A子・B子・C子という仲良し3人組がいます。B子C子はほぼ同時期に入社し、A子は2人の先輩でした。A子とK子という退職予定者によって約1ヶ月間、B子とC子に対して陰湿ないじめが行われました。しかし、K子が退職した後、A子の根は優しく純粋な性格を知り、3人は仲を深め、同僚という枠を超えて親友となり、やがてそれぞれが結婚や転職などで退職しましたが、3人の仲は年々深まっていきました。そして、5年ほど経ったある日、B子はC子に「A子はK子との連絡ノートに私たちの悪口を書いていた。内容はね・・・」と打ち明けました。B子は話してすっきりしたと言っていましたが、C子はそれからというもの段々と二人に会っているときに疲れを感じるようになりました。でも何故疲れるのか、深く追求はしませんでした。そして1年ほど経ち、3人で会っているときB子はC子に対して泣きながらこう言いました。「C子は何故私が子どもを授からなくて悩んでいるのを知っているのに何も聞いてくれないの?」と。C子は私自身です。B子が話したくなれば話すだろう、積極的には聞かないようにしよう。それが優しさと思っていました。私は10代の頃にいじめられ不登校になった経験があります。A子は過去に私をいじめましたがそれについて3人で腹を割って話合い、乗り越えてより深い友情を築いていけたと信じていました。しかし、B子の涙を見て私はこの友情に対して誠実でいられなくなったこと、そのためにB子の心にも深く寄り添えなかったことに気づきました。連絡ノートの内容なんてA子と長年築いてきた友情に比べたら大したことはないんです。そんな小さなことにこだわって、B子を傷つけたことが辛いのです。寂しい思いをさせてしまいました。小さなこだわりを捨て、人を愛することについて。。。どんな意見でも構いませんので聞かせて頂けないでしょうか。。。長文、読んで頂いてありがとうございます。

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A 回答 (6件)

お返事ありがとうございます。



Aさんにもそういう事情があったわけですね。少々困ったさんでも、出て行くときくらいは、仏心を起こして良さそうなものですが、Kもずいぶん悪魔的なことをしていったものですね。

質問者様は、まじめですので、悩まれるのだと思います。自分の暗部にも敏感かもしれませんが、他人のそういう部分にも敏感な面があるように見えます。

多くの人は、他人が悪口を言っていたと聞けば、やっぱり心は乱れますし、私もそうですが、そういう部分が多くの人にはあるのだと思えば、多少は許せるようになるのではないかと思います。
信用しているだけに、という気持ちは分かります。

親や兄弟ですら、不満を抱いてしまうのが人間ですし、親や兄弟の悪口だって言ったことのある人がほとんどだと思います。つい言ってしまうことは、そんなに特殊なことではなくて、普通にあることです。開き直るではないですが、そういう面が人にも他人もあるので、びっくりするようなことではないです。

基本的に人間はとても身勝手だと思います。人間不信をを勧めているわけではなくて、不完全な存在で、世の中の幸せを祈れるほど心が澄むこともあれば、その翌日にはこんな世の中滅びてしまえと、一人の人間が思うものです。ころころと善悪の間を揺れ動きますね。身勝手ですが、不完全という意味で、いつも悪の存在というわけではありません。

自分がすごく可愛いですし、自分より可愛い存在はそうそうありません。自分を犠牲にしても良いと思っている、子供すら自己愛を起点にしていると言う人もありますが、ちょっと厳しい見方ですが、それもそう言えるのかもしれません。

それはともかく、お互いに未熟で身勝手な人間で、自分もまさしくその通りですので、お友達のようないい人でも、つい失敗してしまうことはあるような気がします。質問者は、今その処理に困っておられる状態ですね。ちょっとしたことで心が揺れるのが人ですよね。電車の中で座っているだけでも、不潔な誰かやよほど変な服装の誰かに不満を抱くかもしれません。勝手なことを思うように出来ています。

