親子におすすめの新型プラネタリウムとは?

 こんにちは。

 早速ですが質問です。
 天皇は本当に万世一系なんでしょうか?
 類似の質問はいくつかあるようですが,ずばり,「本当に万世一系か」という質問は,検索をかけてみてもみつからなかったので,質問させていただきました。

 なお,特定のイデオロギーにかたよった回答は求めていません。あしからず。

A 回答 (21件中1~10件)

血筋が全く絶えていないと証明するには、今上陛下のDNAと大昔の天皇陛下のDNAを比較する他はありませんが、それをするにはタイムマシンが必要ですね。

逆に途絶えていると証明することも同様の手段が必要です。
要するに、証明することも否定することも出来ないのです。


しかしながら、私の考えによれば、天皇家は万世一系です。

万世、というのは非常に長い間、というほどの意味ですが、少なくともこの1000年間は今上天皇陛下まで男系でずっと来ていますし、天皇制という制度自体は、その意味を変えながらも、自律的にその立場をこの1500年ほどは保っています。
また途中、日本としては唯一の「乱世」である戦国時代や、日本としては唯一の外国による占領(太平洋戦争直後)をも経験していますが、とぎれることがありませんでした。


勿論、疑うのであれば、例えば各年代の皇太子さまが本当に天皇陛下とのお子さまかまで疑うことは出来ます。この意味においては、両陛下がご健在の折に誕生されたとしても、疑おうとすれば疑えます。特に宮中が乱れていた戦国時代などは、疑おうとすればいくらでも疑えるでしょう。
しかし、そのような疑いは、単に疑いのための疑いであります。事実、歴代の天皇陛下は陛下としての存在をされておられるので、万世一系という表現に大きな誤りはないと思われます。
    • good
    • 4

まだコーナーが空いていたので、最近ある本で読んだフレーズを・・・。



「女が自分の子供と思うのは確信であり、男のそれは信仰である。」
    • good
    • 4
この回答へのお礼

 皆様,大変申し訳ございませんでした。
 身辺がなにかとごたごたしていたもので,すっかりお礼ができず,失礼いたしました。

 万世一系というものの定義自体も,中々難しいものですね。また,真偽は闇の中である,というのが実際のようで,ここに質問するのは少々不適切であったことも,またお詫びいたします。

 末筆ながら,No.21様は勿論,皆様には誠にありがとうございました。疑念が少し消滅したように感じます。

お礼日時:2006/08/01 23:54

質問者の言う万世一系は、奥さんが不倫をして出来た子が継げば、それで切れますから解りません。

只、一般的に言う万世一系は、家系図がそこそこ矛盾なく繋がって現在に至っていると言うことだけでしょう。そう考えると、千数百年繋がっているのだから、本当に万世一系といえるのではないですか。
    • good
    • 1

お初です。


難しい問題ですが、私見を述べます。
まず、DNA鑑定を必要とするような系統の皇統譜の代数は信じる事が出来ません。古事記序文にある天武天皇の「誤りを正す」と言う真意と、書紀持統5年条にある18氏族の帝紀などの史料提出させた事により記紀編者が各豪族の帝紀や旧辞から取捨選択し、あくまで記紀の作文だと思います。神武以降の代数や名前は天皇家の帝紀には無い物だと思われます。つまり、天皇家が安定した権力を握った段階で中国に倣って史書編纂をした訳です。誰もNoとは言えない状況だったのかもしれません。私は継体が天皇家の初代ではないか?(つまり君や大君(大王)を名乗った)と考えています。(この説は唱えている人は少ないのではないかと思われます)元々葛城氏、大伴氏、秦氏などと同じ様な一豪族に過ぎない近畿天皇家は覇権争いによる群雄割拠の時期を経て欽明期に何かしらのアクションによりking of kingに登りつめたのではないか。欽明紀の文章量が妙に引っかかるのです。
    • good
    • 1

No.14の返答の修正です。


「比定(誤) → 否定(正)」です。
お恥ずかしい…。こんな書き込みはするものではないでしょうが、ごめんなさい。
    • good
    • 3

伊藤博文の名前で配布された「皇室典範義解」に、「万世一系」の注釈が書かれています(伊藤博文著「帝国憲法皇室典範義解」国家学会蔵版 昭和10年)。



◆万世一系
「・・・神祖開国以来時ニ盛衰アリト雖、世ニ治乱アリト雖、皇統一系宝祚ノ隆ハ天地ト与ニ窮ナシ本条首メニ立国ノ大義ヲ掲ケ我カ日本帝国ハ一系ノ皇統ト相依テ終始シ古今永遠ニ亘リ一アリテ二ナク常アリテ変ナキコトヲ示シ以テ君民ノ関係ヲ万世ニ昭カニス・・・

要するに日本は、一つの王朝(血統)の下に建国以来統治されてきたと言うことを言っています。
まず、旧唐書の記述を見ると、7世紀以前に日本が一つの王朝によって統一されていたとは考えられていません。日本国内では滅びた王朝は、叛乱扱いとなっていますが、九州の磐井などは、中国と王朝として外交関係を結んでいたことが分かっています。
次に、王統ですが、天皇位が二系統並列して存在していた時期は、南北朝時代が目立ちますが、天皇位が二系統で交互に譲位された例は、冷泉天皇から後一条天皇の期間以降にも何度も存在します。南北朝時代の解釈については、明治当時でも「万世一系論争」の大きなウエイトを占めていたようです。

