江戸時代、どうしても避けられない険要の地点を選んで、53もの関所が設けられていたそうですが、徳川吉宗時代頃に青森から京都まで、それらの関所を通らずに旅をする事は全くの不可能であったのでしょうか。例えどんなに遠回りをしてでも、避けて旅をする事はできないものなのでしょうか。教えて下さい。

A 回答 (3件)

 


  単に「関所を通らずに」ということなら、それは簡単にできたはずです。関所はいわば、破られるためにあるようなもので、関所がある場所では、関所破りを手伝って、金品を手に入れようというやからが大勢いたのです。
 
  ただ、「徳川吉宗時代」という限定が付くと難しくなります。というのは、江戸時代最高の関所破りの達人というのは、他ならぬ、吉宗の陰の手足であった、「お庭番」と呼ばれる忍者の子孫たちだったからです。彼らが関所を守ると、破ることが難しくなります。
 
  (関所破りを金品の代わりに手伝おうという者たちのなかに彼らが紛れ込んでいる可能性があります。彼らには目的と使命があるので、ただの風来坊が関所破りをしたいだけとなれば、そのまま通してくれます。しかし、彼らが判断してヤバイ人間は、途中で暗殺するか、捕捉します)。
 
  もう一つ、関所を破ることができても、関所を通ると普通、よその国(藩)です。その場合、大藩では、公儀お庭番の類を国に入れないため、特別な監視をしていました。この場合、身振りや動作や、何と言っても、「言葉」が問題になります。「藩」同士の地元での公式交流はほとんどなく、よほどその藩の言葉・方言を学んでいても、対公儀隠密のこれも忍者の子孫にかかると、正体がすぐ分かったのです。
 
  しかし、関所は、厳重なようで、迂回すると何のこともありませんし、確かに地元の人には分かるかも知れません。しかし、地元の人こそ、関所破りの常習犯でしょう。関所を破る人間に賞金がかかっているとかいう事情でもない限り、問題は、箱根の関所などになり、数が限られて来ます。ところが、こういう関所ほど抜け道が多いというのが実状です。
 
  公儀隠密だと疑われないようにし、また逆に、藩の隠密だと疑われないようにすれば、金と知識とコネ次第で、全国自由自在に旅ができたのが、江戸時代です。どこかの藩発行の「仇討ちの承認証明」を、どこかから手に入れれば、それらしい姿や所作で、関所は自由に通れたでしょうし、これも「関所破り」の方法だとも云えます。
 
  江戸時代は、前期はまだ戦国の混乱が残り、秩序を立てるのが幕府として難しく、中期の吉宗は綱紀粛正しましたが、ターゲットがありました。そして江戸時代中後期は、商人の擡頭が著しく、諸藩は自己の経済困窮解決のため、特産品を発明して、これを他藩や天領、江戸・大坂などに売りましたから、ますます物資・人間の交流は盛んになります。こういうことを実践し、推奨したのは吉宗自身です。物資や人間の往来が多くなると、諸国を分断するために造った関所は、むしろ邪魔になってきます。関所は有名無実化して行くのです。
 
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この回答へのお礼

幕府、言葉、時代〃の関所のありかた、などなど。実に広い面での回答、ありがとうございました。吉宗の時代にお庭番が存在したとは、小説などで存じていましたが、そのような職務までは知りませんでした。彼等が動くとすれば、容易にはいきそうにありませんが、一般人になりますと、お金と知識、コネなどがあればどうにかなりそうなものなのですね。大変参考になりました。

お礼日時:2002/03/04 23:28

 たとえば、現在でしたら国道を通らずに日本を廻ることもできますが、江戸時代ですと、街道でないところを見なれない人が歩いていますと、村役人がいろいろ理由を聞いてきますし、農民も見慣れない人と話したり、交渉しますと後で問題が起こったとき、処罰されますので、役人に知らせます。

夜間だけを歩けば可能かもしれません。ただ、食事に苦労します。
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この回答へのお礼

村の角度で考えた事はありませんでした。例え関所を破る為の抜け道を通ったとしても、周囲の状況がそれでは難しいものですね。日本人は特によそ者意識が強いと聞きますし、役人に知らせるきまりがあるときたら、確かに日中では難しそうです。参考になりました。回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/03/04 23:06

 関所を通らずに抜け道を通ることを「関所破り」と言ったそうです。


 またそういう抜け道には山賊や海賊を黙認して、関所制度を守ったのだと聞いています。ただ本当かどうかはわかりませんが。
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この回答へのお礼

山賊や海賊を黙認する事によって制度を守っていたのですね。もともと国内の治安を守る為に設けられたものなのに、矛盾している面も存在したのですね。関所を通らずに旅をするには危険は避けられないものだとわかりました。回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/03/04 22:53

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Q江戸時代の関所って関所を通らなくてもよかったのでは

江戸時代の関所ですが、別にそこの関所を通らなくても迂回することは可能ですよね?例えば箱根の関所ですが、やる気になれば街道から一歩山の中へ分け入り、そこから関所を越すという感じでやれば関所を通らなくてもOKのような気がします。もちろん道なき道をわけいるのは面倒で勇気のいることだとは思いますけど、やってやれないことはないと思います。

入り鉄砲・出女と言われますが、鉄砲商人だったら死ぬ気でやれば見つからずにできたと思います。今みたいに山の中へ入ったら装置が作動して電気が付くなんていう事もできなかったと思いますし。あと時代劇とかで出女が関所を通るときに身分を偽って顔を隠すみたいな事をしていますが、これも関所を通らずに別のルートで出て行けたような気がします。

そこで質問ですが、関所はそれなりに機能はしていたと思いますが、本気で回避しようとしたら回避できたのではないでしょうか?

