以前からの素朴な疑問なのですが、現代の日本人と昔の日本人って、どの程度会話が
通じるんでしょうね?まぁ江戸時代くらいの人間だったら、「○○でござる」って
感じである程度は分かるかもしれないけど、例えば聖徳太子くらい昔の人になっちゃったら、やっぱり言ってることはちんぷんかんぷんなんでしょうか?コギャルとは言わないものの、今の標準的な日本語で大昔の一般人に喋りかけりしたら、多少の意思の疎通は出来るんでしょうか。知ってる人がいたら教えて下さい。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (8件)

決して悪意はありませんが、タイトルの例は、本当におもしろいですね。

実際にできるものならやってみたいです。10人の話を同時に聞ける聖徳太子もたじたじ…?一万円札の肖像にまでなった人なのに。やじうまでした。
    • good
    • 1

かつて大野晋氏が、「私たちが今話している言葉は、どの時代ぐらいまでさかのぼって通じるのか?」という質問に答えておられました。

答えは、だいたい室町以降、400年ぐらい前までだろう、というものでした。

氏の回答では、言葉を理解するための要件として、文法・単語の意味・発音の3つに分けて論じておられましたが、
やはり一番ネックになるのが発音だろう、ということでした。

「ちゃちゃのぱぱ みやまもちゃやに ちゃやげども われぱいももぷ わかれきぬれむば」
という和歌(柿本人麿作)を当時の音で紹介されていましたが、これがカナ交じり文では
「小竹の葉は み山もさやに さやげども われは妹思ふ 別れ来ぬれば」
と書く歌だそうです。
ちょっと通常の会話には支障をきたす程度に差がある、と言っていいのではないでしょうか。

万葉の時代には「O」の発音も2種類あったそうですし、助動詞の寿命の極めて短いこと、イントネーションの問題、濁音の問題、さらには当時の方言の問題(地方の防人の言葉は結構違ってますね)…などなど、考えるほど難しくなるような気がします。
むろん、お互い膝を突き合わせて時間をかければ別でしょうけれども、ご質問の趣旨を「ふつうに喋りかけて多少なり意思の疎通ができるか」と理解すれば、かなり難しい、と言わざるを得ないのではないでしょうか。
    • good
    • 3

 


  質問のタイトルが、「質問:コギャルと聖徳太子で会話は成り立つのか?」となてっているので、「コギャル語と聖徳太子のあいだの会話」と捉えられているようですが、具体的質問は、
 
  >現代の日本人と昔の日本人って、どの程度会話が通じるんでしょうね?
  >今の標準的な日本語で大昔の一般人に喋りかけりしたら、多少の意思の疎通は出来るんでしょうか。
 
  というように、「コギャル」と「聖徳太子」の会話ではなく、また、通じるか通じないかではなく、「どの程度」「多少の意志の疎通」と言っています。皆さん、「できない」「通じない」「不可能」というように答えておられるので、わたしは、「可能だ」と答えます。
 
  まず、一番最初に、現代人に向け話しかける調子で話しかければ、まず、通じませんし、相手の返答も何を言っているのか分からないはずです。しかし、試行錯誤を繰り返し、色々な表現や言葉を試して行くと、「通じる言葉・通じる表現」があることに気づくはずです。
 
  最初からそのことを念頭して、言葉を選べば、かなり通じるはずです。聖徳太子の時代の人なら、母音数が現在よりも多いので、現代人の発音は「おかしく」響くでしょうが、基本的に「和語」を選んで、よく昔の西部劇映画などで、北米インディアンが話していたような、「単語順次提示」で段々、分かる言葉と分からない言葉の区別が付いてきます。
 
  というのは、現代人は、至極あたりまえだと思っている多くの言葉が、聖徳太子の時代には、まったくなかったのです。「和語」というのは、和語はかなり変化していても、一応古くからの対応は残っているからです。
 
  自分を指さして「われ」「われ すぺーす」「すぺす」とか言って、相手を指さして「なれ」「なれ たれ?」といえば、これでうまくいかなければ、手当たり次第に人称代名詞を使っていると、そのうち分かってきます。
 
