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なぜ第二次世界大戦時、
ドイツとソ連は敵対してたのに
独ソ不可侵条約を結んだのですか?
意図を教えてください!

その後、スターリングラードの戦い
が行われましたが条約結んでたじゃん!
とつっこんでしまいました。

「条約」と言うのは
建前だからですか??

初心的な質問ですいません><
回答お願いします!!

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A 回答 (4件)

元々ファシズムというのの一番の敵は共産主義です。

無学な私から見ると共産主義も社会国家主義も似たようなものに見えるのですが、それはまたの機会に。

そんな不倶戴天の敵同士が不可侵条約を結んだのは、腹黒い「大人の事情」によるものです。
ヒトラーにとって「今そこにある危機」は対英・対仏問題です。当時ドイツを上回る大陸軍を持っていたフランス、世界一の海軍国家イギリスとの問題を解決しなければなりませんでした。そこで「当面の間」ソ連と不可侵条約を結びました。しかしヒトラーは最初から条約を破る気満々でした。というのも、イギリスの首相チャーチルは大変な共産主義嫌いだったのでもしドイツがソ連と戦争をしたらイギリスはドイツと和平が結べると期待していたようです。
一方、スターリン(ソ連)がどう思っていたのか、彼についての正当な資料はほとんど残されていないので真相は歴史の闇ですが、近年の研究でスターリンもドイツに対する先制攻撃を考えていたのではないか、という説が出ています。実は第二次大戦前のスターリンの政治的な国内基盤は決して安定していませんでした。スターリンはソ連を軍事大国にするために重工業に力を入れていましたし、軍隊も強化していましたがまだ時間を必要としていました。
そこでスターリンも相手が信用できない(元々スターリンは誰も信用しませんでしたが)のは重々承知の上で不可侵条約を結んだ可能性もあります。一説には、1942年をメドにスターリンはドイツへの侵攻をたくらんでいたともいわれます。
その証拠として指摘されるのが独ソ開戦時点でのソ連軍の配置です。当時ソ連軍は異様なまでに国境線沿いに大軍を展開しています。もし防衛を考えるならもっと後方に予備を準備するのが「同点でノーアウトランナー一塁ならバント」ぐらいのセオリーです。そのセオリーに反していたのは攻め込むつもりでいたから、というものです。

ちなみに当時の日本は「ヒトラーは反共産主義」と信じていたのでイタリアと共に「防共(反ソ)協定」を結んでいたのですがよりにもよってその相手とヒトラーが不可侵条約を結んでしまったので(ドイツとの戦争がなくなれば極東ソ連軍が満州国に侵攻する可能性が俄然現実的な問題になります。ノモンハン事変などで、近代化されたソ連軍に日本軍は太刀打ちできませんでした)大問題になり、首相は「欧州の政治情勢は複雑怪奇」とのコメントを残して退陣に追い込まれてしまいました。
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第二次世界大戦の時というより、そもそもファシズムと共産主義は、極右と極左ということで、水と油、犬猿の仲です。


それなのに、独ソ不可侵条約が締結されたのですから、世界は本当に驚いたのです。ヒトラーに翻弄された同盟国日本の内閣は、総辞職の事態にまで追い込まれているほどです。

さて、その意図ですが…。
(1)電撃戦をせざるを得なかったドイツにとって二面作戦は不利だった。そこでドイツとしては、独ソ戦突入の前に西欧の主要部分を占領したかった。
(2)ソ連としては、それ以前のミュンヘン会談に出席要請がなかったことから、イギリス・フランスに対して不信感を持っていた。それならドイツと手を組んで、ともにポーランドや北欧を占領した方が得策と考えた。
意図については以上です。

「その後、スターリングラードの戦いが行われましたが条約結んでたじゃん!」ですが、外交は当事者間の利害で変化するのが当然です。
その時点では、お互いに不可侵条約を結ぶのが自国の利益と考えて締結したわけですから、利益に反すると思えば破る(破棄する)のも当然です。
お互いに相手を利用するのも外交手腕の一つです。
建前なんかではありません。

だいたいヒトラーは、「我が闘争」の中でも東欧への領土拡大を主張しているのですから、ドイツのソ連侵攻に無防備だったスターリンは、ただの阿呆ということになるわけです。
ドイツのソ連侵攻という情報は、イギリスによる策謀だなんて言って信じていなかったのですからね。
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「敵の敵は味方」だからです。