登場人物は、全員そういう不完全な存在ですので、裏切りはありますが、でもそれもいつも裏切っているわけではなくて、やはり揺れ動いている存在だからですね。もちろん、許せないものもあることは分かっていますので、そういう極端なものは今は話していません。誰にでもあるちょっとした日常の小さな裏切りの話をしています。

まじめさや誠実さがある質問者ですので、そういう部分を厳しく責任を感じてしまったり、嫌悪を感じてしまったりするのだと思いますが、基本的に自分が可愛くて失敗するのが人間で、まったくお互い様のことですし、その中でもよく気がついてうまくやってくれているのが友人で、ダメ親父も親父なりに良いところもあるというか、お互いに持ちつ持たれつやっているということだと思います。

お互い不完全なんだということと、あとは時間が解決してくれると思います。
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この回答へのお礼

二度もアドバイスを頂きましてありがとうございます。自分に厳しく他人には優しい人間になりたいです。読んでいて、忘れずに覚えておきたいところを手帖に書き写しました。忘れてウジウジしてしまったときは、今回、皆様から頂いたメッセージを読み返したいと思います。
昨日、二人に会って素直に話をして、仲直りができました。
けんかしても言いたいことは言い合っていこうと言って、最後はみんなで笑顔になって泣き笑いでした。
これからも友達を大切にしていきたいと思います。
本当にありがとうございました!!

お礼日時:2006/07/05 13:57

>>そんな小さなことにこだわって、B子を傷つけたことが辛いのです。


>>寂しい思いをさせてしまいました。
>>小さなこだわりを捨て、人を愛することについて。。。

人間、ここが判って、出来れば、全てが善い方向に向かうはずですよね。
これは、人類共通の悩みの種だと想います。


私もまだまだ口だけ人間なんですが、理屈としては、私たちは、自分で自分を愛せていない、満足していない、気が弱いから、小さなことに傷ついたり、ムッとしたり、カッとしたりするんです。

「傷つく」「ムッとする」「カッとする」・・というのは、簡単に言えば「動揺」です。
「動揺」とは、つまり【不安定】な状態ですよね。

”自分以外の何か”によって動揺し、不安定になるんです。
風が吹けば → 舞い散る枯葉・・・と同じなんです。
仏教では煩悩とかいいます。


じゃあ、逆に「自分を愛せている」「満足している」「気が強い」状態とは【安定】です。
【安定】している人は、動揺しないんです。
安らいでいる状態なんです、これを涅槃とかいいます。

安定して、確固たる自分というものを持っている人(状態)を「自由」と言うんです。
自由というのも、仏教語で、自ずからに由って生きるという意味です。

【不安定】= 不自由 ・・奴隷的人生
【安 定】= 自 由 ・・支配的人生    ・・・です。


で、安定のための方法論は、仏教の場合、坐禅瞑想なんです。
日本には坐禅として伝わっていますが、ヴィパッサナー瞑想というのが本家のようです。

ジッとして動かないんです。
そして、自分の呼吸に集中するんです。
そして、自分の身体、さらには心の状態に「気づいていく」ということをします。


この「気づく」ということが、仏教の中核の教えです。
これは、説明すると長いんですが「気を抜かないこと!!」が仏教です。
こちらの#2を読んでみてください。
http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=2229833


気を抜くと何かに心を奪わて、不安定になってしまい、何かの奴隷になってしまうんです。
たとえば、武道で言うと、一瞬でも相手の攻撃に翻弄されると、そこにスキが出来て、すぐにやられてしまうそうです。
だから、どんなにイレギュラーな攻撃に対しても、平然としていないと駄目だそうです。
だから本来の武道というのは、現在のように勝ち負けを競うゲームでは無くて、平然とした安定した強い心を鍛え、養うためのものだったそうです。人間育成のためのものだったのだそうです。
ですから、もし、興味があって、やるんなら、合気道なんてお勧めです。
合気道には試合が無いそうです。



・・・と、なぜか合気道の話になってしまいましたが、気を抜かないことで、人生は確実に好転します。
自分自身の心が原因になって結果として現われているのですから、その原因に気づいて正していくことで好転するんです。

