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旧日本軍が関わった民間人虐殺など戦争犯罪行為をリストアップし、ひとつずつ調べていこうと思っています。
こういう事件があった、というものがあれば教えてください。
明治から昭和の終戦までで、場所は問いません。
事件の概要と年月日を教えていただければ、後は自分で調べます。

よろしくお願いいたします。

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A 回答 (7件)

「世界戦争犯罪辞典」(編・秦郁彦、文藝春秋)を入手していただくのが一番手っ取り早いと思いますが、手元にありますので、日本軍関連のものをピックアップしてみました。


内容についてはご自分で調べていただけるようなので、概要のみとしています。

「旅順虐殺事件」(1894年11月21~25日)
日清戦争で大山巌大将指揮の陸軍第二軍が旅順攻略の際に発生した事件。被害者は2千~2万人と言われている。

「朝鮮東学党に対する掃討作戦」(1894年8月~1895年3月)
日韓両軍による朝鮮東学党農民に対する苛烈な掃討作戦。日本軍の記録によれば戦闘で6000人、処刑5600人とされているが、5万人という説もある。

「閔妃暗殺事件」(1895年10月8日)
朝鮮正妃である閔妃が、王宮で日本軍兵士、壮士、大陸浪人らによって惨殺された事件。

「3.1独立運動事件」(1919年3月1日)
朝鮮における最大規模の反日運動で日本官憲により多数の死傷者をだす。

「台湾霧社事件」(1930年3月27日)
日本統治下の台湾霧社で先住少数民族タイヤル人の武装蜂起に対し日本軍、警察が毒ガスを使用して鎮圧。

「平頂山事件」(1932年9月)
満州国建国半年後、満鉄の撫順炭鉱を警備する日本軍守備隊が近くの平頂山集落の中国人住民を大量殺害した事件。被害者数は400~3000名

「陽高事件」(1937年9月)
支那事変初期において内モンゴルの陽高で関東軍チャハル兵団(兵団長:東条英機)が引き起こした中国人虐殺事件。被害者数350~500名。

「南京虐殺事件」(1937年12月)
日本軍が首都南京を攻略した際、2ヶ月にわたって多数の中国人捕虜、敗残兵、便衣兵、一般民間人を殺害した事件。

「百人切り」(1937年11~12月)
南京攻略戦において野田少尉と向井少尉が敵兵百人切り競争をし、それを報道した東京日日新聞の記事が証拠とされ、戦後戦犯として処刑された事件。実際は100人も切っていなかったらしいが、0人ではなかったらしい。

「重慶戦略爆撃」(1938年12月~1941年9月)
日本陸海軍航空部隊が首都重慶に対し反復実施した大規模な戦略爆撃で多数の民間人死傷者を出した事件。しかし戦犯として訴追された日本人なし。

「七三一部隊と細菌兵器」(1933年~1945年)
石井機関の七三一部隊と一六四四部隊が組織的に人体実験を行う。七三一部隊の記録によれば1943年までの検体数は850体。
1940年10月27日に南京の一六四四部隊が寧波市でペスト蚤を散布。この攻撃後から2ヶ月間の寧波市でのペストによる死者106名。ちなみに、日本は生物兵器を禁止したジュネーブ議定書を批准していない。

「真珠湾奇襲攻撃」1941年12月7日
ハーグ開戦条約に違反するとされ、この相殺として原爆投下が正当化された。

「中立国タイとの交戦」1941年12月8日
シンガポール攻略を目指す日本軍が、タイ政府の許可前に南部タイへ上陸、タイ軍と交戦し、タイの中立を侵犯する。

「香港戦における英軍捕虜の処分」1941年12月18日
香港戦における投降英軍兵士に対するいくつかの殺害事件。

「バリスト・スロン捕虜殺害事件」1942年1月22日
近衛師団長西村琢磨中将が、バリスト・スロン捕虜収容所で捕虜の処分を命じ150名が処刑されたとされる事件。
事件自体でっち上げの説あり。しかし西村中将はこの事件の責を負わされ戦犯として処刑される。

「アレクサンドラ病院事件」1942年2月14日
シンガポール陥落の当日、日本軍が英軍アレクサンドラ病院を襲撃。軍医、看護婦、患者を殺害。被害者数200名

「シンガポール華僑虐殺事件」1942年2月15日
シンガポールを占領した第二十五軍が行った反日華僑粛清事件。被害者数6000人~2万人。

「バンカ島豪軍看護婦殺害事件」1942年2月
シンガポールからバンカ島の脱出した豪陸軍看護婦20名が日本兵により殺害された事件。

「ラハ事件」1942年2月
日本軍によるインドネシア・アンボンのラハ飛行場占領時に約200人の捕虜を殺害した事件。

「バターン死の行進」1942年4月
フィリピンバターン半島を攻略した日本軍が、投降した米比軍7万人をルソン島中部オドンネル収容所まで炎天下を徒歩行軍させ3万人近い死者を出した事件。

「マキン島米捕虜の処刑」1942年8月
日本軍が占領するマキン島へ奇襲上陸してすぐに撤退した際、取り残された9名の米海兵隊員を処刑。この処刑された9名に米大統領の息子ジェームス・ルーズベルト少佐が含まれていたとかいないとか。

「駆逐艦秋風虐殺事件」1943年3月16日
ニューギニアからラバウルへ約60名の外国人抑留者移送中の駆逐艦秋風が、洋上で全員を処刑。

「泰緬鉄道」1942年1月~
連合軍捕虜6万2000名が鉄道建設工事に投入され、過労と伝染病などで1万2000名が死亡。

「潜水艦による捕虜洋上処分」
1943年12月14日、呂110潜が英商船を撃沈し救命ボート、筏の乗組員を銃撃。55名を殺害。
1944年2月22日、伊37潜が英商船を撃沈し救命ボート、筏の乗組員を銃撃。被害者数不明。
1944年3月26日、伊8潜が蘭船を撃沈し、生存者98名を艦上で処刑。
1944年3月29日、伊26が米商船を撃沈し救命ボート、筏の乗組員を銃撃。被害者数不明
1944年7月2日、伊8が米商船を撃沈した際、揚収した生存者96名を甲板に放置し急速潜行。

「ビハール号事件」1944年3月
重巡利根が英商船「ビハール号」を撃沈した際、揚収した生存者60名を甲板で処刑。

「ババル島事件」1944年10月~11月
インドネシア・ババル島の日本軍守備隊による住民虐殺事件。被害者数704名。

「ポンナチャック事件」1943年10月~1944年1月
インドネシア・ポンナチャックで発生した大規模な住民検挙粛清事件。被害者数4000~2万人

「デュエナス神父処刑事件」1944年7月
日本軍占領下のグアム島で島民への影響力が強かったデュエナス神父を逮捕、公衆の面前で拷問し処刑した。

「メリッソ村民虐殺事件」1944年7月15日
グアム東南部のメリッソ村民が日本軍により虐殺。被害者数46人。

「トラック病院の捕虜生体解剖事件」1944年2~7月
米兵捕虜4人に生体切開を行い、このうち2名がショック死。生き残った二人はダイナマイトで爆殺された。
さらに他の4名にぶどう状球菌を注射し全員死亡させる。