ヒトラーの政策の中心は、共産主義打倒とユダヤ人絶滅で、当然ソ連とは仇同士でした。両国はスペイン内戦へ、義勇兵の名目で軍を派遣し、代理戦争を行なっていたほどです。
ところが、両国には共通の敵がいました。英仏です。
ロシア革命以来、共産主義を脅威とみなす英仏は、干渉戦争の後もソ連をなかなか国際連盟に参加させなかったりと、圧力をかけ続けます。
一方、生活圏拡大と称して領土要求を繰り返すドイツに対しても、英仏は宥和的ながら、封じ込めを図ります。
独ソが英仏を共通の敵として協力し、勢力圏を拡大しようとしたのが不可侵条約です。イデオロギーの対立を棚上げすれば、反ユダヤの全体主義独裁国家同士、けっこう体質は似ていました。
ソ連はポーランドをドイツと分割し、バルト三国を占領、フィンランドへ攻め込むなど、一気に勢力を拡大すると共に、石油などの資源をドイツへ送り、英仏との戦争をサポートしました。
フランスがドイツに降伏し、イギリスも屈服寸前になると、ヒトラーは本来の敵との戦争を決意し、不可侵条約を破棄しました。独ソ戦の開始です。
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ヒトラーはポーランドと戦うために後顧の憂いを絶つため、


スターリンは軍備再建のための時間稼ぎのためという双方の思惑の一致の結果、
締結されたものと考えられています。
 この条約では、相互不可侵、第三国との交戦の場合における他の同盟国の中立維持を定めていましたが、
ポーランド、バルト三国の分割を定めた付属秘密議定書が付属していました。
これによってポーランド分割が合意され、両軍がポーランドに侵攻して分割占領し、
ソ連は同年11月30日フィンランドに侵攻しています。

 なお、その2年後にドイツはソ連に侵攻しますが、
これはヒトラーが西方電撃戦の成功でソ連との戦争は勝てると思っていたこと、
またソ連に勝つことこそイギリスとの和平を促進すると期待していたためと言われています。
 一方のスターリンは、この条約を結べば、当分の間はドイツは攻めてこないと考えていたようで、
情報部からドイツ軍が国境に集結しているとの情報が入っても、
スターリンは、独ソ不可侵条約を骨抜きにしようとするイギリスの謀略と考え、本気にしなかったため、
特別の備えをせず、一方的なドイツ軍の奇襲を受けたようです。
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Qベルサイユ条約について教えてください

こんにちは
第一次大戦の時のベルサイユ条約について
教えてください
賠償金額が天文学的やとかいろいろあるのですが・・・
わかる部分でええです
よろしくお願いします

Aベストアンサー

賠償金額は1320億金貨マルクですネ。この金額は当時の国家予算の30年分に相当する額ですから、払えるはずはないものでした。
2001年の日本の国家予算は82兆6500億円余りですから、丁度、今の日本が2500兆円の賠償金を請求されたのと同じ位ということになりますネ。
そのために分刻みのインフレとなったのですネ。食堂に入ったときと出るときで値段が数倍になっていたり、パンを買うためにリヤカー一杯の札束が必要になり、札は重さで量るような扱いとなったりしたのですネ。
ドイツの所持していた海上領土(植民地)はすべて没収されてしまいました。また、アルザス・ロレーヌ地域はフランス領とされてしまいますネ。この地域はかつて800年以上もドイツ領だったのですが、普仏戦争の結果第一次大戦の40年前にフランスに占領されていたのを再度ドイツが取り戻した地域だったのですが、ベルサイユ条約でまたフランスのものにされてしまったのですネ。ほかにもポーランドに組み込まれた領土などもありました。
軍事力は剥奪されましたネ。でも、ここで面白いのは空軍力の所持は禁止したもののロケット兵器についての決議事項がなかったためにドイツはこの分野の研究を進め、第二次大戦のV1号、V2号ロケットやジェット戦闘機という世界最新の兵器に結びついたのですネ。
とにかく、ベルサイユ条約のためにドイツは混乱と貧困に喘ぎ、ナチスの台頭の下地を作ることになったのですネ。
戦勝国が敗戦国に対して過剰な罰則を与えることが、その国の活力を奪うことだけではなく、新たな紛争の原因となることを如実に示した非常に不適切な条約であったといえるのではないかと考えています。
知るところについて簡単に書いてみました。
以上kawakawaでした