  空を指さして「そら」、地面を指さして「つち」、身体の一部を指さして「て」「うで」「あし」「め」「くち」などと言っていけば、共通する語彙の確認ができます。
 
  発音の変化とイントーネションの変化で通じない場合がありますが、繰り返しやっていると、分かって来ます。
 
  「わが こころ よし」とか「わが こころ うれし」などと言えば、発音とイントネーションが克服されていれば、通じます。
 
  現代の日本人が使っている漢字の熟語や、カタカナ語などは、まず通じません。カタカナ語はすべて通じないでしょう。しかし、「うめ はな かおり よし」と言えば、発音で迷うかも知れませんが、基本的に通じます。こうして段々複雑な話ができるようになると思いますが、限界があります。
 
  どういう限界かというと、一つは「表現文体」で、もう一つは「概念の欠如」です。つまり、現代人の方が、豊富な思想や概念や、感情などの表現方法と語彙を多数持っているのです。聖徳太子の時代には、そんな細かく高度な概念や表現方法の文体・語彙がなかったのです。
 
  こういう限界は、聖徳太子の時代の人々同士の会話にも欠落していたのです。コンピュータ・PCやインターネットにまったく無縁な人は現代に多数いますが、それらの人の会話で、「CPUのクロックは」とか、「アプリのインストールに必要なドライバが見つからない」などというのはないでしょう。また、そういう話をしても、何のことか?ということになって、まったく意志疎通不能でしょう。
 
  「聖徳太子は天才です」などと言っても通じません。「ひつぎのみこ うまやとのみこさま は ありがたき ひと」などと言えば、半分ぐらい通じるかも知れません。「天才である」という概念や表現文体・言葉がなかったのです。
 
  英語をまったく知らない明治時代の普通の人が、英語しか知らないアメリカ人の普通の人と会話して、どこまで通じるかというのと較べると、雲泥の差があります。どの和語が通じるか、通じるようにするのは、どういう発音にすればよいか、また相手の言葉も、発音が変化しています。単語を区切って言ってもらっても、最初は三分の一も分からないでしょう。しかし、段々二分の一は分かるとか、ほぼ分かるということになります。要するに理解できる言葉で話をすればです。
 
  現代人が日常的に使っている多くの「概念」は、言葉がないだけでなく、概念そのものがないので、これを説明するには、相当に言葉に慣れた上で、かつ、基本的なことからはじめて懇切丁寧に説明すると、分かるかも知れないという程度です。持っていない概念の理解は難しいのです。また、逆のこともあります。
 
  回答は、最初は互いに、ちんぷんかんぷんです。その理由は、発音が変化しているからです。しかし、一語一語切って、発音を確認しながら会話して行くと、段々相互に「和語」の部分で分かるようになります。しかし、「固有の概念」に当たると、これは相互理解不能です。
 
  一応、相手は、教養のある中央の人とします。聖徳太子の時代の方言を喋る人だと、まったく通じない可能性が高いです。何故かというと、『記紀』や『万葉集』の言葉は、分からない言葉もありますが、発音の違いは別として、現代人が読んでも半分ぐらい分かるからです。中央の公文書に記されている言葉だと、発音は別に半分ぐらい分かるというのは、それだけ共通語彙があるのです。地方の方言だと、当時の人も通じ合わなかったか、困難であったはずで、そういう言葉のサンプルは、現代語にも伝わっていないのです。
 
  なお、コギャルと聖徳太子では、コギャルに、意志疎通の意志がないと思えますから、ちんぷんかんぷんでしょう。「とつくにの くすしきことのは なり」とか聖徳太子が呟くかも知れません。
 
    • good
    • 0

無理でしょう。



千数百年前どころか、現代に於きましてもコギャルと地方の方言を話すご老人との意思疎通は困難です。

私も地方在住者なのですが、正直申しまして父親が兄弟(私の伯父ですね)と本気で方言を使って話しますとその内容の3割は傍で聞いてて理解できません。
もっと田舎の同じ**弁と呼ばれる地域のお年寄り同士の会話になりますと5割以上は理解できません。
首都圏在住のコギャルがどの程度理解できるのかと考えれば…ほとんど無理でしょう。