「ティンブンケ事件」1944年7月
東部ニューギニアのティンブンケ村で、約100名の村民が日本軍に集団殺害された事件。

「パラワン島米兵捕虜殺害事件」1944年12月13日
米軍の上陸が迫るフィリピン・パラワン島で飛行場の保守作業に従事していた米軍捕虜150名が処刑される。

「父島人肉食事件」1945年2月
撃墜され落下傘降下した米兵を捕らえ処刑の後、その肉を食べた事件。当時の父島は食料に困っていたわけではなかった。
被害者数8名。

「九州大医学部生体解剖事件」1945年5月17日~6月2日
米兵捕虜8名を生体実験。肺の全摘出を行った後、輸血の代用として海水を点滴。どのくらい生きながらえるかを実験した。

「マニラ市街戦での虐殺事件」1945年2月
マニラ市街戦で多数の民間人が虐殺された事件。
聖パウロ大学で子供を含む994名を殺害。北部墓地で2000名を処刑。サンチャゴ監獄での集団殺害など。

「石垣島事件」1945年4月15日
石垣島で米兵捕虜3名が処刑される。

「ランソン事件」1945年3月
仏印北部のランソンで仏兵捕虜を処刑。

「サンダカン死の行進」1945年2月~6月
北ボルネオのサンダカンから260キロ離れた西海岸へ移動させられた2000人の英豪捕虜の大部分が飢えと病気のため死亡した事件。

「花岡事件」1945年6月30日
日本へ強制連行され、秋田県花岡炭鉱で働かされていた中国人労務者がおこした蜂起・逃亡事件。
警察、自警団、鹿島組などが鎮圧、見せしめの為100人が拷問後処刑される。

「ヤルート島民処刑事件」1945年5月
マーシャル諸島ヤルート島で陸海軍将校が島民21名を殺害。

「カラゴン事件」1945年7月
日本軍が南ビルマのカラゴン村の村民600名を集団殺害した事件。

「オーシャン島住民殺害事件」1945年8月19日
島民140名に終戦を告げた後、全員をがけの上で銃殺。
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この回答へのお礼

ここまでの回答が来るとは思っていませんでした。大感激です!
南京虐殺がかすんで見えるほどです。
ご紹介いただいた本を図書館で探してみようと思います。

お礼日時:2006/07/02 00:51

C級戦犯該当者でよいのでしょうか?


極東軍事裁判でC級該当者はおりません。
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この回答へのお礼

はい。BC級でお願いします。
東京裁判はA級だけですね。

お礼日時:2006/06/29 19:31

終戦直前の九州大で行われたB29の捕虜に対する生体解剖。

遠藤周作の「海と毒薬」はこの事件を題材にしているそうです。


質問者の意思に反するようですが、「ゴーマニズム宣言」や「戦争論」には、旧日本軍の犯罪行為についてはかなり否認的に書かれていた覚えがあります。行為の正当性・確実性をお調べになるのであれば、参考にされてはいかがでしょう。
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この回答へのお礼

九州大ですね。調べてみます。
漫画はちょっと読む気になれませんが、役立つ情報ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/29 09:30

> 旧日本軍が関わった民間人虐殺など戦争犯罪行為


とは非常に定義が曖昧です。
というのも、

・日本軍が関わった
1) 日本軍が軍事的作戦の一環として行った行為
2) 日本軍の軍事行動に付随して行われた行為
3) 日本軍に属する将兵が勝手に行った行為
4) 日本軍の軍事行動以外の活動として行った行為

・民間人虐殺などの戦争犯罪行為
a) 警察力の発揮として行った行為
b) 不可抗力的に行った行為
c) 日本軍が正に行おうとして行った行為
d) 極限状態における暴走行為

と、単純に考えて16パターンほどに分けられますが、このうち、3)に関しては個人の問題であり、4)に関してはそもそも軍事行動ではないのでa)~d)の分類は困難ですし、2)とc)は矛盾しているので割愛しますと9通りになります。

1a) 台湾の武力蜂起鎮圧(1880~1900)、三光作戦(1941~)、南京事件(1937)
1b) バターン行軍(1942)
1c) 三光作戦、南京事件
1d) 敗戦直前期のマニラ虐殺、沖縄での暴走など
2a) 特に中国各戦場における周辺住民への便衣隊掃討
2b) 各戦場における周辺住民への被害(例えば重慶爆撃(1939~1940)
2d) 該当なし
3) 「百人斬り」競争(1937)
4) 泰緬鉄道建設(1942)

ざっと思いつく例を挙げました。例えば南京虐殺事件のように、複数の見方で意見が分かれている物については両方に入れてあります。
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この回答へのお礼

たくさんの例を挙げていただいて、しかも分類して頂いて感激です。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/29 09:28

シベリア出兵期間のソ連反抗から撤退するまで。



共産党が村人に紛れてゲリラ戦を挑んだので、
疑心暗鬼になった日本軍は村も人をも焼き払いました。

展開はベトナム戦争と同じです。

敵味方の区別が全く出来なかったのでね。

日本相手ではなく、ロシアに侵攻した国全てにゲリラ戦を仕掛けています。

しかし、何故シベリア出兵が何も語られないのか?
そして何故他の戦争での民間人虐殺が叫ばれるのか?
不思議じゃありませんか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
それは、いつ起きた何という事件でしょうか。

お礼日時:2006/06/28 19:39

1937.12.13    南京大虐殺/南京アトロシティーズ


1941~1942    三光作戦、等
1942. 2.11~15 シンガポール華僑虐殺
1942~1943    泰緬鉄道
1943.10.7     ウエーク島民間人処刑
1943.7~     フィリピン全域虐殺(マニラ虐殺、リパ虐殺など)
1944.12 パラワン島捕虜虐殺、鴨緑丸捕虜虐殺
?        サンダカン捕虜虐殺
1944~      バターン捕虜虐待・虐殺
   
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この回答へのお礼

たくさん挙げていただいて感激です。
ありがとうございます。

お礼日時:2006/06/28 19:38

1938年12月から1941年9月にかけて行われた重慶爆撃が該当するかと思います。


市街地への繰り返しの爆撃ですので民間人の死傷者が出ていると思われます。
ただ、防空壕も沢山作られ空襲前には空襲警報が出されていたので、後半の方はそれほど死傷者が出ていないかもしれません。
私も勉強中であまり詳しくないのですが、とりあえず。。。
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この回答へのお礼

重慶爆撃ですね。調べてみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/28 19:38

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Q戦争のとき日本はアジアでひどいことしてたのですか?

