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江戸時代は「士農工商」と身分分けされていましたが、それぞれの人口比率%はどのくらいだったのでしょう?
また武家に勤めるいわゆる使用人(下僕・下女・中間・足軽・腰元女中などなど)はどのカテゴリーに入るのでしょうか?
そして、江戸は他の城下町に比べて特別武家人口が多かったのではと思われますが、どのくらいの比率だったのでしょう。

A 回答 (2件)

直接の回答ではないのですが、最近歴史のカテゴリーで江戸時代の職業選択についての質問が出ていました。


http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2225593

そこで私も初めて知ったのですが、職業は固定化されておらず意外と流動的だったようです。

また、私が読んだ本の中には「士農工商」とは身分の序列を示しているのではないという説が出ていました。
商人の方が武士よりもずっと金持ちで羽振りが良かったが、武士は貧乏を恥とは思っていなかった・・・という話です。
「武士は喰わねど高楊枝」ってことですね。

農民も色々工夫して収穫高を上げて収穫量に占める年貢の比率を下げたりしていたという話を読んだこともあります。

P.S.
この質問も歴史カテゴリの方が回答がつきやすいかもしれないですよ。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2225593
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士農工商の比率は全国平均では武士が2~3%くらいですが、薩摩のように武士の比率が30%以上というようなところもあります。


ただ江戸だけでいえば武士の比率が50%くらいはありました。
武家の使用人でも下僕・下女・中間などは厳密には武士階級ではありませんがいちおう武家人口に含まれます。ただし、農工商出身でも武士に雇われて若党や奥女中になれば一応武士相当として扱われました。
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