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大学の授業で文化的覇権について勉強しましたが、いまいちグラムシの言っている事がわかりません。
文化的覇権=ヘゲモニーは現代の問題にどう関わっているのですか??
具体例などあるのですか??  例えば、日本が太平洋戦争時代に朝鮮に創氏改名を強制させた事は文化的覇権に含まれる、とか。←これは自分で考えた事例なので違っているかもしれません!!(涙)
・・・
誰か助けて下さい。よろしくお願いします。

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A 回答 (1件)

私も以前、大学の授業の課題でグラムシやアルチュセールを読んだことがあります。



ヘゲモニーというのは、外部からの物理的強制力に対して、内面的な思想的強制力と言えるのでは無いでしょうか?

学校を例にすると(アルチュセールも学校を例にしてましたが)、授業が始まっても席に着かない児童を、先生が力ずくで座らせる、これが一般的な強制力です。

ところがたいていの学生は、授業が始まれば、何も言われなくても自主的に席に座りますよね。しかも学生たちはそれが当たり前だと思っています。でもよくよく考えれば、「授業が始まったら席に着く」という行為には何の自明性(根拠)も無いのではないでしょか?それは学生たちが小さい頃から教え込まれたからに過ぎません。この何かを「そうするのが当然だ」と思わせて、自分からその行為をさせる力、これがヘゲモニーだと言うわけです。

そうすると、普段何も考えずに、自主的に行っている様々な行為が、実は自ら行っているのではなく、誰かに(他者)に刷り込まれて強制されている行為なのではないか?ということになります。

話をもっと大きくして(?)考えれば、ファッションなんかにも当てはまるのではないでしょうか?
最近「エビちゃん」ファッションというのが、OLさんたちに流行っているようです。

でも一昔前、バブルのころは、漫画ヤワラちゃんや、千堂あきほみたいなファッションが流行っていて、もっとも前には松田聖子みたいな「聖子ちゃんカット」が流行っていたわけです。けれど誰も、いまや千堂あきほや昔の松田聖子がかわいいとは思いませんよね。

そうすると彼女たちが「自分で」かわいいと思って真似るそのファッションが、実はそれはファッション誌やCMがそう思わせているとも考えられます。なぜなら本当に「自分」でかわいいと思っているなら、大勢の人間が毎年毎年、別のものを、同時にかわいいと思うことがあるでしょうか。自分固有の基準ってそんなにすぐ変わってしまうべきではないですよね。

結局グラムシやアルチュセールが言いたいのは、自分の価値観がそれほど自分に固有のものではなく、次から次に誰かによって吹き込まれている不安定なものに過ぎないわけで、そうすると自分というデカルト以来の基準が、実はいかがわしいものではないか?ということではないでしょうか。

あと創氏改名についてですが、これはヘゲモニー的戦略としては失敗でしょうね。というのも大半の朝鮮人は嫌がったわけですし、それで彼らが戦争に積極的に協力したわけでもないですから。要は「それと知らずに、自ら体制に協力するよう仕向ける」というのがヘゲモニーの条件だと思います。

もし戦後も朝鮮半島が植民地のままで、彼らが日本名を持ち、日本語を話し続けることで、2世、3世が自ら日本人のように振舞うようになれば、成功と言えるでしょうが...ご存知の通り大多数の朝鮮の人は基本的に半日です。

私は専門家でもなんでもありません。あくまで私個人の解釈であることを断っておきます。
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この回答へのお礼

な、なるほど~!!!わかりやすい回答ありがとうございました!!
グラムシの概念は今の世の中にも当てはめる事ができるのですね!!
ってことは私たちが情報に踊らされてるっていうのは誰か見えないものに覇権を握られてしまってる・・・って事になってるんですね。。
本当にありがとうございます!!

お礼日時:2006/07/22 17:16

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Qヘゲモニーとは???

クラスのプロジェクトで、困ってます。ヘゲモニーについての例をひとつ教えて下さい。

Aベストアンサー

ヘゲモニーには、「影響力上もしくは権力上の優越」という一般的な用法と、イタリアのマルキシストであるアントニオ・グラムシ(Antonio Gramsci, 1891-1937)が発展させた理論的な概念の二通りの用法があるのですが、ご質問はどちらのヘゲモニーを指しているのでしょうか?