天皇陛下がパラオを訪問するにあったってのお言葉に、私はとても感動しました。
私は、謙虚で優しくて親しみのある天皇陛下と皇后陛下が、とても好きです。

「終戦の前年には,これらの地域で激しい戦闘が行われ,幾つもの島で日本軍が玉砕しました。この度訪れるペリリュー島もその一つで,この戦いにおいて日本軍は約1万人,米軍は約1,700人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で,このような悲しい歴史があったことを,私どもは決して忘れてはならないと思います。」

テレビで観ているとパラオの多くの人々は、今回の天皇陛下と皇后陛下を好意的に迎えてくれたように感じました。

でも、内田洋行のサイトの中の「海外の教科書は、日本をどのように教えているか? 」を読むと、日本がアジアで行ったことが下のように書いてあります。

日本は戦争中、本当にアジアでこのような残虐なことを行ったのでしょうか?
真実を知るには、これから私はどのような勉強をしたらよいのでしょうか?
大人は右翼とか左翼とか言いますが、私は今のところどちらでもないです。
すみませんが、お教えいただけましたら助かります。
よろしくお願いいたします。

■インドネシア
「1942年3月、オランダが日本に降伏すると、民衆はいたるところで歓呼して日本軍を迎えた。日本もまたアジアの諸民族を白人の支配から解放するために進撃してきたことを宣伝し、インドネシア人は兄弟として日本と協力すべきだと主張したのである。
 日本は検閲を強化し、オランダ語と英語の使用を禁止し、インドネシア語を統一語として使用させた。しかし同時に日本語の普及にもつとめた。
 やがて日本の軍政は、インドネシア人の民族精神への干渉にまで及んだ。日本の天皇をマハ・デワとしてあがめさせ、その居住する東京に向かって頭を下げることを強制した」。
(中学3年生用『インドネシア史』1974)

■マレーシア
「日本は、マレー人の解放獲得への期待を裏切った。日本人はマラヤを、まるで自分たちの植民地であるかのように支配した。今度は彼らがイギリス人の座を奪ったのだ。日本人の支配はイギリスよりずっとひどかった」。
(中学2年生用『歴史の中のマレー』1988)

■フィリピン
「フィリピンの歴史における暗い時代は私たちの国を日本国が占領した時です。日本軍は、来たばかりの頃は、自分たちはフィリピン人の友達だといい、フィリピン人と日本人を結びつけるためアメリカを敵としました。彼らは、人々の食料や家財道具をはじめ、乗り物や大きな家々も取り上げました。彼らはまた、とらえた人々を拷問し、殺しました」。
(小学校4年生用『歴史』1977)

 さらに、日本がこれらの国を占領していたときの、日本軍の残虐行為についての記述も多い。
■マレーシア
「憲兵隊は一般の人々にとても恐れられた組織だった。憲兵隊は疑わしい人を犯罪が立証された罪人のように扱った。罪のない人間を罪人だと自白させるため、さまざまな残酷な拷問が行われた。彼らは、手や足のツメを抜いた」。
(中学2年生用『歴史の中のマレー』1988)

天皇陛下がパラオを訪問するにあったってのお言葉に、私はとても感動しました。
私は、謙虚で優しくて親しみのある天皇陛下と皇后陛下が、とても好きです。

「終戦の前年には,これらの地域で激しい戦闘が行われ,幾つもの島で日本軍が玉砕しました。この度訪れるペリリュー島もその一つで,この戦いにおいて日本軍は約1万人,米軍は約1,700人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で,このような悲しい歴史があったことを,私どもは決して忘れてはならないと思います。」

テレビで観ていると...続きを読む

Aベストアンサー

日本人だから、ということではなく、今後の世界を見て、当時の状況を俯瞰的に説明したいと思います。

当時の世界的状況
 第2次世界大戦の当時は、世界中のあらゆる国が西欧諸国の植民地になっていました。その中で独立を保っていたといえるは、アジアの国では日本とタイ、状況的には中国・朝鮮ぐらいなものでした。
 ただし、タイは世界的な発言力は弱く自国の独立を維持するのがやっと、中国は清が弱体化しすぎて国民党や共産党などが抗日運動を起こしているぐらいの状態で、国歌として安定していたのは日本ぐらいです。

当時の日本を取り巻く状況
 日本は日清・日露と勝ち、第一次世界大戦でも犠牲は少なかったのに戦勝国になり、発言権を増している状態でした。またアジア大陸は朝鮮半島併合に始まり満州まで進出、太平洋は日付変更線の西半分はほぼ日本の委託統治である状態でした(この状態が今年のパラオ来訪につながります)
 
 つまり日本は西洋諸国同様、帝国主義国家であったということです。

もちろん、日本にも言い分はあります。
まず、朝鮮半島については日清戦争後の下関条約の第1条目に「中国(清)からの完全自主の独立をすること」と記載しています。次のロシアとの戦争も旅順という、朝鮮とロシアの領土を結ぶ場所が最大の戦闘地になりました。

日本にとって、今でも同じですが、朝鮮半島に「日本を攻撃したい」という勢力がやってくると、すごく困るからです。これは元寇の時代から変わりません。

そのため、膨張意思のロシア(革命後のソ連も同じ)、中国(当時は清がガタガタでいろいろな勢力が争っていた)などが朝鮮を奪おうとしていたのです。

肝心の朝鮮は清に助けを求めたり、ロシアに助けを求めたりで、日本としては「自主独立の気運がない」と考え、朝鮮併合に動いたともいえます。

またその先の満州国は、ロシアと中国が朝鮮半島に入ってくるのをちょうど邪魔する位置に設立され、本国日本の安全に寄与したといえます。

あ、日本からの視点から見てしまいましたので、これを外国の立場から見てみましょう。

朝鮮からの視点
朝鮮としては清にたすけを求めたいが、何を要求されるかわからない、ロシアは西洋人だからもっと怖い、でも倭国に助けを求めるのはプライドが許さない、と政府や貴族の多くは考えていたのだが、一部の親日派が一時的に政権をとったことにより、日本に併合されることになった。

ロシアからの視点
日本は明治以降(正確には江戸末期以降)、われわれが不凍港目指して南下するのを邪魔する。ソ連になったので、シンパを増やしてじっくり行こう

中国からの視点
国民党や共産党、抗日独立運動が主たる目的なのに、なんで内戦になるんだろうか、内戦しながら日本と戦うのは困難だし、他の西洋国にもつけ入れられてしまう。

西洋国の視点
日本は第1次大戦で、ずいぶんおおきくなったけど、最近満州国とか太平洋とか膨張主義じゃね?アメリカ「ちょっとヤバメ」ソ連「あいつらヤバい」

そうこうしているうちに、満州国から盧溝橋事件が起き「日本は膨張主義である」ということになっていくわけです。これが戦後「日本は侵略国家である」というイメージの発端であるといえます。

そして、ABCD包囲網からリットン調査団など、日本の「膨張主義」に対して警告が発せられ、日本はそれに対して抗議しますが、結局ハルノートの交渉が決裂し、戦争になります。

戦争になると日本二つの作戦をすぐに実行に移しました。
・太平洋上の主な敵はアメリカ軍なので、太平洋を日本の支配下に置くように攻撃をする
 まずは米軍太平洋艦隊の最大の基地、真珠湾を攻撃すること
・大陸においては、満州国と協力し、ソ連の南下を防ぎ(日ソ中立条約でしばらく防げた)、ABCD包囲網以来欠乏している石油を確保するために、インドシナ方面まで資源確保に侵攻する。

ということです。これは(当時としては)戦争を行っている国として当然の行動ですから、東京裁判でマッカーサーが「日本は防衛戦争を行った」と評することになるのです。

さて、ここからは主にアジアの視点が重要になってきます。戦争中から戦後にかけてです。
まず、最初にも書いたようにアジアの諸国はほぼすべて、植民地化されていました。日本が侵略したと言っても、相手は「西洋国」だったわけです。これは一つ重要なポイントです。
参考:大戦前地図 http://twitpic.com/aj4uyg
これを見ると清とタイ以外アジアのすべてが植民地であったことが分かります。(満州がないですけどね)