逆にいうと、気を抜いている、現を抜かしている、「今、此処」を生きていないと、不幸になってしまうんです。自己喪失状態です。こういう気づいていない状態のことを「無明」とかいいます。

この無明を晴らして、気づくことで心は安定し、安らいでくるというのが仏教です。
そのために「気づきの瞑想法」と呼ばれるヴィパッサナー瞑想をするんです。

そうすると小さなコダワリからも卒業できるようになってきます。
なぜならば、心が安定してくれば、心が成長してくるからです。
執着から離れることが出来るようになってくるんです。
これが「無執着」「無心」とかいうやつです。
そして「慈悲喜捨」という人を愛する心へと成長していくんです。



で、人生とは「プロセス(過程)」なので、初めから、完全な人間など居ないんです。
みんな完全な安定を目指している発展途上の生き物なので、様々な動揺を受けるんです。
だから、不安定(動揺)は、我々の人生にとって、必要不可欠なものなんです。

動揺にはネガティブなものだけではなく、その正反対にポジティブな影響を与えるものもあるんです。
ですから「人間、万事塞翁が馬」という言葉もあるんです。
人の吉凶はわからないんです。
虐められたからこそ、内省的になって、善いことの出来る人間になることだってあるんです。
だとしたら、虐めがその人にとっての栄養源だった・・・ということになるんです。

栄養源ということは、つまり「ご飯」です。
虐めというご飯を食べて、善い人間に育つことだってあるんです。

「警察」だって、そうでしょ?
「警察」は「犯罪」を食べて育つんです。
だって「犯罪」がなければ、「警察」も無いんです。

他にも、「光」というのは「影」から生まれるんです。
だって、この世が真っ白な光だけの世界だったら、そこにいくら光を放ったって、光として認識できないんです。
この世は「二律背反」で成立しているから、「生まれる」ということが起きるんです。
仏教でいう「縁起」にも該当すると想います。

だから何も、虐められた過去が100%悪かったとは、絶対に言い切れないんです。
それは、この質問のタイトルが示すとおりなんです。
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この回答へのお礼

今まで「気を抜かない」ということは緊張して疲れてしまうことだと思っていましたが、ojizou-samさんのアドバイスを読んでみて、気を抜かないということを体得できたら軽やかで自由になれそうだと感じました。過去にとらわれたり、不信感にとらわれたりしていると、友達を信じられない、自分を信じられない。。。悪循環だなと実感しています。光は影から生まれるというのも、そんな考え方をしたことがありませんでした。これからも考えていきたいと思います。過去に縛られずに心の栄養にして自分に厳しく人に優しくを実行できる人になりたいと思います。本当に、ありがとうございました!

お礼日時:2006/07/05 14:09

随分乱暴な意見に聞えるかもしれませんが、


世に善も悪もない。です。

誰がどの人に幸せをもたらされるのかは
神様でないかぎり有限なのです。
しかし間接的にや長いサイクルでは
沢山の人を幸せにし続けていてることにも
気付いてください。

moe0204さんも
K子さんもB子さんも悪意なく知らずに
誰かに辛く対応したかもしれない。

けれど、他の誰かにとっては(その人の両親や子供)、
それぞれが、それぞれに
掛けがえのない存在であるのです。

どんな人でも誰かを支えて幸せにしていて
悪の塊という人も偽善の塊という人も
居ないように思う。

その人の分まで他人がやすやすと
支援者として代われることではないので
自分が捧げられない幸せがあって
それでみんなで助け合っていて
自分も平等ではなくても少しづつでも
moe0204さんが相談してくれて
回答しながら私も暇を満喫して
自己満足しておれるわけです(笑)

こうやってmoe0204さんが色んな人に
励ましや労わりの言葉
優しく想われたのも、共感して貰えたのも
そもそも悩ませてくれた人があったからで
憎まれ役にも感謝なのだ。
許すというより
別れられたことにも感謝なのだ。

