日本語を勉強中の中国人です。「早春賦」の歌詞を読んでいますが、古典文法が入っているので、理解できなくて困っています。特に理解に苦しんでいるところは次の三箇所です。この歌をご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけないでしょうか。

 歌詞の参考ページです。
http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/sousyunfu …

1.「歌は思えど」
2.「さては時ぞと 思うあやにく」
3.「春と聞かねば 知らでありしを
  聞けばせかるる 胸の思いを
  いかにせよとの この頃か」

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

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A 回答 (5件)

1.春は名のみの 風の寒さや  


谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど  
時にあらずと 声も立てず 
時にあらずと 声も立てず
  
暦の上では春になったといっても、春とは名ばかりで、風は冷たく、まだまだ寒く感じます。
谷で冬を越した鶯が里に下りて、美しい声で春を告げようと思っても、まだこの風の冷たさに、春はまだ来ていない、まだその時ではないと、鳴き出そうとした声を潜めて春をじっと待っています。

2.氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ 
さては時ぞと思う
あやにく今日もきのうも 雪の空  
今日もきのうも 雪の空
 
川や池に張っていた氷は解け始め、そこに生えている葦も芽をふき始めてきています。
さあ、いよいよ春が来たと思いきや、そんな思いとは裏腹に現実は厳しく、昨日も今日もまだ空はどんよりして雪が舞っています。

3.春と聞かねば 知らでありしを  
聞けば急かるる(せかるる)胸の思(おもい)を  いかにせよとの この頃か 
いかにせよとの この頃か

暦の上ではもう春になったのですと聞かされてなければ、まだ春だとは思わなかったのに、聞いてしまったので、もう、春が待ち遠しくなってしまい、季節の移り変わりさえ遅く感じ、春よ早く来いという待ち焦がれる思いをどう晴らしたらいいか判らないくらいである。

1)歌は思えど
⇒歌おうと思ったけれど。

2)さては時ぞと 思うあやにく
⇒さては時(春が来た)と思うが、その気持ちを打ち消すかのように、(まだまだ雪が降っている。)
⇒いよいよ春が来たと思ったのだが、折悪しくまた今日も雪が舞って来てしまった。(春はまだなのか~)

★あや‐にく【▽生憎】
《感動詞「あや」+形容詞「にくし」の語幹から》

1.[副]意に反して不都合なことが起こるさま。
あいにく。
折悪しく。

2.[形動ナリ]目の前の事柄が、予想や期待に反していて好ましくないさま。

意地が悪い。
不都合だ。間(ま)が悪い。
予想以上に厳しい。過酷だ。

この歌は難しい歌ですよ。
全体に伝わってくるイメージは明瞭ですが、字句の説明は非常に難解です。自信ありません。
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この回答へのお礼

 いつもお世話になっております。
 ご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。難しい歌なのですね。イメージはよく分かりました。大変参考になりました。
 本当にありがとうございました。

お礼日時:2006/07/30 22:25

非常に丁寧に解説されているサイトを見つけましたのでご案内します。

個人の方(古文の先生をしておられた方)のサイトです。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~houmei/kasi/kakyoku. …

一番下にあるボタンからHOMEに飛べます。
「超基礎古典文法」のコーナーは大変参考になると思います。

参考URL:http://www2u.biglobe.ne.jp/~houmei/kasi/kakyoku. …
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    • 14
この回答へのお礼

 毎度お世話になります。
 ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。URLは大変助かりました! また、「超基礎古典文法」もとても参考になりました。「お気に入り」に入れてゆっくり読もうと思います。
 本当にありがとうございました。

お礼日時:2006/07/30 22:57

#1です。

訂正「性格」右「正確」でした。慌てて書いたもので、失礼しました。

普段は普通に聞いているので、改めて読むと二番と三番の歌詞も鶯の気持ちかなと思い#1でそう書きましたが、やはり普段聞いているように二番と三番は人の気持ちでしょうね。

この曲ほんとにいいですし、私が聞いているのは歌手がいいのなおさらですので聞かせてあげたいくらいです。
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    • 2
この回答へのお礼