アジア人からすれば、日本軍が破竹の勢いでやってきて、白人達をバッタバッタとなぎ倒して侵攻していく様子は、確かに胸がすくような気持ちよさがあったでしょう。
その点からすれば、たしかに「アジア人は日本により解放の気分を味わった」のです。

しかし、当時は独立したアジア人国家があったわけではありません。結局のところ、西洋人の統治から日本軍による統治に変わっただけで、軍統治は常に緻密さに欠けますから(ずっとその土地で政府を維持していくわけではないし、主目的は戦争だから)、占領下の人々を虐殺したり、乱暴したりした、のも事実です。
 一例をあげると、事実かどうか疑われている南京大虐殺です。そもそも虐殺をするには「理由」があります。南京の場合は、便衣兵と言って市民と同じ服装でゲリラ的に戦う国民党兵などがたくさんいて、日本軍も取り締まりを強化していたのです。
 便衣兵は市民と見分けがつきませんから、一般市民も大量に連行されて拷問を受けたことでしょう。現代でもアメリカ軍のアブグレイブ刑務所のように同じ問題が起きています。
(このとき、客観的にみるためには「便衣兵はジュネーブ条約などの戦時国際法に明らかに違反している、ということも知っておく必要があるでしょう。あ、フェアにいえば日本も守っていた、とは言い切れません)

ココでは、南京大虐殺があったかなかったは論じませんが、具体的な事実と認定されていることに
・中国共産党政府は、南京大虐殺の被害者は20万人である、と公式に表明している。
・日本軍が攻め入る前の南京市人口は20万人、虐殺があったとされる時期の3か月後の人口は25万人と国際的な委員会が発表している。
・20万人という死者の埋葬場所などに論争がある。
ちなみに、20万人というのがどれくらいの規模かというと、昔GLAYが幕張で行ったコンサートが20万人でメッセの駐車場を全部使ってやりました。立っている人のスペースでこれぐらいですから、埋葬するために寝かせたら、相当なスペースを必要とするのは理解できるでしょう。
火葬をすれば灰になるので、処分スペースは小さいですが、燃やすための燃料と時間がかかります。
灯油だと一人あたり70リットルらしいので、20万人分だとタンクローリーで1000台近い燃料が必要です。これだけの燃料が集められるなら、その証拠(帳簿や資金調達や命令書など)があってもいいでしょう。
南京大虐殺が無かった、とは言いませんが中国の公式数字20万人には疑問が残る資料がいくつもあります。

後から戦争を検討する、というのは惑わされない数字をきちんと確かめながら、確認していくことが必要で、そうしないと「誰かの思惑」によって書かれた歴史を信じることになりかねません。

さて、話を戻しますが、日本の侵略をアジア人の視点からみれば、西洋が統治していたのが日本の統治に変わっただけです。統治はある民族が他の民族を支配するという形になるのが普通ですので、不満がでるのは当然です。日本人である私たちは、歴史上異民族に支配されたことがありません。つまり「多民族に支配される心の苦しみ」は経験したことがないのです。「アジアでひどいことをしたのか」というテーマで考える時にはぜひ心に留めておいてほしい、日本人の特徴であると思います。

台湾は日本びいきである、といわれます。日本の統治が良かったから、ではありません。日本の統治はやはり異民族の統治であり、それなりだったのですが、その後にきた自国民である国民党の統治があまりにもひどかったため「日本を懐かしむ」という空気が生まれました。韓国がそうならなかったのは、日本の統治後独立を果たしたからで、また他のアジアの国とちがいそもそも日本は朝鮮にとって中国・ロシアとならぶ侵略国家であった、ということです。

日本は「侵略統治を受けたことがない」と書きましたが、日本以外のほとんどの国は異民族の侵略を受けた経験を有しています。ですので「国の発展」とか「国家の躍進」には外国との戦争から学び、改革するのは当たり前であったといえます。

アジア人からすれば、西洋の支配をうけたのは「自分たちよりも強かったから」です。ですから、ドライな国際感情からすれば弱い者が強い者の支配を受けるのは当然なのです。滅ぼされるよりはまし、ということです。

日本に関して彼らが思うのは「それにしても、アジア人が白人をやっつけられるとは思わなかった」ということです。事実、戦前の日本にはインドのボーズ博士など「アジア自主独立」のための人材が豊富におり、いわばアジアの松下村塾のような具合があったのです。

そのような評価を振り返ってみれば「アジア独立の切っ掛けを作った日本軍」といういい方もできますし「日本軍統治は西洋と同様に過酷であった」ともいえます。

内田洋行のサイトを示されていますが、これ西洋の支配はどのように書いているんですかね?それを比較しないとフェアではない、と思いますがいかがでしょうか。

日本人だから、ということではなく、今後の世界を見て、当時の状況を俯瞰的に説明したいと思います。

当時の世界的状況
 第2次世界大戦の当時は、世界中のあらゆる国が西欧諸国の植民地になっていました。その中で独立を保っていたといえるは、アジアの国では日本とタイ、状況的には中国・朝鮮ぐらいなものでした。
 ただし、タイは世界的な発言力は弱く自国の独立を維持するのがやっと、中国は清が弱体化しすぎて国民党や共産党などが抗日運動を起こしているぐらいの状態で、国歌として安定していたのは...続きを読む

Q日本軍は残虐だったのですか?

私のイメージする日本人って、あまり残虐なことが
できないように思います。

中国・欧州の歴史を見ると残虐な刑がいっぱいです。

それに比べて、日本の歴史では、子どもだからと
頼朝を生かしておいたがために、滅びてしまった
平家の例を上げるまでもなく、どこか非情には
なりきれない民族に思えるのです。

ですが、アジアの一部の国では、日本人は残虐だと
宣伝しまくっています。もちろん戦争ですから相手を
殺してしまったのは確かでしょうが、他国兵士に比べ
特別残虐だとは思えません。

本当に日本軍は、残虐なことをしたのでしょうか?
その証拠もあるのでしょうか?

よろしくお教えください。

Aベストアンサー

>日本軍は残虐だったのですか?
>本当に日本軍は、残虐なことをしたのでしょうか?
>その証拠もあるのでしょうか?

