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スポーツの世界で「たられば」は厳禁ですが・・・

過去現在含めて
「この選手怪我させしなかったらなぁ~もっと凄かったのに!」
と特に印象に残る選手っていませんか?

ちなみに私にとって印象的なのが、広島の前田智徳選手と
巨人の吉村禎章選手です。このお二人は怪我がなければ
三冠王に絡む活躍をしていた様な気がして、何とも勿体ない思いです。

A 回答 (11件中1~10件)

荒川尭選手



世界の王を育てた荒川博氏が、その才能にほれ込み養子縁組までして育てあげた選手。早稲田大で活躍し、当時博氏が巨人のコーチであったこと、東京六大学で活躍したことから神宮を本拠地とするヤクルト、この2球団以外の指名は拒否していたが、結局大洋ホエールズに指名される。本人は拒否したが、1年後ヤクルトへの移籍を前提に大洋と契約。このことが、「ドラフト破り」と批判を受け、いろんな嫌がらせを受ける。その中でも大洋ファンの暴漢に襲われ、左目を負傷したことが、現役生活を短くした。プロ入りし、活躍する年もあったが、徐々に左目の後遺症により、5年という短い現役生活を終える。

個人的には、この選手のプレーなどリアルタイムでは見たことはありませんが、いろんな野球の本ではよく取り上げられることが多く、またドラフト制度のあり方にも影響を与えた選手です。エピソードを聞くと、ちょっとかわいそうな気がします。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E5%B7%9D% …
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この回答へのお礼

お恥ずかしながら私はこの荒川選手のことは、全く存じ上げて
おりませんでしたが、エピソードを拝見すると
何とも波瀾万丈な野球人生を送られた方なんですね。
ドラフトに多大な影響を与えた人物として覚えて置きたいと思います。
また一つ勉強になりました!
ちなみに、このエピソードを拝見していて、ふと脳裏をよぎった選手が
三人いました。
江川、小林、元木のお三方です。

どうも有り難う御座いました。

お礼日時:2006/07/19 13:05

凄い投手は使われ方も凄いので


どうしても怪我と二人三脚になってしまいますよね。
ヤクルトの岡林投手が日本シリーズで3試合も先発しないで
大事に調整させてもらえれば200勝投手になったのではないかと思っています。

あと川崎投手や広沢選手もヤクルトを出なければ
名球界選手に近づけたのではないかなと思っています。

それから意外(?)と清原なんかそうじゃないでしょうか。
怪我をせずに1年間あの働きをしていれば三冠王候補にもなると思います。
そして清原の出す相乗効果はすごいのでオリックスも
優勝争いに加わってくるのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

確か当時野村ヤクルトの先発の柱になってましたよね。
>怪我と二人三脚になってしまいますよね
信頼と実績があるが故に、負担の掛かる大事な場面で使われて
登板過多になってしまうのでしょうね。
川崎選手も球界屈指のシュートでまだまだ勝てたと思います。
中日に移籍と聞いたときには、「こりゃヤバイなぁ~」って
当時本気で思ってました(笑

広沢選手は私もあのままヤクルトで池山、古田両選手と共に
打線を引っ張っていった方が良かったのではないか?と思います。
あのアウトコースの球をライト方向へホームランにする技術は
敵ながら素晴らしいと思ってましたから。

清原選手はホントに何故タイトルが取れないのか不思議ですよね、
巨人時代はともかく西武時代なら打点王、ホームラン王辺りを
2.3回取っていても良さそうなもんですが(苦笑
パワー、勝負強さを併せ持ち、近年めっきり少なくなってしまった
ピッチャーとの一対一の真剣勝負を楽しませてくれる希有な選手ですね。
ですが最近は足の状態がどうにもならなくなって来たようですね、
巨人のK、オリックスのK共に今年で見納めでしょうか・・・

どうも有り難う御座いました。

お礼日時:2006/07/19 14:09

古いですが、阪急の水谷実雄選手。


既に広島で一時代を築いた選手を「もっと凄かったのに」というのもなんですが…

1983年阪急に移籍するや、すぐに打点王を獲得。
パ・リーグでも一花咲かせるかと思った矢先、84年の開幕戦で頭部死球を受け、
その後遺症から回復すること無いまま85年に引退しました。

