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「昭和天皇がA級戦犯との合祀が原因で、靖国に参拝しなくなった」というニュースについてお尋ねします。

右よりな考え方をすれば「A級戦犯だって国のために戦ったのだから、合祀は当然。参拝も当然」となりますが、昭和天皇はそのような考え方では無かったのですか?

昭和天皇は第二次世界大戦を軍部と進めましたが、戦後はその戦争が「間違いだった」と思っていたのでしょうか?

ウォーギルトプログラムの影響ではないですよね?

もしくは、神教との兼ね合いの問題なのでしょうか?

戦争で世界に犠牲者を出してしまったことは反省されていても、A級戦犯に対してそのような思いがあるとは意外に感じてしまいました。
どのような背景があるのでしょうか?

なお勝手ではございますが、回答者様の個人的な戦争への評価やイデオロギーについての記載はお避けいただき、あくまで、昭和天皇の戦前から戦後の戦争観、歴史観、軍司令部・A級戦犯への思いの変化についてのご解答をお願い致します。

A 回答 (13件中1~10件)

ご質問の前提ですが、7月20日の日経で報じられた「元宮内庁長官富田氏の手帳に貼ってあったメモ」を根拠に「昭和天皇がA級戦犯との合祀が原因で、靖国に参拝しなくなった」と判断するのは問題が多いようです。

そもそも、このメモが昭和天皇の言葉を記したものと判断する根拠は何でしょう?新聞記事をよく読み、「メモ」の写真をよく見てください。

1. メモが書かれたとされる昭和63年4月28日には、富田氏が昭和天皇と面談した記録がないとのこと。(ネットの情報ですが)

2. メモの画像を見ると「私」が昭和天皇と判断する根拠が伺えない。

3. 速記者でもない富田氏が、昭和天皇の言葉を一言一句書き記すか?仮に昭和天皇の言葉を記すとすれば「陛下はこう仰せられた」「陛下はこう思し召しの由」などと書くのではないか。
7月21日付の産経新聞には、「昭和54年」の昭和天皇の言葉を書き記した部分として「陛下に**と言上すると『長官はどう』と仰せになる」と書かれていたとのことで、これなら分かる。

4. 昭和63年4月29日には、徳川義寛侍従長が退任したとのこと。その前日に、宮内庁長官が侍従長の話をメモした、とすれば理解できる内容である。

今回出てきた「メモ」を無視しますと、昭和天皇は、下記のように発言しています。

1. 終戦直前の御前会議、あるいは米軍進駐後にマッカーサー元帥と会見した際に
「私はどうなっても良いから国民を助けたい」
と述べている。大日本帝国憲法の君主無答責規定はどうあれ、敗戦国の元首として戦争責任を負う(連合国によって処刑される)覚悟を見ます。

2. いわゆるA級戦犯に対して、「戦後」に
「敵国から見れば犯罪者でも、わが国から見れば忠臣である。我が股肱を連合国に引き渡すのは忍びない」
「東條は良くやってくれた」(東條元首相の処刑後、遺族に対して慰謝の言葉を伝えています)
といった言葉を発しています。昭和天皇が、A級戦犯に戦争責任を押し付けていたという形跡は全く伺えません。今回の報道を見て私も驚きましたが、詳細を知って「安堵」しました。

3. 昭和天皇は、昭和50年までは靖国神社に何度も行幸し、「明らかでない何らかの理由」で行幸をやめた後も、春秋の祭事には勅使を派遣しています。これは今上陛下に継承されているはずです。
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結局の所マスコミは「天皇陛下の発言」にしたいようですが、十分な検証がなされていない上に、天皇の発言としてはおかしな部分が多いですね。



また、仮に昭和天皇の発言だったとしてもA級戦犯を非難するのではなく個々の人間を非難しているようにしか思えないのですが。

今回は特にマスコミの言葉の暴力というのを感じました。
今の時代にNo.4みたいな人がいるのもマスコミのおかげでしょうね。
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ご質問に対する直接の回答ではありませんが、


この手の問題を考える際の一般的な留意点について
述べておきます。

戦争とは外交の延長線上に有り、国家間の紛争を
解決することを目的として行われる、
という訳ではありません。
何億という人間が巻き込まれる訳ですから、
祖国や家族のために命を投げ出す人がいる一方で、
己の利益や保身のために味方を裏切る者が出て来ます。
明確に敵味方に分かれて競い合うサッカーの試合のような
単純なイメージを抱いていては歴史の真相は
到底理解出来ないでしょう。
国家の枠組みを無視した卑劣な駆け引きが
平然と行われるのが現実の戦争なのです。