もし後者の場合でしたら、ここでのヘゲモニーは特に「文化的ヘゲモニー」を指しています。
それは、支配的集団の(単に政治的経済的だけではなく)倫理的知的リーダーシップを意味します。
べつの言葉で言えば、これはイデオロギーの面での支配とも言えます。
グラムシにとって、成功したヘゲモニーの例とは、フランス革命時のフランスのブルジョワの文化的ヘゲモニーで、逆に失敗の例は、19世紀のイタリアの国民統合の時期にイタリアのブルジョワがリーダーシップを取るのを失敗したことのようです。

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q日本は単一民族国家???多民族国家???

先ずはアンケートです。

①あなたは日本は単一民族国家だと思いますか?

②あなたは日本は多民族国家だと思いますか?


僕が知っている日本の民族は、大和民族、アイヌ民族、ウィルタ民族、ニヴフ民

族、琉球民族の5つなのですが他に存在しますか?それともこの中に違うものがあ

りますか?実際は、日本は単一民族国家なのですか?多民族国家なのですか?


日本は単一民族国家であるという人がいますが、これは大和民族以外の少数民族は

認められていないということなのでしょうか???

Aベストアンサー

日本民族は単一民族と言っていいと思います。もちろん、アイヌ族や琉球族などの少数民族というか少数文化をもった人々もいます。いますが、たとえば関東と関西の違いなども事実上文化的には異文化と言っていいぐらい違いますし、これが外国なら違う国になっていてもおかしくないぐらいの差異がありますから、アイヌなどに代表される民族も日本民族の一派でいいと思います。
(たとえば、スペイン語とポルトガル語は9割りまでは同じですで、文法上の違いはほとんどないですが、別の国です)

もちろん、各民族が「私たちは大和民族とは違う誇りがある」と表現されるならそれはそれで尊重すべきだとは思いますが、以下が単一民族の理由です。

日本がなぜ単一民族と「言っていい」と思うかというと「日本人」が成立したのが古墳時代末期までさかのぼるからです。推古天皇の時代には日本列島にヤマト王権が成立し、その後続日本紀に702年(大宝2年)の遣唐使で「日本」という国号を使った、とあります。

この時代以前は、日本は成立しておらず、各地に豪族がいたわけです。この豪族は出自が朝鮮系だったり大陸系だったり、DNA解析からみると東南アジアやミクロネシア方面もいたといわれています。

この時点では日本列島がいくつかの国に分かれてもおかしくなかったし、言語が今と違ってもおかしくなかったのです。しかし、のちに大和朝廷となる大豪族の力によってだんだん統一国家になっていき、天武天皇は統一国家としての王であったと言われております。
そして平安時代ぐらいまで掛けて日本列島は北海道と沖縄を除いて「日本」になったわけです。この時点で様々な出自や文化をもった人々はすべて「日本人」になり、天皇家の下で一致協力してこの国を発展させる意思をもちました。他の些細な差異や文化的宗教的な違いは「地方の特色」に変わったのです。

この統一国家としての約束があるから、戦国時代なども「天下取り」ができたわけです。天下取りは京都に上って天皇から「征夷大将軍」の称号をもらえば日本を支配できる将軍になれる、ということです。
これは逆を言うと「天皇がそういう人を選んだなら、私たちは従う」という約束が日本国中で出来ていた、ということです。
この約束を守る人々が「日本民族」である、と言っていいと思います。

逆の例を出しましょう。イギリスでは最近スコットランドが独立の住民投票を行いました。結局は否決されましたが、これだけ長い間統一国家なのに、スコットランドは「俺たちはイングランドとは違う国」と思っているわけです。この理由の元々は、ローマが侵攻した時にイングランドとウェールズを征服したのにイングランドは国境を引いてローマ化しなかったことに由来していると言われています。

