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学校の小中高校の授業の中で必要ない授業が多いような気がします
家庭科なんて、わざわざ学校で習わなくても、生活をするために必要になったときに容易に習得できる知識と技術だと思うし
美術と音楽なんて、芸術の道を志す人にとっては学校の授業なんて意味がないと思います
技術は、授業を受けたからといって、自力で物作りができるようになるわけではない
絵が上手になるわけでもないし、楽器が弾けたり歌が上手になるわけでもない
国語の古文・漢文はあれほどに授業時間を割いて学ぶ意味があるのか
クラブ活動は拘束時間が長すぎないか
など、私にはどうも理解できないことばかりなのです
これらの授業は本当に必要な授業なのでしょうか

A 回答 (13件中1~10件)

こんばんわ。


私はFrankさんのような疑問を持ち、小学校の時、「なぜ、学ばなければならないのか」という題の作文を書きました。
色々な先生に聞いた所、やはり「将来の為になるんだ」とか子供相手なので軽く流された気がします。
私も、化学の元素記号が一体将来やくにたつのか?などと授業中もいらだちますが、授業にある以上しょうがないことなのだと思います。
高校に入ってある先生が、「将来の役にたたないけど、今おまえらは一番覚える時期だから脳味噌を練るんだ。」と言っていたことが印象に残っています。

将来役に立たない勉強でも、努力する精神などを養う為にそういう授業があるのではないでしょうか?
私はもうそう思って諦めています・・・
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この回答へのお礼

化学の元素記号などは学んで意味のあるもの
というよりは学ぶべきものだと思うのですが
芸術科目や家庭科などは学校で学ぶべきものではない気がするんです
芸術は自由に書いてこそすばらしい、家庭科は家庭で得られる技術
こういうことをやる時間があったら、数学や英語の時間を増やすべきではないかと・・・

お礼日時:2002/03/05 23:53

確かに現役の頃は同じような考えをもっていました。

しかし、社会人になって10年以上が経った今、考えるに「広く浅く知識・知恵を得る」「論理的な考え方を養う」「基礎体力をつける」という3点に小中高校での授業は通じているのでは?と思います。
確かにこれらの学校の授業で学んだ事が社会に出て即役に立つ、というものは少ないと思います。でも社会に出ると無数に近い数の職業がありますが、それらの職業の基礎の基礎は学校で学ぶ授業のいずれかに必ず当てはまるはずです。

専門学校、という学校がありますが、あれは社会に出る直前の研修に近いものがありますが、小中高校はその研修のための研修かもしれません。

#1の方の回答にもありましたが、脳のトレーニング(脳を練る)期間なのかもしれません。

授業で学ぶ事を丸暗記するのではなく、その考え方が重要なのでしょう。
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この回答へのお礼

あの・・・私は学校で習う科目一般ではなく
芸術、家庭科、古文漢文に限って質問しているんですよ
論理的思考や脳のトレーニングということなら数学や理科、英語などを学ぶべきですよね
すいません、説明が下手でしたね

お礼日時:2002/03/05 23:58

確かにすべてが必要な授業なのかという疑問はありますよね。


でも、音楽は楽器の演奏は嫌だけど音楽を聴くことは楽しかったし、音楽で感動するってことはあるんじゃないかなぁ。
それは他の芸術科目もそうだと思います。その表現の技術を学ぶこと自体には、個人の向き不向きはあるにしても、まるで無駄ではないような気はしますね。
家庭科や技術の授業も、たしかに一般家庭で、常に行われていることですよね。
ただ、貴方がいうように、必要になったときに本当にすぐ習得できることでしょうか?
料理ができるようになるのには、結構大変だと思いますよ。
最近我が家で子供のおもちゃが壊れたので、配線を直す機会があったのですが、
やっぱり半田付けとか習っておいて良かったなと思いましたよ。
結局義務教育の授業というのは、学習のきっかけ作りなんじゃないですかね。
そこから先は、本人が学びたいところを学ぶことが正しいような気がします。
大人になってから、よく勉強しておくんだったと思いますからね。
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この回答へのお礼

>音楽は楽器の演奏は嫌だけど音楽を聴くことは楽しかったし、音楽で感動するってことはあるんじゃないかなぁ。

別に音楽の授業があるから音楽に興味をもつわけじゃないですよね
たまたまラジオやテレビで流れた音楽に感動することなんてありふれたことですし・・・

家庭科なんて一年に1回か2回行う調理実習で何が得られるのでしょうか
裁縫の実習も同じです
ほとんどが教科書を読むだけの授業です
私は技術は役に立つ授業であると認識しています

お礼日時:2002/03/06 00:05

個人的に、心の中では、「大事なんだよ~!」と叫んでおりますが、世の中の流れは、「そんなもん必要ねえよ!」の流れになってきております。



frankさんが先ほど去れた質問(教科書の内容削減)も含め、現在は、4月より行われる新指導要領による授業に向け、「移行措置」といわれるさまざまな試みが行われています。

