幼稚園時代「何組」でしたか?

昨年8月TBSで放送された「ボイスレコーダー20年目の真実・・・」(以下省略)を見て初めてボイスレコーダーの一部を聞きました。
コントロール不能、警報音が鳴り響く中、機長らは懸命に機体を保とうとするやり取りがわかりました。

その会話の中で機長が言った「どーんといこうや」。
当時、新聞の活字でフライトレコーダーの記録が公開され世間からかなりの批判があり・そして機長の家族に対する嫌がらせがあったそうです・・・

なぜ機長はあんな状況下の中「どーんといこうや」と口にした思いますか?

私は、誰か(家族など)に対し「頑張って生きていってくれ」「負けるな!」などの思い込めたメッセージかもしれないと思いました。

他にも混乱して言ったのか、もしくは機長はあの時諦めたのか・・・さまざまな理由があるかもしれません。

みなさんはどう思われますか?

A 回答 (10件)

 「世間からかなりの批判があり・そして機長の家族に対する嫌がらせがあったそうです・・・」、とても残念なことです。



 「どーんといこうや」、この言葉を発したキャプテンの心情、痛いほど分ります。わたくしもここでご回答を書きたかった!!、でももう、わたくしが言いたいことは全部皆様からご回答として書かれてしまっています。そしてそれらすべてがまさにその通りだと思います。

 ただひとつ重ねて言わせて頂ければ、あの言葉は絶対に「投げやり」な意味での言葉ではありません。

 エンジンの出力調整以外になにひとつ操作に反応しない機体、それまで想像もしなかったし聞いたこともないこうした状況、そんな不可解な状況に追い込まれた自分とクリュー、そして多くの乗客たち。
 この自分に課せられたすべての責任、どうすれはいいのか、何が正しい判断と処置なのか・・・。ともすれば焦る自分、ともすれば怯え慌てがちになる若いコーパイ(副操縦士)。

 「落ち着こう、下腹に力を入れて、度胸を据えて」、そうした心情をキャプテン自らにも、そしてコーパイにも言い聞かせたかった言葉だとわたくしには信じられるからです。

 以前、ある事故でのボイスレコーダーの記録の中に、キャプテンがローテイト(離陸時の引き起こし)の際に「どっこいしょ」と操縦桿を引いていた、実にたるんでいる!、これも事故の遠因・・・・といった報道がなされ、この時も多くの非難の声が上がりました。

 これも、とてもおかしい報道でしかありません。現実にはテイクオフ(離陸)の際の操作に「たるみ」など入り込む余地などありません。次第に増す対地速度と対気速度を目で確認しながら「ここッ」とばかりに操縦桿を引きはじめるタイミングを掴む、その瞬間、人間として「どっこいしょ」という掛け声は、「たるみ」どころか、それこそ緊張の極みの言葉として、出ても当然とわたくしは感じましたし、とかく言葉尻だけを捉えがちな報道のあり方に大変憤りを感じたものでした。

 実際に航空機や操縦、そして航空事故などについての専門知識などほとんど何ひとつ知らないマスコミの連中、いえ、こうしたマスコミの何時ものことですが、何につけても知識が浅く、それでいて報道はエキサイティングで興味本位、そしていたずらに世論を煽り立てる報道姿勢、これが今のマスコミの実体。
 いまさらのことではありませんが、わたくしは航空機の操縦経験者として、そしてマスコミ対応をする対外広報の経験者として、マスコミの「浅はかさ」に芯から憤りを覚えてしまうのです。
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この回答へのお礼

皆さん、ご回答ありがとうございました。
やはり機長は諦めず最後まで最悪の事態は避けようとうと頑張ってくれたと思います。
機長が「どーんといこうや」と言ったのは山の斜面などへ滑るように不時着を試みようとしていったのかも知れません。

「どーんといこうや」と言った機長はあの時どんな思いで操縦していたのか。
それらは123便機長本人しかわからないのです。

事故当時のマスコミ連中の身勝手な報道で機長は「人殺し」扱いされ世間から批判・非難を受けることになり、機長の家族の方々は中傷の電話・自宅に押しかけられ外も歩けず、つらい思いをさせたマスコミこそが犯罪者です。むしろ被害を最小限に食い止めようとした機長らに敬意を表すべきだと思います。

今月12日で事故から21年になりますが私たちはあの520名の尊い命が消えた事故を決して忘れてはなりません。そして勇敢な機長らパイロットの方々も忘れてはなりません。

犠牲になった520名の方々のご冥福をお祈りします。
二度とあのような悲惨な事故を繰り返されないことを祈りながら・・・

お礼日時:2006/08/03 23:17

哀しいですね、その時の”言葉”だけを拾ってそういう非難を浴びせるとは。



機長以下、操縦士の人たちが、本当に諦めるような言葉を吐くと思うのでしょうか?人間、最後の最後まで、どこかで助かる道を探そうとするものだと思います。まして、操縦士は仕事上での精神的な強さは、通常で考えられている以上のものがあります。

本当に、機長は最後まで、乗務員に落ち着いて行けば大丈夫だ、と言う意味で言っていたのだし、それによって乗客を助けられると信じていたと思います。

あの夏は忘れられません。
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私は、周りの人たちをリラックスさせるように言った言葉だと


