イスラーム世界の繁栄と衰亡の歴史の過程の中で、
中世ヨーロッパ世界の「十字軍」遠征を引き起こさせた原因と、
その後のヨーロッパ世界に与えた影響について
 
 政治 経済(商業圏・交通・網を含む) 文化(宗教・芸術を含む)

の三つの視点をふまえて
700文字から900文字いないで論述して下さい、お願いします
木曜日までに書いてくれたらとても助かります。
よろしくお願いします。

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A 回答 (1件)

700字から900字......(^_^;


木曜日まで......(^_^;
もう日がありませんねー。

「十字軍」は詳しくないですが、ここなんかどうですか?
あとは、ご自分でがんばってください。

参考URL:http://home.att.ne.jp/wood/aztak/juujigun.html
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この回答へのお礼

回答、有り難う御座いました。
HP見てまとめさせていただきました!!

お礼日時:2002/05/11 04:43

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Q中世ヨーロッパでなされた異端審問や魔女狩りといった弾圧行為が世界史の教

中世ヨーロッパでなされた異端審問や魔女狩りといった弾圧行為が世界史の教科書に載らないのはなぜですか?

Aベストアンサー

 歴史教育を専門にしている立場ですが、
山川をはじめ、東京書籍などの17社の世界史教科書に魔女狩りについての記載は確認できます。
異端審問は、魔女狩りと同義とされる傾向もありますので、精査の余地がありますが、例えば、ガリレオ・コペルニクスなどの科学技術に関する宗教裁判は総ての教科書に言及があります。

つまり、世界史の教科書に載っていないはずはありません。
記述を見逃しているか?言葉と用語を変えているか?のどちらかでしょう
少なくとも歴史事象として、黒死病と並ぶ大きな事件ですから載せないはずがありません

ちなみに、日本の世界史教科書では掲載しない傾向だが、一般的には教科書に記載される事件としては、マッカーシズムがあります。
なぜか、マッカーシズムは日本の教科書では割愛されるケースが多いのか?と調べているのですが、回答は見つかりそうもありません。

Q十字軍の遠征は何回?

十字軍の遠征回数は合計7回(8という説もありますが)ですが、
本を見ると、1228年に第5回遠征の次が、1270年で最後の遠征、
となっていたのですが、どういうことなのでしょうか?

Aベストアンサー

えーと・・・・・ 単純にその本が省略しただけだと思うのですが・・
第4回から、年代を書いてみます。

第4回十字軍(1202‐05):ラテン帝国建国
第5回十字軍(1217-21):失敗続きのためか、公式十字軍を7回とカウントする場合、この回が省略されてる。
第6回十字軍(1228‐29):無血十字軍
第7回十字軍(1248‐54):マムルーク朝に敗れる
第8回十字軍(1270):チュニスで敗退

それぞれの回の詳細については、幾つかサイトがありますね。
http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/tyusei/111-europe11.html
http://uraken98.cool.ne.jp/rekishi/reki-eu23.html

参考URL:http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/tyusei/111-europe11.html

Q十字軍の第四回遠征でローマ教皇インノケンティウス3世はなぜ怒ったのですか。

 参考書に「ヴェネチア商人の誘導で、東ローマ帝国を襲いコンスタンティンノープルを攻撃してしまう。これに怒った、ときのローマ教皇インノケンティウス3世は、遠征軍全体を破門してしまう」とありました。(1)なぜ、インノケンティウス3世は、怒ったのですか。ローマ教皇権を東方に広めることになり、利益をもたらすのに、なぜ「怒った」のか、教えてください。
(2)教皇によって「破門」されるとどのような不利益をこうむるのか、おしえてください。

Aベストアンサー

違います。
怒ったのはコンスタンティンノープルを攻めた事ではなく、ツァラ市を奪い返すために攻撃した事です。第4次十字軍は最初はエジプトを攻撃する計画でしたが、ヴェネチア商人の圧力でツァラ市に変更させたのです。
エジプトは商人の大事な取引相手でしたし、十字軍は渡航や補給に必要な約束の資金を集める事が出来ず、矛先はあっさり変わってしまったのです。
もちろん、破門もきちんと想定してたヴェネチア商人ですから、今度はコンスタンティンノープルを攻撃させました(東からの攻めには強いが、西からの攻めには弱かったのです)。そこにあったキリストの聖遺物を持ち帰った事や敵対してたギリシア正教を追い出した事に、教皇は喜んで破門を解いたのです。

ちなみに、破門されるというのは人間扱いされない事ですから、キリスト教が浸透している社会では生きていけないという事になります。だから、「カノッサの屈辱」でハインリヒ3世が破門を解こうと頑張ったのも納得できるかと思います。でも、さすがに2回目の破門の時は、従わず逆に教皇グレゴリウス7世を廃位させたのですから、破門の効力はその時のパワーバランス次第だったようです。