Aベストアンサー

>本気で回避しようとしたら回避できたのではないでしょうか?

士農工商のうち、農工商については通行手形なしで旅をした人もいるくらいで、回避方法はいくらでもあったようです。
例えば、厳しくて有名な箱根の関所の場合、関所近くの間道にも小さな番所が設けられていたり、森の中に鳴子(ヒモに触れると音が出る)を張ったりしていました。
が、箱根自体を通らず、北の方から迂回するルートはあり、そこの関所をこっそり抜ける道を案内する仕組みはあったそうです。
もっとも、こんな仕組みができるようになった頃には、関所自体、あまり取締が厳しくなくなっていた現実もあるようです。

でも、士分はそうはいかない。
入り鉄砲・出女は武士を対象にした規制ですが、例えば(こんな例はないと思いますが)、大名の妻が江戸から国へ帰った場合、関所を通ったという記録が残っていないと後が大変です。
幕府と戦をするつもりがあると見られてもしょうがない。

身分に関係なく、江戸を出る時は許可を得る必要がありますし、
大名の場合は大目付によって妻子が江戸藩邸にいるかどうかチェックされていましたので、入り鉄砲・出女は関所だけがチェック機関だったわけではないのです。

ただし、幕末になると妻子を国に返してもかまわない、ということになり、出女については意味がなくなっています。
討幕運動が一気に盛り上がれた要因の1つかもしれません。

>本気で回避しようとしたら回避できたのではないでしょうか?

士農工商のうち、農工商については通行手形なしで旅をした人もいるくらいで、回避方法はいくらでもあったようです。
例えば、厳しくて有名な箱根の関所の場合、関所近くの間道にも小さな番所が設けられていたり、森の中に鳴子(ヒモに触れると音が出る)を張ったりしていました。
が、箱根自体を通らず、北の方から迂回するルートはあり、そこの関所をこっそり抜ける道を案内する仕組みはあったそうです。
もっとも、こんな仕組みができるよう...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q日本の金、銀は枯れたの?

黄金の国ジパングとか言われた時代もあったくらいに昔は採掘されたてのですか?

それらは今はほぼ枯れたのですか?

今からはイメージ出来ません

Aベストアンサー

金鉱脈がどう生成されるかに付いては色々な意見が有ります。
最近有力な説は次の様なものです。
マントルの高熱で地下深くに閉じ込められた水が高温高圧になり、
それにイオン化した金が溶け出す。
この金イオンを含む高温高圧熱水が地層中の割れ目を通り地上に出る
過程で減圧冷却され、金として岩石中に析出し、金鉱脈が生成される。

火山国で地震国である日本には、当然金鉱脈が多く、それも比較的
地表に近い所にあります。見つけ易い所にあるわけです。
これを探して採掘していたのが、戦国時代から江戸時代末までの状況です。
当時の技術で見つけることができ、掘り起こせる範囲の金はほぼ取りつくされて
しまいました。あらゆる大名が自領地を掘ったわけですから。

現在は金鉱脈生成の過程も解明され、地質学的知見も深まり、探索
技術も進歩し、世界的な金鉱脈が日本で続々と発見されています。
一番有名なのは、鹿児島の菱刈鉱山(住友金属鉱山)ですが、
大分県九重、山形県大峠、北海道東部(釧路周辺)にも金鉱脈が
発見されています。
下記URLの【黄金の国ジパングは復活するか】を見てください。
http://www.iforum.jp/okuchika/t5713.html

菱刈鉱山の金品位は世界屈指ですが、他の鉱脈もそれに劣らない
と言われています。

さて、これ程の金鉱脈を持ちながら日本での生産は何故菱刈だけなのか
は次の理由からです。
掘って生産量を挙げても金相場が下がるだけで住友金属鉱山には
投資に合うメリットは無いのだそうです。それで現在の菱刈が枯れたら
次の鉱区を開発する予定だそうです(直接聞いた話)。
金鉱脈発見ラッシュから20年以上も経つのに、菱刈はまだ枯れそうも
ありません。

例外的に、日本政府が金本位制への復帰を宣言し住友金属鉱山から
増産分の金を定額で買う、住友金属鉱山が経営不振に陥り金の増産を
行わざるを得なくなる、等が起れば日本は再び「黄金の国ジパング」
に成るかもしれません。
現在は「赤金(借金)の国ジパング」です。

金鉱脈がどう生成されるかに付いては色々な意見が有ります。
最近有力な説は次の様なものです。
マントルの高熱で地下深くに閉じ込められた水が高温高圧になり、
それにイオン化した金が溶け出す。
この金イオンを含む高温高圧熱水が地層中の割れ目を通り地上に出る
過程で減圧冷却され、金として岩石中に析出し、金鉱脈が生成される。

火山国で地震国である日本には、当然金鉱脈が多く、それも比較的
地表に近い所にあります。見つけ易い所にあるわけです。
これを探して採掘していたのが、戦国時代から江戸時代...続きを読む


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