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以前からの素朴な疑問なのですが、現代の日本人と昔の日本人って、どの程度会話が
通じるんでしょうね?まぁ江戸時代くらいの人間だったら、「○○でござる」って
感じである程度は分かるかもしれないけど、例えば聖徳太子くらい昔の人になっちゃったら、やっぱり言ってることはちんぷんかんぷんなんでしょうか?コギャルとは言わないものの、今の標準的な日本語で大昔の一般人に喋りかけりしたら、多少の意思の疎通は出来るんでしょうか。知ってる人がいたら教えて下さい。

A 回答 (8件)

決して悪意はありませんが、タイトルの例は、本当におもしろいですね。

実際にできるものならやってみたいです。10人の話を同時に聞ける聖徳太子もたじたじ…?一万円札の肖像にまでなった人なのに。やじうまでした。
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かつて大野晋氏が、「私たちが今話している言葉は、どの時代ぐらいまでさかのぼって通じるのか?」という質問に答えておられました。

答えは、だいたい室町以降、400年ぐらい前までだろう、というものでした。

氏の回答では、言葉を理解するための要件として、文法・単語の意味・発音の3つに分けて論じておられましたが、
やはり一番ネックになるのが発音だろう、ということでした。

「ちゃちゃのぱぱ みやまもちゃやに ちゃやげども われぱいももぷ わかれきぬれむば」
という和歌(柿本人麿作)を当時の音で紹介されていましたが、これがカナ交じり文では
「小竹の葉は み山もさやに さやげども われは妹思ふ 別れ来ぬれば」
と書く歌だそうです。
ちょっと通常の会話には支障をきたす程度に差がある、と言っていいのではないでしょうか。

万葉の時代には「O」の発音も2種類あったそうですし、助動詞の寿命の極めて短いこと、イントネーションの問題、濁音の問題、さらには当時の方言の問題(地方の防人の言葉は結構違ってますね)…などなど、考えるほど難しくなるような気がします。
むろん、お互い膝を突き合わせて時間をかければ別でしょうけれども、ご質問の趣旨を「ふつうに喋りかけて多少なり意思の疎通ができるか」と理解すれば、かなり難しい、と言わざるを得ないのではないでしょうか。
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  質問のタイトルが、「質問:コギャルと聖徳太子で会話は成り立つのか?」となてっているので、「コギャル語と聖徳太子のあいだの会話」と捉えられているようですが、具体的質問は、
 
  >現代の日本人と昔の日本人って、どの程度会話が通じるんでしょうね?
  >今の標準的な日本語で大昔の一般人に喋りかけりしたら、多少の意思の疎通は出来るんでしょうか。
 
  というように、「コギャル」と「聖徳太子」の会話ではなく、また、通じるか通じないかではなく、「どの程度」「多少の意志の疎通」と言っています。皆さん、「できない」「通じない」「不可能」というように答えておられるので、わたしは、「可能だ」と答えます。
 
  まず、一番最初に、現代人に向け話しかける調子で話しかければ、まず、通じませんし、相手の返答も何を言っているのか分からないはずです。しかし、試行錯誤を繰り返し、色々な表現や言葉を試して行くと、「通じる言葉・通じる表現」があることに気づくはずです。
 
  最初からそのことを念頭して、言葉を選べば、かなり通じるはずです。聖徳太子の時代の人なら、母音数が現在よりも多いので、現代人の発音は「おかしく」響くでしょうが、基本的に「和語」を選んで、よく昔の西部劇映画などで、北米インディアンが話していたような、「単語順次提示」で段々、分かる言葉と分からない言葉の区別が付いてきます。
 
  というのは、現代人は、至極あたりまえだと思っている多くの言葉が、聖徳太子の時代には、まったくなかったのです。「和語」というのは、和語はかなり変化していても、一応古くからの対応は残っているからです。
 
  自分を指さして「われ」「われ すぺーす」「すぺす」とか言って、相手を指さして「なれ」「なれ たれ?」といえば、これでうまくいかなければ、手当たり次第に人称代名詞を使っていると、そのうち分かってきます。
 