その複雑極まりない現実の中で、
最も苦悩し葛藤した一人が昭和天皇であることは
言うまでもないでしょう。
その心中が如何なるものかは、その立場に身を
置いた者でなければ理解出来ないのではないでしょうか?
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現行憲法第4条には『天皇は,この憲法の定める国事に関する行為のみを行い,国政に関する権能を有しない』とある。



ここで国事『matters of the state』という表現を使って、国政『powers of the government』と厳密に区別している。 天皇の言動を政治的に利用しようとする試みを排除する為である。 

先の大戦を始めるに当って、昭和天皇がどのような意見を持っておられたかについて様々に見解が分かれている。 しかし、彼が、個人的に戦争責任を持っておられたことは1945年9月27日のマッカーサー元帥との会談における次の言葉で明かである・

引用
天皇「私は、日本国民が戦争を闘うために行った全てのことに対して全責任を負う者として、あなたに会いに来ました。」引用終り

だからA級戦犯の合祀が決まって以来、靖国神社参拝に行っておられないのはむしろ当然のことである。 現行憲法下では彼の意思が反映されることはない。 むしろ反映させてはならない。 大切なのはこの国の主権者である我々が国政選挙において、首相の靖国参拝をどう投票行動に反映させられるかに懸っている。

参考URL:http://wwwi.netwave.or.jp/~mot-take/jhistd/jhist …
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今回のメモはまた一つ材料が出てきたというだけで、今に始まった事ではなくて、昭和天皇が、A級戦犯が合祀された78年以降、参拝していない時点でA級戦犯の靖国合祀に不快感を持っていた事は誰の目にも明らかですよね。



それでも、なんとかストーリーを作って新聞社などのデッチアゲとしたい人もいる見たいですけど。っていうよりこれがもしデッチアゲなら、むしろ下の人みたいな人が偽メール問題の真似事みたいなかたちでやったんじゃないですかね。で、それを切っ掛けに全部デッチアゲだ~と叫ぶ予定とか。陰謀論話でした(^^。
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アレクサンドル・ソクーロフという映画監督がいます。

この人は「20世紀の独裁者」をテーマに、ヒトラー、レーニンと続けて、第三弾として昭和天皇を描いた「太陽」という映画を作っています。下記URLは上映公開に当たってのインタビューです。
綿密な調査、資料集めをして映画は描かれている模様ですが、この映画が歴史的事実であるという事ではなく、ロシアの映画監督であり、他の独裁者を描いてきた映画監督ソクーロフの感じた 昭和天皇 とは という意味で、 ある種の客観的な昭和天皇感として参考になるものではないでしょうか。
(私もまだ映画は見てないです。)

参考URL:http://www.sbbit.jp/article/art.asp?newsid=2062
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昭和天皇は寡黙で、公式の場で自分のことをあまり語りませんでしたので、昭和天皇の御心がどこにあったかを推し量るのは、素人にはなかなか難しいことです。



私も合間を見て調べているのですが、まだ十分理解しているとは言えません。
また、新聞各紙も、この問題については自社の立場を正面に出していることもあり、客観的な資料を集めにくいのが、実状です。
(今日の読売・朝日・産経の社説をチェックしましたが、まあどこも自分の主張を丸出しにした、ひどい内容でしたね)

とりあえず、無難なところだけ取り上げて、回答したいと思います。
昭和天皇についてある程度の知識がないと、どこぞのデマ記事の内容を鵜呑みにした、いい加減な意見しか出てこなくなってしまいますので、とりあえずWikipediaの記事を前提とします。

参考:『Wikipedia』-『昭和天皇』
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C% …


太平洋戦争当時の昭和天皇の立場ですが、内心では開戦に反対していたと見ていいでしょう。
私は、昭和天皇は隠れ英米派であったかもしれないとまで、考えています。
『軍人達の昭和天皇への責任追及』
 http://ww1.m78.com/topix-2/showa%20emperor.html

しかし、昭和天皇は自らを立憲君主と規定し、その立場を越えることは滅多にしませんでした。
昭和天皇は内閣が決定した方針に、異を唱えることはありませんでした。
開戦を決定した御前会議の時でさえ、昭和天皇は内閣が決議した内容をそのまま承認します。
2.26事件と終戦の決断だけは自らが政治判断を下しましたが、どちらも国家の非常事態における緊急対処ですので、これは例外と考えるべきでしょう。

その後、日本は敗戦を迎えますが、最大の当事者であった昭和天皇の胸の内は、相当に複雑だったようです。
戦争の被害者である国民や一線で戦った将兵に対しては、彼らの犠牲と苦労を慰労する気持ちを持たれていたようですが(後に国内を精力的に巡回し、敗戦で傷ついた国民を慰労したことからも、十分にうかがえます)、一方で戦争を指導した政治家に対しては、厳しい目を向けることもありました。