教科書も、ご指摘のとおり、今までの指導要領に基づいた教科書を使い、書かれている内容すべてを授業で行うのが当然なのですが、何せ今度の指導要領改定では内容面での変更(主に先送り、削除)があまりにも多く、戸惑いなく次年度の授業に臨めるよう、各学校での判断に従い、学習を省略しているものが多いのです。

今回の指導要領の変更及び実施に当たっては、frankさんのような意見の持ち主の意見が相当多数、文部科学省に寄せられていたのだろうなあ、ということが容易に想像できます。

「何だよ、こんな教科、いらないじゃないか。」「全員が、ここまで深く学習必要、ないだろう。」「俺は芸術家になるんじゃないんだ、こんな教科に時間を割くぐらいならば、他のことをやってみたい。」

というものです。

多くのヨーロッパなどの国では、いわゆる実技教科、芸能教科というのはほとんど存在しないといわれます。学校は国語、算数、といったものだけを行うところ。授業は午前だけ。昼は家庭に帰って家族とじっくり触れ合う食事。社会教育が充実しているため、午後は自分のやりたい、クラブのような活動として、実技、芸術活動を習得する。これは教師による授業ではなく、地元の専門家、講師などによるものだとか。

もちろん学校での運動会、文化祭、遠足などといった行事はなく、学校はひたすら勉強する場。できなければ小学生でも落第。

日本もこんなシステムを目指しているのかなあ、と、今回の指導要領改定の趣旨を見ながら考えております。

ちなみにヨーロッパの話は、又聞きです。残念ながら自らでの取材は行っておりません。
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小中高校の勉強って、それぞれの向き不向きを、実感させている場でもあるのかなと思います。



わたしの場合。
同じく自然科学の範疇に入るものの中で、「物理」や「化学」は苦手でも、「生物」や「地学」ならあまり苦にはなりませんでした。
国語では「古文」はやや苦手、でも「現代国語」と「漢文」は好き。
社会と美術は、おおむね良好。数学は、まあ普通。音楽の才能は皆無。
英語は苦手etc
部活動もいろいろ経験しました。
でも、学校活動の中で、一番得意で大好きだったのは、教科ではなく、小学校から高校まで、ずっと委員をやりつづけたものでした。
そしてそれは、自分の能力が最大限に活かせるものだと、他のことと比較して実感することができました。

で、わたしは、いま、それに関連した仕事をしています。
(職場では「天職」だといわれています)

得意不得意は人によって異なります。でも、経験してみなくちゃ、それを実感できません。
つまり「何事も経験」だということだと思います。

あと、苦手な科目を、どうにかこうにか人並みにこなす工夫をすることは、社会人になった時、不得意な仕事内容を乗り切る時に役立ったように思います。
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#5のgazeruです。


あの、すいません。
問題にされているのは「家庭科」「美術」「音楽」「古文」「漢文」「クラブ活動」限定なんですか?
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この回答へのお礼

ははは、そうなんです、限定なんですよ

お礼日時:2002/03/06 19:31

こんばんわ。

^^

技術は、授業を受けたからといって自力で物作りができるようになるわけではない 絵が上手になるわけでもないし、楽器が弾けたり歌が上手になるわけでもない 国語の古文・漢文はあれほどに授業時間を割いて学ぶ意味があるのか ?
とありますがfrankさんはそう感じたんですよね?
私は中学校ならともかく小学校はもっとfrankさんのいう「いらない授業」が必要だと思うんです。特に美術や家庭科、技術や音楽、体育などの副教科です。
得意不得意があるなかで、他人と違う個性を築けるんじゅあないかと思います。
全てを将来と結び付けなくてもいいと思うんです。
家庭科だって、いざ必要になったときに用意に習得! できないひともいるんですよ。学んでいたって活用しない人もいますけどね(^▽^;)
frankさんは結構言い切っていますが、実際そうでしたか?

私の場合、小学校で絵が美味くなった気がします。担任の先生が絵に詳しい人だったので。(元から好きだったのもありますが、、。)
やはり自分が何が好きか みたいなきっかけになりました。
漢文古文も中学校ぐらいのレベルなら知っといて損な事はないと思います。
だからこそ義務教育、、。と感じます。
高校に進学する人は考えるべくだと思いますが。

学んだことを、役に立たないからといって、意味のない物とくくってしまうのはどうでしょうか?もったいない\(・o・)
何でも無駄なことを知っている(笑)「雑学人間」って面白いんで好きです^^


でもちょっと同感できるところ あります(*' '*)/
それは受験直前の副教科の授業ですね!(中学生の時です)

では駄文長々すみません。ムクタンでしたっ^^
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この回答へのお礼

