様に伝わってしまいますか?
伝わっていると思いますが、伝わったからと言って気分を害するようなものではないですよ。

水子の霊のためにもどうぞもっと幸せになってくださいね。

まず水子の霊について書かせていただきます。

昔知り合いの坊主から聞いたは説法です。

仏教ではこの世は修行の場ということになっています。
水子の霊とはこの世に生まれ修行をして魂を清めようとしたのに、
その修行をする機会を失った霊ということになります。
しかし仏様は修行の機会を失ったなら、次生まれるまで待っとけなどと言いはしません。
この世で生きる代わりの修行のチャンスを与えてくれます。
それが水子の霊となり、自分の生むことが出来ずに嘆いている両親の守護霊となり、
その両親を幸せに...続きを読む

Q実家を出た娘が、実父を供養するにはどうしたらよいですか(49日以降)

私は20代後半の既婚女性です。実家から1時間程のところに夫と二人で暮らしています。夫の両親は遠方におり、二人とも健在です。

先月、実父を亡くしました。お骨を分骨してもらい、今は小さいお骨が我が家にあり、毎日供養しています。最初は何の知識もなく仏壇を買おうかと思ったのですが、夫の家のを先に置かなければならないとか、置いたとしても、仏壇が家に二つあると良くないとか、簡単にはいかないと聞いたのでやめ、今は、シンプルなご供養セット(?)で供養しています。

ですが、もうすぐ四十九日で、小さなお骨をお墓に収める日が近づいています。
実家に行けば、もちろん位牌があり、手を合わせることができますが、私(と亡くなった父)が母と不仲のため、なかなか行きづらいし、毎日父に手を合わせたいのです。

こうした場合、どのように供養したらよいのでしょうか。
仏壇を二つ置くのが筋なのでしょうが、良くないとも聞くので、それ以外の方法があったら…と思っています。
なお、私の実家は臨済宗です。

どうか皆様のお知恵をお貸し下さい。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

お父様を亡くされたとのこと、ご愁傷様でした。寂しいですね。

私は実家の両親を自宅で供養しています、主人は長男で仏壇は別にあります。墓は近くに墓地を購入して夫婦墓を建立しました。
分骨について、私が相談した旦那寺の和尚さんは別に反対なさいませんでした。
ただ住宅事情もあり、お仏壇を二つという訳にもいかない場合、ご主人様の家と同じ宗派で且つご主人様側の同意があれば同じ仏壇でご供養しても差し支えないとのことでした。
ただしその場合は一応主はご主人側であり、ご実家の親御さんは従の立場として、お位牌等を少し小さめにするなどの心遣いがあると望ましいということでした。
もしも、そういう状況でなければごく小さなお仏壇も最近はありますから、ご主人様とご相談の上でそういう形をとるのも選択肢のひとつです。

お骨はできれば近くの納骨ができる施設(寺院や霊園)に納骨して、時期に合わせてお参りして差し上げてはどうでしょう。
もし同じ宗旨の「本山」等が行ける範囲内にあれば、そういうところで納骨させて頂くのもいいかもしれません。でも、納骨にもお金は必要ですから、そこの辺りのことも検討しなければなりません。

少し辛口ですが、お母様もいつかは鬼籍に入られます。その時にどうするのか等、かなり長期的な展望も今から考えておかれた方がいいです。それから、今は特に感傷的な方へ傾きがちですが、先祖祭りはこれからずっとの事です。是非冷静になって、あなたの次の世代のことまで視野に入れて判断して下さい。

一番大切なのはもちろんあなたの心ですが、ご主人様との相互理解はもっと大切です。あなたの大切なお父様は、ご自身のことが原因であなた方ご夫婦の間に波風が立つことは望まれないと思います。
ですから、あなたのご実家の菩提寺の和尚さん、またご主人様側の菩提寺の和尚さんのご意見をよく聞いた上で、なるべく摩擦の少ない道を選ぶことをお薦めします。
亡き人の供養は、同時に遺された者達の癒しでもあります。お父様のご供養を通じて、あなたの心が癒されますようお祈りいたします。

お父様を亡くされたとのこと、ご愁傷様でした。寂しいですね。

私は実家の両親を自宅で供養しています、主人は長男で仏壇は別にあります。墓は近くに墓地を購入して夫婦墓を建立しました。
分骨について、私が相談した旦那寺の和尚さんは別に反対なさいませんでした。
ただ住宅事情もあり、お仏壇を二つという訳にもいかない場合、ご主人様の家と同じ宗派で且つご主人様側の同意があれば同じ仏壇でご供養しても差し支えないとのことでした。
ただしその場合は一応主はご主人側であり、ご実家の親御さんは従...続きを読む

Q先祖が成仏しないと

子孫(現在生きている人)が幸せにならないと思っているのは
大体が何らかの(キリスト教意外なのかな)信仰をお持ちの人ですよね。

信者さん以外がそこまでは思ってないですよね。

死んだ人がすがるとか(苦しいから子孫に付くとか)、死んだ人にそんな力はありませんよね?

Aベストアンサー

10代前まで辿れば2千人以上の先祖がいます

その中には  悪行で成仏できないような者もいるでしょうし、善行を施して成仏している者もいるでしょう

当人が、それらの先祖のどのパターンを辿っているかに気づくことが重要です

いくら供養しても、行動が改まらなければ、供養が終わった瞬間から悪行を積み続けます

別に先祖にすがられなくても、自分の行いが幸せへの道を逆行してしまいます
(すがられていると思う気持ちが不幸を呼び込みます)


人気Q&Aランキング

おすすめ情報