卑弥呼の死と日蝕は関係があるのですか。九州、畿内どちらも皆既日食にはならないようです。どの程度の日蝕が卑弥呼の死んだ年に起こったかはわからないけれど、それでも、やっぱり関係あるんですか?

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A 回答 (5件)

 「関係があるか、ないか」という断定的な判断は、不可能です。

実際、その場面を見た現代人はいないのですから・・・。(^^;
 mamunaさんがお読みになった本(?)にもきっと「日蝕の日に卑弥呼は殺された!?」なんて感じで、?マークがついているのでは・・・。
 ただ、そういう見方、考え方もできる。そんなふうに考えたら楽しい、興味深い。その程度の判断でよいと思います。文字活字になっているものすべてが正しい、本当のことが書かれている、と思ってはいけません。あくまでも、書いた人、著者の意見です。
 卑弥呼の死亡年は、247年説と248年説の2通りある。その両方に、人が一生のうち一度経験するかしないかの皆既日食があった。現代のように情報が豊富な時代ではありません。それこそオカルト的な考えが科学の王道でした。

 太陽が隠れたのは「日の巫女」の行いが悪いからだ!
 太陽が隠れてしまった。「日の巫女」様にお祈りを頼もう!

 邪馬台国の時代の人々がどのように考えたか、想像することが楽しいのでは。

 個人的には、卑弥呼は処刑され、同じく100人もの日の巫女たちも殺された(殉死)。だったらおもしろいな、と思います。
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この回答へのお礼

 たしかに、?がついています。
 説得力があるような、うまくかわされたような・・・。

 ありがとうございました。

お礼日時:2002/03/08 15:16

再々登場です。



こういう話は尽きないですねぇ。
おっしゃる通り、太陽信仰は何も邪馬台国だけではありません。邪馬台国の候補地ではない東北にも太陽信仰はあり、「お供えを忘れた人間に怒った龍が太陽を食べてしまう」という伝承が秋田(だったと思います)に残っています。これは恐らく日蝕の事を語ったんだと思います。当然日蝕のときには生け贄みたいな事はあったでしょう。
また雨の岩戸の神話も「247、8年の日蝕と卑弥呼が殺される場面」を神話化したものであるとする人もいます。(賛成できない部分も多々ありますが)

何にせよ、日蝕を見た邪馬台国の人々は大混乱になったという説に異論はありません。ただ、それによって何が起こったか、(ナンバー2に暗殺されたか、他国が混乱に乗じて攻めてきたか、責任をとって自害したか、ただ退位しただけか)という部分については分かりませんし、邪馬台国の位置を示す一つの素材とはなっても、決定的証拠とは言えないでしょう。

それと、最初の回答の補足に邪馬台国が九州なら、陸行一月が矛盾するとおっしゃってましたが、「水行十日の後、陸行一月」なら矛盾しますが、「海路を行けば10日、陸路を行けば1月」と読めば矛盾しないと九州説の人は言いますね。確かに一度寄港してから陸路を行くなら、その港のある都市名(国名)は出てきても良いと思います。それ以外のところは実際に書かれていますし。

難しいですね。私は少し邪馬台国九州説よりです。一番無理がないと思います。
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邪馬台国の所在地については皆さん其々の持論があって百花繚乱と言ったところでしょう。

質問については斎藤国治著「古代天文学の道-歴史の中の天文現象」1990年原書房により検証結果があります。この本の結論から言えば、邪馬台国が大和であれば248年の日食が、九州であれば247年の日食が影響を与えたことになり、北部九州では皆既のまま日没した、とあります。ただ卑弥呼の死を248年としてあることから、この時点でも疑問は残るところでしょう。天照の神話については影響があったかもしれませんね。これを結び付ける訳ではありませんが。247年の日食が太陽信仰により死をもたらされ、喪がりの期間を経、248年に径百歩の塚をつくり、それが正始9年だったのかも。やはり何年経ってもロマンです。
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またまた、こんにちは!


