現在卒論書いてまして、英語名が分からず困っております。
どなたか第二次大戦前の「オレンジ計画」と
中国抗日戦争の一環であった「百団大戦」
の英語名をご存知ないでしょうか?
どちらか一方でもかまいませんので、よろしくお願いします。

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A 回答 (2件)

オレンジ計画は、「War Plan Orange」


でいいのではないでしょうか。

参考URL:http://www.opengroup.com/hjbooks/087/0870217593. …
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この回答へのお礼

すばらしい!
興味深いURLまでつけて下さって
大変ありがとうございました。

お礼日時:2000/12/30 15:44

百団大戦のほうですが、


「the Hundred Regiments Offensive」
としているみたいです。

参考URL:http://home.earthlink.net/~kguerin/EuropaRing/Gl …
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Q小学生のころから歴史が好きで、今まで 戦国時代→第二次大戦→湾岸戦争→中東・イライラ戦争→第一次大戦

小学生のころから歴史が好きで、今まで
戦国時代→第二次大戦→湾岸戦争→中東・イライラ戦争→第一次大戦と
勉強をしてきました、ほかに何か良さそうなものありますか?

高2です。

Aベストアンサー

必ずしも歴史書が歴史の真実を記しているとは限らない。それに、歴史書は必ずしも面白くない。面白く無ければ人間は読むのをやめてしまう。

そこで私が推薦するのは、パール・バックの「大地」だ。中古で千円以下で手に入るようだ。第一巻だけでも読むと良い。あなたの人生が変わる。とてつもない価値の有る本だ。ピューリッツァ賞と、ノーベル賞を取っただけの事はある。

Q先の大戦、日本軍の戦争犯罪

8月23日付 朝日新聞デジタル「敗戦直後、機密書類の焼却指示 宮内省」
http://www.asahi.com/national/update/0823/TKY201308230081.html

敗戦直後、当時の宮内省が機密書類の焼却を省内に指示した文書が、宮内庁の宮内公文書館に残っていた。朝日新聞記者が閲覧して見つけ、承諾を得て撮影した。陸海軍が戦争犯罪の追及を恐れて機密書類を焼いたことは知られているが、政府機関の中枢が焼却を指示した公文書が見つかるのは極めて珍しい。

この記事の中に
「陸海軍が戦争犯罪の追及を恐れて機密書類を焼いたことは知られている」
とありますが、当時(昭和20年8月18日)陸海軍は、何が戦争犯罪に当たると、認識していたのですか。
当時、何らかの国際法があって、その法に抵触することを日本軍がしていたということであれば、何が一番問題なのですか。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

戦時下のルールについて,当時既に「ハーグ陸戦条約」という国際法が定められていました。
条約では,「非戦闘員(民間人んど)を攻撃しないこと」「毒・ガスなどの化学兵器の禁止」「捕虜の人道的な扱いをすること」等などのルールが決められました。
http://www1.doshisha.ac.jp/~karai/intlaw/docs/hr.htm


ところが,実際の戦争にはルールなんて存在しません。
実際に第二次世界大戦では民間人なんて何人も殺されてますし,捕虜の扱いだって人間扱いされていなかった事などが分かっています。
贔屓目に見ても,日本も条約違反を沢山行ってます。
当然,敗戦すればそういった条約違反が上層部の指示で組織的に行われていたことが公文書などでバレてしまいます。
そうなれば,責任追及され処刑されてしまいます。
それを恐れた上層部が,焼却処分をするよう指示した文書が記事にある史料です。


>当時、何らかの国際法があって、その法に抵触することを日本軍がしていたということであれば、何が一番問題なのですか。

色々ありますよ。
例えば,宣戦布告をしてから開戦するのが決められていますが,真珠湾攻撃において攻撃後に宣戦布告となっています。
どういった事情でそうなったのかはまだよく分かっていません。
また,731部隊というのがあって,そこでは非人道的な研究が行われていたと言われています。
毒ガスや細菌兵器の製造や,人体実験などが行われていたとされています。

上記二つは,有名な事柄ですが,史実は今現在も謎とされています。
もし,公文書が焼却処分されなかったら,色々と明らかになっていたでしょうね。
ではでは、参考になれば幸いです。

戦時下のルールについて,当時既に「ハーグ陸戦条約」という国際法が定められていました。
条約では,「非戦闘員(民間人んど)を攻撃しないこと」「毒・ガスなどの化学兵器の禁止」「捕虜の人道的な扱いをすること」等などのルールが決められました。
http://www1.doshisha.ac.jp/~karai/intlaw/docs/hr.htm


ところが,実際の戦争にはルールなんて存在しません。
実際に第二次世界大戦では民間人なんて何人も殺されてますし,捕虜の扱いだって人間扱いされていなかった事などが分かっています。
贔屓目に見ても...続きを読む

Q中国が抗日一色に染まった時期は?

