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なにかしらの宗教団体に属している人は、なぜその団体に入っているのですか?

自分ひとりが愛する人を思い、祈っていたらそれでいいのではないでしょうか?

“属していたい”的な気持ちもあるのですか?
“一人じゃ不安”的な気持ちは?

教えてください。

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A 回答 (14件中1~10件)

宗教入団理由は、日本の場合はほとんどが本人の


抱えている精神病質(今は死語ですが)傾向のようです。
精神病質といっても重度の統合失調症等ではなく
依存性人格障害者や境界性人格障害者の人たちで
軽度の人格障害等がほとんどのようですので
普通の人が信者と話をしていてもよほどの洞察力が
なければ健常者と感じると思いますし、本人にも
障害の自覚はないと思います。
彼らは何かに依存するもしくは没頭しなければ
虚無感が強く不安定になります。
その感情をおちつかせるために宗教に入団します。

実際にオウム事件の時も信者のカウンセにあたった精神科医は
信者が転移を起こしてこまっていたようです。
健常者は精神科医に転移(擬似恋愛感情を持つこと)は
ありませんのでやはり精神病質が原因のようです。

指摘しているのは一部の専門家と実際に宗教に入団した後、
健常者ゆえにその場に違和感を感じた元信者さんたちです。

あとこちらの本にも同じような意見の記載があったと思います↓

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062109255/24 …
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この回答へのお礼

そういった面もあるのですね。健常者が入ることもあるけれど、違和感を感じる方もいるんですか・・・
服屋さんで、「流行っていますよ」と言われて、売れるように仕向けているのか売らない用に仕向けているのか分からない状況がありますが、それにも似ていますね。

それと言われてみれば、我流を貫き通す職人気質の人、などは宗教とは無縁のイメージがありますね。

お礼日時:2006/07/04 02:02

>サークルであれば怒ってもいいですが、怒ったら戦争になるときはどうするのですか?



つまり、人間が怒ったり争ったりするのは、別に宗教が理由ではないという部分はいいですね?まず、怒ったり争ったりする人間が先にあるっていう点は問題ないですね?NO.3に書いたとおりです。

さて、戦争ですが日本にある宗教で戦争できるような団体ってどこですか?私は戦争した記憶がないのですが。戦争ってずいぶん飛躍した話のように思いますが。ひょっとしてあなたはイスラム教とキリスト教の間の戦争とかを想定しているのですか?だとしたら、当時の歴史的文脈を検討しなきゃいけませんね。もちろん、宗教だけが原因ではなく、別の領土問題や歴史的問題が絡んでいたと思いますけど、詳しくは知りません。

>相手が意味不明だからといって、戦争の原因をすべて相手に押し付けるのですか?

そんな酷いことはありえないでしょう(笑)。
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NO.8のbascavilです。



>>人に対して面と向かって、「あなたは人間的に弱い」

>と言われるだけで、失礼と感じるのは、やはり人間的に弱いと思いますがどうでしょう…

そうですか。感性の違いだから仕方ないですね。私は失礼だと感じますが、あなたは感じないわけですね。わかりました。ぜひ周りの人たちに言ってみてください。

>解散しないと攻撃するぞ!と意味の分からないことを言われた場合はどうするのですか?

そうですね。なるほど。でもそって宗教だけに限らないですよね。サークルから国家まで、いきなり「解散しないと攻撃するぞ!」と言われたら、普通は怒りますよね。宗教だからどうだという問題ではないように思いますが、どうでしょう?

>争いは、決して『争い好き同士』で行われるとは限らないと思うのですがどうでしょう?

そうですね。だから争いなんでしょうね。でもそれって宗教だけに起こる問題でしょうか?宗教団体に所属しない人は争わないんですか?
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この回答へのお礼

>解散しないと攻撃するぞ!と意味の分からないことを言われた場合はどうするのですか?


はどうするのでしょうか?サークルであれば怒ってもいいですが、怒ったら戦争になるときはどうするのですか?
相手が意味不明だからといって、戦争の原因をすべて相手に押し付けるのですか?