 再びありがとうございます。訂正は了解いたしました。二番と三番は人の気持ちを表しているのですね。坂入姉妹版のを見つけて、聞くことができました。素敵な歌だと思いました。
 本当にありがとうございました。

お礼日時:2006/07/30 22:44

こんばんは。

補足を。

1.歌は思うけれども。歌おうかと思ったが。
  蛇足ですが「色は匂えど:いろはにほへと」と同じ文型ですね。

2.てっきり、そのときが来たと思ったが、あいにく

3.春だと聞かなければ、知らずに済んだのだが
  聞いてしまえば気があせる
  その気持ちをどうすればいいのか迷ってしまうこの日々である。

いつもながら前後の日本語は完璧です。
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この回答へのお礼

 毎度お世話になります。
 いつも理解しやすい回答をありがとうございます。よく分かりました。
 励ましていただき本当にありがとうございました。勉強、頑張ります!

お礼日時:2006/07/30 21:47

早春賦、大好きな歌です。

歌詞もほんとにいいですね。

まず「暦の上の春」はまだ冬の厳しさが残る時期であることをわかっておいてくださいね。
暦の上では春になっているが、実際はまだ寒い季節の鶯の気持ちをうたった歌ですね。

1「谷の鶯 歌は思えど」

谷の鶯は歌おう(鳴こう)と思えども

2「葦は角ぐむ さては時ぞと思うあやにく」

葦も芽を出してきて、さては(歌う)時期が来たか!と思ったのにあいにく、

あやにくの意味はあいにく、です
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%8 …

3「春と聞かねば 知らでありしを
  聞けばせかるる 胸の思いを
  いかにせよとの この頃か」

春だと聞いていなければ、知らずに済んでいたのに、春だと聞けば(歌いたいと)気持ちがせいてしまう胸の思い、(鳴くことを)いかにしようかと迷うこの頃か。

私的な解釈で、言語学的に性格ではないとは思いますが、大体の意味を書いてみました。
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この回答へのお礼

 ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。なんとなく分かるようになりました。とても参考になりました
 本当にありがとうございました。

お礼日時:2006/07/30 01:20

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ロウバイではないでしょうか。
http://www.hana300.com/roubai1.html

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 [日本国語大辞典]

Q「早春賦」の歌詞について

 日本語を勉強中の中国人です。「早春賦」の歌詞を読んでいますが、古典文法が入っているので、理解できなくて困っています。特に理解に苦しんでいるところは次の三箇所です。この歌をご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけないでしょうか。

 歌詞の参考ページです。
http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/sousyunfu.htm

1.「歌は思えど」
2.「さては時ぞと 思うあやにく」
3.「春と聞かねば 知らでありしを
  聞けばせかるる 胸の思いを
  いかにせよとの この頃か」

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

1.春は名のみの 風の寒さや  
谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど  
時にあらずと 声も立てず 
時にあらずと 声も立てず
  
暦の上では春になったといっても、春とは名ばかりで、風は冷たく、まだまだ寒く感じます。
谷で冬を越した鶯が里に下りて、美しい声で春を告げようと思っても、まだこの風の冷たさに、春はまだ来ていない、まだその時ではないと、鳴き出そうとした声を潜めて春をじっと待っています。

2.氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ 
さては時ぞと思う
あやにく今日もきのうも 雪の空  
今日もきのうも 雪の空
 
川や池に張っていた氷は解け始め、そこに生えている葦も芽をふき始めてきています。
さあ、いよいよ春が来たと思いきや、そんな思いとは裏腹に現実は厳しく、昨日も今日もまだ空はどんよりして雪が舞っています。

3.春と聞かねば 知らでありしを  
聞けば急かるる(せかるる)胸の思(おもい)を  いかにせよとの この頃か 
いかにせよとの この頃か

暦の上ではもう春になったのですと聞かされてなければ、まだ春だとは思わなかったのに、聞いてしまったので、もう、春が待ち遠しくなってしまい、季節の移り変わりさえ遅く感じ、春よ早く来いという待ち焦がれる思いをどう晴らしたらいいか判らないくらいである。

