相手の陣地に打ち込むということは、主に砲撃だったと思います。砲弾に何かを仕組んでおくという発明は、戦争中に行われたのでしょうか。また、この毒ガス弾は空中で爆発させたのか、地中で爆発させたのかどちらだったのでしょうか。

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A 回答 (3件)

作戦で最初に使用された毒ガスはボンベに圧縮貯蔵された塩素ガスを大気中に放散し風で敵陣に吹き流すという方法でした。


これは当時ドイツでは塩素の需要が生産量に比べ少なかったので余っていた事と戦線が膠着状態で、これを打開する砲撃の効果が砲弾の不足や野戦防御の発達で乏しくなってきていた為、塩素ガスの使用に踏み切ったのです。

塩素ガスは空気より重いので敵陣に達すると地下に掘られた塹壕の内部まで広がり眠っていた兵士は急激な咳き込みや呼吸困難に陥りました。
この為パニックが起こり陣地を捨てて敗走したのです。

その後連合軍側も塩素ガスを使用するなどエスカレートした結果、毒ガス技術も改良されイペリットやマスタードガスなどが発明され、これらの液状毒は砲弾に充填して敵陣に打ち込むようになったのです。

これらの毒は吸入や接触により人体に害を与えるので
出来るだけ広範囲に散らばるように、低空中で爆発するように信管を設定したり、大地に到達するや瞬発する信管を使用しました。
迫撃砲弾や航空爆弾も使用されました。

毒ガス攻撃は人体に非常な苦痛を与える兵器なので戦後国際条約でその使用を禁止されたのです。

これの変形として催涙性のガスが発見され一時的に抵抗力を奪うためデモや争乱の鎮圧に市民に向け使用されるようになりました。
枯葉剤も航空機に因る散布ですがこれも厳密には毒ガスに含まれる薬品といえます。
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この回答へのお礼

そうですか。最初は風を使って散布したのですか。しかも塩素なんですね。

砲弾に充填しようという考えもこの戦争から始まったようですね。爆発時期も考慮されるようになった。

参考になりました。

お礼日時:2006/07/29 18:23

手持ちの試料では.


近代戦では.えきたい塩素ガスボンベのバルプを開いて風下の敵軍襲った(1915.04.22, どく群が仏軍に対して)
古い内容ですと.紀元前にスパルタで.硫黄を燃した武器があったようです。

安田講堂で水平打ちに使われた.アセトアミノフェンは手持ち武器として要人の保護に使われたようです。
ガス銃・ガス手榴弾・ガス万年筆・ガス警棒....。

ガスの生産が負い尽かす.人間が担いで運び.その場でバルプをあけて攻撃.バルブを空けた人間はその場で戦死という使い方のような気がします。
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この回答へのお礼

やはり、遠距離を飛翔させないと危ないですね。

お礼日時:2006/07/29 18:19

砲弾による攻撃はもちろんですが、擲弾、ボンベによる攻撃も行われました。

ボンベ攻撃とは、通常のガスボンベに毒ガスを詰めて開栓するという単純な方法です。
砲撃ではマスタードガス、ホスゲン。ボンベ攻撃では塩素ガスが用いられたということです。

最後は曖昧ですみませんが
砲弾の種類は、技術的に考えて着弾して炸裂する方式のものではないか、と考えています。

ちなみに参考図書は下のとおりです

参考URL:http://www.amazon.co.jp/gp/product/4121017269/24 …
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この回答へのお礼

ボンベ攻撃もあるのですか。かなり危険そうですね。

お礼日時:2006/07/29 18:18

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疑問は当時の大砲を使い城外からの砲撃で天守閣の一部に正確に命中したのかという事です。相当近くから砲撃できたのでしょうか。なお砲撃したと思われる場所と天守閣までの距離など分かりましたらありがたいのですが。

Aベストアンサー

その後調べた所幾つか新事実がありましたので補足します。

大阪方はフランキを使用したようですがこれは前にも書きましたように
暴発の危険性もあり操作が難しいものでした。 またガス漏れのため射程もみじかかったようです。

徳川方は輸入のカルバリン砲という鉄製の前装式大砲で14キロの鉄丸を4~5千mとばせたようです。
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Q日本の戦国時代~江戸時代初期・明治維新までの砲弾

戦国時代の大砲(大筒)の弾って、今で言う所の徹甲弾(攻城用弾)だと思うのですが、時代劇や大河ドラマでは、砲弾の対地着弾付近の侍・武士・兵士が吹き飛ばされて死傷する描写が多数見られます。
また、幕末の外国船の砲弾も、鉄球弾であり、榴弾ではなかったと思います。
しかし、炸薬が内蔵されていない鉄球である砲弾が近くに落ちても、大したことないと思います。
実際は、榴弾やそれに近い炸薬の内装された砲弾だったのでしょうか?