宗教を信仰していない人がいる中で信仰している。
その宗教が意味不明な奴らに攻撃された。

その場合、攻撃された宗教も原因にならないですか?

お礼日時:2006/07/05 21:54

>必要としない人が増えてきた



今の宗教団体を見ていれば誰も行きたくない。そんな感じじゃないかな?宗教団体が他の宗教を批判していたり、信者獲得のために走り回っている現状を見れば誰も行きたくないそんな感じじゃないかな?

>それはとてもとてもとてもとてもとてもとても少数派では...

いいえ、一人でいると自分の考えているのが正しいと
独断してしまいます

また一人でいると間違った宗教観をもってしまい非常に危険です。
宗教というのは一人では非常に間違った方向にいきやすく、また何かするにも何もできません。

カトリックでもいろいろなところで医療活動をしていますが多くの信者がいてこそできるものだと思います
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この回答へのお礼

>また一人でいると間違った宗教観をもってしまい非常に危険です。

宗教に入っていることが前提だったのですね;
僕は、入っていないことが前提でした。

このような認識の違いで、

>一人でいると自分が一番偉い!なんて考えてしまうし、相手のことを考えなくなってしまいます。

という考えが出るだけでも恐いと思うのですが、それはどうでしょうか?



>カトリックでもいろいろなところで医療活動をしていますが多くの信者がいてこそできるものだと思います


それは、人間として医療活動をするのではなく、カトリックとしてするのですか?神がやったほうがいいよ、と言うからするのですか?

お礼日時:2006/07/05 20:57

不安(貧乏、病気、精神的苦痛etc)から遁れる為の現実逃避と自己欺瞞です。

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宗教というのは祈るだけではありません。


それぞれの経験を活かし、またお互いに学びあうためにあります。一人でいると自分が一番偉い!なんて考えてしまうし、相手のことを考えなくなってしまいます。


また祈るだけで何ができるのでしょうか?
本来の宗教というのは助け合うものですが、
今は自分のことしか考えていない状態

キリスト教から見れば今のクリスチャンを見るなら本来の持っている教えから離れているものだと思います、
だから宗教が悪いのではなく信じている人の質が落ちているということ、本当に信じているなら戦争は絶対に起こりませんよ
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この回答へのお礼

>一人でいると自分が一番偉い!なんて考えてしまうし、相手のことを考えなくなってしまいます。


それはとてもとてもとてもとてもとてもとても少数派では...


>本来の宗教というのは助け合うものですが、

宗教に入らないと助け合えないということですか?

また、昔は国で宗教を定めていたようですが、そうでなくなった、つまり、自由になったというより、必要としない人が増えてきた、これにはどう思われますか?

お礼日時:2006/07/05 19:35

確かにただ属しているだけでは絶対的な幸福感が得られないでしょう。



私の叔母とその息子、娘(私にとって従兄弟たち)がキリスト教の熱心な信者がいます。ただし父親(叔父)は信者ではありません。そして一時期この無神論者の父親と彼らの確執もありました。
私は叔母がまだ幼少だった子どもをある思想にどっぷり浸からせてしまったというのに最悪の過失があると思っています。あの年頃の子どもというのはまだまだ親が絶対的な存在ですから、母親の思想=キリスト教という価値観を植え付けたのは一部親として取り返しのつかないことをしてしまったと思います。

当時引っ越したばかりで、叔母にとって周囲に友人や知人がいない寂しさと夫が仕事に忙しかったという背景があり、そこに教会の勧誘がきたきいています。確かにその心情はわかります。そして皆よき一般市民です。彼ら(信仰者)というのは一見穏やかで平和主義者でいい人に見えます。でもそれがお仕着せの道徳観から派生している雰囲気だとしたら・・・。

私は信仰家ではありませんが、どちらかというと哲学的と捉えています。そして同じ宗教とくくられている中ではキリスト教は仏教の方がココロがすんなり受け取っている気がするのです。まぁこれは私事ですが。