賠償金額は1320億金貨マルクですネ。この金額は当時の国家予算の30年分に相当する額ですから、払えるはずはないものでした。
2001年の日本の国家予算は82兆6500億円余りですから、丁度、今の日本が2500兆円の賠償金を請求されたのと同じ位ということになりますネ。
そのために分刻みのインフレとなったのですネ。食堂に入ったときと出るときで値段が数倍になっていたり、パンを買うためにリヤカー一杯の札束が必要になり、札は重さで量るような扱いとなったりしたのですネ。
ドイツの所持...続きを読む

Qスターリングラードの戦いについて

第二次世界大戦の独ソ戦で、スターリングラードの戦いは
非常に大規模な市街戦だと聞いています。

が、高校のときの先生から、この大規模な市街戦の中、
住民の一万人ほどは市街戦の最中であるにも関わらず、
スターリングラードで生活をしていたらしいと聞きました。

ウィキペディアで見ても非常に激しい戦いであったようです。
そんな中、住民が生活することなどできたのでしょうか?

Aベストアンサー

当時、スターリングラードには60万人の市民がいたと言われています。
スターリングラードから避難するにはヴォルガ河を渡らねばならなかった訳ですが、船は全て軍が徴発して使っており自由にはなりませんでした。
また、スターリンは、市民がいれば、スターリングラードで義勇兵として軍に参加した兵士は家族を守る為によく戦うだろうと考え、なかなか避難の許可を出さなかったとも言われます。
この結果、ドイツ軍が攻撃を開始した最初の一週間で砲撃・爆撃により4万人の市民が亡くなったと言われます。
後には、避難の許可がおりますが、対岸に渡れたのは30万人だったと言われています。全員を避難させる事はできませんでした。多くの船がドイツ軍の攻撃により沈められ、前線で戦っている部隊ですら補給は不足し、負傷者を撤退させられないほどの戦況になったからです。

こうして多くの市民が残された訳ですが、ドイツ側では、ヒトラーが占領地域の市民を街から退去させるよう命令を出しています。
これにより多くの市民がドイツの後方占領地区に移動させられたと言われます。一説によると6万人の市民がドイツ本国で強制労働させられるために運ばれたとも言われています。

避難もできず、ドイツ側にまだ捕われていない市民が市内に残っていた訳ですが、その殆どは子供と女性と老人でした。男は兵士として戦っていたからです。その残された市民の生活は悲惨を極めました。
廃墟の地下室や下水道、切り立った川岸に掘った横穴に隠れました。
夜になると郊外で木の根っこや野生の果実を探したり、ソ連・ドイツ、両方の前線に行って一切れのパンを分けてもらったりしたそうです。
女性は生きる為に、子供達の為に、そのやせ衰えた体をドイツ軍の兵士にすら提供し、食料を貰ったそうです。
ドイツ軍の食料を盗もうとして射殺された子供もたくさんいたそうです。戦火で焼けた穀物倉庫があった場所で、焼けた小麦を拾っていた子供もいたそうです。

また、子供達は食料を得る為にドイツ軍に利用されています。
ドイツ兵は子供達に水筒を渡し、ヴォルガ河の水を汲んでこさせ、それと引き換えに、パンを一かけら渡しました。ソ連の狙撃兵が狙っていて危なかったからです。ソ連兵は子供達がドイツ兵士の為に水を汲んでいる事を知り、その子供達を射殺しています。
また、ドイツ軍は市民に食料と引き換えに、戦場で死んでいるドイツ兵を自軍の陣地まで運ぶ事もさせました。この事についてもソ連軍は、死体を運んでいる市民に容赦なく発砲し射殺しています。

スターリングラードが解放された時、9796人の民間人が生き残っていた事が確認されました。その殆どの人は、汚染された水と粗末な食物しか取れなかった結果、やせ衰え、病気になっている者も多かったそうです。
生き残った子供にしても、精神的に参ってしまい、怖がって大人と話をする事ができず、相手の顔をまともに見る事もできない子が沢山いたそうです。

スターリングラードでは大勢の市民が死にました。生き残った9796人の人達は、悲惨を極める中で、やっとの思いで、どうにか生き延びたという事でしょう。

当時、スターリングラードには60万人の市民がいたと言われています。
スターリングラードから避難するにはヴォルガ河を渡らねばならなかった訳ですが、船は全て軍が徴発して使っており自由にはなりませんでした。
また、スターリンは、市民がいれば、スターリングラードで義勇兵として軍に参加した兵士は家族を守る為によく戦うだろうと考え、なかなか避難の許可を出さなかったとも言われます。
この結果、ドイツ軍が攻撃を開始した最初の一週間で砲撃・爆撃により4万人の市民が亡くなったと言われます。
後に...続きを読む

Q★「封建制度」を簡単に説明してください!