↑から、質問の主旨は旧大日本帝国の軍隊についての質問と解釈しました。
また、「残虐」の定義については、以下のような当時の「国際法違反」の行為として考えました。
A:捕虜の虐待・拷問
B:民間人への人権侵害(暴行・連行・略奪等)


>もちろん戦争ですから相手を殺してしまったのは確かでしょうが、

↑ですが、兵士の戦闘による戦死は当たり前のことなので問題外です。
むしろ、殺される方に問題があります。(作戦が悪い、指揮官が無能、兵士が弱い等)

戦争=ルール無用の殺し合いと思い込んでいる 自称平和主義者には理解できないと思いますが、
優秀な兵士とは、効率的な戦闘ができることであって、それは殺人を楽しむ者には向きません。
そして、戦闘の目的である勝利は、その戦場からの障害(敵の戦闘力)の排除で、殺人は必須ではありません。

誤解している方が多いのですが、以上から軍隊では残虐な兵士は賞賛されるどころか迷惑です。
連合軍では違うようですが(動画参照)


回答:していないと思います。(基本的にNo4様に同意)

私が「していないと思う」と言っているのは、無実を証明することは不可能だからです。

無実の場合は、「していない」という証拠自体が存在しないので証明する事は不可能です。
(これを【悪魔の証明】といいます)
その為に、裁判では、原告が被告の犯罪の証拠を出す義務があります。
これを【告発側の立証責任】といいます。

被告は原告の証拠を否定できれば、それで無罪(証拠不十分による)です。
そもそも、↑の主張(無罪だという証拠がない=有罪)が認められるなら、裁判では常に原告が勝ちます。

しかし、この類の質問では、必ず、資料も出さずに根拠のない断定や、質問の主旨を歪曲した ごりっぱないけん を騙って、日本軍が残虐な殺人集団だったと主張する方たちが出てくるようです。

以上から、日本軍が残虐であったという方が、その証拠を出す義務があります。


↑に対して、証拠と称して関係者の証言を出す方がいますが、以下の理由で証拠にはなりません。

1:自称関係者(当事者・被害者・目撃者)が本当に関係者とは限らない。
2:本当に関係者だとしても、証言が全て事実とは限らない。

以上から、検証されない証言に証拠としての能力はありません。

更に、中国帰還者連絡会(中帰連)のように中国で捕虜になり、収容所で洗脳教育を受けた人達もいるので、証言を鵜呑みにするのは危険です。

【中国帰還者連絡会】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%B8%B0%E9%82%84%E8%80%85%E9%80%A3%E7%B5%A1%E4%BC%9A


証拠がないのは、処分されたからだという意見も必ず出ますが、それには↓の証明が必要です。

1:その証拠・資料を隠滅したという証拠。
2:1が事実だとしても、その処分された資料の中に該当するものがあった証拠
3:2が事実としても、それが証拠能力がある資料であった証拠
(資料=証拠能力があるもの ではありませんし、処分した者が証拠になると思っていた資料=本当に証拠能力がある でもありません。)

ここの過去の質問で、日本の戦争責任や戦争犯罪を追及する人たちが、↑を満たす証拠を出したことはありません。


いわゆる「731部隊」はこの類の質問ではお約束ですが、「悪魔の飽食」の著者の森村誠一氏は、後にフィクションだと証言しています。
また、731部隊については、近年アメリカが10万ページにもわたる資料を公開しましたが、その中に人体実験の記述はありませんでした。
それから、細菌や毒ガス兵器ですが、国際法では使用は違法ですが、所持や研究は認められています。
これは、相手が使ってきた場合の対抗・報復手段(抑止力)や、治療法の研究の為に必要だからです。

実は、日本軍が実戦でそれらを使用したという記録はありませんが、中国軍がそれらによるテロを行った記録はあります。

【「細菌・毒ガス戦/中国が最初の違反者だった」信夫淳平博士(昭和史研究會報)】
《支那派遣軍化学戦教育隊がまとめた「敵軍毒瓦斯(細菌を含む)使用調査」(内藤裕史編・解説「毒ガス戦教育関係資料」所収)によれば、昭和十二年から昭和十五年にかけて、中国軍による毒ガス戦の事例は十三件、細菌戦の事例は二十件であった。
 右の調査は、その年月日、場所、種類、方法、被害、概要を一覧表で記録している。
 例えば、昭和十二年九月七日、宝山城付近にて中国軍はコレラ菌を井戸に投入し、このためその井戸水を飲んだ日本軍及び中国人民数十名が罹患している。
 また、昭和十三年七月二十六日、九江においても同様の理由で日本軍百二十九名、中国人民五百名の罹患者を出している。
 また、重慶を脱出した国民党軍の元軍政部防毒処勤務将校の情報をまとめた「支那軍の化学組織系統の概要」(昭和十六年六月二十六 日付、前掲「毒ガス戦教育関係資料」所収)によれば、中国における毒ガスの研究及び製造は、「軍政部兵工署理化研究所」において行われていた。
 中国は1926年3月、ソ連から一万発の毒ガス弾を購入し、1937年9月、第二次上海事変で細菌、猛毒兵器を使っている。
 日本軍は中国軍から、大量のソ連製毒ガス兵器を押収している。》


いわゆる南京事件についても、全く証拠がありません。
国民党軍の残虐行為の証拠ならありますが。

【通州事件の真実 01 Sさんの体験談】(中国人による日本人の虐殺)
http://www.youtube.com/watch?v=U7vJtEzXo_g

【黄河決壊事件】(国民党軍が日本軍を止める為に黄河を氾濫させた事件。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%B2%B3%E6%B1%BA%E5%A3%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6
(↑による犠牲者は数十万人に達し、農作物に与えた被害も住民を苦しめた。)

このとき、中国国民党は「黄河決壊事件は日本軍が引き起こしたものである」という情報操作を行っています。
(現実には、日本軍は決壊箇所の修理や避難民の救助を行っていますが、それに対しても、国民党のゲリラが攻撃を仕掛けています。)


アメリカは、原爆を使用する際、人体への影響に対するデータを得るために、無警告で落すことを決定しています。
(開発に関わった科学者は、警告して避難させる事を提案しています)


ごりっぱな平和主義者の皆さんは、旧日本軍は、アジアを侵略した植民地にして、暴虐の限りをつくしたと言っていますが、日本兵と現地人との私生児は全く確認されていません。
(韓国はベトナム戦争で「ライダイハン」という私生児を産ませまくって、何の補償も謝罪もしていません。)

アジアの国々も、アレは侵略ではないという認識なので、戦争への賠償を放棄してくれています。
しかし、日本はそれらの国々にも、「準賠償」という名目で経済援助をしています。
戦後処理をここまでしっかり行った国はありません。

【日本が支払った戦争賠償金】
http://www.youtube.com/watch?v=euNuLLDSWTI


ソムアン・サラサス(タイ側交渉団)は終戦後の訪日時に、↓のように語っています。

「日本国民は餓死寸前でありました。日本中が焼野原でした。
そして、皇族も華族もいなくなり、有力な軍人と賢明な役人と高潔な政治家は牢に叩き込まれて誰もいません。
アメリカはそっくり返って威張っている。団員は口々に“こんな気の毒な日本を見ていられるか”と言いましたよ」
「(こんな値引きに応じて)“国へ帰ったら、殺されるかな”とフッと思った。
けれど、“まあいいや、友邦日本は悲惨な状態なんだから”と自分に言いきかせました。団員も同じ気持ちだったのです」

大東亜戦争中、日本はタイから20億バール(当時の10億ドル以上)の借金をしていました。
タイはそれを2500万ドルに値引きしてくれています。

フン・トモ氏(インドネシア 元情報宣伝相)
我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して何度も独立戦争を試みたが、全部失敗した。
インドネシアの場合は350年間も失敗が続いた。
それなのに、日本軍が英・米・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。

マレーシア ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員
「日本軍はマレー人を一人も殺していません。」と私は答えてやりました。日本軍が殺したのは、戦闘で闘った英軍や、 その英軍に協力した 中国系の抗日ゲリラ だけでした。

当時のアジアの華僑は、白人に協力して植民地支配の手伝いをしていたので、アジアの裏切り者と認識されていました。

https://www.youtube.com/watch?v=OOPDVrPNfOI

>日本軍は残虐だったのですか?
>本当に日本軍は、残虐なことをしたのでしょうか?
>その証拠もあるのでしょうか?