このように日本でも歴史的な経緯が違えば単一性が損なわれたかもしれませんが、現在の日本は均一性が高く「統一王朝国家」としての纏まりが非常に強いといえます


日本で独立運動が起きる可能性があるのは、せいぜい沖縄ぐらいでしょう。でも沖縄は戦後米軍政時代になんども「日本復帰」を決議して大量の処分者をだしているのです。
このように、日本は各地方に特色がありますが、世界の標準からすれば「単一民族」と言っていいぐらいだと思います。それでも少数民族の独特の文化や言語は守るべきだと思いますが、そうではない各地方の文化も守ればよいのではないでしょうか。

日本民族は単一民族と言っていいと思います。もちろん、アイヌ族や琉球族などの少数民族というか少数文化をもった人々もいます。いますが、たとえば関東と関西の違いなども事実上文化的には異文化と言っていいぐらい違いますし、これが外国なら違う国になっていてもおかしくないぐらいの差異がありますから、アイヌなどに代表される民族も日本民族の一派でいいと思います。
(たとえば、スペイン語とポルトガル語は9割りまでは同じですで、文法上の違いはほとんどないですが、別の国です)

もちろん、各民族が「...続きを読む

QWord 文字を打つと直後の文字が消えていく

いつもお世話になっています。
Word2000を使っているものです。
ある文書を修正しているのですが,文章中に字を打ち込むと後ろの字が消えてしまいます。
分かりにくいですが,
「これを修正します。」
という文章の「これを」と「修正します。」の間に「これから」という単語を入れたときに,その場所にカーソルを合わせて「これから」と打つと,
「これをこれからす。」
となってしまいます。
他の文書では平気です。
何か解決する方法があれば教えて下さい。

Aベストアンサー

入力モードが「挿入」(普通の入力)から、「上書き」になってしまっているのだと思われます。
キーボードに[Insert]というキーがあると思いますので、1度押してみてください。

Q表象の言葉の意味が理解できません。

はすみさんの本とか読んでると、よく表象の批判的なことを、言っています。いまいち表象の意味がしっくりいきません。わたしなりに定義してみると、リアルに対して、幻想に幻想を重ね、夢に夢を重ね、意味に意味の厚みをふやしていくようにしてつくられる表現それが、表象なのですか?教えてください。

Aベストアンサー

#2です。
すいません、あんま推敲する時間がなかったもんで
誤字がいろいろありますが、何より
×デコントラクション は大きな間違いです。
○デコンストラクション が正解です。
日本では「脱構築」という訳語が与えられます。
デコンストラクション→脱構築は
まあ、響きもそれとなく似ているし、洒落てるね
などとよく言われるのですが
ハッキリいって「De-construction」のままのほうが
(construct:構築←→deconstruct:解体)
分かりやすいよね。
デコンストラクションの代表的な思想家はジャック・デリダです。
デリダを学ぶと(デリダの本は難しいのですが)
より詳しい理解につながると思います。

Q担当教授の敬称の書き方

就職活動の提出書類で、卒論の内容と
担当教授名を書かないといけないのですが、
この場合、名前の後につける敬称はどうしたらよいでしょうか。

○○ ○○教授 とすればよいのか、それとも
○○ ○○ のみのフルネームだけなのでしょうか。

考えれば考えるほど分からなくなってきます。

アドバイスをよろしくお願いします。

Aベストアンサー

No1の方がおっしゃるように、
「卒論のタイトル」○○ ○○教授 でいいですよ。
ただ、気をつけることは担当の先生が
本当に教授かとういうこと。助教授なら○○助教授、
もし、講師の先生なら○○先生にすることです。

「卒論のタイトル」ですが、私が新卒で就職活動を
していたときは、まだ卒論なんて書いてなかったので
ゼミの内容「○○の研究」としてごまかしていましたが。achi1212さんが、
もし3回生なら、まだ論文を書いていないかもしれませんので、
よければ参考にしてください。

就職活動がんばってください。

Qカルチュラル・スタディーズについて

カルチュラル・スタディーズに興味を持っています。入門書などを何冊か読んでみました。いろいろとためになります。
さて、質問なのですが、カルチュラル・スタディーズは、学問横断的ですよね。私はちょっと勉強するまで勝手に(文化が実践される社会的・政治的な文脈を分析するという意味で)社会学や政治学の分野だと思っていましたが(すみません・・・)、違いますよね。
そこで、「カルチュラル・スタディーズ」を大学で専門に勉強したい、という場合はどこの科に進むのが一般的なのですか?大学によって違うのですか?
また(アメリカなど英語圏の)海外の大学での扱いはどうなのでしょう?できれば海外で本格的に学んでみたいとも思っているのですが、やはり社会科学や政治科学に取り込まれているのでしょうか?
今まで学問の畑が全く違っていたので、初歩的な質問かも知れませんが、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