  空を指さして「そら」、地面を指さして「つち」、身体の一部を指さして「て」「うで」「あし」「め」「くち」などと言っていけば、共通する語彙の確認ができます。
 
  発音の変化とイントーネションの変化で通じない場合がありますが、繰り返しやっていると、分かって来ます。
 
  「わが こころ よし」とか「わが こころ うれし」などと言えば、発音とイントネーションが克服されていれば、通じます。
 
  現代の日本人が使っている漢字の熟語や、カタカナ語などは、まず通じません。カタカナ語はすべて通じないでしょう。しかし、「うめ はな かおり よし」と言えば、発音で迷うかも知れませんが、基本的に通じます。こうして段々複雑な話ができるようになると思いますが、限界があります。
 
  どういう限界かというと、一つは「表現文体」で、もう一つは「概念の欠如」です。つまり、現代人の方が、豊富な思想や概念や、感情などの表現方法と語彙を多数持っているのです。聖徳太子の時代には、そんな細かく高度な概念や表現方法の文体・語彙がなかったのです。
 
  こういう限界は、聖徳太子の時代の人々同士の会話にも欠落していたのです。コンピュータ・PCやインターネットにまったく無縁な人は現代に多数いますが、それらの人の会話で、「CPUのクロックは」とか、「アプリのインストールに必要なドライバが見つからない」などというのはないでしょう。また、そういう話をしても、何のことか?ということになって、まったく意志疎通不能でしょう。
 
  「聖徳太子は天才です」などと言っても通じません。「ひつぎのみこ うまやとのみこさま は ありがたき ひと」などと言えば、半分ぐらい通じるかも知れません。「天才である」という概念や表現文体・言葉がなかったのです。
 
  英語をまったく知らない明治時代の普通の人が、英語しか知らないアメリカ人の普通の人と会話して、どこまで通じるかというのと較べると、雲泥の差があります。どの和語が通じるか、通じるようにするのは、どういう発音にすればよいか、また相手の言葉も、発音が変化しています。単語を区切って言ってもらっても、最初は三分の一も分からないでしょう。しかし、段々二分の一は分かるとか、ほぼ分かるということになります。要するに理解できる言葉で話をすればです。
 
  現代人が日常的に使っている多くの「概念」は、言葉がないだけでなく、概念そのものがないので、これを説明するには、相当に言葉に慣れた上で、かつ、基本的なことからはじめて懇切丁寧に説明すると、分かるかも知れないという程度です。持っていない概念の理解は難しいのです。また、逆のこともあります。
 
  回答は、最初は互いに、ちんぷんかんぷんです。その理由は、発音が変化しているからです。しかし、一語一語切って、発音を確認しながら会話して行くと、段々相互に「和語」の部分で分かるようになります。しかし、「固有の概念」に当たると、これは相互理解不能です。
 
  一応、相手は、教養のある中央の人とします。聖徳太子の時代の方言を喋る人だと、まったく通じない可能性が高いです。何故かというと、『記紀』や『万葉集』の言葉は、分からない言葉もありますが、発音の違いは別として、現代人が読んでも半分ぐらい分かるからです。中央の公文書に記されている言葉だと、発音は別に半分ぐらい分かるというのは、それだけ共通語彙があるのです。地方の方言だと、当時の人も通じ合わなかったか、困難であったはずで、そういう言葉のサンプルは、現代語にも伝わっていないのです。
 
  なお、コギャルと聖徳太子では、コギャルに、意志疎通の意志がないと思えますから、ちんぷんかんぷんでしょう。「とつくにの くすしきことのは なり」とか聖徳太子が呟くかも知れません。
 
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無理でしょう。



千数百年前どころか、現代に於きましてもコギャルと地方の方言を話すご老人との意思疎通は困難です。

私も地方在住者なのですが、正直申しまして父親が兄弟(私の伯父ですね)と本気で方言を使って話しますとその内容の3割は傍で聞いてて理解できません。
もっと田舎の同じ**弁と呼ばれる地域のお年寄り同士の会話になりますと5割以上は理解できません。
首都圏在住のコギャルがどの程度理解できるのかと考えれば…ほとんど無理でしょう。