まず最初にお詫びです。前回の回答で、卑弥呼が死んだのは248年と書いてますが、247年ですね。すいません。これを間違ってたら後の文の訳分からないですよね。

247年の日蝕は午後4時頃から徐々にかけ始め、そのまま日没となったとなってますので、内陸部でも欠けていく太陽はきれいに見えたと思います。(晴れていたならの話ですが)実際、内陸部での見えたかどうかのシミュレーションをやった方もおられます。

その夜はすごい騒ぎだったと思います。太陽が無くなったと皆が思った事でしょう。そこで何か政権の交代のようなもの、もしかしたらクーデターが企てられたのかもしれません。私は卑弥呼はこの時点で殺されたと考えることに異論はありません。十分あり得る事だと思います。

それと、中国では日蝕の事を知られてはいましたが、やはり不吉なこととして認識されており、それがもし事前に卑弥呼に伝わっていたとしても、やはり国の非常事態だったと思います。この国は呪われた!っていう風に。

248年の方は、太陽は出きっているにも関わらずまだ欠けていたという事なので、まだ前年の日蝕の記憶も新しいところへ、また(一部)黒い太陽が出てきたという事になります。
しかし、前回と違うのは、段々明けてきたという事です。これは、見た人にとっては恐怖ではなかったのではないでしょうか。「ああ良かった~」っていう人が多かったと思います。台与を即位させて正解だったって事になったのではないでしょうか?祭りだ!となったと思います。

どちらにせよ、2年連続の日蝕が邪馬台国で見られたなら、当時の人々は大騒ぎしたと思います。霊的なものを感じるには、十分な要素だったと思います。

でも邪馬台国が九州になければ、この話は成り立ちませんけど。
mamuna様は邪馬台国はどこにあったと思います?

この回答への補足

 なるほど・・・。

 前回いただいた回答に
>卑弥呼が太陽神のつかい(日神子、日巫女)として崇められていて
 とありました。
 日神子、日巫女は、卑弥呼以外にも全国にたくさんいたことでしょう。その人たちも処刑された可能性はありますよね。

 何かの伝承に残っているのでしょうか。

 私は、邪馬台国の場所はどこでもかまいません。

補足日時:2002/03/06 01:45
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初めまして!



皆既日食の年は逆算できるらしく、247年、248年に日本で皆既日食があったそうです。248年は丁度卑弥呼が死んだとされる年です。
しかも、この皆既日食は北九州でのみ見られたものだそうで、この事実をもとに邪馬台国北九州説を唱えている方もおられます。

もし、卑弥呼が太陽神のつかい(日神子、日巫女)として崇められていて、邪馬台国が北九州にあったとすれば、2年も続けていきなり昼間に太陽がなくなり真っ暗になれば、卑弥呼のせいにされたと思って間違いないでしょう。

日食が原因で「暗殺された」「自殺した」と考えても、私は無理はないように思います。

この回答への補足

 素朴な疑問なんですが・・・。
>昼間に太陽がなくなり
 247年 日没時、北九州の西方海上
 248年 日出時

 明るかったのが暗くなったのではないようです。卑弥呼の邪馬台国が北九州の海沿いにあったのなら、なるほど・・・とも思えるのですが、倭人伝の記述でいうと、最後に陸を何日も行っています。海沿いを歩くなら、船で行くほうがよっぽど楽だし。おそらく、内陸に入っていったと思われます。これは、日蝕の見える場所=邪馬台国にはならない。という程度です。推論です。
 魏と親交し、鬼道に優れていた卑弥呼が日蝕を知らなかったとも思えないし。

 邪馬台国連合が卑弥呼を必要としなくなった。ナンバー2が卑弥呼を葬る良い理由が欲しかった。ということなのでしょうか。

補足日時:2002/03/04 15:59
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卑弥呼について書かれている『魏志倭人伝』に「男弟」というのは、卑弥呼の夫にあたる
「1人の男」=つまり、卑弥呼の服属者なのか??
そして、政務に携わった人という見方でいいのでしょうか??