↑から、質問の主旨は旧大日本帝国の軍隊についての質問と解釈しました。
また、「残虐」の定義については、以下のような当時の「国際法違反」の行為として考えました。
A:捕虜の虐待・拷問
B:民間人への人権侵害(暴行・連行・略奪等)


>もちろん戦争ですから相手を殺してしまったのは確かでしょうが、

↑ですが、兵士の戦闘による戦死は当たり前のことなので問題外です。
むしろ、殺さ...続きを読む

Q旧日本軍は、フィリピンでも住民を大虐殺したのですか?教科書に載っていません。

高校生です。
よろしくお願いします。


先日、NHKのニュースを見ていたら「今から70年前の今日は、旧日本軍とアメリカ軍によってフィリピンで行われた市街戦が終結した日です」という内容を放送していました。

NHKのナレーションで「日本軍は現地住民を体育館に集め、手榴弾で虐殺しました」と言っていました。

また、日本軍の悪行を旧日本兵から直接聞き取り調査している団体の人物が出てきて、その人が旧日本兵のおじいさんを取材している様子がありました。

その団体の人物は、旧日本兵の人がフィリピンの人達へ謝罪する映像を記録し、その映像をフィリピンで現地の子供たちに見せていました。

少ししか映像が流れなかったので、詳しくわからないのですが、「日本軍がフィリピンの人達に本当に酷い事をした。本当に申し訳なかった。」という感じの内容でした。

それを見たフィリピンの子供たちに対して、取材陣が感想を聞いていましたが、「日本人はフィリピン人に対して、そんな酷い事をしたんですね。今まで知らなかったです。」のようなコメントでした。

わたしは、フィリピンで旧日本軍が住民を大虐殺した歴史を知りませんでした。
学校でも習っていませんでした。

ニュースの内容的には「日本軍がフィリピンを侵略して酷い事をしていた。しかし日本の戦局が悪化し、ついにアメリカ軍がフィリピンを助けに来た。その時に日本軍は住民を大虐殺した。日本人はフィリピン人にも謝罪していかなければならない。」というイメージの内容でした。
アメリカ軍に付いては一切触れていませんでした。

公共放送局であるNHKのニュースが報道しているのだから事実ですよね?

でも学校で「日本軍はフィリピンで現地住民を虐殺しました」なんて事は習いませんでした。
教科書にも載っていなかったと思います。

かなり前の事ですが、日本と台湾の間に起きた戦争「日台戦争」という話題をNHKでやっていました。
こんな戦争も学校で習ったことがないです。


なぜ、日本の歴史教科書には日本に不利になる内容が削除されているのでしょうか?

NHKの報道や番組で、旧日本軍がアジア各国で行った蛮行を初めて知るケースが多いです。

NHKが報道してくれなかったら、日本軍がアジア諸国に対し、どれだけ酷い事をしてきたのかを知る事が出来なかったです。

NHKのニュースや番組で日本軍の蛮行を知るたびに、日本人であることに誇りが持てなく無くなってきました・・・。

高校生です。
よろしくお願いします。


先日、NHKのニュースを見ていたら「今から70年前の今日は、旧日本軍とアメリカ軍によってフィリピンで行われた市街戦が終結した日です」という内容を放送していました。

NHKのナレーションで「日本軍は現地住民を体育館に集め、手榴弾で虐殺しました」と言っていました。

また、日本軍の悪行を旧日本兵から直接聞き取り調査している団体の人物が出てきて、その人が旧日本兵のおじいさんを取材している様子がありました。

その団体の人物は、旧日本兵の人が...続きを読む

Aベストアンサー

■乙未戦争(いつびせ戦争)※日台戦争
日清戦争の残敵掃討戦であるため、日本政府はこの戦闘を日清戦争の一部としています。
当然、わざわざ歴史教育で取り上げる内容でもありませんが補足します。
教えていないということですが、中学以上の歴史授業で教えていますし、許可書に記載されています。
なので認識不足でしょう。

■マニラの戦い 1945年
これは、日本軍が虐殺云々以前に、アメリカ軍指導で、マニラの70万人という市民がゲリラ化して、日本軍と戦闘した死者数が10万人という話です。
虐殺ではなく”戦死者週”です。

話を戻しますが、そもそも下関条約を守らない清の残存勢力が日本軍に襲撃したのが乙未戦争であり、台湾に独自の国があったわけではありません。
ただのテロ組織との戦いです。
いちいち歴史授業で教えることでもないと思います。

日本軍の手榴弾で~のくだりも、NHKのいつもの偏向報道です。
ま~事実ではありますが、全体像ではない一部分です。
そこだけ取り上げればそうともいえなくもないレベルですが、虐殺は大げさだと思われます。
もちろんNHKは中国でも放送されるので、無駄な配慮というやつですね。

あなたが日本軍悪い悪いいうのは自由ですが、それだと白人植民地のままの方が良かったとでも言いたいのでしょうか?









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■乙未戦争(いつびせ戦争)※日台戦争
日清戦争の残敵掃討戦であるため、日本政府はこの戦闘を日清戦争の一部としています。
当然、わざわざ歴史教育で取り上げる内容でもありませんが補足します。
教えていないということですが、中学以上の歴史授業で教えていますし、許可書に記載されています。
なので認識不足でしょう。

■マニラの戦い 1945年
これは、日本軍が虐殺云々以前に、アメリカ軍指導で、マニラの70万人という市民がゲリラ化して、日本軍と戦闘した死者数が10万人という話です。
虐殺ではな...続きを読む

Q「こいつこそ真の戦犯」と思う人は?

歴史のいろいろな書を読むにつれ、いかに東京裁判がデタラメで非正義の下に行われたかに憤りを感じ、犠牲になられた(死刑のみならず懲役等も)諸氏には哀悼・憐憫の念を禁じ得ません。

日本の起こした戦争の内幕に関しては、日本人が一番理解しているはずであり、国体を混乱させ疲弊させた国賊に対しては日本人が自浄するべきで、そもそもガイジンがガタガタ抜かす必要はないと思っています。

従いまして東条や広田等に関しては、私はさほど「悪人」という印象はありません。対して松岡洋右、牟田口廉也、武藤章のあたりこそ、国賊・極悪人だと思います。

みなさまは、誰が真の戦犯だと思いますか?

Aベストアンサー

大西瀧次郎は「発案者」じゃありませんよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E7%80%A7%E6%B2%BB%E9%83%8E

私も冨永恭次(ノンフィクション小説『陸軍特別攻撃隊』参照)や牟田口廉也(同『インパール』などを参照)といった、敵に対してではなく味方に対しての罪が大きい無能な指揮官こそ責任を追及されるべき「戦犯」だと思います。大西みたいに弁明せず腹を切る潔さもありませんでしたし。

Q日本は強かったの? 他国から歴史をみたら日本なんてなんてことない国だったの?