たしかに、多くの科目を取り入れることで多くのことに触れる機会は増えると思いますが
個性を築くには授業内容が中途半端すぎると思いませんか

数学力や英語力などの重要さが叫ばれている現在
もっと数学や英語の授業を増やしたほうが・・・

僕の考えって、根本的に間違っているのかも

お礼日時:2002/03/06 19:38

知識はいくらあってもじゃまにはならないものです。


学校で習ったこと全部が役に立つはずがありません。
ただし、知っていれば必ずどこかで少しだけ豊かになります。

それらは殆ど大したことではありません。
テレビで三国志を見ていてふと高校時代の漢文の一節を思い出して「おぉ!」と目から鱗が落ちてみたり、日常会話で古い言葉を使うと相手にインテリジェンスの高さをアピールできたり、そのくらいです。

ただ、断言しますが、あなたが少しでも美しい奥行きのある表現の日本語を書いたり話したりしたいと思うなら、古文と漢文は必須です。

芸術系・技術系は楽しんでやることです。
役に立つかどうかとか言う理屈はどうでもいいことです。
楽しくないなら落第しない程度に流して他の楽しいことをすればいいだけです。

私の同期に東京芸大に行った奴がいますが、彼はすべての授業中に絵を描いていました。
当然美術の授業中も先生に指導されながら絵を描いていました。
「美術の道を志す彼にとっては学校の授業なんて意味がない」とは私には到底思えません。

そもそも意味があるかどうかは個人の問題であって、あなたにとって意味が無くてもそこに価値を見いだす人は大勢居るわけです。
自分にとって興味のないことと社会にとって無意味なことを混同しないことです。
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うーん、要らん授業か~。


でも英数国理社以外が得意な人間にとってはそれがないと
成績表がカッコつかんで。
…なーんてゆーてもしゃーないけど。

一度経験しとくってのは必ずしも無駄とはいえんしね。

僕の学生生活の経験はちょっと特殊な例やねんけど
中学の美術は予算内で何を作っても描いてもよかったし、
先生とはほぼマンツーマンで完成まで指導してくれたし。
高校の音楽はブラスバンドでトランペットとアルトサックスと
フルートを演奏させてもらったし、
技術でも旋盤やボール盤の操作できたし、
体育では、砲丸投げ、円盤投げ、棒高跳び、平行棒、吊り輪もやらされたし、
これ個人で総てを体験するにはお金がいくらあっても足りない…。

でもってこの経験がどのくらい役に立つかってーと、うーん、
話しのネタにはなるな。うん。
でも何も知らん奴よりは話しができたり
遊びで楽器を弾いたり、共通の話題をもつ友人の数は増えたな。

芸術家一家のような特殊な環境にいるならともかく
学校の授業がきっかけで自分の進路が開けてゆく奴がおるんやし、
とりあえずは今のままで将来への「カタログ」的な側面があるのかもな。
今の日本のシステムじゃね。

ドイツのマイスター制度みたいな小さい時からの特化した技能訓練と
一般教養・しつけだけで確かにいいのかもしれんね。
人間が人間らしく生きて行くのは。

で、結局あなたは何の勉強がしたくて将来何になりたいんでしょう?
それが明確なら要らん授業なんてサボって必要なことだけ勉強すりゃ
ええやん。学校なんて世間体だけなんやし、登校拒否もそんなに珍しい
ことじゃないし。大学もいきたくなった時、最低大検受かればいいんだし。
ただし以上を行動に移す時しっかりした信念をとおさんとあかんよ。
中途半端じゃ親や世間につまらん「レール」の上にもどされるで。

いまんとこはおおよそ、生きたいように生きている男より(^^ゞ
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 すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならない。

(教育の機会均等)
 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。 (義務教育)

 つまりは、すべての人にいろんな教育(授業)を受ける機会を均等に国は提供しなければならないわけです。あなたに必要がないと感じられる授業も、他の人にすれば、とても大切であったりします。好き嫌い、必要不必要で授業が選べないのは、義務教育だからだと思っています。だから、無償で受けられるのだと。
 こんな教育必要ない!と思われるのなら、義務教育を放棄すればいいのです(罰金がかかりますが)。専門的な教育を施したければ、その専門の道に行けばいいだけです(金はかかります。特別の教育を受けるのですから)。普通の義務教育の小中学校は、普通の教育を行う場です。

 高校も専門的なことを学びたければ、専門学校に行けばよい。普通科に行かなきゃいいじゃないですか。

 そもそもの学校のとらえ方がおかしいと思います。学校は学問を学ぶところです。学校でどのような教育課程が設定されているか、考えて学校を選べばいいじゃないですか。本当に何かしたい、学びたいと思うものがあるなら。

 世の中、ムダだらけです。自動車、飛行機、携帯電話だって、今、私が使っているパソコンにしても、別になくても生活できます。でも、あったほうが、使えたほうが、そして上手に使いこなせたほうが、世界が広がる。同じことが教育にも言えるのではないでしょうか。

 文化は、余暇からうまれたのです。つまりは、無駄な時間から。
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