Aベストアンサー

多くの説では、「弟」のことのようですね。

「弟(おと)」は、女性にも使いました。
(兄弟姉妹のうち、年の若い者のことを指す言葉です)
「兄(え)」は、年長のほうを指します。

ですので、この場合は「男弟」とわざわざ「男」をつけていますので、今でいう弟のことですね。

その弟のほかに、ある一人の男が卑弥呼の寝所にも出入りして、身の回りの世話をしていたと書いてありますので、それが「隠し夫」のような存在だったのかもしれません。
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Aベストアンサー

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最近、アプワイザーリッシェなど人気の洋服でも偽物があると知りました。
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Aベストアンサー

郷土史家様江

概略情報に過ぎないにもかかわらず丁重なる御返事、誠にありがとう御座います。
取り敢えずは「井沢弥惣兵衛勤書抜」と「お救普請の村文書等」とが
細い糸で繋がったのは何よりの事と思います。

さて「若しお許し願えれば、連絡方法等お教え下さい。」との御提案でございますが、
あいにく私自身は現在ホームページやブログの開設もなく、
連絡方法と問われれば(電話番号を除き)メールアドレス以外思い浮かびません。

しかし何れにしましても…お気を悪くされても困りますが^^…
「教えて!goo」並びに母体である「OKWave」及びそのパートナーサイトでは、
<サイト上で、自他問わず「個人情報」を明らかにする行為、または当該情報の利用により
「個人情報」の開示に繋がるような情報を明らかにする内容については、禁止とさせていただきます。>
と個人情報(氏名・住所・電話番号・メールアドレスなど)の開示は禁止と注意喚起されているだけに止まらず、
例えば「教えて!gooサービス」利用規約第15条(禁止事項)第1項(6)にも
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http://blog.goo.ne.jp/oshietegoo/c/2fd47a0436464f7e861d622ad803e8ab

また仮に禁止事項ではなかったとしても、アドレスなどの個人情報を開示することで、
被るかもしれない第三者からの迷惑メールや嫌がらせメールなどの事を思えば、
躊躇せざる得ないのが正直なところで御座います。
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御自身のマイページの自己紹介欄などに不用意に個人情報を開示されない方が無難かと思います。

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いつ何時WEB上で再会するやもしれずのスタンスで宜しいのではないでしょうか?
(例えば、何月何日何時に四条河原町・梅田・京橋・淀屋橋・難波などに集合と決めて、
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あと、肝心の「ただ自力では解明できない部分があります。」についてですが、
勝手な推量では「伊沢弥惣兵衛お救普請の村文書等」の「解明できない部分」との理解で
宜しいのでしょうか?

だとすれば、否、それ以外だったとしても、
「歴史」カテゴリーだけにとどまらず、「文学」「国語」「地理」のカテゴリーも含め、
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ですから、必要に応じ画像添付も含め公開可能な範囲で
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…特定分野を除いては、興味を抱いた質問を検索するのが好きなだけで、
あとはgoogle等の検索サイトではヒットしがたい情報を
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その結果を自らの肥やしとして、
なおかつ質問者様の一助にも繋がれば幸いとのスタンスに過ぎません…
私自身は変体仮名程度は一応理解していますが草書体などの崩し字などには
全く縁もゆかりも御座いません事を申し添えますm(_"_)m

郷土史家様江

概略情報に過ぎないにもかかわらず丁重なる御返事、誠にありがとう御座います。
取り敢えずは「井沢弥惣兵衛勤書抜」と「お救普請の村文書等」とが
細い糸で繋がったのは何よりの事と思います。

さて「若しお許し願えれば、連絡方法等お教え下さい。」との御提案でございますが、
あいにく私自身は現在ホームページやブログの開設もなく、
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しかし何れにしましても…お気を悪くされても困りますが^^…
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Q「卑弥呼の鏡」は「魔鏡」について

この間、「卑弥呼の鏡」は「魔鏡」にだった
というニュースを見たのですが
私昔「卑弥呼の鏡」は「魔鏡」って学校の先生に
教えてもらったような気がするのですが・・・
私何か勘違いしてたのでしょうか?

ふざけてるわけではなくて
本当に純粋な疑問です。

「卑弥呼の鏡」は「魔鏡」って最近分かった事なんでしょうか?
それとも他にも「卑弥呼の鏡」があって
それは「魔鏡」って分かっていたのでしょうか?