言語に関しての学問を学んだことはありませんが、以前に聞いた話で方言というのは京を中心とした言葉が同心円上に広がっているうちに大元の京で言葉の変化が起こったというのも一因と聞いています。

方言の成り立ちについての自信は無いですが、古代の京の人と現代のコギャル間にコミュニケーションが取れないであろうということには自信があります。
    • good
    • 0

はっきり言って通じません。


なぜならコギャルは聖徳太子から1400年後の標準語をくずしたことばを話し、聖徳太子は標準語すら話していないからです。問題は標準語が1400年でどれほど変わったか、どの程度通じるか・・ではないのです。1400年前の日本にはいろいろな日本語が存在し、話しことばとしては隣接する言葉以外は通じなかったと見るべきです。たくさんの言葉の一つである大和言葉を大陸から学んだ漢字を使って書き表すようになって初めて書き言葉として標準語らしきものが現れたと理解すべきでしょう。

発音がどのように変化してきたかわかりやすく説明するため「母はパパだった」という説明がなされます。現代のhahaという音は信長の時代にはfafaと発音され奈良時代にはpapaだったということです。4-50年まえまでは、しゃくぁいじん
(社会人)くぁいしゃ(会社)しぇんしぇい(先生)と発音する大人がたくさんいました。また現代日本語には外国語の影響を受けたティ(チ)やディ(ジ)の音が
ありますが、これらもわずか50年未満の変化です。わたしの子供のころは大人はPTAをピーチーエーと発音していました。

例をあげれば切りがありませんが、江戸時代も話しことばの標準語はなかったので、どれだけ通じるか、どれだけ変化したかといってもどの言葉と比較するのかが問題です。江戸時代中期の下町ことばと現在の東京で三代以上下町で暮らしている人はどの程度通じるかという設問なら成り立ちます。
    • good
    • 0

 一応言葉を使う趣味を持っておりますので、半専門家ってことで(笑)



 あくまで机上の話ですが、はっきり言って通じません。それどころか、江戸時代の人間と現代人の言葉ですら、もはや通じないでしょう。
 「ござる」のことを言っておられますが、これは「ございまする」が早口化して短縮された言葉ですので、「ご・ざ・る」と3音節で発音する発音法は、テレビメディアが作り上げたものです。
 もっとも、あくまで「早口短縮言葉」として使う場合にはどうか分かりませんが(江戸時代の言葉には詳しくないので)。

 一般に、言葉の語尾に「ござる」をつければ侍言葉で、「べらんめぇ」を挟めば下町言葉になる、というイメージを植え付けられがちですが、実際には彼らが話していたのは「江戸弁」であり、標準語ですらありませんので、まったく言葉が違うと言っていいです。

 たとえば「ぎゃーけひーてねまっと」という言葉があります。
 この言葉は、うちの実家の地域の古い方言で、ほんの100年足らず前まで実際に使われていた言葉です。しかし、もはや俺でも説明されなければ意味が分かりません。
 言葉の変化というのはそれくらい早いものなんですよ。

(↑ちなみに、佐賀弁で「風邪ひいて寝てる」という意味)
    • good
    • 0

こんにちは。


一般言語(現代口語)を操る私でもコギャル語を理解に苦しみます。
ですから不可能に近いのではないでしょうか?
ですので、聖徳太子とコギャルの間には当時の言葉を完璧に理解出来る能力と、コギャル語を理解出来る能力が必要かと思いますので、両者の専門家(?)を交えて2人の通訳(!)が必要になると思います。
えっと、真剣に回答してますので………。
    • good
    • 0

全くの素人考えですが、たぶん通じないと思います。


一つは、当時の言葉と現代の若者言葉に大きな差があるだろうということと、日本語の発音自体が当時と現代では違ってきていること、更に話すスピードが当時と比べて現代の方がかなり速くなっているだろうということです。
全くの推測ですので、専門家のご意見を待ちたいと思います。
    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q聖徳太子は存在していなかったかもという頓珍漢な話が出てきたのはなぜですか? 聖徳太子が存在しなかった

聖徳太子は存在していなかったかもという頓珍漢な話が出てきたのはなぜですか?

