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最近『論語』を日本語訳で読んでいるのですが、わからない(理解できないところが)ありましたので質問させてください…。

一言で言えば、『仁とかなにか?』ということ。そして「仁に対する皆さんの考え」なども教えていただければ幸いです・・・

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A 回答 (2件)

仁っていう言葉はこの論語のためだけに


作られた造語だという意見もあります。
そして、仁は論語の中の最重要な言葉の
ひとつだとも私は思います。
簡単に考えれば孔子が考えた、「人としての
心の持ち方の理想像」と
言えば良いのでしょう。でも
具体的にそれがどのようなものかと
問われれば亡羊として、掴み所がありません。
ですから、もっとわかりやすい言葉を
後世の人達は探し出したり、作り出したりしていて
この仁のかわりに使っています。
私は今まで、あまりうまくこの言葉を説明した文に
出くわしていません。単に勉強不足かもしれませんが。
でも、孔子の理想像と考えていたところに近い
と思われる「中庸」や「狂」という言葉
を巡る中から現れる何かだとは思うのですが。
今の世の中を生きる者にとって、幸いにと
いうか不幸にもというか孔子のあとに何百年と続いた
多くの人達のこの言葉を巡っての思索の後が
残されています。その中から大事で、大切な部分
を引き継いで思索を続けていく事の中に
「仁」は立ち現れるのではないでしょうか。
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「仁」ですぐ思い浮かんだ言葉が


「巧言令色鮮仁」でした。この
場合の「仁」は、一般的に「誠実」
「誠意」「相手を思いやる真実の心」
というふうに解釈されていますが、
「完成した徳」というような解釈
のしかたもあるようです。
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Q「今日も今日とて」の意味を教えて下さい

「今日も今日とて」の意味を教えて下さい。
前後の文章から、単純に「今日も」という事かなと思ったのですが、「今日とて」がひっかかります。
「今日」は「キョウ」でいいんですよね?

宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

同じ意味の重ね合わせで、強調してるのです。

「今日も」、今まで通りなんだ、
「今日とて」明日になれば変わるかも希望をもっていたとしても、「今日とて」変わらない。という事ですね。

音を踏んで、何も変わらない事を強調表現しているのです。

Q論語の「知好楽」

『論語』にある『知好楽』は

『子曰く、これを知る者は、これを好む者に如かず。
これを好む者は、これを楽しむ者に如かず』

「これを知っているだけの者は、これを愛好する者におよばない。
これを愛好する者は、これを真に楽しむ者にはおよばない」

・・・ということですが、2番目と3番目の違いがよく解りません。

愛好しているならば、楽しいはずだと思うからです。両者の違いの真意は何でしょうか?

Aベストアンサー

いろいろな解釈が可能でせうけれど、学術的には回答番号3の方の見解が有力説ではないかと思ひます。suzumenokoxさんの「身を浸す」といふ表現が巧みです。専門家のあひだでは、「一体となる」と表現されることが多いのですが、その一例を挙げます。

「ものごとを理解する人は、これを愛好する人にかなわない。愛好する人は、楽しんで一体となっている人にかなわない。」
(『論語』貝塚茂樹訳注 中公文庫 166ページ)

>両者の違いの真意は何でしょうか?

「真意」を知りたいのでしたら、こんなところで質問するより、孔子から直接話をきくべきです。一部分だけを読んだのでは、曲解します。全体の流れの中で理解すれば、「真意」に近づきます。少しあとのところで、孔子は「楽しむ」について、こんな解説をしてくれてゐます。

「子の曰わく、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿し。」
(『論語』金谷治訳注 岩波文庫 85ページ)

頭の良い人は、積極的、行動的に楽しみ、人徳のある人は、沈着におちついて楽しみます。孔子の考へでは、動的でも静的でも、いづれも「楽しむ」です。その違ひは、行動的な楽しみより、受動的な楽しみ方のほうが、人生において長続きがするといふことです。

では、「好む」と「楽しみ」の区別は何だと、孔子は述べてゐるのでせうか。今度は少し前を読んでみます。

「子の曰わく、人の生くるは直し。これを罔いて生くるは、幸にして免るるなり。」
(『論語』金谷治訳注 岩波文庫 84ページ)

素直な生き方をしなさい、といふすすめです。性善説とまではいひませんが、やや近い発想です。人それぞれ自分の持つものを発揮してゆけば、うまくゆく、と説いてゐます。自分の信条のみが正しいと固執せず、他者の多様な価値観を認めればそれは可能となります。

アレンジして、スポーツで考へてみます。特に意識しなくても、素直に行動すればうまくゆく状態が、第三、つまり最高の「楽しむ」です。訓練を積んで、無意識のうちに体が自然に動く状態ではないでせうか。それに対し、第二の「好む」は、少しうまくゆかない状態です。基本的なフォームがしつかりと身についてをらず、素直なやりかたが、成果としてあらはれません。中国文学哲学の専門家のことばでは、競技に「一体と」なつてゐて、自然に動ける状態が「楽しむ」なのだと思ひます。

俗な言ひ方をすれば、

好む : 下手の横好き
楽しむ : 好きこそものの上手なれ

ではないでせうか。最後は、私なりの拡張的な解釈です。いづれにせよ、名言や格言はそれだけを読んだのでは理解できません。なるべくなら『論語』全体を読んだうへで、結論をお出しになることを願ひます。

いろいろな解釈が可能でせうけれど、学術的には回答番号3の方の見解が有力説ではないかと思ひます。suzumenokoxさんの「身を浸す」といふ表現が巧みです。専門家のあひだでは、「一体となる」と表現されることが多いのですが、その一例を挙げます。

「ものごとを理解する人は、これを愛好する人にかなわない。愛好する人は、楽しんで一体となっている人にかなわない。」
(『論語』貝塚茂樹訳注 中公文庫 166ページ)

>両者の違いの真意は何でしょうか?

「真意」を知りたいのでしたら、こんなところで...続きを読む


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