Aベストアンサー

視聴者にわかりやすくするための一種の演出効果なのでしょう。
それに、時代劇に限りませんが、日本のドラマ制作では軍事関係の考証は
軽視される傾向にあるので、そういう考証すらせずに単純に爆発させている
可能性もあります。

Q203高地攻略の重砲隊の陣地転換

 日露戦争 旅順攻城戦で、第三軍の遅滞ぶりに
しびれを切らした満州軍総参謀長の児玉源太郎は
越権行為であるが、乃木軍司令官の指揮権を奪い
203高地への攻撃を命令しました。

 映画「二百三高地」での描写では時々、遺体収容の
名目で24時間休戦が何度かあり、日露両軍兵士が交流して
ロシア兵はウォッカを、日本兵はタバコを交換し合う場面が
ありますが、その裏で、児玉は幕僚たちに「重砲隊を速やかに
高崎山に陣地転換して....」(多分砲兵科出身の豊島陽蔵が)
「速やかなる移動との仰せですが、砲床工事その他を含めますと
短時日では」「(児玉)「出来る。24時間以内にやれ」
と命令します。

 第三軍では内地から28サンチ砲を送ると言ってきても「ベトンが
乾くのに1か月以上かかる、そんなもの要らん」と断りますが
無理矢理送ると、特別構築班の手で1週間で前線に据え付けました。

 児玉は砲の素人ですが、砲兵科出身の参謀が無理だということを難なく
成し遂げました。

 実際重砲の据え付けは教科書と現実にかなりの乖離があるようですが
児玉が頭越しに当てずっぽうで「出来る」と言ったとしても、どういう工夫で
工事したのでしょうか。

 日露戦争 旅順攻城戦で、第三軍の遅滞ぶりに
しびれを切らした満州軍総参謀長の児玉源太郎は
越権行為であるが、乃木軍司令官の指揮権を奪い
203高地への攻撃を命令しました。

 映画「二百三高地」での描写では時々、遺体収容の
名目で24時間休戦が何度かあり、日露両軍兵士が交流して
ロシア兵はウォッカを、日本兵はタバコを交換し合う場面が
ありますが、その裏で、児玉は幕僚たちに「重砲隊を速やかに
高崎山に陣地転換して....」(多分砲兵科出身の豊島陽蔵が)
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Aベストアンサー

児玉大将の28サンチ砲の陣地変換の件は、映画を面白くする為の脚色です。

実際には、児玉大将が到着する前に、第3軍は203高地に目をつけて、
陣地変換を開始しています。

また、実際に児玉大将が映画の様に、参謀達に命令行動を取ったのかは、正確には分かっていません。

大本営が、28サンチ砲を第3軍に送るか尋ねた時の返答も、
「ベトンが乾くのに1か月以上かかる、そんなもの要らん」
という理由ではないようです。

大本営には、そもそも、旅順要塞攻城戦に28サンチ砲を送る意見もありましたが、
運搬に不便なこと、旅順要塞を軽く見ていたため、この意見は見送られました。

しかし、第1次総攻撃が失敗すると、にわかに、28サンチ砲を要望する声が高まり、
とりあえず、鎮海湾要塞に輸送中の28サンチ砲6門を、これに振り向けたと言うのが真相です。
更に、満州軍総司令部の要望で、第2次分追加分、これも鎮海湾向け6門と、
第3次分、対馬向け6門の計12門の追加、計18門になりました。

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有坂少将から派遣された、砲床構築班長であった横田譲砲兵大尉が、
砲床に木材を使用したため可能になりました。

これで、答えになっているでしょうか?

児玉大将の28サンチ砲の陣地変換の件は、映画を面白くする為の脚色です。

実際には、児玉大将が到着する前に、第3軍は203高地に目をつけて、
陣地変換を開始しています。

また、実際に児玉大将が映画の様に、参謀達に命令行動を取ったのかは、正確には分かっていません。

大本営が、28サンチ砲を第3軍に送るか尋ねた時の返答も、
「ベトンが乾くのに1か月以上かかる、そんなもの要らん」
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Q自分に向かってくる砲弾の音は聞こえない?

大正生まれの、戦争体験者のお話によると、
遠くを飛んで行く遠距離砲弾の音は、ヒューヒューとよく聞こえるが、
自分の方向に向かってくる砲弾は音がしない。
そのため、飛行機から爆撃されるより怖かった、そうです。
(飛行機は音がするため隠れることができる)
「自分の方向に向かってくる砲弾は音がしない」となると砲弾の速度は音速より速いことになりますが、
事実はどうなのでしょうか?