★「封建制度」を簡単に説明してください!

世界史の時間によく「封建制度」なる言葉が出てきます。

いろいろと調べてみたのですが、いまいちよくわかりません。

理解力を深めたいので、封建制度を簡単に説明できる方よろしくお願いします!

Aベストアンサー

封建制度とは「封」(封土=土地)を与えて家来を「建てる」と言って、つまりは
「土地をなかだちとしてむすばれた主従関係(しゅじゅうかんけい)にもとづく社会のしくみ。」
のことを言います。
御恩と奉公ですね。
もちろん日本・中国(周)・中世欧で指す封建制度とはそれぞれ少し意味が異なったりしますが、基本的には上記の意味です。

ちなみに対義する言葉は絶対王政や絶対君主制です。

Q日本はなぜ三国同盟を結んだのか?

日本政府は、広田内閣(1936.3~37.2)で日独防共協定、近衛内閣(1937.6~39.1)でイタリアを含めた三国防共同盟をむすびます。
陸軍、はソ連だけが対象となっているわけではなくて、米英仏も対象となりうると見ています。が、政府内でも三国同盟へ反対意見が多く、海軍もほとんど反対だったようです。

この時代、アメリカの日本への敵対行為は限度を越えるものではなく、仮想敵国となるようなものではないと思っているのですが、ではなぜ近衛などは三国同盟を結ぶようになったのでしょう。陸軍が割と賛成派だったらしいのですがなぜなんでしょう。


http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6515/Syouwa-kyukenpou/36-Hiranuma.htm

Aベストアンサー

 三国同盟の条約中に、「三国はあらゆる政治的、経済的及び軍事的方法により相互に援助すべきことを約す」とあるので、独伊による援助もあったと思われますが、1940年の時点で石油の輸入額が全体の3/4をアメリカに頼るほどだったので、それに上回るような援助はできなかったということだと思います。(ドイツの対日輸出に関する統計によるべきところですが、こんな回答でもうしわけありません。参考のほんの一部ということで)
 ちなみに、蘭印からの石油輸入は全体の1/7程度。
  (『基本国力動態総覧』より)
→石油輸出の全面停止が出された時点で、「1年半で消費し尽くす」と覚悟していたようです。(『木戸幸一日記』による)

Qなぜユダヤ人は戦争でドイツ人に迫害されたの?

昨日「戦場のピアニスト」を見ました。
ユダヤ人が受けた迫害についてかなりリアルに表現されていたのではないかと
おもいます。
映画を見た後で私はなぜユダヤ人がドイツ人にこれほどひどい迫害を受けたのか
とても気になりました。
どうか教えてください。知識がないのでできれば分かりやすい言葉で
お願いします。

Aベストアンサー

うーん、皆様の回答に適切なものがあれば回答することを遠慮しようと思っていましたが、いずれも帯に短したすきに長しという感じです。

ユダヤ人迫害の理由は、長期的にみればユダヤ人たちの宗教はユダヤ教であり、ヨーロッパのほとんどでキリスト教が優勢であった為に異教徒排除の論理が働いた、ということになります(ついでに言うと、キリスト教が悪いのかヨーロッパ人が悪いのか判りませんが、ヨーロッパに住むキリスト教徒たちはかなり好戦的です)。イエス=キリストを殺したのがユダヤ人であるからとか、彼らに金持ちが多かったからというのは、後からつけた理屈みたいなものです。なお、ヨーロッパ社会でユダヤ人排斥の風潮が強くなるのは意外にも19世紀になってからのことで、中世あるいは近代以前は「嫌われ者」であっても排斥されてはおりません(金貸しを業とするものはいつでもどこでも嫌われます)。