あれさえなければ、84年に頭角をあらわしたブーマーが加わり、
まだ元気だった福本、円熟期に入った簑田、松永とともに
どんな打線が出来たかと思うと…残念です。

そういえば、その簑田浩二も頭部死球に泣かされました。
石嶺和彦といい、阪急の中心打者は頭部死球にたたられてますね(^_^;
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この回答へのお礼

水谷選手、私はその風貌が特に印象に残ってます(笑
頭部への死球というのは、多数の選手がおっしゃってますが
気持ちだけではどうにも克服出来ない場合もあるようですね。
去年でしたか、清原選手が頭部死球を受けた後、体は何ともないのに
打席に立ってインコースに球が来ると体が勝手に変な反応を
してしまい、まるで自分のバッティングが出来なくなると
いう話しをしておられました。
水谷選手も同じ様な状態だったのでしょうかね・・・
プレイ中の出来事とはいえ実に惜しいですね。

福本、松永、ブーマー、水谷、簑田選手の打線
私も是非見てみたかったです!

どうも有り難う御座いました。

お礼日時:2006/07/19 13:40

ロッテの黒木知宏投手。



悪夢の18連敗などを経験しながらも弱小時代のロッテをエースとして支えて、毎年、二桁勝利を重ねて01年。開幕から自身もチームも好調。今年こそは…と思われた矢先の故障。ファン投票でオールスターに選出されたこともあって、強行出場で故障が悪化…。
現在の強力なロッテ投手陣があるのは、弱小時代に彼が中心になって引っ張ったおかげだと思うだけにあの時の怪我と、その後のオールスターでの無理が悔やまれます。
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この回答へのお礼

ジョニー~♪
黒木選手の泣きながらのインタビュー印象的でしたね。
弱小球団において毎年安定した成績を残せるのは
心技体が高い次元で揃っていなければ出来ない事だと思います。
特に黒木選手の場合ハートを前面に出すスタイルから非常に”熱い漢”
を感じます!私も応援している内の一人です。

>ファン投票でオールスターに選出されたこともあって、強行出場で故障が悪化…。
ロッテの顔としての責任感、ファンを大切にする強い想い
彼ならではの決断だったのでしょうが、勿体ないですね・・・
是非とも完全復活を遂げて欲しいです。

どうも有り難う御座いました。

お礼日時:2006/07/19 13:23

門田博光選手、谷沢健一選手はいずれもアキレス腱のケガで、フルに働けないシーズンもあったが、その後も輝かしい実績を残した。

「たられば」という意味では、少し趣旨から外れるかもしれませんが、ケガにもかかわらず復帰後も充分な活躍をし、名球会入りした選手。
見方によっては、ケガというハンデを乗り越えた選手、あるいはケガがあったからこそ更なる活躍の原動力になっているとも言えます。

特に、門田さんは、1988年40歳で44本125打点の2冠王に輝き、この年西武が優勝したが、優勝チームから選出されることの多いMVPを獲得した。王さんも40歳では30本でしたし、この年の門田の活躍は「中年のがんばり」として、野球界だけでなく、社会全体でも評価されることが多かったと記憶しています。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%80%E7%94%B0% …

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E6%B2%A2% …

http://www.meikyukai.co.jp/
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この回答へのお礼

門田さん、谷沢さん共にスポーツ選手にとって致命傷にもなりかねない
アキレス腱の怪我を克服されてのご活躍は本当に素晴らしいですね。

>ケガというハンデを乗り越えた選手、あるいはケガがあったからこそ更なる活躍の原動力になっているとも言えます。
ホントそうですよね、↓の方が挙げられた村田さんもそうですが
一昔前の選手って”心”体”が本当に「強い」と感じますね。

門田選手はパリーグでしかも南海に所属していたせいか
失礼ですがちょっと地味なイメージがありますが
残された記録はどれも素晴らしいですよね!
打撃ランキングには必ず載ってますもんね~

どうも有り難う御座いました。

お礼日時:2006/07/19 12:53

ちょっと古いところで言えば村田兆治投手でしょうか。


1982年に肘を故障し、かの有名なジョーブ博士の手術を受けました。
その後1984年に復帰し、以後また活躍し1990年の引退までに215勝しました。
と、怪我があっても凄いんですが、怪我が無ければ300勝もいけたかもしれないと言う感じです。
ちなみに56歳の現在でも140km/h近い速球を投げれる事はかなり有名です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E7%94%B0% …
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この回答へのお礼