第一次、第二次世界大戦の時代
私は今まで、日本はアメリカに負けたけど、日本は戦争に強かった。と思っていました。零戦とか戦艦大和とか聞くし、神風特攻隊を出撃させたのは、作戦には疑問を持ちますが、とにかく日本は強かったんだと思っていました。でも、実際そうなんでしょうか?戦争に関して知識は豊富ではないですが、昔のVTRなどをみていると、簡単に言うと、ずるい方法をとったりしていたようにいわれてました。(約束破り?)
私は日本で日本の歴史を勉強するので日本は負けたけど、すごかった、強かった、というような感じを受けるものが多いですが、ほかの国から歴史を見たら、日本なんてなんてことなかった かのような存在だったのでしょうか?教えてください

Aベストアンサー

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸軍は弱かった、人命無視のムチャクチャな作戦をやって自滅して行った…という悪いイメージがありますが、仔細に見るとそうでもありません。

A) 支那事変は、蒋介石率いる国民政府が、上海周辺にドイツ軍事顧問団の指導で建設した第一次大戦型の塹壕陣地(第一次大戦の常識では『突破不可能』。ゼークトラインと呼ばれた)を建設した上で、上海に駐屯していた海軍の上海特別陸戦隊を襲撃し、救援にやってくる日本陸軍を、上海周辺の塹壕陣地に誘致して殲滅する、という計画で始まりました。

蓋を開けてみますと、上海特別陸戦隊は意外なほど頑強に戦って陸軍の援軍が来るまで持ちこたえ、杭州湾に上陸した日本陸軍3個師団は、国民政府が頼みにしていたゼークトラインを「浸透戦術」を巧妙に用いることで少ない損害で突破し、国民党軍を包囲殲滅しながら国民政府の首都である南京へ進撃しました。

これは蒋介石にとって全く予想外のことで、国民政府軍は総崩れとなりました。日本陸軍は、上記のランキングでは「ランキング対象外」の国民政府軍より「遥かに強かった」と言えます。

ウィキペディア 第二次上海事変
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89

B) ポツダム宣言受諾の「後」に、ソ連軍が北方から千島と南樺太に侵攻しました。
千島列島の北端である占守島、日本領であった南樺太には、比較的装備が良く、兵員も充実した守備隊が残っていました。
8月15日以降のソ連軍の攻撃に対し、占守島と南樺太の陸軍部隊は善戦し、
「占守島においては、上陸したソ連軍をもう少しで海岸に追い詰めて全滅させるところまで戦う」
「樺太においては、ソ連軍の南下を食い止め、南樺太の日本人が北海道へ逃げる時間をかなり稼ぐ」
という戦いぶりを見せています。

<海軍について>
日本海軍については、アメリカに次いで世界第二位の戦力を持っていたのは異論がない所で、戦前においては、東太平洋は「日本の海」でした。

「空母機動部隊」はアメリカと日本だけが編成して運用できたものですし、18インチ砲搭載の戦艦を建造できたのは日本だけです。第二次大戦終結までに完成させた大型空母の隻数で言えば、アメリカが圧倒的に多いわけですが、次に多いのは日本です。第三位のイギリスにかなり差をつけているはずです。

無限の物量と高度な技術を持つアメリカと戦っては、昭和19年のサイパン沖海戦で日本空母機動部隊が壊滅し、レイテ沖海戦で航空機の援護のない「レイテ湾への特攻」を命じられた水上部隊がろくな戦果を挙げられずに甚大な被害を受け、「沖縄への大和特攻」(坊の岬沖海戦)で終わったわけですが、アメリカ海軍相手にここまで戦える海軍は日本海軍だけだった、というのは紛れもない事実でしょう。

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸...続きを読む

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Qアメリカの民間人殺害はなぜ非難されないのですか?

アメリカは太平洋戦争で東京大空襲や広島長崎への原爆投下で民間人を無差別に
虐殺しつくしました。

アメリカは、よく他国が民間人を攻撃する事に対して非難をしますが
そのアメリカ自身は民間人を大量に殺害しています。

アメリカは、なぜ民間人を殺害しても非難されないのでしょうか?
また、日本はなぜその事を指摘しないのでしょうか?

戦争に勝てばなんでも「あり」ではないと思うとります。

Aベストアンサー

終戦当時:
アメリカが非難されないのは。。戦争の歴史は、勝者の歴史であるため。
日本軍が、中国で非道を行ったと言えば原爆投下も正当化できるという方向性のプロパガンダ。
中国・韓国の反日や南京事件の誇大プロパガンダも愚民政策。

太平洋戦争は、欧米からアジアの植民地化を防ぐための戦いであったのです。インドネシアでの残留日本軍とインドネシア兵のオランダ軍との独立戦争が当時の日本の方向性をよくあらわしています。

現在:
敗戦後は、日本には交戦権がありません。(憲法第9条)
日米安保で国を守るしかない状況。
特に中国共産党の軍事拡大問題が。

Q第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由は?

先日、池上彰さんのテレビ番組で「第2次世界大戦のソ連の戦死者は2000万人を超えている」「その恐怖からスターリンは、隣国を共産国にした」ということを知りました。

日本の太平洋戦争での戦死者は300万人くらいと聞いてますが、日本の戦死者と単純に比較できるのかどうかわからないのですが、日本の7倍の戦死者の数には、とても驚きました。

第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由をお教えいただけましたら助かります。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭であり戦略予備といえるシベリアの部隊はありましたが、ノモンハンのときに日本の帝国陸軍と正面衝突を初めてして大損害をうけた経験から、軽々しく欧州戦線に移動させるつもりに、ソ連軍指導部はなれなかったのです。
そのノモンハンのソ連軍総司令官が、スターリン直々に任じられたジューコフでした。

ジューコフは、

1 ソ連軍は弱い

2 だから勝つためには、敵より多くの兵器と兵士を前線に惜しみなく投入し、その重みで押しつぶすしかない

3 だから、兵士も戦車も大砲も、とにかく数をあつめる

ということを、理解していたので、必要なだけの兵力を敵がつぶれるまで投入しました。当然ながら自分より強い相手を数でつぶすのですから、犠牲はふえます。
さらに、この考えをスターリンも支持したので、党、治安組織、軍事思考、動員体制、といったソ連という国家の戦争体制そのものが、勝てるまで人命も装備も前線に突っ込むように構築され、上から下まで人命軽視というより、人命より目的達成、のドクトリンが徹底しました。目的達成が勝利なら、なおよし、です。

そのような体制のもとで運用されたソ連軍の基本的ドクトリンは、

最低でも幅50kmの線に分厚く、最低でも敵の3倍、普通なら5倍、理想は7倍の二陣の部隊を結集させ、

まず砲撃と航空攻撃だけで相手の6割に損害をあたえ、

そして第一陣が弱った敵に突っ込みその第一陣が自分の損害を省みず敵をなぐるだけなぐったら、

味方第一陣の残骸を乗り越えて無傷の第二陣が第一陣と戦ってボロボロになった敵を蹂躙する、というものでした。

装備は更新されたし、戦車・武器も疎開した工場と米英のレンドリースでそろえてはいるが、兵士の教育が低い軍隊にむずかしいことはあまりできません。字の読めない兵士が珍しくないどころか、ロシア語がわからない兵士も珍しくありません。
なので、時には下級将校は選挙で選び出され、そのような将校には反抗するものを軍法会議抜きで「処分」する権利はあたえられました。戦争をしている国家と党に異を唱える者はいらない世界です。
また、女性が前線で銃をとったり、戦車兵をやったり、戦闘機・爆撃機パイロットをしたりしたのも、ソ連軍だけでした。