みんな幸せにずっと変わらず仲良く
というのが一番なようで
それでは自分がもっと幸せを願うキッカケも
できなかった。

沢山理解したし、普通の幸せってどんなに
いいものか考えることも出来なかったでしょう。
恨みから自分を逃すだけで自分が面白くなれます。

人間関係も
単にタイミングとか機会の問題であって
語調や言い方の問題であって
それは自分が不幸になるべき問題と切り離して
自分が幸せになって本当に困る人も実はいないということ。
幸せになることが
他人にも優しくしたくなるものだということ。
仲直りできるなら以前よりももっと深く分かり合えるもの。
だから気の置けない友達っていいますし。

動揺すると返って向こうも
「何であんなこと言ってしまったの」
となるかもしれない。

ここは開き直って?
「気付かなくてこめんね、
私に何を言っても大丈夫だから
あなたを好きな気持ちは変わらないよ、
もっと知り合おうよねっ」と伝えてよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。世の中に善も悪もないって言葉がとても心に響きました。少し話はそれますが、私は、学生時代にキリスト教に出会い、聖書を学び、罪についての意識がものすごく強いんです。なんでも善と悪で考えることが多いのですが、最近、少し違和感を覚えるようになって、「無」について考えるようになりました。miko-desiさんのおっしゃること、きちんと理解できてはいないのですが、こういう考え方っていいなあ、、、と思いました。

お礼日時:2006/07/01 20:42

はじめまして。


B子さんへの対応は、間違ってないと思いますし、質問者様はとても優しい人ですね。

B子さんは、「すっきりした」と言われたそうですが、A子さんのことをあなたに話した後で、やっぱり余計なことを言ったのではないかと気になっていたのではないかなと思います。その場では、スッキリしても、あとから気になることがありますが、過去のことを言って余計なことを言ったかなぁと思うこともあったと思います。

それで、あなたの様子を過敏に見てしまって、あなたの気遣いが、彼女には距離に見えてしまったのかもしれません。それに、聞いてもらいたい時もあるかもしれませんが、気遣いがかえって重荷になってしまって、つい感情が高ぶったときに、そんなことを言ってしまったのかな?とも思います。彼女だって、あなたの気遣いであることは、分かってると思いますよ。ただ、感情が昂ぶって、前にA子のことを話していることもあるし、その高ぶったものをそのまま、ぶちまけてしまったんでしょう。

お気楽ですみませんが、あまり重く考えるようなことではないと思いますし、気にしなくていいと思いますよ。

しかし、Kという人は、ほんとにたちが悪いですね。出て行った後で、A子とB子C子が仲良くするのを阻止していったわけですね。自分はもうすぐ出て行くが、その後で新入りのB・CとAが仲良くするのが気にくわないので、A子を巻き込んだわけですよね。「離間の策」を講じたわけですね。喧嘩の種をわざと撒いたわけですよ。こういう人の間を裂く人います。「離間語」と言って、わざと喧嘩するようにいろいろ吹き込む人のことを言いますが、そういうことをする人って、たまにいるんですよね。私もそういう人、知ってます。口はうまくて一見するといい人であったりするんですよね。コワイコワイ。。

そう考えれば、A子さんも被害者の面もあったわけですね。もちろん、A子さんも当時のいじめに関しては悪かったし、A子さんには、Kの魂胆を見抜く知恵がなかったのでしょうけど。Aも踊らされていたこと、ノートのこなどはじめ、一ヶ月の別のいじめのことは、Kの仕掛けたたちの悪い、でも過去の亡霊だと思います。今いる人は、いがみ合うことは何もないことだと思いますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。確かに、私のよそよそしい態度が彼女を寂しくさせてしまったのだと思います。帰りがけには二人とも「これからは気を使わず言いたい事は言い合って、傷つけたら、ゴメン!でいこうよ」と言っていました。そんな風に私は思えないといじけていましたが、こうやってネチネチしていたって、仕方ないですよね!
A子もずっとKにおびえていたんです。。いじめられ役に回りたくないって。。。過去の亡霊にとらわれることないですよね!!