この点を詳しく書くと長くなってしまうので、簡単に書きますがフランス革命とナポレオン戦争によって人権思想が拡がり、ユダヤ人たちにもそれまで認められていなかった人権が認められて、ユダヤ人とヨーロッパ社会との同化が始まり、それがもとになってかえって身近なものとしてのユダヤ人排斥感情が起こります。

さて、ヒトラー=ドイツにおいてユダヤ人排斥が本格化し、ホロコースト(民族虐殺)に至ったのはまた別の理由があります。その基本的な考え方は、明確なわかりやすい敵を作ることによって自分たちの団結を強めることにあります。

第一次大戦に敗れて自信を失っていたドイツ人に対し自分たちの優秀性をヒトラーは宣伝しますが大衆は容易に乗って来ませんでした。戦後のドイツにおけるインフレは1923年に絶頂を迎えますが、この時にヒトラーがルーデンドルフと組んで起こしたミュンヘン一揆が簡単に鎮圧されたのをみてもそれは明らかです。その後1929年に始まった大恐慌の影響がドイツに及ぶに至ってユダヤ人たちは不況にあえぐドイツ人たちの感情のはけ口となっていきその風潮を煽り立て利用したのがナチスということになります。

ヒトラーはドイツ民族の優秀性を言うために、それまである程度一般的であった反ユダヤ感情を利用しますが、同時にそれはユダヤ人財閥の持つ資金を狙ったものでもありました。こうして1932年に政権を得たナチスですが、ユダヤ人の権利を制限したもののいまだ虐殺という所までは至らず、虐殺が本格的になるのは1941年に独ソ戦が始まってからのことです。一例をあげれば「アンネの日記」でも彼女たちが隠れ家に入って隠れ住むようになったのは42年からのことです。ここには、次第に苦戦となっていく対ソ連戦などをもとにした戦時下の狂気が働いたと思われます。

まだ充分な説明ではありませんが、少々長くなってしまいましたのでこれぐらいにいたします。

うーん、皆様の回答に適切なものがあれば回答することを遠慮しようと思っていましたが、いずれも帯に短したすきに長しという感じです。

ユダヤ人迫害の理由は、長期的にみればユダヤ人たちの宗教はユダヤ教であり、ヨーロッパのほとんどでキリスト教が優勢であった為に異教徒排除の論理が働いた、ということになります(ついでに言うと、キリスト教が悪いのかヨーロッパ人が悪いのか判りませんが、ヨーロッパに住むキリスト教徒たちはかなり好戦的です)。イエス=キリストを殺したのがユダヤ人であるからとか...続きを読む

Qユダヤ人はなぜ迫害されたのですか?

先日オランダへ旅行に行った友人がアンネの日記でお馴染みの家を見学に行ったらしいのですが、ユダヤ人が何故迫害されるようになったのか疑問のまま帰国して僕に聞いてきました。僕なら知っていると思ったらしいのですが、僕はこの何故?に対して全くの無知でした。ご存知の方、ぜひ教えて下さい。

Aベストアンサー

起源をたどるとローマ帝国の皇帝がキリスト教徒になり、キリスト教を国教にしたころまで遡れるそうです。
キリストを処刑したのはローマの執政官だったのですが、それではローマ帝国が悪いということになってしまいます。
そこで教会はユダヤ教徒(=ユダヤ人)が執政官に強硬な働きかけをしたために、ローマは「しかたなく」殺してしまったということにしてしまいました。
何世代もそういう教えが伝えられた結果、「ユダヤ人はキリスト教の敵」ということが常識になってしまいました。
そのことも関係して、ユダヤ人は金貸しなど当時身分が低いとされた職業にしかつくことが許されていませんでした。
(それが原因でユダヤ人の多くが金持ちになってしまいました。これもユダヤ人に反感を持たれるようになる原因の一つです)
金を借りて返せないと逆切れして暴力をふるう人は今以上にいたのですが、その大義名分として先の理由がつかわれるようになります。
こういう騒ぎが暴動に発展して、ユダヤ人が略奪&虐殺されることはナチス以前から多くあったそうです。

このような状態が1000年以上も続いたのですから、「ユダヤ人を迫害してもあまり問題は無い」という悪しき文化がうまれたのでしょう。
ユダヤ人に対する差別や迫害はヨーロッパ(というよりキリスト教圏)全体でよくあることだったそうですが、その中で一番激しかったのがドイツのあたりだったそうです。
(これには神聖ローマ帝国などが絡んでいるらしいのですが、面倒なので省略)。