聖徳太子が存在しなかったら17条の憲法も存在しないはずなのに存在してるし、中国の方も聖徳太子を認識してたわけで中国の方も聖徳太子に仏教の書を送ったのに聖徳太子がいなかったら受け取れてないし聖徳太子がいなかったというのはさすがに無理があるのでは?

Aベストアンサー

歴史は、事実が明らかになることで
常に進化しています。


厩戸王(うまやとおう)が
聖徳太子の本当の名前です。


「伝説の学習参考書」と呼ばれた『大学への日本史』では
人物名は「聖徳太子」とせず、本来の名である

「厩戸王(聖徳太子)」

としています。

次第に「聖徳太子」の名前が消えて行くので
「存在しなかった」となるんでしょうかね。


そして

・冠位十二階などは「多くの人物」の手による合作
・憲法十七条は彼よりも「後の時代」に完成した
・遣隋使は小野妹子より「以前から」派遣されていた


・・など新事実も明らかになってきています。

Q大腿の筋肉を紐で多少痛みを感じる程度にいわき、その間に心電図を測定し、安静時と比較をするという観察を

大腿の筋肉を紐で多少痛みを感じる程度にいわき、その間に心電図を測定し、安静時と比較をするという観察を行いました。

紐で血管を細くすることで心電図上にどのようなことが起こりますか?そのメカニズムも教えてくださると助かります。

Aベストアンサー

>観察を行いました。
両者の心電図をとったんでしょ?

>心電図上にどのようなことが起こりますか?そのメカニズムも
自分では何も考えずに答だけタダで出してもらうつもり?

Q聖徳太子が摂政となる593年の語呂合わせ

聖徳太子が摂政となる593年の語呂合わせ

●国民期待の聖徳太子(当時国民という意識はあったのか?公地・公民だから大丈夫?)
●聖徳太子はコックさん(料理が得意だったり、そういう役目だったの?)
●ご苦労さんです聖徳太子(ご苦労さんて上から目線かな?596年と間違いやすい。)
●コックリさんと聖徳太子(ちょっと不謹慎な気が)
●五組に通う聖徳太子(本当?)
●国産大好き聖徳太子(遣隋使も送ってたから国産大好きとは言いがたいか?)
●極彩色な聖徳太子(派手だった?)

ネットで調べたり自分で考えたりして上記のような語呂合わせが集まりました。
括弧の中はちょっとした疑問点です。
更に良い語呂合わせはあるでしょうか?もしくは上記の中でこれが一番だというのがありましたら理由を教えてください。時代背景までわかるような語呂合わせなら最高です。

Aベストアンサー

敢えて、この中から選ぶとすれば、

●極彩色な聖徳太子

が時代背景にも反映されますし、一石二鳥かと。

何故に極彩色かと言えば、聖徳太子は「冠位十二階」を制定しています。603年に定められた位階制度です。推古天皇の摂政となった、丁度10年後ですね。位は冠の色で区別されています。

1.大徳 (だいとく)(濃紫)
2.小徳 (しょうとく)(薄紫
3.大仁 (だいにん)(濃青)
4.小仁 (しょうにん)(薄青)
5.大礼 (だいらい)(濃赤)
6.小礼 (しょうらい)(薄赤)
7.大信 (だいしん)(濃黄)
8.小信 (しょうしん)(薄黄)
9.大義 (だいぎ)(濃白)
10.小義 (しょうぎ)(薄白)
11.大智 (だいち)(濃黒)
12.小智 (しょうち)(薄黒)

どうです。極彩色でしょ?最初の語呂合わせから10年後に冠位十二階は非常に覚えやすいですし、時代背景も映し出してますし、最適な語呂合わせと思われます。更に翌年604年には「十七条憲法」がやはり聖徳太子により制定されています。連動してて覚えやすいですよね?試験なんかでは、よく間違えやすいところです。

次の文章の間違いを指摘せよ
「推古天皇の摂政となった聖徳太子は604年に冠位十二階制度という位階精度を定め、冠の色で役職を区別した」

もう間違えやすい紛らわしい問題ですが、もうお分かりですよね?冠位十二階は「極彩色な聖徳太子」が10年後に定めた制度ですから、604年では無く、603年が正解です。

