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川中島の戦いのように1対1なら誰が敵で誰が味方かに悩むことも無かったでしょう。が、関が原の戦いでは何十もの軍隊が戦っています。ある軍に属する兵隊は、自分の軍以外の兵隊に遭遇したときそれが敵か味方かどうやって識別したのでしょうか。もちろん旗指物は見ます。でもそれが井伊の軍なのか、大谷の軍なのか、福島の軍なのか、彼らは識別するだけの知識を持っていたのでしょうか。前の晩に必死になってこのデザインは誰それの軍のもの、と記憶(それこそ一夜漬け)したのでしょうか?さらに言えば、仮にこのデザインが島津軍のものだと分かっても、それが東軍か西軍かわかったのでしょか?寝返りもたくさん発生しています。一体関が原の戦いに参加した兵隊はどんな認識で行動を取っていたのでしょうか?

A 回答 (3件)

旗もありますが、当時は合い言葉を使っていたようですよ。

「山」とか「川」とかですね。当時は足軽が発達していましたから、戦国初期のように「やあやあやあ」と名乗りを上げるのはあまりなかった(隊長級の武将はあったでしょうが)ようですしね。以上、あんまり自信ないですが・・・。
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同士討ちを避けるための目印を「合印(あいじるし)」というのですが、背旗、袖印、槍印のほか、具足、陣笠、胴中などにかなり目立つ印を雑兵にいたるまで付けて味方を識別したようです。


テレビなんかでは使い回しを考えてか、やってもせいぜい布を付けるくらいですね。わかりにくいことおびただしいですが、かえって乱戦の迫力が出ていいのかも。
敵・味方となる軍が複数の場合…やっぱり覚えたんでしょうねえ。全軍では何十もいても、局所的な戦闘ではそれほど複数が入り乱れないでしょうし、「××印は敵なり、○○印は味方なり」と周知してから戦闘に臨むのは、かなり重要でかつ常識的な仕事だったんじゃないでしょうか。
従って敵軍を寝返らせることは、単に戦力という以上に、敵軍勢に相当な混乱をもたらす大変効果的な戦法ですよね。関ヶ原みたいな寝返らせ合戦だと、どの軍も周囲の状況をみるのに相当神経をすり減らしていたことでしょう。現場レベルの認識はだから…臨機応変。味方以外は敵。襲ってくるのも敵。状況が掴めなければ撤退もやむなし。そんな感じじゃないかなー。
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個々の兵隊は、「指揮官」の指示で戦いますから、(戦わずに退くこともふくめ)


隊長が「あれは○○軍である。○○軍は敵方である」という情報をもっていれば「つっこめ」という判断をするでしょう。指揮官の役目はそういうところにある。
(それによって、戦力的に武田軍に劣った織田軍が勝利したわけだから、その後の戦いがそういう方向で行なわれたのは自然でしょう)
開戦前に、誰々の軍はどこに配置、という軍議はされているだろうから、戦いの方針として「まず、○○軍にあたる。次に予想されるのは・・。身近な味方は・・」、という予備知識はあります。

関が原の戦いは、小早川が寝返って(徳川からみれば予定通り)2時間ぐらいで決着がついたそうだから、それぐらいの時間では敵味方が入り乱れるほどの混戦にはならなかったのではないでしょうか。
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