中国が抗日一色に染まった時期は?

1)ある書物に於いて、ある元軍医は日中戦争の開始を昭和12年7月だといっています。これは7月7日の盧溝橋事件を指しているのだと思います。

2)別の書物に次の主旨の記述があります。
昭和12年8月、上海近くの揚子江で日中の艦船が出合ったときの話です。相手が攻撃してくれば反撃する積もりのところ、旗旒を掲げて互いに挨拶を交わし、無事に擦れ違ったということです。

2)に拠れば盧溝橋事件の後であっても、日中が出合えば無条件で戦闘になる状況ではなかったと思われます。
中国が国民軍、共産軍、軍閥の呉越同舟であったにしても、抗日という一点で纏まったのは何時頃ですか。2)を考慮すると昭和12年8月以降と推定します。勿論、2)は例外で盧溝橋事件の後は抗日一色だったかも知れませんが…。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E4%B8%AD%E6%88%A6%E4%BA%89#.E5.89.8D.E5.8F.B2 
可能であれば、この年表に記載のある年月(日)で示して下さると有り難いです(何時頃としか言えないのも理解できます)。
よろしくお願いします。

中国が抗日一色に染まった時期は?

1)ある書物に於いて、ある元軍医は日中戦争の開始を昭和12年7月だといっています。これは7月7日の盧溝橋事件を指しているのだと思います。

2)別の書物に次の主旨の記述があります。
昭和12年8月、上海近くの揚子江で日中の艦船が出合ったときの話です。相手が攻撃してくれば反撃する積もりのところ、旗旒を掲げて互いに挨拶を交わし、無事に擦れ違ったということです。

2)に拠れば盧溝橋事件の後であっても、日中が出合えば無条件で戦闘になる状況ではなかったと思われます。...続きを読む

Aベストアンサー

国民政府軍と共産党軍が纏まったという点ならば・・・
「8月22日、共産党軍の国民政府軍への編入。」


国民政府軍が日本との全面抗戦を開始した日ならば・・・
「8月14日、中国空軍機による上海疎開爆撃」
また、ウィキには書いてませんが、この日、国民政府の蒋介石が日本軍への攻撃を命じました。
かなり古い本で恐縮ですが、青木書店から1984年に出版された石島紀之著書の「中国抗日戦争史」には、この8月14日の蒋介石の命令で・・
「ここに中国は全面的な抗日戦争に突入するにいたった」と記してあります。

ちなみに国民政府が日本との全面抗戦を決定したのが8月7日の国防会議です。
なおウィキには蒋介石が陸海空軍の総司令官に就任したのは8月15日となっていますが、「中国抗日戦争史」では8月12日となっています。
つまり「中国抗日戦争史」では・・・
8月7日、国民政府が日本との全面戦争を決定。
8月12日、国民政府の蒋介石、軍の総司令官に就任。
8月14日、蒋介石、軍に日本軍への攻撃を命令。
となります。


盧溝橋事件の後でも8月14日までは、国民政府も開戦には慎重でした。
盧溝橋でも現地部隊による停戦協定が結ばれています。
しかし、その後も各所で日中の衝突が頻発し全面戦争への道を歩んでいきます。
ですから8月14日以前ならば、揚子江で日中両軍の艦船が出会っても戦闘にならなくてもおかしくないと思います。

なお、共産党の軍が国民軍に編入されたのは8月22日ですが、共産党は盧溝橋事件の翌日には、国民政府に国民党・共産党の両党の合作と抗日戦争の発動を呼びかけており、7月の半ばには共産党代表として周恩来が、国民政府の国防会議に招かれ正式に会議に出席するなど、共産党と国民政府は接近をしていました。