この語呂合わせで覚えればオールOKです。

敢えて、この中から選ぶとすれば、

●極彩色な聖徳太子

が時代背景にも反映されますし、一石二鳥かと。

何故に極彩色かと言えば、聖徳太子は「冠位十二階」を制定しています。603年に定められた位階制度です。推古天皇の摂政となった、丁度10年後ですね。位は冠の色で区別されています。

1.大徳 (だいとく)(濃紫)
2.小徳 (しょうとく)(薄紫
3.大仁 (だいにん)(濃青)
4.小仁 (しょうにん)(薄青)
5.大礼 (だいらい)(濃赤)
6.小礼 (しょうらい)(薄赤)
7.大信 (だいしん)(濃黄)
8.小信 ...続きを読む

Q昔、日本の両端に居る人同士での会話は、どの程度成立したのでしょうか?

地方へ行くと、その地方独特の訛りや方言などが根強く残っていて、人によっては、その言葉の意味を聞き返さないと、私との会話が成立しない時があります。

今でこそ、テレビやラジオなどのメディアが発達したおかげで、共通語の認識が高まり、その地方の方言しか言葉を知らないと言う人は居ないと思いますが、ラジオなどのメディアが発達する以前の時代(例えば江戸時代など)では、日本の端と端に居る人同士が、もし会話をした場合、どの程度の意思の疎通が成り立っていたのでしょうか?

くだらない質問かもしれませんが、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 江戸の人(巡見使)が南部(岩手県)に行ったとき、藩のほうで通辞(通訳)を付けたが、それでもわからないことがあったと書かれています。しかし、新井白石が書いているように、方言が違っても、全く分けがわからないというほどではないといっています『西洋紀聞』(正徳五年)。江戸時代の小説でも薩摩の武士と、仙台と思われる奥州の武士とが京都見物をする話であるが、方言で困るという話はありません。上方とか江戸では武士階級ではある種の共通語があったそうです。詳しいことは、下のHPに書かれています。

参考URL:http://kuzan.f-edu.fukui-u.ac.jp/yokyoku/buke.htm

Q聖徳太子について

聖徳太子の本を読んでいて、実は聖徳太子は存在していないと仮説を
立てた「逆説の日本史」という本からの質問です。聖徳太子は、中国から来た渡来人の神様だったのではないかと思っています。その訳は
日出ずる天子→宗教権威がある人に対して使われる言葉だからです。
その他、聖徳太子の像があるお寺と、法隆寺のお寺の違いは何なのか?
という事に疑問を感じました。豪族蘇我氏の祖先が聖徳太子だったので、蘇我氏のお墓がある明日香村に聖徳太子の像が、祭られている。(蘇我氏の氏寺と考えていいのでは?)蘇我氏というのは渡来人で中国人であったのではないかと思います。法隆寺は、聖徳太子の怨霊を弔う為であったとすれば、やはり、存在しなかったということになるのでしょうか?

Aベストアンサー

あなたが最後に書かれているように、法隆寺が聖徳太子一族の怨霊を鎮めるために建てたものならば、存在したという事ではないですか?

本名厩皇子といい推古女帝の甥で政治・経済・軍事・外交などすべてを担当していたのは、当時の中国で女性は相手にされないからです。
ただこれほど偉大な人物が天皇になる前に死んだので多大の同情を招き怨霊信仰の対象になったと思われる。

聖徳太子の聖徳は、謚で死後付けられた名前です。
徳の付く謚を持つ天皇・皇族は、仁徳、安徳、顕徳、順徳、崇徳、文徳といますが、不幸な死に方をした人達ばかりで怨霊になる恐れがあります。  「徳」の字は、それを鎮める意味があると思います。
なお、怨霊思想は、仏教には死に方に区別なく本人の信仰だけで、神道のみの思想です。

したがって、聖徳太子は、日本人で存在したと考えられます。

Qちんぷんかんぷんって何?