結局、「万世一系」とは、「皇位継承は万世一系であって欲しい」と言う願望を以上のものではありませんね。
    • good
    • 2

こういう質問は一部の方が非常にお熱く「万世一系」であることを主張するため非常に回答しにくいのですが・・・



まず、私はつながっていないと見ています。また、神武天皇以下の最初の数代は架空の可能性が大、また、奈良時代以前の天皇では断裂がある(しかも数回ある)可能性が大と見ています。
理由は、明らかな系譜の不自然さや、動向など。また、神武天皇などの記述も、おおよそ本当のこととは認められないほど荒唐無稽であるのは、実際に古事記や日本書紀といった神話を見ればわかるかと思います。

古事記などのいわゆる神話系は、主に3部構成とされています。イザナギやアマテラス、大国主などが登場して国づくりをしている神話の代、神話と人間の話が入り混じる過渡期(神武~応神まで)、そして、天皇家の話である人間の代です。

神武天皇以下初期の数代ですが、分類では第2部にあたり、明らかに神話の世界にめり込んでいます。
ヤタガラスといった架空の生物の登場や、現状、史実性があるとされる最古の天皇である15代応神天皇より前は、いわゆる神話と人が入り混じるものである第2部、つまり過渡期にあたる内容となっています。

これは、「天皇家は神の子孫である」というのをアピールするための措置と考えられますが、歴史を創作しているという点では明らかにマイナスです。
正直、現代の視点で考えれば創作以外の何者でもなく、そのため天皇の実在自体が疑問視される結果を生んでいます。

さて、この問題ですが、実際には「徳川は源氏である」というのと同様なのです。
徳川は源氏の後裔を名乗っていたのですが、実際には系譜が怪しく、現在では「高確率で捏造」というのが有力です。
しかし、「捏造である」ことを証明する証拠が無い。そのため、「捏造である」として否定できないのです。つまり、「徳川は源氏ではない」とは言い切れない。
これは、他のもろもろの武家にもいえますが、系譜の捏造は、証拠が残っていないため、「非常に怪しい」とまでは否定できるのですが「違う」とまでは否定できないのです。

他の方もいっているとおり、現状、古事記や日本書紀以外における、「天皇家が万世一系である」という証拠以外が消滅しています。つまり「万世一系ではない」という証拠が無いのですね。
これは、国家の最高権力が公然と捏造している(と考えられる)代物なので、おそらくこれからも捏造であるという証拠は出てこないでしょう。
ここに、いわゆる「万世一系である」とするお熱い人たちが漬け込む余地ができてしまっているのですが・・・
まあ、こういうものです。

なお、DNA鑑定については一世代上ならば、ミトコンドリアによる判定が不可である父親、つまり男親ですら99.9%の確率で肯定できるらしいので、あくまで統計的などというのはこじつけ以外のなにものでもありません(数学的に考えれば、0.1%は誤差の範囲ですし、3%以下とかは、おきることがまずありえないこと、という捉え方すらされます。)。
そして、裁判証拠など、公的な力を発揮することからも、単なる統計的な代物ではないというのは、容易に理解できるかと思います。
http://www.solution-inc.co.jp/faq.html
また、祖父母であっても、片方のサンプルのみですら90%以上の肯定、違うという結論でも、間違っている可能性は15%以下。そして、両方のサンプルがあれば99%の肯定。違うという結論の場合は間違っている可能性は0%としています。

もっとも、さすがに100代前の天皇と現在の天皇では、比べようがないのですけどね。しかし、99代前の天皇と98代前の天皇では(DNAが双方とも鑑定可能な状態で残っていれば)鑑定は可能です。

なお、No2で紹介されているサイトは、確か私が出したやつなのですが・・・
正直、非常に左翼(あくまで右翼と比較して、の左翼です。)的ではあるため、鵜呑みにするのはあれなのですが、疑問点としてよくまとまっているために出させていただきました。

まとめとしては
万世一系ではないという証拠はない。しかし、それをもって万世一系であるというのは明らかに問題がある。
そのため、今後の考古学的、歴史学的調査が必要な問題でもある。
とでもなりますかね・・・

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/古事記
    • good
    • 4

私もみなさんの多くと同じく「万世一系」ではない、と思います。


このキーワードがクローズアップされたのは太平洋戦争、または日露戦争からその後の長い戦時体制の際、思想統制、国威発揚というか、そういうものに利用するために誇張、強調したと思います。

過去の時代、長子が継ぐ、おいう基本がありながらお家騒動が耐えなかったのは権力者の定め。形式やパワーバランス、様々な思い、謀ごとが渦巻いて継続していったと容易に想像できます。
天皇家も決して直系のみではなし、南北朝時代などはっきりしないもおもあり。(水戸光圀などは三種の神器のある方、という判断で歴史書に正統はどっち、とかかせたようですが)
幕府でも宮将軍(天皇家から養子をむかえる)がいたり形式・格式が複雑にからみあう家督相続。