Aベストアンサー

>私昔「卑弥呼の鏡」は「魔鏡」って学校の先生に教えてもらったような気がするのですが・・・私何か勘違いしてたのでしょうか?
魔鏡という現象は古くから知られていました。
厚みの薄い銅鏡で認められる現象です。
所謂、卑弥呼の鏡と呼ばれている銅鏡の厚みが薄いことから。魔鏡としての特性を備えているだろうと考えられていました。
この辺のお話を学校の先生は御存知だったのでしょう。
魔鏡現象を示させる為には熟練した研磨技術が必要です。しかも手作業が必要です。
遺跡から発掘した遺物を、実際に熟練した職人さんに研磨してもらったことがあったかどうかは寡聞にして知りません

>というニュースを見たのですが
3Dプリンター関連のニュースですか?
説明不足で誤解が生じたようです。
今までは、大切な遺物を勝手に磨いたりいじったりすることができなかったが、3Dプリンター技術によって、遺物に直接手を触れなくとも、できたレプリカを使えば自由に弄り回せるようになった。
現に、三角縁神獣鏡のレプリカを作ってみたら魔鏡現象を確認することができた。
という主旨だったはずです。
これが、短絡して卑弥呼の鏡は魔鏡だったと伝わったようです。
「魔鏡」という言葉もなにやら怪しげで神秘的な雰囲気の言葉ですので、このような誤解も止むを得ません。

>卑弥呼の鏡」は「魔鏡」って最近分かった事なんでしょうか?それとも他にも「卑弥呼の鏡」があってそれは「魔鏡」って分かっていたのでしょうか?
上記の説明の通りですが、「卑弥呼の鏡」という言葉にも若干誤解というか混乱があります。
中国の古い書物に、卑弥呼なる人物に中国の皇帝が100枚の鏡を下賜した、という記録があります。
日本の古墳から、三角縁神獣鏡と名付けられた鏡が出土しています。
この古墳から出土した鏡が、中国の文献に記載されている鏡ではないのか、とされています。

卑弥呼に下賜された鏡という意味で卑弥呼の鏡と呼ばれるようになりました。
つまり、一般に「卑弥呼の鏡」という言い方は三角縁神獣鏡のことを言っています。
結果として「卑弥呼の鏡」は沢山あることになります。
又、肉厚が薄いことから、熟練した職人さんが研磨すれば「魔鏡」現象を起こす可能性は充分にあります。


(1)魔鏡現象
厚みの薄い銅鏡を磨くと、手の加減で、裏面の模様の凹凸が鏡の表面にできてしまいます。
この凹凸がほんの僅かな為に、鏡を目で見た限りは見分けがつきません。
光をあてて反射させて壁などに向けると、鏡の映像の中にぼんやりと裏面の模様が浮かび上がります。
この現象を示す鏡を魔鏡と呼びます。
(2)三角縁神獣鏡
鏡の裏側の縁の断面が三角形で、模様に空想上の動物(神獣)が鋳込まれた鏡
(3)三角縁神獣鏡と卑弥呼が下賜された鏡との関係
当初は、同じものと考えられていましたが、最近の研究では、必ずしもそうではない、と言われています。

>私昔「卑弥呼の鏡」は「魔鏡」って学校の先生に教えてもらったような気がするのですが・・・私何か勘違いしてたのでしょうか?
魔鏡という現象は古くから知られていました。
厚みの薄い銅鏡で認められる現象です。
所謂、卑弥呼の鏡と呼ばれている銅鏡の厚みが薄いことから。魔鏡としての特性を備えているだろうと考えられていました。
この辺のお話を学校の先生は御存知だったのでしょう。
魔鏡現象を示させる為には熟練した研磨技術が必要です。しかも手作業が必要です。
遺跡から発掘した遺物を、実際に熟練し...続きを読む

Q【日本史】日本の九州に国宝や重要文化財となる立派な建物がないのが不思議です。 なぜ過去の人は九州に何

【日本史】日本の九州に国宝や重要文化財となる立派な建物がないのが不思議です。

なぜ過去の人は九州に何も作らなかったのでしょうか?