よく、言っていることや書いてあることが分からない時は、「ちんぷんかんぷん」って言葉を使いませんか?(実は方言で他では使って無かったりして・・・。)

で、質問ですが、この「ちんぷんかんぷん」の語源は何ですか?
知っている方がいたら教えて下さい。

Aベストアンサー

過去の質問を見てください。

No.53560 質問:チンプンカンプンの語源は?

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=53560

Q浄土真宗のお寺になぜ聖徳太子?

浄土真宗のお寺はどこでも聖徳太子を阿弥陀様の横にお祭りしていますがどうしてですか?親鸞聖人が聖徳太子を大変敬われたからだと聞きましたが
それはなぜでしょう?聖徳太子は在家の方で親鸞聖人も同じ在家だからだと聞いた事はあるのですが。聖徳太子はあらゆる宗派、一部の神道にまで崇拝され、未来預言やオカルトまがいの話まであります。専修念仏とか阿弥陀一仏礼拝ということに結びつきにくいのですが。

Aベストアンサー

坊さん@浄土真宗です。聖徳太子は通常は阿弥陀さまの横には安置しません。内陣ではなく余間です。お祭りでもありません。
信仰上の礼拝の対象ではありません。あくまで敬う意味合いで安置しているのです。
聖徳太子さまは、親鸞聖人が「和国の教主」とまでおっしゃっていて、たいへん尊敬なさったお方です。
親鸞聖人が二十年の比叡山での修行に決別して、師である法然上人とお出遇いになるきっかけが六角堂での百日間参龍における聖徳太子さまの夢告であったといわれています。つまり、親鸞聖人にとっては、聖徳太子さまはとても大切なお方だったのです。親鸞聖人は自らの和讃(正像末和讃)で聖徳太子さまのことを
「和国の教主聖徳皇 広大恩徳謝しがたし 
 一心に帰命したてまつり 奉讃不退ならしめよ」
と「和国の教主」として、仏教を日本でもさかんにしようとして594年に仏教興隆の詔(みことのり)を出し、四天王寺や法隆寺を建て、また、経典を研究し「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」という注釈書をあらわした(その太子の仏教奨励策の結果で飛鳥地方を中心に仏教文化がさかえた。)聖徳太子さまを常々お敬いだったのです。そのお心を受け継いでいるのが真宗寺院なのです。
したがって私たちも、聖徳太子さまをお敬いするのです。

坊さん@浄土真宗です。聖徳太子は通常は阿弥陀さまの横には安置しません。内陣ではなく余間です。お祭りでもありません。
信仰上の礼拝の対象ではありません。あくまで敬う意味合いで安置しているのです。
聖徳太子さまは、親鸞聖人が「和国の教主」とまでおっしゃっていて、たいへん尊敬なさったお方です。
親鸞聖人が二十年の比叡山での修行に決別して、師である法然上人とお出遇いになるきっかけが六角堂での百日間参龍における聖徳太子さまの夢告であったといわれています。つまり、親鸞聖人にとっては、...続きを読む

Q昔7年前くらいの話です。高校の保険の授業の時にエイズとセックスについて

昔7年前くらいの話です。高校の保険の授業の時にエイズとセックスについて授業をしました。(話し合いみたいな)
すると先生が「性病には色々種類がある。知ってる人はいますか?」と問うので僕は「淋病!淋病!」
すると先生は何も言わず僕の答えを流したので次に僕は「梅毒!梅毒!」とサルの一つ覚えみたいにヤンチャボーズ口調で言いました。
すると先生は激怒しました。(なんで怒ったのか、何を言ったのか覚えてません。ただ怒ってたのは覚えてます。)
今更なんですが何で怒ったんですかね?今僕は26才ですが分かりません。
梅毒、淋病って正直中身も症状も知りません。無知で発言してました。
僕が思うに先生が怒った理由は梅毒、淋病には何かの歴史があってそれを知らないガキが面白がって発言した事に怒ったのだと思います。
みなさんはどう思いますか?みなさんの意見を聞かせて下さい。
説明下手くそですみません。