マサカリ投法ですね!怪我がなければ300勝、確かに行けた
かもしれませんね。ましてや”あの当時のロッテ”(失礼な言い方ですが)
で215勝もしているんですからね~215勝でも十分凄いですが(笑
村田さんは今でもトレーニングを欠かさず続けているらしいですね
ホント頭が下がる思いです。

どうも有り難う御座いました。

お礼日時:2006/07/19 12:32

前田智徳


伊藤智仁
今中慎二

この3人は絶対だね
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この回答へのお礼

皆さん同じご意見をお持ちの方が多いですね。
それだけ、怪我以前の能力がずば抜けていたと言うことでしょうか。

どうも有り難う御座いました。

お礼日時:2006/07/19 01:18

1度も1軍に上がれず、数年で解雇される選手などを除き、ある程度知名度を残した選手の中ではケガがなく現役を終える選手は皆無と言っていいと思います。



いろいろ考えても一番その実力を充分発揮できずに終わったのは、質問者のおっしゃるとおり、吉村禎章選手だと思います。野球史上最大の大ケガですし、お互い一生懸命のプレーの中起こったことなので、本当に気の毒です。その日通算100号を打ちましたが、残り10年の間で49本だったのは、やはり足の影響があったものと思います。ケガがなければ、タイトル争いに常に絡む活躍は期待できる選手でした。

前田智徳選手も、たびたびケガに見舞われていますが、それでも、常に首位打者争いに絡むなど、多少ブランクの時期がありながらもレギュラーを続けているのは立派だと思います。2000本安打は少しペースは落ちましたが、数年で可能な位置にいるので、是非達成して欲しいですね。例えば、シーズン終盤のタイトル争いのために打席を調整するようなことはせず、独特のポリシーを持っている部分はやや頑固かなと思います。が、逆にそれが彼なりのプロとしての哲学かもしれませんね。

あと、ケガではありませんが、広島の津田恒実投手は、脳腫瘍のため、若くして亡くなりましたが、南陽工業高校時代から速球を武器に活躍しましたが、プロに入ってからは血行障害に悩まさせながらも、ストッパーとして活躍し続けました。病気がなければと思う選手ですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E7%94%B0% …

同じく、現役途中に病死された福岡ダイエーホークスの藤井将雄投手も'99年のホークスの日本一に大きく貢献する活躍を見せ、勝利の方程式を確立し、以後の中継ぎの礎を築いた選手です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E4%BA%95% …
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この回答へのお礼

やはり前田、吉村両選手は印象深いですね。
イチロー、落合という偉大な両名に認められる前田選手には是非とも
2000本達成して頂きたいですね、ただ彼の性格からして
名球会は辞退しそうなんですが、どうなんでしょうね??

津田選手は炎のストッパーとして記録より記憶に残る選手として
印象に残ってます。彼の現役時代は知らずとも、彼を目標にしている
プロ選手もいるくらいある種カリスマ的存在になってますね。

藤井選手については、お恥ずかしながらリンク先を拝見するまで
思い出せませんでした(汗
昨今の野球では中継ぎ投手の重要性は周知の通り、
その礎を築いたとなれば、藤井選手の功績もまた偉大ですね。
勉強になりました!

どうも有り難う御座いました。

お礼日時:2006/07/19 01:15

質問者様と同じ選手を書いていましたね。


もっと、よく読むべきでした。
せっかくなのでもう一人追加します。

中日の今中慎二投手です。
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この回答へのお礼

わざわざ恐れ入ります。

今中選手、幾度と無く痛い目に遭わされた記憶があります(笑
素晴らしいサウスポーでしたね!当時、落合選手(現監督
が「今のセリーグに今中以上の左腕はいないだろ」と
コメントしていたのが印象深く残っています。
あの、落合に言わしめるとはスゴイですよね!

どうも有り難う御座いました。

お礼日時:2006/07/19 00:45

広島東洋カープの前田選手です。

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この回答へのお礼

やっぱり、そうですよね!今も素晴らしいですが
怪我さえなければ・・・(涙

どうも有り難う御座いました。

お礼日時:2006/07/19 00:40

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