九州に邪馬台国があったという話が昔ありましたけどその割に九州に古墳もなく立派なお寺もない。

仏教は中国や朝鮮半島(韓国ではない)から伝わったはずなのになぜ九州には渡来人は降り立たなかったのでしょう。

船に乗って1番に着くのが九州だったと思うのですが九州に降り立たってお寺を作ろうという気にはならなかったのが不思議です。

Aベストアンサー

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E3%83%BB%E6%B2%96%E7%B8%84%E5%9C%B0%E6%96%B9%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B%E5%BB%BA%E9%80%A0%E7%89%A9%E3%81%AE%E9%87%8D%E8%A6%81%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E4%B8%80%E8%A6%A7

あなたが知らないだけ

Q都市伝説を聞かされたときどうしますか?

私は都市伝説が好きでいろいろな本やサイトを見たのでメジャーなものはたいてい知っています。
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真実を話します。
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曖昧にでも都市伝説かも知れないと耳に入れておけば大恥にはならないかなと・・・。

相手が都市伝説と知った後にもまた「ヤッパリ都市伝説だった」と言う会話になるでしょうし、そんなコミュニケーションの取り方もありかなって思います。

Q卑弥呼は

ドウヤッテ死んだの

Aベストアンサー

魏志倭人伝では、卑弥呼の死の前後に関し以下の様に記述されている。
“ 倭女王卑弥呼与狗奴国王卑弥弓呼素不和 遣倭載斯烏越等詣郡 説相攻撃状 遣塞曹椽史張政等因齎詔書黄幢 拝仮難升米為檄告諭之 卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩 狥葬者奴碑百餘人
(倭の女王卑弥呼と狗奴国の男王卑弥弓呼(ひみくこ) とは平素から不仲であった。それゆえ倭国は載斯烏越(さしあえ) らを帯方郡に派遣して狗奴国との戦闘状況を報告させた。これに対し(魏の朝廷は) 塞曹椽史の張政らを派遣した。邪馬台国に赴いた張政らは証書と黄幢を難升米(なしめ) に授け、檄文を作って諭した。して、卑弥呼は死んだ。死後は直径100余歩の大きな塚が作られ、奴婢100余人が殉葬された。 ) ”

この記述は、247年(正始8年)に邪馬台国からの使いが狗奴国との紛争を報告したことに発する一連の記述である。卑弥呼の死については年の記載はなく、その後も年の記載がないまま、1年に起こったとは考えにくい量の記述があるため、複数年にわたる記述である可能性が高いが、卑弥呼の死が247年か248年か(あるいはさらに後か)については説が分かれている。また247年(正始8年)の記述は、240年(正始元年)に梯儁が来てから以降の倭の出来事を伝えたものとし、卑弥呼の死も240年から246年までに起きた出来事とする考えもある。

「以死」の訓読についても諸説ある。通説では、「以」に深い意味はないとするか、「死スルヲ以テ」つまり「死んだので」墓が造られた、あるいは、「スデニ死ス」と読み、直前に書かれている「拜假難升米 爲檄告喻之」(難升米が詔書・黄幢を受け取り檄で告諭した)の時点で卑弥呼はすでに死んでいた、と解釈する。この場合、死因は不明である。一方、「ヨッテ死ス」つまり「だから死んだ」と読んだ場合、この前に書かれている、狗奴国との紛争もしくは難升米の告諭が死の原因ということになる。

魏志倭人伝では、卑弥呼の死の前後に関し以下の様に記述されている。
“ 倭女王卑弥呼与狗奴国王卑弥弓呼素不和 遣倭載斯烏越等詣郡 説相攻撃状 遣塞曹椽史張政等因齎詔書黄幢 拝仮難升米為檄告諭之 卑弥呼以死 大作冢 徑百餘歩 狥葬者奴碑百餘人
(倭の女王卑弥呼と狗奴国の男王卑弥弓呼(ひみくこ) とは平素から不仲であった。それゆえ倭国は載斯烏越(さしあえ) らを帯方郡に派遣して狗奴国との戦闘状況を報告させた。これに対し(魏の朝廷は) 塞曹椽史の張政らを派遣した。邪馬台国に赴いた張政らは証書と黄幢...続きを読む