イエス様そのものがそう説いたのか不明ですが、教会の都合のために聖書など何度も書き換えられてきたためというのは有名な話です。その真偽はわかりません。ですが、恐ろしいのは、大本(イエス)が説いたかもしれない話を、利己主義のために真実として伝えられてきた、それをそのまま鵜呑みにしているということが問題なのです。いわば催眠状態にあるのではないか。
その心理を利用するのが悪徳新興宗家です。これは問題外ですね。カミサマの名を勝手に売名するわけですから、本当に怖いものなしですよね。その心理状態(無知)はカミサマ以上に恐れ多い。

ただ人ってウンザリするほどの同和を求めるんだと思いましたよ。「同和」と「親和」は違うでしょう。前者は右倣え右、後者は互いの価値観の違いを認めながら仲良くなること、というイメージがあるのですが、たとえば幕末の「同志」がいったん志を違えるとなると生死に関わるという時代の社会心理状態もそうでしょう。

さて、件の親戚達は多教の冠婚葬祭に出ても(親戚だから出席せざるを得ない)儀式的なものは拒否する、という行動は無信仰者である他の親戚に批判の対象にされています。
ということはあちらにとってもこちら側の批判はさらに批判の対象となるのでしょうね。そこが問題だと思います。
そういうフォーマルな場で水面下の闘いは続いています。我が親戚筋の永遠の闘争(?)です。
そこで私が感じたのは・・・宗教というのは「隣人を愛せよ」と説きながらその信仰者は非常に排他的ということです。
それではこのキリスト教徒たちを批判する側も、それでは別の宗教の熱心な信仰家であるか?というとそうではないんです。
一応仏教に守られたその墓の前で亡くなった祖父の焼香をしないことを咎めた彼らも、仏教徒ではない。毎日きちんと先祖の仏壇に手を合わせているわけでもない。つまり心理的には異端排除なのです。そして皆同じ「異端者」なのです。
彼らは一様に、批判する前必ず申し訳程度に「信仰の自由」を前提としていますが、それは本音に対するTPOのようなものでしょう。
確かに憲法でもそれは謳われていますが、人の「本音」という非公式な場においてそれも自由なこと、止められない人のサガなのでしょう。
歴史的にはその心理こそが「異端者排除」=「神の名のもとに」という口実を掲げて宗教戦争が繰り返されてきたファクターなのでしょう。

つまり・・・。
人間皆、自分の思っていることが一番!ということなのでしょうね、ハァ~(ため息)。

宗教と哲学というのは同一視されますが、私は違うと思います。
経典に矛盾はたくさんあります。理論的ではないし。しかし清濁含めそれを整理するのが哲学ではないかと思います。

唯一私がこれだけは違うと違和感を感じているのは、キリスト教の父権主義です。実際例の従兄弟の結婚式で「女は家庭に入り、男に仕えるのが仕事」と新婦の説教にあって驚きました。でも新婦がうっとりしてそれを聞いているんですね。その表情はまさに催眠状態でした。・・・

私は経験主義者です。たとえばそのジェンダー問題にしたって、男性至上主義の封建社会からこれだけ女性の性が自由になったのは、私(女性)の先祖である不特定多数の女性の血と汗の歴史があったからです。そして私自身もその一人であると自負しています(経験から)。
そこでおのおのが何かを悟る。
ある意味そのような催眠状態からの覚醒が、ニンゲンとしての目覚めの状態なのではないかと。
それは宗教であったり、両親からであったり、世間の常識や一般論、慣習的なものであったりしますが、個人的社会的に感じる違和感は何がそうさせているかという原因を調べあげ実践し、させられ、論じて打破してゆく・・・。そこに宗教を超えた何か(とは、自身が生み出したオリジナルな哲学だと思う)を得るものではないかなあと思うのですが・・・。
もし誰しもが経典そのままに生きていたら、皆経典の教えのまま幸福ですよ。とすれば生を生きる、という意義もなくなってしまう。そんなのカミサマの意図ではないはず。