違います。
怒ったのはコンスタンティンノープルを攻めた事ではなく、ツァラ市を奪い返すために攻撃した事です。第4次十字軍は最初はエジプトを攻撃する計画でしたが、ヴェネチア商人の圧力でツァラ市に変更させたのです。
エジプトは商人の大事な取引相手でしたし、十字軍は渡航や補給に必要な約束の資金を集める事が出来ず、矛先はあっさり変わってしまったのです。
もちろん、破門もきちんと想定してたヴェネチア商人ですから、今度はコンスタンティンノープルを攻撃させました(東からの攻めには強いが、...続きを読む

Qマグナ・カルタと第4回十字軍についての論述です。

1.「マグナ・カルタ」以後のイングランドの政治史は、「マグナ・カルタ」をどうするのか、という問題としてもよいほどに重要な役割をこの文書は果たしている。その過程は、1340年頃今日に近い二院制の形成に至るが、それまでの過程を次の用語を使って、300字以内で説明しなさい。【ヘンリー3世・エドワード1世・模範議会・フランドル=ギエンヌ戦争・シモンドモンフォール】
2.第4回十字軍の歴史的意義について150字以内で説明しなさい。

解答の糸口が欲しくて他の方のまとめ方を参考にしたいので質問させていただきました。
そこまで神経質になってまとめていただかなくても結構ですので、
どうぞよろしくお願いします。

Aベストアンサー

予備校世界史講師です

論述としては、極めて、難易度の高い出題であろうと思います
特に「フランドル=ギエンヌ戦争」などは用語集レベルでも存在しない用語なので、知らないのが普通でしょう
イングランド通史としても、名前が重要ではないので・・・

設問確認しながら回答しましょう

1.「マグナ・カルタ」以後のイングランドの政治史は、「マグナ・カルタ」をどうするのか、という問題としてもよいほどに重要な役割をこの文書は果たしている。その過程は、1340年頃今日に近い二院制の形成に至るが、それまでの過程を次の用語を使って、300字以内で説明しなさい。

正直、前段の文章は妥当なのですが、「1340年の二院制形成」のくだりは、政治史として重要視されるものではありません。つまり、マグナカルタと二院制の関係は論述が必要なほど重要ではない、ということです
ちなみに、イングランド議会は、二院制ではなく、「両院制」と指摘するのが適切なので、設問の用語理解に問題があるでしょう

では、模範解答

マグナカルタ以降、イングランド政治は立憲主義の萌芽と共に議会権力による王権統制の道を進んでゆく
その代表的事件が、『シモン・ド・モンフォール』率いる諸侯の『ヘンリー三世』に対する反乱であり、その結果、王権統制と議会権力の進捗が加速的に進む。
 ヘンリー三世の後の『エドワード1世』の時代には、対仏戦争の戦費調達のために、議会権力の進捗を勧め、現在のイングランド議会の庶民院にあたる『模範議会』を開催するが、これは、先のヘンリー三世の時期に策定された議会を母体にするものである。
そして、フランドル=ギエンヌ戦争(百年戦争)のおいて、エドワード3世(黒太子)がエドワード1世と同じく戦費調達のために模範議会の権限強化を行い、英国議会の現在の両院制へと変貌してゆく

字数数えてないけど、300ないと思われ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
設問2.第4回十字軍の歴史的意義について150字以内で説明しなさい

これは案外厄介な論述です。第四次は特徴が多過ぎるのです

第四次(回)十字軍は、イェルサレム攻略ではなくエジプト攻略を目的として始まったが、計画的軍事行動を欠いたが故が現地での大規模な略奪が行われ、同じキリスト教国家である東ローマの首都・コンスタンティノープルを攻略・ハンガリーでの大略奪などが行われた。その結果、ローマ教皇権の世俗的な失墜・東ローマ帝国の一時的な滅亡・ヴェネツィアの地中海制海権の確立・ラテン帝国成立によるムスリム・キリスト教徒の共存関係の深化が見られる


こんな感じでしょうか・・150文字はあまりにも短すぎますね・・・


参考までに・・・

予備校世界史講師です

論述としては、極めて、難易度の高い出題であろうと思います
特に「フランドル=ギエンヌ戦争」などは用語集レベルでも存在しない用語なので、知らないのが普通でしょう
イングランド通史としても、名前が重要ではないので・・・

設問確認しながら回答しましょう

1.「マグナ・カルタ」以後のイングランドの政治史は、「マグナ・カルタ」をどうするのか、という問題としてもよいほどに重要な役割をこの文書は果たしている。その過程は、1340年頃今日に近い二院制の形成に至るが、それまで...続きを読む

Q中世ヨーロッパで。

中世ヨーロッパで宰相として独裁的な政治をした人物、と言われて、最初に思いつくのは誰ですか?

漠然としていますが(笑)。

Aベストアンサー

中世ですか? 近世ならいっぱい名宰相がいますが
中世となれば宰相というか宮宰でしょうか。
ピピン3世ぐらいかな。

中世は中央集権化がすすんでないので、
宰相のような国権の代理をするような地位は
あまり必要ないんですよね。

中世にはたびたび国王が発狂してるとかで
政治をつかさどれないときがありますが
そういうときは摂政が立ちますし。

近世にはマゼラン、リシュリューという二台巨頭がいますが
中世には宰相のような役割をしていた人はいますが
マイナーすぎてすぐには思いつかないね。


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