1)歌は思えど
⇒歌おうと思ったけれど。

2)さては時ぞと 思うあやにく
⇒さては時(春が来た)と思うが、その気持ちを打ち消すかのように、(まだまだ雪が降っている。)
⇒いよいよ春が来たと思ったのだが、折悪しくまた今日も雪が舞って来てしまった。(春はまだなのか~)

★あや‐にく【▽生憎】
《感動詞「あや」+形容詞「にくし」の語幹から》

1.[副]意に反して不都合なことが起こるさま。
あいにく。
折悪しく。

2.[形動ナリ]目の前の事柄が、予想や期待に反していて好ましくないさま。

意地が悪い。
不都合だ。間(ま)が悪い。
予想以上に厳しい。過酷だ。

この歌は難しい歌ですよ。
全体に伝わってくるイメージは明瞭ですが、字句の説明は非常に難解です。自信ありません。

1.春は名のみの 風の寒さや  
谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど  
時にあらずと 声も立てず 
時にあらずと 声も立てず
  
暦の上では春になったといっても、春とは名ばかりで、風は冷たく、まだまだ寒く感じます。
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Q古典分法の問題です。 「乗る」「包む」「漕ぐ」「思ふ」「往ぬ」「飽く」「居り」「勝つ」の活用の行と種

古典分法の問題です。
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原則的には、現代語で五段活用なら古典文法で四段活用です。
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「包む」:包まない、包みます、包む、包めば(マ行)
「漕ぐ」:漕がない、漕ぎます、漕ぐ、漕げば(ガ行)
「勝つ」:勝たない、勝ちます、勝つ、勝てば(タ行)
行はそのままで、四段活用と答えればいい。

気をつけなければならないのは、「思ふ」と「飽く」
現代語は
「思う」:思わない、思います、思う、思えば(ワ行)
だが、古典は「ハ行四段」。
「(おも)う」じゃなくて「(おも)ふ」だからね。

「飽く」も現代語は
「飽きる」:飽きない、飽きます、飽きる、飽きれば
で上一段活用だが、古典文法では「カ行四段活用」


あとは「往ぬ」「居り」ね。
これは変格活用だから覚えるだけ。
「往ぬ」:ナ行変格
「居り」:ラ行変格

Q「早春賦」という歌の歌詞について

こんにちは。困っていることがあります。
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谷の鶯 歌は思えど
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時にあらずと 声も立てず

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Aベストアンサー

>それとも文語ハ行四段活用動詞「歌ふ」の未然形なのか、

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それが、平安時代初期には「り」に接続するはずのカ変と上一段が「たり」に接続する形へと移行していき、
その流れを受けて、四段とサ変にも「たり」が接続する形が出てきたと言われています。

その流れの中で根気よく四段とサ変は「り」に接続する形が古来のままで残ったというワケです。
なので状況や概念に関しての使い分けは厳密にはなかったようで、
単に接続の問題だけだったと思って良いと思います。

細かく言えば「り」や「たり」という語の成立した背景を述べることができるのですが、
私が大学生だったときに、国語学のレポートで「たり」「り」の成立論を記したとき、400字詰め原稿用紙が10枚以上になった記憶があるので、
もし詳しいことを知りたい場合は、
 ◎『岩波古語辞典 補訂版』1474~1476頁
を参照してみて下さい。
かなり詳しく述べられています。

Q早春賦の歌詞の意

この曲についてもっと知りたいと思い歌詞の意味を調べてみたのですが、
全然見つかりませんでした。
歌詞の全訳?を知ってる方がいましたら教えてください。

Aベストアンサー

訳すほどの歌詞ではないと思いますが、一応拙訳。

春は名のみの風の寒さや   春とは名ばかりの風の寒いこと
谷の鶯歌は思へど      谷の鶯が鳴こうと思ったが
時にあらずと声も立てず   未だその時ではないと声も出さない
時にあらずと声も立てず     〃