そのジェンダー問題にしたって過剰なジェンダー闘争は本末転倒ですが、価値観も度を越せば誰でも何かの「信者」となってしまいます。それが宗教か、それとも経験が見せたスクリーンか、というそれだけの違いなのでしょう。
宗教に限らずあらゆることについては、唯一絶対のものとしてしまうことは非常に危険でしょう。人生=絶対のものではなく、相対的なものとして捉える柔軟さがなければ、批判されても仕方ないでしょうね。私の親戚のように。
焼香のひとつやふたつ、多教の儀式にその場限りで与したってあなた達のカミサマは怒りませんよ、と思うんですが、それを口にする勇気はありません(笑)。

極限状態がくれるものは宗教の経典を斜め読みするだけでは実感させてくれません。そうではなく、既製の思想を超えた何かを自分で勝ち取るべきであると思います。つまり与えられた「人生」そのものが「教え」である、その答えを見つけるのは誰も、カミサマも教えてくれない。でも経験をおいて安易にそれを求めようとするとき誰かにとっては「宗教」であった、という選択肢のひとつなのではないでしょうか。

>自分ひとりが愛する人を思い、祈っていたらそれでいいのではないでしょうか?
愛情の対象というのは、人一人違いますよね。でも宗教の教えは絶対的な者を「神」という抽象論に仕向けます。
愛する者のために祈るとき、それも自分にとっての絶対なんです。その「絶対的な対象」が神であるか、個人であるか、その違いでしょう。
さらに違うのは、団体とやるか、個人としてやるか、です。そこに「属する者」と「属さない者」との決定的な違いがあると思います。
そして間に教え諭す者が介入されているかどうか。たとえばそれが牧師であったり教祖であったり。

一人で祈ることができる者は本当に強い姿ですよね。隣人に自分と同じ姿の他者を求めない限り、孤独な作業です。
同様、そこに属する者と属さない者の境界もあるのかなと思います。そしてそれこそ「カミサマ」が求めているものなのではないでしょうか。自分と同じ顔貌を作った孤独なカミサマは、自分と同じものをニンゲンに求めるといいますから。
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NO.2のbascavilです。



私の場合、「自分のところが一番」というわけじゃなく、「自分にとって一番」という感じでしょうか。だから、他人の信仰には特に感心はありませんね。だから、他の団体と争った経験もありません。

ただ、世界中を見ていると、宗教間の争いはあるようですね。でも私は、まず先に争うという人間の悪癖があって、そういう人間は宗教団体に所属しようがしまいが争うように思います。というのは、________syuさん自身も、「宗教団体に所属する人間」に敵愾心があるでしょ?正直いってそうでしょ?ここなんですよ。________syuさんじゃありませんが、「(宗教団体に入る人間は)人間的に弱いからでしょう」とか言う人がいますよね。こういう人は、宗教団体に所属していないけど、非常に攻撃的ですよね。少なくとも、人に対して面と向かって、「あなたは人間的に弱い」とか言うのは普通は失礼ですよね。

つまり、宗教団体だから争うのではないのです。争い好きな人間が争うのです。
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この回答へのお礼

敵愾心   の意味がわからないですが、敵意を持っているということでしょうか?

僕は宗教信仰者に対する敵意は全く無く、恐怖とひたすらの疑問、といったほうが近いです。

また、
>人に対して面と向かって、「あなたは人間的に弱い」

と言われるだけで、失礼と感じるのは、やはり人間的に弱いと思いますがどうでしょう…
人間的に弱いというのはその人を全否定しているわけでもないですし…

>だから、他の団体と争った経験もありません。

とありますが、団体である以上、あなたが仕向けなくても、仕向けられる可能性があります。
解散しないと攻撃するぞ!と意味の分からないことを言われた場合はどうするのですか?

争いを回避するのが一番だから宗教を離れるよ、
と考えるのか、
何がいけないんだやめるものか、
と考えるのか。


争いは、決して『争い好き同士』で行われるとは限らないと思うのですがどうでしょう?