もし万世一系という意味を考えるなら「天皇家」が存在する、ということだと私は思います。たとえ養子になっても天皇家が存在し続ける、ということに重みがあるかと。
少なくとも、形式的でも「王家」が民間人化せずに残り、しかも長い歴史の間途中で滅亡したこともない、となるとこれは稀少です。
そういう意味ではイギリスやタイの王朝は途中で明らかに王家が入れ替わったりしますが、日本は天皇家のみ。天皇家が行政権を「関白太政大臣」「征夷大将軍」として委任する形式で生きのびてきたからです。
血統にこだわってるようですが、「家」文化では「家」の存続の方が重要だと思います。したがって天皇の血筋が続いてるかどうか、というのは…民間人皇妃を数回迎えた時点で何分の1になってるかわかりません。実質、意味ないと思います。

数千万分の1なら我々にだって皇族の血が流れてるかも、ですよ^^

「皇族」だって形式でしょ。条件そろえば皇族になれる。形式主義なんですよ。

科学者がいうにはDNAで人類をみると、民族という分割ができないぐらい、「ヒト」種のDNAは同じだといいます。ミトコンドリアのタイプでかろうじて4種類ぐらい見分けがつくらしい?!
    • good
    • 1

感想です。


難しいというか、発言されにくいですねぇ。

自分たちの国のことですから、今の私たちのまわりの多くの人は、遺伝子的に男系で万世一系ってことが日本人としての目に見えない精神的な支柱の一部を形成しているという共通認識があるでしょうからねぇ。

近代の国家神道的な価値観が思考の一部を規定いている現代人には少々酷なことなのかも知れないなぁ、と思うことがあります。江戸時代の民衆はどうだったんでしょうね?

間違いだろうとわかっていても、これを比定することが、自分たちの社会的記憶(共通認識)を比定する自己否定的な感覚が社会全体を覆うことになるかもしれません?

自己比定をする勇気をもって。その先にある真実に眼を向け、アイデンティティーの再構築が模索されることになるのでしょうか?

しかし、長い間にわたって、天皇家というシステムを維持しつづけてきた歴史的は事実は消えるものではでしょうし、その価値を比定することではないです。

でも、暴力的な思考で、攻撃的になる方々がね~。
    • good
    • 2

万世一系と言うのは、明らかに間違いです。



南北朝時代は、2系統の王朝が建っています。
このうち、なぜか南朝が正統とされますから、現在の皇室につながる北朝は、皇室ではなかった事になります。
それが、現在の皇室につながるのですから、明らかに別系であるわけです。

つまり、南朝の系統から、北朝の系統に移っているのですから、一系はありえないわけです。
また、光仁天皇の場合は、他国であれば、絶対に同系とは認められず、別系とみなされます。
継体天皇の場合も、一系とは言えません。

応神天皇、巣神天皇も同じです。

一系とは、同一の一族での継承を言い、臣籍に下った者は、同一の一族とはみなしません。
越前の豪族であった継体天皇、大納言であった光仁天皇の場合、臣籍に下っていますから、普通その場合を王朝の交代があったと言います。

臣籍に下っても、血のつながりがあれば、同一王朝とするならば、平清盛や源頼朝が天皇となっても、万世一系と言える事になってしまいます。

日本の天皇家が、万世一系であるというのは、全くのウソであるといえます。
    • good
    • 3

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q過去に女性天皇がいても万世一系なの?

「万世一系」の意味を教えてください。

高校日本史の授業では、推古帝など女性が天皇に就いた例や、本来の皇位継承者をさしおいて別の人間が即位した例もあった、と習いました。ぱっと見た感じ、「万世一系」とは違う気がします。どうなんでしょうか?

Aベストアンサー

現在問題になっているのは「女系天皇」であって、女性天皇ではないことをまずご理解ください。
愛子さまが即位された場合、父親は現皇太子さまですから「男系の女帝」になり、これは過去に数人みえます。
しかしながら父親が皇族ではない天皇は前例が無く、愛子さまが皇族の血を引かない一般庶民と結婚され、その子供が次代の天皇になられた場合、男女に関わらず史上初の「女系天皇」となり、遺伝子学者や伝統を重んじる方々から反対を受けています。
系図上は初代の神武天皇以来男系の子孫が皇位を継承してきましたが、全てが直系という訳ではありません。
例えば26代の継体天皇は近江に生まれ、越前で育った豪族ですが、前代の武烈天皇が子孫が無く亡くなった為に応神天皇の5世の孫という血統をかわれ、武烈天皇の姉の手白香皇女と結婚し皇統を継ぎました。
この場合も継体天皇自身は応神天皇の血を受けてますから男系になります。
ただ一説では天皇家とは無関係の他人で、武力クーデターで皇位を簒奪したのではないかとも言われています。
これは天武天皇もそういった説があることを付け加えておきます。
この説では中大兄皇子(天智天皇)は大海皇子(天武天皇)は実の兄弟とされているが、実は異父兄弟(或いは他人)で、正当な皇太子の大友皇子(弘文天皇)を殺して皇位を簒奪したのではないか・・・、という説も。
いずれにせよ「万世一系」というロマンがある以上、今の時代にそれを壊すことが正しいことかどうか、私は疑問をもっております。