言語に関しての学問を学んだことはありませんが、以前に聞いた話で方言というのは京を中心とした言葉が同心円上に広がっているうちに大元の京で言葉の変化が起こったというのも一因と聞いています。

方言の成り立ちについての自信は無いですが、古代の京の人と現代のコギャル間にコミュニケーションが取れないであろうということには自信があります。
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はっきり言って通じません。


なぜならコギャルは聖徳太子から1400年後の標準語をくずしたことばを話し、聖徳太子は標準語すら話していないからです。問題は標準語が1400年でどれほど変わったか、どの程度通じるか・・ではないのです。1400年前の日本にはいろいろな日本語が存在し、話しことばとしては隣接する言葉以外は通じなかったと見るべきです。たくさんの言葉の一つである大和言葉を大陸から学んだ漢字を使って書き表すようになって初めて書き言葉として標準語らしきものが現れたと理解すべきでしょう。

発音がどのように変化してきたかわかりやすく説明するため「母はパパだった」という説明がなされます。現代のhahaという音は信長の時代にはfafaと発音され奈良時代にはpapaだったということです。4-50年まえまでは、しゃくぁいじん
(社会人)くぁいしゃ(会社)しぇんしぇい(先生)と発音する大人がたくさんいました。また現代日本語には外国語の影響を受けたティ(チ)やディ(ジ)の音が
ありますが、これらもわずか50年未満の変化です。わたしの子供のころは大人はPTAをピーチーエーと発音していました。

例をあげれば切りがありませんが、江戸時代も話しことばの標準語はなかったので、どれだけ通じるか、どれだけ変化したかといってもどの言葉と比較するのかが問題です。江戸時代中期の下町ことばと現在の東京で三代以上下町で暮らしている人はどの程度通じるかという設問なら成り立ちます。
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 一応言葉を使う趣味を持っておりますので、半専門家ってことで(笑)



 あくまで机上の話ですが、はっきり言って通じません。それどころか、江戸時代の人間と現代人の言葉ですら、もはや通じないでしょう。
 「ござる」のことを言っておられますが、これは「ございまする」が早口化して短縮された言葉ですので、「ご・ざ・る」と3音節で発音する発音法は、テレビメディアが作り上げたものです。
 もっとも、あくまで「早口短縮言葉」として使う場合にはどうか分かりませんが(江戸時代の言葉には詳しくないので)。

 一般に、言葉の語尾に「ござる」をつければ侍言葉で、「べらんめぇ」を挟めば下町言葉になる、というイメージを植え付けられがちですが、実際には彼らが話していたのは「江戸弁」であり、標準語ですらありませんので、まったく言葉が違うと言っていいです。

 たとえば「ぎゃーけひーてねまっと」という言葉があります。
 この言葉は、うちの実家の地域の古い方言で、ほんの100年足らず前まで実際に使われていた言葉です。しかし、もはや俺でも説明されなければ意味が分かりません。
 言葉の変化というのはそれくらい早いものなんですよ。

(↑ちなみに、佐賀弁で「風邪ひいて寝てる」という意味)
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こんにちは。


一般言語(現代口語)を操る私でもコギャル語を理解に苦しみます。
ですから不可能に近いのではないでしょうか?
ですので、聖徳太子とコギャルの間には当時の言葉を完璧に理解出来る能力と、コギャル語を理解出来る能力が必要かと思いますので、両者の専門家(?)を交えて2人の通訳(!)が必要になると思います。
えっと、真剣に回答してますので………。
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全くの素人考えですが、たぶん通じないと思います。


一つは、当時の言葉と現代の若者言葉に大きな差があるだろうということと、日本語の発音自体が当時と現代では違ってきていること、更に話すスピードが当時と比べて現代の方がかなり速くなっているだろうということです。
全くの推測ですので、専門家のご意見を待ちたいと思います。
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