第一次世界大戦後の混乱を利用してナチスが成り上がるために利用したのがこういった差別意識(+自分たちは選ばれた人種なのだという選民意識)です。
「戦争に負けたのはユダヤ人が悪い」など、現在の某組織のように敵を作ることでドイツを自分たちの都合のいいようにまとめようとしたのです。
後はよく知られているように、資産の没収、強制収容、虐殺という流れになって行きます。


という内容の本を昔読んだことがあります。
記憶で書いているので、内容の正確さについては自信がありませんが、おおむねこんな感じだったと思いますよ

起源をたどるとローマ帝国の皇帝がキリスト教徒になり、キリスト教を国教にしたころまで遡れるそうです。
キリストを処刑したのはローマの執政官だったのですが、それではローマ帝国が悪いということになってしまいます。
そこで教会はユダヤ教徒(=ユダヤ人)が執政官に強硬な働きかけをしたために、ローマは「しかたなく」殺してしまったということにしてしまいました。
何世代もそういう教えが伝えられた結果、「ユダヤ人はキリスト教の敵」ということが常識になってしまいました。
そのことも関係して、...続きを読む

Q内閣総理大臣の任期について。

内閣総理大臣の任期についてなのですが、アメリカでは四年で二期までですが日本ではどうなっているのでしょうか?
憲法第七十一条には「内閣総理大臣は、衆議院の解散や衆議院議員の任期満了により国会議員の地位を失っても、次の内閣総理大臣が任命されるまでの間は、その地位を失うことはない」とありますが何期できるのですか?
知っている方は教えてください。

Aベストアンサー

 日本の内閣総理大臣は,「1期○年」と決まっている訳ではありません。
 首班指名されてから,衆議院選挙後の首班指名まで,或いは辞職・死亡するまでが1期と言えるでしょう。というより,「第○代」と言う言い方をします。
 
>何期できるのですか?
 制限がないので,何年でもできます。
 ただ,自由民主党では,総理には党の総裁が就くことになっています。自由民主党の総裁の任期は現在,3年と定められており,2期までと定められていますから,最長6年ということになると思います。
 でも,自由民主党は総裁公選規程をコロコロ改正しています。昔,中曽根氏が総理総裁の時,総選挙で大勝したから,総裁任期を1年延長されたりしました。

参考URL:http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/ichiran.html

Qマスメディアとメディアの違い

タイトルと同じなんですが、マスメディアのメディアはどこが違うのでしょうか?
マスコミ関係の勉強をしていて疑問に思ったことです。

Aベストアンサー

メディアとマスメディアは混在して使われる(同じ意味で)場合も多いですね。

メディアは直訳で媒体(紙ー印刷物、電波、DVDなどの電子メディアなど)ですね。メディアを情報を伝える手段(方法)と考えれば:

情報を伝えるのに、直接人から人に伝えるのではなく、媒体を介して伝える。狭義には、特定の目的を持って、特定の人から特定の人に伝える媒体、簡単な例ではポストイットのような「メモ」もメディアですね。車載搭載のカーナビもメディアです。

マスメディアは、不特定多数の人々に手軽な媒体(テレビ、ラジオ、新聞など)を介し、情報を伝えると考えられるのではないでしょうか。

注)マスコミはマス・コミュニケーション

Qなぜ日本は第二次世界対戦に参戦したのか。

一応検索したのですが見つからなかったので質問させていただきます。
どうか教えてください。

タイトルの通り、なぜ日本は第二次世界対戦に参戦したのでしょうか。
その背景には五・一五事件や二・二六事件も関係していると聞いたことがあるのですが、どういうことでしょうか。
そもそも、日本は第一次世界大戦に参戦し、戦争はたくさんの人の命を奪うということが分かったはずなのに、どうして戦争を止められなかったのでしょうか。
レベルの低い質問で申し訳ございません。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

 歴史の流れによるものです。

 鎖国からの開国時、アジアの極東の一島国でその他大勢の国の一つであった日本は、日清・日露・韓国併合・第一次世界大戦と軍事・外交的成功を収め、欧米から列強の一つとして認められるまでになりました。