現在問題になっているのは「女系天皇」であって、女性天皇ではないことをまずご理解ください。
愛子さまが即位された場合、父親は現皇太子さまですから「男系の女帝」になり、これは過去に数人みえます。
しかしながら父親が皇族ではない天皇は前例が無く、愛子さまが皇族の血を引かない一般庶民と結婚され、その子供が次代の天皇になられた場合、男女に関わらず史上初の「女系天皇」となり、遺伝子学者や伝統を重んじる方々から反対を受けています。
系図上は初代の神武天皇以来男系の子孫が皇位を継承してき...続きを読む

Q女系天皇と女性天皇の違い

天皇制について議論されていますが、女系天皇と女性天皇の違いについて何方か分かりやすく説明して頂けませんか。

Aベストアンサー

同じようなご質問は度々出ていますので、検索すれば見つかるはずですので、簡単に書きます。

【女性天皇】文字どおり女性の天皇。
【女系天皇】母方を天皇の血筋に持つ天皇。

女性天皇は、さらに「男系」と「女系」に分けられます。
歴史上、8代10人の女性天皇が実在しましたが、いずれも「男系の女性天皇」です。これを「万世一系」といいます。

もし、近い将来、愛子さまが即位されることがあるとすると、「男系の女性天皇」ですから、過去の事例に反するわけではありません。
しかし問題はその次で、愛子さまが平民と結婚されてその子供が即位すれば、男子であろうが女子であろうが、「女系の天皇」ということになります。これは神武天皇以来、2千数百年の歴史に一度もありません。

今年の大きな政治課題になることが確実な、皇室典範の改正に関する有識者会議の結論は、まさに皇室伝統の破壊、天皇制の崩壊をめざしているとも言えるのです。

Q天皇の血筋は一度途絶えているのは本当?

天皇の血筋は一度途絶えて別人が継いだような話をする人がいますが本当でしょうか?
もしそうだとすれば、どの代(誰?)でしょうか?

Aベストアンサー

#10です。まぁ、素人の歴史論争で喧嘩にならない程度に楽しみましょうか。

1.平将門が、桓武天皇6世か5世か、というのはそれこそ論議があるところです。私は社会科学の分野でWIKIを引用しても論証にはならない(編集合戦などがあるのがその証拠)と思っていますが、#11で引用されていますので、WIKIの文章を敢えて引用すれば「桓武天皇の孫(もしくは曾孫)で、平氏の姓を授けられた高望王(たかもちおう)の三男・鎮守府将軍平良将(平良將 たいらのよしまさ/良持=よしもちともの子」と5世説を採っています。

「と伝えられています」と書かれておられますが、つまり6世説も一つの説に過ぎないということでしょう。

しかし、仮に6世だとしても別にかまわないわけで、それなら父親の平良将が皇位に就くなら血筋は絶えたといえないのか、ということですから。

2.「同時代の史料では事績の分からない「歴史の霧に包まれた人物」です。この三人の事績は、後世の編纂物でしか分かりません。」とのことですが、全く同じことは「継体天皇」にも言えるでしょう。

平良将については、将門記・吾妻鏡では事跡が確認できます。両書とも平良将の死後200年程度で成立しています。これは、継体天皇死去から日本書紀成立までの期間とほぼ同じです。つまり、どちらも同程度に「後世の編纂物」でしか確認できない人物です。

3.「下総国あるいは常陸国の土豪」以外の何者でもなく、無位無官であり、朝廷から見れば「平民」に過ぎません。

これまた同じことが、継体天皇にも言えるでしょう。歴史を結果から見るから、「天皇の血筋」となるのでしょうが、彼が皇位に就かなければ「越前の土豪」に過ぎないはずです。書記を読んでも、それ以前に彼が朝廷の官位に就いていた記録は無い(=つまり平民)はずです。というよりも、当時(書記成立時)の感覚でいえば官位に就く=臣籍降下ですから。

4.「実際に皇位に就いている継体天皇と、反乱を起こしたことでのみ後世に記憶されている平将門を同列に論じるのは無理でしょう。」

これもやはり、歴史を後世の結果から見た感覚です。将門が5世の子孫であることは、継体天皇と同列であり、異なる点があるとすれば継体は皇位に就き将門は就けなかった(就く気が有ったのかどうか不明ですが)という点だけです。

常識的な感覚でいえば、即位から20年間大和に宮を置くことができなかった(これは日本書紀の記述です)継体が、すんなり即位できたとは考えられません。その20年間に何があったのか? 将門が関東で起こしたと同じことをしたのかもしれません。そして勝者が歴史を書いた、と考えることも「私見ですが」可能でしょう。


ところで、私のそもそもの話は天皇の5世の子孫が「それは実態としては他人」なのか、「血筋」と言えるのか、という事です。平将門はその一例として出したに過ぎず、これが別に河内源氏初代の源頼信でも構いません。彼は、清和天皇5世の子孫ですから。

質問に正対して考えるなら、その点が問われるべきだと思いますが、いかがでしょうか?

