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もし川中島の合戦がなっかたら信濃の国はどうなっていたでしょう??どの豪族が信濃をしきっていたか。上杉と武田が来なかったら他県からどの豪族が攻めてきたのか。その後の織田進出の際に何か影響があったか。などなど思い当たることがあればぜひお願いします。

A 回答 (5件)

武田信玄のスタートは、信濃攻略から始まったのですから、川中島が無かったからといって信濃の豪族がいつまでも割拠してるわけではありません。


キーとなるのは村上義清でしょうか?信玄が葛尾城を落とす際、義清を完全に殺しておけば信玄の方から越後と敵対する必要はありません。
もしくは村上領は最初からほうって置いて、その他の信濃(中信~南信)を征服しつつ村上と敵対しないように再同盟でも結んでおくかどうかですね。
再同盟しつつ中南信濃を平定するのが1550年ぐらいでしょうか?
となれば必然的に次に信玄が攻略するのは美濃になるのか、相模か駿河か?
三国同盟が出来る以前の話なので案外今川と組んで相模に攻め込むか、もしくは逆に北条と組んで駿河に攻め込むかですね。
信玄に最初から天下取りの野心があれば、美濃という手もありますが、こちらは斉藤道三が存在しており、兵も大軍を動因しにくい。
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武田が信濃を攻めなかったら、そのまま信濃の小豪族のまま、どこも統一しなかったのではないでしょうか。

村上氏あたりが多少強いくらい。
そして、織田が攻めて来た頃に、木曽氏みたくさっさと参加に入るか、蹴散らされたと思います。

上杉氏が迎撃してこなかったら、武田が信濃統一していたでしょうけど、結局、どこかしらと小競り合いをして、武田の領土は、そんなに変わらなかったんじゃないでしょうか。
もう少し織田を苦しめていたでしょうけど、結論は変わらないと思います。
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信玄の父、武田信虎のころ、信濃は婚姻や同盟により、武田家の間接支配下にありました。

信虎を追放した信玄が、味方だった信濃の諸家を滅ぼしての直接支配を目指した理由は定かでありません。ただ、武田の家臣たちにとっては、直接支配の方が旨みは大きかったでしょう。
謙信との川中島合戦は、信濃最大の商業利権『善光寺の門前町』をめぐる争いで、最後には山分けとなりました。この戦いがあったから、信玄の西上作戦、あるいは謙信の越中・能登侵攻が、資金的に可能になったのではないかと考えています。
川中島合戦がなかったら、武田が信濃を完全支配して史実より強くなり、逆に上杉は弱くなっていたでしょう。ただ、織田家が信濃へ侵出するころの圧倒的な国力の差を考えると、武田の滅亡が遅くなるとか、史実が変わるほどの影響はなかったのではないでしょうか。
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いろいろ考えはあると思いますが、武田信玄は弱いところに侵出したのではないでしょうか。


本来は南下したいところですが、今川家が頑張っており、東には北条がいて難しい、ふと見ると、信濃の国は小豪族が割拠しており、手強いのは北信濃の村上義清くらいのもの、よし・・・と思ったのでしょう。
村上義清は信玄の父親の武田信虎とは同盟関係にあり、戦国大名として売り出し中ですから、武田氏の侵入が無ければ、信濃は村上氏が支配したのではないでしょうか。
武田氏はそれほどの大勢力にはならず、今川家の後押しで武田義信が跡を継ぐ形になったと思います。
織田氏が全国を平定しようと思えば、やがて信濃にも侵攻してきますから、村上氏を挟撃する形で、案外武田氏も織田氏と同盟関係になり、次の世代まで生き残ったかも知れません。
武田義信は今川氏と仲がよいので、最後まで抵抗して、滅びるかも知れませんが。
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・上杉と武田が裏で密約を結んでいたとしたら



あっさり武田が信濃制圧。
武田の駿河侵攻が早まりますが北条氏康はまだ健在。
北条vs武田の小競り合いが長引き
結局武田の上洛時期は変わらず?

・武田信玄・長尾景虎ともに存在せず、両家とも弱体していたとしたら

甲斐信濃は今川(+北条)の手に落ちる。
義元は桶狭間以上の兵力を持って上洛を開始。
信長はこの苦境を打ち破ることができるのか?

ってなわけで
武田・北条あたりがキーになると想像します。
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