和光大学には「表現文化学部」というのがあり、最近カルチュラル・スタディーズについての入門書を何冊か出して有名な上野俊哉氏などがいます。

ここからは、個人的な見解です。

現在、日本で「カルチュラル・スタディーズ」という学問は、大学などの高等教育機関ではほとんど制度化されていません(その意味で、和光大学は珍しい)。ということは、逆を返せば、もし「研究」の道でキャリアを求めたい場合、「カルチュラル・スタディーズ」専門家として採用されるということは相対的に困難だ、ということです。多くの人は、文学・歴史・社会学・政治学…などの制度化されたディシプリン(学問分野)の中で、カルチュラル・スタディーズ的な発想を学び研究に取り入れることで、カルチュラル・スタディーズを行っているのではないかと推測されます。ですから、カルチュラル・スタディーズ的な関心の持ち方やアプローチ法に理解のある先生のいる学部・学科で学ぶというのが、一番効率的なのかもしれません。特に文学系(英米文学、日本文学など)では、多いのではないかと思います。そのほうが、将来的に「カルチュラル・スタディーズ」で教員公募があったときにも、既存のディシプリンでの公募があったときにも、どちらにも対応できます。また、既存ディシプリンはまだまだ勢力が大きいので、「非」既存ディシプリン出身者がそこに割って入って職を得るのはそうやさしくないと思います。要はトロイの木馬みたいなやり方をすべし、ということでしょうかね?

日本では女性学といえば、まだまだ講座を設置しているところは多くなく、多くのフェミニズム研究者は文学や心理学、社会学や歴史学のポストに身を置いています(上野千鶴子が社会学、田嶋陽子が英文学だったように)。カルチュラル・スタディーズの現在置かれている状況は、それに似ているのではないかと推測されます。

ただ、大学の研究者になりたいわけではない(たとえばジャーナリストなど)、ということであれば、また別です。むしろ和光大の表現文化学科のようなタイプの学部学科のほうが、学際的・学問分野横断的にさまざまな知に触れることができ、有益な面も多いのではないかと思われます。

参考URL:http://www.wako.ac.jp/department/hyougen.html

和光大学には「表現文化学部」というのがあり、最近カルチュラル・スタディーズについての入門書を何冊か出して有名な上野俊哉氏などがいます。

ここからは、個人的な見解です。

現在、日本で「カルチュラル・スタディーズ」という学問は、大学などの高等教育機関ではほとんど制度化されていません(その意味で、和光大学は珍しい)。ということは、逆を返せば、もし「研究」の道でキャリアを求めたい場合、「カルチュラル・スタディーズ」専門家として採用されるということは相対的に困難だ、ということで...続きを読む

Q普通自動車の運転免許の正式名称

を教えてください。
履歴書になんてかけばいいかわかりません。

普通自動車第一種免許や第一種普通運転免許とかいわれていますが。

警察などの公式な場所に問い合わせてみた人がいましたら教えてください。

Aベストアンサー

抜粋です.「普通自動車免許」ですね.
「第一種運転免許」はありますが,「普通自動車第一種免許」や「第一種普通運転免許」とは言わないようです.第二種の場合は名称に入り,「普通自動車第二種免許」のように言うようです.