#10です。まぁ、素人の歴史論争で喧嘩にならない程度に楽しみましょうか。

1.平将門が、桓武天皇6世か5世か、というのはそれこそ論議があるところです。私は社会科学の分野でWIKIを引用しても論証にはならない(編集合戦などがあるのがその証拠)と思っていますが、#11で引用されていますので、WIKIの文章を敢えて引用すれば「桓武天皇の孫(もしくは曾孫)で、平氏の姓を授けられた高望王(たかもちおう)の三男・鎮守府将軍平良将(平良將 たいらのよしまさ/良持=よしもちともの子」と5世説を採っていま...続きを読む

Q最初の天皇はなぜ誕生したのか?

初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?
神武天皇は、国王(日本で一番偉い人)みたいなものだったのですか?

Aベストアンサー

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたのであろう。と予測する立場があるんですね。
ですから国家や天皇の成り立ち自体はよくわかっていない中で、神話などの古伝承から国家や天皇の成り立ちを整合性を以って説明できるのでは?と目下奮闘中といった人々もいる。とのあり方が現況では一番進歩が見られるスタンスであり、逆にそのような暗中模索な状況こそが、現在の学界における日本国家成立の研究、ないし天皇支配の淵源の研究などの現状だと思います。

そして天皇(大王)を中心とした国家といった概念が表れたであろうとされるのが、いわゆる4世紀の古墳時代と呼ばれる時代であったことは、考古史料から、特に前方後円墳などの規格性の強い墓制の出現で見当がつきつつあるのですが、そこの詳しい実態は、日本はもとより、3世紀段階における日本の国情を伝えた古代中国の史書などが4世紀時点ではないためよくわからないんです。いわゆる「謎の4世紀問題」ですね。

いずれにせよ『魏志』倭人伝などの記述から、卑弥呼が活躍する前後(3世紀)にあっては「倭国大乱」と評価できる内戦状態が、その規模は別として事実あったのでしょうね。もちろんその戦闘状態は天皇の出現と無関係であるとも思えないんです。その様な中、詳しい経緯はわかりませんが、倭国大乱と呼ばれる混沌とした戦乱の世にあって、統一的国家としてのヤマト政権を樹立するだけの武力ないし交渉力が、4世紀段階における天皇(大王)の祖先にあったことは疑う余地はないのかな?と思いますし、考古史料などが語る結果から帰納法的に糸を手繰りつつ明らかにしようと試みている、3世紀から4世紀にどのような経緯で歴史がつながるのか?といった問題は、識者はもとより僕に限らず古代史に興味を持つ者が一番知りたい部分なのです。

ですから率直に申し上げれば「初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?」という質問については「こっちが知りたい部分です」といった頼りない回答になり、せっかくのご質問に明確にお答えできないことを心苦しく思いながらも、現状をご理解いただければありがたいと思う次第です。

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたの...続きを読む

Q天皇は続いてきたのか

以前テレビか本か忘れましたが、家系図が残ってる中では?天皇が世界で一番長いという事に対して学者か誰かが子供の時に殺されたのもいるのにと疑問を持っていました。誰も全ての天皇を見てきたわけではないので、こういう話は一応そういう事にしてある話なのかもしれないですけど不確かにしてもどうなんでしょうか?

Aベストアンサー

古事記、日本書紀が編まれた8世紀以降(聖武、第45代のあたり)は、その時点時点での歴史書や文献が比較的残るようになったので、天皇家系の継続という点では疑問が少なくなっているようです。しかし、古事記・日本書紀の記述する聖武以前についてはかなりの疑問があると言われています。
知っている範囲でざっと紹介します。このように、古事記・日本書紀がかなり無理なつじつま合わせをしており、皇統の連続性を文献で完全に確認するのは非常に難しいというべきです。

- 第2代(綏靖)から第9代(開化天皇)までの所謂「欠史8代」。つまり8人の天皇は実在しなかった、家系上の創作に過ぎないと言う説があります……これらの天皇には政治的な治績がほとんどなく、またその年齢が異常に長い(100歳以上もあり)ことや、すべて長男相続(当時は兄弟相続が普通)であることなどから、「創られた天皇」ではないかと言われています。異論もありますが。

- 崇神帝(10)による征服説。第9代から第10代での家系の連続性には疑問があることになります。なぜか崇神の帝は、初代の神武の帝と同じく「日本を初めて治めた天皇」と呼ばれています。これは、実は崇神が神武と同一人物、あるいは神武の始めた王朝を崇神の帝が征服したのではないか、などの説があります。

- 応神帝(15)による征服説。第14代仲哀との間に歴史的な連続性に疑問があると言われています。母が神功皇后で、この方も実在に疑問が持たれており、応神の帝が仲哀の帝(実は仲哀の帝も実在性が薄いとする説があります)に取って代わるか、婿入りするかして王朝を継いだのではないか、とも言われています。

- 継体帝(26)の出自の疑問。武烈の帝(25)が、古事記などでは非常に残虐な天皇として描かれた上に、子供がないままに亡くなり、かつ皇統を継げる第1世王(父が天皇の皇子)が絶えたことが述べられています。継体自身は応神の帝の5世の子孫(5代前が応神)という極端に血のつながりの薄い皇族であり(これも事実かどうか、疑う研究者が多いようです)、また即位から大和の地に入るまで20年もかかったことなどから、継体を征服者と見る研究者も少なくないようです。
また、継体の前例が、その後において「5世王までは皇統を継ぐ権利がある」という慣例となって伝えられていくことになります。