氷解け去り葦は角ぐむ    氷は溶けて消え葦は芽を吹き出した
さては時ぞと思ふあやにく  さあ今だと思ったところがあいにく
今日もきのふも雪の空    今日も昨日も雪模様だ
今日もきのふも雪の空      〃

春と聞かねば知らでありしを 春と聞かなければ知らなかったのに
聞けば急かるる胸の思を   聞いたら、急いで胸の思いを
いかにせよとのこの頃か   どうにかしなさいと言うことだろうか
いかにせよとのこの頃か     〃

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『未然形には「〜ず」をつけ』る のではありません。
例えば,「過ごす」の否定形を作るのに,「ず」を付けますが,終止形の「過ごす」に直接付けるのではなく,未然形の「過ごさ」に「ず」を付けるのです。
 
また,ほかの方もおっしゃるように,
「過ごす」の否定「過ごさない」の意味が「過ごさず」であり,別の意味の動詞「過ごせる」の否定が「過ごせず」です。 
 
さらにまた,「古典の活用で、」と言うのも用語が変です。

Q意味を研究する事って

こんばんは。
今、授業で「認知意味論」を学んでいます。私は「意味を研究する事に意味があるか」という質問に答える事になったのですが、意味が無いと言ってしまうと授業が成り立たないので意味があると答えるべきだと思いました。
しかし、その根拠となる事柄がなかなか思いつきません。「どんな語にも意味があり、言語活動は意味を伝達する事であるから」ということだけでは、意味を研究する意味の根拠としては乏しいと思うのです(語の持つ意味が重要だとしても、言語によって意味は違い、その全てを網羅するのは不可能に近く、また、ある一つの言語に限っても、類似した意味の区別をつけることは困難、つまり意味というものは曖昧なものだから。)
そのような訳で、意味を研究する事の意味はどこにあるのか、皆様の考えをお聞かせ願いたく、質問しました。
また、私は専門家ではないので難しいことは分かりません。もし上の私の考え方でおかしなところがあれば訂正頂ければ助かります。

Aベストアンサー

意味論というのは定義が難しくて定義も様々ですが、共通して確認できる前提としては、意味というものは社会的な性質を持っているということです。要するに、言葉の意味とは事物の中に隠れているものが発見され命名されるのではなく、人間がその言語を通して事物に意味を与えていくものだということです。

将棋をさす時にある駒が足りなければ、そこらの石でも牛乳瓶のふたでも、何でも代用することができますが、これは駒そのものが重要なのでなく、将棋というゲーム全体の関係性の中においてその駒に与えられた意味が重要だからです。逆にいえば、ある駒を見つめていてもその駒の持つ意味というものは決して理解できません。

これと同様に、意味というものは全体の関係性の中で言葉に付与されるものですから、孤立した単語を眺めていても決して浮かびあがってくるものではありません。言葉の持つ意味とは、他の単語との関係の中に捉えられる、ある体系内の価値である、という風に認識できるでしょう。言語とは網のようなもので、意味とはその中の流動的なひとつのマスに過ぎません。これが意味論の根本的なスタンスと言って良いでしょう。
そう考えると、ご質問にある「言葉の意味を考える」ことは、すなわち社会制度としての言語の意味のネットワークを考える、ということに直結するわけですから、文化・社会・歴史全般にわたる広がりを持つという意義もわかるでしょう。裾野が大変に広いわけです。

言葉がご指摘のように曖昧な意味を担っていて、周辺のぼやけというかある幅を有することも事実ですが、先の意味から考えればこれは逆に、意味が他律的に周囲との関係の中で定まるものであるがゆえに、意味の中心が存在せず、せいぜい最大公約数的なものしか認識できない、という風に言えるでしょう。

要するに、明快な意味が定義できないから駄目なのでなく、そこをスタートとして、それなのに曲がりなりにも意味が通じ合うのはどういうことなのか、という風に意味の意義を求めてみてはどうでしょうか。
「言葉はモノの名称リストではなく、我々の世界認識の結果である」というのが、現在の言語観の基本です。