お礼日時:2006/07/05 20:25

宗教は、なぜか便器のなかにうんちをするのと同じです。

これは幼い頃、きっと親から教育されてのことだと思いますが、宗教はまさにそれと同じなのです。宗教からは逃れようとも逃れられないのです。宗教をやめるのは別の宗教をつくることによってでしかありません。

私も質問者様と同様に、一人で祈る宗教というものをみんなの人がすればいいのに、と感じています。しかし、このような考えも、みなが同じことをする一つの宗教団体のようになっていると思いませんか?
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この回答へのお礼

>私も質問者様と同様に、一人で祈る宗教というものを


僕はそういう意味で言ったのではありません。
一人一人が人として人間らしく、という意味です。別に祈らなくても思っていればいい、思うことが人間らしさではないのか、ということです。

お礼日時:2006/07/05 21:04

>どうして<力>を作ろうとするのか、なぜそれを目指さないの?、ということです。


宗教団体に入ることと<力>を作ろうとすることは無関係です

>少なくとも2つの団体が出来上がれば必然的に争いが起こります。
>だから自分が宗教に属することで、世界中の人々に少なからずマイナスになることがあると思います。
意見は異なるかもしれませんが争いがおこるとは限りませんしマイナスになるとも思えません

たとえ団体にならなくても、他人と自分がまったく同意見にならないかぎり同じことのはず
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Q宗教団体に入る人と、入らない人の違いは?

以前、「布教活動をする宗教団体は、悪そのものではないのか」という質問をさせて頂きました。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7771328.html

その結果、以下の疑問が新たにわき起こりました。

(1)宗教団体に取り込まれる人と、取り込まれない人の違いは、どこにあるのでしょうか?
(2)そして、取り込まれてしまった人は、どうすればそこから逃れられるのでしょうか?

特に経験者の方の体験談を歓迎いたします。

宜しくお願いいたします。

Aベストアンサー

お礼ありがとうございます。
このテーマはいくらでもお話できますよ。元信者の話を集めるのもいいと思いますが騙される人は騙された後も「客観性」のない分析を語ると思います。過去の信仰を恨み、新しい信仰にのめり込みます。ニホンジンダマサレヤスイよ。
満州の英霊、満州は生命線、帝国万歳→アジアに謝罪、戦争反対、東西冷戦→年金制度は生命線、増税万歳、環境問題。

宗教を信じやすい人の最大の共通点は「権威主義」です。

経済議論で学者の名前を出すのもそう。マルクス、ケインズ、などなど。まったく予言者と同じです。経済学は宗教です。

自然科学もその傾向がある。
健康食品は霊感商法。
健康診断は日本教。
信じて患者再診参りです。


生物学カテゴリでも私は侃々諤々に回答しています。科学や遺伝子を御神体にしている科学者がたくさんいます。昔から学者は宗教者みたいなものです。幾何学の祖ピタゴラスもカルトの教祖ですからね。

質問タイトル。
「なぜ進化の過程で苦しまずに死ねる機能を手にしたのか」
「人間のオスは本能的に何に欲情するのか」

私は専門家ですという名乗りにみんな水戸黄門しちゃう。あのテレビ時代劇が日本人の洗脳についてヒントを与えていますね。

アメリカのキリスト教はダーウィンを信じません。世界一ダーウィンを信仰しているのはたぶん日本人です。しかし日本人の医学生理学賞は少ない。権威を信仰して思考停止しているからです。日本人にとっては科学も信仰の対象なのです。お経と科学書が同じになる。坊主と医者もそう。信仰の対象を当世流に新しくしているだけです。

思考停止する権威主義ですね。
差別だ!という呪いの言葉を恐れたら社会主義教です。
そう、差別反対主義者は嘘つきですね。おっしゃられる実行している気になった自己矛盾です。偽善、綺麗事、単純化。宗教の特徴であり、最高の魅力でしょうね。

お礼ありがとうございます。
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