- 継体以前にも仁賢(24)、顕宗(23)の継嗣にあたっても奇妙なエピソード(播磨の辺りで牛飼いの子になっていたのを、飯豊皇女が見いだして皇太子にした……など)があり、血統の連続性に疑問があります。ちなみに飯豊皇女は清寧の帝(22)が亡くなった後、やはり皇統が絶えたために、臨時に女帝として即位されたとも言われています。

古事記、日本書紀が編まれた8世紀以降(聖武、第45代のあたり)は、その時点時点での歴史書や文献が比較的残るようになったので、天皇家系の継続という点では疑問が少なくなっているようです。しかし、古事記・日本書紀の記述する聖武以前についてはかなりの疑問があると言われています。
知っている範囲でざっと紹介します。このように、古事記・日本書紀がかなり無理なつじつま合わせをしており、皇統の連続性を文献で完全に確認するのは非常に難しいというべきです。

- 第2代(綏靖)から第9代(開化天皇)ま...続きを読む

Q宮内庁はなぜ日本史の解明に非協力的なのか

よく宮内庁は皇室の歴史が明かされるのを嫌う傾向にあると聞きます。
仁徳天皇陵は全く調査をすることが許可されてないのでしょうか。
(社会科の先生からはこう聞きました)

日本は今や世界屈指の近代国家です。
しかし、日本の天皇の由来は全く混沌としています。

ならば、なおさら古代日本史の解明は国家の義務なのではないでしょうか。
その機関たる宮内庁が非協力的というのはどういう態度なのでしょう。
その理由が宗教上にあるというのなら、次に繋がるかどうかは別として
今回は一応納得します。

Aベストアンサー

皇室関連の質問をここでしたりすると、「皇室は千年の歴史があり、最も由緒ある皇帝でありそれは世界的に認められていて世界で唯一イギリス王室と並立する歴史的権威が云々・・・」という人たちが必ず現れます。そういう保守的な人たちはもちろん、現皇室は基本的にそういう立場というかそういう建前があって成立しているのですね。これは明治維新以降の皇室の歴史的かつ政治的な立場です。そして宮内庁はそれを「守る」立場にいるわけであります。それを否定してしまったら皇室の存在意義そのものが問われてしまいます。

で、そういう立場からすると、過去の「作られた歴史」が暴かれてしまうことは権威の根拠に関わってしまいます。例えば、天皇家というのは実は朝鮮半島から渡ってきた騎馬民族の末裔ではないかという話があります。倭国(日本)は百済の支援をして当時の倭国としては大軍事力を半島に派遣して白村江の戦いで敗れてしまいます。なぜ倭国が百済に過大なまでの支援をしたのか、単なる同盟関係であっただけではなく、実は百済が天皇家からみると「本家」で、倭国は百済の分家ではないのかという話があります。
日本ではその後いわゆる壬申の乱が起きて天武天皇が即位するんですが、大友皇子と大海人皇子の関係とかどうも日本書紀を読んだだけではよくわからんことが多いのです。そのへんについて日本書紀が改竄というか捏造というかそういうことをしたことは間違いないのですが、どのへんを歴史を書き換えたのかはよくわかりません。
もし仮に「皇室はかつて朝鮮半島からやってきた渡来一族の末裔である」ということが明らかになってしまったらどうなるでしょうか。嫌韓のネット右翼がなんと言い出すかどうか考えただけでも恐ろしいですね。今のところ皇室半島渡来説は荒唐無稽で根拠のない話ということになっています。なぜなら、日本書紀にも古事記にもそんなことは書いていないからです。しかし、日本書紀も古事記も時の権力者にとっての「大本営発表」なので歴史の削除、捏造、針小棒大などは当然あるわけです。あるけど、ないことになっている。それが我が国の古代史に対する学会の立場です。古代史は天皇家についてはアンタッチャブルの領域なのです。

また、皇室は一応ずーっと続いているということになっていますが、南北朝で相当ヤバいことになっています。血統の正当性という立場からいえば、南朝が正当です。しかし、北朝は時の権力者足利尊氏によって成立しており、最終的に南朝が北朝に吸収される形で再統一されています。このときの北朝系の血筋がね、どうなんだよってところなんです。私もその時代はそんなに詳しくないのですけれど。
で、戦後すぐに「我こそは南朝の末裔であり、正当な皇室の血筋である」と名乗り出た人がいたのです。世間でいわれるところの熊沢天皇事件というものなんですけどね。単なる気が狂ったおっさんが「わしは天皇である」といっただけならこんな歴史には残らないです。熊沢天皇事件が戦後事件史のひとつとして残っているのは「そういわれると、そうかもしれない」というのがあったからなのです。熊沢天皇は「北朝(現皇室)は南朝から帝位を簒奪し不法に即位している」と訴えたのですが、「そういわれりゃあ、そうだよな」ってところはあるんですよ。熊沢天皇は結局のところ南朝の末裔であることを証明することができなかったので最終的には「自称南朝の末裔」ということになったのですけどね。一時的であれ宮内庁は頭を抱えたのですよ。GHQは熊沢天皇に興味を持っていて、場合によっては昭和天皇を退位させて熊沢天皇を(GHQの手先として)即位させるんじゃないかと警戒したのですね。