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道路交通法
第六章 自動車及び原動機付自転車の運転免許
第八十四条  自動車及び原動機付自転車(以下「自動車等」という。)を運転しようとする者は、公安委員会の運転免許(以下「免許」という。)を受けなければならない。
2  免許は、第一種運転免許(以下「第一種免許」という。)、第二種運転免許(以下「第二種免許」という。)及び仮運転免許(以下「仮免許」という。)に区分する。
3  第一種免許を分けて、大型自動車免許(以下「大型免許」という。)、普通自動車免許(以下「普通免許」という。)、大型特殊自動車免許(以下「大型特殊免許」という。)、大型自動二輪車免許(以下「大型二輪免許」という。)、普通自動二輪車免許(以下「普通二輪免許」という。)、小型特殊自動車免許(以下「小型特殊免許」という。)、原動機付自転車免許(以下「原付免許」という。)及び牽引免許の八種類とする。
4  第二種免許を分けて、大型自動車第二種免許(以下「大型第二種免許」という。)、普通自動車第二種免許(以下「普通第二種免許」という。)、大型特殊自動車第二種免許(以下「大型特殊第二種免許」という。)及び牽引第二種免許の四種類とする

参考URL:http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxselect.cgi?IDX_OPT=2&H_NAME=&H_NAME_YOMI=%82%c6&H_NO_GENGO=H&H_NO_YEAR=&H_NO_TYPE=2&H_

抜粋です.「普通自動車免許」ですね.
「第一種運転免許」はありますが,「普通自動車第一種免許」や「第一種普通運転免許」とは言わないようです.第二種の場合は名称に入り,「普通自動車第二種免許」のように言うようです.

--------------------
道路交通法
第六章 自動車及び原動機付自転車の運転免許
第八十四条  自動車及び原動機付自転車(以下「自動車等」という。)を運転しようとする者は、公安委員会の運転免許(以下「免許」という。)を受けなければならない。
2  免許は、第一種運...続きを読む

Q言語論的転回

大学の授業で、言語論的転回というものを習いましたが、意味がさっぱり分かりません。誰か噛み砕いて教えてくれませんか?よろしくお願いします。

Aベストアンサー

#2です。
お礼欄、拝見しました。うーん、これは簡単に書くのがむずかしいなぁ。

哲学のなかでつねに〈ことば〉は、たとえば〈意識〉のように、中心課題ではないにしても、洞察の対象ではあったんです。

たとえば〈わたしの意識〉を確実さのよりどころとしたデカルトは、窓の外を歩いている他者がどこまで確実な存在か、疑ってみます。
帽子の下、衣服の下には「自動機械」が隠れているのではないか、と。

いや、自動機械ならば
「目の前で話されるすべてのことの意味に応じて返答するために、ことばをいろいろに配列することは、人間ならどんなに愚かな者でもできるが、機械にできるとは考えられない」(『方法序説』)

つまり、〈ことば〉は人間を人間ならしめているものだ。そして、その〈ことば〉を媒介として、人間は他者と交流している。
近代の端緒から、このような認識はあった。

そして、ヘーゲル。
人間と社会の関係を考察するときに、ヘーゲルはことばが果たす重要な役割、つまり、〈わたし〉を私的なものから、公的なものにする契機としての〈ことば〉を考えます。

けれども哲学の中心的なテーマは、ずっと〈意識〉だった。

それを動かしていったのは、ウィトゲンシュタイン、そしてすこし時代がくだって、ウィトゲンシュタインとはまったく別の流れからですが、メルロ=ポンティでしょう(とくにウィトゲンシュタインは非常におもしろい「言語ゲーム」という考え方を導入するのですが、これを書き始めると回答が終わらなくなってしまうので、省略します。もし興味がおありでしたら中山元『〈ぼく〉と世界をつなぐ哲学』ちくま新書をお読みください。これは哲学史の入門書としては、すごくわかりやすいし、おもしろいし、かなり深いです)。

一方、メルロ=ポンティ、わたしはこの人が大変好きで、もう名前を書いてるだけでうれしくなっちゃうくらい好きなんですが、メルロ=ポンティ(もう一回書いてみました)、この人は、〈意識〉の学問、現象学から登場します。

すべてを取り払った後に残る〈純粋な意識〉。
けれどもそれはどんな〈ことば〉で語るのだろうか?
〈意識〉が考えるとするなら、それはどんな〈ことば〉なのか?