思っています。
緊急時にこそ慌てずに行こうと勇気付けたのだと思います。
そして機長は最後まで諦めなかったとも思っています。
10年以上前に全日空の機長をやっている人の家に機械の取り付けに
行った事が有ります。その時に教えて頂いたのですが、この123便の
機長は全日空で3本の指に入る操縦の腕を持った人だと教えて頂きました。
そのような方だからこそ機体をあそこまで運べてわずかでも生存者が
居たのだとも教えて頂きました。
空を飛ぶ飛行機、それもジャンボジェットの操縦を途中で諦めて
生存者が出るとは思えません。
機長は最後まで諦めなかったのだと私は思います。
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素人のように動揺するな。


自分達はプロだ。
頑張ろう。
とにかく全力を尽くし最悪の状態になろうとも自分の職務を全うしようと言う意味だと思います。

「どんと構えて立ち向かおう」
窮地に陥った時人間が使うことばだと思います。

「いこうやは」、「困難に立ち向かおう」だと思います。
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「どーんといこうや」。


この言葉の意味、当時のコクピットの状況が音声程度しかわからないのですから、正確な所はわからないと思います。
ただ、あきらめに意味では決してないですね。
油圧が失われ、舵が全く効かない状況になりながら、さまざまな操作が試みられています。その中で、通常とは逆の操作も行われたと聞いています。でもそれは、舵の効かない状況では適切な操作であったことが後でわかっています。誰も知らなかったそのような操作を発見し、何とか無事に生還させようと操縦していたことはその後の会話や操作などで間違いないことでしょう。

B747で、全ての油圧が失われることは想定外、というよりそんな状況になって飛行を続けることは誰も考えていなかったと思います。
その状況で最後まであきらめず、必死に操縦を続けたこと、尊敬すべきことであり、非難されることはまったくないことと考えます。
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以前公開されたボイスレコーダーを事故発生直後からの録音すべてと、その時の位置情報および機体状況(推測)とを照らし合わせた物を見ました。


まずはっきりしておきたいのは「どーんといこうや」の言葉が出たのは山に激突するずいぶん前の事です。当時この言葉ばかり先行し、まるで「いっそ山に思い切ってぶつかって行こう」的な言われ方をし、批判がでた時もありましたが、全くのお門違いです。
垂直尾翼が吹き飛んだ事で、油圧系統が全部機能停止に追い込まれ、機体の姿勢制御をするラダーもフラップもまともに動きません。機体の向きさえ満足に変える事の出来ない状況です。でもなんとか姿勢制御し空港に着陸させたい、そうするにはエンジンの出力を変え、右に旋回したければ左のエンジンの出力を上げ(必要なら右のエンジンの出力は下げる)高度を下げたければエンジンの出力を下げつつも、先の方向の事も制御しなければならないのです。適当に行えば失速しその場で墜落です。(敢えてイメージしやすく車で例えれば、わずかにしか効かないハンドルを使い、アクセルとブレーキでスピンやドリフト等を使いながら方向を変え、その上速度も調整しながら道を走るようなものです。)
その前後の会話を聞けばおよそ分かりますが、出力調整で機体の向きを変えようとしてもなかなか上手くいかず、機長が出力調整をしていた副操縦士(機関士かもしれません)に「思い切ってスロットルを入れろ」との意味で「どーんといこうや」と言っていたと思えます。

山に激突する最後まで「(機首を)上げろ!」「頑張れ!」の言葉が残っていましたので決して諦めたわけでもなく、ましてや投げやりになんてなっていた様には聞こえません。
録音の最後は機体が激突し、機体が壊れていくと思われる音で終わってました。ホントに涙が出ました。

機長以下乗務員の皆さんは最後まで職務を全うしようとし殉職されたのだと思います。
この事故で亡くなられた皆様には、心よりご冥福をお祈りしたいと思います。
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当時、事故に大きく衝撃を受けた記憶があります。


もう、20年以上経過しているのですね。
昨年の放送も見ました。

ボイスレコーダーから機長が最後まで、あきらめないという感じを受けました。操縦が困難ななか当初は、横田基地に着陸する予定であったのではないかと思います。

ところが、横田基地に着陸すると言っても市街地にあり市街地に墜落する危険性も考え(より犠牲者が出る)あえて、山に向かって行ったのではないでしょうか。

その山に対して「どーんといこうや」ということで、不時着を考えての表現ではないかと思っています。
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色んな解釈が有るんですね。



確かに投げやりにも聞こえますが、あの状況を知れば知るほど、どうしようもない状態で、正気を保ってなんとか機の体勢を立て直そうとしていたもんだとむしろ感心しました。

批判をするなんてお門違いです。

原因不明で全くコントロール出来ない機体での約30分間の戦いの中で、機長を始めとする操縦士さん達は、なんとか被害を食い止めようと、結果的に山に不時着する事を決意されたのでしょう。

その証拠に「どーんといこうや」の後に、「がんばれ」「がんばれ」の連呼が有りますし、機長のイメージとしては山の傾斜を利用してのランディングだったのでしょう。

と、僕は思います。(合掌)
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機長など操縦士は酸素マスクをつけていなかったために酸欠状態になり正常な判断が出来ない状態にあったそうです。



そういえばあの当時は「どーんと行ってみよう」という台詞がはやった頃ではなかったでしょうか(ちょっと不明)

それほど大きな意味ではないと思いますが。自分や仲間を奮い立てるような意味ではないかとも思います。
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私は「もう操縦不可能だからあきらめて、派手にぶつかって散っていこうや」って意味だと思います。



・・・おかしいですかね?
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