Q【歴史日本史】倭国は邪馬台国の卑弥呼の時代。倭人は顔を赤く染め、体に入れ墨を入れて位を表していた。

【歴史日本史】倭国は邪馬台国の卑弥呼の時代。倭人は顔を赤く染め、体に入れ墨を入れて位を表していた。

邪馬台国の時代の刺青がどんなものだったのか知りたいです。

時代は卑弥呼が占い、卑弥呼の弟が政治を取り仕切り、卑弥呼に謁見出来たのは2人の男性だけだった大和の時代です。

身体のどの部分にどんな入れ墨を入れて身分をどのくらい分けていたのか知りたいです。

室町時代になると紫色が身分が高かったが卑弥呼の時代は身分が高い人はみな白色の服を好んで着ており体の入れ墨で身分を分けていたと伝記があります。

どんな形の入れ墨だったのか知りたいです。

腕だと隠れるので手首か足首に入れ墨を入れていたと思うのですがどうなんでしょう?

Aベストアンサー

基本的には、今のタヒチあたりに見られるような入れ墨だったのかなと思います。日本のヤクザがやってる一枚絵の、ある種芸術的な目でみられたりすることもあるアレではなく、黒だけで幾何学的な模様(?)のような感じも受ける、そういったやつです。

魏志倭人伝の記述は注意しなくてはならないのは、この原文を書いた人物(帯方郡の役人と思われる)の憶測がたっぷり入っているということです。それは、倭の黥面文身(入れ墨)が中国の南部にあたる會稽あたりに見られる風習とよく似ているから『これと同じものに違いない』という思い込みで書かれている文章です。
なので、入れ墨が左右大小がありそれらで身分(の差)を表していたということはあっても、それ以上の具体的な記述がないことに注意してください。
(ちなみに赤色云々は、現代訳にまぎれこんだニセ情報だと思います)

顔にイレズミを入れるくらいだから、手足も上半身にもバッチリ入れてたのではないでしょうか。


白色の服を好んだという情報もどこに書かれていたものか不明ですが、紫色が高貴な色として珍重されたのは貝紫とよばれる貝から取れる動物性の染料によるものが大きいです。これによりエジプトや地中海周りでも中国でも紫色(貝紫)は高貴な色として珍重されました。これが日本にも来て、聖徳太子の12階でも見られるように(諸説あるようですが)紫色は最上位の色とされています。

基本的には、今のタヒチあたりに見られるような入れ墨だったのかなと思います。日本のヤクザがやってる一枚絵の、ある種芸術的な目でみられたりすることもあるアレではなく、黒だけで幾何学的な模様(?)のような感じも受ける、そういったやつです。

魏志倭人伝の記述は注意しなくてはならないのは、この原文を書いた人物(帯方郡の役人と思われる)の憶測がたっぷり入っているということです。それは、倭の黥面文身(入れ墨)が中国の南部にあたる會稽あたりに見られる風習とよく似ているから『これと同じもの...続きを読む

Q日蝕神話・伝説について

とてもピンポイントなのですが、日蝕神話や日蝕にまつわる伝説について、世界的にどういったものがあるか教えてください。
自分でも探したのですが、日本神・北欧神話・インド神話でしか見つけることが出来ませんでした…
特に“何か巨大なものに飲み込まれる”という話系のものを探しています。
『この本に書いてあった』などの情報もあったら、是非教えてください。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

検索でヒットしたサイトですが…

http://www.melma.com/backnumber_132642_3852868/
~■4■ 『日蝕(にっしょく)』とお月さんの話~ の部分で、
日本・新羅・中国・東南アジア・モンゴル・アメリカインディアン・
インド・南アメリカ・ボリビアなどの伝説が紹介されてます。

また、インドの神話が日本の占星術に取り入れられ日蝕を起こす暗黒星「羅ごう星」に、
さらにこれが仏教神化して「黄幡神」となったのも有名。
http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%B2%AB%C8%A8%BF%C0/detail.html?LINK=1&kind=epedia


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