Aベストアンサー

おっさんです。

質問文を見る限り、発言の内容自体にはまったく問題はないので、
言い方が悪かっただけではないかな?
闊達な提案・議論がなされることは良いことではあるけれども、
先生は「真面目な」授業進行をしたかったわけで。

ちなみに俺は、国語の授業中、文法のことで一歩も引かずに先生と激論を交わし、
その結果、何でだかわからないけど先生が怒り出して、教壇の横に立たされたことがある(笑)
授業の「秩序」を乱す生徒は、ある意味、先生の敵なんだよ。

おっさんになった今、ガリレオが牢屋に入れられたのも、
当時としてはしかたがないことだったのかなー、と思う今日この頃。

Q「17条の憲法」は本当に聖徳太子が作ったのですか?

「17条の憲法」や「冠位12階の制度」は、聖徳太子が制定したと学んできました。

しかしある本で、「これらを聖徳太子が制定したとはどこにも書いてない」とあり、ショックを受けました。
ではなぜ、これらは聖徳太子が制定したとされてきたのでしょう?

これらが制定された時期、聖徳太子が政治の実権を握っていたのは間違いないのですか?
蘇我氏など他の大臣たちが制定したものじゃありませんか?

Aベストアンサー

 聖徳太子って謎の部分が多い人なので、いろいろな説が生まれてきます。「<聖徳太子>の誕生」と言う本は(大山 誠一著)は、聖徳太子不在論争のきっかけとなった本で、聖徳太子の存在を否定するものは幾つかあります。だからといって 十七条の憲法冠位十二階を「蘇我氏など他の大臣たちが制定したものじゃありませんか?」と言うことにはなりません。#2さんの言うとおりです。もし、聖徳太子という人物がいなかったとしても、そのモデルとなる、蘇我氏に抵抗するあるいは対等以上の立場をとろうとする皇族がいたことは間違いないと思います。

 そこで、聖徳太子をもしもう少し調べてみてもいいようなら、実在していることを前提にしっかり書かれていながら、信仰としての聖徳太子についてもしっかり書かれている、岩波新書の「聖徳太子」(吉村 武彦著)がおすすめです。
 マンガでは私は、「日出処の天子」(山岸涼子)(白泉社)をおすすめします。日本の古代研究の第一人者梅原猛先生のお墨付きももらっているマンガです。聖徳太子が超能力者的に描かれていてウソの話が多すぎると言う意見もあるが、彼の伝説にそういう話は結構あって、その他当然つくられた話の部分もありますが、その当時の時代の雰囲気がつかめるおもしろい作品です。池田理代子さんの作品もいいですよ。
話がそれてしまいました。聖徳太子ってとてもおもしろい存在です。

参考URL:http://homepage1.nifty.com/umayado/who/book/books.htm

 聖徳太子って謎の部分が多い人なので、いろいろな説が生まれてきます。「<聖徳太子>の誕生」と言う本は(大山 誠一著)は、聖徳太子不在論争のきっかけとなった本で、聖徳太子の存在を否定するものは幾つかあります。だからといって 十七条の憲法冠位十二階を「蘇我氏など他の大臣たちが制定したものじゃありませんか?」と言うことにはなりません。#2さんの言うとおりです。もし、聖徳太子という人物がいなかったとしても、そのモデルとなる、蘇我氏に抵抗するあるいは対等以上の立場をとろうとする皇族が...続きを読む

Qきっさまぁ!

日本語で「きさま」という言葉がありますが、
漢字で書くと「貴様」ですよね。
しかし、「貴」という漢字も、「様」という漢字も相手を敬うような場合に対し、使われる漢字です。
その2つの漢字がつながってできた言葉が「貴様」ですが、どう考えても「貴様」という言葉には相手を敬うという意味で使われていません。
これはどうしてでしょうか?
「貴様」という言葉の由来を教えてください。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

皮肉の意味で、本来は敬う言葉が逆転したようです。
同じような例で、
ワン公とか、先公など、●●公というのはもともとは貴族を表す言葉でしたが、蔑称のように使われていますよね。
お前というのも、もともとは、御前という敬うことばであったようです。

参考URL:http://homepage2.nifty.com/osiete/seito320.htm


人気Q&Aランキング