Aベストアンサー

ほとんどの弾は音速よりも早いです。
だからまっすぐ自分に向かってきていれば、
音よりも弾のほうが先に到着します。
銃撃戦などではふつうは音ではなく、光をみて反応します。
発砲のときの閃光が判断材料です。
飛行機の爆弾は、
ほとんどのものは自然落下になるので、
当然遅いです。
大砲の砲弾の場合、長射程での曲射などでは、
弾道が極端な放物線を描くので、直線距離よりも実際の弾道は相当に長くなります。
それでまっすぐ空気を伝わる音の方が先に着く状況はありえます。
しかし状況次第です。要するに音の伝わる速度と、
砲弾のスピード、軌道とを計算すればわかること。
自分の方向に向かってくる砲弾が音がしないこともあれば、
音がすることもあります。

Q砲撃に遭った会津城は何故燃えなかった?

現存する写真から想像するに、戊辰戦争(会津戦争)で、会津城は大量の砲撃に遭いながら、火災を起こさなかったように見えるのですが、当時の大砲はただ鉛玉を遠くに飛ばすだけで爆発はしなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

砲弾マニアがお答えします。

当時の一般的な砲弾は3種類ありますが、ほとんどが内部に火薬を詰めた炸裂弾です。
火災が起きなかったのは城の建物が土と石と漆喰で固められ防火対策されていたこと。
また当時の火薬が黒色火薬で燃焼温度が低く城郭の太い木材に直接着火するほどの高温を
出せなかった為のようです。

以下に当時使われた3種類の砲弾について説明しておきます。

一つ目は球形の弾です。これはライフル溝の無い旧式の、ただの青銅の筒みたいな
大砲で発射されます。砲弾の内部は空洞で火薬や金属片が詰められています。
一か所に穴があって、そこに火縄が仕込まれた木の筒が押し込まれ
大砲を撃った時の発射火薬の燃焼で火縄に火が付いて燃えながら飛んでいきます。
命中したあとはゴロンと転がり火縄が燃えつきて砲弾の中の火薬に火が移るとドカン!
まあ言ってみれば鉄で作った打ち上げ花火の玉みたいなものです。

二つ目は少し細長い椎の実型の砲弾で表面には鉛や黄銅のイボが付いています。
これは四斤砲(ナポレオン3世が使ったことからナポレオン砲とも呼ばれ、
弾が低い弾道で飛ぶカノン砲に近いものです。)
それと弥助砲(薩摩の大山弥助が制作した大砲で弾が高い弾道で飛ぶ
榴弾砲に近いものです。)この2種類の大砲で使われました。
四斤砲は両軍ともに持っていて、当時の主力火砲でした。

この砲弾を打ち出す大砲は施錠式前装砲といわれます。
砲弾は大砲の弾が出ていく砲口から、砲弾のイボイボを
砲身のライフル溝(螺旋状の溝)に合わせ回しながら押し込みます。
砲弾と砲身の間には隙間があり、そこから発射ガスが漏れてしまうので
あまり遠くまで飛ばすのは無理です。

この砲弾も中空で中に火薬と金属片が詰められています。
砲弾の先端には木栓と鉄釘と雷管で作られた初期の信管が付いていて
命中すると鉄釘が雷管を叩き火薬に点火されドカン!
まあ言ってみれば鉄で作ったどでかい癇癪玉ですね。

最後の一種類がアームストロング砲の弾です。この弾は他の弾の
6分目くらいの大きさでや火薬の量も半分くらいですから威力は少ないのですが
やはり火薬と金属片が込められていて先端には信管が付いてます。当たればドカン!
これが遠くまで飛ぶんです。

この大砲は後装式と言って大砲の根元の蓋を開けてそこから弾を込めます。
砲弾には鉛が巻かれていて、この鉛が砲身のライフルに食い込みます。
前装式のように砲身と砲弾の隙間からガスが漏れないので
遠くまで飛びます。こちらが撃った砲弾が届かないところから撃ってきますから
困った存在です。最新式だったので随分有名ですが数も少なく
それほど活躍していないようです。

つまり当時はどの種類の大砲の弾にもや火薬と金属片が込められ命中したときか
あるいはドスンと落ちて火縄が燃えてからか、ドカンと爆発したんです。
もちろん特別な用途で城の門を打ち抜くとか防護壁を崩すときは
火薬の無い無垢の金属弾を使いました、それは一部です。

アメリカでは南北戦争が終わり、ヨーロッパでは普仏戦争が間近です。
時代はもはや爆発しない鉛弾を撃ちあうほど長閑ではありませんでした。

砲弾マニアがお答えします。

当時の一般的な砲弾は3種類ありますが、ほとんどが内部に火薬を詰めた炸裂弾です。
火災が起きなかったのは城の建物が土と石と漆喰で固められ防火対策されていたこと。
また当時の火薬が黒色火薬で燃焼温度が低く城郭の太い木材に直接着火するほどの高温を
出せなかった為のようです。

以下に当時使われた3種類の砲弾について説明しておきます。

一つ目は球形の弾です。これはライフル溝の無い旧式の、ただの青銅の筒みたいな
大砲で発射されます。砲弾の内部は空洞で火薬や金属...続きを読む


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