『昭和天皇独白録』や『木戸幸一日記』などの重要資料をまだ読んでいないので、誰を非難し、誰を評価したかといったことには触れませんが、非難した人物の中にA級戦犯と呼ばれる人が一部含まれていたことは確かなようです。(ただし、A級戦犯全員ではありません)

参考:『昭和天皇の陸軍軍人の人物評』
 http://ww1.m78.com/topix-2/critic%20to%20officer …


結論として、昭和天皇は個人の立場では、やはり戦争には反対だったのではないかと考えています。
そして、A級戦犯と呼ばれる人たちの一部に対して、国家のために命を落とした多くの国民と一緒に慰霊することには、少なからぬ抵抗感があったのではないかと思われます。

ただし注意しなくてはいけないのは、A級戦犯すべてを昭和天皇が忌避していたのでは、ないだろうということです。
ここをはっきりさせないと、一部の外国や朝日新聞など、靖国神社参拝反対派に、昭和天皇の意志を悪用されてしまいます。(既に朝日新聞が、遠回しではあるが、そういう記事を載せています)

この問題については、大手新聞社がこぞって自社の主張を繰り広げるなど、真実への探求は捨てられ、ただのイデオロギー論争に発展する危険性が非常に高いです。
雑多な情報に惑わされないよう、よくよく注意しなくてはいけません。
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普通に考えて、


A級戦犯だって色んな人に好かれて嫌われます。
さて。
じゃ、天皇が「A級戦犯全員」を嫌ったんでしょうか?
私的に考えると合祀を認める、認めないとこだわりが出てくると思います。
勝手にA級戦犯を始め追加されましたからね。
そりゃ怒りますよ。

天皇とて感情のある人間です。
右派左派みたいな高尚な理由で参拝を止めたりしませんよ。
嫌いな人間はぼろ糞にけなしています。
だいたい天皇が穏やかな感情を爆発させない人間のわけないでしょ?
日頃から感情を抑えられて育った人間だから、起伏はかなり激しいと思います。

それを勝手に自分たちの都合のいいように色んな人間が妄想を広げているだけです。

と、普通にヒトとしての感情で考えるとこんなもんでしょう。

自分が祀りたい!!と思う人が祀られないなら誰だって怒るに決まっている。
それにお飾りの天皇だったから色々な葛藤があったと思います。
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7月21日の朝日新聞朝刊によりますと、


>14名のA級戦犯をを含む合祀者名簿を持参した神社側に対して、宮内庁は軍人でもなく刑死や獄死でもなく病死だった松岡洋右元外相が含まれていることに疑問を呈した。
とあります。松岡元外相とはドイツびいきで日独伊三国同盟を推進した人物です。これが日米開戦へと導いたのであり、昭和天皇の「不快」の原因があるとおもわれます。

また、No4さんがおっしゃっているように

>こんな悪い人たちと、本当の犠牲者であります国民の戦死者を合祀させてしまったのがいけないのです。
>さっさと分祀すればいいのに何をためらっているのか分かりません。

合祀の決定は1978年に慎重だった靖国神社宮司筑波氏死去後、松平宮司が就任後間もなく合祀に踏み切ったとあります。
一宮司の決定がここまで影響力を及ぼしていいのでしょうか?
そして、分祀できない理由が「政教分離」では、国の最高権力機関としての力が及ばないし、役割は果たせないのではないでしょうか。
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詳しいことは分かりませんが、そもそもA級戦犯こそがあのいらない戦争を起こした連中で、いけしゃあしゃあと生き残り、国内にてのほほんとしていた奴らで、戦後処刑された人たちなんだと思います。



国民を赤紙一枚で招集し、外地へ派遣して戦死させていたわけです。

こんな悪い人たちと、本当の犠牲者であります国民の戦死者を合祀させてしまったのがいけないのです。

さっさと分祀すればいいのに何をためらっているのか分かりません。

昭和天皇が、合祀後全く参拝しなかったというのは本当にうれしく思いました。
やはり立派な人だったんだなあと感心しております。

戦後、マッカーサー元帥が日本に来たとき、マッカーサーは当然天皇陛下は命乞いをするだろうと思っていたそうです。
そして、天皇が自分だけ助かろうと命乞いをしたならば、日本を植民地にして支配し続けるつもりだったそうです。
ところがその反対で、昭和天皇は、「私の命を捧げますので日本を守って下さい」と仰ったそうです。
そのお陰で今の日本があるのです。
もしも命乞いをしていたら、今の日本はフィリピンみたいな国になっていると思います。(フィリピンが悪いというわけではありません)
アメリカ人が移住してきて、日本人お仕事といえば、召使いや、奴隷とまではいかないまでも、にたような仕事しか与えられなくなっているかもしれませんでした。
とにかくさっさと分祀すればいいと思います。

あくまで私自身の意見なので間違っていることもあると思いますのでご了承下さい。
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