
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
遣隋使・遣唐使の滞在中の費用というのは、一切中国(隋・唐)持ちでした。
中国としては、文化の遅れた柵封国に『教えてやっているんだ(中華文明を広げられる)』という自負や思惑がありましたし、留学生の中でも特に優秀な生徒は、帰らずに中国の役人として一生を過ごすので中国にとっても充分にメリットがありました。中には、今で言う首相クラスにまで登りつめた外国人もいました。
No.2
- 回答日時:
答としては
「記録が残っていず、詳細は不明」
とするのが一番正しいと思います。
この時代は「銀行」とか「為替」とか「外貨」というものがなく、国外に派遣した留学生に国家や実家が仕送りする手段はほとんどありません。遣隋使や遣唐使といった公式使節も、10年や20年の間隔が開くことはザラです。
確実なことが分からなければ、
(1) 留学生が、留学期間中食っていけるだけのお金(に相当する財貨)を持参した
(2) 留学先の国家が他国からの留学生を養った (No1の方の言われること)
(3) 遣唐使などの留学元の国家の使節がお金(に相当する財貨)を補給した
(4) 留学生がシナで自ら仕事をして収入を得た(唐の官吏になった阿倍仲麻呂はこれに該当するでしょう)
といったことがあったろう、と想像するしかないと思います。
なお、最近まで産経新聞に遣隋使の留学生・留学僧が登場する小説が連載されていました。その小説の中では
「留学生の生活は隋国が面倒を見てくれる前提。ただし、隋国に何かあった場合に留学生は異国の地で野垂れ死にする運命となる。留学生が自ら船を雇って日本に帰れるだけの、あるいは隋国の保護がなくても何年か食っていけるだけの価値を持つ砂金を留学生に予め与えた」
という設定になっていました。どのくらいの史実に基づくのかは分かりません。
No.1
- 回答日時:
遣唐使などの留学生は文化や技術を学ぶために国の代表として行ったのですが相手国からは自国の文化を広げるものとして国賓とまではいきませんが賓客として扱いました。
持参したものは国の代表としての身分を証明するもの、今で言うパスポートと遣いを出した権力者の手紙などです。
その手紙でどうかよろしくと相手方に伝えますので今風に言うと外交官の留学生扱いになりました。
当時は日本だけでなく他の諸外国も何人も留学させていましたが朝廷は財力にかなりの余裕があったので生活に不自由させることは国の恥として丁重にもてなしました。
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