 ただ、列強トップのイギリス・アメリカとは大きく水をあけられており、イタリアやロシア革命の混乱を脱しはじめたソ連、第一次大戦の敗戦国ドイツなどと同列でした。

 しかし、多くの列強が国境を接ししのぎを削りあっているヨーロッパ・アメリカから最も遠い極東アジアには、列強の利権が最後まで未確定であった中国がありました。
 衰退した清朝の倒れた後の中国は、軍閥が群雄割拠する政治的に混乱した社会があり、中国と隣り合う日本はもっとも有利な地理的位置におり、中国の利権を手に入れれば一躍、アメリカ・イギリス(広大な植民地の中でも、インドという人口の多いアジアの重要地域を手に入れたことが、イギリスの繁栄の原動力でした。)と並ぶ列強トップになれるように見えました。

 第一次世界大戦の破壊からヨーロッパが回復するにつれ、世界の列強間の経済戦争が激化し、お互いの勢力圏から他国を締め出すブロック経済が進展、利権の確定していない中国が各国の経済戦争の主戦場となりました。
 
 経済戦争だけでは、国力のあるアメリカ・イギリスに勝てない日本は、その地の利を生かして軍事的に中国の利権を確保すればよいという考えが、軍内部に生まれました。

 皇道派(現場指揮官が多く、天皇に対する忠誠心など精神論を信奉。)と統制派(陸軍大学卒業者の参謀などが多く、論理を重視。)に分かれていた軍内部は、五・一五事件や二・二六事件によって、統制派がコントロールするようになり、暴力機関である軍の力を恐れた文官・政治家が増えたこともあり、軍内部で独自の政治的意図を持って行動する素地が生まれます。

 この時点で日本の選択肢は、日本がアメリカの覇権を認めるか(第二次大戦後、現在も続いている状況です。)、日本がアメリカと並び立つかという選択になりました。(当時、あめりかのGDPは日本の10倍と言われていました。)そして日本は日本がアメリカと並び立つ可能性にかけたわけです。
(ですから、日本とアメリカの間の戦争は侵略戦争ではありません。)

 日本がアメリカと並び立つには、その経済力の差を少しでも埋めなければなりませんが、その可能性は列強の権益の確定していない中国にしかありません。
 まともに正面から経済戦争をしたのでは、アメリカに勝てません。そこで軍事占領による市場・資源の確保を目指したのです。
(ですから、中国に対しては侵略戦争となります。)

 アメリカに対抗する以上、満州事変から日華事変(=支那事変・日中戦争)太平洋戦争と続くこととなりました。
 
<<個別エピソード>>
・満州事変と支那事変の開始
 戦前の日本の政治システムにおいては、日本軍は皇軍=天皇の軍隊として存在しており、内閣と軍(陸軍=参謀本部、海軍=海軍軍令部)は、天皇のもとで並立する立場でした。
 明治時代においては、明治維新の重鎮(政治家だが、明治維新では軍指揮官としても活動。)が生存しており、内閣・軍双方に対して強い影響力を持っており、天皇を補佐する枢密院のメンバーとして内閣と軍をコントロールし、日本の政治力の根源となっていました。
 昭和になると、この枢密院に軍・行政双方に強い力を持つ人物がいなくなり(政治体制が確立して年数がたったため、軍・行政いずれかの出身者となり、どちらにも強い発言力を持つ人物がいなくなったのです。)、軍事・行政を統括した視点で政治力を発揮出来なくなったのです。

 そのような状況の中で、政府・参謀本部ともに「満州では、極力事を構えない。」方針であった(=満州の軍閥、張学良の兵力は、日本軍の10倍あるといわれていた。)のに、満州派遣日本軍(=関東軍)の参謀であった石原莞爾・板垣征四郎が、この方針を無視して軍事行動を起こし、張学良軍を電撃作戦で圧倒、軍事作戦としては大成功をおさめました。参謀本部・日本政府ともに関東軍の軍事行動を追認し、満州国建国に至ったのです。ここまでは、石原莞爾の戦略通りの展開となったのです。

 その結果、石原は陸軍同期の中で最も早く大佐となり、陸軍内部で「軍参謀は中央の方針に反しても、作戦で戦果を挙げれば、出世する。」という認識が生まれることとなりました。

 石原莞爾は、満州を取って「日本・朝鮮・台湾・満州を日本の経済圏として開発することに専念すれば、アメリカに対抗できる。」との見方を持っており、そのための戦略は、『満州を勢力下に置いた後は、他国との軍事衝突は外交力を総動員して回避し、軍事費を抑え経済開発に専念する』というものでした。