宮内庁の仕事は、現在の皇室の伝統を次代に繋げることです。皇室にはなんとかの儀、かんとかの儀、と年がら年中しきたりだらけなのですが、それを続けることが最も重要なんですね。伝統の継続というものの頂点にある存在といってもいいでしょう。「歴史的に見て正しい」かどうかはむしろ邪魔なんですよ。まあ宮内庁関連の人といったら公家の末裔とか松平家の末裔とか父は貴族院議員とかそんな人たちばっかりですからね。しもじもの者が入りたいといっても入れてはくれません。

皇室関連の質問をここでしたりすると、「皇室は千年の歴史があり、最も由緒ある皇帝でありそれは世界的に認められていて世界で唯一イギリス王室と並立する歴史的権威が云々・・・」という人たちが必ず現れます。そういう保守的な人たちはもちろん、現皇室は基本的にそういう立場というかそういう建前があって成立しているのですね。これは明治維新以降の皇室の歴史的かつ政治的な立場です。そして宮内庁はそれを「守る」立場にいるわけであります。それを否定してしまったら皇室の存在意義そのものが問われてしま...続きを読む

Q目処(めど)と目途(もくと)

目処と目途の使い分けについて教えてください。
送り仮名に違いがありますか。
PC辞書で「めど」の変換を探すと目途が入っているのもありますね。
これは明らかに誤用ですよね。

Aベストアンサー

めどはやまと言葉ではないでしょうか。もしそうなら漢字は当て字であり、どちらが正しいというものでもなく、世間で一般的にどう使い分けされているかということに過ぎないと思います。

広辞苑ではめど(目処)もくと(目途)と分けて記載されているだけで説明がなく
不親切です。朝日新聞社の漢字用語辞典では、めど(目処、目途)とあり、私のPCでも、めどで両方が転換できます。

解決のめどがつくとか、目標達成のめどが立ったなどと使われるので、
ものごとがその完成、実現にちかずいたということを意味し、目標とは若干ニュアンスが異なると思います。目標は高くとは言いますが、目途(目処)は高くとはいいませんね(この部分は蛇足です)

Q世界28ヶ国の王家の中では、天皇家が世界一の格上ですか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%AE%A4
世界には、日本・イギリス・ベルギー・スペイン・タイ・カンボジア・
サウジアラビア・スウェーデン等28ヶ国に王制が存在しています。
これらの国王の中でも序列というか「格の違い」ってあるのでしょうか?

例えば、「世界の王室が集まった時、天皇が最も上座に座る」と聞いた事が
ありますが、それは天皇家の格によるものでしょうか?
その理由は、この2つです。
・天皇家は世界で最も歴史のある王室である事。
・「King」よりも格上とされる「Emperor」であるから。
 歴史的に言えば「King」よりも「Emperor」の方が格上。「Emperor」は世界でただ一人。

世界的には、「差別や格差はいけない事だ」みたいな風潮がありますが、
そんな事を言ってしまえば王室の存在が崩壊してしまいます。
王族の世界とは歴然とした格差社会であり、格とか身分の差を公認する
社会だそうです。
彼ら王族は「王族の何たるか」という教育を受けているため、天皇家の
格の高さをちゃんと認識しているため上座を譲りますが、天皇家の権威を
よく知らないのは、もしかすると我々日本人かもしれませんね。

さて、世界の王室において、「格の違い」は存在していますか?
日本の天皇家は最も格が上というのは本当でしょうか?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%AE%A4
世界には、日本・イギリス・ベルギー・スペイン・タイ・カンボジア・
サウジアラビア・スウェーデン等28ヶ国に王制が存在しています。
これらの国王の中でも序列というか「格の違い」ってあるのでしょうか?

例えば、「世界の王室が集まった時、天皇が最も上座に座る」と聞いた事が
ありますが、それは天皇家の格によるものでしょうか?
その理由は、この2つです。
・天皇家は世界で最も歴史のある王室である事。
・「King」よりも格上とされる「Empe...続きを読む

Aベストアンサー

私も以前考察しました。
その結果、多国間での「格の違い」は存在しません。

>>日本の天皇家は最も格が上というのは本当でしょうか?
ガセネタです。

まずタイ国王即位60周年記念式典での写真をご覧下さい。
http://www.thaiembassy.jp/photo%20gallery/60th/Albums/Album3/Source/Best_Wish_Expression_116.htm
天皇皇后両陛下はスウェーデン・ブルネイ両国王王妃より下座です。なぜなら、国の公式行事で複数の元首が並ぶときは、即位(就任)順で席順が決まります。ただしカトリックを国教とする国ではローマ教皇を自国元首よりも上座に位置させる国も存在するようです。

ただし、国(公的)ではなく王室(皇室)の行事、つまり私的な席では元首同士、国同士でのつきあいの深さによって、席次が決まることもあります。

ですから国家間では格に違いはない、国の規模、王家の歴史、称号の違いなどは関係なく、また元首が王であろうと大統領であろうとすべて平等です。

 西欧社会のEmperor、Kingの関係と、中華文化圏の皇帝(天皇)と王の関係を混同させて「天皇はKingよりも格上である。なぜならEmperorだからだ」というのはむちゃくちゃな理論です。
 ヨーロッパにおけるEmperorと、中華文化圏の皇帝(天皇)はまったく異なる政治概念です。ただ、似たような意義が含まれるから皇帝(天皇)をEmperorと翻訳に当てただけにすぎません(King・Queenを王・女王と訳すのも同様です)。また近代以降ではEmperor、King、皇帝、王と、どのように名乗るのも勝手でした。