国民政府軍と共産党軍が纏まったという点ならば・・・
「8月22日、共産党軍の国民政府軍への編入。」


国民政府軍が日本との全面抗戦を開始した日ならば・・・
「8月14日、中国空軍機による上海疎開爆撃」
また、ウィキには書いてませんが、この日、国民政府の蒋介石が日本軍への攻撃を命じました。
かなり古い本で恐縮ですが、青木書店から1984年に出版された石島紀之著書の「中国抗日戦争史」には、この8月14日の蒋介石の命令で・・
「ここに中国は全面的な抗日戦争に突入するにいたった」と記してあります。

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Q抗日戦争、中国側の武器(戦闘組織・手段・支援)について

日中戦争時、抗日中国人の組織、戦闘手段(武器とその使用)、武器支援(購入方法)、について教えて下さい。

日本側は日中戦争中年間2万人ほどの死傷者がでていたそうですが、中国兵は強力な武器を持っていたようだという話しか知りません。

中国兵の所有はあくまでもライフル・機銃、拳銃だけであったとして、日本兵が所有していたライフルとの性能を比較して、知っておきたいです。

Aベストアンサー

>「当時の日本兵は蒋介石の軍隊とは戦ったが、共産党の軍隊と戦った記憶が無い」
それは地域による違いでしょう。山東地区では共産党軍の主力である通称「八路軍」が日本の59師団と戦っています。(もっとも、彼らの戦果報告は明らかに過大ですが)また、弾薬の乏しい八路軍は徹底的にゲリラ戦術でしたので、軍ではなく匪賊という認識だったのかもしれません。なお、戦後の国共内戦では国共両軍に旧日本兵の一部が強力、捕獲された戦車や戦闘機の扱いを教えたり、自ら操作して参戦したこともありました。

>ドイツのI号戦車A型
三国同盟以降に日本軍に捕獲(リンク先の一番下の画像参照)され、内地に持ち込まれ展示されましたが、気を使って「ロシア製」という説明表示になっていたそうです。
http://www2.ttcn.ne.jp/~heikiseikatsu/mokei/CAMARA.htm
他にも国民党軍は3.7cm対戦車砲PAK36や8.8cm高射砲(有名なFLAK18や36/37ではなく、海軍の沿岸砲)も使われており、後者は日本軍にコピーされ九九式八糎高射砲として生産されました。
http://www.warbirds.jp/kunimoto/type51/88-1.htm

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E8%B7%AF%E8%BB%8D

>「当時の日本兵は蒋介石の軍隊とは戦ったが、共産党の軍隊と戦った記憶が無い」
それは地域による違いでしょう。山東地区では共産党軍の主力である通称「八路軍」が日本の59師団と戦っています。(もっとも、彼らの戦果報告は明らかに過大ですが)また、弾薬の乏しい八路軍は徹底的にゲリラ戦術でしたので、軍ではなく匪賊という認識だったのかもしれません。なお、戦後の国共内戦では国共両軍に旧日本兵の一部が強力、捕獲された戦車や戦闘機の扱いを教えたり、自ら操作して参戦したこともありました。

>ド...続きを読む

Q第一次世界大戦と第二次大戦

第一次世界大戦はどういう経緯でおきたのですか?
あと第二次では中国はアメリカ側だったのに、なんで日本より中国は発展が遅いんですか? 日本はアメリカに負けて戦争終わってからどんどん成長してきたけど、中国はもっとまえからアメリカとはそこそこの関係?(一方的かな?)だったのになぜですか?人口が多すぎるからですか? 教えてください。歴史の知識が薄いのでお願いします。

Aベストアンサー

>第一次世界大戦はどういう経緯でおきたのですか?
ぎりぎりの緊張した場所がひょこっと誕生し、どこも望んでもいない戦争が突然発生して、ヨーロッパ中を巻き込んでしまった、という雰囲気ですね。
>あと第二次では中国はアメリカ側だったのに、
>なんで日本より中国は発展が遅いんですか?
欧米以外で先進国になった国は日本だけです。中国が不思議なのではなく、日本にヨーロッパ的な要素がもともとあったということでしょう。日本がなぜ発展できたのか、米国のアフリカ系の社会学者とか大変興味をもって研究しているとか聞いたことがあります。そこはもう、社会学・経済学の奥深いところに答えがある気がします。


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