「語り手は話す前に考えるのではないし、話すあいだに考えるのでもない。語り手のことばが思考そのものである」(『知覚の現象学』)

このように、メルロ=ポンティはソシュール言語学の理論を踏まえながら、現象学に新たな局面をもたらしていきます。

こうして20世紀も中盤になったごろから、哲学全般の流れは、大きく〈意識〉から〈言語〉へと転換し始めます。

ただ一般的には、いわゆる「言語論的転回」というとき、哲学全般が意識からことばに移っていった、というよりも、この用語はもうすこし限定的な用語として使われます。

「言語論的転回」という言葉で指示されるのは、言語が持つ力を分析することで、哲学の難問を解消しようとする試みのこと、ひとつはラッセルやフレーゲらの論理学、もうひとつは日常言語学派の流れ、このふたつであると思います。

ついでにここも書いておくと、ラッセルやフレーゲは、哲学の思考や概念は、日常の言語を使ったことで、誤ったものになってしまった、透明で、誤謬を含まず、論理操作できる言語を用いれば、哲学の問題は解消する、と考えます。

どんな言語か。

たとえばラッセルはこんな文章について考えます。
「現在のフランスの国王は禿頭である」

これは
(1)現在のフランス王は少なくともひとり以上存在している。
かつ(2)ひとりの人間が存在している。
かつ(3)その人は禿頭である。
という三つの連元項から成り立っている。

そうしてこれを
(∃x∧)(Fx∧(∀y)(Fy→=x)∧Bx)
と 論理記号で表記し、第一の連元項が偽であることから、全体として偽である、と証明してみせる。

こうやって記号論理学というものを切り開いていきます。

もうひとつの日常言語学派、これはオースティンの言語行為論とそれをひきついだサールの語用論をおもに指します。

オースティンは、日常で使われることばを、その内部にある意味だけではない、と考えるんです。

たとえば「コーヒーが入りました」ということばが、ある局面では、単に情報を伝えるだけであるのに対し、また別の局面では「ひとやすみしませんか」という誘いを意図している場合もある。

こうやって、日常の言語にみられることばの使い方に戻ることによって、哲学の問題も解決できる、とするのです。

詳しく言い出すとほんとうにキリがなくなるので、ここらへんでやめますが、まだわかりにくいところがあれば、どうぞ。

#2です。
お礼欄、拝見しました。うーん、これは簡単に書くのがむずかしいなぁ。

哲学のなかでつねに〈ことば〉は、たとえば〈意識〉のように、中心課題ではないにしても、洞察の対象ではあったんです。

たとえば〈わたしの意識〉を確実さのよりどころとしたデカルトは、窓の外を歩いている他者がどこまで確実な存在か、疑ってみます。
帽子の下、衣服の下には「自動機械」が隠れているのではないか、と。

いや、自動機械ならば
「目の前で話されるすべてのことの意味に応じて返答するために、ことば...続きを読む

Qレポート用紙で名前を書く位置は?

初めてレポート用紙を使うのですが、タイトルは規定のタイトル枠内に書くとして、名前や学籍番号はどこに書くのが普通なのでしょうか。タイトルを書き終わった後、本文欄に名前を書いてから本文を書き始めるのか、タイトル上部の空白部(用紙右上など)に書くのか分からず困っています。
基本中の基本を知らなくてお恥ずかしいのですが、宜しくお願いします。

Aベストアンサー

学校や科目によって教官方のお考えや方針があるので一概には言えませんが、
基本的に『表紙』を1枚作ったほうがいいと思います。
私が提出する際は以下のようにします。

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|       学籍番号:123456     |
|       氏 名 :山田 太郎   |
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|    提出期限:平成17年8月11日(木) |
|     提出日:平成17年8月11日(木) |
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あくまでも例ですので、ご自分で適当に構成してください。
指示が無かったのなら厳しい決まりはないと思いますので、そんなに気を使う必要は無いと思いますよ。
心配なら提出する際に確認して、ダメなら表紙だけ書き直せばいいですし…
がんばってください!!
ついでなので、レポートを書く際に気をつけることなどを書いたページがあったのでお教えします。参考までに。。。
http://www.h7.dion.ne.jp/~okachan/page010.html
ちょっと下にスクロールすると『レポートについて』というのがあります。
では

参考URL:http://www.h7.dion.ne.jp/~okachan/page010.html

学校や科目によって教官方のお考えや方針があるので一概には言えませんが、
基本的に『表紙』を1枚作ったほうがいいと思います。
私が提出する際は以下のようにします。

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