お礼日時:2006/07/01 20:34

わたしにもいじめの経験があります。

殆どの人にはあるでしょうが
いやですよね、あれって。それはともかく本題にいきます。

いじめがあった、と言う過去を考えると、何かのきっかけでそれが
影響するのはある意味予測できたようなことだと思います。
その為に心を痛めていたからといって、誰がC子さんを責められるので
しょうか。
責める要因があるとすれば、同時の彼女たちでしょう。
それはA子さんもわかっていると思いますよ。それだけの事をしているの
ですから。
ノートの話は、もう仲良くなった時の話じゃないですよね?

間に生じていた確執めいた気持ちのすれ違いも、B子さんとの子供に
関する事も、誰も悪くない事だと思います。
C子さんの気遣いは友達として当然の気遣いだと思いますし、相当
デリケートな問題です。
B子さんも苦しんでいたと思いますが、彼女も自分では話していなかった
訳だし、その事自体も彼女も理解しているのではないでしょうか。

今、そのことがわかったのですから、これを機会に乗り越え、新たな
友情を見直せるいいきっかけだと思います。

なかなか大人になって、喧嘩をしてまで続けられる友情はないですよ?
いいお友達をお持ちじゃないですか。

『男の強さはダメだ、ただ力が強いってだけで。女は違う。優しくて、
それでいて強いんだ』
こんな言葉を以前本で読みました。本当の強さは優しさです。
そして、あなたはそれを持っている。
これからも友情を、そしてあなた自身を大事になさってくださいね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。そうなんです。。。ノートの件は仲良くなる以前の話。。。ただ書かれていた言葉を聞いてしまったら、どんどん自分の心の中で不信感が育ってしまって。。。学生時代のいじめと重ね合わせて恨みを再燃させているような。。。こんなに自分がネチネチした奴だったとは(苦笑)でも、乗り越えて、強さという優しさを手に入れたいです。

お礼日時:2006/07/01 20:24

B子さんはC子さん=あなたに甘えてるんでしょうね。



私も「子供がなかなか授からなくて悩んでいる」一人です。
でも、もし私の友人が同じ悩みを抱えていても
それを知っていたとしても、その友人自身が自分から相談してこない限り
何も言わないと思います。
あなたと同じく
<B子が話したくなれば話すだろう、積極的には聞かないようにしよう。それが優しさ>
だと思うからです。
同じ悩みを抱えているからこそ、こちらからは何もいえません。

あなたの行動は間違っていないと、私は思いますよ。

ただ、それがB子さんが望んでいた形と違っていただけで。

B子さんにあなたの考えは伝えましたか?
腹を割って話せる仲なのであれば、話してみてはいかがですか?

子供の問題ってすごくデリケートです。
ちょっと被害妄想入っちゃったりもします(^^;
相談したってどうにかなる問題ではないし
相手が子持ちだったり、独身だったり、自分と立場が違えば
何かアドバイスをくれたとしても
「どーせ当事者じゃないから適当に言ってるんだわ」なんて
ひねくれて受け取っちゃったりもします。
(相談された相手にとっては迷惑な話ですが・・・)
それだけ、出口の見えないトンネルを歩いているように
辛く苦しい、頑張っても報われないかもしれないことだから。

ちょっと質問の趣旨とは答えが違うかもしれませんが・・・

小さなこだわりって、誰にだってあると思いますよ。
私にも親友がいますが、微妙なズレを感じて距離を置きたくなることもあったりします。
誰にでもあることじゃないですか?
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
miya0316さんも悩んでいらっしゃるのですね。。。本当にデリケートな問題ですよね。。字数制限のために書けませんでしたが、私も子どもをなかなか授かれなくて悩んでいます。情報はたくさんあるけどどれも結果論で...おっしゃる通りで出口が見えません。。
B子には自分の気持ちはまだうまく伝えられてないんです。
呆然としてしまって、、もう少し考えて、迷いや恨みをそぎ落としてから、きちんと伝えようと思います。

お礼日時:2006/07/01 20:19

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