ところが・・・・
Wikipedia抜粋 
 石原莞爾は、1937年の日中戦争開始時には参謀本部作戦部長となり、内蒙古での戦線拡大に作戦本部長として、中央の統制に服するよう説得に出かけたが、かえって現地参謀であった武藤章に「石原閣下が満州事変当時にされた行動を見習っている」と嘲笑される。戦線が泥沼化することを予見して不拡大方針を唱えたが、当時関東軍司令長官東條英機ら陸軍中枢と対立し、1937年9月には参謀本部から関東軍に左遷された。

 日中戦争を開始した中国派遣軍参謀を評して、石原は「鵜の真似をする烏」と言ったらしいが、過去の自分の行動が影響を与え、石原の戦略は崩壊することとなって行きます。

<<日米開戦>> 
 開戦直前に昭和天皇は「本当にアメリカと戦争して大丈夫か」とかなりしつこく聞いています。御前会議(天皇出席の会議)で昭和天皇は「発言する」と言い出して周囲を慌てさせています。当時、既に御前会議は形骸化していて「陛下、このようになります」という申し出に天皇がケチをつけるというのはありえないこととなっていたのです。会議において天皇自らが発言すること自体が異例となっていたのです。
 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3146246.html

 歴史の流れによるものです。

 鎖国からの開国時、アジアの極東の一島国でその他大勢の国の一つであった日本は、日清・日露・韓国併合・第一次世界大戦と軍事・外交的成功を収め、欧米から列強の一つとして認められるまでになりました。

 ただ、列強トップのイギリス・アメリカとは大きく水をあけられており、イタリアやロシア革命の混乱を脱しはじめたソ連、第一次大戦の敗戦国ドイツなどと同列でした。

 しかし、多くの列強が国境を接ししのぎを削りあっているヨーロッパ・アメリカから最も遠い極...続きを読む

Q社会主義のしくみを簡単に分かりやすく教えてください。

社会主義というのはどんなに働いても働かなくても国民平等にお金が貰えるのでしょうか?

Aベストアンサー

>社会主義というのはどんなに働いても働かなくても国民平等にお金が貰えるのでしょうか?

違います。
勘違いしている人が多いようですね。
社会主義の場合、「同等の労働には同等の賃金を支払う」事が根幹です。
労働をしない人には賃金の支払いはありません。
またよく働く人には、追加の給付があります。
それは給与であったり普段購入できないものを購入する権利であったり有給休暇であったりします。
逆に、要領よくふるまって多額の収益を得るとか、働かなくても多額の収益を得る事が難しくなっているシステムです。
社会主義が共産主義と異なる点は、社会主義が収入と労働の平等を目指すのに対し、共産主義が支出の平等をも目指す点にあります。

社会主義的方法としまして、旧東側諸国のように生産手段を国有や公有として国家により公平に分配を目指す方法と、北欧諸国のように所得や資産への課税を強化し分配を公平化する方法があります。

>どの程度国が面倒を見てくれるのでしょうか?食費・生活費等。

現在では、傷病・義務教育などが無料である場合が多く見られます。
また労働できない人(しない人ではありません)の生活の面倒をみる事も当然の事とされています。

>現在、社会主義の国はうまくいってるのでしょうか?

現在うまくいっている社会主義国としては、北欧諸国が代表的です。

>北朝鮮って社会主義じゃありませんでしたっけ?

北朝鮮の場合、社会主義の皮をかぶった専制主義国家ですから、社会主義国家ではありません。
社会主義の難しいところは、何をもって同一労働と定義するかです。
また富の配分が人為的に行われるため、配分者が権力を持ち、自分達中心の配分を行い安い事も問題です。
その点では、キューバなどは今まで比較的うまくやってきています。

>社会主義というのはどんなに働いても働かなくても国民平等にお金が貰えるのでしょうか?

違います。
勘違いしている人が多いようですね。
社会主義の場合、「同等の労働には同等の賃金を支払う」事が根幹です。
労働をしない人には賃金の支払いはありません。
またよく働く人には、追加の給付があります。
それは給与であったり普段購入できないものを購入する権利であったり有給休暇であったりします。
逆に、要領よくふるまって多額の収益を得るとか、働かなくても多額の収益を得る事が難しくなってい...続きを読む


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