だから明治になって天皇の訳語にEmperorを当てたに過ぎません。

参照
ヨーロッパにおける「皇帝」
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/020628c.html

ヤマトの王が天皇を名乗った理由
http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20050413A/?FM=cukj&GS=book

より詳しい回答が教えてgooにもあります。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3952917.html
No.3氏の良回答をご覧下さい。

また、
http://q.hatena.ne.jp/1145697267
の3番目の回答者さんもご覧下さい。

さらに重要なことは三大権威とか、天皇はKingよりも格上などというものは、ネットで、しかもなんら確たる証拠も提示しない掲示板やブログの書き込みでしか見あたらないということです。この時点で眉唾物です。
そういったものが公的に認められているのであれば、その条文なり、条約なりを提示すればいいのにしない。「不文律なんだ」「世間では隠されているのだ」とすれば、それほどのものがだれが書いたとも分からぬ掲示板ごときに流れること自体がおかしいでしょう。

誤解無きようにいえば、わたし自身は毎朝、神仏に天皇家の繁栄を祈り、皇室に敬意を持っています。
だからこそ、このようなデマにすがりつく必要はない。なぜなら、天皇は「日本の天皇」だから敬意を持っているのです。ほかの国よりも偉いから敬意を持っているのではないのです。
正直、この手のデマにすがりつく人って、天皇を敬うフリをしながら、正直天皇に敬意など持ち合わせていない。天皇の権威が分からない。だからこんな恥ずかしい理屈にすがりつかなければ、「天皇への敬意」が表現できないのではと思えます。
また、この手のデマにすがりつくサイトは、天皇への敬意、敬愛の念よりも、「俺さまの天皇は偉いんだぞ!! お前らなんか…」といった他国への憎悪、罵倒が表立っています。正直、他国を見下すダシに皇室を利用しているのではとしか思えません。

わたしは日本の天皇だから敬意を持っています。決して他国より偉いから、他国を見下したいからではありません。

私も以前考察しました。
その結果、多国間での「格の違い」は存在しません。

>>日本の天皇家は最も格が上というのは本当でしょうか?
ガセネタです。

まずタイ国王即位60周年記念式典での写真をご覧下さい。
http://www.thaiembassy.jp/photo%20gallery/60th/Albums/Album3/Source/Best_Wish_Expression_116.htm
天皇皇后両陛下はスウェーデン・ブルネイ両国王王妃より下座です。なぜなら、国の公式行事で複数の元首が並ぶときは、即位(就任)順で席順が決まります。ただしカトリックを国教とする国...続きを読む

Q原爆・長崎・広島の被害者数は一体どれくらいなんでしょうか。

鳥インフルエンザ、新型(鳥)インフルエンザが流行してしまった場合、最悪の事態の予想を、新型インフルエンザ対策検討小委員会が明らかにしたという数値をみて、死者、患者共にその数の多さに驚きました。あくまで最悪の場合の予想とはいえ、ものすごい惨事であると思いました。そこで、生物兵器という言葉を思い出しました。兵器には核兵器もあると。そこで気になりました。原爆・長崎広島の被害者数はどれくらいなんでしょうか。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

広島は当時人口42万人、死者、行方不明合わせて
12万2338人、長崎は、人口24万人、
死者、行方不明合わせて7万3884人と言われています。

被爆後5年間の間に広島で20万人、長崎で14万人
です。

Q卑弥呼と天皇の関係

邪馬台国が北九州にあったのなら疑問はないのですが、もし畿内にあった場合は
当時、奈良か大阪にいた天皇勢力とはどんな関係だったのでしょうか?
当時の天皇勢力の範囲も限られていたため、邪馬台国とは共栄共存という感じでしょうか?

Aベストアンサー

邪馬台国は、畿内とは言っても、京都、兵庫、大坂の地域に分布した国です。一方、原大和朝廷(天皇勢力)は大和盆地(奈良盆地)にあった国です。両者は棲み分けていました。魏志倭人伝に登場する狗奴国が原大和朝廷のことです。(邪馬台国が畿内にあったのはほぼ間違いありません。)

また魏志倭人伝にある通り、邪馬台国の領袖は女であり、狗奴国の領袖は男(天皇)でした。

両者は国境を接して小競り合いを続け、対立を繰り返し、決して友好な関係ではありませんでした。しかし、邪馬台国が魏朝と晋朝の冊封体制下にある間は、中華皇帝の威光を背景とする邪馬台国の勢力が優っておりました。

武帝が死去して恵帝の時代になると晋朝の内部崩壊が始まり、八王の乱に至って晋朝の権威は地に堕ちました。中華皇帝の威光の凋落は日本にも大きな影響を与えました。邪馬台国の勢力は弱体化し、この時期に原大和朝廷が邪馬台国を制して西日本の統一へ動き出したと見られます。(第八代孝元天皇から第十代崇神天皇のころ)


人気Q&Aランキング