また、意味というものは意外と動的なもので、単純なものではありません。意味論の初歩でデノテーションとコノテーションを学ばれることと思いますが、例えば『ユダヤ人は所詮ユダヤ人さ』というせいりふの意味を考えてみると、最初のユダヤ人は「ユダヤ民族に属する人」という外示的意味(デノテーション)を指すのに対し、あとの方のユダヤ人とは「狡猾でずるいやつ」という共示的意味(コノテーション)を担っています。

これはひとつの些細な例にすぎないのですが、コノテーションを深く知れば、表現を通じて人間の意識というものを知ることにもつながります。言葉の意味は一定しないもので、常に既成の意味体系に限定されていく人間の意識が、言語の表現作用を通じて解放されていく様がコノテーションには見られるからです。
意味というのは世界の分節化であり限定性を本質的にもつものですが、それに抗って新しい意味生産を行うこと、つまり、言語の網の目の改変、という点で言葉の意味をたどることは人間の意識や思考方法そのものを見つめることに直結します。無意識のレベルで言葉の音と意味がどのように関わりひとつの語として紡がれるのか、というプロセスを研究する人達もいます。

さらに、認知意味論というのは特に人間が意味を認識する過程を問題にするわけですから、意味を考えること、ひいてはどうやってその意味が認識されているのか、ということは人工知能や認知哲学など広い分野に活用されるべき知識です。
例えば、海に浮いているメッセージボトルを見たとき、我々はすぐにそこに何らかの意味があることがわかるのですが、これはなかなか容易なことではありません。内部情報(中の紙に書かれている意味)を理解する以前に、外部情報(例えば「この文章が日本語で書かれている」といったこと)、さらにフレーム情報(つまり「このボトルの中には意味のある情報が入っている」ということ)が適確に理解されなければなりません。
「これは意味のあるモノである」という情報それ自体もメタ情報として意味を担っているわけで、実は語やモノの意味を理解することはそれ以前に多くの意味の解釈を必要としているのです。我々にとっては無意識の作業ですが、そういった事柄が我々の頭の中でどのように認識し処理されているのか、大変興味深い研究テーマだと思います。その困難さは、人工知能にこれらの行為を代替させようとした時にどれほどの困難が伴うことかを想像してみればわかることでしょう。

※少しご質問の内容とはずれがあるかもしれませんが、あまり意味論を理解していない回答が多いようなので、敢えて考え方のヒントとして書いてみました。ご参考までに。

意味論というのは定義が難しくて定義も様々ですが、共通して確認できる前提としては、意味というものは社会的な性質を持っているということです。要するに、言葉の意味とは事物の中に隠れているものが発見され命名されるのではなく、人間がその言語を通して事物に意味を与えていくものだということです。

将棋をさす時にある駒が足りなければ、そこらの石でも牛乳瓶のふたでも、何でも代用することができますが、これは駒そのものが重要なのでなく、将棋というゲーム全体の関係性の中においてその駒に与えられ...続きを読む

Q古典文法 完了・強意の助動詞「ぬ」について

現在取り組んでいる文法の問題集に出題されている助動詞「ぬ」の問題で、完了と強意、どちらで訳し分ければよいかわからず、悩んでいます。

「早う立ちね、立ちね」の『ね』の意味を答えよ。

とあり、解答解説を読むと『完了』とありました。ですが、命令形で『完了』となるのがよく理解できません。
どなたか詳しい方、いらっしゃいましたら回答お願いします。

Aベストアンサー

以下のURLを参考にしてみてください。

  http://www.angelfire.com/sd/crane/jpconepoint.htm

a助動詞「つ」「ぬ」の意味の識別

 1)たいていは完了の意味で用いられる

 2)強意の意味になる場合、直後に「む」「べし」などの推量の助動詞を伴う

 3)並列の用法もあるが、これは「~つ~つ」「~ぬ~ぬ」の形でしか用いられない

b強意の「つ」「ぬ」は、「きっと~・必ず~・今にも~」などと訳すが、無理に訳さなくてもよい場合も多い

c「つ」「ぬ」が命令形になった場合、「~してしまえ」「~せよ」などと訳す

d並列の「つ」「ぬ」は「~したり~したり」と訳す


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