この残酷な単純化となりふりかまわなさが、精鋭のドイツ軍相手に血を流しつつも、ソ連軍を勝たせたのです。

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭...続きを読む

Q夫がネオナチです。

40代の夫は、いわゆるネオナチです。

もちろん結婚するまで、このような強い思想を持っているとは知りませんでした。

ヒトラーを崇拝し、自らもそのような人物になりたい。
自分の子供に、「ハイルヒトラー」と叫ばせたいと。
私もいろいろ勉強しました。
現在でも、賛否両論、喧々囂々、さまざまな解釈がされていますね。

無知なときにはただ、独裁者であることと、大量虐殺を行った人物であることしか知らず、ただ恐れていましたが、少し勉強して、彼の生い立ちや、歴史的背景などがわかりました。

私の結論は言うまでもなく、ヒトラーはコンプレックスを大きく抱えた異常者であるということです。(差別感をあのように現実化する)

どんな言い訳も、通用しないと思います。

また、形式美をたたえる向きもありますが、愚の骨頂です。

もう何年も夫を説得してみましたが、変わりません。
この際個人の思想は尊重します。

子供に悪影響を及ぼすことだけが心配でなりません。
ヒトラー崇拝の方、なぜ?どんなきっかけでそのような思想に?

教えてください。

また、同じ境遇で、子育てされた方、経験談、アドバイスなどいただきたく思います。

40代の夫は、いわゆるネオナチです。

もちろん結婚するまで、このような強い思想を持っているとは知りませんでした。

ヒトラーを崇拝し、自らもそのような人物になりたい。
自分の子供に、「ハイルヒトラー」と叫ばせたいと。
私もいろいろ勉強しました。
現在でも、賛否両論、喧々囂々、さまざまな解釈がされていますね。

無知なときにはただ、独裁者であることと、大量虐殺を行った人物であることしか知らず、ただ恐れていましたが、少し勉強して、彼の生い立ちや、歴史的背景などがわかりました...続きを読む

Aベストアンサー

ネオナチといってもいろいろあります。
いわゆる「あのころは良かった」というナチス残党組と
失業者を中心とした外国人排斥思想組、若者を中心とした白人至上主義組等ですね。

日本の場合は移民自体が少ないために外国人排斥活動は見かけませんが
若者を中心とした弱者排斥思想は日本でも同じです。いじめや浮浪者刈りは
その典型ですよね。こうして現状に対する不満を外国人や弱者にぶつけるのが
最近のネオナチであり、その大義名分がナチスの政策なんです。
なので単にヒットラーが好きという理由のネオナチは少数派なんですね。
アメリカの有名なネオナチ指導者なんて父親が黒人に殺されたからという
理由でネオナチの活動家になっただけですしね。

御主人が立派なネオナチなら華僑が経営する中華レストランや在日朝鮮人が
経営する焼肉屋への破壊活動は当たり前に実践しているはずでしょう。
そういうことをしないで家でヒットラー最高といっているだけであれば
単なる「オタク」です。心配ありません、この手のオタクはたくさんいます。

軍服を見るとワクワクしてくるというかなんというか
細かい政策云々よりもその時代に対する憧れが中心ですからね。
私の中学時代の同級生にも強烈な国粋主義者がいました。彼の部屋は
日章旗はもちろんのこと満州国の地図、軍刀をたずさえた自分の写真も
貼ってありました。

軍事関係の雑誌を見ればナチス関連のグッズを扱う業者はたくさんいます。
それだけナチス好きな日本人がいるということでしょうが、日本では
あまり外国人排斥活動は見当たりませんね。(たまに在日朝鮮人に対する
いやがらせはありますけど、リンチがあるというわけではないし)
みんな、家やサークルの中で「ハイル・ヒットラー」といっているだけの
ナチスごっこにすぎません。たぶん、女性にはこの手のマニアぶりが
理解できないでしょうが、そんなに実害はないでしょう。

子供は親だけと過ごしているわけではありません。少なくとも両親が
違う思想であれば、成長するにしたがって「アホちゃう」と思いますよ。
ただ、御主人が実際に外国人排斥に対して行動をおこしていて
外国人へのリンチをしているようであれば、それは別の問題ですが。

ナチスについて勉強されているようですが、再度、優生学について
勉強してみてください。ナチスの場合は公衆衛生学と言う場合が多いのですが
この法律を題材に御主人に同意できるかどうか、できるのであれば
堂々と選挙に立候補するように勧めてみて下さい。選挙公約には
「ハンセン病訴訟の国家賠償の反対」として。ヒットラーは権力者では
ありますが、それ以前に政治家です。彼がまともと言える点は自分の主張を
選挙で訴えて権力を握ったことです。御主人がヒットラーのようになりたいのであれば
ちゃんと政治家として活動するべきだと思います。それができないようであれば
やはり、オタクとしか言えず、心配する程のことでもないと思いますよ。

繰り返しますが、問題はネオナチとはヒットラーに対する個人的な評価ではなく、
ナチスが提出した法律、政策の問題です。ヒットラーがどいう人物であったかを
議論するのではなく、政策面で話し合った方が有意義だと思いますよ。

ネオナチといってもいろいろあります。
いわゆる「あのころは良かった」というナチス残党組と
失業者を中心とした外国人排斥思想組、若者を中心とした白人至上主義組等ですね。

日本の場合は移民自体が少ないために外国人排斥活動は見かけませんが
若者を中心とした弱者排斥思想は日本でも同じです。いじめや浮浪者刈りは
その典型ですよね。こうして現状に対する不満を外国人や弱者にぶつけるのが
最近のネオナチであり、その大義名分がナチスの政策なんです。
なので単にヒットラーが好きという理由の...続きを読む

Q在日韓国人などの人はなぜ祖国へ帰らないのですか?

よく在日韓国人の人は日本人と交わりたがらないくせに権利ばかり主張しているように思います、そんな彼らをみて「そんなにいやだったらさっさと国へ帰れよ!!文句いいながら日本にいすわるな!!ただ日本の経済力目当てだけにいるだけではないのか??」と正直思ってしまいます、帰化などもするようなきもないようですし。 戦後すぐには朝鮮半島が荒れていてかえれなかったという話なら十分わかるんですが最近は韓国も成長してきていっぱい職などもみつかりそうな気がするんですが・・・・。

ちなみに私は韓国や中国に対する戦前の行いはいくら建前を日本がつくろうが侵略だったことにはかわりないと思っています、が、戦後50年日本は謝り続けたにもかかわらず今現在も謝罪謝罪謝罪、日本は鬼だといいつづける彼らが正直好きではないです(中国の勝手な軍事行動や韓国の竹島の占拠などの態度もかんがみて)

荒れそうな質問ですがなるべく荒れないような真摯なご解答があると嬉しいです。

Aベストアンサー

質問:在日韓国・朝鮮人はなぜ帰化したくないの?
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=996194

質問:在日朝鮮人を帰国させるように政府の方針を変えることは出来ないのでしょうか?
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=397244


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